新聞づくりを通して見た京大

京都大学新聞社

京都大学新聞社

 京都大学という一つの巨大な社会の中では、当然のことながら数多くの団体が様々に活動している。たとえば「京大公論」で取り上げてきた、京大アメフト部ギャングスターズや京大社会科学研究会などがそうである。そして、マスメディアとして活動している団体も存在する。今回インタビューした京大新聞社はその一つである。
 京大新聞はもともと1925年に京都帝国大学新聞として生まれ、以来、大学における様々な動きを伝えてきた。また、京大新聞社は新聞製作のみならず京大に関する雑誌の編集やアルバム制作にも携わり、その活動はまさに学内メディアの代表であると言ってよいだろう。
 だがしかし、その歴史や伝統、影響力にもかかわらず、現在の京大新聞社の状態は苦難と呼べるものですらある。今、京大新聞はどういう状況にあり、これから何を目指していくのだろうか。京大新聞社編集員の中川氏、大島氏にお話をうかがった。

京大新聞社の今

 京大新聞は人手不足だという。人不足に新聞運営の負担を大きくしている。京大新聞への京大生の興味、関心は低下しているのだろうか。
 「京大新聞の認知度は、そんなに高くないと思います」
 中川氏ははっきりとそう言った。そして、こう続けた。
 「『らいふすてーじ』が生活の知恵のようなものを取り上げているのと違って、京大新聞というとやはり(学内)ニュースを伝えることが存在意義になっています。京大新聞の認知度が低いというのはやっぱり学内のニュースに興味をもつ学生が少なくなっているのかなとも思います」
 「大学生が一部の特権的エリートであったり、学生運動が盛んだったりころには、京大新聞に対する需要も存在価値もすごく高かったんですけど、今はそういう時代でもないじゃないですか」
 独立行政法人化の例を挙げるまでもなく、現在大学が急激な変化の中にあることは明らかである。誤解を恐れずに言えば、学生運動という大きなうねり以来の大学の変革の真っ直中にあるのではないだろうか。ただ違うのは、その動きの主体が学生でなく、行政や大学当局(もしかすると大学当局ですらないのかもしれない)であるということだ。
 生活情報でなく、あくまで、大学における様々な動きを伝えていく。時代は移ろいでも、京大新聞はその役割に他の学生より敏感なのかもしれない。

新たなメディアに対して

 新聞が、古くからあるメディアであるとすれば、一方でインターネットは新しい、巨大で乱雑な情報メディアであると言えるだろう。
 新しいメディアを、京大新聞はどのようにとらえているのだろうか。
 「話題集めの材料としては便利なものだと思うんですけど、でも、それを全部だと思ってしまうのは違うなぁ、というふうに思います。新聞はもうちょっといろんな要素が混じって記事になると思うんです。だから僕は、インターネットは題材集めの便利な道具、ととらえています」
 と大島氏。一方で中川氏は、“新しいメディア”の今後の変化について指摘した。
 「たとえばkyoto-u.comがニュースとかを載せ始めた場合に京大新聞とどう棲み分けていくのか、という思いもあります」
 実際に、kyoto-u.comスタッフの間でも、自ら学内ニュースの発信を行うべきだという意見がある。
 他メディアの変化に対し、京大新聞はどう応えるのだろうか。
「新聞にいる編集員はやっぱり自分から発信したいっていう気持ちでいると思うんですよ。ニュースを発信するということに意味はあると思いますし、伝えたいことを伝える、自分の意見を伝えるメディアとしてありたいと私は思います」
 伝えたいことを伝える──シンプルだが、確固たる信念である。

京大生に対して

 新聞製作を通して、京大生の変化を感じることはあるのだろうか。
 「新聞なんて偉そうなことしてますけど、私はあんまり大学に行ってないんで(笑い)、どう変化してるのかというのを肌で感じることがあまりないんですが、やっぱり、『興味がないんだなぁ』っていうのは感じますね」
 「ニュースって、『学内政治』という言い方をするとすごいものに思われるけれど、大学って自分が住んでる環境じゃないですか。その大学がどうなっていくのかっていうことに関心がないとか、大学から提供されるサービスをそのまま受け取って、自分が新しいものを求めたりだとかサービスを変えていこうって思わない、する気がないっていうのは、おかしいと思うんですよ。住んでる世界のことなのに、自分もその一員であるのに、どうしていくかとか変えていこうっていう意識を持たないっていうのは」
 確かに、学生が躍起になって大学を作っていこうとする時代は終わったのだろうが、それでも、大学という場で活動している以上やらねばならないことがある。京大新聞の紙面作りは、そんな意志から行われているように思える。

京大新聞は何を目指すのか

 メディアとしての京大新聞の立場や、学内ニュースを伝えるという使命や責任などとは違った面で、編集に携わる側からの京大新聞に対する思いも垣間見えた。
 「ニュースを書いたからといって、大学が変わっていくとか総長がそれを読んで意見を変えるということはない、かもしれないですけど、いろんな可能性があると思います。だから、もっと大きいことがしたいなぁ、と」
 「でもやっぱり、メディアとしてどうだとか、多くのひとに読まれるためにはどうしたらいいかなんてことを考えてるだけじゃ、やってられないですよ、新聞なんて。自分に対してどうだとか、自分にメリットがないと続いていかないと思うから。新入生にはやりたいことをやってほしいし。というか、自分がやっていきたい。そうでないと、メディアとして力を持てないと思うんですよ。みんなにどう思われるかばっかり考えているメディアよりも、自分がやって楽しいとか自分が必要だと思うという意味で動くということのほうが大事かなと思います」

 京大新聞はどのような新聞を目指していくのだろうか。
 「新聞と言っても、学生のサークルですし、やりたいことがやれるというのがいちばんいいことです。編集長とか社説とかがないのは、メディアとしての統一見解がないのはメディアとしては弱いのかもしれないと思いますけど、あえてそれは作らないというふうにやってきています」
 つまり、こういうことである。
 「やりたいことがやれる新聞であれたらいいなって思いますね」
 たとえ人数は少なくとも、京大新聞社はこれからも着実に京大新聞を作り続けていくのだろう。最後に、京大新聞に掲載されたコラムを引用させていただくことにしよう。

──情報を流すだけなら誰でもできる。学生の立場で、批判的な立場で物申すことができるのは京大新聞だけだと思っている。現在その役割を十分に果たすことができていないとしても、その可能性が一番高いのは間違いなく京大新聞だと思う。
(文:堀口裕記)

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