新しさと古さ:その目指す先にあるもの

京都外国語大学 マルチメディア教育研究センター 講師 村上正行

 数学教師になろうと思って理学部に行くつもりが、浪人していたときにできた総合人間学部に興味を持ってしまい総人1期生として京都大学入学。1期生ということもあってか、とにかく濃い同級生の集まりであった。みんな「なんかやったろー」という意識を持っていたのではないかと思う。月1回のクラスコンパがあり、いろんな自主ゼミが開かれていた。私もいくつかの自主ゼミの主宰者になったものである。そこには、「やったるでー」という思いもあり、他学部の学生に対しての焦りもあった。その当時の総人は、(今はだいぶ整備されたと思うが)みんながみんな手探り状態で、悪く言えばあまりに何も決まっていない状態であり、(専門科目を全部とっても卒業単位に満たないといった)カリキュラム面での不備もいくつかあった。もともと理系の私にとっては、理学部や工学部の知り合いと話をして、「このままで大丈夫なのか?」という思いになったのを覚えている。
 だからといって、総人がいやだったかというと、そうではない。むしろ、刺激的な毎日だった。いろんな人間の面白さ、新しい場で新しいことに挑戦してみる面白さを感じられたのは学部時代が一番だった。
 その一方で、体育会ソフトテニス部に所属していた。上では、勉強したみたいなことを書いているが、実のところ4年間、ほとんどテニス漬けであったと言っても過言ではない。伝統があった。理不尽と思えることもあった。とにかく厳しい世界だった。4年間、やり続けたおかげでいろんなことが体感できた。得がたい同輩や先輩・後輩とも出会えた。今でもテニスをし、仲間と飲みに行く。
 新しいものと(言い方は適切ではないかもしれないが)古いもの、実のところ、同じものを目指しているんだ、と思う。その同じものというのは、いまだによく分からないのであるが。

 なんとか卒業にこぎつけた。そこで考えた。自分にできるのは何なのか、と。私より数学教師にふさわしい人はもっとたくさんいるだろう。教育と情報技術をつなぐこと、文系と理系をつなぐことが、私がやるべきことではないのか、と。(今思えば、なんと若かったのか、と赤面の思いではあるが……)それで進学を決めた。
 人間・環境学研究科に進学し、修士課程では平成10年から京大に導入されたCALL(Computer Assisted Language Learning、コンピュータを利用した語学教育)についての研究。情報学研究科に移った博士課程では、遠隔教育を研究テーマとして、京大とUCLAをつないだTIDE Projectや京大と慶應義塾大学を結んだKKJ Projectに関わった。いろいろと波乱万丈な道のりだったのだが、幸運なことに、すばらしい先生方と出会うことができ、もがきながらも新しい研究に対して取り組むことができた。

 大学教員となって、授業などで遠隔教育やCALLについての話をすると、今でもこういう意見が聞かれる。「こういうのが発達すると、先生がいる授業はなくなるんじゃないですか?」当然であるが、「そんなことはありえない」と返答する。情報技術は人間の代替物ではない。人間は人間とのコミュニケーションを必要としているのである。
 今の生活を思い返せば思い当たる節があるだろう。携帯電話が急速に普及した。いや、携帯メールと言うべきか。とにかく、ほとんどの大学生が携帯電話を持っているであろう。その携帯メールで、コミュニケーションをとる機会が増えることで、友達と会う機会は減っただろうか?恐らくそんなことはないだろう。人間、メールだけでは生きていけない。
 当然、教育に関しても情報技術が導入されても、人間同士のコミュニケーションが重要であることには変わりはない。従来の授業形態がなくなることはないだろう。このように書くと、遠隔教育やCALLの価値がないように感じられるかもしれないが、そんなことは決してない。それ自身固有の価値、遠隔教育でしかできないこと、CALLでしかできないこと、が存在するはずだ。この固有の価値を明らかにすることが、私の研究テーマである。従来のスタイルと新しいスタイルが共存共栄することが必要だと思っている。

 学力低下論が叫ばれているが、今の学生には、今の学生にしかいない能力もたくさん持っている。その点に関しては自信を持っていいと思う。ただ、個人的に感じていることであるが、二極化が進んでいることは確かだと思う。誤解を恐れず、大雑把に言ってしまえば”やる気のある人”と、”やる気のない人”だろうか。大学時代は本当に自由である。いい意味で、責任がない。だからこそ、できることも多い。ぜひ真剣に挑戦してほしい。そして、メールでのコミュニケーションだと同世代だけになりがちだが、そうではなく、いろんな世代の人達や書物などからも、知識を得てほしい。年上の方達には、私達にはない経験があり、知恵がある。書物を読むことで、筆者が思索した跡をたどることができる。このような行為から多くのことを学ぶことができるはずである。

 書いたものを読み返してみると、どうもえらそうなことになってしまった。言うまでもなく、自分自身もまだまだ未熟であり、この文章は自分への戒めとも言える。4月から配置換えで新しい組織に移ることになった。どうも私は、新しい場所に縁があるようである。新しい場所で、”新しさと古さ”のその先にあるものを目指して挑戦し続けたい、そう思っている。

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