京大公論
君は右翼か、それとも左翼か
京都大学大学院経済学研究科教授
大西 広
社会科学的に非常に重要な概念であるにも関わらず科学的な定義がさなれていない言葉がある。それは「右翼」と「左翼」だ。たぶん辞書では「大革命後のフランス議会で右に座ったのが右翼、左に座ったのが左翼」という程度の定義しか与えられていない。また一般に民族主義を右翼と呼ぶ傾向があるが、これもまた正確ではないだろう。なぜなら、現在の状況下ではグローバリゼーションの推進派は「左翼」ではなく「右翼」であるからである。君は右翼か、それとも左翼か。これは人間の行き方を決める非常に重要な分かれ道である。君はどちらか。
いまひとつ、一般に理解されている「右翼」「左翼」の用法がある。それは、上記の意味で、グローバリゼーションなり規制緩和なりの主張者が「右翼」で、その反対者あるいは国有論者・規制論者が「左翼」というものである。現状の対抗関係を示す上ではほぼ間違ってはいないが、実はこの定義にも問題がある。たとえば、反市場主義者=「社会主義者」の極を「左翼」とする時、社会民主主義者=市場メカニズムの下での「大きな政府」論者は「中道」、市場原理主義者=「小さな政府」論者は「右翼」となるが、それではアナキストはどうなるのか。市場対国家の対抗枠組みで「右翼」と「左翼」を分けるのであればアナキストは「ウルトラ右翼」となる。が、これでは何のことやらわからない。
しかし、一方でこのアナキストの位置付けが面白いのは、彼らは天皇制軍国主義やロシア・ツアーリズムの下では「左翼」として大きな影響力を持ったが、今や「左翼」の中心は国家主義者に奪われ、北朝鮮などといった国家主義の国を探し出し金王朝打倒などを課題として細々と活動しているのみとなっていることである。私はこの現象をもって、「左翼」とは社会的弱者の側に立つ勢力であり、したがって国家主義の暴力が存在する時にはアナキストが「左翼」の中心となる。また逆に市場主義の暴力が支配する時には国家主義者が「左翼」の中心を占める。そのようなものだと考えている。言いかえると、「左翼」は社会的弱者の立場に立つという点では一貫しているが、何が社会的弱者の側に立つことかという問題自体が歴史的に転回しているのである。
ところで、この歴史的(あるいは地域的)な違いを理解することは、私の考えでは「右翼」の社会的歴史的存在意義を理解することでもある。「左翼」が社会的弱者の立場に立つのに対し、「右翼」はそれに構わない、あるいは社会的強者の利益を代表する。そんなものに何か社会的存在意義があるのかと思われるかも知れないが、それはある。というのは、社会的弱者は一般に社会の変化への対応力がない。金がないか、智恵がなく、そのために変化一般に基本的に否定的だ。街を守れ、制度を守れと保守的な志向性を持ち、よってほぼ常に彼らの=「左翼」の運動は「反対運動」となる。しかし、もし社会が何の変化もできないのであれば、その社会はどのように発展するのか。したがって、この「発展」の課題を遂行するには社会的弱者の利益をある程度無視せざるを得なくなる。「右翼」はこの課題を遂行するために社会に存在しているのだというのが私の理解である。
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