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京大公論

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 この理解を深める為に、ふたつの例を挙げたい。そのひとつは、ソビエト崩壊直後のロシアで若干36歳で早くも20を超える会社の社長となった事業家にインタビューした時、急進改革派のエリツィンを大統領選挙で応援するのかとの問いに「誰でも構わない」と答えられたという話をしたい。彼はそれまでエリツィンの急進改革で利益を受けていたはずが、今後はより急進的になろうが規制が強化されようが、どちらにしても変化さえ起きるのであれば儲ける自信があるというのである。つまり、金を持ち、目先の利く者はどんな変化も自分の儲けに結びつけることができる。逆に言うと、それらを持たない者=社会的弱者は彼らがそうするのをただ見ていることしかできず、その課程で没落をする。ともかく現状維持を要求する。そのような社会的弱者の「保守性」にはこうした根拠があるのである。

 もうひとつの例は、より一般的なものである。今鉄道のなかった時代に、初めてある都市と小さな田舎町の間に鉄道が敷かれたとしよう。この変化はもちろん歴史的進歩と捉えられる。が、それでも、この鉄道で田舎町の消費者が簡単に都会で商品を購入できるようになると、それによって田舎町の小さな商店はそのマーケットを失うだろう。もちろん、これを機会に市場の拡大する都会に店舗を出し売り上げを伸ばすこともできようが、それができるのは元手になる資金を持っている商店か機転が利く商店に限られよう。つまり、こうした一般的に進歩的な変化でさえ弱者にとっては不利な変化となるのである。

 したがって、社会的弱者の利益にこだわり過ぎては社会的進歩をリードできない。このことは分かった。が、かといっていつもそうした進歩をリードすることによって生じる反面の矛盾=社会的弱者の没落を無視していいとはならない。直接的には政治的混乱を避けるために、また倫理的にも「進歩」が社会の全構成員にとってのものとなるために社会的弱者の立場が他の誰かによって省みられなければならない。この意味で「左翼」もまた適切な歴史の進行には不可欠の存在として尊重されなければならない。マルクス主義の歴史観、史的唯物論では社会にある全ての存在を合理的なもの、何らかの社会的歴史的役割を担っているものと理解しなければならない。「右翼」も「左翼」も共に歴史に不可欠の重要な要素である。

 あるいは、より社会科学的に資本主義下の「左翼」の存在意義を説明したい。それは、資本主義は「資本の蓄積」を目的として様々な「搾取」を行ない、これは生産力発展をもたらす(経済学ではこのことを生産=f(資本の蓄積量)として時に表現する)。が、こうして歴史的課題となる「搾取」もそれが(「右翼」によって)無限に追求されるだけではこの生産力拡大は人々の生活水準の上昇に結びつかない。人々は貧しいままでただ社会の生産力が発展するだけとなる。したがって、高まった生産力の分配が労働者に対してなされなければならず、ここに「左翼」の主張が意義を持つ根拠がある。あるいは、こうした資本主義時代を超え、資本の蓄積だけが生産力に寄与するのでない時代への移行は労働者が「人的資本」として成長することを前提とする。そして、そのためには労働者の教育水準が向上し、就職後も様々な知識を得る時間と豊かさがなければならない。いかなる事業の推進にもハイセンスと新たな創造性が要求されるようになった現在の「ソフト化社会」はこうしたことがらを前提にしているのである。その意味で、拡大した生産力を労働者に分配する、そうした課題が「左翼」によって遂行されなけれはならない。これもまた極めてクリティカルな歴史的課題と言わざるを得ない。

 しかし、こうして「右翼」と「左翼」との両者の社会的歴史的存在意義を理解できたとしても、一般に社会の諸勢力はそのどちらかに組することを要求される。社会に強者と弱者が存在する以上、彼らの利益は上述のように正反対であるし、そもそも主張するベクトルが正反対である。両者の主張はまずは対立的に提起されなければ何がその主張点なのか分からなくなる。この意味で私は安易な中道路線というものは評価できない。

 ただし、もちろん、上記のように私の主張点が両者ともに正当な主張であるとすれば、最終的に下される社会的判断、たとえば政府の決定はその中間的なもの、バランスのとれたものでなければならない。「左翼的」志向性しか政治決定に反映されない状態(たとえば、ポーランドの「連帯」内閣時代、チリのアジェンデ政権、ソ連のゴルバチョフ政権)でも、「右翼的」志向性しか政治決定に反映されない状態(反政府勢力が皆無の現在の北朝鮮など)もその社会は正常に発展することができない。逆に言うと、最終的な政治的判断は両者の存在意義を共に理解できる人物(たち)によってなされなければならないのであって、そのような絶妙のバランス感覚を私はたとえば現在の中国指導部に感じる。「保守派」すなわち「左翼」と「改革派」すなわち「右翼」がともに党内に存在し、そのバランスの上に常に政策が決定されている。日本においては中国は今すぐにも崩壊するかのような論調があり、誤解が流布するので注意しておきたい。ともかく、もしそうだとすると、こうしたバランス感覚を社会の真のリーダーたる人物はどう得ることができるのだろうか。上記の例は国家単位の政策運営であったが、実はこれは個々の経営体での政策運営にも通ずる。そのような指導者はどのようにして形成されるのだろうか。私はこの問いに、@両者の社会的意義を社会科学的に理解すること、Aその役割は歴史的視野から理解されること、と答えている。実はこの回答は、史的唯物論をマスターすること、というのに等しい。ただし、重要なことなのでここで付け加えるが、こうしたバランスよい立場を採るということは、それが直接には強者も弱者も代表するものではないということである。社会的な運動グループは常に何らかの社会集団の利益と結びつき、したがって「右翼」か「左翼」かに分類できる。そのどちらの利益も代表できなくなれば、そうしたバランシング主体の存在基盤は一般に非常に脆弱なものとならざるを得ない。学者の立場で言うと、このような史的唯物論(これが巷で理解されている「左翼的史的唯物論」と異なることに注意)は特定の社会集団の利益を代表しないがために、誰もが頼って来ず、世俗的に言えば儲からない。これは覚悟が必要である。

 したがって、再び学者風に言えば問題は学問を社会的利益から独立したものにする必要がある。「社会のために」と銘打たれて進められている学問(この場合社会「科学」)は往々にして社会のどこかの集団の利益と結びつき、バランス感覚を失いがちである。その意味で学問は孤高でなければならない。私のフィールドで言えば人生訓はこのようになる。が、必ずしも学者になるわけではない、京大生の君たちであればこの問題はどうなるのであろうか。

 私はきっと、学者でない君たちの人生でも、先に見たように個々の企業の中で私の言う「右翼」と「左翼」の両者が存在する。そして、その両者の狭間で君たちは生きなければならない。だから、きっと問題の本質は同じだと思う。どちらかにつけば個人としてはうまく生きれる。が、それだけでいいか。そんなことを1度考えてみて欲しい。

大西 広 氏 略歴

1956年京都府生まれ
1975年京大経済学部入学
1980年京大大学院経済学研究科入学
1985年京大大学院経済学研究科博士後期課程退学
1989年経済学博士(京都大学)
立命館大学助教授を経て1991年京都大学経済学部助教授、1998年より教授。

主著
『「政策科学」と統計的認識論』昭和堂、1989年
『資本主義以前の「社会主義」と資本主義後の社会主義』大月書店、1992年
『環太平洋諸国の興亡と相互依存』京都大学学術出版会、1998年

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