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京大公論

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2.当たり前のこと

 昨年ノーベル物理学受賞者である小柴昌俊博士は、中学1年のときアインシュタインとインフェルトの共著「物理学はいかに創られたか」という本を読んだのが物理学を志す契機だったそうです。1冊の本が将来の道を決めるなんて老大家の回顧談にすぎないと言わずに耳を傾けましょう。誰にとってもインパクトを与えた本は必ずあるはずです。
 私の場合は小学生か中学生のときか忘れたけれど、野尻抱影著「星のギリシア神話」が天文への関心をもたらしたようです。当時、子供向きの天文解説書もない、きれいなイラスト付の科学雑誌もない、科学館プラネタリウムもない、ましてやそんなテレビ番組やビデオはありません。情報が少なかったからかえって印象が鮮明だったのかもしれません。理学部に入学したものの、専攻を決めたのは2回生の終わり頃でした。そのころから京大は学生教育に不熱心であると言われていました。最近、アメリカの某大学が学生交流協定の破棄を申し入れて来たというニュースがありましたが、これは多分京大100年の歴史の間、言われていたことで、今さら驚くことはないし、あわてて何かを始める必要もありません。
 私たち60年代後半の世代は、授業から知識を得ること大学から面倒をみてもらうことなどはあまり期待していませんでした。講義を聴いてその場ですべて理解できるなんてまず信じられない、それだけの理解力があるなら自力で本を読めばよい。また理解できない講義に出席するくらいなら自分のペースで本を読めばよい・・・。というとサボリの口実になりますが、その代わり正規のカリキュラムで学ぶ以上に、友人や先輩間の交流から学ぶことはたくさんありました。最終的にはコンパになっても、読書会とか自主ゼミとかでdiscussionしながら得たものは貴重でした。それは自分(達)でやっていかなければ何も始まらないという当たり前のことです。自分(達)で本を読み、計算し、調査し、文章を綴って・・・今ならコンピュータプログラムも作って。その当たり前の結論を時間をかけて体験する過程が必要なのではないでしょうか。そんな非能率な回り道に時間をかける余裕はないということはありえないでしょう。この当たり前のことは体験しなくても理解できるような天才は別にして、それに気づかず大学を通り過ぎる多数の学生は気の毒です。近年、読書会とか自主ゼミとかは流行らないようで、かといってみんなまじめに講義に出席しているというわけでもなし、すべて自力で学んでいる天才ばかりというわけでもなし・・・。カリキュラムが整備され休講が減り、学生にとっての学習環境は改善され、また高性能のパソコンを自分で所有して自室で扱える時代です。自分達でできることをもっともっと見つけましょう。

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