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京大公論

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京大公論

ティラノサウルスは大衆消費社会を生き残れるか?

京都大学総合人間学部教授(言語学、フランス語学)
東郷雄二

 大学の危機が叫ばれるようになって久しい。新聞紙上でも、転機を迎える大学についての記事を眼にしない日はないほどである。直接の契機は、新制大学発足以来の制度改革であった大学設置基準の大綱化にともなう国立大学教養部の解体と、出生率の低下による少子化によりにわかに現実味が増した大学倒産の危機である。それに加えて、平成16年度から予定されている国立大学の独立行政法人化がある。さらには、京都大学でも平成15年に完了する大学院重点化と、遠山文部科学大臣のいわゆる「トップ30大学」(後にCOEと言い換えられた)のもたらしたインパクトがある。この結果、大学の置かれている状況と将来像について、にわかに議論がかまびすしくなった。

 しかし、上にあげたのはすべて大学という制度と、それを取り巻く外的な社会状況をめぐる議論である。私はこういった議論を耳にするたびに、そこに抜け落ちている視点を感じずにはいられない。それは大学に入学してくる学生によって「消費される制度」としての大学という視点である。ここではもっぱらこの視点から、京都大学の問題を考えてみたい。

 私は京都大学で教育研究に従事している教員なので、日頃感じている感想から始めよう。私たち同僚のあいだで、「京大生は変わったか」ということが雑談の話題になることがある。感想は人によりさまざまであるが、私は実感として変わったと思う。それもかなり短期間のことである。具体的には、携帯電話が爆発的に普及し、学生の髪の色が一斉に茶髪や金髪になった頃だから、今から5〜6年前ということになるだろうか。

 昔、「京大ガラパゴス論」というのがあった。京大はダーウィンが進化論の着想を得たガラパゴス諸島のように、他の地域と隔絶され、よそでは絶滅してしまった稀少種がかろうじて生存している陸の孤島のようなものだという比喩である。よそではすっかり見られなくなった黒の詰め襟学生服の学生や、下宿からどてらに下駄履きで授業に来る学生や、和服の着流しで講義に現れる先生などがキャンパスを闊歩していた時代には、確かに陸の孤島ガラパゴスの観があった。時代の流れから取り残された京大のキャンパスに、社会の流行が流れ込んで来るには10年かかるとも言われた。確かに京大生のファッションセンスは、お世辞にも洗練されたものとは言えなかったのである。しかし、その10年と言われたタイムラグは、いつの頃を境にしてかはわからないが、一挙に短縮され、今では京大のキャンパスを歩いている学生の身なりや所持品は、大学の外の世界の流行を正確に反映するものになった。京大はもはやガラパゴスではなくなったのである。それは一言で言えば、「大衆消費社会の浸透」ということになる。

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