いまからでも人生やりなおしききますか?
1回生(次2回生)
2003/03/09(日) 23:46:48
ボクのわがままな性格のせいでいろんな友達を失ったし、とても後悔することがよくある。
でも、後悔しても何も始まらないし、
これからを考えようと思うようにしている。
ボクは孤独です。
頭も悪いです。
常識もありません。
自信ありません。
2回生(次3回生)
2003/03/09(日) 23:58:29
きくよある女
2003/03/10(月) 00:16:32
まだ10代なんじゃん?いや、浪人してたら二十歳きてるか…
でもまだまだ若いのにそんなこというなー!
さっち
2003/03/10(月) 01:26:50
わがままで常識がないと認識しているのなら、なぜ自分でそれを改善しようとしないの?そうでないと、同じことの繰り返しになってしまうよ。
1回生さんへ
2003/03/15(土) 05:51:00
そんなに自分を責めることないよ。ほんとに優しいからそこまで悩んじゃうんだよ。自分の善性をもっと信じてください。自分の悪い所って、もう性格だから、それが100%変わるってのはなかなか難しいと思うし、それにばっかり固執してたら窮屈になっちゃう。でも、それが逆に自分自身の魅力になっていくように自分自身を磨いていけばいいんじゃないのかな。「わがまま」ってことは、いい意味でとったら、すごいマイペースでいい意味で人に流されないってことじゃない?リーダーシップがあるんだよ。
ってゆうか、確かに自分をみつめることはすごい大事だけど、あくまでも「前向きな自己反省」に転換していくことが大事なんだと思うよ。「後悔」するようなことを価値あることに変えていくのもほんと自分次第。自分の一念でほんと思った以上に物事はかわるから。
ほんとにつらかったら、こういう場からでいいから何でも言っていこうよ。一人じゃないからね。みんなほんと強気な風に見えたりしても内実はそんな変わらないよ。私もそうだし。
一緒にがんばろうね。
l
2003/03/15(土) 10:10:35
自分で努力すれば、自分の進む行き先を、わりかし望むように変えられる。ただ、なんもしないで変わらないかなあっていうのでは、無理だと思う。
カケル
2003/03/15(土) 14:27:05
人生の節目節目で、思うことだよな...『人生やり直しがきいたらいいのにな〜』って
俺も親父が死んだ時や、高校で留年しかけた時は、俺も>1みたいな感じだった。
でも何とかなるもんだよ。うん。
そんなに後悔しなさんな。時にはアメリカ人ばりのポジティブシンキングも必要だ。
確かに
2003/03/15(土) 20:13:32
そんな状況になったらなかなか前向きになれないものかも知れない。俺も常識もへったくれもない人間だけど、
自信を無くして孤独な状態で悩んでいるとどうしても
悪循環な状態に陥ってしまう。
どこかで切り替えないと…
ダメな奴は
2003/03/16(日) 01:18:01
何をやってもダメ。これ本当にそう。
俺がそうだから良く分かる。
1回生さんへ
2003/03/16(日) 03:09:57
結局、自己にのみ関心が向いてしまうことが、こういう悩みの原因なんじゃないかなぁ。エゴとの戦いは確かに苦しい。でも、自分中心で生きるよりは、自分が他や社会にどれだけ貢献したか、また、どれだけ苦しんでいる人を救って正義に生き抜いたかってことの方が尊い。苦しいことから逃げない。えらぶらない。他社の為に頑張ろう。そんなシンプルなスタンスを保っていくことに、遠回りではあるけれど、「自分なんてだめ」の突破口があるんだとおもいましゅ
ネタではない。
2003/03/16(日) 04:23:07
1回生さんに真面目に説く。宗教に触れてみると良い。仏教でもキリスト教でもイスラム教でも何でもよいから、基本教典やその解説文献を紐解いてみてはどうか?
何らかの手がかりが得られると思う。
というのは、人間は結局は愚かさから逃れられないわけで、そしてその愚かさは
生きている限り身から切り離し得ないものなのである。
しかしその残酷な現実に対面し、絶望の極を超えた先に、ある種救いのようなものがあるかもしれない、
というより、あるとすればそこにしかない、そういうこともまた反面の真実である。
宗教の教義の中には、そういった知恵が詰まっているのである。
宗教というと呪術的なものと誤解したり、オウムやイスラム過激派を連想して毛嫌いする人が多いが、
あれは似非宗教ないし異端中の異端であって宗教の本質ではない。
真の信仰とは教典を文字通り盲信することでもなければ、他の信仰を排斥することでもない。その点は心配せずとも良い。
別に宗教でなくても構わない。文学とか美術とか音楽や演劇といった芸術に触れてみるのも良いのだ。
ただ、これらは直接に語りかけてくれる訳ではないから、審美眼を養う努力が余分に要るかも知れない。
逆にそういう意味では、実のところは、学問を真剣にやってみるというのでも良いのである。
とにかく何でもよいから、本質的な深いものに触れてみることだな。
新たな概念や思想に触れつつ、思考と内省を徹底させることによって、絶望の先に一途の希望を見出す。
それしかあるまい。
健闘を祈る。
非京者
2003/03/16(日) 06:19:35
↑を読んで励まされた。週末なのに職場に泊り込んで朝を迎えた。
理不尽な世間に自らを卑小化する方向とその反対に自己を深化する方向が
あるということに気づかされた。ありがとう。
パルティータ
2003/03/16(日) 12:46:37
>人間は結局は愚かさから…(中略させていただきます)…そういった知恵が詰まっているのである。逆に宗教でもっとも困難なのがこれなのではないかと思いますが…。えてして人は楽な手段を選びたがる。
「自分」への否定はそのまま周囲・社会への否定です。自分を苛むふりをして、何かを拒絶してはいませんか?
少し古い話になるが一世を風靡した『エヴァ』のTVシリーズ最終回に監督がやったこと、
全く同じさらに古い例ではフェリーニの『81/2』(古っ…)のラストシーンでフェリーニがやったこと、
知らない人には自分で調べてもらうとして、結局のところ
「自分の周りにはよく分からない様々な異種のものがあって、不条理で、自分を翻弄し、混乱させる。
たとえ逃げたってその先に待っているものがあるとすればそれは新しい混乱でしかない。
それなら全部受け入れて、それでいいじゃないか。そうすれば、それらは自分を脅かすことはない。
僕はそこからはじめていこう」
ということです。
厳密な論理によると
2003/03/16(日) 15:44:25
やり直しはきかない。時間は戻らないから。かといって時間が流れるのを止めることは出来ない。
今この時刻より後を反省をふまえて生きていくことしかできないんじゃない?
反省があるだけましだ。
通りすがりの猫だけど
2003/03/16(日) 16:24:50
自己否定は混沌の中に身を置いた際に経験する極めて自然な感情だよ。フェリーニは「道」という映画も撮っていて、「8・2/1」とは
全く別次元の作品だと思う。
そこでは「人間の愚かしさ」とそれに対するある種宗教的な赦しが
極めて直接的に描かれている。
混沌の肯定、とともに救済されることへの憧憬も
彼のテーマの一つじゃないだろか。
自分以外の多数者の集合である社会に対して違和感をもったり
それに対してコンプレックスを抱くのは当然のこと。
というか、それがなきゃおかしい。
その社会に対する折り合いをつけていくきっかけを与えてくれるのが
例えば哲学とか宗教、芸術だと思う。
一回生の暇なうちに貪欲にいろいろ吸収しとけ、といいたい。
通りすがりの猫だけど
2003/03/16(日) 16:26:33
「8・2/1」→「8・1/2」>パルティータ
2003/03/16(日) 21:38:54
>逆に宗教でもっとも困難なのがこれなのではないかと思いますが…。えてして人は楽な手段を選びたがる。どういうことですか?意味がよくわからんのですが。
1回生さんへ
2003/03/16(日) 23:30:20
ネタではないさんへすごい賢いし、いい人ですね〜。私、実は信仰を持っています。創価学会なんです〜。学会の考え方って、世間で言われてたり思われたりするほど変だったり窮屈だったりするんじゃなくって、仏教だから、ほんと寛容で無駄もないし、人も自分も幸せになろうっていうモチベーションで信仰ができるんです。
私はあんまり難しいことはいえないけど、ただ、あなたの文章を読んで、ここは私とは違うなっていう点もありました。いわゆる哲学と宗教の境目で。
私は、もっと前向きに物事をとらえます。絶望、不安があるのは当然だし、私だって傲慢になったり、臆病になったり、卑怯になったり、エトセトラなんですけど、ただ、信仰で気が紛れたりするのではなく、「祈り」(ここが境目)で自己を見つめ、きちんと自分自身に「勝利」(例えば、怠惰でうんざりするような自分をちょっとでも克服できたりね)することができるんです。だから、私は正義(ここではソクラテス風に”善く生きる”であるとか社会正義であるとか)に生き抜く事が大事なんだって純粋に思うんです。っていうか正義って清々しいで〜。
周りの「宗教?」っていう反応にどきどきびくびくしつつ、それでも楽しんでやってますよ。
もう、これは最終的には「祈り」とそれに追随する「祈りの結果」を信じるか信じないかなんだけどね。
ほんと、私自身もこのスレッドを通して自身にとっての信仰を見つめなおすいい機会になったよ。なんだか自己完結をするのもよくないので反論や率直な意見を聞きたいです。
あとこのスレの趣旨からそれてごめんね。1回生さん、あんま1回生さんへの励ましにはなってないけど。うん。ほんま元気になってな〜。
学会風に言うならば、「一回生さんが元気になるように祈ってます」なんだよね(笑)顔も見たことないけど愚直にそう思った。
長々書かせていただきました。ではでは。
1回生さんへ
2003/03/16(日) 23:35:34
ごめんなさい。よく読んだら、「ネタではない」さんは祈りの可能性を「救い」って言葉でまとめてて否定してはいないんですよね。失礼しました。すいません、ついつい「宗教」って言葉が出たのが嬉しくってあんま読まなかった。パルティータ
2003/03/17(月) 00:37:21
>↑↑↑ の方へ「誰に」救われるか、救われたいと思うか、が最大の焦点になります。とすれば納得していただるでしょうか?
大学にいれば「科学主義」や「コミュニスム」といった19世紀の遺産にも触れられるでしょう。
そのとき、利己主義にならない信仰ははたしてどのように達成できるか、という疑問を持てますか?
ということです。とはいえ僕の発言にあまり意味はありません。適当に解釈してご自由に意味を見出してください。
ネタではない。
2003/03/17(月) 05:03:08
>1回生さんへお褒めの言葉ありがとうございます。しかし、何か少し根本的にずれてる気が。。。。
あなた自身はいい人なのだと思いますが、「正義」という言葉には、
どういう意味であろうと違和感が持たれてなりません。
これはもしかすると私個人の思想かもしれませんが、例えばキリスト教風にいえば
「正義は人にあらず、神にあり」
という感覚です。
ちなみに、申し訳ありませんが個人的には、創価学会には非常な違和感、
というより嫌悪感に近いものを持っているかも知れないと正直に告白しておきます。
それはあなたのおっしゃる「偏見」かもしれませんが、どうしてもこれは拭い去れません。ごめんなさい。
もっとも、あなた自身に対してまでそういう感情が持ち込まれている訳ではありませんが。。。。
(なお、私は特定の宗教・宗派に対して特段の入信の手続きをしたわけではありません。
あえていえば、日本人の多くが仏教徒であるのと同様の意味で仏教徒です)
>パルティータ
いいHNですね(笑)勝手に共感感じてます(^^;
>そのとき、利己主義にならない信仰ははたしてどのように達成できるか、という疑問を持てますか?
信仰が利己主義になるという意味がよくわからないのですが。。。。
利己主義になるような信仰は元々本物の信仰でないように思えるし、
逆に、人間が将来持っている利己性を超えようとするあがきが「信仰」なのでは?とも。
非京者
2003/03/17(月) 08:22:04
>パルティータ 2003/03/16(日) 12:46:37青春時代に惹かれた『不条理』という言葉の
実存主義な響きにあらためて励まされる思いです。
>ネタではない。 2003/03/17(月) 05:03:08
層化者に対する思い、同じです。
彼らが感じる「正義」の“清清しさ”のなんと
浅薄なことよ。
パルティータ
2003/03/17(月) 22:24:29
>ネタではない。さん>信仰が利己主義になるという意味がよくわからないのですが
えっと…偉そうな表現になってしまって恐縮なのですが、「利己主義になるような…(以下略させていただきます)」は言葉遊びになっています。
信仰は必ずどこかで思考の停止を必要とします。それは深いがゆえなのですが…。
どこで「超越者である何か」を無批判に受け入れるのかということを見極めるのは自分自身ですね。
信仰と利己主義は表裏一体です。ここでいう「己」は「信仰していることに酔う自分」とさせていただきます。
ついでに「あなたの」ではなく、一般的な(もしくは歴史的な)
>「正義は人にあらず、神にあり」
という言葉にこそその利己主義が見えているといういい方をさせていただきます。
「正義は我にあり」という境地まで、自分を疑い、考え抜いてこそ人としてこうべを高くできるのではありませんか?
素朴な疑問
2003/03/17(月) 22:46:34
回答者たちが、「人生はやり直しが聞くのか」というお決まりの冗句に、ある種の威圧感を感じ、萎縮してしまっているように見える。
そして、あるなしの二元論に付きまとわれて、実に簡単なもう一つの論点
を見逃しているように思える。
三つ目の論点を紹介しよう。
人生には、やり直しが聞くことと、利かないないことがあるはずだ。
人生の主軸が何であるか、ということは人により違っているはずだ。
それが、現実的にやり直しが利くことであるか、利かぬことであるかは
少なくとも本人以外にはわかりようがない。
人間は無限の可能性を秘めた存在である、という冗句は確かに聞き心地が
いい。それは物事を遂行する上での精神論としては役に立つかもしれない
が、現実問題に当てはめて考えるのはどうであろうか。
私の主張の中心は、二つである。
一つ。 あなたも、君の隣人も、無限の可能性を秘めた人間の一人である。
それは、過去のヒーロー達が身をもって証明してきた。だからこそ、
自分の努力と、隣人の努力を、長い目で見て評価せよ。
二つ。それをする動機が楽しいから、ではなく、結果を享受したいから、で
あるのであれば、自信の推論力と、情報力でもって、自分がこれから取り
組もうとするものごとの、結果がどうなるであろうかをを類推すべきだ。
私の主張は、これにて終了。
素朴な疑問
2003/03/17(月) 22:47:45
>自信の推論力自身
ネタではない。
2003/03/18(火) 03:40:08
>パルティータさん> 信仰は必ずどこかで思考の停止を必要とします。それは深いがゆえなのですが…。
> どこで「超越者である何か」を無批判に受け入れるのかということを見極めるのは自分自身ですね。
> 信仰と利己主義は表裏一体です。ここでいう「己」は「信仰していることに酔う自分」とさせていただきます。
まだおっしゃる意味がよくわからないのですが。。。。
信仰を持つ者は、確かに超越者自体を無批判に受け入れるでしょう。
しかし、信仰を持つ者は同時に、
「自分ごときに超越者が理解できるはずがない」
という謙虚さも持ち合わせていなければならないはずです。
(この謙虚さが欠けた状態を私は「本物の信仰ではない」としたのですが、
あなたは「言葉遊び」とおっしゃいました。そう思いたい気持ちもわからなくはありませんが、
ここを区別しないことには、カルト信者の「盲信」と本来の信仰を区別できますまい)
結局、超越者を「実体」と捉えるからおかしなことになるのであって、
超越者はその不可思議さ故に、ヴァーチャルなものと、論理的には同等なのではないでしょうか?
(「全能の神は、自ら持ち上げられないほど重い物体を作れるか」というパラドックスがありますよね。
超越者たる神を一つの人格のように考えるとこれはまさに矛盾そのものですが、
「神」は物質的存在とは異なるクラスの概念であると考えれば衝突を回避できます)
> 「正義は我にあり」という境地まで、自分を疑い、考え抜いてこそ
> 人としてこうべを高くできるのではありませんか?
それは、「人として頭を高くすることは不可能」という意味と解釈してよろしいのでしょうか?
ネタではない。
2003/03/18(火) 03:40:23
>素朴な疑問さん色々申し上げたいことはありますが、根本的に、話が致命的にずれていると思います。
よって、以下は簡潔に。
> 一つ。 あなたも、君の隣人も、無限の可能性を秘めた人間の一人である。
> それは、過去のヒーロー達が身をもって証明してきた。
甘すぎるでしょう。人生は有限です。無限の可能性など、レトリックとしてもあり得ません。
また、過去の偉人と自分を直ちに同列に並べるのも議論として粗雑すぎますし、
「いかなる偉人も死を回避できなかった」という単純な反駁にどう返答するのですか?
> 二つ。それをする動機が楽しいから、ではなく、結果を享受したいから、で
> あるのであれば、自信の推論力と、情報力でもって、自分がこれから取り
> 組もうとするものごとの、結果がどうなるであろうかをを類推すべきだ。
これは何がおっしゃりたいのかわかりません。
(局所的な文章としては理解できますが、全体の文脈の中での位置づけがわかりません)
恐縮ですが
2003/03/18(火) 09:41:30
ネタではない。 さんとパルティータさんの話はとても興味深いので、ぜひとも議論板でしていただきたいのですが、駄目でしょうか?
通りすがりの猫だけど
2003/03/18(火) 11:55:15
信仰がなければ宗教典を読み通すことができないわけでもないし宗教典を読めば信仰が生まれるわけでもないでしょう。
行き詰まってるとき、その宗教の考え方にヒントを見出すことと
それを信仰することとは全然別のことと思われる。
1はまだROMっていたら感想を送信すべし
パルティータ
2003/03/18(火) 12:12:30
>ネタではない。さんやはり僕の言葉が足りなかったようです。反省しています。
僕は
>カルト信者の「盲信」と本来の信仰を区別
していません。というかむしろできないと考えています。違うところとしては社会との関わりや個人としてのあり方に
程度の差が見えるだけで、本質的な違いはどちらも「真実」であるという点でそれ以上は踏み込めない。
人間の思考すべてには「実体」がない、と思います。神でも科学的な真理でもそれを適用できる「場」があるだけでしょう。
イデアにたどり着くのも良し、コギト〜…で済ませるも良し、もちろん、光あれ、でも良いと考えています。
貴方の意見には基本的に賛成です。ですが、最初の書き込みでは、「大学生が(今まで触れてこなかった)宗教に触れる」という行為がとても
危険な側面を持っている可能性について、あえて切り捨てているような印象を受けたので、あのような文章にしました。
>「人として頭を高くすることは不可能」
そうですね。僕はそういうつもりでああいう表現をしました。
ネタではない。
2003/03/21(金) 00:03:57
>パルティータさん「ネタではない。」なんて捨てHNで投稿するのは何か居心地悪くなってきました(^^;
そちらにあやかって、「トッカータ」とか「シンフォニア」とか適当につけましょうかね(笑)
返事遅れて申し訳ないです。
>>カルト信者の「盲信」と本来の信仰を区別
> していません。というかむしろできないと考えています。違うところとしては社会との関わりや個人としてのあり方に
> 程度の差が見えるだけで、本質的な違いはどちらも「真実」であるという点でそれ以上は踏み込めない。
確かに、この両者が連続した地平にあることはわかります。
早い話、イスラム教は素晴らしい宗教ですが、イスラム教徒の中の、例えばビンラディン一派は
オウム真理教とも大して変わらない人間の屑です。
ただ、だからといってこれを区別できないと直ちに判断するのは早計ではないでしょうか。
例えば、オウムやビンラディンは、自分たちの正当性に何らの疑いをも抱いておらず、
結果として「虎の威を借る狐」のように、自らを神の視座におくという致命的な過ちを犯しています。
このように、どこかに断層があるはずではないかと思うのです。
ただ、そこを見極める基準がどこにあるかとなると確かに具体的には思いつかないのですが。
> 最初の書き込みでは、「大学生が(今まで触れてこなかった)宗教に触れる」という
行為がとても
> 危険な側面を持っている可能性について、あえて切り捨てているような印象を受けたので、
> あのような文章にしました。
なるほど、確かにそれはおっしゃる通りですね。幾分軽率だったかも知れません。
しかし思うのですが(反論ではありません)、宗教に限らず学問でも芸術でも、
本質的な深みを感じさせてくれるものは、どれにも恐るべき程の中毒性があり、
同様の危険を伴うものですよね。私は学生として学問を志していますし、
趣味として芸術を嗜む真似事をしたりもしていますが、どこかで道を誤って
落とし穴に落ちるのではないか、あるいは既に落ちているのにもうそれに
気づくことができないでいるのではないかと、非常な不安を覚えます。
パルティータさんはそのあたりどうお考えですか?
HNから察するに、音楽方面への造詣も深そうですし、何かお考えをお持ちかと(笑)
パルティータ
2003/03/21(金) 09:28:35
>…猫。 さん>行き詰まってるとき〜別のことと思われる
無視したようになってしまって申し訳ないです。確かに別ではあるのですが、流れからそこに触れる気はしなかった。
また僕自身は「そこでヒントを見出すこと」に信仰の原型をぼんやりとながら捉えているので、それをここに申し上げておきます。
>ネタではない。さん
えっと…とても恐縮なんですが、僕はいつでも突っ走るだけ突っ走って大失敗寸前まで…という感じです。
僕無駄に若いんです。多分ここにきている人の中でも相当。でもそんなんですからいつの間にか人生経験みたいなものだけは豊富、でして。
ほんだい。
それで僕は「ダメだったら必死でリカバーする」or「リカバーできなければ諦める」というところに
自分をおいています。判断も感情も全部含めてそのときの自分の限界と言えるように最大限の力を注ぎます。
周囲のすべては僕を楽しませ時には不快にさせるけれどどれも興味深いXなんですね。でも決して深入りはしない…むしろできないのですが。
貴方は狂信と敬虔を「連続した地平にある」ものと見、さらにそこにある深淵に対し
「自分では落とし穴にいるのかどうか不安になる」ものでありうるとおっしゃっています。
どこで一線を超えてしまうか分からないならば、それで心が乱れるのなら、その一線を最初に設定する。
全てを抱え、同時にすべてを捨てて最初の、そして最後の一歩を踏み出す、それだけだと僕は考えています。
とはいえまだ一歩が踏み出せないでいるわけなんですね…。
ですから「緻密な偶然と必然のひも(ストリングス)にリズムを変えテンポを変え踊らされる」
「パルティータ」なんですよ。
ちなみに論もぐるっと回ってるように組み立ててみました。
感想です
2003/03/21(金) 16:37:29
どうも今の生き方に収拾がつかなくなって投げやりになって失敗したり迷惑をかけて後悔するという繰り返し。
このままでは誰からも見捨てられてしまう。
宗教は悩みや苦しみを別の次元に昇華できるものかもしれないし、現実に対処するためのものの見方を与えてくれるものかもしれない。今は自分を助けてくれるのなら何でもすがってしまいそう
ただ、そんな態度で物事にのぞんでいたら人生やり直しもきかないような
気もします。
今は反省して行動を改めてから、それからですね。
変な横ヤリですいません。
宗教ね〜
2003/03/21(金) 22:08:55
そうやってオウムにはまったやつもいる。では
2003/03/21(金) 23:05:28
ヤマギシにはまった奴もいるの?私は
2003/03/21(金) 23:24:00
シャクティーパットで悩みを忘れました。杉浦アナル太陽
2003/03/22(土) 03:31:14
暴行沙汰起こしてもまだ芸能界にいるよ1回生さんへ
2003/03/26(水) 07:19:28
横やりなんかじゃないと思うよ。テーマからそれてるじゃん。私は浅はかであると言う方もいるけど、なんだか、この議論は、結局のところ自分自身の堕落を隠し覆うために何やかやと立派そうなことを放言しているようにしか見えません。なんか実際のところそんな抽象論ってあんまり現実に即してないと思う。宗教ってそういうものでもないと思うんだけど。っていってもほんとこういうのって納得いくまで考えなきゃ気が済まないだろうし。ほんと賢い人は大変やわ〜。(嫌味とかじゃないですよ、まじで)
ほんと1回生さんも、みなさんも、ひとより一杯悩んで考えて苦しいと思います。理解者もなかなかいないだろうし。これは未来の文化の生産者さんの宿命とも言おうか…。でも、たとえ、今ある自分が思い描いてた自分と違ってそのギャップに苦しんでても、また理論で一杯になっても、ほんと意味の無い悩みもないし乗り越えられない悩みだって無いと思います。
私はほんとこの大学の学生じゃなくって、たまたまリンクから飛んできただけなので。はじめはこの掲示板見て「いや〜、よくこんな面白いこと思いつくな〜」って感心する程度だったんですけど、読んでいく内に1回生さんみたいな悩みや、何か、くすぶっているものを抱えている人が多いなと思って、僭越ながら書きこまさせてもらいました。
ただ、ほんと世の中、頭のいいひとってごく一部で、ほんとそういう人たちの力を待ってる人のが大多数で。だから、みんなのためにも(私を含めて)ここに書き込んでるみなさんほんと頑張ってください。私も微力ながら頑張るよ。
1回生さんは、ほんまにひとりじゃないで。見捨てられるとか被害者チックにかんがえなくってもいいと思うけど。結局、周りから孤立してるって感じるときは、自分が人を受け入れられないからやと思う。みんな、お互い完璧じゃないことくらい知ってるしね。喧嘩したって気まずくなったってまた仲直りすればいいし。私は1回生さんは律儀でいい人だと思うよ。また、へこんだらここに書き込めばいいよ。
ではでは。
1回生
2003/04/05(土) 18:36:18
いまだに孤独な状態から抜け出せなくてどうにもならない状態です。こういうときに限って人に会っても、どうしても甘えるような形になってしまって気まずくなってしまう。こうなってしまうと人に会うのが気が引けて、一人でいるようになるんですけど、そうなると孤独な状態で耐えられなくなってしまう。
この前感想書いたときも、そういう気持ちでなんとなく皆さんの好意に甘えたくなってあまり考えもせずに書いてしまったんですけど、それで皆さんが議論されていることが台無しになってしまったみたいですいません。
また以前のような議論が再開されることを望んでいます。
パルティータ
2003/04/05(土) 20:19:37
>1回生 さんスレ自体が沈んでいたようなので見ていなかったのですが
その分ずっと無視してしまったみたいになって申し訳ないですね。
ここでは(少なくとも僕は)議論しているわけではないし、横ヤリも本質的に存在しません。
思ったことを好きなだけ書き込んでください。
最初の書き込みにあった
>ボクは孤独です。
>頭も悪いです。
>常識もありません。
>自信ありません。
これだけ分かっているなら、そこからはじめればいいのです。
無理をして研究とかで覆い隠そうとしてもそれはより大きなコンプレックスに脹らむだけ。
たとえ成功しても敗北感で凝り固まった頑なな勝利者にしかなれませんね。
誰かに甘えたっていいんですよ。むしろ甘えなさい。
それで友人が去っていくなら、それは仕方のないことです。
そのかわり、そのとき自分が何をしているのか、したのか、を考えてください。
客観的にはその情況はどういうものなのか、想像してください。
いまの貴方には貴方自身を受け入れることが最も重要なのです。
「ヒトが、他人が」ではなく「僕は」です。
宗教は、もしかしたら生きる意味や人生への展望を、「救い」を与えてくれるかもしれません。
でも、「貴方」は消えてしまいます。
すぐ上の「1回生さんへ」の文章を見てどう感じましたか?
ああいうのを宗教に嵌っている、というものだと考えてください。
浅はかなのではなく、空っぽなのです。
最後に一つ。
Gackutさんのスレに書き込んでみるのも良い方法かもしれませんよ。
(=゜∀゜)ノ
2003/04/05(土) 22:16:04
>1回生氏>この前感想書いたときも、
>そういう気持ちでなんとなく皆さんの好意に甘えたくなって
>あまり考えもせずに書いてしまったんですけど、
甘えたければ、いくらでも甘えてくれ。
kyoto-u.comは、それが許されないほど偏狭な掲示板ではない。
>こういうときに限って人に会っても、どうしても甘えるような形になってしまって気まずくなってしまう。
>こうなってしまうと人に会うのが気が引けて、一人でいるようになるんですけど、
>そうなると孤独な状態で耐えられなくなってしまう。
私も今、このような状態にある。
他人事とは思えないので、レスさせてもらった。
chest
2003/04/05(土) 23:11:23
kyoto-u.comはいい掲示板サイトだなぁ・・・(泣通りすがりの猫だけど
2003/04/06(日) 00:33:49
そうさな…アドバイスとしては
「悩むな、考えろ」
(どこかで聞いた言葉だが…)
それで行き詰まったらまた鯉
通りすがり
2003/04/06(日) 03:31:13
まずこんな2ちゃんまがいの掲示板から抜け出すことだな。高学歴同士の掲示板ならそれは2ちゃんねるより崇高とかなんとか思ってるチンポばっかだ。
↑
2003/04/06(日) 03:36:50
「悩む」というのは、人間の成長過程で必須のものだと教育心理学で聞いたことがある。「悩まない」ことを自慢する人は、「悩むことが出来ない」、即ち自分の情緒的欠陥を自白するようなもんだ。
いずれ年をくえば、よくない所も含めて自分を受け入れられるようになる。
青春時代のあの生への嫌悪は影を潜め、わたしゃ、今、生に執着しまっくとるぞ。
↑
2003/04/06(日) 03:38:41
はさんでしもうた。じゃが、上のお方はなにをいいたいのかのう。お若い方はまったく…
通りすがりの猫だけど
2003/04/06(日) 12:13:10
自分の頭で全てを理詰めで考える、理性というものに対する憧れを持って欲しい。何でもいいから、そのための具体的なアクションを起こしてほしい。
俺の言いたいことはそれだけです。
最後に。
俺も、自分の人生は孤独だと考えています。
でも、それは決して悲惨なことではない。
自分が自由であることの代償だと思います。
1回生
2003/04/06(日) 15:54:00
皆さんどうもありがとうございます。何も自分だけが孤独な訳ではないし、
孤独だからといって何もできないと考えていいわけではない。
問題はその状態を認識してそこからどうするかということですね。
ただ、あなたはどうなのかと問われると、そこでどうしても思考停止状態になってしまう。いろいろ考えて疲れ果ててしまって下をうつむいてしまう。こういうとき自暴自棄になってしまうというのも結局自分を受け入れられないということなんでしょうね。
自分を受け入れるというのはどういうことなんでしょう?
どうして他人に甘えて受け入れられようとばかりして、自分で自分を受け入れられることができないのか分かりません。このようなことばかり繰り返しているといずれ誰からも見放されると分かっているのに…
すいません。頭悪いです。おれ。
No.亡
2003/04/06(日) 19:20:33
>1回生氏…もう2回生か…>いろいろ考えて疲れ果ててしまって下をうつむいてしまう。
一気に結論を出そうとしない方がいいと思う。
あなたが持っているような悩みは、新たな行動の原動力となる。
実際にあなたは、独りで悩まずここに書き込むという行動に出た。
これは甘えではない。この一歩はあなたにとっては大きい。
悩みのない人なら気がつかないような些細な言葉にも、
立ち止まり涙を流すことができるかもしれない。
神経が研ぎ澄まされ、昨日とは違った世界が見えるようになるかもしれない。
自分を受け入れるということは、自分のとった行動に後悔をしないということ。
自分自身がどのようであっても、自分を認めるということ。
もちろん簡単なことではない。
自分を卑下することはない。発せられた言葉はそれ自体あなたを蝕む。
老人A
2003/04/08(火) 03:41:40
わしの「自分を受け入れられるようになる」の言葉が惑わせてしもうたかのう。わしとしては、自分の欠陥が許せるようになるという位の気持ちだで。
でも、そりゃ自分自身の悩みの果てにあるもので、人様にたよってどうこうというものでもないかのう。
自分自身にさえ隠したいと思う自分の欠陥を正視するということは、深淵を覗き込むようなもので、一歩間違うと気が狂いかねないけれど。
でも、こころには、難しい言葉で心理的代償というのかのう、プラス面でマイナス面を帳消しにしようとするなど、うまくバランスをとろうとしてそこまではなかなかいかんもんよ。
よろしくないのは、社会とのかかわりを絶つことだな。人間は社会とかかわらずには生きていけんもんじゃ。その厳粛な事実からは目を背けられん。
社会との関わりを完全に欠落させることは、自分自身の客観視がでけんようになるし、マイナスの効果しかないとおもうぞよ。
そもそも人とのかかわりが、あんたの欠陥(とあんたが考えてるもの)をあんたにみつめさせたもんじゃろ。これから逃げることはできんのじゃ。
学生時代は自分でその関わり方をある程度コントロールできるしのう。社会人はそうはいかんで。
ま、いろいろ悩みんさい。その中で自分が確立していくんじゃないかのう。
その意味で「知性をみがけ」というお人の言葉は得心がいくのう。
老人A(つづき)
2003/04/08(火) 03:52:04
年寄りの話はなごうなってもうしわけない。さて、自立した自分ちゅうのは、やはり理性でしっかりと立ってられるもんだとおもうの。
わしは、よう古典文学作品をよんだの。一時代前のアナクロニズムとわろてくれ。
でも、ゲーテ大先生も、読書は不幸の慰めというとるの。たしかにそうで、幸せな今はほとんどこういうもんをよまなくなってしもた。
それから、宗教じゃがな、宗教というものはしっかりした理性があればあんまり必要性を感じない。むしろ、理性を一歩超越したところに信仰があり、その不寛容がわしの目にはめだつな。宗教は単なる世俗道徳ではないで。でも、わしは思うに、一体、自分を信じる者しか救わん神とは、神の定義にはずれていると思うな。
ま、無神論者のたわごととわろうならわろてくれ。実は、結構信心深い人間なんじゃが。
希望があれば、また来るで。ほな、さいなら。
老人A(つづき)
2003/04/08(火) 04:31:59
いいわすれた。ものおぼえが悪いからこまる。残尿みたいなもんじゃ、ゆるせよ。理性でしっかり立ってられるということは、一人でも立ってられるということじゃ。孤独はそんなにわるいもんではないし、こわくもないぞよ。
それから、創○学会は、やめたほうがいいぞ。
このまえ、疎水沿いを花見がてら散歩してたら、道を聞いてきよっての。
親切に教えたら、最後に府会議員立候補者のさ○をよろしくとぬかしていきおった。あのずうずうしさはなんとかならんもんかの。
哲学の道に選挙カーを走らせる某自○党候補者の無神経とおんなじじゃ。某も他府県から来とる観光客相手に選挙活動するなど、おつむの弱さがようでとる。
いずれにせよ、花見気分がだいなしじゃ。ばかめ。
風流を解さぬ人間はきらいじゃ。
1回生
2003/04/08(火) 23:42:25
レス遅れてすいません>No.亡さん 老人Aさん
どうもありがとうございます
今までの感想になりますが、ここの皆さんの指摘で、安易に宗教に救済や進路を求める態度というのは少なくとも間違ったことではと思えてなりません。少なくとも今の僕のように甘えた、怠惰な態度で自ら考えることをやめて、救いや人生の道をいきなり求めるというのもおかしな話だと思います。いえ逆に弱い理性を乗り越えたいがためにその超越性に憧れるのかもしれませんね。
いまの私には、今をどう生きるかのような気がします。
ただ、いま本当に孤独なだけではなく社会から孤絶しています。このようなときにどうすればいいのか本当に分かりません。これは本当に自分ひとりではどうにもなりません。それにどうやったらこれまでの人間関係を取り戻せるのでしょうか?それともそれは無理なのでしょうか?
それとHNですが、僕は1回生でも2回生でもないです。悪気はなかったのですがまた変えようと思っています。
老人A
2003/04/09(水) 01:21:51
こういっては失礼じゃが、あんたはあんまり頭はよくないが、ま、宗教に対する考えについてはええんじゃないかの。信仰にすがって死をもおそれんというのは、真の人間の強さとはおもえんな。
それは、死という厳粛な事実をかってに戯画化して、それから目を逸らさせてるとしかおもえん。人間ちゅうのは生きてこそだと思うな。
それから、悪い予感はあたるもんで、やっぱり引きこもっておったか。困ったのう。「孤独」と「孤絶」はちとちがうぞよ。
こりゃ、うつの人におおいんじゃが、現実の認知が歪んで、実際以上に悪くものごとをとらえたり、こころの健康にとってマイナスに作用するんじゃ。
まずこの年寄りみたいに散歩とかを日課にしてみるとどうかの。講義にでるちゅうのも立派な社会参加じゃ。また、文学を読むというのも、他人に間接的にせよ触れるはたらきがあるの。
老人A(つづき)
2003/04/09(水) 01:22:14
それから、これまでの人間関係を取り戻すのは、あんたが変わらん限りむつかしいな。だいたい、溺れる者は藁をもつかむというように、自分のことでいっぱいいっぱいで、まわり(他人)がみえんようになっとるからな。下手に相手すると自分に災難がふりかかるからの。うざいもんじゃ。ネットだから、冷静に話できるんじゃな。
あんたも相談と称して、自分のことばっかりしゃべって、相手の忠告も「俺のなやみがわかってない」とか、甘えも手伝って自分のパニックで狭まってる認識を基準に頭ごなしに否定したりしとったんではないかの。それが、社会や他人認識の欠陥なんじゃな。
人間は自分かわゆいもんじゃ。それはちっともおかしくない。まず自分ありじゃ。そして、自分を通じてある「他人の自分」というのを尊重するもんじゃないかの。
じゃとするなら、かけがえのない自分をみがこうという気にもなるんではないかの。悪いところを悪いと認めて、直せんまでもそれとつきあっていけるんじゃないかの。「三つ子の魂、百まで」ちゅうように、人間はあまり変われんもんじゃ。でも、悪いところに気づかんと同じ過ちを繰り返す馬鹿より百倍ましじゃ。
わしは、こてこての粘着質で、四六時中一緒にいるような人間ではないが、それは几帳面で律儀という良い面とも結びついており、人様の信頼の源泉になっとるな。
ま、こんだけいってもなかなかむつかしいかの。もし本当にかわりたいならば、精神科にでもいったほうがいいかもしれんな。
昔の年寄りを鏡で見とるようで、つい余計なおせっかいをしてしもうたわい。
無礼はお許しくだされな。ほな、さいなら。
一回生
2003/04/11(金) 00:24:59
HN変えました今気づいてパルティータさんの最初の言葉ではっと気づいたときの感覚、それと皆さんのレスで感じたまま、それで良いのだと思います。やり直さなければならないという言葉に圧倒されてどうすれば良いのか自分では考えず、冷静でいられずに甘えたことばかり言っていたような気がします。
人生をやり直すのだから飛躍してこれまでと違ったことをしなければならないとか、きっかけをつかまなければならないという他力本願なことばかり考えていましたが、いまやるべきことをやって、それからだと思います
それにこんなに私信のような個人的な書き込みを許して頂いてkyoto-u.comさんどうもすいません。
個人的な話に話題を持っていくのはもうやめます。荒らしみたいですいません。
一回生
2003/04/11(金) 00:28:57
↑変えてないですすいません↑
2003/04/11(金) 11:51:01
一人で納得してしまったみたいですいません。皆さんの言葉を無下にしたわけじゃないです。
>甘えも手伝って自分のパニックで狭まってる認識を基準に頭ごなしに否定したりしとったんではないかの。
その通りです。今は落ち着いてああそうなんだなと冷静に受け止めることができます。上でそれからと書いたのはこの状態から日常生活を送ってその上にどうするべきかということです。
言い訳みたいですいません。みっともないですね
↑
2003/04/14(月) 12:55:14
恥の上塗りになってしまいますがカキコさせてください。せっかく皆さんがこれだけアドバイスを下さったのに
どうレスを返せばいいのかわからず、勝手な解釈で自分で納得して
誤るどころか言い訳して、こんなことは許せないことです。
二つ上は結局自分の非を認めることができませんと言っているようなものです
皆さんの言うことは聞けないと言っているようなものです
ほんますんません。
老人A
2003/04/14(月) 16:41:42
なんであんたがあやまる必要があるんじゃ?議論板ならともかく、相談板でレスは必ずしもひつようではないぞよ。
いろんな人の意見を聞いて、自分の頭である程度納得したんじゃろ?
それが自立した「個」じゃ。
日本人は、集団的帰属意識が強く、その内部に安住し、個の確立がおくれとった。その弱い「個」が、政治などで大きな害をもたらしとるのは、選挙の結果をみればわかるじゃろ。
自立した個であるからしあわせになるとはかぎらんが、馬鹿よりましじゃ。
もうこんなことで悩まんと、前を向いて生きんさい。
過去は取り返せんかもしらんが、未来はあんたの手の中にあるぞよ。
ちゅうわけで、このスレも必要なくなったようじゃな。
ほな、さいなら
追加発言



