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迷える旅人の宿屋


ふぎょん 2004/09/08(水) 23:17:46
多分イカ京のミスだと思うが、スレ違い修正

モテない男女の恋愛相談3
http://www.kyoto-u.com/lounge/advice/html/200408/04080066.html
モテない男女の恋愛相談4
http://www.kyoto-u.com/lounge/advice/html/200409/04090017.html

ごるご 2004/09/09(木) 00:15:44
しゅしゅしゅ・・・ププププ
しゅしゅしゅ・・・ブッ
しゅーーーーりょーーーーーーーーーーーーーー

絶望からの出発 2004/09/09(木) 00:27:50
ふぎょんさん、スレ立てありがとう。
でもこれで、3スレにまたがってしまうのでちょっと読みにくいかもしれませんね。
偽善者さん、来てくれるかな?

(続き)
そんな中、研究室も決まり、今までの仲間中心の人間関係から、専攻での人間関係を作らねばならなかった。もちろん表面上は明るく振舞ったが、学科の中でもとりわけ優秀な人の集まる専攻の中で、自分の実力は下のほうだった。でも、夢があるときは頑張れた。
就職試験の勉強も佳境に入っていた。同じ仲間で親友とも呼べる奴と専門は違うが一緒に勉強していた。
親の都合で教職もとっていた私は、教育実習と就職試験と研究室のゼミ発表の時期が重なった。うちの専攻も院から推薦で大手企業というのが主流であったが、私は前から決めていたとおり、自主エントリーで夢につながるところを受け、最終などで落ちた。ゼミも私があまり出席できない間に進み、仲も良くなっていた。
第一志望の試験も結局落ちて親友は受かった。
その時、緊張の糸は切れた。不眠になり、思考は混乱し始めた。
実家の母親も手術後の病み上がりで、相談できないまま、その年も夏を迎えようとしていた。

(続く)

偽善者 2004/09/09(木) 00:55:55
はい、見てますよ。
でも、まずは「絶望からの出発」さんのお話を
最後まで聞いてからにしたいです。

ただし、題名から連想した詩があるので、載せておきますね。
絶望して、世捨て人となった旅人が、
疲れ果てて墓場に転がり込むという話なんですが。

「宿屋」 by ウィルヘルム・ミュラー

とある墓場へと
道は私を導いた。
ここに宿を求めようと
そう思っていたのだ。

墓石に捧げられた緑の環は
さしずめ屋号なのだろうか、
この疲れた旅人を誘う
涼しい宿屋の。

では、この館の部屋は
全て埋まっているのか?
私は崩れ落ちんばかりに疲れ、
死ぬほど傷ついているのに。

ああ、無慈悲な宿の主よ、
それでも私を拒むのか?
ならばまた行こう、ただ行こう、
我が忠実な旅杖よ!
(詩集「冬の旅」より)

ドイツ語わかる人は、原詩がこっちにあるから
見てみてくださいな。

http://gutenberg.spiegel.de/muellerw/winterrs/winter17.htm

クラシック好きな方はご存知かも知れませんね。
今の私の心境にぴったりなんです、これ。

「死」にさえ拒まれた「旅人」はいったい
どうすればいいのでしょうね?

絶望からの出発 2004/09/09(木) 01:18:37
偽善者さん、登場ありがとうございます。
自分のささやかな経験からでも、救われる人がいたら喜んでなります。私も多くの人に助けられた時期があったので。
詩は知らないです。最後の「わが忠実な旅杖よ」は何をさしているのか気になりますね。
イカ京(ピンク)くんや、続きを期待してた悩める人は、こんな展開ですがどうでしょう?
続きは魂の放浪などちょっと重い感じになっていきます。
でも、普段はチャラチャラしすぎと注意されるぐらい軽く見られてしまいます。

「死」は、身近な人の経験を知らないと現代では感じにくくなっているようですが、私の高校の同期は最近2人自殺したようです。
でも、「旅人」に光は指すと私は思います。

サッカー見てたらあまり進まなかった。停電長すぎ。でも勝って良かった。
明日8時出勤なので、今宵はここまでにしとうございます。続きは土日にでも。

でも私の周りでは 2004/09/09(木) 01:25:44
よく人が死ぬなぁ・・・

ふぎょん 2004/09/09(木) 23:55:06
絶望からの出発さんお疲れ様

あなたの発言からはまだまだ計り知れない苦しみがあるようですが、いかほどのものかつかみかねます。

でもって少しばかり質問、というか気になったところを。
あなたの発言から想像してみるところ、どうも浮気は一度のようではない気がしますが・・・?どうなんでしょう。バレたのが最後の一回ってことなのかな?

あと、絶望感って自業自得や自己嫌悪なんていう言葉では表現しきれない世界ですね。無粋な突っ込みはしませんが、突っ込みどころには立ち入らさせてもらいます。続きの話待っていますね。

ちなみにあっしも、外見と内面は裏腹です。作り笑いは得意です(ほんとに笑っているか自分でもわからんかったり)。ごく稀に舌打ちしてしまうのが玉に瑕ですね・・・

偽善者 2004/09/10(金) 02:11:33
まあ、詳しいコメントは「絶望からの出発」さんの
お話を一通り聴いてからということで。

そういえばこんなのもあったなあ、と思い出したのを
いくつか張っておきます。

http://www.kyoto-u.com/lounge/talk/html/200403/04030013.html
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200403/04030019.html
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200407/04070045.html

いろんな意味で参考になるかと。

あと、絶望からの出発さんへ。
>詩は知らないです。最後の「わが忠実な旅杖よ」は何をさしているのか気になりますね。
この旅人はまさに、一人で当てもなく放浪しているので、
頼れるものはすがって歩く杖だけ、という状況です。
ちなみにさっきの詩は、詩集の中の24個の詩のうちの
21番目です。

>「死」は、身近な人の経験を知らないと現代では感じにくくなっているようですが、
私は自分自身が阪神大震災で死にかけたのが原体験ですね。
当時は何となく死に甘美なイメージを持っていたんですが、
いざとなるとものすごい恐怖、生きたいという意思の力。
あれで、自殺できない体になってしまったと思います。

ちなみに、私は割と外見と内面が一致してると思います。
以前から書いているように、異性から相手にされない
不細工な男なので(泣)

ただし、行動は割と脳天気なお調子者です。
飲み会なんかではみんなの前でアホなことを言って
盛り上げたりする役に回っていました。
でも、そうやってみんなのために色々気を遣っても、
そのことを読みとってくれる人はほとんどいないし、
半分ぐらいの人は「こいつはホンマに軽薄や」と
思って、明らかに私を軽蔑した態度をとってくる。
気がついたときにはそういう構図が出来上がっていて、
私は完全に孤立した状況になっていたのに、
なまじ一部に理解者がいたがために対処が遅れ、
気がつけば誰もまともに相手にしてくれず、手遅れになったのでした。

>でも、「旅人」に光は指すと私は思います。
この詩人はそれには否定的でした。
自分が似たような経験をしたようなのですが、
結局30歳前後で夭折してしまいました。
私もその轍を踏むのではないかと怖いのですが。

さて、せっかく前回も詩を載せたことですし、
今回も同じ詩集からの引用で締めくくりましょうか。
前回の「宿屋」が24個中の21番目なので、次は22番目を。

これまでも散々な目に遭ってきた旅人ですが、
「死」にまでも拒まれ、ついに一線を越えてしまいました。
最後の気力を振り絞るのですが、その気魄はもはや異様です。

「勇気を!」 by ウィルヘルム・ミュラー

雪が顔に吹き付ければ、
私はそれを振り払う。
胸の中で心がもの言えば、
気を奮い起こして歌い飛ばす。

聴くなかれ、心が何を言おうと、
そんな耳は持たない。
感じるなかれ、心が何を嘆こうと、
嘆きは愚者のすることだ。

気力を起こして世の中に、
風も嵐もかき分けて!
この世に神など居給わずば、
我ら自ら神とならん!

http://gutenberg.spiegel.de/muellerw/winterrs/winter23.htm

このあとどうなるかは次回へ・・・。

通行者 2004/09/10(金) 02:42:42
>ただし、行動は割と脳天気なお調子者です。
>飲み会なんかではみんなの前でアホなことを言って
>盛り上げたりする役に回っていました。
>でも、そうやってみんなのために色々気を遣っても、
>そのことを読みとってくれる人はほとんどいないし、
>半分ぐらいの人は「こいつはホンマに軽薄や」と
>思って、明らかに私を軽蔑した態度をとってくる。
>気がついたときにはそういう構図が出来上がっていて、
>私は完全に孤立した状況になっていたのに、
>なまじ一部に理解者がいたがために対処が遅れ、
>気がつけば誰もまともに相手にしてくれず、手遅れになったのでした。

単にバランス感覚がなかっただけの事でしょう、人のせいにしてはいけません。

Noa 2004/09/10(金) 02:45:38
>>なまじ一部に理解者がいたがために対処が遅れ、
>>気がつけば誰もまともに相手にしてくれず、手遅れになったのでした。
>単にバランス感覚がなかっただけの事でしょう、人のせいにしてはいけません。
人のせいにしているわけではないでしょう。

2004/09/10(金) 02:53:47
>そのことを読みとってくれる人はほとんどいないし、
>半分ぐらいの人は「こいつはホンマに軽薄や」と
>思って、明らかに私を軽蔑した態度をとってくる。

これは「理解しろよ」といってるようなもんでしょう。

2004/09/10(金) 06:25:38
「理解してくれて当然だよね?」
という態度なら傲慢と言わざるを得ない。

絶望からの出発 2004/09/11(土) 22:40:28
今日もちょっと仕事があって、帰るの遅くなりました。
偽善者さんのコメントを、通行人さんは批判していますが、理解してくれるという部分大切ですよね。もっと深いところでの話ですが。
人は他者とは決定的に理解し合えない(生物的にも精神的にも)という事実は頭ではわかっていても、ついそういう幻想を求めたくなるのも人の習性でしょう。
旅杖はもっと精神的に深い意味があるように思ったんですけど。

ふぎょんさん、浮気はどこまでかという定義にもよりますが、実際にはほとんどしてないですよ。でも浮気してそうには見られてたかも。

(続き)
同期の仲間たちの内定の話もどんどん入ってきた。
そんな中、某ベンチャー企業から就職案内の電話がかかってきて、面接に何回か行った。最後のレポートで「新ミレニアムへの挑戦」というのを書かされたが、未来にある程度楽観主義者であった私が、現状分析をするにつけ、精神状態も影響して暗い内容になってしまった。でも、経営幹部候補生で内定をもらった。
春から通算で東京と京都を往復すること数十回。かなり疲労していて、親も休んでいけばといってくれたが、心配かけたくないと思い意地をはって下宿に戻った。
教授に院試を進められたので受けたがその年は定員の1.5倍ぐらいの内部志願者がいてやはり落ちてしまった。研究室の先輩達が心配して下宿にきてマージャンしたりして励ましてくれたりして、その時は本当にうれしかった。しかし一人になると、様々な思いに取り憑かれ、どんな気分転換をしても、気持ちが晴れない。今まで3年間の夏とは比べられない、悲惨な夏だった。そして後期が始まった。
(続く)

偽善者 2004/09/12(日) 19:12:29
なんだか批判を頂いておりますが、何とも申し上げられません。
私は別に当時の行動を正当化するつもりはありませんし、
それを今、理解してくれと言うつもりもありません。

単に、当時それが最善だと思って精一杯行動していた、
しかしそれが破綻して現在絶望の中にいる、
そういう人間がいるということを淡々と書き綴ったまでです。

私にとって、仲間からの孤立が自分のせいであるのか、
他人のせいであるのか、もはや全くどうでもよいことです。
この孤独をいかにして脱することができるのか、
それ以外に興味はないのです。

絶望からの出発さん。

まだ話を最後まで聴かずにコメントするのもなんですが、
全く皮肉なものですね。

本来、私からみれば絶望からの出発さんの話などは
「自業自得だ、何を贅沢なことを悩んでいるのか」と
言いたくなるはずのものなのですが、今となっては
全くそういう気分が起こってこない。
むしろ、正直に自分のことを語る姿勢に敬服を覚えます。

最近読んだ本によると、ユダヤ教の教義では
「悔い改めた悪人は善人よりも遙かに尊い。
善人ばかりか、天使ですらをも超える」
というのだそうですが、そういうことなのかなと思います。

>旅杖はもっと精神的に深い意味があるように思ったんですけど。

全体の詩の流れでは「杖」という語はあまり出ていないので、
私には何ともわかりません。
「頼れるものは杖だけ」「杖ならいつでもそこにある」
ということを深読みできるのかもしれませんが・・・。

さて、今回も詩の続きを載せて終わりにしましょう。
今日は24個中の23番目、いよいよ最後の一歩手前です。
主人公は婚約者から捨てられて放浪の旅に出たのですが、
この詩に出ている「一番いい二つ(の太陽)」とは
「婚約者の瞳」のことだとされています。

「幻の太陽」 by ウィルヘルム・ミュラー

三つの太陽を空に見た、
長く、はっきりと見えていた。
太陽の方もそこを長く動かずにいた、
私から離れられないかのごとくに。
ああ、お前たちは私の太陽ではないのだ、
他の人の顔を見ているではないか!
確かに、僕も昔は三つの太陽を持っていた、
でも、一番いい二つはもう沈んでしまった。
かくなる上は、三つ目の太陽も沈めよかし!
さすれば暗闇の中、多少は私の気も楽になろう。

絶望からの出発 2004/09/12(日) 20:17:07
今日は小学生のサッカーのコーチ。疲れた。体力落ちてるな〜。

(続き)
彼女は別れたあと私の良く知っている男と付き合い始めていた。
私と付き合っているときにも、彼女に気があったみたいだが、彼女は自分で言うのもなんだが、私だけを見ていた。このこともかなりこたえた。
卒論は、あまり人気のなかった温かみのない助教授の下で1人でやることになった。希望が見えず、テーマに対する興味もうせていたので、とりあえず英語の論文をひたすら読んでまとめていく作業をしたが、発表もぱっとせず、だんだん研究室に行きづらくなった。卒業しても意味を見出せなかった私は、電話にも出ず、ぶらぶらと街をさまよったり、ヒッキー気味になったりしていた。実はその時専攻では、留学の話があって、卒業単位も比較的優秀な成績で特別研究(卒論)以外は全部揃っていたし、ちゃんと研究室に行っていれば、推薦してくれる予定だったらしいことを、かなりあとで別の研究室で聞いた。その留学先は夢ややりたいことにかなり一致していたのだが。
実はある試験に合格したが、何回か訪問して、京大ではもっと上を受ければといわれて、採用してもらえなかった。
内定した会社の研修にも行ったが、経営という知らない分野だった上、やる気も起きず、会社自体の怪しさも直感的に感じ、卒論のことも気になって、いまいち溶け込めなかった。会社は中退でも来てくれといったが、結局辞退することにした。その直後会社の株は大暴落、世間的にも叩かれて、結果的には行かなくて良かったというのは皮肉だが。行っていたら逝っていただろう。
(続く)

偽善者さん、3つ目の太陽は何なのでしょう。HPはドイツ語読めませんので無理でした。
宗教的話はこの後の聖地巡礼で詳しく触れます。

偽善者 2004/09/15(水) 19:38:26
昨日、知人と一日中話し込んでました。
知人の過去のいろいろなことを聴かされ、愕然・・・。
信じがたいほどの過酷なトラブルの連続、その中で
味方が殆どいず、逃れようのない状況。
その人自身も心身共に苦しい状況に追い込まれているのですが、
それでも気丈に生きている、そのことに驚嘆しました。

その話は聴くだけで辛く、私はその晩図らずも泣き明かして
しまいました。5年前の祖父の死以来、泣いた記憶などないのに!
ですが、その知人が頑張って生きているということ自体が
私に勇気をくれました。魂が清められた思いです。
少し光が見えたような気がします。

絶望からの出発さん。
前回の詩の出典を挙げ忘れていたので、一応出しておきます。
http://gutenberg.spiegel.de/muellerw/winterrs/winter20.htm

>偽善者さん、3つ目の太陽は何なのでしょう。
「この世の光」ということでしょう。
この旅人は、自分が孤独と絶望と狂気の縁にいる中で、
世の中が無事に明るく動いていることを嘆き続けていたのです。

そして今日が最後の詩です。
詩中「ライアー」は ハーディ・ガーディとも呼ばれる古い楽器。
ライアー弾きはさしずめ「辻音楽師」でしょう。
(今でも路上でギターを片手に歌ってる人を見かけますね。)
道連れを得た旅人は、これからどこへ行くのでしょう?
その結論は、私たち自身が出さねばならないのでしょう・・・。

「ライアー弾き」 by ウィルヘルム・ミュラー

村の向こうに
老いたライアー弾きが立っていた、
老人は震える指で、
弾ける曲をつま弾いていた。

裸足で凍った地面の上を
老人は行ったり来たりしていた、
そして足下の小さな皿は
いつまでも空のままだった。

誰も彼の音楽を聴こうともせず、
誰も彼を見ようともせず、
犬たちは老人の周りで
口々に吠え立てた。

けれど老人はすべてを
なすがままにしている、
ライアーをかき鳴らし、
音は決して止まない。

奇特な老人よ、
私と共にいてくれるのか?
私の歌に合わせて
ライアーを弾いてくれるかい?

http://gutenberg.spiegel.de/muellerw/winterrs/winter24.htm

偽善者 2004/09/16(木) 01:43:13
なんか、昨日の知人の話を聴いてから、
頭の中をルター派のコラールが流れて消えない・・・。
せっかくだから、書き出しておきましょう。
ちなみに私はクリスチャンじゃないんですけどね。

Ich bin's, ich sollte buessen,
An Haenden und an Fuessen
Gebunden in der Hoell.
Die Geisseln und die Banden
Und was du ausgestanden,
Das hat verdienet meine Seel.

(訳)
この私です、罪を償うべき者は。
両手両足を縛られて、
地獄の劫火の中で。
あの鞭、あの縄目、
そしてあなたの受けられた禍い、
それは私の魂にこそ相応しいのです。

ものすごく暗い歌詞なんですけれど、実はとても
明るくて澄んだ声調の歌なんです。
罪や絶望への苦悩を、キリストへの感謝と信仰が
超えてしまった境地なのでしょうか。
ここまで覚悟を決められれば、人間って本当に美しいのですね。

HDkZ 2004/09/16(木) 03:09:21
シューベルト歌曲はゲルハルト・ヒュッシュのがお勧め。
ディースカウよりヒュッシュがいいな・・・

◆◇脱線御免◇◆

ふぎょん 2004/09/16(木) 22:46:21
おひさしぶりです。といってもまだ話が展開する前のようですね。偽善者殿に対する批判もあったようですが、コメントするには少しばかりスレが流れているのでまた機会があるときにします。

掲げられた詩はなかなかいいものですね。「忠実な旅杖」とは「運命」とか単純なものではないでしょうが、そう思いました。死は生まれた時から始まり全ての人に訪れるもの。その死する時への方向を指すものと考えます。そこには自らの意志をも介在させ、時には死にも突き放されるが、抗うことのできない運命に歩む姿を想像してみました。

あとは絶望からの出発さんの話が終わるまで待つとしますか・・なかなか絶望ポイントをつかみかねています。

絶望からの出発 2004/09/18(土) 02:10:18
さすがに平日は一応働いているのでカキコできませんでした。といっても普通の社会人バリバリの人よりは楽ですけど。

>「この世の光」ということでしょう。
>この旅人は、自分が孤独と絶望と狂気の縁にいる中で、
>世の中が無事に明るく動いていることを嘆き続けていたのです。

私の絶望中も世の中はどんどん動いているということを、われに返った瞬間しみじみ感じたときはショックでした。メールとか大量に溜まってたし。でも、その期間は世の中もテロとか就職超氷河期とか、自殺者最多とかあまり明るい話題はなかったですけどね。

(続き)
結局卒論は途中まで書いたが、うまく書けない。完成する目前で来年度のことも考えて留年することにして、提出をやめた。メンタルケアにも行ってみたが、大した事ないといわれてしまった。自分の中では就職落ちで五木寛之の本読んで不眠になって以来、自分で「気がフレタ」と思ったのだが。そして、タイに一人旅に行くことにした。その前の卒業式、仲間たちに誘われて、自分は卒業しないが見送りに式に出ることになった。勿論彼女もいた。留年や院進学の人もいたが、やはりつらかったが明るく振舞って送り出した。
タイ旅行は、何かを変えたいと思っただけの無謀な旅行だった。行きの電車で、喧嘩をしている見ず知らずの人の仲裁をなぜかしてしまい、飛行機に乗り遅れ、無理を言って次の日の便にしてもらい、一日関空に野宿して、タイへ向かった。帰りの航空券を手に、宿も目的地も決めずに空港からさまよい出た私は、カオサン通りの安宿に泊まった。
(続く)

>「ライアー弾き」
話の展開上ちょうどいいタイミングでした。カオサン通りにはいっぱいいましたよ。日本人で絶望した人たちが長渕や流行歌を誰も聞いてないのに歌ってた。

>罪や絶望への苦悩を、キリストへの感謝と信仰が
超えてしまった境地なのでしょうか。
そういうクリスチャン何人か見てきましたが、尊敬します。

ここでのHNはちょっと重いので、他のスレにカキコしにくいです。まあ、コテハンじゃないので適当に変えればいいのでしょうが。

偽善者 2004/09/18(土) 11:59:16
この一週間、前出の知人と毎日のように夜遅くまで
話し込んでました。一人の人間とこれほど密度濃く
付き合ったのは、はじめてのことかも知れません。
(恋人がいたことある人には珍しくもないことなんでしょうけど、
何しろ私は天涯孤独の身なので・・・)

おかしなことに、お互いに殆どあらゆることを隠さずに
話してしまい、しかも遠慮も何もありませんでした。
それまで、話したことも余りなかったのに!
まあ、本気で後腐れなくバトルできる友人ができたわけで、
それ自体はとても嬉しいことなんですが。

殆どの秘密、悩みを打ち明けてしまい、
それに対して色々意見ももらいました。
綺麗ごとばかりではなく、耳の痛いものも沢山ありました。
中でも、例の
「誰も私を(男として)愛してくれない、
俺の遺伝子は残らない、
俺は生物学的に淘汰されたのか、
俺は自然そのものから否定されたのか」
ということにも、遠慮なく「厳しい」と言われてしまいましたね。
「中年過ぎないと人間としての魅力を理解してもらえないと思う」だと。
やはり、事実はとても厳しいようです。

でも、いいんです。
それはやっぱりとても辛いことなのだけれど、
人並みの幸せが得られなくても、他にも何か
できるかもしれない、せめてそれを頼りに
生きていこうかという希望が少し持てました。

その知人もはっきり言って、私とは違う意味で前途多難です。
とても才能豊かな人なのですが、それだけに社会に
受け容れ場所がないようなのです。
そういうわけで、新たな生きる場所を求めて今後しばらく
魂の放浪に入るようです。
今度会うのはいつになるのでしょうか。

もしかしたらもう最後かも知れない、そう思うと、
出会いが劇的だっただけに別れがとても辛かった。
何と挨拶して良いかわからなくて、
やっと見つけた言葉がドイツ語の "Sei selig!" でした。
英語に訳せば単に "Be happy!" なんですけれども、
ドイツ語の "selig" は "happy" よりももっと重い言葉なんです。
楽しいとかいうだけじゃなくて、人間として本当の
幸福、生きる目的を全うすること、"selig" という言葉は
そういう重みがあります。
ちょっと古風な決まり文句の挨拶ではあるんですが、
「絶望から解放されてあれ!」というぐらいの
深い、味わい深い言葉なんです。
キザっぽいことは承知でしたが、それ以上の言葉は見つからなかったし、
その知人ならその奥深いところを受け取れるはずだと信じたのです。

私事が長くなって恐縮です。
ともかく、とてもしんどい一週間だったけれども、
人生の転機になるかもしれない一週間でした。
絶望に包囲されて絶体絶命の心の中に、
堅固な要塞が築かれたような気がします。
今後、反攻の機会もあるかも知れません。

勿論、絶望を心の中から完全に追い出し、この戦いに
勝利できれば、それは人生としての完全な勝利、
仏教で言う悟りの境地にも等しいものでしょう。
その戦いは一生続くはずです。
ただ、敗色濃厚、戦意喪失の形勢が変わったということです。

>シューベルト歌曲はゲルハルト・ヒュッシュのがお勧め。
>ディースカウよりヒュッシュがいいな・・・
私はフィッシャー=ディースカウが大好きなんですけれど、
ヒュッシュは聴いたことありませんでした。今度聴いてみます。
ちなみに、ヴンダーリッヒやホッターも、また違った意味で
素晴らしいと思いますよ。

>カオサン通りにはいっぱいいましたよ。日本人で絶望した人たちが長渕や流行歌を誰も聞いてないのに歌ってた。
その「ライアー弾き」なんですが、本当に「絶望した人」なんでしょうか。
実際、私もずっとそう思っていたし、
この詩にはシューベルトが歌を付けているんですが、
その音楽は荒廃した心象風景の極致とも言えるようなものでした。

しかし、この数日で見方が変わってきました。
「ライアー弾き」に、己が道を唯だ行く修行僧、
悟りを得た求道者、そういった人の顔が見えたんです。
仏教で言う「ご同行」という方が近いんでしょうかね?
とにかく、その老人は本当は絶望した人なのかも知れない、
でも、主人公にとってはそれでなおかつ救い主なのかもしれない、
そんな風景が見えたんです。

どう思われますか?この解釈。
私ももう一度、深く考え直してみようと思ってるんです。

HDkZ 2004/09/19(日) 00:27:09
>私はフィッシャー=ディースカウが大好きなんです
そうでしたか・・・
私も嫌いではないんですが、というより、好きではあるんですけれど、気分によっては出来杉?wに聴こえることもあったりして・・・・そんなときヒュッシュ、ホッター、ヴンダーリッヒ等を聴くことにしています。

水車小屋の娘・・・ヴンダーリッヒ>ディースカウ
冬の旅・・・ヒュッシュ>ホッター=ディースカウ
白鳥の歌・・ヒュッシュ<ホッター=ディースカウ

聴く頻度はこんな感じかな・・・

◆◇脱線御免◇◆

HDkZ 2004/09/19(日) 00:39:08
シューベルトの歌曲集、特に「冬の旅」「白鳥の歌」は絶望を噛みしめるのにいいですよね。絶望からの出発さんにもお勧めです。やっぱり、再出発するには、まず噛みしめるのがいいと思います、、なんて、話よく聞いてないのに言ってみたり・・・・

絶望からの出発 2004/09/20(月) 00:53:25
なんか話がクラシックの方向にいっていますが、私は詳しくはわかりませんが、聞いてみたいですね。

偽善者さん、なんかとても良い経験をされていたみたいで良かったですね。
一人の人の内面と深くかかわることは、とても大切なことだと思います。自分も相手もありのままをさらけ出し、それでいて別の価値観だとお互いわかっているのに認め合う。私も京都時代にそういう人間を少しですが作ることが出来ました。この前京都に行ったときも泊めてもらい久々にいろいろ語り合うことが出来ました。

希望が少し持てたというのはいいことだと思いますが、希望があるからこそ絶望するわけで、仏教的な悟りとかは希望が逆にない状態で人生の勝利とかそういうものを超越する境地だと解釈してるのですが。
ライヤー弾きは、過去に絶望したものが希望とか絶望とかを超えてあるがままを生きている姿なのかもしれませんね。

(続き)
荷物を置いて宿を出た私は、ヒッピーのような状態で適当に寺院などを回った。時間や場所が良くわからなくなって帰ろうとしたら、宿の地図がない。暫く街をさまよったが、日が暮れてきて完全に迷ってしまい、無謀にも野宿した。夜の寺院付近の街は、私には仏教の地獄のように写った。客観的にはかなり危ない状況だったがほとんど寝ないでどうにかなった。次の日、前に乗ったトゥクトゥク(安タクシー)の兄ちゃんも心配してくれたり、日本人のアベックに道であって探してもらったり、警察に行ったりしたがわからず、途方にくれていたとき、ちょっと怪しいフランス人の男に声をかけられ、共に行動することになった。
(続く)

偽善者 2004/09/20(月) 02:25:06
やたらと密度の濃かった一週間が終わり、実家に戻りました。
前回の書き込み時など、妙な興奮状態で多幸感もあったのですが、
なんだか拍子抜けしちゃったなあ・・・。

話がいきなり飛びますが、抑鬱状態ってのはpost festum(祭りの後)
の意識と表現されることが多いらしいですね。
私の絶望はまさにこの形です(実際のところ、鬱病でもあるんです)。
ところが逆に、この前の一週間は何か、やたらとante festum(前夜祭的)
な興奮を覚えるものだったんですね。何かが起こりそうというか。
これは抑鬱状態とは逆に、分裂的な感覚だというのですが、
実際、思い当たるところあります。感覚でしゃべってたし、
幻覚まがいの夢を見たし、やたらと五感が鋭敏でしたしね。
もしかすると、ちょっと危険な綱渡りをしていたのかも知れません。

だけど、あの経験は「錯覚」ではなかったですよ。
確実に、この道の彼方には「幸福」があるのだということが
理解できました。この前見たもの自体は「幸福」の「蜃気楼」に
すぎなかったのかも知れなかったけれど、蜃気楼のずっと先には
必ず本物の「オアシス」があるはず。
諦めないでそこを目指すべきだと思ったのです。

HDkZさん。
フィッシャー=ディースカウが「できすぎ」という感は
わからなくもありません。
マタイ受難曲のユダの自殺の場面のアリア(歌詞後述)なんか、
もっと支離滅裂に泣き喚いているような感じが欲しいんですが、
それにしては冷静すぎるかなあ・・・、とか。

逆に、「水車小屋」にこそフィッシャー=ディースカウに一票ですね。
ヴンダーリッヒの美声は確かに魅力ですけれども、彼は余りにも
詩の主人公と境涯がかけ離れていそうなところが不満でなりません(笑)。

絶望からの出発さん。
話が逸れてごめんなさい。でも、クラシックは良いですよ。
私は上に挙がった曲のおかげで生命が助かったとさえ
思ってます。シューベルトは生命の恩人ですよ。マジで。

>希望があるからこそ絶望するわけで、仏教的な悟りとかは希望が逆にない状態で人生の勝利とかそういうものを超越する境地だと解釈してるのですが。
えっと、言葉の解釈の違いだけだと思います。
「希望」とか「人生における勝利」というのは、現世的な
成功ということじゃないんです。具体的な夢を描いて、
それが実現するかどうかとか。
そんなの、余程のことがない限り夢破れるに決まってるし、
それは結局「執着」でしかないんですね。夢が達成されれば
post festum(祭りの後)で鬱にたっぷり見舞われるのです。

そうじゃなくて、そういう「現世的な成功」が「執着」にすぎないと
気づくことが、逆に希望そのものではないかと言いたいのです。

まあ、私も仏教学には素人ですし、「絶望」に関する議論は
むしろプロテスタントの方が有名なんじゃないですか?
キルケゴールとか。

>ライヤー弾きは、過去に絶望したものが希望とか絶望とかを超えてあるがままを生きている姿なのかもしれませんね。
そう「かもしれません」。でも、そうでなくても、
「あるがまま」というところに答えが隠れている気がします。
だから、「その老人は本当は絶望した人なのかも知れない、
でも、主人公にとってはそれでなおかつ救い主なのかもしれない」という
ちょっと持って回った表現をしたわけです。

なんだか理屈っぽくて堅苦しくてごめんなさい。
最後に、上に挙げた「マタイ受難曲のユダの自殺の場面のアリア」の
歌詞を挙げておきましょう。
背景を説明しますと、イエスを裏切ったユダは、
後悔の念に苛まれて結局自殺してしまいます。
しかし、実は裏切り行為を冒したのはユダだけではないですね。
イエスを見捨てて逃げた弟子全員に、その罪は等しくあるはずなのです。
ところが、残りの11弟子は原始キリスト教の指導者であるのに対し、
ユダは大悪人の烙印を未だに押されたままです。
この扱いの極端な差は不審にも思えますが、「絶望」の有無が全てを分けると
考えれば、あながち理解できないことでもない気がします。
つまり、「『裏切り』の罪を悔いつつも、それを受け容れてなお生きていく」
のが必要なのであって、自殺というのは現実逃避の最たるもの、絶望の極致なのでしょう。

前口上が長くなりましたが、歌詞をどうぞ。
かなり思い入れありの訳なので、ファンからは
石を投げられそうで怖いんですけどね。
ちなみに、「放蕩息子」はキリスト教のキーワードですが、
その話はまた今度・・・。

Gebt mir meinen Jesum wieder!
Seht, das Geld, den Moerderlohn,
wirft euch der verlorne Sohn
zu den Fuessen nieder!

(訳)
僕のイエスを返してくれよ!
これを見ろ、この金を、殺しの報酬を、
この放蕩息子はお前たちの
足下に投げつけてくれてやったぞ!

ふぎょん 2004/09/23(木) 01:30:45
 なんだかあっしには話が難しいですが一言。

希望の道が見えたということは同時に再び絶望へ
向かっているということ。

しかし、今までと違うことは絶望から逃れる術を身を
もって学んだこと。がんばってください。

絶望からの出発さんも話も引き続き見たいと思います。

ちなみにHNなにかないでしょうか、、。人のこと言えませんが。

絶望からの出発 2004/09/24(金) 15:41:18
次回から、HN普段使ってるやつに変えますね。「絶望からの出発」は、最初にレスでそう書いてしまい、話の流れ上わかりにくいかなと思って使ってきたのですが、このタイトルで前に文章を書いてある塾で載せてもらいました。

昨日は運動会で疲れました。今日は代休で昼間は暇です。夜、又仕事があるのですが。

ユダの裏切りについては、私はユダはイエスにユダヤ人の王として政治的なリーダーとしての力を期待していたが、奇跡を起こしたり、神の国について語ったりはするが、いっこうににそういうことはせず、尊敬しながらも失望して裏切ったのだと解釈しています。
裏切りを見抜く場面では、ある牧師は、マタイによる福音書26:25で、
『イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんだ。「先生、まさかわたしのことではないでしょう」
イエスは彼に向かってお答えになった。』
のあとのイエスの答えは、新共同訳などと違って原文に忠実に訳すと、
『「お前の言うとおりだ』」
つまり、「お前は裏切り者ではないよ、お前はもっと価値のある存在だ」と豊かな包容力でユダを包み込んでいる、という、解釈をしています。
キリスト教を解釈するのは難しいですし、本題ともずれそうなので、もししたいのなら別スレにでもしますか。

(続き)
そのフランス人は、一緒に宿を探しながら私をいろんなところに連れて行ってくれて、別のある程度ちゃんとしたホテルに一緒に泊まった。そして国際電話で実家にも電話させてくれた。夜はコールガールも呼んで(ry
費用は全部持ってくれた。ちょっと怖かったが、彼も何かに絶望しながら旅行していたのだろう。コミュニケーションは、片言の英語だけだったが、何か意思疎通するものがあった。slowlyと、あるがままみたいなのを教えられた。
親はその電話でとても心配したらしく、大使館に連絡した。
結局、そのあとも色々回ったが、私もembassyに向かうことにして、次の日フランス人と別れて、日本人の受付の女の子がいるちゃんとしたホテルに聞いて、どうにかembassyのあるビルに着いた。受け付け時間前だったので、もう投げやりな気持ちで下の道端で、流行歌や知っている洋楽などを口ずさんで気持ちを盛り上げていた。旗から見ればイカレテル人に映っただろう。
embassyでは、事情を話し、宿から連絡がないかあたってくれることになり、どうにか宿が見つかり、送ってってもらい、荷物も無事だった。embassyの人とは色々話が出来、励ましてもらった。そういう精神状態で象を見るとほんとに発狂する人がいるらしいと聞いた。カードでお金を下ろし、実家にも連絡して、帰りの航空券を買ってどうにか帰ることが出来た。親は心配して病気を押して関空まで迎えに来てくれて、つれて帰ろうと思ったみたいだが、思ったより私が明るく元気なのを見て安心し、私は京都の下宿に戻った。
この状態になっていつもなのだが、私の中ではおかしいと思っても、あってる人はちゃんと私が受け答えするし、軽く振舞うのでなんでもないと思われてしまう。
後日談だが、大学構内で会った後輩から、タイで見かけましたよといわれた。彼もその時期ちゃんとした用事で行っていたらしい。前の彼女も下宿に来たり、色々探してくれたらしい。
この旅行では、ホント散々迷惑かけっぱなしだった。
ちなみに普段の旅行では、ツアーも作ってたりしたぐらいだし、ちゃんと準備して、トラブらないほうなのだが、精神的なものから判断力が鈍っていてめちゃくちゃな行動だった。

京都に帰ると、なんとその年の研究室配属日が早まっていて、欠席のため、前とは違う厳しくて卒業させないことでも有名な最も人気のない最悪の研究室しか残っていなく、そこに決まった。又も絶望の中、次の就活も始まっていた。
(続く)

偽善者 2004/09/27(月) 03:25:58
絶望からの出発さん。
貴重な話をありがとうございます。
いよいよ佳境に入ってきたようですが、どうなるのでしょうか?
いつも興味深く拝見しています。

>ユダの裏切りについては、私はユダはイエスにユダヤ人の王として政治的なリーダーとしての力を期待していたが、奇跡を起こしたり、神の国について語ったりはするが、いっこうににそういうことはせず、尊敬しながらも失望して裏切ったのだと解釈しています。
遠藤周作も同じことを言っていましたね。
私もそれが正解だと思います。

>ある牧師は、マタイによる福音書26:25で、
>『イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんだ。「先生、まさかわたしのことではないでしょう」
>イエスは彼に向かってお答えになった。』
>のあとのイエスの答えは、新共同訳などと違って原文に忠実に訳すと、
>『「お前の言うとおりだ』」
>つまり、「お前は裏切り者ではないよ、お前はもっと価値のある存在だ」と豊かな包容力でユダを包み込んでいる、という、解釈をしています。
ここは人によって本当に解釈が分かれるところですよね。
私はクリスチャンではないですが、それでもこの問題を
よく考えます。
(一宗教の教義上の問題ではなくて、人類普遍の問題であり、
イエスの言動はそれに大きな示唆を与えてくれるものだと
私は考えているためです)

ちなみに、上記の対話は、ギリシャ語にまだ近い英語訳だと、
もう少し前から引用することにしますが、

[21] And as they did eat, he said, Verily I say unto you, that one of you shall betray me.
[22] And they were exceeding sorrowful, and began every one of them to say unto him, Lord, is it I?
[23] And he answered and said, He that dippeth his hand with me in the dish, the same shall betray me.
[24] The Son of man goeth as it is written of him: but woe unto that man by whom the Son of man is betrayed! it had been good for that man if he had not been born.
[25] Then Judas, which betrayed him, answered and said, Master, is it I? He said unto him, Thou hast said.

となっていますね(古典的な「欽定訳」による。出典は下記)。

http://www.hti.umich.edu/cgi/k/kjv/kjv-idx?type=DIV1&byte=4380943

なんとも解釈が難しいですが、"Thou hast said." という口語表現は、
"Thou hast said it."
とか、
"It is that thou hast said."
とか、
"What thou hast said(=it) is right."
とするのが省略を除いた本来の形でしょうし、特に最初と最後の形は、
"it" の意味にこだわってもっと意訳すれば
"Yes, it(= one of you who shall betray me) is."
となるのでしょうが、さすがにこれはやりすぎでしょう。
またルターによるドイツ語訳では、ユダの問いかけが
"Bin ich's, Rabbi?" = "Am I it, master?"
であり、それに対するイエスの応答が
"Du sagests." = "Thou hast said it."
となっています。
だから、原文に忠実に訳そうとすると、新共同訳のように
「それはあなたの言ったことだ」
とするより仕方ないことだと思います。

私はギリシャ語がわからないのでこれ以上何とも言えませんが、
これだけでもあなたのおっしゃるような解釈には繋がると
思いますし、非常に含意の多い言い回しだと思います。

まあ、ここでこれ以上言っても仕方ないでしょうが・・・。
それより私は、[24] の後半の
"but woe unto that man by whom the Son of man is betrayed! it had been good for that man if he had not been born."
の方がかなり身に沁みて堪えます。
「裏切り」は他人事ではないと思うからです。

ちなみに、"Ich bin's, ich sollte buessen" のコラール
(2004/09/16(木) 01:43:13の発言で引用したもの)は、
バッハの「マタイ受難曲」では、ユダ以外の11弟子が
"Herr, bin ich's?" = "Lord, am I it?" ([22])
と口々に問う場面(弟子の狼狽を描写する小合唱曲になっている)
の直後に出てくるものなんですね。
つまり、"Herr, bin ich's?" の直後に "Ich bin's," = "I am it,"
と続けているわけで、聴いていると結構きついんです、これが。

あれ? 2004/10/04(月) 17:22:20
この週末は「絶望からの出発」さんは登場しなかったのか・・・

おーい 2004/10/09(土) 01:49:10
絶望からの出発さーん。続き聞かせて下さいよ。。。。

英雄Hiro。(旧:絶望からの出発) 2004/10/09(土) 02:52:46
HNいつも他の時に使ってるのに変えます。
読み方は、「ひろひろ」または、「ひーろーひろお」です。「ふぎょん」さん、これでよいかな?
「あれ?」さん、先週はカキコできずすみませんでした。でも、、カキコしてくれたおかげでスレは、そんなに下がっていなくて良かったです。実は、風邪引いてたり、仕事上正念場みたいなことがあって。
台風直撃しそうですね。明日の仕事の予定はなくなったので、暫くはネットに浸りますか。
それと、宗教的な話になっちゃうと、他の人が入りずらい気もしますが、これからの話はちょっと宗教的なこともはいりますが、気軽に他の人もカキコしてくださいね。

(続き)
前よりは、レベルを下げて就活をしようとしたが、しょっぱなエントリーしてぶっちしてしまい、その後やる気がなくなってしまった。何か、目標とかやりたいこととかが、すべて架空のもののであるかのような思いが強くなった。自己分析をして、今まで頑張ってきたが教育に洗脳されてただけで、でかいことばかり考えて、やる気が空回りしてて、真実が何も見えていないのではないかと思うと、社会に出ても本当の価値ある人生は歩めないと思うようになったからだ。知り合いに紹介してもらった小さな就職先の社長に、卒業して、自立できる自信があるならおいでみたいに言ってもらってとりあえずそこで就活はやめた。
研究室には最初のうちは行くが、研究の前段階で必要な微積ですら、詰まっていた。
前期は単位は必要ないので、実家に帰って精神科にもいった。そこのほかの女の子からやたら付きまとわれて、京都に戻るときについてこられそうになったこともあったっけ。結局若い主治医にも適当に薬出されてよくわからないみたいなことを言われた。
教会にも行くようになった。家は普通の仏教の檀家だったが、元々一神教的な神は意識していた。
牧師と差しで話して何か変わるかと思ったが、結果的にはやや期待はずれだった。

そんな中、母も家業をやっていくのが大変になっていた。帰ったついでに少し顔を出していたが、色々問題は山積だった。
結局、実家に置手紙をして勝手に一人京都に戻った。
京都に残っていた仲間たちから、やっと連絡がついたといわれて、A地下のバーとか、鴨川飲みとか行って、やっと今までコンプレックスで会えなかった人たちと会えたが、後輩の前で暴言も吐いてしまい、私の考えにはちょっとついていけないと、仲間たちからも思われ始めていた。今まで気づいてきた信頼が崩れ、物理的にも心理的にも仲間が遠い距離に行ってしまったように思えた。
後で見たのだが、仲間のメーリングリストにもその当時色々心配されていて、でもついていけなくなってきているようなことが書いてあった。前の彼女も就職試験に受かった親友も、激務の中、気にかけていたようだ。
そして、休みに、魂の旅、エジプト、イスラエル聖地巡礼ツアーに出た。これで貯金はもう底をついた。
(続く)

ちなみに、この当時変な私的論文、「地球を救う」とか書いていた。大学入ってすぐ、成長の限界とかを考慮して、未来予想図を映そうというゼミ見たいのをやろうとして失敗して、サークルのイベントや勉強したことをふまえて、時代背景を分析しながら近代西欧文明と科学技術と地球主義みないなのを書いていた。ちょっと今考えると誇大妄想的。

他のスレでミスチルのHEROの歌詞が出てたので思い出したが、自分がこの世界を救えるとして、名乗り出たいのに、自分の無力さに絶望して何も自分や身の回りのことすら救えない自分がいた。あの歌が出たときは私は少し共感したなあ。

自分なりに神(今考えるとヤハウェ的なかんじ)に誓って目的や使命を持って生きようと大学入る前に誓ったはずなのに、神を裏切ったことで、呪われているという思いが強かった。

まえ、偽善者さんのちょっと書いていたメシアコンプレックス?ていうのと関係あるのかな?

他のところにもカキコしてみよ。

偽善者 2004/10/10(日) 00:58:31
英雄Hiro。さん。
新HNでの登場、どうもありがとうございます。
話長くなるのかもしれませんが、楽しみに待ってます。

私自身はこの後期から何とか大学院に復帰しようと必死です。
ひとたび失われてしまった情熱を取り戻すということが、
簡単なようで難しいということに気づき、改めて愕然としています。
思うに、「復帰する」といっても、元いたところに戻るだけでは
だめなのですよね。元々の姿勢に何らかの無理があったのだから、
「無理をせずに、なおかつ情熱を保存した」
そういうあり方を模索しないといけない。
それができない限り、病も癒えない気がしています。

最近、エーリッヒ・フロムの著作を多く読んでいます。
この人は個人の精神の問題と社会の問題と宗教的な視点を
切り離さずに書いてくれているので、個人的に安心して
読める数少ない思想家の一つだと思います。
「ユダヤ教を放棄したユダヤ人」という異端的な立場の人なので、
我々のように違う文化の人間でも抵抗なく読めるのが良いです。

>それと、宗教的な話になっちゃうと、他の人が入りずらい気もしますが、これからの話はちょっと宗教的なこともはいりますが、気軽に他の人もカキコしてくださいね。
そうですねえ・・・、どうしても切り離せなくなるんですよね。
実は、自称「無宗教」の日本人は無自覚的に禅仏教の影響を
受けているのではないかと思う今日この頃です。

>教会にも行くようになった。家は普通の仏教の檀家だったが、元々一神教的な神は意識していた。
>牧師と差しで話して何か変わるかと思ったが、結果的にはやや期待はずれだった。
普通の仏教の檀家の人が教会に行っても、結局馴染めずに
終わることって多いみたいですね。私自身あれだけキリスト教を
語っていながら、結局どうしても一神教には馴染めません。
結局、「神」が理解できなくて躓いてしまいますからね。
(イスラム教なら少しだけついていけなくもないんですけどね)

>ちなみに、この当時変な私的論文、「地球を救う」とか書いていた。大学入ってすぐ、成長の限界とかを考慮して、未来予想図を映そうというゼミ見たいのをやろうとして失敗して、サークルのイベントや勉強したことをふまえて、時代背景を分析しながら近代西欧文明と科学技術と地球主義みないなのを書いていた。ちょっと今考えると誇大妄想的。
実は私も、数少ない同士とそういう妄想を語ったりしてますよ。
逆に、最近そういう妄想を語れる同士が減って非常に寂しい。

>まえ、偽善者さんのちょっと書いていたメシアコンプレックス?ていうのと関係あるのかな?
メシアコンプレックスっていうのはちょっと違いますよ。
「神が完全であるようにあなたも完全でありなさい」という文句が
聖書にあったと思いますが、これを誤解したようなあり方ですね。
自分が完全でなければならないという強迫観念に駆られて、
「自分を救えないのに他人を救おうと」して自分に負担をかけるんです。

なんか、要らんことばっかり書きましたけど・・・。
続きをお待ちしてます。よろしくお願いします。

英雄Hiro。 2004/10/10(日) 04:14:55
今日は台風直撃で大変なことになっていました。仕事休みになったのはいいけど、家から一歩も出ていない〜。

偽善者さん、レスありがとうございます。
大学院に復帰すること自体は良いことだと思いますが、そこから直接得られるものよりも、自信を取り戻し、社会的に生きがいが持てるフィールドを見つけることが必要かなとも思います。
>「無理をせずに、なおかつ情熱を保存した」
>そういうあり方を模索しないといけない。
年齢的なものもありますが、若いときのように「情熱」をぶつけられる場というのは、限られてくると思います。私も、情熱家でしたが。
社会的な形式にある程度あわせながらも、自然体で内から突き動かされるものが維持できるのが、本当の「成人」になることかな?

フロムについては、昔「自由からの逃走」「人間における自由」を少し齧ったような記憶が。
私は、中高、そして日本一自由な学校にいて、大学も自由を使いこなせると思ったのですが、フロム的な「〜への自由」となる自我の実現は果たせていたのだろうか?と思います。

続きの前に前回のところで。
私のその頃の精神状況は、自分が本当にいるのかわからない状態で、他の人やものとつながっていないような感じを受けた。実際、大学で学割と在学証明書を自動発券機で取ろうとして、何度やってもできず、本当に社会に自分の存在があるのかわからなくなって落ち込んで帰ってくるということもあった。実は番号を間違ってただけで、次の日やったら出来たのだが。

(続き)
危険度も高くなっていた(今ほどではないが)が、逆に空いていて、ツアーなので、現地日本人ガイドのおかげもあっていろいろなポイントをめぐることが出来た。エジプトではギザのピラミッドと博物館に行き、らくだにも乗ったし、シナイ山に登って朝日も見て、死海では、浮遊体験もできた。エルサレムでは、ゲッセマネの園、嘆きの壁、ビアドロローサ、いろんな教会に行って、街も少し歩き、今までお伽話的イメージでしかなかった聖書の世界やキリストが、この地には2000年のときを経ても、生きた証として残っていると感じ、ここでキリストが当時の人々にすごい影響を与えたのだと思い、神の御心を感じさせた。ガラリヤ湖を渡ってヨルダン川に行き、洗礼を受けた。その当時意味はよくわからなかったが、周りの人に古い過去の自分に死んで神の元に新しく生まれ変わるんだとか言われてその気になってしまった。というわけで一応クリスチャンになったみたい。
何か急に変化が起こるかとも思ったが、実際はそうでもなかった。でも、今までの中途半端な反抗的なエリート意識や立身出世主義みたいなのは薄れて、いろんな人を神に作られた作品として、個性は尊重しつつも平等に見られるようにはなり、自分のことも、愛し続けて見守ってくれている偉大なものがあるんだとは思えるようになったが。
帰ってから、大学は休学して実家で家業を手伝った。
病院も変えて担当医からは頭の中がぐちゃぐちゃになってることを理解してもらえ、大学や将来のことに気をもまないで、普通に日常を過ごすことをアドバイスされた。心因反応と言われた。別に韓国人でクリスチャンの東大の医学博士の人も紹介してもらってお世話にもなった。
ついでに昔サッカーで切った靭帯の手術もした。
そして、一番優しい教授に、今まで頑張ってきたんだからもったいないと言って卒業させてあげるからとかくまってくれて復学した。
(続く)

キリスト教についての解釈なのですが、個人的にはイエスについては、愛に満ちた人類史上最も影響を与えた人物で、第3次反抗期の昇華みたいなものだと思っています。奇跡とか三位一体とか聖霊は正直言うとちょっと理解に抵抗がある部分はあります。
最近の本で言うなら、ニール・ドナルドウォッシュの「神との対話」のイメージがあえて言うなら近いかな。詳しくは又後か別スレででも。

偽善者 2004/10/11(月) 01:09:12
英雄Hiro。さん。早い返信ありがとうございます。
そうですか。本当にパレスチナの地を踏んだのですね。
それはまた強烈な体験だったことでしょう。
実は私も似たような経験がないでもなくて、京都市内の
仏教の某宗派の総本山の大きな行事に顔を出したことあります。
読経に参加して説教を聴いただけでしたけど、あれは体験としては
大きかったですね。ただし私は結局その宗派には入信してません。
方向性としては似たような思想を持ってますけどね。
国内の仏教の各宗派は割とつまらない「宗派根性」にとらわれて
いる気がして、余り教団の行事に深入りすると却って自分を
埋没させてしまう気がしたのです。それじゃどこかの新興宗教と
変わりがないですからね。
宗教的なことは自分で勝手に本読んで一人で考えてます。

>大学院に復帰すること自体は良いことだと思いますが、そこから直接得られるものよりも、自信を取り戻し、社会的に生きがいが持てるフィールドを見つけることが必要かなとも思います。
おっしゃる意味はわかります。でも色々考えたのですが、
結局私が自分の能力を一番発揮できて、自分を一番表現できるのは
学問の世界をおいて他にないと思ったのです。
どうせこの時代、どこの世界も精神的な荒廃はひどいものです。
であれば、まだ自分が幼い頃から一途に志していた世界に
飛び込むしかないのではないかと。
特に、この世界に拒まれて悲惨な状況に陥った友人が多く
いましたから、自分だけでも生き残って「仇を取らなければ」
いけないと思ったのです。

>フロムについては、昔「自由からの逃走」「人間における自由」を少し齧ったような記憶が。
おそらく「愛するということ」が、彼の思想を一番よく
要約していると思います。自己愛を否定的に捉えるのではなく、
本物の自己愛こそが生きるのに不可欠なものだという思想、
幼い頃から数限りない劣等感に苛まれ、自虐的にしか自分を
見つめることができなかった私には光明そのものでした。
そもそも、私は恋人を得られなかったことで絶望したと
書きましたけれど、どうしてそこまで恋人が欲しいと思ったか、
結局自分を愛することができないために他人の愛で自分の
心の空虚を埋めようとしていたということに気づいたのですね。
で、結局それではその相手のことを本当に愛することは
できないわけで、そんな恋愛なら成就しなくてむしろ
よかったのかもしれないと、少しずつ理解できてきました。
無論、まだ頭の中での話です。実感に至るにはもう少し
時間がかかります。

>私は、中高、そして日本一自由な学校にいて、大学も自由を使いこなせると思ったのですが、フロム的な「〜への自由」となる自我の実現は果たせていたのだろうか?と思います。
それはそれは・・・。私も中高時代は自由な校風が売りの
学校でしたよ(もしかして同じ学校だったりして?)。
でも私の場合は行っていた学校が男子校で、そういう環境では
自由がとても実現しやすかったのだなと思います。
どういう訳か、男ばかりの社会は、人間の汚い面を見ずに
済むことが多いのですよね。本音ばかりで語り合えるし、
不正義は非常に冷たく厳しくあしらわれますから。
逆に、大学に入るまで、
「人間関係に女が絡むとどれほど男の本性の底が見えるか」
ということを知らなかったことは、後々まで響きました。

英雄Hiro。 2004/10/18(月) 02:35:30
家業は色々大変です。良いビジネスプランがないかな?

>自己愛を否定的に捉えるのではなく、
>本物の自己愛こそが生きるのに不可欠なものだという思想、
>幼い頃から数限りない劣等感に苛まれ、自虐的にしか自分を見つめることができなかった私には光明そのものでした。

京大英語の英作文で
「大人になるためには、何かを断念しなくてはならない。単純なあきらめは個人の成長を阻むだけだが、人間は自分の限界を知る必要がある。単純なあきらめと異なり、大人になるための断念は、深い自己肯定感にもとづいている。」
という文章がありました。
自己愛がないと、隣人愛なんてありえませんね。

>そもそも、私は恋人を得られなかったことで絶望したと書きましたけれど、どうしてそこまで恋人が欲しいと思ったか、結局自分を愛することができないために他人の愛で自分の心の空虚を埋めようとしていたということに気づいたのですね。

恋愛は、成就?するまでもそれなりに大変だけど、そのあとに愛し続けられるか、お互いに高め合っていけるかが大切だと思います。

以前私の誕生日にもらった手紙で最近出てきたのにこんなのがありました。(要約)
「私があなたという人の人生の一部にこうして参加できることはかけがえのない大切な偶然でありすばらしい奇跡だということを私は忘れそうになっていました。
あなたの本質…というか考え方、理念尿名もの、私は一人の人間として大好きです。しれを自分のエゴで壊してしまうことはいけないことだが、私は弱い人間だから彼女だからあなたを独り占めしたくて仕方ないのです。あなたを独り占めすることは同時にwくぁた氏の好きなあなたのよさを壊してしまうことでもあるのに。
勝手な話だが、私を大事にしつつもあなたのよさを損なわないように。勿論私はあなたの客観的に間違っていると思われることについて津施用としている場合も多いのだよ。
彼女としては独り占めしたくて仕方ないんだよ。でも一人の人間として先に行ったように考えています。
(ry
この手紙をあなたが忘れた頃にみつけだして少しでも私の気持ちがわかってくれれば幸いです。」

その頃は良くわかっていなかったんだなと思います。
難しいですね。

>それはそれは・・・。私も中高時代は自由な校風が売りの学校でしたよ(もしかして同じ学校だったりして?)。
>でも私の場合は行っていた学校が男子校で、そういう環境では自由がとても実現しやすかったのだなと思います。
>逆に、大学に入るまで、「人間関係に女が絡むとどれほど男の本性の底が見えるか」ということを知らなかったことは、後々まで響きました。

中高一貫の男子校です。同じなの???
今の校長は元倫理の先生です。後輩にもわかり、部外者にはわからない校内キーワードは、「3応」「自校体操」「マイムマイム」「プール飛び込み」「宮下公園」「トリチュー」など。わかる人にはわかるでしょう。
男子校な割にはそれなりに女の子との接点はある人にはあったような。
女が絡むと、確かに人間関係は厄介になる。でも、本性が見えて幻滅するのはむしろ女のような気が。

他の人もカキコしてくださいね。ちょっと入りずらいかもしれんが。

(続き)
下宿も変えて後期から復学した私は、優しい教授の下で、テーマも決まり、かなり手伝ってもらいながらもそれなりに卒論を書くことが出来た。
研究室や隣の研究室にも元同期もいたし、年齢的には後輩ともそれなりに仲良くやれて、一緒に飯食ったり色々なことを話せた。
暇な日は、まだ残っている同級生や後輩たちとも自分から誘ってちょくちょく会えて、飲みにも行けた。前、環境活動で知り合った社会人の女の人は、今までの話をしたら、いつも前向きで輝いてて自信に満ち溢れて世渡りもそこそこうまそうにみえたらしい私が、こんなことになってることに驚いていた。
日曜などは紹介してもらった教会にも行って、色々お世話になり、クリスマスの劇まで出演した。
卒論発表のあとの研究室飲み会ではかなり飲み、思いのたけをぶちまけたが、みんな暖かく理解してくれた。

発表後、卒業式まで、北海道のキリスト教の元高校教師が作った「悩める人々の人生の波止場」の農場の塾で過ごすことになった。色々悲惨な経験をしながらも、北の大地でたくましく生きる人々と出会い、朝4時起きで、聖書を学び、食事を作り、農作業をする日々を過ごした。

卒業式には京都に戻り、少し寂しかったが、仲間から花束ももらえてけじめがつけられた。
色々な思いが胸に去来した。楽しかった大学生活前半、いろいろな人との出会いと葛藤、就かつ失敗後最悪の日々もあったが、最後は京都に良い思い出を残して去ることが出来た。
(続く)

そろそろ、現在と近くなってきました。
アーもうこんな時間、寝なくちゃ、明日の朝が…。

偽善者 2004/10/19(火) 01:26:49
英雄Hiro。さん。
どういう展開になるのかと思っていたら、段々と良い結末に
向かっているように見えますね。立ち直りの速さが羨ましいです。

私などは、引きずる性格なので本当に困ったものです。
とある失恋体験が現在の絶望の引き金を引いた、と書きましたが、
最前その相手の女の子に偶然会って、少ししゃべることになって
しまいまして・・・。そのときは楽しかったのですけれども、
そのあと一週間以上、当時の悲しみが甦ってきてどうしようもありません。

未練がある、というのとは少し違うと思うんです。
今、その子が相手の男と別れたとしても、こちらからアプローチ
していこうという気になれるとは思えません。
もう、その子との間には透明な分厚い壁が張りめぐらされていて、
近くに見えても、もう絶対に手の届かない人であると思えます。

そういう話を他の友人女性にすると、
「辛いだろうけれど、友人としてならうまくやっていけるんじゃないの」
と、異口同音に言われます。
それはわかっています。お互いその意思はあるとも思うんです。
でも、私の側がその状況に耐えられる気がせず、どうしても逃げ腰に
なってしまうんです。
あれからもう一年以上経つのにこの体たらく。全く情けないです。

そんなわけでこの一週間は、悲しみをじっと噛みしめてました。
多少元気になってきたとは言え、その分よけいに悲哀が身に沁みます。

>自己愛がないと、隣人愛なんてありえませんね。
そうですね。
多分「自己愛」という言葉がいけないんでしょうね。「自尊心」と言えば
誰でも納得してもらえるんでしょうけど。

>恋愛は、成就?するまでもそれなりに大変だけど、そのあとに愛し続けられるか、お互いに高め合っていけるかが大切だと思います。
そういう話は私にとっては「透明な壁」の向こう側の話です・・・(苦笑)。
ただおそらく、周囲の人たちと自分を見比べる限りでは、私はたぶん
恋愛対象を探している段階で、無意識的に「そのあと」のことを考えていると
思うんです。周囲の人がどうしてそんなに簡単に人を好きになれるのか、
かと思えばせっかく付き合った相手と簡単に別れてしまえるのか、
どうしても理解できないと思っていた原因はそのあたりにあるようで。

>中高一貫の男子校です。同じなの???
話を聞く限りでは違うようですね・・・。

>男子校な割にはそれなりに女の子との接点はある人にはあったような。
こっちはむしろ、特定の遊び人グループを除いては皆無に等しかったですよ。

>女が絡むと、確かに人間関係は厄介になる。でも、本性が見えて幻滅するのはむしろ女のような気が。
わかりません。私は男なので、「女だけの社会」がどういうもので
あるのか、結局のところイメージがないのです。
ただ、確かに「女は馬鹿だ」という偏見を持っていることは否めませんね。
人を外面(≠外見)だけで判断して、目先に釣られてダメ男についていく。
それも、頭の良さそうな人までが、男の間で顰蹙買ってる無責任野郎と
仲良くしたがったりするんですから、もう理解不能ですね。
(誤解を避けるため補足を・・・。女性から見たら同様に、「男は馬鹿」
に見えるんだと思います。ただどういう点がそう見えるのかは、私には
正直わかりません。ということは所詮、私も「馬鹿な男」なんでしょうが)

そういえば最近、これまたとある友人女性に、
「人を惹きつけるものは持っているはず、でも使いこなせてない」
と論評されました。
で、「使いこなす」っていうのは一体どういうことだと訊ねたところ、
「ユニークな人間性を持ってるんだから、少数でも理解者はいるはずで、
そういう人に積極的にアピールしていけばうまくいかないはずはないのに」
と言うのですが、
「理解してくれる人なんてほとんどいない。いても大体は既に相手がいるし、
残りの少数の人も、結局友達としてしか見てくれないんだ・・・」
というと、黙り込まれてしまいました・・・。

なんか愚痴っぽくなってしまいましたね。ごめんなさい。
やっぱりいつになっても嫉妬の虫はおさまりません。
なんでみんなあんなに、望んだ相手と一緒になれるんだろう?
自分にとっては、宝くじが当たるのと同じぐらい非現実的なことにしか
思えないことなのに、それをいとも簡単に周りの人が越えていく・・・。

最近はカップルを見るだけでも精神衛生上悪くてどうしようもないので、
飲み会その他のお誘いを片端から断らざるを得なくなってしまっています。
これではますます春は遠いと知りつつも・・・。

ふぎょん 2004/10/19(火) 08:25:00
 なんとなく久しぶりに書き込みしようかと筆をとってみます。
正直話についていけないのが本音ですが^^;

 宗教についても全くといっていいほど理解に苦しみます
が、神の存在など全くもって信じていないですね。
ま、といっても神様もいてもいいと思うし、どうとも思いませんが。
 イエスなんかも人間の中で卓越した能力の持ち主にしか
すぎないでしょうし、様々な宗教的な事柄も世代を越えて
語り継がれる真実を語ったものだとしか捉えようがありま
せん。唯物的とでもいうものでしょうか・・・
まぁ、ただでさえ頭悪いので宗教観について語ること、
もしくは考えることもできなさそうなので、なにが言いた
いのかもよくわかりませんが(汗
ただ、宗教への話の展開がちんぷんかんぷんなので、
ちょっと言いたかっただけです。

また、お二方に聞いておきたいのですが、人間は本質的な
部分で理解しあえるものだと考えられるでしょうか?
人間関係は腹八分目ということをよく年配の方がおっしゃ
られるようにほどほどにするのが一番よいと考えられるで
しょうか?

自分にはどうも本音で話し合えるような友人がいなかった
ことが精神的未熟さを誘発させているような感じがして
なりませんが、どうしても人を信用できない想いから
表面的な付き合いを長く続けることが多かったですね。

 偽善者殿も言っていたように、まぁ男も女もばかでしょ
うが、深く考えることが必ずしもいいことであるとは
限りませんよね。恋愛というものは、好きだとか、価値観
があうだとかで成り立っていると考えると、あんまり
人間の中身は関係していないようにも思えます。
人間の中身というものを定義することはできませんが、、
表現があいまいですね。。

自分も英雄さんのように非常に社交的だと思われがちな
雰囲気をしていますが、これからも変わらなさそうです。
人間形成過程を失敗したような感も否めません。

さてはてなにが言いたかったんでしょうねぇ。
気まぐれにまたきます。

初めまして 2004/10/22(金) 18:45:10
はじめまして。HNを考えるのが苦手なので、また思いついたらちゃんと付けます。

ふぎょんさんの書き込みが気になったので、私が以前考えていたこと、
今考えていることを書きたいと思います。
横レスみたいになってしまってすみません。
私も、以前は宗教を信じるということがよくわかりませんでした。
中高と宗教の時間があったので、知る機会は他の人よりもあったと思うのですが…。
人生哲学とどう違うのだろう?と思っていました。

けれど、本当に落ち込んで自分ではどうしようも無い状況に陥ったことがあり、そのとき
半分寝ながら中高に聞いたことを思い出しました。
すごく大きな存在があって、その存在が今の自分を見守っていてくれるのだから
この先どうなるかということを心配する必要は無い、
ただ自分のできることをすれば良いと思うと気が楽になりました。
まだ、私自身ははっきりと何の宗教を信じている、というのはありません。知識もありません。
けれど、宗教を信じる人がいる、ということの理解を助けられるかもしれないと思って書きました。

偽善者 2004/10/23(土) 02:16:56
週末なので英雄Hiro。さんの登場を待ちつつ。

ふぎょんさん。わかりにくい話に入ってしまってごめんなさい。
ただ、一つだけ言えるのは、個人的な意見ですが、
「宗教は本来合理的なもの」
であって、現実と乖離したドグマを押し売りするような宗教は、
どんな立派な看板を掲げていようとも偽物だ、ということです。
(いわゆる「原理主義」の人たちなんかその好例ですね。
残念ながら、宗教・宗派を問わずいるんだ、こういうのが)

本来、宗教ってのは、人生、特に死生観に関わる重大な問題を
考え続けてきた古代からの知恵の蓄積だと思うんです。
ただし、昔の人は科学的な思考法ばかりに頼っていた訳では
ありませんし、坐禅みたいに「身体」から入る精神修養なんかも
積極的に取り入れていましたし、夢や幻覚体験で暗示される
イメージも、内容が奥深ければ「啓示」などと名付けて
大事にしており、「単なる錯覚」などと切り捨てたりはしませんでした。
だから、そういった文献には親しみにくい点があるのも
当然でしょうが、しかし結局のところ、人間の頭の質なんて
何千年経っても大して変わっていないのも事実です。
だとすれば、人生の重大な問題に行き当たったときは、
たかだか数百年の成果しかない近代科学だけに頼るよりは
(しかも19世紀までは科学は神学の色彩も濃いものでしたしね)
もっと長い歴史の遺産に、柔軟に目を向けても良いのでは
ないかな、と私は思うのです。

ただし、勿論注意しないといけない点はあります。
はっきり言って宗教の教典は「どうとでも取れる」書き方を
してあります。だから、それをどう解釈するかがものすごく
重要になってきます。
深い知識を持っていなくても、江戸時代の「妙好人」とよばれた人のように
充実した人生を送ることができたりもしますし、
(「妙好人」については適当に検索かけてみて下さい)
反面、浅薄な理解ではその辺のカルト教団と変わらないレベルにしかなりません。
(余談ながら、カルト教団の教義は浅薄ですけれども、
一般の人が宗教論争を挑んで論破できる程ではありません。
で、上のような過程を踏んで道を誤った人がカルトに
引っかかるということだと思います。
ちなみに、カルトといっても新興宗教に限りません。
伝統ある教団の名前を掲げていても、お寺や教会によっては
ものすごく独善的な教義に堕しているところもあります。
私はそれが嫌なので、具体的にそういう施設に出入りしていません)

>また、お二方に聞いておきたいのですが、人間は本質的な
>部分で理解しあえるものだと考えられるでしょうか?
一言で答えるなら、そう信じたいですね。
私は多くの友人や家族に支えられてどうにか生きてくることが
できたと思っています。彼らのうち一人でも欠ければ、
今頃私はこの世にいなかったでしょう。
そういう人たちとは、意見の相違は色々あっても、
お互いを信頼しているという点で、容易に切れない絆が
あると思います。そういう絆を一生にわたって深めていくことで
最後に「彼らと共にいられて良かった」と心から感じられる
ことになると信じます。そこまで来れば
「本質的にお互いを理解した」
と考えても差し支えないでしょう。

お話変わって、「初めまして」さん。
私の宗教理解も似たようなもんですよ。
ただ、私は凝り性なので本を見て色々調べたがるだけの話です。
これは単に私が学問好きなだけであって、興味ない人にとって
そういうことって必須じゃないと思います。

しかも、私は宗教的な言葉を多く使っていますけれど、
だからといって特定の宗派への帰属感はありません。
色々な教えは参考にしつつも、結局は自分が実感として
感じられた範囲で、それを信じることにしています。

もしかするとこれ、極めて「仏教徒的な」態度なのかも知れませんが。
ご存知かも知れませんが、仏教の基本教義の一つは
「自灯明、法灯明」
(自分および、確かな真実のみを人生の道しるべとせよ。
他人や権威を盲目的に信じてはならない)
ですからね。
あらゆるドグマから自由でありたい、という態度は結局
仏教そのものなのかもしれません。

英雄Hiro。 2004/10/24(日) 00:18:01
地震、大変なことになってますね。
昨日、うちの学科の同窓会名簿が送られてきました。
卒業年度が早くなっている???

NF近いようで…。
ミスコンやる見たいですね。昔うちのサークルでも私の企画した京都滋賀奈良の大学生150人旅行ツアーで最後の企画にミスター&ミスを決めたなあ。なんか去年までは続いていたのですが、今年は休止らしい。
そういうのに人集まらなくなったのかな?
NFミスコンやろうなどといっていた時期もありました。結局はチュロス売ることになったけど。


偽善者さん

>どういう展開になるのかと思っていたら、段々と良い結末に向かっているように見えますね。立ち直りの速さが羨ましいです。

実はこのあとも困難が…。(現在進行中です)
立ち直りは早くないですよ。

>なんでみんなあんなに、望んだ相手と一緒になれるんだろう?
>自分にとっては、宝くじが当たるのと同じぐらい非現実的なことにしか思えないことなのに、それをいとも簡単に周りの人が越えていく・・・。

そんなことないと思いますよ。相思相愛でバランスの取れた理想的な恋愛をしている人なんて一握り。大体どちらかの想いが強くて、もう片方は努力してそう思おうとしているうちに、色々乗り越えて情が入って既成事実が積み重なって長続きできるようになるって感じが多いと思いますよ。

ふぎょんさん

>人間は本質的な部分で理解しあえるものだと考えられるでしょうか?
>人間関係は腹八分目ということをよく年配の方がおっしゃられるようにほどほどにするのが一番よいと考えられるでしょうか?
>自分にはどうも本音で話し合えるような友人がいなかったことが精神的未熟さを誘発させているような感じがしてなりませんが、どうしても人を信用できない想いから表面的な付き合いを長く続けることが多かったですね。

若い頃は人と人とは理解し合える、または理解し合っていけるよう本音でぶつかりお互い最大限努力すべきだと思っていました。そうやって親友と思えるものも作ってきたつもりだし、一見合わない人とも付き合わなければならないフィールドにいるときは、部分的にもめても相手の人間性は信頼し続けるという行動を取ってきたつもりです。
でも、前の送られた詩にも書いてあったように、「二人が一人のような感じ」がしていても、「僕ははじめから一人だったのでしょうか?」????なのです。そう、自己が確立途上の人にとっては、分かり合える一体感というのは、実は虚構に過ぎないのかもしれません。それは、相反する個人を同じ価値観であるかのように見ようとするからです。
本当の成熟した関係というのは、人間が孤独な存在で、人と人とは完全には理解し合えないということをわかった上で、価値観の違いを認め、適度な距離感を保った上で、信頼しあえる状態ではないでしょうか。男同士の友人関係は少なくともそうだと思います。
男と女の関係は、女性は圧倒的に理解されたいという願望が強い人が多いので、男はそれをわかりつつ、うまく演じていかなければ、長く付き合う、さらには夫婦として人生を共にするなどということは難しいと思います。はっきりいって男と女は別の生き物といってもいいぐらい違う思考回路を持っていると思います。でも、お互い恋愛関係になれば、分かり合えるという幻想を持ってしまう。若いうちはそれもいいことだと思いますが。
そこで、孤独で互いに愛し合えない人間には、神からの一方的で絶対的な愛が注がれる(と思い込むことが必要)というのが、キリスト教的な考え方なのかな?

初めましてさん

>私も、以前は宗教を信じるということがよくわかりませんでした。
>中高と宗教の時間があったので、知る機会は他の人よりもあったと思うのですが…。
>人生哲学とどう違うのだろう?と思っていました。

私は、中高の創立者は明治のクリスチャンでしたが、宗教色はほとんどなかったなあ。
倫理を学んで、哲学と宗教の違いをその当時は考え理解し解決することと、信じ、または感じ(させられ)るものの違いと捕らえていました。

>すごく大きな存在があって、その存在が今の自分を見守っていてくれるのだからこの先どうなるかということを心配する必要は無い、ただ自分のできることをすれば良いと思うと気が楽になりました。

私も基本的にはそういう感じです。

又気軽にカキコしてくださいね。

ちょっと長くなったので、(続き)は次レスで。

偽善者 2004/10/27(水) 00:57:43
英雄Hiro。さん、返信ありがとうございます。

昨日、卒業間近の友人2人と飲みに行ったところ、
「最初から8年かけて卒業するつもりだったらよかった」
「この4年間、本当に最高に楽しかった」
と言われて、今日は一日激しく落ち込んでました。
私にとっては、学部4年間というのは人生最悪の4年間でしたから!
そして、これからなお事態は悪くなることも見えています。
どうして私は青春を謳歌できなかったんだろう?
どうしてみんなに憐れみを受けなければいけないんだろう?
そんなことを考えて、今日の午前中は最悪な気分でした。
頭の中で、みんなから嘲笑される声が聞こえそうな気がして・・・。
もう少しで幻聴が聞こえるところでした。本当に危なかった。
踏みとどまれないとさらに厄介な病気を抱え込むことになりますからね・・・。

>実はこのあとも困難が…。(現在進行中です)
なんと、まあ・・・(絶句)。
幸運をお祈りします、としか言いようがありません。

>大体どちらかの想いが強くて、もう片方は努力してそう思おうとしているうちに、色々乗り越えて情が入って既成事実が積み重なって長続きできるようになるって感じが多いと思いますよ。
そうだとしても、別世界の話ですよ・・・。
こちらの想いが強くても、誰も受け止めてくれませんでした。

>本当の成熟した関係というのは、人間が孤独な存在で、人と人とは完全には理解し合えないということをわかった上で、価値観の違いを認め、適度な距離感を保った上で、信頼しあえる状態ではないでしょうか。
「完全には」理解できないでしょうね。
でも、ふぎょんさんの言われたような
「本質的な部分」では理解できると思います。
それがどういうことかというと、まさにここで書かれた、
お互いが異質であることを知り、それを認めあえるという
ことでしょうね。それを認められないのは、「自己」を
溶解させて「他者」に埋没する「共依存」という
未成熟な関係でしかないと思います。

ただ、「適切な距離」の取り方は色々ありますね。
そこで非常に近い距離を取れるのがある種の友人であり、
恋人であり、配偶者であり、家族なのかもしれません。

>私は、中高の創立者は明治のクリスチャンでしたが、宗教色はほとんどなかったなあ。
あー、だいたいどこの学校かわかりました。
「男子校な割にはそれなりに女の子との接点はある人にはあったような」
というのがヒントになりましたね。
その学校から京大に来る人って珍しいでしょう。
少なくとも、私の知人にはいませんでした。

ちなみに、私の出身校は(私の推測が当たっているならば)
そちらの学校と親の転勤なんかでお互いに転校で行き来
できる協定を結んでたと思います。これでわかりますか?

英雄Hiro。 2004/10/30(土) 01:09:25
今日は夜のお仕事は休み、連休なのに予定がない…orz。(←これってはやってるの?ちょっと使ってみた)
他と比べて1レスが長くて、スクロールが大変になってきた〜。

偽善者さん
>私にとっては、学部4年間というのは人生最悪の4年間でしたから!
>そして、これからなお事態は悪くなることも見えています。

本当にそんなに4年間が最悪だったのですか?そういう人も多いのかな?大学って多くの高校生が期待しているほど素晴らしいところではありませんね。少なくとも受身では。年齢的には一番輝ける時期だと思いますが。私も、今でも後悔はいっぱいあります。

出身校、想像つきます、たぶん。高1のとき転向してきた奴がいきなり実力2番とか取ってみんなびびった記憶が。お笑いを強要されてた。

(続き)
実は北海道である女の子と仲良くなって、一時的に突き合ったような付き合ってないような関係になった。私は前の彼女のこととか引きずっていたので、色々話して励ましてくれた。でも、ついつい比較してしまって本気では愛せない自分がいた。結局実家に帰ってきてから何回か会って自然消滅。
一方、家業は法的にも将来性がなく、本来はもっと小規模にしなければならない厳しい状況で、追い討ちをかけるように母は癌になった。精神的にも家業の責任と私のことで、ちょっとおかしくなっていた。癌はとりあえず手術をして摘出、私は病院への送り迎えなどをした。一応、職もないので家業の職員となり、色々母の代理を務めた。経理の人からは反対されたが。
法的なこと、母の健康状態、土地の問題など、解決の糸口がつかめない問題が山積していた。職員もほとんど女だし、いまいちコミュニケーションもとれず、自分の立場も中途半端な感じで、現場はあまり入っていけないし、事務的なことも漠然とした問題を抱えているだけで、実質はそんなに仕事はない。
本来はは夢に溢れる仕事なのだが。
そして、先日も閉める方向で話したりした。でも、母も決断力が鈍っているし、結局小規模だとやっていけないので、今のまま違法で続けるという惰性がずっと続いている。職員は本来はうれしいことなのだが、全員残りたいというし、でも、土地や設備を買う金はないし、何か策はないかと悩みながら、悶々とした日々を送っている。
ちなみに私は夜バイト(塾講)もしているが、合わせても大卒初任給より少ない。
勿論、専攻に関係した一般の就職という線も考えている。某試験に1次は受かったが、面接でだめだったりした。中途半端な学歴のよさと、留年、何もしてない時期、年齢がネックになっていることも否めない。
たまにはフォーラムとかにも参加して専攻の情報も仕入れているが、夢みがちで狭いものなので、ちゃんとした機関に入らないと今の日本では難しいだろう。でも、確実に21世紀はその時代が来ると信じているが。
希望と現実と絶望の狭間で、無力な自分がもう一度輝ける日々を取り戻せるのだろうか。終わりなき旅は続いていく。(完)

偽善者 2004/10/31(日) 01:14:17
英雄Hiro。さん、ついに連載完結(?)お疲れ様でした。
そうですか・・・。ものすごく大変な状況なのですね。
自分の問題だけでなくて、家族の健康問題や経済的な問題まで絡んでくるとは。
私の近くにもそういう人がいます。
実は先日会って強烈な刺激を受けたという人が(9/15以降の書き込み参照)
そういう境遇の人でした。

そういう人と引き比べれば、自分の悩みなど大したことはない。
ただそうであっても自分にとっては深刻であることにはまた変わりがない。
そんな弱さがただ情けなくて悲しくて仕方がないです。

>本当にそんなに4年間が最悪だったのですか?そういう人も多いのかな?大学って多くの高校生が期待しているほど素晴らしいところではありませんね。少なくとも受身では。
高校生のときは、普通の人がするみたいな期待はしてなかったですよ。
むしろ、禁欲的に自分の道を突き進むのみ、その他のことは全て
成り行きまかせだ、そういう風に考えてました。
だから、決して受け身で過ごしてたわけではないです。
むしろ、自分の怠惰さに呆れつつも、目指す方向に向かって自分を
奮い立たせようとしてきましたし、色々な方向に目を向けようとしていました。

しかし、それで突き進めればよかったのですが、そうは行かなかったのです。
私に対する「他人からの評価」が余りにも低いことを痛感させられ、
その度にどんどん自信を失っていき、意気消沈して無気力になり、
その挙げ句に数少ない長所までも失ってしまったのです。

>年齢的には一番輝ける時期だと思いますが。
少しも「輝ける」ことなんてありませんでしたよ。あらゆる意味において。
というより、みんながこんなに「青春を謳歌する」ことに必死になって
いるとは思いもよりませんでした。

元々、恋人がいるとかいないとかは、全て偶然のなせる業だと思ってました。
一部の遊び好きな人はそういうことに一生懸命になるだろうけれど、
普通の人はそういうことでガツガツしたりしないし、付き合ったとしても
かなりプラトニックで慎ましやかなものだろう、とね。
ましてや、恋人がいるとかそういう体験があるとかそんなことで
他人の価値を測ったりなど、そんな奴はごく一部だと信じていました。
仮に世間ではそういうのが一般的だとしても、旧帝大ともなれば
いろんな意味でしっかりした考えの人が多いだろうと、
そういう風に素朴に信じ切っていたのです。

勿論、これは事実とは正反対と言って良いほどかけ離れたことでした。
結局、「青春を謳歌する」ことの価値というのはつまるところ、
恋人を作って一通りの経験をするといったような、まったく身も蓋もない
意味しかなかったのですね。
そのことに気づいたときには、もう全てが手遅れでした。
現実がそれほど身も蓋もなく残酷なものだとは想像すらしていませんでした。
根拠なく楽観した私は限りなく愚かでした。
「年齢的に一番輝ける時期」を、内的な苦悩だけで遣い果たして
しまったのです。それが「馬齢を重ねる」ことだと知ったときには
もはや全ては過ぎ去ってしまっていたのでした。

被害妄想ですか。そうかもしれません。
でも、何がおかしいのか、もはや私にはわからないのです。
私のこの4年間を振り返って、どこが間違っていたのか、どう考えてみても
事実はなるべくしてこうなった、そうとしか思えないのです。
(実はその経緯を詳しく書いてみたのですが、とても一回の投稿に
収まる量ではなくなってしまったので、載せるのはやめておきます。
リクエストがあれば、今後の書き込みに少しずつ載せていきますが)

>でも、ついつい比較してしまって本気では愛せない自分がいた。結局実家に帰ってきてから何回か会って自然消滅。
ああ・・・、それ、わからなくもないですよ。
私も「破滅」以来、女の子と親しくなる機会はむしろ以前より多くなりました。
その中には、こちらがその気になればいけるのではないか、と思えることも
何度かはありました。
それまでは、デートしたことすら数えるほどしかなかったほどなのに、
全く皮肉なものです!

でも、どうしようもないんですよ。
「親しくなる」機会はあっても、こちらの側にその気がない。
何度か、心が動きかけたこともありました。
しかし、数日経つともうその気持ちも元気なく萎んでしまう。
仮にその相手と付き合ったところで、その後どうしたいのかが何もない。
それを考えれば全てが空しいことは明らかでした。
もしかすると、もう誰を愛することもできなくなってしまったのかもしれません。

最近、人と話していて気づいたんです。
決定的に自分が人間嫌いになってしまったということが。
そうだとしたら、これほど空しいこともないと思いますが。
いったいどうしてしまったのでしょうね・・・。

英雄Hiro。 2004/10/31(日) 03:58:36
最近土日の生活が昼夜逆転気味で中身がないときが結構あってこまったな〜。


偽善者さん

>しかし、それで突き進めればよかったのですが、そうは行かなかったのです。
>私に対する「他人からの評価」が余りにも低いことを痛感させられ、その度にどんどん自信を失っていき、意気消沈して無気力になり、その挙げ句に数少ない長所までも失ってしまったのです。

私は、大学時代は自分を評価してくれるフィールドにばかり居場所を求めて、本当に評価されない中で努力することから逃げていた気もします。
そして、社会の表面的な評価に、追いついていない自分の未熟さを感じました。
今は、ほとんど評価されてないですね。逆に、人も評価してないかも。
長所は、認めてくれて伸ばしてくれる環境が確かに必要でしょうね。

>ましてや、恋人がいるとかそういう体験があるとかそんなことで他人の価値を測ったりなど、そんな奴はごく一部だと信じていました。
>仮に世間ではそういうのが一般的だとしても、旧帝大ともなればいろんな意味でしっかりした考えの人が多いだろうと、そういう風に素朴に信じ切っていたのです。

恋愛については、なかなか人それぞれあって難しいと思いますが、近年は、それを取り巻くメディアやマーケットが先行して、それに価値観を作られてしまった人間が、ステータスとして恋人や、経験を求めるというのが多くなってちょっとうんざりするところもあります。なんか2極化が進んでて、今後社会的にも問題になるような気もします。モテルVSモテナイみたいなのもここのスレで多いですよね。
もっと自然な感じで好きになったりしないと。
一般的に表面的に人を惹きつけるために身をすり減らすとかなんかちょっとはずしてるような気がする。勿論好きになりかけた人を惹きつける努力は自分を偽らない範囲ですべきだと思うし、その姿は傍から見て美しくもあるが。
しっかりした考えというのがどういうものか良くわかりませんが、こうあるべきだみたいのが先行するのは良くないと思うけど。
恋人を作ってこうするぞみたいなのよりは、愛すること、愛されることが出来た、出来なかったという経験は必要かなとも思います。

「内的な苦悩」も、本当はいっぱいしておいたほうがいいと思うので、それをするりと抜けてしまうのは、きっと死ぬ間際になって俺の人生なんだったんだみたいになることが多いと思います。それは、人間という生き物の生きた証ですからね。ただ、苦悩から抜け出せなくなるとつらいだけの人生になってしまうので、悲劇的な結果になることもありますが。
「馬齢を重ねる」ではないと思いますよ。少なくとも現実を生きている限りでは。

>もしかすると、もう誰を愛することもできなくなってしまったのかもしれません。

これはつらいですよね。私も恋愛的には誰も愛せないような気もします。表面的には出来ても。
まわりも結婚とか最近多くて、そこまでの関係を作り保っていくのが面倒くさいが、責任もって支えあえるものがほしい部分もあるが。
宗教的な愛を保って生きたいとも願うのですが、現実はなかなか出来ないですね。

>決定的に自分が人間嫌いになってしまったということが。

井上靖かなんかで「私には人間嫌いの血が流れている」とか言うのを思い出してしまいました。
空しい事ではないかもしれないですよ。いや、空しいけどそういうものじゃないですか。
私も人好きですが、人間(という生き物)が結構嫌いです。

ふぎょんさん、初めましてさん、その他いろいろな人、適当にカキコしてくださいね。

偽善者 2004/11/01(月) 00:25:56
>私は、大学時代は自分を評価してくれるフィールドにばかり居場所を求めて、本当に評価されない中で努力することから逃げていた気もします。
いや、私だってそんなに厳しい場に身を置いたつもりはないんですよ。
どちらかというと、居心地良さそうなところを選んだつもりでした。
にもかかわらず・・・、なんです。

>長所は、認めてくれて伸ばしてくれる環境が確かに必要でしょうね。
それは本当にそうですよ。
「育ちの良さ」といいますか、幼少の頃から良い教育を受けている人には
どうしても勝てない面があります。どういう分野でもね。
で、本人がそのありがたみを自覚してないで、そのアドヴァンテージを粗末に
扱ってたりするもんだから、本当に腹立たしいというか歯がゆいというか。

>近年は、それを取り巻くメディアやマーケットが先行して、それに価値観を作られてしまった人間が、ステータスとして恋人や、経験を求めるというのが多くなってちょっとうんざりするところもあります。
というようなことを言ってくれる人が私の周囲に欲しかったですよ。
所詮私が何を言っても「負け惜しみ」としか受け取られなかったわけで。

>なんか2極化が進んでて、今後社会的にも問題になるような気もします。
問題になってほしいものです。というか、もし私が将来的に社会的に高い地位を
得たなら、必ずや問題にしてやります。私をいじめ抜いた世の中に復讐してやる。

別に恋愛だけじゃないですよね。仕事ができるとかできないとかでもそうです。
我々、今の若者は「個性の時代」とか言いながら実際は「規格品」としてしか
期待されてません。「即戦力」にならなければすぐにゴミ箱にポイ、です。
それじゃ引きこもりやパラサイトシングルやニートが増えるのも当たり前ですって。
個々人の能力を評価するために努力を払おうとしない世の中が悪いんです。

引きこもりとかの人に「働け」とか「甘えるな」とかいう声もありますけど、
むしろそんなこと言ってる奴には、お前らが彼らをそこまで追い込んだんやろ、と
言いたいですね。そうやって社会の抑圧性を無批判に迎合して肯定した奴が
彼らの意欲を削ぎ、人生を惨めなものにしてしまったんだ、と。
だったらお前らが責任もってあいつらを支えてやれよ、って思います。

>一般的に表面的に人を惹きつけるために身をすり減らすとかなんかちょっとはずしてるような気がする。
>(略)
>しっかりした考えというのがどういうものか良くわかりませんが、こうあるべきだみたいのが先行するのは良くないと思うけど。
「しっかりした考え」というのは、「自分を偽らない」というような
最低限の気概のことですね。最近の人は、「恋人がいる」という見栄とか
もっと言えば体が目的とかで、自分を安売りしてるようにしか見えないです。
これは仕事のことでも一緒なんですけどね。金のために労働力を売るのは
構わないけれど、魂までは売りたくないですよ。
就活のことを調べれば調べるほどうんざりします。どうして企業の人事担当者って
ここまで人を見る眼がないんだろう。そしてみんな、そんなアホに媚びるんだろう。
あんな奴隷市場みたいなところによく嬉々として入っていけるもんですね。

そういう構図が見えてしまった私としては正直、「普通の」企業には就職したく
ないし、またできる気もしません。研究職か教職か、そんなんしかないだろうなあ。

>「内的な苦悩」も、本当はいっぱいしておいたほうがいいと思うので、
とはいえ、自分に責任のないことで悩むのは自虐にすぎないですからね。
私の学部4年間というのは、ひたすら自虐に自虐を重ねただけだったんです。

>宗教的な愛を保って生きたいとも願うのですが、現実はなかなか出来ないですね。
難しいですね。「宗教的な愛」ってのは正直余りよくわかりませんけれど、
「こんなしょうもない自分のために頑張る気はしない」
「しかし、他人が不幸であれば本質的に自分も不幸であろう」
「だから、自分のため=他人のためという自覚を持って頑張ろう」
「逆に、他人のためにこそ自分を大切にしよう」
というような考えのことだったら、確かにそれは正しいと思います。

だけど、人間嫌いになってしまったんですよね。根本的に。
自分をいじめた人間に「愛」を向けられるものなんでしょうか。
やっぱり究極の理想は「汝の敵を愛せ」っていうことなんでしょうけれど、
そんなことできる気はとてもではないが、しません。

そもそも、「他人のため」って具体的には何なんでしょう?

・・・と書いてると、私の4年間の総括を書く場所がなくなってしまいました。
とりあえず送信します。

なんか私と英雄Hiro。さんばかりで語ってしまってごめんなさい。
他の方も書き込んで欲しいです・・・。

billybean 2004/11/01(月) 03:23:07
俺みたいにかなり未熟(年齢は上と思うけど)な者が、
ここに書いていいのかな、と思ってましたが、
他の方も〜とあるので。

>別に恋愛だけじゃないですよね。仕事ができるとかできないとかでもそうです。
我々、今の若者は「個性の時代」とか言いながら実際は「規格品」としてしか
期待されてません。「即戦力」にならなければすぐにゴミ箱にポイ、です。

この辺りのことはよく分かるし、思ってる人もきっと多いんですよ。
ただ、あんまり声を大にして、自分のほかの大事なものを失うのが怖い、
あるいは、そこまで強く思ってるわけじゃなかったり。

ただ、ご自分の意志でそういう事に賛同されてないんなら、
別に気に病むことはないと思うんですよ。時代の流れなんて、
確率変数みたいなもので、コントロールはできないし、
それ自体には深い意味もないと思うし。
ただ、時代に合った生き方を出来る方が有利だし、
元々そういう気質の方の方が、圧倒的に生きやすいのは確かですよね。

よく思うんですが、結果だけを見て、その人をとやかく言うのは、
俺もあまり賛成ではないです。というのも、色んなノイズが入って、
その人がどれだけ出来たか、って事だけを見るのは、
ほぼ不可能に近いからです。能力とかもある種運というか。。。

自分の力で変えた部分、元の状態からの変化分、
なんかが本当に評価される部分なのかな、とは思います。
あんまりそういう見方が流行らないのは、一つには、
全てに余裕がないからだと思うんです。ですから、
ご自分を冷静に見るめる余裕を持つことを、
むしろ誇りに思ってもいいと思います。

ただ、そうは言っても、現実は現実です。
評価されたいと思うなら、その評価軸に沿わない限り、
遠回りを強いられるだけだと思います。

そういった事はどうでもいいからこそ、価値を見出さないからこそ、
涼しい顔をして受け入れる、という選択肢もあると思うんです。
例えば、恋愛の経験数を競うのが〜ってとことか。
あまり余計なことで消耗すると、本当の大舞台で、
力を出せるだけのスタミナが残らない、という事も有り得るでしょう。
価値を見出さない事だからこそ軽く合わせる、
こういう考え方も視野に入れてみてください。

初めまして 2004/11/01(月) 11:22:16
御無沙汰しています。
ちょっと書き込みがしたくなったので…

偽善者さんの
>仮に世間ではそういうのが一般的だとしても、旧帝大ともなれば
>いろんな意味でしっかりした考えの人が多いだろうと、
>そういう風に素朴に信じ切っていたのです。
という考え方を、私も大学に入るまでは持っていました。
議論だとか、明治・大正・昭和初期の学生のようなことを
そのまま今でもできるんだと思って、入学が決まった時はうれしかったです。
けれど、入ってみてから違うんだと気付きました。
世間知らずだったのかなと思います。
けれど今でも、青春を謳歌するというのは恋人を作って云々とは違うものだと信じたいです。

この前ここに書き込んでから、キリスト教の愛について
教えてもらう機会がありました。
自分(一人一人の人)が、大切な存在であるということにまず気付かないといけない、
と言われました。
人を愛するとは、相手にその大切さを気付かせることだ、と。
うまく言えているのかよくわかりませんが…。

中高は仏教の学校だったので、そういう考え方を初めて聞きました。
ちょうど、誰かと付き合うということに疑問を持って悩んでいた時期だったので、
その考え方を聞いて、気持ちが落ち着くのを感じました。
英雄Hiro。さんや偽善者さんの苦悩は想像することしかできませんが、
人間ってまだ捨てたものじゃないと思いたいです。

偽善者 2004/11/02(火) 01:04:14
billybeanさん、はじめまして。

>俺みたいにかなり未熟(年齢は上と思うけど)な者が、
いや、こちらこそそれなりに年を食っている(院生ですから)のに
未熟者ですよ・・・。

> この辺りのことはよく分かるし、思ってる人もきっと多いんですよ。
> ただ、あんまり声を大にして、自分のほかの大事なものを失うのが怖い、
というより、何が一番大事かがわかってないんでしょう。過去の私のように。
自分が「ゴミ箱にポイ」されるまで、他人の思惑通りに動いていて
それを評価されていることを、「自分は価値が高い」「大事にされている」
などと錯覚しているんですよ。

>そういった事はどうでもいいからこそ、価値を見出さないからこそ、
>涼しい顔をして受け入れる、という選択肢もあると思うんです。
>例えば、恋愛の経験数を競うのが〜ってとことか。
まったくおっしゃるとおりで、それができないことが私の最大の悩みです。
というより、そういう方法があるということにごく最近やっと気づきました。
理不尽だと思うとすぐに頭に血が上ってしまうんですね。
これはずっと昔からそうで、持って生まれた要領の悪さとしか言いようが
ありません。
しつこくTシャツを着続けるライブドアの社長の気持ちがよくわかりますよ。

また、実際たとえば「恋愛の経験数を競うのが〜」という場合だと、
具体的にどうすれば良いのか、困ってしまうんです。

・経験数を増やす
→興味のないファッションに金と時間を費やし、好きでもない相手を
舌先三寸で口説き落としでもしない限り不可能(できるとも限らない)。
そんなことただ苦痛なだけだし、何より相手に気の毒だ。
死を選ぶ方がまだ楽。

・経験数を増やさない
→年齢を重ねるにつれて、ますます心ない侮辱を受けるようになる。
今でさえ堪えられない実生活上の不利益がさらに増すだろう。
それに対して怒りを爆発させずにいられる訳がない。

どうにも八方塞がりなんですね。
周囲を見ていると、賢い人はこの問題に対して
・自分に合った相手を素早く見定めて、早めにくっついてしまう
・なぜかこういう話題を持ち出されないようなオーラを放つ
というようなことでこのジレンマを切り抜けているように見えます。
ですが、とても私の度量でできることではありません。
前者は絶対無理だし、後者は想像を絶しています。

>あまり余計なことで消耗すると、本当の大舞台で、
>力を出せるだけのスタミナが残らない、という事も有り得るでしょう。
ええ、実際今がその状況です・・・。

初めましてさん。

>けれど今でも、青春を謳歌するというのは恋人を作って云々とは違うものだと信じたいです。
私は信じる気すら失くしてしまいました。
現実と理想は余りにも違いすぎます。
結局、世間知らずというか、免疫がなかったのですね。
大学で眼にした現実は、私の想像の域を遙かに超えていました。

私だって所詮は若い男です。
享楽的に生きてみたい、そんな願望は当然あります。
でも、少し考えればそんなことは軽はずみにできる訳もなく、
幸運に恵まれるか、遊びに全精力を注ぎ込む覚悟を持つか、
いずれにしても極めて稀なことでしかあるまい、そう思ってました。
そう考えたからこそ、刹那的な願望を辛うじて抑制できてたのです。

ところが現実は、殆ど誰もが私の想像を遙かに超えて享楽的でした。
というより、「恋人を作って云々」というのはもはや前提であって、
その上で何をするか、というのが悲しくも現実であったのです!
むしろ、恋人に支えられて内的な苦悩から解放され、有意義な生活を
送っている人を多く見かけ、そんなの反則だよと泣きたくなりました。

自我の砦が音を立てて崩れていきました。
もはや理性のたがをどうやって押さえつけてよいかわからない。
でも、周囲の行動規範は理解できないし、中に溶け込めもしないのです。

もはや、目の前にある現実を現実として受け取ることができない。
一体何が正しいのか、自信が持てなくなってしまい、
以後ずっとそのままです。

周囲が楽しそうに過ごしてるのを見るだけで、もう気分は絶望です。
歩いているカップルを見るだけで嫉妬の余り神経がおかしくなります。
友人が恋人を作ることも許せず、自動的に絶縁状態になってしまいます。
極端な僻みだとはわかっていてもやめられないんです。助けて欲しいです。

>人を愛するとは、相手にその大切さを気付かせることだ、と。
そこまで考える人は、もはや殆どいないのでしょう・・・。
というより私自身、こんな周囲の世界を肯定的に捉えられませんよ。
もうみんな目障りだ、どっかに行ってくれとしか思えません。
そこまで追い詰められた思考しかできないことが本当に悲しいです。

billybean 2004/11/02(火) 02:34:49
>偽善者さん

>まったくおっしゃるとおりで、それができないことが私の最大の悩みです。
というより、そういう方法があるということにごく最近やっと気づきました。
理不尽だと思うとすぐに頭に血が上ってしまうんですね。
これはずっと昔からそうで、持って生まれた要領の悪さとしか言いようが
ありません。
しつこくTシャツを着続けるライブドアの社長の気持ちがよくわかりますよ。

俺もここではこんにゃくみたいな雰囲気ですが、
普段はかなり強気&強情なんですよ。院生ってことは20代ですよね?
今からなら、変わるチャンス、むしろ変えるチャンスがあると思うんです。
普段はそういう俺がここでこんにゃくしてるのも、
自分のコントロールのあくまで一環って面がありますし。

俺の場合、なぜかファッションは元々から興味あるんですよね。
でも、ファッションだけ変えても、そんなに変わらないですよ。
俺も手当たり次第みたいのは嫌だし、そういう考えだと、
数では絶対に負ける(ってのも変ですが)んですよ。
だから、おっしゃるように、自分に合った相手を見つけるのが、
一番いいんではないでしょうか?
俺の場合、ファッションのお陰か、しばらく女性に縁がなくても、
合う人がいない、の一言で済むのは幸いでした。

もっと気楽に、手をつないだりしたいとか、
一緒に料理でもしたいとか、時にはもっと先のことも、
とかいう気持ちがあるなら(あると思います)、
それに正直に行ってもいいと思うんですけどね。

何て言うか、不安なんですよね、みんな。だから何かに認められたい。
で、今は恋愛(とも違うかも?)に、それを求める人が多いですよね。
恋愛しか興味ない人は、俺もどうかと思います。
ただ、ご自身の中にもあるはずの、さびしいとか、
誰か側にいて欲しい、とかそういう気持ちに、
あまり難しい歯止めをかけなくてもいいのでは?

俺もあまり長い文を構成する力がないので、
ここには頻繁には来ないかもしれませんが、ご了承下さい。

偽善者 2004/11/03(水) 01:47:18
billybeanさん、返信ありがとうございます。
色々鬱屈したものが溜まってるのでつい長文になってしまう
かもしれませんが、長文で返して頂かなくても十分ありがたい
ことですので、どうぞお気遣いなく。

>だから、おっしゃるように、自分に合った相手を見つけるのが、
>一番いいんではないでしょうか?
正直申し上げて、それは
「できるぐらいならやっています」
としか言いようがありません(苦笑)

気の合う相手なんて、男女を問わず殆どいません。
大抵の人と一緒にいるとそれだけで苦痛を感じてしまいます。
加えて、数少ない「気の合う女性」は全て、私がどうしようと
友人以上には扱ってくれず、他の男に取られてしまいました。
以上のごとく、現実として不可能、です。

>もっと気楽に、手をつないだりしたいとか、
>一緒に料理でもしたいとか、時にはもっと先のことも、
>とかいう気持ちがあるなら(あると思います)、
>それに正直に行ってもいいと思うんですけどね。
ええ、そういう気になったら正直に行ってましたよ。
結果は全て無残なもの(全く相手にされず)でしたが。

今はそういう気自体が起こりませんね。
理由は簡単で、そこまで濃密な関係を作りたいと思えるほどの
人が周囲にいないからです。
誰も彼も、人を見る眼がない、弱者の痛みがわからない、
他人の気持ちを考えない、そんな無神経な奴らばかり。
有り体に言えば、その類のアホと時を過ごしても気が滅入る以外
なんのメリットもないですからね。しんどいだけ。

まあ、今は確かに他人の無神経さに異常に敏感になっているのも
事実ですがね。
それほど親しい友人でなければ、私と気の合わない人間と
仲良くしているだけで激しく失望してしまうぐらいですしね。

>ただ、ご自身の中にもあるはずの、さびしいとか、
>誰か側にいて欲しい、とかそういう気持ちに、
>あまり難しい歯止めをかけなくてもいいのでは?
自分の気持ちを無理に抑圧しているつもりはありませんけどね。
それにしたところで上記のごとく、全く意味はないわけで。
誰か側にいて欲しい、といっても、誰でも良いというのとは
全く違うわけで。

英雄Hiro。 2004/11/03(水) 23:17:21
募集も終わり、ほっと一安心。

Billybeanさん
>時代の流れなんて、確率変数みたいなもので、コントロールはできないし、それ自体には深い意味もないと思うし。
>ただ、時代に合った生き方を出来る方が有利だし、元々そういう気質の方の方が、圧倒的に生きやすいのは確かですよね。

時代は、その時代に生きていることから逃げてはいけないが、結果論的に後世の人が評価すべきではあるが、深い意味は結構あるように思うのですが。
迎合するのではなく、取捨選択して意味のある流れをひきつけることは必要と思います。
京都にいると、なんか流れを感じにくくなっていたが(自分が鈍感なだけかなあ?)東京に戻ると嫌が応にも吹き荒れる流れを感じてしまう。


>よく思うんですが、結果だけを見て、その人をとやかく言うのは、俺もあまり賛成ではないです。というのも、色んなノイズが入って、その人がどれだけ出来たか、って事だけを見るのは、ほぼ不可能に近いからです。能力とかもある種運というか。。。

>自分の力で変えた部分、元の状態からの変化分、なんかが本当に評価される部分なのかな、とは思います。
>あんまりそういう見方が流行らないのは、一つには、全てに余裕がないからだと思うんです。ですから、ご自分を冷静に見るめる余裕を持つことを、むしろ誇りに思ってもいいと思います。

>ただ、そうは言っても、現実は現実です。
評価されたいと思うなら、その評価軸に沿わない限り、遠回りを強いられるだけだと思います。

現代社会の評価軸は、多様化したようでフィールドごとにはとても狭く画一化したものになっていると思います。変化分を評価するのはとても大切ですが、プラスに変化してない(と傍からは思われる)時期をもっと大切に見てあげる必要もあると思います。

初めましてさん
>議論だとか、明治・大正・昭和初期の学生のようなことをそのまま今でもできるんだと思って、入学が決まった時はうれしかったです。
>けれど、入ってみてから違うんだと気付きました。
世間知らずだったのかなと思います。
>けれど今でも、青春を謳歌するというのは恋人を作って云々とは違うものだと信じたいです。

何か、自分を表に出さないで、スマートに結果を出すのがかっこいいみたいな風潮が特に私たちの青年時代にははびこって多様な気がします。私も、そういうのに流されていたところも無きにしも非ずですが、大学時代は極力熱く深く議論や考え方を深めていこうとしていこうと思って行動をしていたし、そういうメンバーにも比較的恵まれたとは思いますが、そのために払った犠牲も大きかったかなとも思います。議論は直接的、実質的には何も結果を生まないが、その過程で無力さを実感しながらも他者から内面的変化を受け次の行動や結果につなげるには必要なプロセスなのだと思います。
今からでも、いいフィールドが見つかるといいですね。
ちなみに、恋人云々も青春の大きなファクターだとは思います。いるいないとか経験数とかではなくて人間的な経験として人を愛せるかどうかは大事だと思います。

偽善者さん

>気の合う相手なんて、男女を問わず殆どいません。
>大抵の人と一緒にいるとそれだけで苦痛を感じてしまいます。
>加えて、数少ない「気の合う女性」は全て、私がどうしようと友人以上には扱ってくれず、他の男に取られてしまいました。

>理由は簡単で、そこまで濃密な関係を作りたいと思えるほどの人が周囲にいないからです。
>誰も彼も、人を見る眼がない、弱者の痛みがわからない、他人の気持ちを考えない、そんな無神経な奴らばかり。
>有り体に言えば、その類のアホと時を過ごしても気が滅入る以外なんのメリットもないですからね。しんどいだけ。



それはつらいですね。そんなに悪いフィールドにいるのですか?
でもちょっと相手に完璧を求めすぎているのでは?自分を強く持つのはいいことだけど、自分にも他人にも理想的なものを求めすぎるとつらい生き方になりやすいですね。私もかなりそういうところがありましたが。

ふぎょん 2004/11/04(木) 01:14:01
billybeanさんはじめましてです。
別にだれが書き込みされてもいいんじゃないでしょうか
あっしみたいなアフォでも書き込んでいるわけですからw
先ほどのテレビのIQテストでも130オーヴァーでしたが、
自分では110〜120だろうと思っていたので、
やってみないとわからないこともあるもんだと改めて気づかされた
とこもありいろいろ考えさせられましたね。(アフォには変わりないですが)

Hiroさんのorzの注釈ほほえましくチェックしました
あっしも結構使ってますよ

ちょっと一気に閲覧したので、書く内容もあやういのですが
テキトーにかいていきますか。
なかなかみなさん達筆なのでまたまた困りますが・・・(汗

偽善者殿も最近では親しくなれそうな女の子が増えた
ようなことを書いていたみたいですが、推測ですが、
ある意味その当時非常に悩みこんでとげとげしたものが
取り払われたことから、そういう場面も増えたのかも
しれないですね。あるいは単純に知り合うきっかけが増えた
のかもしれませんが。
偽善者殿が女の子とどういう会話をしているのか想像も
つきませんが、必死なときほど逆効果ってことあります
よね。今の偽善者殿は前よりもより自然体になったんでは
ないかと思ってみたりします。

まぁHiroさんがおっしゃったようにこの掲示板でもモテル
Vsモテナイみたいな構造が簡単にできるわけですが、(あ
んなのはクソですね)モテるためのなにかより人が人を
自然に好きになるっていうことが一番大切なんだと思いま
すね。まーこんなのは正論にすぎないでしょうが。

あとは、人間嫌いですねぇ。ま、ここに書き込みする人は
少なからずそういう価値規範をもっている人がそうでしょうね
あっしも中学ごろには気がついたらそうでした。
中学二年生のときに担任の先生と二者面談があり、その
時先生に「自分は人間が嫌いです」といっていたことを
今でも覚えていますね。

ま、今になっては、先生もそんな中学生の悩みに答えられ
るわけもないですよねw
でも、なにを思ってか先生は、そんなあっしを生徒会役員
に推薦してくれたんだけど、あっしはそれをよしとしなか
った。それをみかねた先生は、周りの人間のせいだと
思ったらしく、先生はホームルームの時間にこういった。
「お前達は一人の人間をダメにしている。そんなふざけた
ことばっかりやっていていいのか」と、まぁよくは覚えて
ないけど。当時悩んでいたことからすれば、先生の発言
は全くとんちんかんなアプローチだったわけだが、別に
それによって人間不信感が払拭されたわけでもないが、
んー嬉しかったかな?
ま、それと同時に人間は決して他人を理解できないと
確信したわけだが。大人でもわからないことを延々と
自分は考えているのかー、みたいな風にね。
まぁそれ以外にもいろいろ出来事はあるのは当然の話
なんだが。

今日はこんぐらいにしときますか。相変わらず内容薄いのは勘弁です。
言えることは他人にはなにも求めないということですね。

ふぎょん 2004/11/04(木) 01:36:18
あぁそうだぁ。偽善者殿の話を聞いていて思い出したのが
ヴァレリーとアミアンですね。

ヴァレリーは二十歳ぐらいで絶望にいたる大失恋をした
そうですが(実は一目惚れ?会話をしたこともない?)
、それ以来文学を捨てたそうですね。
そういう経験が逆に彼の素晴らしい才能を引き出した
ということも考えられますね。その経験以前にも、彼は
素晴らしい作品を書き上げているようです。

あと、アミアン(うろ覚えかも)も「アミアンの日記」
というものがありますが、その日記の中では、40歳
まで童貞な鬱憤を延々と語っています。
まぁ40歳には童貞を卒業したみたいですが、、、(謎
そのアミアン学者である東大の仏文学者の教授も、実は
40歳近くになってもいまだ童貞だそうで、かなり共感
を持っていたんだろうと推察されます。

まぁだからなんだってんだということですが、
細かいことは気にすんな!?じゃないけど、
うーん。。。
まぁ負け惜しみとか、負け組みとかってねぇ。
確かにそれを言われて憤慨して、俺もやってやる!
と思う人もいるかもしれんが、偽善者殿にとっては
どーでもいいことだろうし、そういう連中も
結局そういう価値観しかもってないんだからどーもで
いいっちゃどーでもいいよね。

まぁうんこ君にはうんこらしい世界観があるってことだ!(謎

偽善者 2004/11/05(金) 02:20:12
沢山のお返事ありがとうございます。
書きたいことは色々あるんですが、明日があるので返信は
また金曜日の晩以降ということで・・・。
その代わりといってはなんですが、この前英雄Hiro。さんに
「本当にそんなに4年間が最悪だったのですか?」と
訊かれたときに書いた(けれど送信しなかった)文章を
半分ほど載せておきます。
一部のご質問の回答の代わりにもなるかと思います。
かなり鬱屈したものが溜まっていて暗い気分になるかと
思いますが、どうかご勘弁を。

==
私はおそらく英雄Hiro。さんやふぎょんさんとは全く逆の性格です。
社交性というものがまるでありません。基本的に「自分の中の世界が全て」
という人間です。これは物心ついた頃からずっとそうだったのです。
だから、みんなの前で話をしようとしても上手くできないし、
旅行だとかイベントだとかを企画することもないからいつまでも遊び下手だし、
集団行動をすると要領が飲み込めずに足を引っ張ってばかり。

それでも、高校までは周囲に理解のある人もいて、何とかやってきました。
いわゆる「社会が求める人材」の枠にははまらないけれど、
それは単に要領が悪くて口下手なだけで、努力もしているし誠意もあると、
わかってくれる人はわかってくれていたのです。
私自身はいつも自分のダメさを呪い、いくら努力しても周囲の評価を
変えられないことに悩み苦しんでいましたが、自己評価の低さとは裏腹に、
周囲からの私の評価は、私が感じているほど低いものではなかったのです。

それが大学に来ると、男子校から共学へといいますか、あまりの落差に
愕然とさせられました。
今までは、内面の誠意以外に人間の価値を決める基準はありませんでした。
ところが、大学では違いました。他人の前、特に異性の前で自分の個性や長所を
どれほどアピールできるか、それで評価が決まる世界だったのです。

そうすると、ファッションには興味がない、自己宣伝が嫌い、遊び下手、
要領が悪くて仕事ができない・・・、そんな私の価値は極めて低いものに
なりました。同性の友人は(年長者を主として)何人かいて、私と対等に
接してくれていましたが、もはや私は自分に何らの価値をも見いだすことが
できなくなってしまっていました。
私が必死の思いで磨いてきた数少ない長所や特技も、ここでは全く
通用しませんでした。私が精一杯駆け回ってようやくできることを、
朝飯前といった風情で簡単にこなせる人ばかり。学問の場でも趣味の場でも
それは全く同じでした。

こんな私を、誰が認めるっていうんでしょう?
私は自分の愚かさを呪いました。しかし呪うだけでやめたりはせず、
周囲の評価を勝ち取るためにますます必死になりました。
自分の信念を損なわずに、周囲との妥協点を探ろうと、毎日のように
悩み続けていました。
ところがその必死さは、かえって私の言動を滑稽にするばかりでした。
それでも、「お笑いキャラ」として何とか場の中に居場所を見つけた気に
なることはできていました。
少なくともそう信じることで、私自身はどうにか心の平衡を保っていました。

ところが実際のところ、私は孤立していたのです。少数の友人を除いて、
私を「仲間」としては受け容れてくれていなかったのです。
誰かが遊びを企画したり、バイトを斡旋してきてくれたりするときなど、
私が誘われることはありませんでした。
いや、私にはそういう事実の存在自体が知らされなかったのです。
そして、周りの人が「仲間」を形成していく中、私はあらゆる「内輪」から
閉め出され、周囲の話題にすらついていけなくなりました。
最初の頃はそれでも、年長の人がフォローしてくれたりもしたのですが、
年長の人は大学からいなくなる。それも、いい人からいなくなります。
状況はどんどん悪化していきました。(つづく)

偽善者 2004/11/06(土) 02:06:41
皆さん、返信遅くなりました。

英雄Hiroさん。

>それはつらいですね。そんなに悪いフィールドにいるのですか?
まあ、この大学の中では平均的な環境でしょうね。
ただ、みんな挫折を知らなさすぎるっていうかなんていうか・・・。
ものすごく要領が良すぎて、不器用な私にはついて行けないですよ。
そういう感覚を前に出すと敬遠されるだけだしなあ。
「なんでも上手く行って当たり前」みたいな感覚を持ってて、私みたいに
何も巧くできない人間は浮いてしまうんですよねえ。
特に、「負け組」に墜ちてしまった今は猶更です。

中高時代は有名進学校にいたけど、世間の評判とは違って、あのときの
仲間の方がむしろ要領悪くて愚直だったと思いますね。

>でもちょっと相手に完璧を求めすぎているのでは?
それはそうかもしれません。ただ、求めてるのはほぼ一つだけ、
「弱い者の気持ちになろうとするか」
そういう態度だけなんですよ。能力のない人を蔑んだり憐れんだり
するような人っていうのはどうしたっていただけない。
そういう態度が見え隠れするとどうしても気に障るんです。
特に精神おかしくして以来、最近は過敏になってますしね。
症状かもしれませんが。

ふぎょんさん。

>偽善者殿も最近では親しくなれそうな女の子が増えた
>ようなことを書いていたみたいですが、推測ですが、
>ある意味その当時非常に悩みこんでとげとげしたものが
>取り払われたことから、そういう場面も増えたのかも
>しれないですね。あるいは単純に知り合うきっかけが増えた
>のかもしれませんが。
知り合うきっかけは減りましたね。
むしろ、個人的になぜか声をかけているケースが多いです。
で、その声をかけているときには
「もしかしたらいい話に発展するかな」
という期待自体がないわけではありません、正直。
可能性は薄くても、残された機会としては非常に貴重だとも思ってます。

ただなんでしょうね、やっぱりその気になれないんですよね。
やっぱり、本当に心の底から相手の存在自体が好き、と思えるのは
そうないことですよ。確かに机を挟んで目の前の女の子と何時間も
顔突き合わせて語ってたら多少は胸もときめきますけど、
その日限り、かなあ。一晩明けたら何も残ってないですよ。

異性への関心が薄くなるのも鬱の症状だっていうけどね・・・?

>偽善者殿が女の子とどういう会話をしているのか想像も
>つきませんが、必死なときほど逆効果ってことあります
>よね。今の偽善者殿は前よりもより自然体になったんでは
>ないかと思ってみたりします。
まあー、確かに昔はそういう機会があれば、相手を「彼女候補」という
ような眼で見てしまっていたのは確かかもしれませんね。
「恋人がいない人間は価値がない」という世間の風潮がカスであるという
ことを確信できたということがやはり一番大きいのかな?
今までは「自分を守るために」必死になっていたのだろうけれど、
今後はそんなことをする必要がないわけで。

>あとは、人間嫌いですねぇ。ま、ここに書き込みする人は
>少なからずそういう価値規範をもっている人がそうでしょうね
うーん、本当は人間が好きでありたいんですよね。
元々は、無理にでもそう思おうとしていましたし、今でも
「万人を愛せない限り俺は一生浮かばれない」
ぐらいのことは思ってますよ。

今の状態は、自分を守るために仕方がないとはいえ、決して望ましい
こととは思っていません。

>ま、それと同時に人間は決して他人を理解できないと
>確信したわけだが。
うーん、正直私にはわかりません、その感覚。
みんな、「他人を理解できない」とかよく言いますけれど、
むしろ今までの経験上は、想像以上に人と人とは近づき合えるものなんだな、
という印象の方が強いですね、個人的には。
勿論、相手のことを100%理解できるなんていうのは嘘ですけれど、
意志と時間さえあれば近づきたいだけ近づけるんじゃないかと、
そう信じたいですね。

偽善者 2004/11/06(土) 02:09:17
あ、思い出したのでついでに。
こんなのを見かけたんですけど、皆さんどう思われます?

http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20041030#p1

こういう感覚が「世の中の標準」なんでしょうかね・・・。

英雄Hiro。 2004/11/07(日) 23:31:44
今日はサッカーで疲れたよ〜。ふぅ。
実は最近ちょっと天カツ中です。

>ただ、みんな挫折を知らなさすぎるっていうかなんていうか・・・。
>ものすごく要領が良すぎて、不器用な私にはついて行けないですよ。
>そういう感覚を前に出すと敬遠されるだけだしなあ。
>「なんでも上手く行って当たり前」みたいな感覚を持ってて、私みたいに何も巧くできない人間は浮いてしまうんですよねえ。
>特に、「負け組」に墜ちてしまった今は猶更です。

挫折は少ない人が多いでしょうね。要領よくて能力ある人は、もっと上を目指せばいいのにと思っちゃうけど、意外と保守的で淡々としてる。だからうまくやってるのかもしれないけど。
私は不器用の極みですね。単位取るのは要領よくやったつもりだけど。
「勝ち組・負け組」論は20代ではまだ早いかと思いますが、最近は結構実感することが多いですね。
でも、勝とう勝とうとすると、いくらやっても比較対象は上がいるわけで、キリがないと思います。個人的には、ドロー組?(成功もあるけど、負けてる部分もあって帳消しぐらい)みたいなのがいいと思いますけど。WIN&WINの法則になるような社会になるのが理想なんだろうけど。誰かが幸せになったり豊かになる分、不幸になったり貧しくなるのが悲しいかな、現実なんでしょう。

>「弱い者の気持ちになろうとするか」
そういう態度だけなんですよ。能力のない人を蔑んだり憐れんだりするような人っていうのはどうしたっていただけない。
>そういう態度が見え隠れするとどうしても気に障るんです。
>特に精神おかしくして以来、最近は過敏になってますしね。
>症状かもしれませんが。

弱い人の気持ちになるというのは難しいですね。自分が弱い立場になって、強い立場の人の善意の同情が、全然的外れな自分の優越感のうらがえしな時もあるんだと、痛感しました。結構強い立場のときは知らずにそれをしてしっまっていた自分がいました。
相手の立場に立つのって難しいですね。だから居場所を求めて集団がグループ化することでsympathyを感じているかのような錯覚に陥るのでしょう。

宮台信司のやつは、脱社会化はわかるけど、なんというか逆に経験がない人の言葉のようですね。やってない奴はいっぱいやってれば解決するような幻想に陥るけど、実際色々経験すれば、幻想は消えて、わかってくるというのはむしろ逆なような気がする。

偽善者 2004/11/09(火) 18:24:59
>実は最近ちょっと天カツ中です。
天カツって何ですか?

>弱い人の気持ちになるというのは難しいですね。自分が弱い立場になって、強い立場の人の善意の同情が、全然的外れな自分の優越感のうらがえしな時もあるんだと、痛感しました。
そうですね、そういう「優越感の裏返し」みたいなのを
向けられるとかなり癇に障ります。
私には家族に「弱者」とされる人間がいたので、もともと
そういうことにすごく敏感なのかもしれないですが。

でもまあ、憐れみでもまだましなのかもしれませんね。
最近の風潮は何でも「自己責任」で、
「弱者は勝手に死ね」
と言わんばかりですから。
先ほど引用した宮台の文章なんかまさにそれですね。

>だから居場所を求めて集団がグループ化することでsympathyを感じているかのような錯覚に陥るのでしょう。
なるほど、それって言い得て妙ですね。

>宮台信司のやつは、脱社会化はわかるけど、なんというか逆に経験がない人の言葉のようですね。
そうですか・・・。そう聞くとほっとするなあ。
実は宮台とか上野千鶴子ってのは私の中で「社会の嫌な部分」の
象徴なんですよ。こいつらの意見を読むとはらわたが煮えくりかえって
本当に殺してやりたくなるんですが、それでも一番笑うのが
こいつらなのかな、こういう奴らが今の社会で求められる
「勝ち組」なんだろうかな、って。

というのは、この二人はやたらと
「コミュニケーション能力」
ってことを言うんですね。
そしてことあるごとに「もてない男」を蔑む。理由は
「もてないのはコミュニケーション能力がないからだ。
そういう奴は社会に出ても使えない」
とか。上野千鶴子なんて、「もてない男」というそのままの
題名の本がでたとき、「オナニーして死ね」(原文ママ)とまで
暴言を吐いたんですからね!

こんな奴ら人間的に最低だと思うんですが、世間の評価は
低くないし、何より就職関連の情報を集めてると
「社会ではコミュニケーション能力が求められる」
とか、判でついたようにそんなことを言われる。
そんなん聞いてないよって感じです。今まで色々と努力
してきたのに、よりによって俺の一番苦手なものを
物差しにして人間の価値が測られるっていうんですか!

「勝ち組・負け組」論が早いなんてことないですよ。
ここまで如実に示されたら、自分が負け組であることを
認めざるを得ません。
普通の生き方で普通の幸せを求める道は閉ざされました。
あとは、負け組であっても分け隔てなく接してくれる
数少ない人と共に細々と生きていくしかないんでしょうね、どうせ。

あーあ、生まれた時代が悪かったよ。

英雄Hiro。 2004/11/10(水) 23:22:41
受験生の社会教えられるかな〜?

偽善者さん
>天カツって何ですか?
カツの天ぷらじゃないですよ。リクナビNEXT登録してみたといったらわかるかな?

>最近の風潮は何でも「自己責任」で、「弱者は勝手に死ね」と言わんばかりですから。

完全自己に責任が持てる人なんてそんなにいないよね。責任感を持つことは大切だけど、自己責任とか言う一方で失敗を恐れずチャレンジしろとか言うのは矛盾だと思う。
特に青年期は、社会で自立するには背後に受け入れてくれ、旅立っていく母性的社会への安心感と、立ちはだかる父性的社会での信頼関係があって、初めて立ちはだかる壁へ向かうエネルギーが出て、死を乗り越えて成人になれるのだと思う。
青年期の自立については、【昔話とこころの自立】という本が良かったですね。3度の反抗期の波、特に青年から成人へと変わる、第三次反抗期(社会への反抗、生きる目的を見つけるための反抗)の重要性が書かれています。人はいつか死ぬのだということに対する哲学的宗教的解決(臨死体験と無私)、守るべき愛の対象(若い女性、結婚)、師匠(父性)を超え、大人社会への仲間として迎えられることが出来るのです。現代は、それが難しくなっているのでしょう。
「弱者は勝手に死ね」と、大人社会が青年を切り捨ててしまえば、本当に死んでしまうかもしれないのが青年期なのです。現代日本のような未成熟な大人社会では、この第三次反抗期を受けてたっていけなくなっているし、青年も