京都大学ポータルサイトサイトマップ問い合わせ

談話室

ホーム > 談話室 > 議論 > 21世紀、日本の教育

21世紀、日本の教育


1. 似非理系 2002/04/30(火) 09:49:34
優良スレの増加のために、似非Presenterを演じる試み。
他のスレ、例えば階層化社会スレや労働市場スレなどを読んで思ったのだが、
日本の直面している様々な問題の根源が、かなり教育問題に行き着くように感じる。
そこで、21世紀日本の教育のあるべき姿について論じてみたい。
以下に主な5つの論点と、それに対する私見を掲げるので、
それに対する反論や、更なる論点の提案を希う。

論点1 ゆとり教育は是か非か?
私見・非
フリーターの増加は近年の「ゆとり教育」にあると考える。
ゆとり教育とは、「本人の学びたいこと」のみを教え、
本人がいやがるようなことは教えない教育である。
いわば、物理の得意な人間に、物理を教え
将来の「アインシュタイン」を育てるような教育である。
しかし、この教育には重大な欠陥があり、誰のためにもならないと考える。
なぜなら、本当に学びたいことのある優秀な人間は
わざわざ学校で人に教わるまでもなく自分で勉強するため、
彼らに「学びたいことを学ぶ教育」は必要ない。
逆に、何も「学びたいこと」のない人間は学ぶことそのものを拒否してしまう。
結果、技能も知識もない人間が大量生産され、フリーターになるしかない。
また、たとえ学びたいことのある人間でも、自身が大成するためには
倫理や哲学など、敬遠されがちな知識が必要になる。

私は、教育の本質は「本人が学びたがらないようなことを教える」ことにあると考える。
いわば、「アインシュタインに倫理や文学を教える教育」である。
周知のように、アインシュタインは原爆の惨劇を見て平和の倫理、思想などに目覚めたが、
もし仮に原爆投下前に彼が倫理や思想を備えていれば、原爆投下は阻止できたかもしれない。
また、何も学びたがらない人間にも国語や数学を教えておけば、
将来きちんとした職に就くのに必ず役に立つであろう。

論点2・選別教育は必要か?
私見・「限定的な飛び級」以外は不要
選別教育は上記の「やりたいことを延ばす教育」と不可分であるが、
「本人が学びたがらないようなことを教える」ことが教育の本質である以上、
あまり過度に選別教育を勧めるべきではない。
私は「優秀な人は自主的に学ぶ」と考えるので、
「自主的に学べる環境」を整えることに留めるべきではないか、と考える。
その点で、高校生が大学の授業に参加できるようにする、というのは有益だが、
かといってその生徒を「飛び級」によって完全な大学生にしてしまう、というのは疑問。
なぜなら、現状の大学の教養教育では彼に幅広い知識を与えることはできず、
「物理しかできないアインシュタイン」を生み出してしまう恐れがある。
よって、高校生の身分で高校の授業を受けながら、大学の授業も受けられるシステム
にするべき。

2. 似非理系 2002/04/30(火) 09:50:21
論点3・文系に数学は必要か?
私見・必要
京大はまだ大丈夫だが、最近の文系私大では数学を入試で課さないところが多い。
ゆえに、受験校等でも数学軽視の流れが広がっている。
しかしながら、数学というのは論理的な思考を養うのに必要不可欠であり、
文系だから数学は必要ない、ということはあり得ない。
いわば数学は、人間の脳みそにとっての「ウィンドウズ」的な役割を果たしているのであり、
「文系だから数学は必要ない」というひとは
「インターネットをやるだけだからIEだけあればいい、ウィンドウズはいらない」
と言っているようなものであり、馬鹿げている。

論点4・愛国教育は必要か?
私見・必要
こう書くと右翼・左翼の議論に陥りがちだが、本来の愛国心とは右翼・左翼を超えた
ところにあると考える。なぜなら左翼の批判するような政治家・官僚等の「無責任体制」は
愛国心の欠陥に起因することが大きく、「無責任体制」を打破するためには
「愛国心の回復」を主張することなしにはあり得ないからである。
実際、左翼でも本田勝一とかは「自分は愛国者だ」といっているくらいだ。
具体的にどう教育のカリキュラムに組み込むかの案としては、
「自分が祖国にいかに支えられているか」ということを教え
さらに「自分が祖国に対しどう貢献できるか」という問い掛けをする授業を行ってはどうか。
いわば、「国家があなたに何をしてくれるかを問うのでなく、
あなたが国家に対し何ができるかを問え」というケネディの言を体現する授業である。

論点5 公教育の再生は必要か
私見・あえて公教育を破壊することも必要かと。
上記の愛国教育ともかぶるが、今の日本人は「自分がどれだけ国家の恩恵を受けているか」
について教えられていない。その恩恵を実感するためにも一回公教育を
捨ててみたらどうだろうか?

日本の小中学校はかなり税金がつぎ込まれ充実していると思う。
学費・教材がタダであるだけでもかなり結構なことだが、
それに加え教育とは直接関係ない学校給食だってかなり税金の補助が入って
一食150~200円程度で済むようになっている(地域によって違うのかもしれないが)。
これだけ恩恵を受けているのにもかかわらず、
似非労働組合である日教組に牛耳られた公教育現場では
「あなた一人を一人前にするのにこれだけ税金がかかっているのよ」
とは教えず、「国家はあなたのような弱者を虐げようとしている」と洗脳する。
結果として、自分一人の力で一人前になったと勘違いした無責任人間が生まれる。
このような人間を増やさないためにも上記の愛国教育は必要だが、
皮肉なことに、それを実現するには私学より公立学校の方が多分困難。
私学にも左翼高校はあるが、学校を自由に選択できる文だけマシ。
それに、似非労働組合よりむしろ民間企業のトップの方がよっぽど正常な愛国心を有している。
彼らにいっそのこと学校を任せたら如何か? その場合、税金から補助金を出しても
よいと思うがどうか?(いわばアメリカのチャータースクールにあたる)

3. 入り浸り [E-Mail] 2002/04/30(火) 10:29:14
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200201/02010020.html

↑これとかどうよ

4. 似非理系 2002/04/30(火) 10:50:29
>入り浸り
当初はそっちに書き込もうと思ったのだが、
教育の問題は多岐にわたり、それ専用のスレがあったほうがいいかな、と思った次第。

5. 蜻蛉 2002/04/30(火) 13:28:20
とりあえずゆとり教育についてだけ、個人的な意見を述べさせていただきます。

今日、「学力低下」が叫ばれていますが、これは学ぶ内容の多い少ないではなく、学ぶ内容に対する興味や関心の有無が原因であると考えます。こういう点で、今の学習内容削減を理由とした、「ゆとり教育」批判はおかしいと思うのですが、仮に、「ゆとり教育」から「詰め込み教育」に戻したら、学力低下が改善されるかといえば、そうではないと思います。むしろかえって学習に対する意欲、関心が失われるのではないでしょうか。たしかに読み・書き・そろばんは将来も頻繁に使う能力なので、詰め込まなければならないでしょうが、それ以外は詰め込む必要があるのかな、と思います。
フリーターの話が出てきましたが、「詰め込み教育」で詰め込めない子供(勉強が嫌いな子供)が出てきて、フリーターになる、とも考えられると思います。
少し話はそれましたが、学力低下は関心、興味を引く授業をすれば改善されるのではないか、と思います。
似非理系殿のおっしゃるような、
>何も「学びたいこと」のない人間は学ぶことそのものを拒否してしまう。
>教育の本質は「本人が学びたがらないようなことを教える」ことにあると考える。
これらは教育のシステムの「改悪」によるものだ、ともいえるかもしれませんが、それよりも、教師の能力が重要なのでは、と思います。

自分はゆとり教育は賛成の立場にあるのですが、今なされているゆとり教育は、なんだか周りの批判に押された不完全なものであるような気がして、いいものとはいえません。勉強は確かに大事ですが、勉強至上主義に走るのはいただけません。
ただ、今の学校は論理的思考力を養う授業をしてくれるか(特に国語)というと、そうではないと思うので、ゆとりor詰め込みの議論以前に、そのへんから変えていかなくてはいけないかもしれません。

少し言葉足らずなところがあるかもしれませんが、いかがでしょう?

6. バウンド 2002/04/30(火) 15:17:20
教育の現状についてはあまり詳しくないので
現在の体制に対しての比較はできないのですが。

1.基礎教育(おそらく中学終了までかあるいは高校も含む)においては
・社会に出て必要となる(持っていたほうが便利な)知識技術を教える
・様々なことを(半ば)強制的にやらされる中で、
 自分の興味のある分野を見つけたりなど将来への広がりを作る
・平均的な人間を作る
ことが目的であると考えます。
いわゆるゆとり教育については、「なぜ減らしたのか?」が重要だと思います。
「学習意欲が低下しているから」ならば、ゆとり教育は批判されるべき(後述)
「社会情勢の変化(あるいは昔からでもいい)で
まったく使わなくなり、なおかつそれを学ばなくても専門的分野への興味を
促進することに弊害を与えることはないような部分のみ削った」のならばOK。
(国語の授業は本当に変えてほしい。悪い方向にしか
働いていないと思うんですけど)

2.高等専門教育(大学)においては
基本的に専門分野を中心に学べばよい。

というところです。以下補足
「学習意欲の低下」は
・昔よりも、手軽に手に入り興味を引くものが格段に増えた
・技術の進歩によって、「学問の喜び」が得られにくくなった。
に原因があると思います。
前者はゲームやテレビなど魅力的なものが増えたってことです。
後者はたとえば、昔であれば少し物理や工学を学べば、身の回りの
電化製品の構造を理解することもできた(伝聞です)が
今では自分が普段接しているようなものの中には
専門の大学院まですすんで、ようやく仕組みを理解できるようなことが多い。
どちらにしろ「学習内容の削減」の理由にはなりえません。

愛国教育についてですが、「国家の重要性や個人の義務」について教えるのが
重要であると思います。
しかしそれは「自分にとって国家という機関がいかに有益か。
自分は国家によってどんなにたくさんの恩恵を得ているか」
を教えるだけであって、政治家官僚等の無責任体制は崩れないと思います。
政治家官僚等の無責任体制をどうにかするには
・ある種の共同体意識(国=自分という感覚)を持たせる
・絶対に責任を取らせるようなシステム・法整備と有権者の監視
が必要であって、前者を人為的に高めることは無理だと思っています。

いわゆる歴史教育で教えることができるのは
事実(に近い真実)と「善悪というレッテル」だけであって
日本はこういう良いことをやった
日本はこういう悪いことをやった
ということを教えたとしても共同体意識は育ち得ないと思います。
変な例ですが
本当に小さいころからウ○トラマンをみて育った子供は、
ウ○トラマンに愛着を持ち
ウ○トラマンが好きになり
ウ○トラマンを応援するでしょうが、
小学生になってから学校の授業で「ウ○トラマンは正義の味方だ」と教わっても
ウ○トラマンを心から好きになったりはしないでしょう。(本当に変な例だ)

7. Participant 2002/04/30(火) 19:42:06
似非理系氏の提示した論点に対する直接的回答ではないが、私が実生活に体験している「教育」に関連して、思うところを述べてみたいと思う。

京大は自由な学風があると言われそれがこの大学の特性であり良さであるが、それを可能にする背景を探ってみると、決して自由を保障する制度がこの大学に存在しているという訳ではない。
実際のところは、「大学における修学制度の隙間」が利用されているというだけの事である。
これを抽象的に表現すれば、「没制度的秩序の自律機能を妨害しない、邪魔にならない形で制度が存在している」と言える。
政治・経済学の用語で言えば、「夜警国家モデル」に相当する。

これは『制度』という問題を考える場合に常に頭の片隅に置いておきたい事だ。
つまり、『制度』というものについて考える場合に、制度内における緻密な機能性や合理性ばかりを考察の対象とするのではなく、ひとつ次元の高いところに立って、制度の領域外に存する『没制度世界』の機能にも配慮するという余裕を持たねばならないという事だ。
とは言っても、そもそも『没制度世界』の秩序・機能なるものは非記述的なものであるし、その本性によって論議対象外になり易い。
よって、その重要な機能に拘らず、加熱した論議の中ではその存在が見失われ易い。
そういう訳で、私は『没制度世界』の柔軟な機能を見失わないように注意を喚起する次第だ。
早い話、私の論旨はリベラリスト的主張な訳だが、しかし、特に教育に関しては、分かりきった事と言われるのを承知で、やはりこの事を確認しておきたいと思う。

こういう考え方であるが故に、私は教育制度再編に関して積極的な実際意見を持っていない。
ただ、今日の『ゆとり教育』なる構想が実際的・建設的構想などとは思えない。
そもそも「制度的にゆとりを供給する」などというものは、結局、制度を制度で補填するだけのものでしかなく(包帯を巻けば怪我が治るというものではない)、効果的に機能するとは思っていないからだ。

しかし、教育に無関心である訳では毛頭なく、他のスレでも表明したように、私は、「職ー所得ー教育ー職」の連環を強固なものにし、安易な社会の階層固定化に繋がる教育格差促進には反対である。
ただ、教育における一部の専門性や特殊高度性などが必要だという事も認識していて、エリート教育の必要性を否定している訳ではない。
(どうやら文章が冗長になってしまった観がある。お詫びする)

8. 似非理系 2002/04/30(火) 20:36:56
>蜻蛉氏
>「ゆとり教育」から「詰め込み教育」に戻したら、学力低下が改善されるかといえば、そうではないと思います。むしろかえって学習に対する意欲、関心が失われるのではないでしょうか。
>、学力低下は関心、興味を引く授業をすれば改善されるのではないか、と思います。

ゆとり教育ならば興味を引く授業ができ、
詰め込み教育なら必ずしもつまらない授業、と言うことはないと思います。
むしろ、詰め込み教育をやりやすくするためにこそ面白い授業をする、
と言うことは多いにあると思います。
実際、学校の授業よりも予備校の授業の方がよほど面白かった。
一見敬遠されがちな哲学だって、「ソフィーの世界」のように
面白く学ばせることは不可能ではない。
逆に、現在のゆとり教育、特に「総合的な学習の時間」なんてものは
面白い授業をやるどころか単なる教師の怠慢の正当化にしか思えないが如何か?

>フリーターの話が出てきましたが、「詰め込み教育」で詰め込めない子供(勉強が嫌いな子供)が出てきて、フリーターになる、とも考えられると思います。

当然、昔にも勉強ぎらいな人間がはいたでしょうが、彼らは少なくとも、
「学習」そのものを否定したわけではない。それゆえ、何らかの職に就けば
その職場で先輩から必死に教えを請い、手に職をつけていった。
しかし、昨今のフリーターには学校の勉強はおろか、
「他人から学習する態度」そのものが欠落しているような気がする。
「受験教育」を否定するために生まれた「ゆとり教育」が
「学ぶことの大切さ」まで否定しているのではないかと
危惧しているのですが、杞憂でしょうか?

>今の学校は論理的思考力を養う授業をしてくれるか(特に国語)というと、そうではないと思うので、ゆとりor詰め込みの議論以前に、そのへんから変えていかなくてはいけないかもしれません。

>バウンド氏
>まったく使わなくなり、なおかつそれを学ばなくても専門的分野への興味を
促進することに弊害を与えることはないような部分のみ削った」のならばOK。
少なくとも理科数学においては、「全く使わない」どころか、
その学問の中心概念である「化学平衡」やら「熱力学」やらが
どんどん大学教育へ後回しにされているのが現状のようです。

>国語教育
昨今の国語教育は、文学を通して日本の文化に触れるわけでも、天声人語を批判的に読むメディアリテラシーをするわけでもなく、かといって作文力や読解力を養うでもなく方向性がはっきりしないところに問題があると思います。エッセイなどの「もともと読みやすい文」をわざわざ授業でやる必要なんてあるのだろうか?

>しかしそれは「自分にとって国家という機関がいかに有益か。
自分は国家によってどんなにたくさんの恩恵を得ているか」
を教えるだけであって、政治家官僚等の無責任体制は崩れないと思います。

「他人に対して責任を取る」ということはまず、
「自分が他人にこんなに支えられているから、
自分も他人のために働かねばならない」と感じることが第一歩かと。
確かに、その次にシステムの変革や有権者の監視は必要でしょうが。

>変な例
祖国に愛着を抱くということは、理屈を教わって得られるものではない、
ということでしょうか?
それには同意ですが、逆は真ならず、というところに問題があると思います。
例えば、「ウルトラマンはうえからヒモで吊っているんだよ」
といわれれば、ウルトラマンを嫌いになることは多いにありうる。
つまり、理屈で日本を好きになることはなくても、理屈で嫌いになることはある。
いんちき臭い「理屈」で今日も反日生徒が増えていく・・・

>Participant氏
>そういう訳で、私は『没制度世界』の柔軟な機能を見失わないように注意を喚起する次第だ。

専門外なので、当方誤解しているかもしれないですが、
「制度」で規定されたことばかりではなく、明文化されていないところにも
価値がある、ということでしょうか?

>「制度的にゆとりを供給する」などというものは、結局、制度を制度で補填するだけのものでしかなく(包帯を巻けば怪我が治るというものではない)、効果的に機能するとは思っていないからだ。

これには完全に同意。ゆとり教育には「ゆとり」を明文化してしまった故に
かえって不自由になった感があります。

9. 似非理系 2002/04/30(火) 20:47:08
↑の投稿、蜻蛉氏の「論理力を養う教育をしていない(特に国語)」というくだりと、
バウンド氏の国語教育に関する指摘を合わせてレスしたつもりだったが、
文章を推敲しているうちにおかしくなってしまいました。
あと、文章の引用もちょっとおかしくなってしまった。
すみません。

10. 蜻蛉 2002/04/30(火) 22:01:18
>似非理系殿
>ゆとり教育ならば興味を引く授業ができ、
>詰め込み教育なら必ずしもつまらない授業、と言うことはないと思います。
承知しております。興味を引くか否かは授業の質による、つまり、どれだけ教師が力を発揮するかがまず重要であり、ゆとり教育か詰め込み教育かはこれほど重要ではないと思います。

>実際、学校の授業よりも予備校の授業の方がよほど面白かった。
僕も浪人生なので、このことは実感しました。しかし、こう思うのは論理的思考力を養うような授業をしてくれたからであると思います。知識を詰め込む、というよりは考える姿勢を詰め込む、といったところでしょうか。予備校の授業は、どちらかと言えば詰め込み教育に入るでしょうが、過去の詰め込み教育とは違ったものだと思います。

>逆に、現在のゆとり教育、特に「総合的な学習の時間」なんてものは
>面白い授業をやるどころか単なる教師の怠慢の正当化にしか思えないが如何か?
いや、本気で総合学習をやろうと思うと、むしろ頑張らないといけないと思います。普通の講義(←こんな表現で伝わるかな…)よりずっと難しいと思います。ただ、その頑張りを持つ教師が幾人いることやら…。
僕は現在のゆとり教育は「優秀な教師が教育すること」が前提であるべきだと思います。怠慢な教師であればおそらくゆとり教育をしてもいい結果は得られないでしょう。そのへんを軽視してすすめる点でも、今のゆとり教育はいただけません。
教育のシステムを変えても、教育をする教師がダメだと…。

11. /// 2002/05/01(水) 00:53:53
というかゆとり教育世代が今のフリーター世代ではないのでは?あれ(つまり我々の世代)って詰め込み教育の矛盾が露呈した時期の犠牲者ではないかと思われますが?
個人的にはゆとり教育世代とは生活科という科目が出来てから小学に入学した世代だと思っています。違うのかなあ・・・・。
あと、今のゆとり教育って時間のゆとりばかり考えて、「精神的なゆとり」と言うものを全く考えていない気がする。その意味で「ゆとり教育」なんて大嘘であろう。それはそうと、そもそも今の教育者、それにこれから社会に影響力を与える我々の世代は詰め込み教育に毒されているので、真のゆとり教育を実現できないままゆとり教育の批判をしているのではなかろうか?今仮に詰め込み教育に戻ったならば再び問題がおきてゆとり教育を導入し・・・・という悪循環に陥る気がする。本当の意味のゆとり教育が実現して欲しいが。。。。。。。。。そんなこと言う以前に以前に円周率が3になるなんてデマを流す糞ったれた学習塾がのさばっているような社会の学校教育なんて教育でもなんでもない気がする。という訳で(?)詰め込み教育とかゆとり教育とか言う以前にそもそも教育と言うものの基本を問い直すべきではなかろうか。

12. スノッブ 2002/05/01(水) 02:29:02
乱入ご容赦。全体に反応しているときりがないので、目についたところのみ。
やや本筋とはずれるかもしれませんが。
(便宜上、「似非理系」さんの投稿を引用させて頂きます)

> ゆとり教育ならば興味を引く授業ができ、
> 詰め込み教育なら必ずしもつまらない授業、と言うことはないと思います。
> むしろ、詰め込み教育をやりやすくするためにこそ面白い授業をする、
> と言うことは多いにあると思います。

確かにそういう面はあるかと思いますが、どうしても本質的な理解を得るためには、
つまらない作業を我慢してやらなければならないところもあるのではないでしょうか。
早い話が、漢字の書き取り、九九の暗誦、計算ドリルなど、小学校で求められる
「読み書き算盤」の基礎は殆ど全てそれなのではないでしょうか?
そんな初歩的なことでなくても、例えば世界地理を理解するためには、
主立った国の位置や都市名、河川や山脈などの名前が頭に入っていなければならないでしょう。

「学問」は本来面白いもののはずですが、そのためにはどうしても「学問以前」の
段階を通って行かねばならないはずで、その段階は必ずしも面白いものであるとは
限りません。だから、本当に面白くない「詰め込み教育」になってしまうことも
得てして多いはずなのですが、このことを誰も大声で言わぬため、「詰め込み教育は
悪」という観念論が罷り通ってしまうというのが大きな問題であるとは思います。

「必要最小限の知識の詰め込み」と、「脈絡を考えぬ事実の棒暗記」とは区別して
考えなければならないのではないでしょうか?

> 実際、学校の授業よりも予備校の授業の方がよほど面白かった。
> 一見敬遠されがちな哲学だって、「ソフィーの世界」のように
> 面白く学ばせることは不可能ではない。

反論のような形になってしまって申し訳ないのですが、ここにはよくある誤解が
あると思うのです。
予備校の授業が面白いのは、一度学校で曲がりなりにも学んだ内容を繰り返して
学ぶから、わかりやすくて嘘のように頭に入るのではないでしょうか。つまり、
白紙の状態で頭に入れているわけではなく、一度「わからない」と悩んだわだかまりが
心のどこかにあるから、考えが整理される準備が既に頭の中でできているわけです。
確かに予備校講師に教授能力の高い人が多いことは認めますが、そういう風に
予備校はどうしても「良いとこ取り」的なポジションにいることは否定できないのでは?

「ソフィーの世界」にしても、あれはよく読めば、結局は高校の倫理の教科書レベルの
内容を面白おかしく書き直しているだけで、話の展開自体は良くできていても、本質的に
思想的な(?)深みはなく、悪趣味なディレッタンティズムというか教養俗物的な
香りがふんぷんと漂ってくるものではないでしょうか。現に、あれを読んで、
何か世の中を見る眼が変わりましたか?歪んだ知識が入るだけで、真の理解が
得られたとは言えないでしょう。所詮あれは、「漫画でわかる○○」と言った類の
もの以上でも以下でもないと思います。

結局のところ、芸術でも学問でも、「本質的なもの」に自ら触れて行かなくては
真の理解は得られないのではないでしょうか。そして、「本質的なもの」は、
得てして難解であり、少なくともそう簡単に味わい尽くせるものではないはずです。

だから、よりよい理解のために授業法を工夫すると言っても、限界があると思うのです。
どうもそのあたりのところが、文部省を含め、殆どの人に過信されてはいまいかと
いう危惧があるのでしょうが、いかがでしょう?

反論をお待ちしております。

13. バウンド 2002/05/01(水) 15:24:10
>似非理系さん
>逆は真ならず、というところに問題があると思います。
>例えば、「ウルトラマンはうえからヒモで吊っているんだよ」
>といわれれば、ウルトラマンを嫌いになることは多いにありうる。

日本の愛国心は同時代の他国を見ても低いですし
(僕自身、胸を張って愛国心があるとはいえないと思う)
国家を教育から遠ざけたり、(真偽は別として)教育によって貶めたりすることは
本来なら育つはずの愛国心の育ちを妨げているんでしょう。

>スノッブさん

>どうしても本質的な理解を得るためには、
>つまらない作業を我慢してやらなければならないところも
>あるのではないでしょうか。

>よりよい理解のために授業法を工夫すると言っても、限界があると思うのです。

その通りだと思います。基礎教育においては「強制的に何々させる」
ということが必ず必要でしょう。

もちろん強制力では不十分な面もあって、その助けとなる方法としては
1.競争心によって頑張らせる。
2.面白そうなもので気を引く
なんかが考えられて、
1はつまりテストを行ったりするってことです。
かけっこが早いやつは尊敬の念を抱かれるし
テストの点がいいやつはうらやましがられるでしょう。
2が難しかったりするんですが、
「優秀なサッカー選手のかっこいいプレー」をまじかで見せられて、
その選手に「これをできるようになるためには毎日〜するのが大事だ」と
言われたら、サッカー好きは頑張って練習しようとする。
てなことを全ての分野でするということです。
ハッキリいって基礎教育の段階で2をするのは無理だと思います。
(自分の好きなものが何かというのが定まっていないから)
結局次善の策として、1を採用するべきではないでしょうか。

あと問題なのは「教師を評価する」スパンが短い(あるいはまったくない)
ことではないかと思います。
理想的には、生徒が大人になって一人前になってから
教師の評価をさせるのが良いのでしょうが。

14. 蜻蛉 2002/05/02(木) 10:36:40
>スノッブ殿
>そのためにはどうしても「学問以前」の
>段階を通って行かねばならないはずで、その段階は必ずしも面白いものであるとは
>限りません。
たしかにそのような段階は面白くありません(これも人によりけりだと思うのですが)。しかし、面白くないことを面白くないままにしていたら生徒が寄ってこないわけで、そのような面白くないことに生徒をひきつけるにはどうしたらよいのか、それが大事だと思うんです。
策としては、バウンド殿のおっしゃるように、競争原理を持ち込むのもアリでしょう。また、クイズ的な授業も一手だと思います。ただ、クイズ的な授業については、クイズの要素が大きくなりすぎる心配もありますが…。

>「必要最小限の知識の詰め込み」と、「脈絡を考えぬ事実の棒暗記」とは区別して
>考えなければならないのではないでしょうか?
どんな学問においても、覚えなければならないことは少なからずありますから(漢字、地名、人名、ごく基本的な法則などなど)、これについては仕方ないでしょうが、その裏にある論理や背景などを無視してとりあえず覚えろ、というのはよろしくないと思います。だから、あなたがおっしゃるような「区別」はしたほうがいいと思うのですが。そもそも後者の暗記をする必要があるのかどうか。

15. 2002/05/02(木) 10:39:29
興味深いです。もっと続けてください。

16. 似非理系 2002/05/02(木) 11:35:55
>蜻蛉氏
>教育のシステムを変えても、教育をする教師がダメだと…。
>バウンド氏
>あと問題なのは「教師を評価する」スパンが短い(あるいはまったくない)
>ことではないかと思います。

同感です。しかし、教師の評価システムや教師の資質向上が、日教組の反発もあって
なかなか進みそうに無いのが現状です。
問題教師の免職や、教師の定期的な研修などは、近い将来に実現するかもしれませんが・・・

>///氏
>というかゆとり教育世代が今のフリーター世代ではないのでは?あれ(つまり我々の世代)って詰め込み教育の矛盾が露呈した時期の犠牲者ではないかと思われますが?
「ゆとり教育」は今回の学習指導要領の改訂で初めて現れたのではなく、
「業者テスト廃止」「大学受験科目の削減」「単位制高校の設立」などの形で
かなり前(90年前半ぐらい)からゆとり教育への流れはできつつあった、と考えられます。
また、東京都、京都府、広島県などの平等思想を有する教師の多い地域は、
それより前から「入試ナシで高校に入れる」ような制度を導入してきました。
これらの制度を導入してはたして良い成果はあったのか?といえば否といわざるを得ない。
なぜなら、「さあ、個性を伸ばせ」といわれて個性は伸びるものではないし、
やりたいことがあったとしても、それを生かしうる幅広い知識が無ければ結局趣味の領域を出ないわけだから。

>スノッブ氏
>「必要最小限の知識の詰め込み」と、「脈絡を考えぬ事実の棒暗記」とは区別して
>考えなければならないのではないでしょうか?
ごもっともだと思います。受験教育批判は両者を混同し、後者の否定にとどまらず前者まで否定しているところに問題があるとおもいます。
後者のような「学問の本質とは関係ない棒暗記」がないと合格できないような
入試問題は是正すべきと考えます。

>予備校の授業が面白いのは、一度学校で曲がりなりにも学んだ内容を繰り返して
>学ぶから、わかりやすくて嘘のように頭に入るのではないでしょうか。
>だから、よりよい理解のために授業法を工夫すると言っても、限界があると思うのです。
う〜ん。つまらない授業は何度聞いても理解できず、面白い授業ならはじめて聞く内容でも
おおむね理解できた、という経験があるのですが。
だいたい、予備校の授業>高校の授業>>>大学の授業 
の順で授業は面白く、理解も深まりました。
確かに授業法の過信は禁物でしょうが、授業方法の改善をすることで
かなり学力低下の問題は払拭できるのではないのでしょうか。
とくに高校の教師は予備校教師を見下しているてらいがあり、
「だれが予備校の授業を真似てやるか」という驕りがあるような気がします。
高度な内容を先送りし、基本的なことを十分習得させようとしても、
つまらん授業でいくら教えても意味が無いような気がします。

>(ソフィーの世界は)歪んだ知識が入るだけで、真の理解が
>得られたとは言えないでしょう。
>「本質的なもの」は、
>得てして難解であり、少なくともそう簡単に味わい尽くせるものではないはずです。

ソフィーの世界や漫画で分かる歴史などは、確かに学問の本質までに到達
するような本ではないでしょう。しかし、あくまでその学問を面白いと思わせ、
より本質的なものを学ばせるモチベーションには十分なるとおもいます。
モチベーションを育みつつ、学問の本質的なところも教え込む、
というのが理想だと思いますが。

>バウンド氏
>もちろん強制力では不十分な面もあって、その助けとなる方法としては
>1.競争心によって頑張らせる。
>2.面白そうなもので気を引く
2が不可能で、次善の策として1を採る、とのことですが、
僕は、逆に1のほうが困難なような気がします。
テストでいい点をとっても、別に誉められた記憶は無いし(親は除く)、
「博士」等の変なあだ名をつけられる。
それに頭の良い人間が、テレビや漫画の主人公になることはまれで、
「頭のよさ」に羨望するなんて事はめったにない。
それなら、面白そうなもので気を引いてモチベーションを高めさせるほうがありうると考えます。
自分の好きなものが定まらない人間でも「面白そうなもの」を見せられることで
「好きなもの」を見つけることも可能でしょうし。
「面白そうなものを集めただけの授業」も問題ですが。

「総合的な学習」だって、あくまでモチベーションの向上にとどめ、
知識の習得する時間が別に十分与えらればその意義はあると思うのですが。
知識の習得の時間を削りモチベーションだけ上げようとしても、
モチベーションは直ちに立ち消えてしまって、意味が無いように思う。

17. バウンド 2002/05/02(木) 13:50:46
>似非理系さん
>テストでいい点をとっても、別に誉められた記憶は無いし(親は除く)、
>「博士」等の変なあだ名をつけられる。

教師が誉めることが重要だと思います。
そのためには教師が尊敬されてなくてはならなくて、
小学校でも(今はどうなのかな)中高のように教科ごとに担当教官を決めて
「その分野ではかなり優れた人」を集めるべきだと考えています。
尊敬できる人から褒められれば、友達から羨望されなくても
頑張ろうと思うのではないでしょうか。
生徒の事を見る担任が必要だというならば
別に設ければよいし。
(それこそ地域で暇しているおじいちゃんでも連れて来ればよい)
そういう意味では
>「総合的な学習」だって、あくまでモチベーションの向上にとどめ、
>知識の習得する時間が別に十分与えらればその意義はあると思うのですが
総合的学習で、モチベーションを高めることも可能なような気がします。

実は僕のいた小中学校は試験校みたいなところで
総合的学習を一足早くやらされていたんですが
そのときはかなり生徒の自主性を重んじる傾向があって、
なんだか楽な授業だなと思っていました(笑)
普通にさぼれるというか。

そのときのイメージが強かったんですが、
きちんと能力のある教師であれば、
モチベーション高めるのも上手くいきそうですね。

18. jkl+ 2002/05/02(木) 17:22:00
>バウンド

初等教育では専門性よりいわゆる’人間性’を学ぶことが重要視される
のでは… 教員養成の大学はそのための大学もあるわけで。
ただ、確かに小学校の教師が尊敬される対象になるべきとは思います。
さぁ、どうしよう…

19. スノッブ 2002/05/06(月) 21:05:05
>バウンドさん

> 日本の愛国心は同時代の他国を見ても低いですし
> (僕自身、胸を張って愛国心があるとはいえないと思う)
> 国家を教育から遠ざけたり、(真偽は別として)教育によって貶めたりすることは
> 本来なら育つはずの愛国心の育ちを妨げているんでしょう。

一応、現在の教科書でも、「現在の日本は誇るべき国家だ」という方向性は
ないわけではないと思うのです。ただ、現在を肯定するために、戦前・戦時中を
必要以上に否定しているところに大きな問題があるのではないかと。
ただ、個人的なことを言えば、教科書よりも、他のメディアの影響の方が
大きかったですね。「ジュニア朝日年鑑」(これの解説記事がかなり偏向して
いまして、捕鯨ですら否定していたり……)とか、「漫画日本の歴史」とか。
特に後者が、左翼系の出版社の出していたもので、民衆抵抗史観に貫かれてました。

> あと問題なのは「教師を評価する」スパンが短い(あるいはまったくない)
> ことではないかと思います。

少し話は逸れるかもしれませんが、現在のシステムでは、法に触れることをしない限り
教師を解雇できないというのは大きな問題だと思います。小学校 1 年生に自己批判文を
書かせるような、度を超した個人攻撃をする教師だっているのに(そんな教師は
私の過去に担任に実在します)、教員採用は狭き門。余りにおかしな話だと思います。

> 教師が誉めることが重要だと思います。

これはそうですね。特に小学校低学年ではこれは重要だと思います。
「運動ができることを自慢しても良いが、勉強ができることを自慢してはいけない」とか、
「事実であっても、『好きな科目は算数』等と言うな!」などという言葉を
浴びせられて、短からぬ間心の傷になってきた身としては、特に……。

>似非理系さん

> なぜなら、「さあ、個性を伸ばせ」といわれて個性は伸びるものではないし、

そうですね。現在は、「個性を伸ばせ」と、皆が判で押したように画一的な
台詞を言うという、皮肉な状況に陥っていると思います。

> 確かに授業法の過信は禁物でしょうが、授業方法の改善をすることで
> かなり学力低下の問題は払拭できるのではないのでしょうか。

勿論、授業法の改善の努力はすべきでしょう。学校の授業に面白くないものが
多いのは事実で、それを否定するつもりはありませんでした。

しかし、私自身の経験からすると、少し授業で難しい話をすると、
「わからん。おもろない」といって放棄してしまう人は高校にも大学にもいます。
私にとっては、十分面白い授業であることもしばしばなのですが……。

それに、授業がわからないならわからないで、教科書を見て独学で学ぼうとする人は
少なからずいるわけで、全てを授業のせいばかりにはできないと思うのです。
結局、「授業の巧拙」は、「生徒の、能動的に学ぼうとする姿勢」に比べて、
それほど大きなファクターではないのではないかという気がしてしまいます。

結局のところ、似非理系さん自身もおっしゃるように、勉強ができることも、
地道に努力をすることも、「ガリ勉」なんて蔑まれるべきことではない、という
認識が行き渡らない限りは根本的には解決しないように思えるのです。

>>1.競争心によって頑張らせる。
>>2.面白そうなもので気を引く
> 2が不可能で、次善の策として1を採る、とのことですが、
> 僕は、逆に1のほうが困難なような気がします。

多分、本来はどちらも可能だと思うのです。1. の方でも、最近、兵庫県の
郡部のどこかの小学校で、「百マス計算」を競争でやらせた結果、児童の計算力が
劇的に向上した、という報道が最近ありました(私自身はこういうやり方には
賛成できませんが、それでもしないよりは遙かにマシでしょう)。

2. の方でも、小学校でいうならば理科の実験や社会の「調べ学習」、
それから国語や算数(の文章題の単元)などでは討論を取り入れることで、
それなりに盛り上げることはできるでしょう(教わる側として、経験あり)。

ただ、1. をやりすぎると「競争のための競争」になりかねないし、2. はできる
条件が限られているし、結局のところどうしても本質的に退屈な部分は残って
しまうのではないでしょうか?

20. 入り浸り [E-Mail] 2002/05/06(月) 23:22:56
なんか某自主講座の人もいるみたいですね。
議論は面白く聞かせて頂いております。

21. 入り浸り [E-Mail] 2002/05/06(月) 23:48:58
というわけでそろそろ議論に入らせてもらってもいいですか?
これは勤続30年の高校教師から直に聞いた話なのですが、
曰く「教育は教師の人格と子供の人格のぶつかりあいだ。
だから、個性以前の教師は排除されるべきだし、排除されなかった教師も
自分の全人格をぶつけて教えなければならない」だそうです。

つまり、一つの人格として完成され、かつ知識を兼ね備えた人間でないと
教師としては不適格なんだそうです。さらに言ってたことは、大阪
(彼女は大阪で教員をやってます)では、教員が適材適所の配置を
されていないのだとか。彼女の哲学では、全人格をぶつけても必ずしも
教育の効果が上がるとは限らず、やはり生徒の能力や人格によって
教育の成果は変わってくるのだそうです。例えば、混乱校と言われるところに
受験数学の神様と呼ばれような人を送っても無駄でしょう。
むしろ、おまえらとにかくラグビーをやれ!とか言う教師の方が
向いているでしょう。しかし、実際には大阪では人事を教育委員会が握っていて
ランダムに、そしてある時は教育委員会に反抗的な人物を転勤させ、
適材適所の配置を妨げていると彼女は言っておりました。
この状態は昔からこうだったわけではなく、教育の平等志向が強かった時代に
「高校間格差はケシカラン!」という理由でそれまで人事権を握っていた
校長から教育委員会に人事権を移し、教員をランダムに配置することで
高校間格差を是正していきました。で、今日大阪の公教育がどれだけ
悲惨な状態にあるかというのは知っての通り。

私が言いたいのは、校長に人事権を戻せということです。
校長に人事権を持たせるという事は、昔のように、校長が目指すべき校風
を実現するためにそれに合った教員を採用するという事が可能になります。
北野や四条畷といった受験校なら受験指導がうまい教員を、
そうでない学校ならば就職活動は鬼だとか、部活の顧問監督として
力を発揮する教員などを採用すればいいわけです。
彼女に聞いた話では、かつては教員の同意のもと、トレードなんてのも
行なわれていたとか。つまり、昔は教師の労働市場というのが
(擬似的なものかもしれないが)存在していたわけです。
義務教育である小学校や中学校で教師の労働市場を成立させるのは
危険な部分があるかもしれませんが、高校ならばむしろ労働市場を
積極的に成立させた方が子供のためになるのではないでしょうか。

22. バウンド 2002/05/07(火) 15:48:06
結局のところ、「生徒の能動的に学ぼうとする姿勢」を
どう伸ばすのかを考えたとき、「巧い授業」が求められるということでしょうか。
(言葉は非常に悪いですが「たかだか教師(=他人)」には
巧い授業をすることでしか生徒の役には立てないということ)
特に初等教育では「生徒の能動的な学ぼうとする姿勢」なんて
まったく期待できない(スノッブさんも言っておられるように
学問の初期段階ではどうしてもつまらないものをこなさなくてはなりません)
のだから。
そして巧い授業として考えられるのが
・わかりやすい
・興味を引くことをやっている
・生徒の能力をきちんと認めて褒めてくれる
というところでしょうか。

>スノッブさん
>勉強ができることも、
>地道に努力をすることも、「ガリ勉」なんて蔑まれるべきことではない、という
>認識が行き渡らない限りは根本的には解決しないように思えるのです。

本当にそうですね。どこで読んだか忘れてしまいましたが
・子供のころから野球に打ち込んで甲子園に行く
・子供のころから勉強に打ち込んで東大に行く
はまったく等しく評価されるべきなのに世間では・・・
という意見(嘆き)を読んだことがあります。

>入り浸りさん
実際、僕のいた高校は、そこそこ伝統のある公立校(一応進学校)で
十年くらい前からいる先生なんかもたくさんいました。
そんな先生の中で、とても熱心に教えてくれる数学の先生がいて
自分でプリントを作り(かなりわかりやすい)教えてくれました。
ゆとり教育で削られた分も全部教えてくれました。
多少怖い先生ではありましたが、生徒の人気はダントツでした。
ところがその先生は突然、別のあまり噂のよくない高校(失礼)へ。
理由は「公教育の均等化のために長くひとつの高校にとどまってはいけない」
というものでした。
ここ数年、同じ理由で優秀な先生はどんどんと出て行ってしまっています。
その数学の先生は、「今の高校では授業を聞く奴なんて一人もいない」
と嘆いています。

授業を受ける生徒によって「何が巧い授業なのか」は変わるということでしょう。
当然、教師にも得手不得手があるでしょうから
>高校ならばむしろ労働市場を
>積極的に成立させた方が子供のためになるのではないでしょうか
ということは確かにいえると思います。

まあ、きついことをいえば
「どんな環境(高校)に行っても
その環境に最適な巧い授業を行うのが教師の役目だ」
とも言えますが。それではあまりに非効率的ですしね。

23. 蜻蛉 2002/05/07(火) 19:26:41
>勉強ができることも、
>地道に努力をすることも、「ガリ勉」なんて蔑まれるべきことではない、という
>認識が行き渡らない限りは根本的には解決しないように思えるのです。
たしかに。運動の出来る子がよくされて、なぜ頭のいい子が叩かれる?
教師よりは、子供のほうにこの傾向が見られると思う。
あと、活発な子がいい子、という考えも似たようなものですな。

>高校差について
「高校差はケシカラン」という言葉が出てきましたが、むしろ、高校差をつける(それは学力差ではなく、何を教えるか、つまり、進学校か、高専のように専門的なことを教えるか)ことのほうが大事な気がします。
これからの教育は「多様性」が一つのキーとなると思うんです。社会での価値観が変わることもあって。
これまでの勉強重視の詰め込み教育よりは、ゆとり教育の方がこの可能性が大きいと思う。
そういう意味でも、僕はゆとり教育反対の流れがいただけないのです。

24. たばね 2002/05/07(火) 22:52:43
>運動の出来る子がよくされて、なぜ頭のいい子が叩かれる?

 現実の秩序としては学歴が優先されるためにできた、勉強苦手っ子救済装置かなあ?
 「頭がいいこの方が誉められる」「頭がいいこが成功する」の両方が成立してしまうと、まだ世の中を複雑に眺められない子供が絶望しかねませんからね。
 私にいわせりゃ「両方苦手な子供はどーすんだ」ですが。

25. ちんこ芝居 2002/05/07(火) 23:16:28
勉強が出来ることが蔑まれる文脈は、
勉強が出来ないことを蔑まれる文脈よりずっと少ないと思われ。
「勉強できる子」は社会で十分優遇されてるよ。

26. 似非理系 2002/05/08(水) 11:31:39
>蜻蛉氏
>これからの教育は「多様性」が一つのキーとなると思うんです。社会での価値観が変わることもあって。

多様的な教育が硬直化した教育現場に変化をもたらし、
授業技術の向上にも繋がることは明白だと思いますが、
「多様的な教育」の前提として、
「自分が将来何になりたいか、
 そしてそのためにはどのような知識が必要か」
ということを生徒一人ひとりが知りえて初めて可能だと思います。
しかし、実際は自分の将来の希望があいまいな生徒が多く、
どんな知識が必要かさえもわからない始末。そんな生徒に
「学校を選べ」といっても意味がないのではないのでしょうか?

先週土曜日のウェークアップで「ゆとり教育」特集をやってましたが、
その中で、「児童がやりたいことだけを学べる小学校」を作る試みが
紹介されていました。
しかしそんな学校では、「やりたいこと」を実現するのに必要な知識が
身に付くとは思えないし、結局怠惰な子供を増やすだけなのではと
感じました。やはり、十分な知識があって「ゆとり」を与えてこそ
意味があるのだと思います。
だから私は、大学におけるゆとり教育には賛成です。(爆)
学力のない大学生にはみっちり補習をする必要があるが、
学力が十分にあれば自主性を尊重してもいいと思います。

同番組で、プロ教師の会の人が、
「義務教育の意義は何なのか、問い直す必要がある」
といってました。
好きなことはお金を出してでも学ぶが、
嫌いなことはお金を出しても学ばない、というところがあると思います。
ゆえに、ただで学べる義務教育課程では
好きなことも嫌いなことも学んで、
その後はお金を払って自分の好きなことを学ぶ、というのはどうだろう?

27. 似非理系 2002/05/08(水) 11:32:25
>入り浸り氏
>私が言いたいのは、校長に人事権を戻せということです。

しかしながら、その場合「校長をどう選ぶか?」というのが問題に
なると思います。
今のような教師上がりの校長ばかりだと、結局どこの高校も
似たような教育方針しか出てこないのではないのか?
その場合、民間人の登用も視野に入れるべきかもしれない。

>義務教育である小学校や中学校で教師の労働市場を成立させるのは
>危険な部分があるかもしれませんが、高校ならばむしろ労働市場を
>積極的に成立させた方が子供のためになるのではないでしょうか。
異なる意見の人間と議論するには、根底に共通する知識が存在していないと
不可能。だから、小学校や中学校で教師の競争をあおって
教育の多様化を行うのは危険、との意見には同意。
しかし、「共通した知識を与える」ことは偏向教育につながる恐れがあるので、
それを是正するシステムが別に必要かと。



>頭のいい人が褒められない
私は自分の経験で「褒められたことがない」と書いたが、
ちんこ芝居氏のように「勉強ができない事の方が蔑まれる」との意見も
あるようです。このことは学校や地域によってまちまちなのかな?
更なる意見を求む。

28. エッセンス 2002/05/08(水) 18:37:45
科目教育に議論が盛んですが、
石原都知事が以前語っていた(かな?)、徳目教育
あるいは道徳教育についてはいかがなもんでしょうか。

>頭のいい人が褒められない

自分の場合、体育できるやつと同程度には評価された気がする。
私は学力・運動能力よりも、
対人コミュニケーション能力がある人間が評価されるべきだと思う。
無論、この上記3能力は当然同一人物にかぶることもあるけどね。

29. 蜻蛉 2002/05/09(木) 10:51:35
>似非理系殿
>「自分が将来何になりたいか、
>そしてそのためにはどのような知識が必要か」
>ということを生徒一人ひとりが知りえて初めて可能だと思います。
>しかし、実際は自分の将来の希望があいまいな生徒が多く、
>どんな知識が必要かさえもわからない始末。そんな生徒に
>「学校を選べ」といっても意味がないのではないのでしょうか?

「学校を選べ」といわれても僕もできなかったでしょうね(苦笑)
中学生(あるいは高校生)に自分の将来を決めろといわれても、すごく難しいのではないでしょうか?
う〜ん、某東大みたいに初年度は教養課程を設けるか?
多様な学校だけでなく、こんなのもありますよ、と様々な分野の紹介の場を設けることも必要かもしれません。
また、義務教育までで多様性を求めることはあまりよくないかもしれません。
義務教育では、好き嫌い問わず、必要なことを学ぶべきだと思います。

>道徳教育
ちゃんとやるべきでしょう。実際、僕の経験では、道徳の授業はあまりされておらず、クラス委員を決めたり、修学旅行について決めたり、運動場で遊んだりする始末。当時は面白いと思っていたかもしれないけれど、今思ってみれば何じゃこりゃ?と。
同じようなことが性教育についても言えるのではないでしょうか?
もっとも、学校にそういうことをちゃんと教えられる人がいるかどうか疑問ですが…。

30. 似非理系 2002/05/13(月) 10:27:04
徳目教育は欧米においては
学校でなくて教会においてなされていると思われる。
しかし、日本の場合、人生に宗教が絡んでくるのは冠婚葬祭ぐらいで、
宗教が日本人の心を涵養するような機会は少ないと思われる。
新興宗教だって金儲けばっかりだし。

それゆえ、日本においては学校の場で徳目教育を行なう必要があるが、
その場合、何をベースにして教えればよいかが問題になる。
宗教抜きで道徳を教えるのは困難だと思う。
中学の道徳の授業のときに、杉原千畝やレ・ミゼラブルの話を
聞いて感動したことはあるけど、感動は表面的なことであり、
なぜ難民を助けられたのか?とか、なぜ自分の過去の罪を告白できたか?
という問いの答えを知るには、彼らの背景にある宗教思想に触れない限り不可能。

ゆえに、道徳教育に一部宗教教育を混ぜてもいいと思う。
仏教・儒教に加え、キリスト教やイスラムも幅広く学べば問題はない。

31. あ「の」人 2002/05/13(月) 11:47:37
>頭のいい子がほめられない
 僕は大阪出身ですが、別にそのようなことはありませんでしたよ。
学校では、運動ができる者も勉強ができる者も等しく評価されていました。
 僕は、運動も勉強も、ひとつの貴重な能力なのですからどちらもそれなりに
評価されてしかるべきだと思います。
逆に、なぜどちらか一方が優先的に評価されないといけないのか
理解に苦しみます。
勉学優秀な人にも、運動万能な人にもそれぞれに成功の道はあるんですし、
平等化のためにどちらか一方を正当に評価しないのはおかしいと思いますが…
まあ、それが世の中だといってしまえばそれまでですけど。

32. 源を遡る延長線: 2002/05/13(月) 15:34:31
>入り浸り [E-Mail] 2002/05/06(月) 23:22:56

入り浸りさんの真似をしながら書くと、なぜか「親」を登場させてしまった。
>曰く「教育は教師の人格と子供の人格のぶつかりあいだ。」
源を遡る延長線:
 曰く「教育は「親」の人格と子供の人格のぶつかりあいだ。」

>だから、個性以前の教師は排除されるべきだし、
>排除されなかった教師も自分の全人格をぶつけて教えなければならない」だ>そうです。
>つまり、一つの人格として完成され、かつ知識を兼ね備えた人間でないと
>教師としては不適格なんだそうです。
源を遡る延長線:
だから、教師を責める以前、
「親」も自分の全人格をぶつけて教えなければならないのです。
つまり、「親」も自分一つの人格として完成され、かつ知識を兼ね備えた人間でないと親としては不適格なのです。

>教師が全人格をぶつけても必ずしも教育の効果が上がるとは限らず、
>やはり生徒の能力や人格によって教育の成果は変わってくるのだそうです。
>例えば、混乱校と言われるところに、受験数学の神様と呼ばれような人を
>送っても無駄でしょう。
源を遡る延長線:
生徒の能力や人格形成の第一責任者は、紛れもなく「親」です。
生徒の能力や人格によって、教師が全人格をぶつけても無駄でしょう。
「教育という長い川の流れの、最初の水源の清冽な一滴と為りうるのは、家庭教育である。」(借りた名言)
つまり、人生最初の教師は「親」です。
又、ある範囲内の意味で、「親」は一生の教師です。

未来への延長線:
真似をしながら書くと、なぜか「子」も登場させてしまった。
「子」は成人になれば、全責任は自分が負うべきです。
つまり、「大人」成人になれば 、
常に自分が自分を教育する立場に立たせられます、
大学生の立場と高校以前の生徒の立場は歴然に違います。
そして、時代はいつも前に前に進む為、
「親」の代よりも強く、賢くないと駄目なのです。
 
一応経験談なのですが・・・

33. 源を遡る延長線: 2002/05/13(月) 15:42:50
誤り:つまり、「大人」成人になれば
校正;つまり、「大人」なれば
御免ください。

34. 似非理系 2002/05/16(木) 20:42:55
>源を遡る延長線 氏
>家庭教育
どっかで聞いたのですが、アメリカでは
「親の教育方針と教師の方針が違えば、親の方針にしたがえ」という
原則があるそうです。つまり、家庭での教育がメイン。
しかし、日本の場合、教育に親を中心にもってくるとおかしなことが
起こりそうです。
ちょっとこづかれただけで、「体罰だ、こんな教師やめさせろ!」みたいな。
それくらいならまだしも、子供の虐待とかいろいろあるし、
親の資格を得るための試験が必要になるかもしれない。
1ヶ月ほど子育ての教習を受けさせる。
欠点として、少子化がさらに進む、講習をさぼって勝手に子供を産む、
などが考えられるが、
合格者は年金納付額が半減になるなどの特典をつけ、
勝手に子供を産んだ場合は義務教育が有料になる、
などのペナルティーを課せば良い。

35. 蜻蛉 2002/05/16(木) 21:22:48
>親の資格制度
なるほどねえ。今は「あんたら親か?」というような連中が多いですからね。
でも、親の自覚ってのは、子供が産まれることによって自然と湧いてくるような気がするんですけど…違いますか?
自分の親から、親としてどうあるべきか、ということを学んでないのかな?

36. 源を遡る延長線 2002/05/17(金) 10:41:06
>似非理系
とてもユニークなアイディアだと思う、三日間考えさせて下さい。
>蜻蛉
>自分の親から、親としてどうあるべきか、ということを学んでないのかな?
同感だ。
自然淘汰されてない強い動物の種を見たら、 
動物の世界にさえ「親から親へ」と「分かってる」ように見えて仕方がない。

知恵豊かな「人間社会」が教育に悩むとき、
動物の原点へ戻って見ると、大事なヒントを意外に見つけるかもしれない。

37. 蜻蛉 2002/05/17(金) 13:06:49
>源を遡る延長線殿
>動物の原点へ戻って見ると、大事なヒントを意外に見つけるかもしれない。
野生チンパンジーは5年の間、子供が母親を独り占めできるらしい。
そのため、母子間に深い関係が築かれる。
また、母子はほとんど物理的に接触した状態(つまり母が子を抱く)にいる。

これを知ったとき、これは人間に応用できるのではないか?今の幼児虐待の解決につながるのではないか?と思った。
興味があれば、松沢哲郎教授の「おかあさんになったアイ」を読んでみてください。多分ほかの松沢さんの書いた本にも似た内容が載ってると思います。

38. 源を遡る延長線: 2002/05/17(金) 22:32:50
>蜻蛉さん
松沢哲郎教授の著書をぜひ読んでみたい、有難うございます。

39. jjj 2002/05/17(金) 22:34:32
子育て教習の話だが、それはむしろ生んだ後の話ではなかろうか?生んだあとに子育てに関する話し合いを義務にするとかのほうがいいと思われる。(勿論父母そろって)。正直、上の発想はひどいい言い方だが受験中毒者の発想と言った感じがしないでもない。(気を悪くされたら申し訳ない。)合格不合格とかそういう発想は止めたほうが良いでしょう。
あと、虐待のニュースは最近増えているがこれはあくまで昔からあったものが単に表面化しただけと思われる。実質件数、凶悪さは昔と変わらないのではなかろうか。

しかしこの国の「教育」は意味不明だ。。。体育会といい塾といい。前者なんか大学生になってもあんなことやっている。あれが日本のスポーツを駄目にしているのにいい加減気がつかないのだろうか?(若干話がずれた。)

40. 京大の良心 2002/05/19(日) 01:14:18
age

41. 蜻蛉 2002/05/19(日) 01:51:58
>合格不合格とかそういう発想は止めたほうが良いでしょう。
う〜ん、「合格すりゃあいい」という考えが出来て、それが一生使える知恵にならなくなる、ということもありうるでしょうねえ。
資格制度がだめなら、家庭科でそういうことも教えるようにすべきなんでしょうか?

あと、体育会が日本のスポーツを駄目にしているというあたりがちょっと分かりません。説明して下さい。

>…の良心殿
他にもいろいろあげてくださったようですね。
ありがとうございます&ご苦労様です。

42. 似非理系 2002/05/20(月) 13:42:51
>jjj氏
>虐待のニュースは最近増えているがこれはあくまで昔からあったものが単に表面化しただけと思われる。実質件数、凶悪さは昔と変わらないのではなかろうか。
以下のソースを見ると東京都だけで一年間に児童虐待の相談が1200件弱。かなり多いと思う。
http://www.tv-asahi.co.jp/t-site/back/0212.html
近年になって虐待に対する相談がしやすい環境になってきたのは確かだが、
これだけ多くの相談があれば何らかの対策が必要ではないか、と考えて拙論を述べた。

>合格不合格とかそういう発想は止めたほうが良いでしょう。
しかしながら、「子は親が守る」「子の犯罪は親の責任」
「子供とのコミュニケーションの重要性」とかの
基本的な認識すらない親には、親として落第だと明確に宣言する必要があるでしょう。
あと、資格に対して警戒感をもたれているようなので、少し補足しておきます。
「資格」の最も根本的な意義は、
「命にかかわるような仕事には一定以上の能力を伴わせる」ことにあると私は思います。
だから医師や弁護士・電気技師・教師・運転免許とかの資格が存在するのだと思います。
(最近はパソコン検定などの履歴書を埋めるだけの資格が氾濫してますが)
なのに、医師と同じく親の場合だって、親の能力によって子の命やその後の人生が左右されるのに、親の能力の向上はまったくといっていいほど着目されていないのが疑問に思います。
そこであえて「親に資格を!」と言う意見を述べました。
勿論、多様な家族関係はあるべきだから、
あまり細かい内容にせずに、基本的なことにとどめるべきでしょう。

>子育て教習の話だが、それはむしろ生んだ後の話ではなかろうか?
他人を思いやれない人間が、子をうんだ途端に思いやりのある人間になるわけでもない。
ゆえに、子を産む前にも、最低限親としての心構えを教えることは必要。
それで「私は親に向いてないんじゃないか」と気づいても、
子を産む前なら親になることを取り消せる。
子を産んでからそれに気づいてもどうしようもない。

43. 似非理系 2002/05/20(月) 13:43:23
>蜻蛉氏
>これを知ったとき、これは人間に応用できるのではないか?今の幼児虐待の解決につながるのではないか?と思った。
昨今の子育ては「いかに親の負担を減らすか?」ということが主眼にあり、
保育園の充実などがなされてますが、それがかえって子と親の接触を少なくしている、
という問題点があると思います。

親の仕事にもよるでしょうが、パソコンを用いたデスクワークなら家でもほとんどが可能。
だから、SOHOを充実させ、親が家庭でも仕事をやりやすくして
親子のふれあいを支援する政策も有効かもしれない。
このような政策こそIT政策だと思うのだが。

44. 源を遡る延長線: 2002/05/20(月) 17:04:05
>似非理系さん
>家庭教育
>どっかで聞いたのですが、アメリカでは
>「親の教育方針と教師の方針が違えば、親の方針にしたがえ」
>という原則があるそうです。つまり、家庭での教育がメイン
>しかし、日本の場合、教育に親を中心にもってくると
>おかしなことが起こりそうです。

「21世紀、日本の教育」全部を通読したところで、
似非理系さんの言いたいことを少し解ったみたい。
つまり「教育」の構造とは、三層のレベルによって成り立っているとのこと。
一、国家全体の「教育」戦略
二、各地域の「教育」
三、家庭「教育」
この三つのリングは決してお互いに平行な関係ではない、
 三つのリングはお互いに色んな接点で、緊密な関係になっている。
もしそうだったら、その考えは賛成です。
つまり、家庭「教育」は、個人だけの問題でなく、
国家全体の「教育」戦略の基礎として認識すべきです。

面白くないかもしれないが、反論して下さい。
意見として、少し加えてみたいだが:
地域の力で、家庭「教育」の欠陥を解決してみたら、如何ですか?
例えば、
人口密集な一都二府からそれぞれ一つ自治区を出して競争させて、
優勝区を賞励する。
自治区選抜条件:
   データー上で、本都本府中義務教育の学力最下位;
     次は、フリーター人数多少をも参考する。
目標:三年を目どに、
   駄目親、駄目教師の再教育を実施する。
   学力を国の平均レベルに追いつかせる。
   フリーターの職業訓練と就職も国の平均レベルに追いつかせる。
主催者:一都二府(特攻プロジェックトの派遣、資金面、人材の面の応援)

もし成功すれば、多分全国へ広げていくと思っていたが・・・

45. 源を遡る延長線: 2002/05/22(水) 13:27:32
>似非理系さん
アメリカと日本の教育の違うところを調べました。
ポイントは「自立した個人」だそうです。
内容はなかなかうまいので、皆さんに紹介してみました。
参考資料:
http://www.nikkei.co.jp/sp1/nt33/20020306eimi181606.html
「日経新聞」特集:再び 教育を問う

以下は一部のコピーです:
イソップ物語の「アリとキリギリス」。米国の小学1年の教科書に出てくるのは、日本人がなじんだ話と結末が異なる。キリギリスは冬になってもアリに食べ物を求めたりせず、食べ物を蓄えておかなかったことを後悔し、今度は準備しようと誓いを立てる。
日本の教科書が教える価値観との違いに気づいた。
小学1年から6年までの国語教科書にある200強の挿話を比べると、米国の教科書には自己責任や自立心を教える話が53もあったのに、日本では7つ。新しいことに挑戦する精神がテーマの話は米国は14、日本はわずか1つだった。
日本の教科書に多いのは、あたたかい人間関係や自己犠牲をたたえる話。今井氏はこうしたデータから、米国は子どもを「強い個人」に育てようとしていると分析。日本の教育は組織の中の「やさしい一員」を生み出していると結論づけた。
・・・・・・
民主主義や自由主義経済の主役は「自立した個人」だ。人は生まれながら自立しているわけではなく、社会と向き合ってそれを促される。経済学者のアダム・スミスは「国富論」と並ぶ主著「道徳感情論」の中で呼びかける。
「あなたが逆境に陥っているのなら、孤独の闇の中で独りで悲しんでいてはいけないし、親しい友達の寛大な同情によって自分の悲しみを調節してもいけない。できるだけ早く世間と社会の白日の下に戻りなさい」
民主主義や自由主義経済の主役は「自立した個人」だ。人は生まれながら自立しているわけではなく、社会と向き合ってそれを促される。経済学者のアダム・スミスは「国富論」と並ぶ主著「道徳感情論」の中で呼びかける。
「あなたが逆境に陥っているのなら、孤独の闇の中で独りで悲しんでいてはいけないし、親しい友達の寛大な同情によって自分の悲しみを調節してもいけない。できるだけ早く世間と社会の白日の下に戻りなさい」

46. 2002/05/22(水) 15:00:35
↑最後の6行は二重コピーの誤りです、すみませんでした。

47. 似非理系 2002/05/24(金) 17:21:03
>源を遡る延長線 氏
>地域の力で、家庭「教育」の欠陥を解決してみたら、如何ですか?
児童虐待のニュースを聞いて私が特に違和感を覚えるのは、「近所の声」
事件が起こってから、「いつもあの家は子供の泣き声がするんですよ」
「子供の顔にあざができていました」などと他人事のようにいっているけど、
この近所の人間が助けてやれば虐待は止められたのに、といつも思います。
だから、地域社会が家庭教育を補うというのは有効な考えだと思います。
しかしこの場合、地域社会が家庭に進入することを
警戒する人が多いのが問題になるかもしれません。
なぜなら、家族というのはどこか私的なところがあって、それを公に晒すのは躊躇われるから。
だから、うまく地域と家庭との距離をたもつことが肝要と思います。

>人口密集な一都二府からそれぞれ一つ自治区を出して競争させて、
>優勝区を賞励する。
>目標:三年を目どに、
>   駄目親、駄目教師の再教育を実施する
駄目親・駄目教師の再教育は反対が多くでそうです。
駄目親は多少なりとも「自分の教育が間違っているんじゃないか?」
と思っているだろうから、強い反対はせずに再教育を受けるかもしれないが、
駄目教師の多数は自分が駄目だと気づいておらず、
なおかつ自分のやり方に口出しされるのを嫌うから、強い反対が予想される。
しかも、一都二府は、いずれも日教組の強いところです。
「行政が口を出すな」とかいって協力してくれなさそう。
だから、この案が成功するか否かは、親の支持が得られるかにかかっているでしょうね。
親が教師の資質向上を強く望めば、日教組も動かざるを得なくなる・・かも。

>アメリカと日本の教育の違うところを調べました。
>ポイントは「自立した個人」だそうです。
教育の1番根本は「子供の自立」にあるのに、
日本の教育はそれを忘れているのかもしれません。
該当ページを見ましたが、この記事の他にもいろいろな記事があって参考になります。

48. 蜻蛉 2002/05/24(金) 21:38:45
>「日経新聞」特集:再び 教育を問う
さっと見たけど、なんだか面白そうです。
とりあえず、お気に入りに登録…と。
まあ、「日本流アリとキリギリス」の精神も悪くないですが、自立を芽生えさせることは義務教育のどこかで必要だと思います。

>自治区の競争うんぬん
選抜された自治区だけでやらせても、そうでない地域の連中には他人事のように映ってしまうのでは?馬鹿な親についての報道があっても、それが他人事に見えるからこそ、今まで改善しようとしてこなかったわけだし。
あるいはその報道自体に関心がない、つまり自分の教育が一番だ、と決めてかかっていることもありうるでしょう。そうだとしたら、「駄目教師」だけでなく、「駄目親」も大多数が反対に回ると思います。
何らかの形で、全員に問題意識を持たせるようなことをすべきだと思うんですけど、これもまた困難でしょうねえ…。
それぞれがしっかりしていれば、こんな面倒なことを考える必要もないのに…。

49. ↑延長線: 2002/05/25(土) 11:10:33
運の良いことで、ちょうどNHKで松沢哲郎教授の講座が放送中なので、掴みました。
野生チンパンジー子育ての研究がなかなか意味深くて、これは人間に応用できるはずだと思いました。
>「日本流アリとキリギリス」の精神も悪くないですが、自立を芽生えさせる>ことは義務教育のどこかで必要だと思います。
豊かな社会にの溺れやすさは、もう歴史に拠って前例証明済みだと思うが;
だから、子供に幼いうちで自立を芽生えさせることも大事な理念として成り立っているかなと思います。

>何らかの形で、全員に問題意識を持たせるようなことをすべきだ・・・
良い突っ込みのお陰で、何か大事なヒントを見えてくる気もします。
でも、一番「他人事のようにしている」人達についつい突っ込みたくなってしまうが、それは国の興亡に無責任な文科省、儲けばかり考える業者と駄目教師達に向かうことかな、また真っ先に突っ込みたくなる疑問質問は:
あなた達自分自身も十分に親に為り得るのに、自分自身こそどういう理念で自分の子供を「教育」しているのでしょうか?
自分の良心に自問自答したことはありますかな?
・・・そうだ、ここまで追究しても、当事者が答えてくれなかったらどうします?(悩み)22世紀の文科省に繰越しましょうか。

50. ↑好奇心: 2002/05/25(土) 11:48:21
それが一番知りたいところだな。
一番「他人事のようにしている」人達は無責任な文科省、儲けばかり考えている業者と駄目教師だと思うが、彼ら自分自身こそどういう理念で自分の子供を「教育」しているのでしょうかね?

51. >jjj 2002/05/25(土) 12:45:44
>jjj 2002/05/17(金) 22:34:32
>しかしこの国の「教育」は意味不明だ。。。体育会といい塾といい・・・
僕もそう思っている。
無責任な文科省、儲けばかり考えている業者と駄目教師っで
自分の子供とのコミュニケーションさえできてないかなと想像してしまう。

52. 源を遡る延長線: 2002/05/25(土) 15:51:20
>似非理系さん
若干話がずれているが、暫く考えさせてください。
児童虐待の実例を見たこともないから、話を遠慮します。
僕の実例は小学校の遊び仲間のことで、僕と三四人は一応「いい大学」に入ったけど、但しほかに引きこもりやフリーターで悩んでいる二三人もいるとのことです。
しかし、彼らのお母さん達は殆ど優しいかたばかりで、彼らを塾や私立高にも入れて上げたのに、・・・なぜこうなるでしょうか。
しかし、引きこもりやフリーターの人数は200万人もいるそうだから、
このきっかけで日本の教育にますます疑問を深く感じるいっぽうです。

53. 源を遡る延長線: 2002/05/25(土) 15:56:35
>似非理系さん
若干話がずれているが、暫く考えさせてください。
児童虐待の実例を見たこともないから、話を遠慮します。
僕の実例は小学校の遊び仲間のことで、僕と三四人は一応「いい大学」に入ったけど、但しほかに引きこもりやフリーターで悩んでいる二三人もいるとのことです。
彼らのお母さん達は殆ど優しいかたばかりで、彼らを塾や私立高にも入れて上げたのに、・・・なぜこうなるでしょうか。
しかし、引きこもりやフリーターの人数は200万人もいるそうだから、
このきっかけで教育にますます疑問を深く感じるいっぽうです。

54. 2002/05/25(土) 16:09:17
何故エラー再送信なってしまったのか、
わざではないけど、すみませんでした。

55. tkr-m 2002/05/25(土) 21:34:41
初めてまして。
教育についての問題を語る場で僕がいつも気になるのは、
文部省や教育委員会などのお役人の方針が正しいかどうかということがが議論の中心になっていることです。
詰め込み教育が批判されればゆとり教育、学力低下が叫ばれれば表面的に対策を練ったりしていますが、
そんな中から浮かんでくるのは、批判されるのを嫌い、ただ上に立って管理することのみを目的としている文部省の姿です。
そもそも文部省のような役人が一元的に日本の教育現場を管理していることにこそ問題があるのではないでしょうか?
僕は公立中学に通っていましたが、
中2のときに校長が変わってから急に学校の雰囲気が退廃的になっていったのを覚えています。
前の校長は自由を重んじ、校則は全く要らないという自由主義で知的な雰囲気のある校長だったのですが、
後任の校長はいかにも卑しく権威主義的で、文部省にしょっちゅう出入りしていました。
やがて靴下の色が白でなければならないという規則ができ、生徒総会では何も議論されないことが望ましいという気風が生まれ、僕の一つ上の世代から不良が一気に増えました。
これはひとえに役人の退廃的な雰囲気が学校現場に降りてきた結果だと思います。
また教師がどうしようもないという意見をよく聞きますが、
それは自由主義の教師がいわゆる「問題教師」というレッテルを貼られ、
かわりに役人のマニュアル通りに動いて「問題を起こさない」教師が歓迎された結果ではないでしょうか?

56. tkr-m 2002/05/25(土) 21:35:08
一時日の丸・君が代強制すの問題がよく取り上げられましたが、
そこで論じられていたのはいつも日の丸・君が代に賛成か反対か、またそれは倫理的に善か悪かということでした。
しかし問題の本質はそんなことではなく、役人が日の丸・君が代を強制するという行為自体にあると思います。
役人の狙いは、こういうときに何かと反対する教師を「問題教師」として取り上げることにあったのではないでしょうか?
役人は恐らく教育はどうあるべきかなどという信念などは持っていないと思います(個人は別として)。
それは彼らの一貫性のない方針を見ていればすぐわかります。
彼らは「管理する」ことにしか関心がないのでしょう。
逆にそれができれば手段は日の丸・君が代でなくても何でもよいのです。
マスコミや識者はなぜ何もわからないようなフリをしてるのでしょうか?
彼らは役人のそういった行為を批判し、権力を弱体化するべきでしょう。
それが実現して初めて日本の教育が改善されるのだと思います。

57. tkr-m 2002/05/25(土) 21:42:39
つまり教育において一番重要なのは「雰囲気」だと思います。
雰囲気は集団を支配し、集団の行動に甚大な影響を及ぼします。
しかしそれは抽象的で捕らえにくい空気のようなものだから、
生徒はなんとなくわだかまりを感じていながらその原因がわからず、
ただ身近にいるむかつく教師を敵視しているように思えます。
僕も中学時代は何がイヤなのかがわかりませんでした。

58. 天気予報 2002/05/25(土) 21:47:09
大荒れの模様です

59. 入り浸り [E-Mail] 2002/05/26(日) 22:24:41
あえて中身のないカキコをして気をそらしてみるテスト

60. えー、 2002/05/26(日) 22:27:26
tkr-m氏の見解になにか意見はありませんか?

61. >えー、 2002/05/26(日) 22:57:59
>tkr-m殿
良い見解に感動しました。

62. 啓示板 2002/05/26(日) 23:28:46
このスレはこれから雰囲気で権力を弱体化するスレになりました。

63. tkr-m 2002/05/27(月) 00:55:58
結局僕は前に書いたように思ってるんで、教育を変えたければみんな選挙に行ていい政治家を選べ!以上!
で終わってしまうんですけど、なんかあれから議論がストップしてしまったみたいで申し訳ないです。。
役人のせいになっちゃったらもうどうしようもないじゃん、ていう感じがするんですかね?
まあ飯がまずくなる類の話ですよね。。
なんかレスポンスとか反論があれば嬉しいんですけど。

64. 2002/05/27(月) 01:19:49
そうだな、まともなレスはないな。

65. ↑↑ 2002/05/27(月) 01:22:38
その厨房臭い文章をなんとかしてから来い。

66. 2002/05/27(月) 01:34:38
おい、まともな反論が出来ないからといって罵倒とは情けないぞ。
厨房そのものだ。

67. >tkr-m殿 2002/05/27(月) 08:21:45
>役人は恐らく教育はどうあるべきかなどという信念などは持っていないと思います(個人は別として)。
僕は君の言いたい気持ちをすごくわかっている、支持するよ。
でも良質な議論ほど、皆さんに考えさせてしまうから、少々ストップするのが
その為かな。

68. バウンド 2002/05/27(月) 10:59:29
>アメリカと日本の教育の違うところを調べました。
>ポイントは「自立した個人」だそうです。
この点はアメリカを見習うべきかも知れないですね
特に親はこのことを気をつけるべきかも、
日本の親は、子供に「何が好きなのか、将来何をやりたいのか?」と
問い掛けることって少ないのかもしれません。
それどころか
1.「子供は無限の可能性を持っていてなんでもやれる」と信じていて
2.そのことを子供にも言うし
3.ときには親の夢(芸能人になりたいとか)を押し付けても
 (押し付けているとは思っていない)
 子供が期待通りになってくれると思っている。
というようなことがあったりしますからね。
1は確かに真実かもしれないけれど。それを子供に言ってもね……

69. バウンド 2002/05/27(月) 11:28:08
>なんかレスポンスとか反論があれば嬉しいんですけど。

では頑張ってみます。

>そもそも文部省のような役人が一元的に日本の教育現場を管理していることにこそ問題があるのではないでしょうか?
そもそも「教育」である以上「役人の管理」は必要であると思っています。
教育はどんな国家(共同体)を作るのかという問題に直結するからです。
どんな教育を施すべきなのかを考えた上で、それを実現するためには
それを管理する団体が必要ですよね。
確かに管理によってなんらかの弊害が出ていることは確かでしょう。
本来管理するべきでないことまで
管理しているということはありうるかもしれません。
しかしそれは管理そのものの是非とは無関係ですよね。

>かわりに役人のマニュアル通りに動いて「問題を起こさない」教師が歓迎された結果ではないでしょうか?
問題を起こす教師というのは例えば
・生徒に対して強い態度で出る教師
・指導要領を完全に逸脱している教師
でしょう。前者が否定的に見られているとすればそれは
役人がどうこうではなく、世論(親)がそれを否定しているからでは?
後者について(その逸脱の仕方が)
生徒および親からみても歓迎されるような内容にもかかわらず
教師が処分を受けたとすればそれは問題でしょう。
しかし基本的に指導要領はそれを超えて教えても、
問題ないはずだったと記憶していますから
そのような事態が起こるとは考えにくいのですが(記憶違いならば申し訳ない)。

>役人が日の丸・君が代を強制するという行為自体にあると思います。
たしかにこの場合の「強制」はちょっとどうかなという思いはあります。
しかしこの問題は、
日の丸君が代を尊重するように教えることは必要か否か
という問題に過ぎないと思っています。
例えば、「算数を教えるのは自分の思想信条に反するので絶対に拒否する」
と主張する教師がいたら処分されても文句は言えませんよね?
ですから僕がちょっと問題だなあと思っているのは
大部分のマスコミが日の丸君が代を尊重するように教えることに否定的な状況で
一足飛びに「強制」までいってしまったことです。
まあ反発されるのは覚悟の上でしょうが。

>tkr-mさん
とりあえず管理を否定するのならば
どのようなシステムで教育を行うべきだと
考えているのか言って下さると嬉しいのですが

70. 似非理系 2002/05/27(月) 13:20:20
>tkr-m氏
>そもそも文部省のような役人が一元的に日本の教育現場を管理していることにこそ問題があるのではないでしょうか?
文部省による管理そのものを否定する意見には同意できないです。
その理由を、教育の目的は「自立」にある、というこれまでの議論の文脈に則して説明します。

自立した個人になるということは、「公共心があり、ルールを守れる人間になる」という側面も
当然あります。場合によっては上からの押し付けも必要になります。
だから、
>前の校長は自由を重んじ、校則は全く要らないという自由主義で知的な雰囲気のある
学校というのはあまりいい学校には思えません。
また、校長が替わった後、
>やがて靴下の色が白でなければならないという規則ができ、生徒総会では何も議論されないことが望ましいという気風が生まれ、僕の一つ上の世代から不良が一気に増えました。
というのは、規則ができたことそのものより、「何故規則が必要か?」という理由について
しっかり教えなかったところに問題があると思います。

それに加え、「自立した個人」になるためにはある程度の知識が必要だから、
国から「学習指導要領」という形で教育内容を管理する、という側面もあります。
これらの理由から私は、「管理」が「自立した個人」になるための手段として必要、という立場をとります。
もっとも、現代の文部省の教育方針が「管理することが手段でなく、それ自体目的になっている」
という気はしています。だからあなたの意見の
>彼らは「管理する」ことにしか関心がないのでしょう。
というところは同意。
でも、それは文部省の人間に「教育はどうあるべきか」という信念を持たせればいいのであって、
権力を弱体化するべき、とは思いません。

71. 似非理系 2002/05/27(月) 13:20:55

>一時日の丸・君が代強制すの問題がよく取り上げられましたが、
>役人の狙いは、こういうときに何かと反対する教師を「問題教師」として取り上げることにあったのではないでしょうか?
「日の丸君が代」の教育には、
「あなたたち一人ひとりを一人前にするために非常に多くの税金がかかっています、
だから国に対して感謝の意を示しましょう」ということを教え、愛国心を涵養する
意味があるように思います。だから、
役人の側が「日の丸君が代」を踏み絵のように使っているようには思いません。
むしろ、「日の丸君が代」を踏み絵にしているのは教師の側だと思います。実際、広島県では
「日の丸君が代」を推進しようとした校長をつるし上げて、自殺に追い込んだ事件がありました。

>つまり教育において一番重要なのは「雰囲気」だと思います。
「重要」というのはいい意味か、それとも悪い意味で言っているのですか?
それに前後の文脈ともつながらないようにみえますので、もう少し説明をお願いします。

72. スノッブ 2002/05/28(火) 00:37:28
しばらく静観しておりましたが、再度活発化しているようなので再参戦を。

>バウンドさん

> しかし基本的に指導要領はそれを超えて教えても、
> 問題ないはずだったと記憶していますから
> そのような事態が起こるとは考えにくいのですが(記憶違いならば申し訳ない)。

指導要領には法的拘束力が存在します。これは確かです。
ただ、従来は「標準」を定めたもので、これを上回ることも下回ることも原則として
許されなかったのですが、今回高まる批判の中、「上限規制ではない」と初めて
解釈が改められた、という顛末だったと思います。
ただ、教科書自体は、検定の段階で、指導要領を上回る内容は削除されてしまったため、
危惧されるような事態は、残念ながらある意味では既に起こっているとも言えるでしょう。

> ですから僕がちょっと問題だなあと思っているのは
> 大部分のマスコミが日の丸君が代を尊重するように教えることに否定的な状況で
> 一足飛びに「強制」までいってしまったことです。

もっとも、国民世論の大半は否定的ではなかったと記憶していますが……。
ただ、私個人の意見としましては、教育の場で国旗・国歌を教育すること自体は
必要だと思いますが、これを式典の場に持ち出す必然性はどうしても理解できない
(こういうと、米国云々という反論がよく出るのですが、国歌の象徴となるべき
歴史も伝統も君主も不在の米国と、それを全て持つ我が国では事情が違います)。
しかも、こういう形の政争が起こってしまったということは、国民・国家全体の
象徴であるべき国旗や国歌が、一方の政治的立場の旗印にまで格下げされてしまう
ことともなりかねないわけで、国旗・国歌に対する冒涜的行為だとすら
言えるのではないかと思います(もっとも、そもそもこれに「反対のための反対」
としか思えないことを言い出した側の方が明らかに重いとは思いますが)。

73. スノッブ 2002/05/28(火) 00:38:49
長くなってしまったようなので、続きです。

>似非理系さん

> でも、それは文部省の人間に「教育はどうあるべきか」という信念を持たせればいいのであって、
> 権力を弱体化するべき、とは思いません。

ただ、法治主義の思想からすると、本来権力者に「徳」を期待するのは過ちのもとでは……。
むしろ、著しく偏った信念を持たれた結果が今回の「超ゆとり教育」ではないでしょうか。
本来は、政治の場からの、堅固な思想に基づいた強いリーダーシップが期待されるところで、
今回の事態は残念ながら、それを怠った政治家サイド及び、事ここに至るまで事態を敢えて
問題視しなかった、我々有権者サイドが責めを負うべきなのではないでしょうか。

74. tkr-m 2002/05/28(火) 01:28:07
レスポンスありがとうございます。

>そもそも「教育」である以上「役人の管理」は必要であると思っています。
>教育はどんな国家(共同体)を作るのかという問題に直結するからです。
>どんな教育を施すべきなのかを考えた上で、それを実現するためには
>それを管理する団体が必要ですよね。
確かに全く必要がないとは言えないかもしれません。
しかし今彼らの仕事のほとんどは不必要なことばかりだと思います。
教育理念は政治家が決めるべきことであってもともと彼らの役割ではないはずです。
役人はいわば事務員です。その役人がろくに信念もないのにあたかも脳のようにふるまっているのが問題なのです。
役人と癒着する政治ではなく、コントロールする政治にしなくてはダメだと思います。
国民は役人を選ぶことができないのですから、彼らが教育の指揮をとるのは明らかにおかしなことです。

>しかし基本的に指導要領はそれを超えて教えても、
>問題ないはずだったと記憶していますから
それは多分そうなんでしょうけど、教育委員会などは、
例えば日の丸・君が代に反対するような教師は問題教師として捉えるはずです。
そのような教師は委員会に呼ばれたりして圧力を受けるという話を聞いたことがあります。
たとえば校長だって管理職なわけだから普通の教師より役人の立場に近いといえるでしょう。
その校長の方針に逆らうような教師には当然圧力がかかることが考えられます。
そして校長も教育委員会に気に入られるタイプの人物の方がなりやすいはずだから、
結局自由主義的な教師は排除されやすいのではないでしょうか。

>大部分のマスコミが日の丸君が代を尊重するように教えることに否定的な状況で
>一足飛びに「強制」までいってしまったことです。
マスコミが否定的な反応を示したら強制するのなら、最初から強制するのと同じだと思います。

>どのようなシステムで教育を行うべきだと
>考えているのか言って下さると嬉しいのですが
全く管理しないで放任とするのはどうかとしても、例えば教科書の検閲は必要ないでしょう。
そういうことは学校や地域ごとに教師や学者が話し合って決めれば自然と正しい教育が行われると思います。
そもそも文部省は学問に対して門外漢なので、彼らが中心にいる必要性は全くないと思います。

75. tkr-m 2002/05/28(火) 01:31:22
>「公共心があり、ルールを守れる人間になる」という側面も
>当然あります。場合によっては上からの押し付けも必要になります。
そのためにわざわざ人為的に意味のないルールを作り、守らせることが必要でしょうか?
多くの校則は、社会に出て理不尽な目にあった時に耐える練習にしかならない気がします。

>「何故規則が必要か?」という理由についてしっかり教えなかったところに問題があると思います。
靴下を白に統一することで君たちの公共心が育つのです、
と言われたところでとても納得できません。
ルールには守るべきだけの必然性が必要だと思います。
やっぱり結果的に自由主義の学校の方がうまくいってるように見えます。

>「あなたたち一人ひとりを一人前にするために非常に多くの税金がかかっています、
>だから国に対して感謝の意を示しましょう」ということを教え、愛国心を涵養する
それには賛成できる面もあります。
ただそのような学校制度を提供してくれている国に感謝するとはいえ、
その国=今の政府ってわけではないんですよね。
彼らは国民の教育の向上に貢献しているとは言い難いし、
役人は単に試験に受けていい点とってたまたまそのポストに着いているだけですから。
そんな彼らが愛国心なんていってみたところで説得力はありません。

>実際、広島県では「日の丸君が代」を推進しようとした校長をつるし上げて、
>自殺に追い込んだ事件がありました。
この事件を知らないので何とも言えませんが、
自殺したってことは教師に反対されて日の丸君が代をやめることができなかったからですか?
もし校長が教師と文部省の板挟みになっていたとしたら、一方的に教師が悪いとする理由はないですよね。

>>つまり教育において一番重要なのは「雰囲気」だと思います。
>「重要」というのはいい意味か、それとも悪い意味で言っているのですか?
いい意味でも悪い意味でもです。
教育現場に流れている雰囲気が一番生徒に与える影響力が大きいのではないか?ということです。
雰囲気とはつまり、なんとなく生徒が尊重されてるのか、軽視されているのか、とか色々です。
内申書は学校の雰囲気をかなり悪化させてると思います。
みんなが、自分が教師に気に入られているかばかり気にしているような学校もあるそうです。
中曽根康弘は自ら愚民政策を実施したと言っていたそうです。

76. たばね 2002/05/28(火) 08:36:08
学校によっては、日の丸・君が代を受け入れなければ予算が下りず、反対のしようもないとか。そもそも学校がたちゆかなくなってしまうので。

77. 入り浸り [E-Mail] 2002/05/30(木) 14:24:48
>tkr-m

とりあえず苅谷剛彦の言葉を引用。
「教育改革や教育問題をめぐっては、さまざまな印象論、体験論に基づく議論が
 広まっている。だが、個人的な印象や体験に基づく主張は、憶測を生みやすい。
 そうした議論に基づいて改革の方向が決められるとしたら、その試みは教育や
 社会の基本的な構造を思わぬ方向に変えてしまう危険性を持つ」

あんたの主張はまさにコレ。自分の体験によって思ったことを主張しているだけ。
もしもあんたが現役の京大生ならば考えてみなさい。全国模試で偏差値60
が普通ではなかったですか?偏差値は50が平均です。みんな大学への進学を
希望していませんでしたか?日本の大学進学率は生徒の数が足りない学校まで
含めて40〜50%です。世の中には京大生の思いもよらぬような学校が
存在していて、それはそれで問題が存在しているのです。混乱校と呼ばれる
公立高校と洛南洛星東大寺のようなエリート私学とでは事情が違いますね?
私学どうしでも仙台育英高校と灘高校では事情が違いますね?
あんたの印象論で語られて迷惑するのは次の世代なんだからもうちょっと
まともな事を書いたらどうだ。

78. 入り浸り [E-Mail] 2002/05/30(木) 14:33:48
>全く管理しないで放任とするのはどうかとしても、
>例えば教科書の検閲は必要ないでしょう。
>そういうことは学校や地域ごとに教師や学者が
>話し合って決めれば自然と正しい教育が行われると思います。
>そもそも文部省は学問に対して門外漢なので、
>彼らが中心にいる必要性は全くないと思います。

文部省に恨みでもあるのかね?知りもしないでしゃべると恥かくよ?
さて、ここからが論点ですが、

学校や地域ごとに教師や学者が話し合って決めれば自然と正しい教育が行われると思います。

これは本当だろうか?ひとくちに学校の教員といっても熱血教師詰め込み教師
そしてセクハラ教師とさまざまな人種が存在している。
さらに言えばそれらが常に正しい教育の方向性を導き出すだろうか?
そんな「神の見えざる手」は存在しうるのだろうか?
また、学者についても同様。地域に必ず教育学者がいるとは限らない。
もしも教育学者を政府が派遣するとなればこれは単に教育の委託に過ぎない。
また、資本主義的に教育学者を選ぶとなれば、大衆迎合的な教育がハバを利かす
であろう。というわけでこんな甘い考えは受け入れられない。
国家や共同体の構成員を作るという教育の考え方から、国家やその共同体が
叡智を注ぎ込んで作っていくのが教育制度であると考えられる。

79. jkl+ 2002/05/30(木) 18:05:14
ふと引っかかったのですが…
>靴下を白に統一することで君たちの公共心が育つのです、
>と言われたところでとても納得できません。
>ルールには守るべきだけの必然性が必要だと思います。

僕も今までこのように考えていたのですが、果たして現実の社会の
ルールにも守るべきだけの必然性があるものでしょうか??
たとえば、車の全くない深夜の赤信号… これなどもまったく必然性
のないルールではありますよね。 しかしみんな守っている。
例はこのほかにも多く見ることができそうですが、どうでしょうか??

80. 蜻蛉 2002/05/30(木) 21:20:55
>「教育改革や教育問題をめぐっては、さまざまな印象論、体験論に基づく議論が
>広まっている。だが、個人的な印象や体験に基づく主張は、憶測を生みやすい。
>そうした議論に基づいて改革の方向が決められるとしたら、その試みは教育や
>社会の基本的な構造を思わぬ方向に変えてしまう危険性を持つ」

全くその通りだと思います。
僕がゆとり教育反対が何だかおかしいな、と思うのはこういう面があるのでは?というわけで。

>学校や地域ごとに教師や学者が話し合って決めれば自然と正しい教育が行われると思います。
正しい教育というのが何を指しているのかは分かりませんが、たしかに、指導要領の枠を超えた、自由な教育は期待できるかもしれません。しかし、一方で、思想の偏りが出ないか心配です。
内輪で決めると、例えば、二つの対立する意見のうち、一つだけしか教育の場で示されないのではないか、二つを示して生徒の判断にゆだねることが出来なくなるのではないか、というわけです。

P.S. 少し分かりにくいかもしれません。いい言葉が思いつかなかったので…。

81. tkr-m 2002/05/31(金) 01:59:58
>あんたの印象論で語られて迷惑するのは次の世代なんだからもうちょっと
>まともな事を書いたらどうだ。

あなたがいいたいことは、素人が教育に口出しするなってことですか?
僕は体験に基づかない意見の方がむしろ危険なんじゃないかと思いますが。
実際今問題校と言われているような学校は、まさに今の教育制度下で存在しているわけでしょう。
確かに僕は今まで問題校と呼ばれるほどひどい学校にいたわけではないですが、
中学はごく普通の公立だったので一応平均的に色んな人を見ていたと思います。
そして色んな人が荒れて不良になっていくのを目の当たりにしました。
もちろん自分は彼らのことを理解しているんだと言うつもりはありませんが、
悪循環を作り出した要因の一つが校長の交代にあったことは間違いない気がします。
ちなみに文部省に直接に恨みはありませんが、嫌いです。

>もしも教育学者を政府が派遣するとなればこれは単に教育の委託に過ぎない。
>また、資本主義的に教育学者を選ぶとなれば、大衆迎合的な教育がハバを利かす
>であろう。というわけでこんな甘い考えは受け入れられない。
確かに具体的にどのような組織を作ればよいのか思いつきませんが、
少なくとも今の文部省>中教審>教育委員会が全てを決定するシステムよりはましな方法があると思います。
また良い教育者(またはそれを選ぶ政治家)が大衆に訴える力をもつことは必須でしょう。

>国家や共同体の構成員を作るという教育の考え方から、国家やその共同体が
>叡智を注ぎ込んで作っていくのが教育制度であると考えられる。
しかし国家とは何であるべきでしょうか?
今の教育に問題を感じている20歳以上の大人は全員選挙に行くべきだと思います。

82. tkr-m 2002/05/31(金) 02:00:19
>果たして現実の社会のルールにも守るべきだけの必然性があるものでしょうか??
どうでもいいルールはもちろん沢山あると思いますが、たいていそういうものは拘束力が弱いはずです。
学校の校則はどうでもいいくせに拘束力が強いからたちが悪いのです。

>正しい教育というのが何を指しているのかは分かりませんが、たしかに、>指導要領の枠を超えた、自由な教育は期待できるかもしれません。しか
>し、一方で、思想の偏りが出ないか心配です。
>内輪で決めると、例えば、二つの対立する意見のうち、一つだけしか教育>の場で示されないのではないか、二つを示して生徒の判断にゆだねること>が出来なくなるのではないか、というわけです。
今の教育も思想的に偏っていないとは言い切れません。
むしろ一括して全国的に同じ教育なので偏りに気づかないという危険性もあります。
正しい教育が行われるというのは、ちょっと理想的な言い方をしすぎました。
地域によっては激しく偏った教育が行われるという弊害があるかもしれませんが、
国民や教育者が他の地域と比較検討できるという点が大きいと思います。

83. バウンド 2002/05/31(金) 16:20:42
まあ落ち着いて参りましょう。

>tkr-mさん
>役人と癒着する政治ではなく、
>コントロールする政治にしなくてはダメだと思います。
>国民は役人を選ぶことができないのですから、
>彼らが教育の指揮をとるのは明らかにおかしなことです。

それは政治一般の問題であって、
あまりに官僚中心過ぎるのじゃないかと言う批判は(その真偽はともかく)
あってもよいと思いますが、
「だから国家(政府)の管理と教育とをもっと切り離すべき」という主張をするのは
(以下の発言からそう判断しました)
>例えば教科書の検閲は必要ないでしょう。
>そういうことは学校や地域ごとに
>教師や学者が話し合って決めれば自然と正しい教育が行われると思います。

少し違うように思いますが。

>例えば日の丸・君が代に反対するような教師は問題教師として捉えるはずです。
上のレスでも述べましたがそれは「日の丸君が代は教育内容として適当か否か」という
問題であって、教育委員会の対処の仕方が不適当という結論には
ならないのではないでしょうか。
もしこの件が問題視されるとすれば
それは日の丸君が代は教育内容として適当か否かがあいまいなのに
(とマスコミは主張している)
日の丸君が代は教育内容として適当であると政府が決め付けるのはおかしい。
ということであって、官僚ではなく政治家の問題ですよね。

84. バウンド 2002/05/31(金) 16:23:13
>靴下を白に統一することで君たちの公共心が育つのです
個人的には中学校でこのような校則を作るのは馬鹿馬鹿しいと思います。
しかしこのような校則を作る校長が存在してしまうのは
「官僚が教育を管理しているから」でしょうか?
「国民全員がこのような校則を中学校に作るのは馬鹿馬鹿しいと信じていて
政治家もそう思っているのに、官僚だけが暴走しているせいで、
管理的な校則が生まれる」わけではないでしょう?

>少なくとも今の文部省>中教審>教育委員会が
>全てを決定するシステムよりはましな方法があると思います。
それはあり得る話かもしれませんね。
詳しくそれらの組織について知っているわけではないので
なんともいえませんが。

>今の教育に問題を感じている20歳以上の大人は全員選挙に行くべきだと思います。
これはまったくもって賛成です。

>むしろ一括して全国的に同じ教育なので偏りに気づかないという危険性もあります。
何事も偏りを少なくするためにはそれを選択する人間の数が多いほうが言い訳で
結局国家で統一的に(もちろん幅は持たせた上で)教育方針を決定するのが
一番よいと思いますが。
もちろん↑は、国民がその選択を行える立場にあることが必要ですが。
日本国民は幸いにしてその立場にあるわけですから。

85. 入り浸り [E-Mail] 2002/05/31(金) 17:22:29
>tkr-m

つまり、統計をしっかりとり、個別具体の事例を収集することによって
包括的な解決方法を探し出せと言っておるのだよ。その結果、
全ての学校に共通する課題が浮かび上がってくるかもしれないし、
数種類の類型が顕われるかもしれないし、いくつかの要因が
複合的に顕われてくるかもしれない。あんたの発言はどう好意的に
解釈しても「てめえの学校では校長が悪かった」という
結論しか導きだせず、全ての学校においての解決方法にはなりえない。

今忙しいからまたレスする。待つべし

86. 入り浸り [E-Mail] 2002/05/31(金) 22:38:17
>具体的にどのような組織を作ればよいのか思いつきませんが

だったら雰囲気で権力の弱体化だのなんだのと言うな。
「マシな方法があると思う」だけなら全ての国家組織について
さらなる効率性を追求できる可能性がある。せめて
新たな官僚制のアウトラインでも示すべきではないか。

87. tkr-m 2002/06/01(土) 19:34:59
>「国民全員がこのような校則を中学校に作るのは馬鹿馬鹿しいと信じていて
>政治家もそう思っているのに、官僚だけが暴走しているせいで、
>管理的な校則が生まれる」
かなり多くの国民が官僚主義を支持していて、その結果官僚と癒着する政治家が権力を握っています。
しかしそれを問題だと思っている恐らくもっと多くの国民が、
選挙に行かなかったり結局自民党に投票したりしているために、世の中が変わらないんだと思います。
管理的な校則が作られるのが直接に官僚の指示によるというわけでは決してありませんが、
上に立つものの雰囲気は往々にして下に降りてくるものだと思うので。

>雰囲気で権力の弱体化だのなんだのと言うな。
それは僕の発言内容を誤解していますね。
むしろ言うなれば選挙で権力の弱体化ですが。

>統計をしっかりとり、個別具体の事例を収集することによって
>包括的な解決方法を探し出せと言っておるのだよ。
今それをやっている時間はとてもありませんが、
そのうちもっと勉強してからまた改めて書き込みたいと思います。

88. 勉強不足 2002/06/02(日) 01:01:00
文部省って必要なの?

俺、司馬遼太郎の小説二つほど読んだんだけど、江戸時代の教育制度って結構良い様な気がするのよね。各藩が勝手にやってるの。藩校とか作ってさ。

薩摩は青年達の自治組織に教育させるから、血の気が多く、細かいことを考えないような気質に育ち、長州は何故か観念的な考え方をするらしく、肥前は出世するために儒学やらの素養が必要だったから猛勉強する必要があったそうで、型にはまった考え方をしやすくなるとか言ってた。

モザイク国家だっけ?このスレにもこれからは多様化の時代だって言ってる人もいるし、国よりも都道府県に任せた方が良いんじゃないのかなって思う。
バシバシ競争させる県もあれば、平等にこだわる県もある。農業教育が盛んな県があれば、IT教育が盛んな県もあるとか。
ダメかなあ…

p.s.堅苦しい文体で書くほど知識に自信が無い…

89. 2002/06/02(日) 01:57:51
でも、どの育て方をされた人が社会で大事にされるか、を考えると、
いきおい、画一的な教育になるだけでしょう。
多様な教育大いに結構ですが、
多様性の受け入れを社会の側が出来ないとまったく無意味です。

90. tkr-m 2002/06/02(日) 13:38:01
>勉強不足
僕も賛成。なんでも一極集中で東京で決めるんじゃなくて、
各県がそれぞれの特色を出したほうが絶対面白くなると思う。

91. 入り浸り [E-Mail] 2002/06/02(日) 17:51:08
言うは易し行なうは難し。
多様な教育が実践できた背景にはその背後に武士はいわゆる
労働をしなくてもよいという実情があった。
農民が農業を営み、職人が工業を営み、商人が商業を営む。
その中で武士だけが支配者としての仕事をなしえたわけで、
四民平等の今日、全人口の大きな割合は被雇用者として
働かなければならない。つまり、ある程度平均化された労働力というのを
今の社会は必要としているわけで、その意味で一定レベルの教育を
全ての国民に施すのは必要であろうと考える。
ただし、その上で個性を出すならば話は別でしょう。
具体的には、う〜〜〜〜ん、
帝国大学と早慶くらいかな、個性的な人間を育成する必要があるのは。

92. 2002/06/02(日) 18:01:31
個性のとり違いをしておられるようだ。
時代背景の違いについての意見にはおおむね賛成。

93. 勉強不足 2002/06/02(日) 21:00:03
>↑(二つ上の方)
日本は民主制なんで、その地域社会の住人が、投票活動により子供にどのような教育を受けさせるか決める事になると思います。
社会が受け入れないような教育を行うことを住人が容認するとはなかなか思えないんですが…

>入り浸りさん
一定レベルの水準高すぎません?
旧帝早慶以外の人たちは社会が必要とする教育を受けていないとも読めるような…
中学レベルで良いんじゃないですか?

まぁ、それはいいとして。『一定レベルの教育をすべての国民に受けさせる必要がある』のも非常によく分かります。というより、当然だと思います。

しかし、その『一定レベル』がどれくらいなのかは、人によるのではないでしょうか?中学レベルは必要だと思う人もいれば、読み書きソロバンでいいという人もいるでしょう。
それも県単位で判断すればいいと思うのです。

国全体で『一定レベルの教育を国民に科す』事と『多様な教育を実現させる』事は微妙に矛盾があるような気がします。

p.s.入り浸りさんにレスもらえてちょっと嬉しいですね。有事法制のスレで読んだ文には脱帽しました。

94. 2002/06/02(日) 21:34:01
>↑(二つ上の方)
>日本は民主制なんで、その地域社会の住人が、投票活動により子供にどのような教>育を受けさせるか決める事になると思います。
>社会が受け入れないような教育を行うことを住人が容認するとはなかなか思えない>んですが…

よく読んで。
「多様性を受け入れない社会(地域社会じゃないよ。全国レベルの話だよ)」に受け入れられる教育を地域住民が選ぶってことは、
結局どこの教育も似たり寄ったりになるってことじゃない?
どの地域の親もできるだけ自分の子供が損しないような教育を受けさせたいと思うだろう?

大事なのは、
特色ある教育を受けた人を社会が受け入れること。
それがなければ、
特色ある教育を子供に施そうとする人などいないだろう?

95. 勉強不足 2002/06/02(日) 23:59:14
>↑
確かに読み違えてた。すんません。

確かに現状ではほとんど変わらないと思います。しかし、目標に向かうための種まきの段階にはなるのではないでしょうか?

例えばある県が中学校の学区制を完全に廃止したとします。この程度なら社会も容認するでしょう。そうすれば他の県でも採用するところがあるかもしれません。
そういった選択の繰り返しで、県の特色が出てくると思います。

社会が受け入れるであろう範囲の変化を繰り返して、大きく変化していくと思うのです。

96. >入り浸り 2002/06/03(月) 00:13:39
えーと、江戸時代の日本の識字率は90%超とかいう変態的な値でした。
学問は、一部のものだけではなく、庶民の間でもやっていました。

97. 2002/06/03(月) 00:16:33
そうなんだけど、
単なる識字率の話ではなく、
多様な教育が可能になる条件の話してるんだよね。

98. バウンド 2002/06/03(月) 19:05:52
次のスレ立てました
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200206/02060003.html

99. 入り浸り [E-Mail] 2002/06/03(月) 22:53:18
意味もなく99ゲット

100.