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21世紀、日本の教育-第二幕


1. バウンド 2002/06/03(月) 19:05:12
前のスレ
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200204/02040047.html

では頑張って下さい。

2. 入り浸り [E-Mail] 2002/06/03(月) 23:09:44
>↑ 2002/06/02(日) 18:01:31
>個性のとり違いをしておられるようだ。
>時代背景の違いについての意見にはおおむね賛成。

む、すまん。いわゆるエリート層を作るための教育を必要としてるのは
早慶と帝大くらいだ、と言いたかった。

>勉強不足
しかし、その『一定レベル』がどれくらいなのかは、人によるのではないでしょうか?中学レベルは必要だと思う人もいれば、読み書きソロバンでいいという人もいるでしょう。
それも県単位で判断すればいいと思うのです。

それはどうだろうね。一定レベルの教育というのが県によって違うと
「○○出身者は使えない」という事になりかねない。やはり一定レベルの
教育は必要だろう。実感としては数学T+Aくらいまでは日常生活の中で
使うように思う。それ以上は使った記憶がない。一方で、花火職人になるには
微積分(U+Bの範囲)が必要との話を聞いた事がある。
そんなこんなを考慮すると中学レベルまでの内容は詰め込み教育でびっちり仕込み、
そこからは学生の志望に合わせてどんどん細分化し、アラカルト化していけば
よいのではないだろうか。最終的には全員が学問的であれ職業的であれ、
何らかの専門的な訓練を受けられるようにするのがよいと思います。

P.S
俺は単なる経済学部生だよ・・・。
もっと大物がいるって。
(噂ではトンデモナイ大物がkyoto−uを見ているらしい)

3. 2002/06/03(月) 23:11:04
誰だよ・・・?

4. ぽんぽこぽん 2002/06/03(月) 23:20:43
とある教授が全学共通の講義で、ドットコムで
私の講義の内容がさらされてうれしかった
といっておりましたが…大物ではなかったかな?

5. 叫喚 2002/06/03(月) 23:22:12
みてんのかよ!

6. ぽんぽこぽん 2002/06/03(月) 23:24:14
結構見ているらしいですよ…
掲示板でほめられたとかなんとかってゼミで自慢されてもネェ…
ほめたのが私でしたから…

7. 子非屁 2002/06/03(月) 23:38:07
ネットをはじめたばかりの教官が、「面白いサイトをおしえてくれ」
としきりに言うので、試しに某サイトを教えてあげました。
すると、その教官は見事に厨房になってしまったのです。
居酒屋に入り、席につくなり「さあ、マターリしようか!!」
会話中も「その話はサゲで!」「オマエモナー!」「クソスレは終了!」
などと嬉々として覚えたての用語を連発しています。
先日など、学会の帰りに、面識のない人に
「ドキュソって知ってる?元は目撃ドキュンの・・・」などと話し出し、
しまいには酔っ払って、人差し指を天に向かって上げ、
「イッテヨシ!イッテヨシ!イッテヨシ!!!」と叫んでいるのです。
一緒にいる私は痛さで恥ずかしくてしょうがありません。
用語連発するなよ、と言うと
「うるせえドキュソ!あぼーんだ!」
と訳のわからない事を言い、相手にされません。

8. ぽんぽこぽん 2002/06/03(月) 23:45:20
…重症ですね。
教官にしてみればネットは大学より広くて新鮮で
素敵な楽園だったんでしょう…

9. スノッブ 2002/06/04(火) 01:32:53
話を戻しまして(^^;)。
ただ、都道府県という細かい単位にするかどうかはともかく、教育を
ある程度地方分権(最近議論されている「道州制」と絡めて?)することは
それなりに意義があるのではないか、と思います。
過去の来歴はともかく、現代の日本は 1 国で一つの文化圏を形成している
殆ど唯一の国ですから、そこにはある種の危うさがあると思うのです。
極端な話、国内の政治状況が急速に悪化したとき、文化的伝統を同じくする、
移民すべき国がないわけで、まあそこまで極端なことを言わなくても、
東京一極集中現象の中、地方の文化的な力がどんどん東京に吸い取られていく
という長期的な傾向自体は否定できないでしょう(京大もそのあおりを受けつつ
あると思います)。江戸時代からずっとこの傾向は続いているわけですから。

これに対して、例えばヨーロッパなどは、一つの文化圏が沢山の国に分かれているから、
中心都市が、ベルリン、ロンドン、パリ、ローマ……などとこれまた多くあり、
それぞれ色合いの違いを出していくことができる。これがヨーロッパ全体の
強さの源にもなっているのではないでしょうか?

教育レベルの格差を問題にされている人もいますが、ある程度そういうリスクを背負った方が、
お互い、「よりよい教育制度」を求めての競争が始まる分、全体的に事態は好転するのでは
ないでしょうか?
もし、ある地方の教育制度が余りにひどければ、他の地域に移住することだって可能なわけです。
言葉も同じだし、元々一つの国、一つの文化を背負っているわけですから。

現実に「道州制」を導入すべきかどうかはともかくとして、北海道・東北・関東……といった
「地方」を単位に、各地域の旧帝大などを軸として、教育の分権を行ってみることは
決して無意味ではないと思うのですが、いかがでしょう?

10. 勉強不足 2002/06/04(火) 16:49:08
>>入り浸りさん
一定レベルの教育というのが県によって違うと「○○出身者は使えない」という事になりかねない。

そうならないために、地方は子供に良い教育を受けさせようと努力すると思います。低水準のレベルで良いと判断した自治体は、多分教育ダメ地域になると思いますが、それも住民の判断の結果なのだから仕方が無いように思います。

スノッブさんのお言葉を借りますが、『よりよい教育制度を求めての競争』をさせたいのです。

11. >勉強不足 2002/06/05(水) 01:16:29
>地方は子供に良い教育を受けさせようと努力
するにしても、地方ごとに財政その他の面で基礎体力に違いがあるよね。

12. スノッブ 2002/06/07(金) 01:00:58
> するにしても、地方ごとに財政その他の面で基礎体力に違いがあるよね

それは現在と余り変わっていないでしょう。現在も教育の主体といえば、
小中学校は市区町村、高校は都道府県が主なわけですから。
大体が、大学はともかくとして、初等・中等教育はそこまでお金がかかるものでは
ないと思います。
現実に、国際学力調査においては、日本を含めたアジアの国が欧米諸国を凌駕することも
珍しくありません。
また、高等教育に範囲を拡げても、最近インドが技術者の供給地として注目されて
いるのは結構有名な話ではないでしょうか?

それに、そういった「地方間格差」は、全体の問題に比べたら問題の大きさと
しては、些少なものであるように思えます。
どうしても、というのであれば、地方交付税その他の手段で格差是正を講じれば
良いわけですし。

13. 入り浸り [E-Mail] 2002/06/07(金) 12:50:31
地方交付税を利用すると中央の言うことをよく聞く自治体に
より多くの資源配分がなされるので地方交付税を利用した
格差是正と県ごとの個性的な教育は両立できないと思われ。

むしろ、中学までは国が均質な教育を保障してやることが
望ましい。そして、高校からは自治体が中心となって個性的な教育を
行なうのがいいだろう。

14. ぽんぽこぽん 2002/06/07(金) 22:31:00
既に教職員組合などの関係で県によっては相当
高校での内容がそうとう偏った教育をしているみたいですが…

『よりよい教育制度を求めての競争』は必要だとおもいますが、
義務教育ではやはり均質教育が一番と思います。基礎は
しっかり叩き込むべきです。もちろん、できるやつは伸ばすこと。
悪平等にならぬよう、能力に応じて機会を均等に与えるべきです。

県の予算なんていうのは確かにかなり幅があるでしょう。
私の出身県は大赤字でしたが、私の出身校は県のモデル校だったんで、
他の県立より予算何倍ももらっていたようです。そういうふうに
メリハリ付けをすれば、何処の県でも相当充実した教育が行えるはずです。

>中央の言うことをよく聞く自治体により多くの資源配分がなされる
それはその通りだとおもいます。文部省の指導は大変
入りやすいのは事実だと思いますが。ただ、他にも問題として、
県の色が強すぎるというのもあるかも知れません。教育者の団体も
そうとう権力化してますし、市民の目の届かない教育が教室で
平然と行われているということは指摘させていただきます。
(私の出身地ちかく鎌倉市・東京国立市・三重県日教組等のケースを考えていただければと思います)

15. 蜻蛉 2002/06/07(金) 22:51:25
>中学までは国が均質な教育を保障してやることが
>望ましい。そして、高校からは自治体が中心となって個性的な教育を
>行なうのがいいだろう。
教育の中央集権化が問題となっているようですが、教育の質が良ければ、別にそれでいいのではないかと思います。
ただ、中学までの国主導の教育から、高校以降の個性的な教育へのつなぎが上手くいくか気になります。そこのところは何とかしないといけないでしょう。

大阪でしたっけ?小中一貫校の設置が計画されているみたいですが。
義務教育をつないでしまうのは面白いなと思います。
中高一貫校よりいいかな、と個人的には思っているのですが。

16. スノッブ 2002/06/08(土) 01:23:01
何かかなり誤解されているようですが(^^;)。
私は国家のグランドデザインという観点も含めて地方分権を言ってみただけであって、
別に「個性的な教育」を主張したつもりは微塵もないんだけどなあ(苦笑)。
それに皆さん、「多様な教育制度」と、「個性伸長の教育」を一緒くたにされていませんか?
両者は全く別次元のものです。

それに、「教育政策の均質性」と「教育効果の均質性」はまた別次元であって、
例えば今回の「ゆとり教育」政策に危機感を覚えた場合、大都市圏では私学への流出も
可能ですからある程度基礎学力の低下は抑えられるでしょうが、地方ではそもそも
私学の数が非常に限られていて、国のいい加減な政策の波及をもろに受けてしまいます。

また、親の職業構成や最終学歴の分布の差なども、潜在的にじわじわと
影響を及ぼしてくるもので、むしろ「教育効果の均質性」をいうのであれば、
逆に地方ごとの事情をよく勘案しなければならないのではないかと思うのです
(教育社会学に言う「隠れたカリキュラム」の問題など)。

何も地方に全てを任せよと言うつもりはありません。国が最低限の基本方針を示して、
肉付けは地方に、ということも可能ですし。

長くなったので個別の反論は下に。

17. スノッブ 2002/06/08(土) 01:26:16
>入り浸りさん

> 地方交付税を利用すると中央の言うことをよく聞く自治体に
> より多くの資源配分がなされるので地方交付税を利用した
> 格差是正と県ごとの個性的な教育は両立できないと思われ。

ですからねえ……(^^;)。それはどちらかというと付け足し的な部分であって、
上で書いたように、そもそも初中等教育というのはお金がそこまでかかるものでは
ない(と私は考える)のですよ。
それに、それは問題の次元がかなり別であって、地方交付税問題は現在の地方政策に
付随した問題なのでは?

> むしろ、中学までは国が均質な教育を保障してやることが
> 望ましい。

しかし、国によって「均質」に質の低い教育が「保障」されてしまったのが、
現在の状況だと言えはしませんか?

それに、均質であることと基礎を徹底していることは全く独立ではないでしょうか
(現実として、「均質かつ基礎の欠落した教育」が跋扈してしまっている)。
それに、何をもって基礎とするかは一概に易しい問題ではありません。
今回の「ゆとり教育」でさえ、文部省は「均質に基礎を保障するのが目的だ」と
謳っている訳なのですから……。

>ぽんぽこぽんさん

> ただ、他にも問題として、県の色が強すぎるというのもあるかも
> 知れません。教育者の団体もそうとう権力化してますし、
> 市民の目の届かない教育が教室で平然と行われているということは
> 指摘させていただきます。

それもどちらかというと別次元の問題であるような気がします。
それは結局のところ、「教師は何をやっても馘首にならない」という現状が
生み出した弊害であって(外務官僚の専横と同じ)、例えば教育委員の公選制を復活し、
こういった教師も免職にできるような法改正を行うといった対応でも
一定の抑止効果は挙げられるのではないでしょうか。

>蜻蛉さん

> 教育の中央集権化が問題となっているようですが、
> 教育の質が良ければ、別にそれでいいのではないかと思います。

しかし現実に、中央集権的な現状の下で、教育の質は悪化を続けている訳ですから。

18. bravo! 2002/06/09(日) 22:52:27
ワールドーカップ(FIFA)日本対ロシア2:1、勝った!
ブラボー!日本!

19. 2002/06/09(日) 23:33:48
試合は見なかったが、はじめにこれを書き込みたいがためにニュース見たのかな?

20. あはは 2002/06/09(日) 23:36:01
世間の話題についていくのに必死な人がいます(プ

21. ぽんぽこぽん 2002/06/09(日) 23:57:39
>スノッブさん
ご趣旨理解いたしました。確かに。
私の書き込んだ問題は「別次元の問題」ですね。
ただ、教育を語る上で、教育者の団体のことはなめては
いけないと思います。
なかなか抵抗力は大きいんで、教育委員会の力は
改革しても上がらないと思いますし、改革そのものも許さない
と思います。

22. bravo! 2002/06/10(月) 08:12:28
>06/09(日) 22:52:27
>2:1、
?俺があほだ→1:0だ
反省、酔った勢いでやってしまった。今朝やっと目覚めたよ。
稲本、格好いい!

23. 2002/06/10(月) 12:01:30
お前は荒らしだよ。
オレモナー

24. 入り浸り [E-Mail] 2002/06/12(水) 11:55:31
ゆとり教育とは「全員が100点を取れるような教育」を
目指す事に本来の目的があった、と聞く。
そもそもの課題として就学年数×10%の子供が授業を理解できていない
状況を打破するために「ゆとり教育」は唱えられ始めた。

という話を聞いた。しかし、実際にはバカ大増殖なだけで上の状況は
何にも変わっていないよねえ。つまり、
1.目標に向けての戦略を立て損なった。
2.目標もしくは戦略が途中で歪んだ。
3.目標そのものが間違い。
この3つの可能性が考えられるわけです。
私としては、日本という社会を踏まえて、ある程度基礎的な教育水準までは
全ての国民が達しておくべきだと考えているわけで、その意味で
ゆとり教育本来の目的には賛成なんだな。しかし、それを目指すための
戦略が滅茶苦茶であって、結局一番レベルの低い奴に合わせる教育に
なってしまった、と考えている。この点どうよ?本来の「ゆとり教育」
達成のためにはどうすればいい?

25. 蜻蛉 2002/06/12(水) 17:00:03
>全員が100点を取れるような教育
こんなことを本当に目的にしていたのかどうかは分からないが、
護送船団方式も含めて、平等を意識しすぎてしまって、おかしくなっている傾向があることは肯けます。
>ある程度基礎的な教育水準までは全ての国民が達しておくべきだと考えている
これには同意です。

戦略という面では、文部科学省と現場にいる教師とのコミュニケーションが足りないのではないか、と思います。それ以前に、文部科学省の連中がみな教育のプロフェッショナルとは限りませんし。
上で言われているように、レベルの低い人間に合わせるやり方も失敗でしょう。周りから差別だといわれることを恐れず、習熟度別クラスを一部の科目で導入すべきだと思います。下位クラスがいじめられるという問題があるが、それを何とかするために教師を含めた大人がいて、道徳教育があるのでしょう?

歪みもあるでしょう。むしろ歪ませられた、というべきでしょうか。
受験に対して熱が入りすぎていること(僕は一つの目的意識を持つという点で、受験制度そのものには賛成の立場をとります)というのがその例だと思います。

目標が間違いかどうかは分かりませんが、週休二日制については、
本来は自然の中で遊んだり、家族でどこかに行ったりして楽しむべきもののはずが、実際には子供は塾に行ってしまう。これは誤算だったと思います。

「正しいゆとり教育」達成のためには教育のあり方を考えることも必要ですが、社会の風潮などといったことも変えていくよう、考える必要があるかと思います。

26. edc 2002/06/12(水) 18:24:10
だいたいが全員が完全(に近いぐらい)に理解をさせる事は不可能では?
蟻の話ですが、働き蟻といわれる蟻も実際にちゃんと働いているのはそのうちの何割かで後はウロウロしているだけなのだそうです。そこでそれらを働いているグループと働いていないグループにわけると、そのなかで再び働くグループと働かないグループに分極してしまうそうです。
蟻ですらこのような状況であり、京大生はいわずもがな(^^;。

ゆとり教育、というのは全体のレベルを下げるだけであるような気がします。ただ内容を簡単化したところで結局分かる人数は俗にいう753状態であるのは変わらないだろうと思います。根本的システムが変わらない限りは。

27. スノッブ 2002/06/16(日) 02:05:29
話題がいつの間にか変わったようですが、却って問題点が浮き彫りになったと
思えるという意味で歓迎しましょうか(^^;)。

>入り浸りさん

> 私としては、日本という社会を踏まえて、ある程度基礎的な教育水準までは
> 全ての国民が達しておくべきだと考えているわけで、その意味で
> ゆとり教育本来の目的には賛成なんだな。しかし、それを目指すための
> 戦略が滅茶苦茶であって、結局一番レベルの低い奴に合わせる教育に
> なってしまった、と考えている。

申し訳ないのですが、私としては、「ある程度基礎的な教育水準までは全ての国民が
達しておくべき」という点自体にも、正直なところ疑問を呈さざるを得ません、
理由は簡単で、人間の生得的な資質のばらつきは余りにも大きく、期限を切っていつまでに
物事を理解させる、ということ自体が事実上不可能であるからです。

人間にはものの得手不得手があり、できない人には何をどうやってもできないことがあります。
というと差別的と言われるかもしれませんが、LD(Learning Disability: 学習障害)という言葉を
ご存じでしょうか。いわゆる知的障害ではないが、ある種のことがどうしてもできない、という
先天的な障害を持っている人というのは存在します。
極端な話、「小学校卒業までに 50m を 10 秒で走る」というのは決して高いハードルでは
ありませんが、これを、足に障害を持った子供にまで押しつけるのか、ということです。

それに、人間の発達のタイプにも、早熟型と大器晩成型といった差があり、
きっかけを把めば一気に伸びるが、それまではずっと沈黙し続けという人も多いです。
特に義務教育の段階では、誕生月の差なども発達段階の意味でかなり大きな影響を与えますから、
そこが差の原因となっていることは否定できないでしょう
(私の知っているデータでも、某有名進学校の中学新入生の誕生月は、4 〜 6 月生まれで
大半を占めていた、という現実があります)。

長くなったので下に続きます。

28. スノッブ 2002/06/16(日) 02:06:09
さらに、人間の理解のモデルというのは、「全てわかるか、全くわからないか」という
単純なものではなく、より高い視点を得ることにより、既存の理解をさらに深めることが
できる、あるいは逆に、全てを理解しなければ先に進めないというものでもないということです。

渦中の人物である寺脇研氏(「ゆとり教育」主唱者の、文部省政策課長)は、
「みんなが 100 点を取れるような教育」というスローガンを掲げていますが、
このようなスローガンを掲げること自体が、そもそもこういった点への理解の浅さを
露呈しているとは言えないでしょうか?
つまり、これは表現自体がそもそも形容矛盾であるというか、それに近づくためには
いくらでも教育水準を下げなければならない性質のものであると思うのです。

さらに言えば、「全員が○○できなければならない」という発想は、個人的には
非常に気持ちの悪いというか寒気のする思考パターンであって、この理念は、
「できない奴は人間の屑」という「排除の論理」に転化する危険を内包しています。
共産圏の、「全ての人民が革命思想を身につけなければならない」というイデオロギーを
想起してしまいます。
この意味でも、「ゆとり教育」というのは、耳あたりの良くて甘美な理想に満ちた、
実は非常に危険な思想なのではないかと思わざるを得ないのです。

ではどうすればいいのかと言われそうですが、つまりこういうことです。
ある程度の内容を教えなければいけないのは勿論でしょうが、それを全員に完璧に
理解させることができなくても構わないのです。怠惰は厳しく叱責しなければなりませんが、
本人の努力の程度を見てある程度目をつぶってやる、あるいは、
「そもそもどうしてこんなことをやらなければならないのか」
という子供の疑問にも真剣に付き合ってやる(勿論、読み書き計算のような基礎中の基礎は、
そのような疑問が芽生える前にきちんと教え込まなければならない)、
そういう柔軟性を持つことでしょう。

要は、余り堅苦しく、「全ての国民に基礎学力を」などと大上段に構えず、
子供と同じ目の高さに視点を落としてやることも必要なのではないかと思うのです。
教育は「国家・社会のため」だけでもなく、「子供のため」だけでもない。
両方を兼ね備えていなければならないし、そもそも両者は分けられるものではないということです。

29. 蜻蛉 2002/06/16(日) 20:25:16
スノッブ殿の投稿を読んで、今の自分の意見がやや迷走しているように感じた。
少し頭を冷やし、かつ整理しないといけないかのう。

30. 入り浸り市ね 2002/06/18(火) 03:54:05
まずこいつの教育してやれ

31. 掃除屋さんのお通りだ 2002/06/18(火) 22:32:33
すいませんねー。

32. 入り浸り [E-Mail] 2002/06/21(金) 18:33:33
>蜻蛉、edc、スノッブ

絶対に全員が100点を取れるという状況というのは無理なのは
目に見えているが、初等、中等教育の段階でそれを目標にするのは
ある意味当然のことだと思う。なぜならば、この段階での教育の目的は
生きるための最低限度の知識を仕込むことだからだ。
ゆえに、初等教育での戦略は「できるだけ多くの子供に一定レベルの知識を
教え込む」事になるだろう。また一方で、最低限度の知識を削るわけにはいかない
ので、必然初等教育は

・効率のよい教育方法の追求
・落ちこぼれた子供の救済策

に辿り着く。ここにおいて、今のゆとり教育は批判されているわけだ。
なぜならば、今のゆとり教育は一定レベルの水準を下げ、効率の悪い
「自ら学ぶ教育」を施しており、さらに落ちこぼれた子供への救済策は取らない。
よって解決策としては初等教育における詰め込み教育(以前紹介した苅谷氏に
よれば、日本で「詰め込み」とされているものはアメリカでは詰め込みでは
ないらしい)の復活、中学校修了までに習う内容の増加、さらに、落ちこぼれた
子供を留年させる制度も必要であろう。

33. スノッブ 2002/06/24(月) 22:00:57
>入り浸りさん

> 絶対に全員が100点を取れるという状況というのは無理なのは
> 目に見えているが、初等、中等教育の段階でそれを目標にするのは
> ある意味当然のことだと思う。なぜならば、この段階での教育の目的は
> 生きるための最低限度の知識を仕込むことだからだ。

ええと、私の意見を理解して頂いているでしょうか?(^^;)
私が言いたかったのは、それを文字通り達成できるかどうか如何にかかわらず、
そういう目標を掲げること自体が得策とは言えないということなのです。

前回書いたことの繰り返しになる気もしますが、習ったことをその場で完璧に
理解するというのは、その程度の高い低いにかかわらず、非常に難しいことなのです。
新しい知識というのは、既存の知識や経験とリンクして始めて骨肉となるのであって、
逆に言えば全く新しい概念を身につけるためには、その概念の位置づけ自体を把握しなければ
ならず、そのためある程度の時間が必要なのではないかということです。
その間に、新たなことを学ぶなり、社会的経験を積むなり、あらゆる意味で
識見を深めていかなければいけないと思うのです。

つまりあなたは「義務教育はそれ自体自己完結しているべきだ」というようなことを
おっしゃりたいのだと思うのですが(これは「ゆとり教育」も同じでしょうが)、
教育においてはそもそもそういうことが不可能なのではないか、と私には思えるのです。
そのあたりをどうお考えでしょうか?

なお、私は個人的には、小学校では「生存に最低限必要な知識・理解」を、
中学校では「国民・社会人としての最低限必要な知識・理解」を
「標準的な教育内容」(「到達目標」ではない)とすべきだと考えています。
その結果、大体「中学卒業段階で」(ここが重要!)、生存に最低限必要な知識・理解を
概ね全ての生徒に与えることができるであろうと考えるし、「社会人としてのモラル」は、
さらに上の教育機関なり職場なりで徐々に身につけていくであろうと期待できるからです。
つまり、多少のタイムラグを見てやることが必要かということです。

蛇足:本来「ゆとり」という言葉はこういう意味ではなかったかと……。

34. 入り浸り [E-Mail] 2002/07/05(金) 22:39:53
>スノッブ

なるほど。完全には理解しないことを前提にして教育の構造を作るべきだ、
と考えるわけですね。その意見に賛成します。となると、今後の教育制度
というのはどのようにするべきだと思いますか?
抽象的理念を具体化したらどういう教育になると思いますか?

35. 某三回 2002/07/05(金) 23:51:25
>理由は簡単で、人間の生得的な資質のばらつきは余りにも大きく、
>期限を切っていつまでに物事を理解させる、ということ自体が事実上不可能であるからです。

そういうバカは補習クラスに押し込めておけばいい。
誰でも努力すればできる、というのは幻想であって、
努力してもできないやつはできない。

みんなに同じ教育を6年間受けさせようってのが間違ってる。

具体的には算数がまったくだめで国語が出来るって子がいるとする。
それなら算数の補習クラスと国語の特進クラスに入れ、
他は普通にやればいい。

補習クラスや特進クラスは1対5ぐらいの少人数クラスにして、
能力に合わせた教育ができるようにする。

日本の教育制度ってのは「みんなやればできるんだ」っていう前提のもとになりたってる。
つまり全員秀才になれるってこと。
旧日本軍でも兵隊一人一人を徹底的な訓練で達人に仕立て上げていった。

これだと落ちこぼれがでて、イジメも発生するのは当然の帰結になる。
バカはバカで天才は天才、秀才は秀才として育てていく教育のほうがいいんじゃないか。

36. スノッブ 2002/07/07(日) 01:39:06
>入り浸りさん

> 抽象的理念を具体化したらどういう教育になると思いますか?

実のところ、私は改革の必要性自体を感じていないのです(笑)。
十数年前のカリキュラムを復活させるだけで事が足りるかと思っています。
せいぜい、少子化を利用して、余った教員を「落ちこぼれ」とその反対の「浮きこぼれ」の
サポートに回すぐらいで、学力に関する対処は済んでしまうかと思います。
ついでにいうと、運動会で「順位をつけない」とかそういう欺瞞もやめるべき。
学校は広い意味の学力をつけることだけに専念してやればよいし、それ以上の役割を
担おうとする態度はやめるべきではないかと思います。

というと乱暴な言い方ですが、要は全ての人を満足させるシステムなんて存在しない以上、
システム内からはみ出た人が行き場を失くすことを避けることを第一に考えるべきだし、
その上で平均的な人に期待通りの効果を挙げられる設計にすればそれで事は足りると
思うからなのです。そこからはみ出た人へのフォローがきちんとなされていさえすれば。
そしてその「フォロー」の方法論は一般的なものはなく、個別に対応すべきではないかと
思う、というだけの事です。

長くなったので某三回さんへの返信は下に続きます。

37. スノッブ 2002/07/07(日) 01:39:32
>某三回さん

> そういうバカは補習クラスに押し込めておけばいい。
> 誰でも努力すればできる、というのは幻想であって、
> 努力してもできないやつはできない。

うーん、私は小学校 1 年の時に 50m 走で 14 秒かかるなど、運動能力は殆どあらゆる面でクラス内の
ダントツ最下位を誇っていた人間なので、そういうことを言われると納得いかないなあ(^^;)。
いや、決してこれは私情ではなく、それから 10 年も経った頃には、自然と体力テストでは
殆ど全種目で全国平均を上回れる程度にはなった(特別なトレーニングはしていない)し、
逆に小学校時代、私なんかよりずっと学業優秀だった人たちが大学進学すら断念することになった
現実だって見ているわけですしね。
人間の能力を見切ってしまうのは決して容易なことではないし、幼い頃にそれをやってしまうのは、
得られるものは少なく、失うものは非常に大きいというのが実感なので。

それに、あまりに教育の分化を早く進めてしまうと人の能力は千差万別であることとか、
集団生活のルールを学ぶ場が失われてしまうでしょう。

勿論、全員を同一のシステムに押し込めること自体には矛盾があるのも事実なので、
私学に対する規制をある程度緩めて、そこでは「例外的な教育」が出来るようにする、
その程度でも済むのではないでしょうか。

これに対するフォローとしては、たとえば入試の出題方法を少し変えて、
「高校内容を超え、奥の深い思考力と論証力を要求するが基本的な問題」
「高校内容で解けるが、粘り強い思考力と応用力を要求する難問」
の一方を選択できるようにするとか、その程度の小手先の対策であっても、現行のシステムをいじることなく、
相当な効果が挙げられると思うのですが、いかがでしょうか。

38. 2002/07/07(日) 02:37:21
某三回の言い方が多少乱暴だから、
「馬鹿」クラスに入れられた人間は見切りをつけられてしまったような印象を受けるのかもしれないが、
習熟度別のクラスを設けること自体は、
べつに生徒の能力に教師側が限界を設定することではないと思うよ。
むしろ一度自分にあったレベルのクラスで学んでこそ、
飛躍的な成長のチャンスがあるかもしれない。

ただ、現実問題、よっぽど考えてカリキュラムなどを組まないと、
単に学力差を固定化させて社会的選別を早期化するだけになりかねないのは確か。
(アメリカなんかはそうだろうね)
その点ではスノッブの思いと同様の危惧を僕も持つ。

39. 蜻蛉 2002/07/07(日) 11:38:47
久しぶりにまた活性化してきましたな。
某三回殿はなかなかきつい言い方ではあるが、要は習熟度別のクラスを設けろ、ということ。そうですよね?
個人的には、習熟度別クラスの導入には賛成です(昇格ありの形で)。ただ、バカはバカ、天才は天才…と決めてかかる点では賛成できないですね。それに、全ての授業をそうしろ、とも思いません。格差があまりにも大きく、一斉授業では限界があるものについてのみ、やればいいと思います。
もちろん、習熟度が低いクラスが叩かれる、いじめの原因になる、という可能性もあるが、そのようなことをせぬよう、他者の違いを受け入れるよう、道徳の時間などで教えればいいのではないでしょうか?

40. いけめん 2002/07/07(日) 13:48:00
最近相手にしてくれる人が少ないと思う今日この頃。
やっぱ友達少ないのはそれかな。

41. 某三回 2002/07/07(日) 16:17:43
>要は習熟度別のクラスを設けろ、ということ。

そのとおりです。
現状の教育制度のほうが
>単に学力差を固定化させて社会的選別を早期化するだけになりかねない
結果になってますよ。


>習熟度が低いクラスが叩かれる、いじめの原因になる

あ、言い忘れてましたが教科毎に習熟度別に再編成して授業をすることを想定しています。
学期ごとに再評価するということで。

>格差があまりにも大きく、一斉授業では限界があるものについてのみ
そのとおりですね。

だから
>スノッブ 2002/07/07(日) 01:39:32氏
なんかは低学年の時に体育の基礎クラスにいれて、
基礎的な体の動かし方から学習するわけです。

んで跳び箱とか長距離走とかそういうもので
運動力の高い他の生徒と一緒にされて無駄に屈辱感を味合わなくてもすむわけですな。

んで運動能力が向上してから同じクラスでやればいいわけです。

生徒の運動能力によって自ずと教え方も変えなきゃいけないわけですから。

42. >某三回 2002/07/07(日) 16:31:21
となると、教員の数も増やしていかねばなりませんなぁ…。

43. 某三回 2002/07/07(日) 19:11:42
そうですね。理想は10〜15人で1クラス。
教員数は4倍ぐらい必要ですが教員予備軍はいくらでも居るので心配してません。
むしろ質の悪い教員を簡単に首に出来るようにしなければいけませんね。

44. あえん 2002/07/07(日) 21:06:03
大人数制と少人数制について。

俺の実家はバリバリ過疎地区で、
小学校は1学年10人いないぐらいのクラスだったんだけど、
この環境だと勉強においてはほぼ完璧な個別指導サービスを展開できる。
メンバーの学力の底上げという目的は容易に達成できるし、
頭いい人をどんどん勝手に進ませることも可能。

でもこの環境、「集団」に付随するおもしろさが全くない。
中学校では大きな学校に行ったのだけど、
頭いい人がいる、運動能力の高い人がいる、
オナニーしか頭にない人がいる、どうしようもない駄目人間がいる、・・
というように、こういう「いろいろな人間に触れる」という機会の発生自体が新鮮で、
これは小学校では味わえなかった。
でもおれの小学校の連れは軒並み学力に関してはあほになっていった。
遊ぶのが楽しくなったのだろう。

だから体育とかは、個別の運動能力を上げるのなら個別指導でもいいかもしれないけど、
みんなで遊ぶのが目的なら大人数のほうがいいわけで、
結局こういうのは目的に依存するな。
クラスの組織の大きさとか集団特性とかを
場に応じてフレキシブルに変えるというのもいいだろうけど、
それだと何か大学みたいになるなあ。

45. 某三回 2002/07/08(月) 00:24:15
まぁ全校イベントを増やして対応してもいいし…

>クラスの組織の大きさとか集団特性とかを
>場に応じてフレキシブルに変えるというのもいいだろうけど、
>それだと何か大学みたいになるなあ。

こんな感じでいいと思う

46. スノッブ 2002/07/09(火) 00:21:31
>某三回さん

うーん、どうでしょう。「一斉授業では限界があるものについて」特別クラスを作ると、
かえってそこが「隔離部屋」みたいになってしまって、劣等感を与えるだけの気が。
大体、小学校の頃って、特に低学年だと、どうでも良いことで大きな差がつきますしね。
僕の場合、「スタートと同時に走るべきだ」ということがわかっていなかったし、
それ以前に「本気で走る」という概念自体ができていなかった気がします(^^;)。
それに、僕は早生まれなので、4 月生まれの子なんかとは体力差が無視できなかったでしょうし。

まあ、これは極端な例にしても、子供ってのは日々の暮らしの中で急激に変わる可能性も
大きいわけだから、気長に見守ってやるのが良いのではないでしょうか、と思うのです。
どうしても問題が出てきた場合は、授業の枠外でサポートをするのが良いのでは。


> んで跳び箱とか長距離走とかそういうもので
> 運動力の高い他の生徒と一緒にされて無駄に屈辱感を味合わなくてもすむわけですな。

いや、屈辱感は味わうべきでしょう。
どうせ世の中に出た後で、想像を絶するほど自分より能力の高い人がいる、ということは
思い知らなければならないわけだから。
その訓練を幼い頃からしておくことは大事だと思いますよ。
運動会で順位をつけた方が良いというのと同じ理由で。

>あえんさん

> クラスの組織の大きさとか集団特性とかを
> 場に応じてフレキシブルに変えるというのもいいだろうけど、
> それだと何か大学みたいになるなあ。

でも、余りメンバーが固定化されないと、友達ができにくいですからねえ。
大学生でもそれで悩む人がいるのに、小学生にそれは良くないでしょう。

まあ、今でも「学校単位」「学年単位」「地域単位」「学級活動」「班活動」のような
色々な形の活動があると思うし、その方向性で拡げていくのが良いかと。

47. 某三回 2002/07/09(火) 10:35:08
>まあ、これは極端な例にしても、子供ってのは日々の暮らしの中で急激に変わる可能性も
>大きいわけだから、気長に見守ってやるのが良いのではないでしょうか、と思うのです。

そういう意味でも習熟度別にクラスを教科毎に編成するのは決して悪い案じゃないと思うんですが。
ホームルームや給食、休み時間なんかを一緒にしていけば、
>でも、余りメンバーが固定化されないと、友達ができにくいですからねえ。
こういう問題もなくなるでしょうし。

48. 2002/08/01(木) 11:11:28
習熟度別クラスというと面白い話があったなあ。成績が同じ3つのクラスがあって、(おそらく校長辺りが)教師には習熟度別にしてあると言う。しばらく経つと同じ教師に教えられたにも関わらず本当に「習熟度別クラス」になってしまうという話なのだが・・・。
これってどう思います?
基本的に習熟度別クラスはやっていいとは思うんだが・・・。

49. 坊さん会 2002/08/01(木) 12:08:24
デフォ変換をいちいち変えるのが面倒になってきた(w

向こうのスレでも話してたけど、
習熟度別で特進クラスを作らないことには貧乏秀才がエリート塾生に勝てない。
まぁ下手するとその特進クラスに受かるための受験勉強を塾で教え始めるかもしれないけど(w

50. >坊さん会 2002/08/01(木) 12:35:25
IME2000
某に解、坊さん会、某四回、某誤解・・

ATOK11
棒に買い、坊さん会、某四回、防護会・・

結論:来年までの辛抱!!

51. 坊さん会 2002/08/01(木) 12:42:03
なるほど(w

52. >坊さん会 2002/08/01(木) 14:22:00
でも留年したらもっと変な単語になる罠。

53. それもしばらくの辛抱だ 2002/08/01(木) 14:28:53
防護会
某六回
某七回
某は近い
(IME)

54. 似非理系 2002/11/15(金) 12:11:39
京大公論で京大自体の教育の問題が挙げられていたので,ちょっと私見をば。
http://www.kyoto-u.com/koron/aotani.php

>大学院の充実や研究中心主義と教育の劣化との間に強い相関関係が見られるのは、日本だけである。
確かにこの関係は大いにあると思う。
京大でもほとんどの教官は院所属になってしまって,
学部教育軽視の衒いがある。
それに、教官の数を変えずに院生の数を増やしたものだから,
院生の指導に精一杯で学部生の指導にまで手が回らないような気がする。

>Accountabilityの問題
これも非常に難しいですね。教官の得意分野である研究でさえ
外部からの評価を嫌がるのだから,
最初からやる気のない教育が評価されるのを是とするはずがない。
私見では,基礎教育専門の教官と高等研究専門の教官に分けるしかないと思う。
つまり、旧制高校−旧帝大の関係と同じで,
前者の教官は教育でのみ評価される。

>学力軽視?
これは、大学入学以前のゆとり教育に原因があると思います。
これまでは高校で体系的に基礎知識を十分叩き込まれていたから,
大学が自由放任でも各自がやりたいこと見つけて高度な研究レベルを維持できた。
でもゆとり教育で断片的な知識しか教えなくなり、
大学が自由放任したらやりたいことも探せずに講義にもついていけない,
ということになったと推測する。
だから、アメリカ式に「大学を厳しくする」とやってもうまくいかないと思う。基礎知識がないのだから厳しくしてもついてこれなくなるだけ。
ゆとり教育を一部見直して,大学入学前に基礎知識を広く身につけさせるのが先。

55. 無理爺 2002/11/15(金) 15:10:42
僕の狭い生活圏内で聞いた話から判断すると
この問題の一番改善すべき点は「教官たちに課せられた雑務の多さ」だと思います。
それも、昇進すればするほど雑務は多くなるので、
優秀な人ほど研究+教育に割くことのできる時間が少なくなるようです。

結局のところ今の事務体制? を改良するのが最善策かと。

もちろんそれはあくまで大学側ができることであって
学生側にできることは他にもあるでしょうが。

56. 2002/11/16(土) 22:52:50
ようするに俺らはゆとり教育という壮大な実験のもとで、
教育しそこなわれたということだ。

57. 優秀な 2002/11/17(日) 02:13:25
留学生を京大が取れないのが大きな問題だ。結局、京大は、日本人のための、日本の大学に過ぎない。
世界的な水準で見た場合、巨匠級の人物がいないのも致命的。

58. 似非理系 2002/11/18(月) 16:33:50
>僕の狭い生活圏内で聞いた話から判断すると
>この問題の一番改善すべき点は「教官たちに課せられた雑務の多さ」だと思います。
>それも、昇進すればするほど雑務は多くなるので、
>優秀な人ほど研究+教育に割くことのできる時間が少なくなるようです。
確かに教授の雑務は多い。せめて大学の側で秘書を雇ってくれれば
かなり時間に余裕ができるかもしれない。
しかしその余った時間はおもに研究や院生指導に費やされ,
学部生の指導までまわらないんじゃないかな。
ともかく、教官の数が少ない(理系限定)し,学部教育を重んじる意識も足りない。

>留学生を京大が取れないのが大きな問題だ。
京大は他の日本の大学に比べ留学生は多いぞ。
>世界的な水準で見た場合、巨匠級の人物がいないのも致命的。
世界的な研究をしている人は多いぞ。青谷氏が、
>自由の学風の学を「学問の学」と捉える限り、そしてそれが元々の意味であったのだろうが、京大のバイタリティーは世界でも有数であろう。現に青谷が在学しまた教鞭を執ったプリンストン大学、カリフォルニア大学バークレー校、MITなど、アメリカの一流大学と比較しても決して引けを取る物ではない。
と述べているように,現時点の日本の研究レベルは米国に
それほど劣っているわけではない。
しかし、現在のような基礎教育軽視の体制がつづけば、研究者全体のレベルが下がり,
研究レベルも低下しアメリカに放されていくばかりであろう。

59. ゼータザク 2002/11/20(水) 19:01:04
>ゆとり教育を一部見直して,大学入学前に基礎知識を広く身につけさせるのが先。
高校と大学の間の連携がうまく取れていないところに問題があると思う。
高校の課程変化に伴って学ばなくなったのに、大学ではそれが前提知識とされる。

60. 2002/11/20(水) 21:09:10
義務教育費削減されるらしいよ。
教科書有料、教員削減。

61. 2002/11/20(水) 21:18:31
ソースは?
教科書はともかく、教員はこれ以上減らしようがないでしょ。
30人学級はやらないの?

62. 2002/11/20(水) 21:40:44
夕方のテレビで見た。そういう方向で議論が進んでいるらしい。
子供が減ったのに義務教育費は増えてるから減らすらしい。
で、なんで教員減らすねんとか画面につこんどいたけどな。
後、自治体の裁量を増やすとかもいってたな。

63. あきらめムード 2002/11/20(水) 21:54:30
正規の教員を減らし、臨時教員を増やす方針かもしれない。
実際、現場ではそのような人材運用が実際に行われている。

64. 2002/11/20(水) 22:01:21
>正規の教員を減らし、臨時教員を増やす方針かもしれない。
正規の教員を首にして臨時で再度雇用するとかそういう方針だと、
激しく教員のモラールは低下するな。

65. 2002/11/20(水) 22:05:15
こんなんめっけた。
http://www.zenshigaku-np.co.jp/news/2002/news2002091318590101.html

つまり、義務教育費を減らして私学にまわすってことか?

66. あきらめムード 2002/11/20(水) 22:11:46
>正規の教員を首にして臨時で再度雇用するとかそういう方針だと、
>激しく教員のモラールは低下するな。
違う。
正規の教員の身分は据え置き、新規に採用する人材の多くを臨時採用とするということだ。
正規の教員の身分は極めて強固に守られており、
刑法犯罪を犯してすら解雇できない事もあるぐらいである。
そんな危険を冒すぐらいなら、正規の教員の定年を待って、
その穴を臨時教員で埋めていくというのが現場のやり方らしい。

67. 2002/11/20(水) 22:13:45
ふーん。ほーう。

68. 似非理系 2002/11/25(月) 16:44:58
>正規の教員の身分は据え置き、新規に採用する人材の多くを臨時採用とするということだ。
>正規の教員の身分は極めて強固に守られており、
>刑法犯罪を犯してすら解雇できない事もあるぐらいである。
>そんな危険を冒すぐらいなら、正規の教員の定年を待って、
>その穴を臨時教員で埋めていくというのが現場のやり方らしい。
なんか不公平だなあ。
若くて有能な人でもアルバイト扱いで、
定年間際の耄碌爺さんが高い月給をもらうわけ?
教育改革で教員の質の向上は不可欠なのに、
上記の政策は教員の質向上を停滞させるといわざるを得ない。

69. 入り浸り [E-Mail] 2002/11/25(月) 20:29:32
教育については、自治体の権限を強化するのが最良の選択であると
確信している。それを行うため、最低限、教育費分の徴税権は
地方自治体に任せるべきであろう。また、地方自治体の範囲は
都道府県ではなく、市町村を単位とするべきである。
ある市では1クラスに45人、50人としてでも教師の質に
こだわり、受験教育を徹底するとか、ある市では教師の数に
こだわって30人、20人学級を徹底するとか、
また、落ちこぼれ歓迎の南京都学園のような高校を作って
そこで落第坊主を再教育するなり、スポーツ、芸術に特化させるなりの
処置をとる高校もあってよいだろう。もちろん、人口の多い都市では
それらをバランスよく配置してもよいし、偏差値順にずらりと
並べてもよい。習熟度別学級や科目別学級など、個性をどんどん出し、
それを自治体の売りの一つにするべきである。また、生徒の学校選択を
自由化し、最低でも全県一区、越境入学も歓迎するべきである。
また、教師の労働市場を作る必要もある。契約期間を短縮し、
10年、5年、3年、1年といった多様な契約期間を設けるべきである。
終身契約で定年までその学校で勤め上げてもよいし、1年契約で
他の学校からヘッドハンティングされるような教師がいてもよい。
もちろん、どこの学校からも契約を断られた教員は解雇、自由契約である。
生徒と教師の移動の自由を確保し、地方自治体がその自治体の特長として
教育を挙げるようになれば教育レベルはおのずから飛躍的に向上し、
かつ生徒の個性が最大限発揮できる教育システムが作り上げられるであろう。

70. あきらめムード 2002/11/25(月) 21:10:28
>入り浸り
地方自治体への権限譲渡、生徒と教師の移動の自由の確保には大いに賛成である。
現行のシステムでは、文部科学省の管理権限があまりに強大で、
せっかく現場の教師が優れたアイデアを出しても、なかなか反映されなかった。
より小単位で教育政策が実行されるようになれば、その点は大いに改善されるだろう。
生徒と教師が各々の適性に応じて流動的に移動できるようになれば、
多くの問題の要因となっている学校社会の閉塞性に風穴が開き、
ストレスが大きく軽減されることになる。

ところで、この場合教師の人事権は誰に帰するのだろうか?
地域の教育委員会になるのだろうか?
それとも、校長の権限を飛躍的に強化して、人事権を付与するのだろうか?
また、教師の労働市場はどのようにして統制されることになるのだろうか?
教師の法的身分はどのような扱いになるのだろうか?

質問ばかりで悪いが、あなたの提案に強い興味を感じたからであり、
非礼を承知であえてお尋ねしたい。

71. 入り浸り [E-Mail] 2002/11/25(月) 21:42:25
教師の人事権は地方自治体に帰す。校長の要望と教育委員会の方針、
さらには地方自治体の予算などを考慮し、最終的には首長が決める。
また、教育の労働市場の統制は国の法律に基づく最低賃金あり、
最高賃金は青天井のプロ野球選手のような統制を行うべきである。
教師の最低賃金は上がることはあっても下がることはない。
なぜならば教師の労働市場において公教育は私学や塾・予備校、
さらには他の自治体と競争しなければならないからだ。
また、これにより地域格差が生じるという意見が出るかもしれないが、
それはない。なぜならば、田舎は人口が少ない分、教師の数を確保する
必要がないからだ。さらに、田舎は過疎で土地が余っているという状態を
逆手に取り、給与・生活面での犠牲を教師に強いる代わりに家と土地を
つけて教師を呼ぶことができるからだ。
教師の身分保障についてだが、私立や塾と競合するという事情を踏まえ、
サラリーマンと同格の扱いでよいのではないだろうか。
とりあえずこんなもんでいいのではないだろうか。労働組合があれば
なおよいのだが、今の日教組じゃ無理だろうなあ・・・

72. あきらめムード 2002/11/25(月) 21:51:57
>入り浸り
>教師の身分保障についてだが、私立や塾と競合するという事情を踏まえ、
>サラリーマンと同格の扱いでよいのではないだろうか。
ということは、教師は公務員ではなく、
民間の契約社員のような身分になるのだろうか?

>また、これにより地域格差が生じるという意見が出るかもしれないが、
>それはない。なぜならば、田舎は人口が少ない分、教師の数を確保する
>必要がないからだ。さらに、田舎は過疎で土地が余っているという状態を
>逆手に取り、給与・生活面での犠牲を教師に強いる代わりに家と土地を
>つけて教師を呼ぶことができるからだ。
僻地医療の現状などを考えれば、たとえ家や土地を贈与したとしても、
自由労働市場において僻地に赴任する教師を確保するのは困難であるように思われる。

73. 入り浸り [E-Mail] 2002/11/25(月) 22:03:52
>民間の契約社員
その形式がいいかもしれない。教職員組合から派遣という形式をとれば
一教員に交渉力を持たせることができる。

>僻地への人員確保
では、土地を贈与するのではなく、貸与し、長期契約(20年以上など)
の後に売却する権利を与えてはどうだろうか?
売却された土地は開発されるか、宅地として利用されるため無駄にはならず、
教師にとっては25歳で就職すれば45歳には都会に家を移すことができ、
しかも家と土地を売却するため、資金には困らない。
僻地勤務のインセンティブとしてはこれが適当だろう。
また、自治体にとっては教員が確保できるというのは非常にありがたい
ことであり、さらに僻地で人員確保が難しいことから自治体は
このインセンティブ制度を採らなくとも教員の長期契約を重要視する
であろう。その長期契約志向の戦略を解決する方法として、
家屋と土地の貸与はすぐれていると考えられる。

74. あきらめムード 2002/11/25(月) 22:25:55
>入り浸り
>教職員組合から派遣という形式をとれば
>一教員に交渉力を持たせることができる。
公教育という公務を執行する人間が、民間人の身分では問題が生じるような気がするが…。
教職員組合の職員として公務員の資格を与え、各学校に派遣する形の方が良いかもしれない。
給料は学校が組合に支払い、その中からマージンを抜いて教師に手渡す。
すなわち、派遣社員方式である。

>では、土地を贈与するのではなく、貸与し、長期契約(20年以上など)
>の後に売却する権利を与えてはどうだろうか?
その方法は、過疎地域の町村が移住者を募るために実際に導入している方法である。
かなり広い範囲で採用されているため、それなりに有効な方法なのだろう。

75. 校長自殺を考える 2004/03/09(火) 15:15:38
http://www.worldtimes.co.jp/wtop/education/main6.html

76. ゆとり賛成 2005/02/14(月) 03:47:51
勝手に、古いスレを再利用させていただきます。

いい加減「ゆとり教育」「詰め込み教育」
とった単純なわけ方をかえようではありませんか。

ゆとり教育が叫ばれた頃は、「知識偏重型」が批判されていたはず。
そのことを現代の人々は早くも忘れたのでは?

これだけのことを憶えました、えらいでしょう?

そういう発想を止めることが目的だったのでは?

短銃に授業数の増減ではなく、教科書の構成自体を
変えるべきではないか?

例えば、歴史教科書なんてものは項目を半分にして、
もっと一つのトピックスについて背景を探ったり
生徒同士で議論させたりレポートを書かせたり。

そういうことをするべきではないのか??

77. 歴史好き 2005/02/15(火) 05:37:49
>もっと一つのトピックスについて背景を探ったり
といっても、とりあげる事象が重大であればあるほど、その分析には豊富な知識が必要になる。おさえておく項目が少なすぎると、まるで少数の個人だけで歴史が動いてきたかのような錯覚をしてしまう。社会構造の把握も、大雑把なものになってしまいやすい。

知識偏重は、受験「戦争」、テスト氾濫の弊害だろう。そのせいで、大事なのは知識を蓄えたその先の理解・把握にある、ということがおざなりにされてしまっている。これは歴史に限らず、多くの(すべての?)教科で言えることだ。

78. 歴史好き 2005/02/15(火) 05:42:23
本来理解・把握するところまでいったからこそ、知識も定着するわけで、テストはそういうところを試すものだと思うんだが、そういうものが逆に、成績向上のマル秘テクみたいにいわれてしまっているような気がする。

79. いきあたりばったりですね 2005/02/15(火) 19:09:12
「ゆとり教育」から脱却
文科相、中教審で表明へ
 中山成彬文部科学相は15日、「ゆとり教育」を掲げた学習指導要領を全面的に見直すよう中央教育審議会(中教審)に要請することを決めた。世界トップレベルの学力復活を掲げ、国語や理数教育の充実や内容を改善。休日となった土曜日や、夏休みなど長期休みの活用による授業時間数の確保などを柱とする。

 中山氏はこうした考えを同日午後に開かれる中教審で表明。今年秋までに、学習指導要領の見直し指針となる基本的方向性についての取りまとめを求める。

 授業時間や教科内容を削減し「自ら学び、自ら考える力を養う」ことを目指し、2002年に小中学校で導入したばかりの新学習指導要領の目玉であるゆとり教育の全面的な見直し方針は、学校現場の混乱を招きそうだ。

 中山氏は、世界トップレベルの学力復活のために見直すべき観点として(1)基本的教科、特に国語、理数、外国語の改善充実(2)子どもたちが身に付けるべき資質・能力の到達目標の明確化(3)各教科や「総合的学習の時間」の授業時間数の在り方(4)完全学校週5日制での土曜日や長期休みの活用(5)道徳教育や芸術教育の充実、体力・気力の向上策−などを検討課題として挙げる。

 ゆとり教育については「知識や技能を詰め込むのではなく、基本的な知識や技能を身に付けさせようとした理念や目標に誤りはない」と強調。一方で「その狙いが十分達成されているか、必要な手だてが十分講じられているかが課題だ」として、学校現場で目指した理念が実現していないと指摘する。

 さらに、子どもたちの学力や学ぶ意欲の低下傾向を懸念。「21世紀を生きる子どもたちの教育の充実には、学習指導要領全体の見直しが必要」としている。(共同通信)


http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005021500073&genre=F1&area=Z10

80. a 2005/02/15(火) 19:13:35
現状は中学・高校が無駄に長すぎる。まとめて4年くらいでいい。
そのあとの2年を大学教養課程(原則近くの大学で受講)にして、
それから専門課程に入るとき入学試験で絞ればよい。

81. ゆとり賛成 2005/02/17(木) 02:42:02
先ず、一問一答という形式が成り立つこと自体を憂いたいですね。もっと議論させねば。

センター試験のマークシートなんて愚の骨頂です。
国語に正解があるのは説明文くらいで、小説には選択し問題など不適切では。

82. Noa 2005/02/17(木) 03:17:32
>(5)道徳教育
個人的には、教師にもない「道徳」を学校教育で身につけさせるのは無理だと思うのですが。

83. ゆとり賛成 2005/02/18(金) 01:08:28
昔の方は道徳と法令順守をほぼ同義に扱っているのではないのでしょうか?

そもそも
道徳って何?
と生徒に聞かれて果たして答えられる教師がいるのだろうか?

84. ていうか 2005/02/18(金) 01:14:09
推進者以外でいまだにゆとり教育に賛成してる奴がいるのが驚きだな。
脳みそ腐ってるとしか思えん。

85. Noa 2005/02/18(金) 01:40:05
>道徳
もしや日本の不文法のことですか?

86. ていうか 2005/02/18(金) 09:18:15
中山成彬文部科学相以外でいまだにゆとり教育に反対してる奴がいるのが驚きだな。
脳みそ腐ってるとしか思えん。

87. 2005/02/18(金) 10:01:39
今朝のNHKラヂオで東京学芸大の教員(教育学)が言ってたが、もう少し長い目で見ないと「ゆとり教育」の効果はわからないらしい。
文科省がゆとりを失うと、学校の先生もゆとりを失い、結果、児童生徒にしわ寄せがくる、と懸念を表明していた。

88. ゆとり賛成 2005/02/19(土) 02:29:30
でも、総合的学習の時間を導入したのに小学生の自然体験は減少の一途です。
見たことも無い花の名前を覚えろといわれてもねぇ。

89. 漏れは 2005/02/19(土) 04:02:03
総合的学習の時間は必要だと思うけどなぁ。例えば就業体験なんかは学校界と産業界のズレを埋めるためには有効な手段だろうし。
まあそれで高卒採用が増えるかどうかはわからんがやらなきゃいっそうNEETが増える悪寒・・・
要は使い方次第ってことだと思ってるんだがどうだろう?

90. 2005/02/19(土) 07:35:52
教育学の教授は教えるのが上手いんですか

91. 2005/02/19(土) 08:58:19
上手い人もいます。でも教職科目なんかは学生があふれてるからか明らかに手抜きです。
「教育方法論」でも「こういう授業のやりかたは教育方法論的には望ましくないのですが…」とかなんとか。

92. きっむ 2005/02/25(金) 01:24:18
誰かが言っていたが、高校も義務教育に組み込むくらい思い切ったことしないとあかんだろ。
でもって初等教育(小学校)6年、中等教育(中学+高校)6年、高等教育(大学+修士課程)6年の過程を押し出して、世界的に見て長期間教育に時間を費やしていることをアピールするくらいしないとな。

93. ゆとり賛成 2005/02/25(金) 03:11:07
個人的には寧ろ、高校のモラトリアム期間をなくしたいです。
勉強だけしてればいい、という時期が小中高と長すぎるから生きる力が育たなかったと思います。
早い段階から人生について、仕事について考え始めて欲しいですね。

実際、どんな高校に行くかで、ある程度進路選択は狭まってしまっているのが現状です。
もっと真剣に考えて選べるようにしないと…
現行の普通科総合選択制もその趣旨から出たものと理解しています。

高校普通科が実質義務になっている現状を打破するにはどうしたらよいのでしょうか?

高校は大学と併合。
あまった高校は専門学校と併合。

なんてのは駄目ですか?

94. リケインジャー 2005/02/25(金) 10:33:39
小中学校はとにかくつめこむ。
つめこんでつめこんでつめこむ。

高校は少しくらいゆとりをもたせてもいいんじゃないかな
ボランティアでも企業インターンでもやれば
将来についても少しは展望が見えてくるのでは

95. バード 2005/02/25(金) 13:58:13
ゆとりかつめこみかという二分法で論じようとするのがそもそも間違いなんじゃないかと思う。
ゆとりが合ってる子どももいれば、つめこみに向いている子どももいるだろう。
これからの時代は、各学校がもっと個性化して、独自の教育プログラムを持てるようにするべきだ。
そして教育を受ける側が、どのタイプの教育を受けるのかを選べるようにすればいい。
そうすれば学校嫌いとか不登校の生徒は今より少しは減るんじゃないかな。個性的で魅力を持った学校もたくさん出てくるかもしれない。
すべての子どもを画一的なやり方で教育しようとするシステムそのものを改める時期に来ていると思う。

それを実現するための方法のひとつとして、教育に関する自治体の権限を強化するという入り浸り氏の意見には賛成。

96. 2005/02/25(金) 23:13:55
「ゆとり」も「つめこみ」も今までやったことのある方法やん。
それで問題があることはわかってるんやろ。

97. 2005/02/25(金) 23:16:17
つか、何年も前のスレをageても
また盛り上がることって稀だよな・・・。

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