塾講・家庭教師が集まるスレ
1. ペンネーム
2003/04/10(木) 19:15:24
指導法や人気を得る方法などの、先生としてのレベルの上げ方なんかを語ろうぜ。
2. 真剣
2003/04/11(金) 01:08:53
何でも語りますよ。
人気を得る方法。
アホなセリフや突っ込みを会話の端々に織り交ぜて笑いをとる。(基本)
基本的には、授業の分かりにくい先生は嫌われる。(重要)
分かりにくいくせに妙にいばってる先生はもっと嫌われる。(いらん)
僕が子供たちに接する時の基本方針は
「普通の先生が言わないような世の中の真実を語ってあげて、
生徒の心をグサリと突き刺すこと。」
です。
子供は、大人のきれい事が大嫌いです。(大人の言うことが嘘だということにはとっくに気づいている。)
だから「真実」はかなり評判がいいです。
子供の疑問を適当にあしらって「お前らはおとなしく勉強しときゃそれでいいんだよ」みたいな接し方では、確実に子供の信頼を失います。
人気を得る方法。
アホなセリフや突っ込みを会話の端々に織り交ぜて笑いをとる。(基本)
基本的には、授業の分かりにくい先生は嫌われる。(重要)
分かりにくいくせに妙にいばってる先生はもっと嫌われる。(いらん)
僕が子供たちに接する時の基本方針は
「普通の先生が言わないような世の中の真実を語ってあげて、
生徒の心をグサリと突き刺すこと。」
です。
子供は、大人のきれい事が大嫌いです。(大人の言うことが嘘だということにはとっくに気づいている。)
だから「真実」はかなり評判がいいです。
子供の疑問を適当にあしらって「お前らはおとなしく勉強しときゃそれでいいんだよ」みたいな接し方では、確実に子供の信頼を失います。
3. 真剣
2003/04/11(金) 01:19:55
「勉強なんか、いくら分かりやすく教えてもらったとしても、家で自分でやらないと絶対にできるようにならない。なめんじゃねえぞ。」
ということははっきり言った方がいいと思います。
教えてもらって自然に理解できるのを待って、理解できなかったら「苦手だ」と言って投げ出す子が多すぎる。
塾は学校と違って「なんでお前は塾に来てるんだ」という本質的な問いかけができるからいいですね。家庭教師もしかり。
「勉強ができるようになりたいから」とはっきり答えられる子は扱いが楽です。学力も伸びます。
ただ親に通わされているという子も、それを本人が自覚しているなら結構なことです。
一番うっとうしいのは「さあ・・」とか他人事のように首をかしげる子。こういう子は数学の問題を解くよりも先にすることがあります。家庭教師ならその辺の融通が利きますが、塾だと、そういう子とゆっくり向き合う間もなく、強制的に「勉強させる」ことになってしまうので、イライラします。
ということははっきり言った方がいいと思います。
教えてもらって自然に理解できるのを待って、理解できなかったら「苦手だ」と言って投げ出す子が多すぎる。
塾は学校と違って「なんでお前は塾に来てるんだ」という本質的な問いかけができるからいいですね。家庭教師もしかり。
「勉強ができるようになりたいから」とはっきり答えられる子は扱いが楽です。学力も伸びます。
ただ親に通わされているという子も、それを本人が自覚しているなら結構なことです。
一番うっとうしいのは「さあ・・」とか他人事のように首をかしげる子。こういう子は数学の問題を解くよりも先にすることがあります。家庭教師ならその辺の融通が利きますが、塾だと、そういう子とゆっくり向き合う間もなく、強制的に「勉強させる」ことになってしまうので、イライラします。
4. 真剣
2003/04/11(金) 01:33:26
僕としては、「テストの点数を上げること」よりも、「自分で意志と目的意識を持って勉強に取り組むこと」の方が100倍くらい大事だと思うのですが、どうでしょうか。
だから、親が「テスト対策をしてくれ」みたいなことをやかましく注文つけてくる子は、人生を無駄に過ごしていると思います。
逆に「まあ、時間かかるでしょうし、お任せしますから、ぼちぼちお願いします。」みたいな鷹揚な親であれば、その子は1年ぐらいたつ頃に徐々に成績が伸び始めます。しかもそれは「テスト対策」による伸びではなく、「勉強のコツを掴んだ」ことによる伸びですから、もうほっといてもあとはぐんぐん伸びます。(その時がくれば、中学生に対しても高校の内容を教えたりして、積極的に学力の伸長を図ります。)
できるだけそういう教育をしたい。(教育関係職志望です。)
僕は基本的に「たくさん教えて、課題を与えて、学力を"あげてやる"」よりも「生徒が自分で勉強する方法を身につけられるようにしむける」を重視したい。
その意味で、数学を教えつつも、すべての生徒に「とりあえず毎日、新聞を読みなさい。」と必ず言います。数学よりそっちの方が大事だと。
だから、親が「テスト対策をしてくれ」みたいなことをやかましく注文つけてくる子は、人生を無駄に過ごしていると思います。
逆に「まあ、時間かかるでしょうし、お任せしますから、ぼちぼちお願いします。」みたいな鷹揚な親であれば、その子は1年ぐらいたつ頃に徐々に成績が伸び始めます。しかもそれは「テスト対策」による伸びではなく、「勉強のコツを掴んだ」ことによる伸びですから、もうほっといてもあとはぐんぐん伸びます。(その時がくれば、中学生に対しても高校の内容を教えたりして、積極的に学力の伸長を図ります。)
できるだけそういう教育をしたい。(教育関係職志望です。)
僕は基本的に「たくさん教えて、課題を与えて、学力を"あげてやる"」よりも「生徒が自分で勉強する方法を身につけられるようにしむける」を重視したい。
その意味で、数学を教えつつも、すべての生徒に「とりあえず毎日、新聞を読みなさい。」と必ず言います。数学よりそっちの方が大事だと。
5. 真剣
2003/04/11(金) 01:49:48
子供の言い訳その1「どうせ勉強なんかしたって、リストラされるでしょ。」
→「勉強しなきゃ最初から公園暮らしだぞ。」
子供の言い訳その2「数学なんかなんでやらなきゃならないの?」
→「別にやれなんて誰も言ってないぞ。なんでやらなきゃならないと思うの?やりたくなけりゃ、堂々とサボれよ。何だかんだと屁理屈つけて自分を正当化するのが一番格好悪いんだよ。」
子供の言い訳その3「勉強なんかできても何の役にも立たない。」
→「じゃあ、お前は何ができる?何かできるならそれを使って生きていけ。俺は知らん。」
その他、子供の言い訳や現実逃避に対する返答例。
「俺は勉強ができるようになる方法はいくらでも教えてやるが、それを聞いて実行するかどうかはお前らの自由だ。それぐらい自分で決めろ。勉強しろなんて一言も言ってないからな。」
「今、自分の足で歩く練習をしておかなかったら、いざ親から手を離された時に、歩けないぞ。地べたに座り込んで『おんぶしてー』と泣き叫ぶのは勝手だが、幼稚園の先生は迎えには来てくれないよ、きっと。そんなお前の脇を他の奴らは横目で見てクスクス笑いながら通り過ぎていくんだよ。『まあ、何あの子、かわいそうに・・・プッ』ってな。」
→「勉強しなきゃ最初から公園暮らしだぞ。」
子供の言い訳その2「数学なんかなんでやらなきゃならないの?」
→「別にやれなんて誰も言ってないぞ。なんでやらなきゃならないと思うの?やりたくなけりゃ、堂々とサボれよ。何だかんだと屁理屈つけて自分を正当化するのが一番格好悪いんだよ。」
子供の言い訳その3「勉強なんかできても何の役にも立たない。」
→「じゃあ、お前は何ができる?何かできるならそれを使って生きていけ。俺は知らん。」
その他、子供の言い訳や現実逃避に対する返答例。
「俺は勉強ができるようになる方法はいくらでも教えてやるが、それを聞いて実行するかどうかはお前らの自由だ。それぐらい自分で決めろ。勉強しろなんて一言も言ってないからな。」
「今、自分の足で歩く練習をしておかなかったら、いざ親から手を離された時に、歩けないぞ。地べたに座り込んで『おんぶしてー』と泣き叫ぶのは勝手だが、幼稚園の先生は迎えには来てくれないよ、きっと。そんなお前の脇を他の奴らは横目で見てクスクス笑いながら通り過ぎていくんだよ。『まあ、何あの子、かわいそうに・・・プッ』ってな。」
6. 真剣
2003/04/11(金) 01:59:47
とにかく子供は「いざとなったら自分の人生は大人が何とかしてくれる」と勘違いしているケースが多いので、上のようなことをはっきり言ってやると目の色が変わります。
自分はガキのくせにガキは格好悪いと思っているのですから、「そういうこと言ってるからお前はガキなんだよ。お前の人生それでいいの?」とはっきり言ってやればいいと思います。
ただ、上のような子供の言い訳は、本気で言っているわけではなくて、
「ほんとは心の中では勉強できるようになりたいと望んでいるのに、なかなかできるようにならず、しかも学校ではそれが劣等感になってしまうから、自分の傷を癒すために苦し紛れに言っているだけ」
なのは見え見えなのですから、ただきついことを言ってグサリと図星を突き刺すだけではなくて、
「勉強できるようになりたいという気持ちにもっと素直になれよ。できるようになりたいなら、俺はいくらでも教えてやる。それにテストの点数が悪くても別に誰もお前のことをダメな人間だなんて思ってないから、自分のペースで、コツコツと頑張ればいいんだよ。そうやって自分の足で自信を持って歩くことが人生で一番大事なことだ。」
といったフォローをします。
それを何ヶ月もしつこく続けていると、子供の愚痴が減ってきて「先生これ教えて」と素直に言うようになってくる場合が多いです。
よしよし、かわいいかわいい。
自分はガキのくせにガキは格好悪いと思っているのですから、「そういうこと言ってるからお前はガキなんだよ。お前の人生それでいいの?」とはっきり言ってやればいいと思います。
ただ、上のような子供の言い訳は、本気で言っているわけではなくて、
「ほんとは心の中では勉強できるようになりたいと望んでいるのに、なかなかできるようにならず、しかも学校ではそれが劣等感になってしまうから、自分の傷を癒すために苦し紛れに言っているだけ」
なのは見え見えなのですから、ただきついことを言ってグサリと図星を突き刺すだけではなくて、
「勉強できるようになりたいという気持ちにもっと素直になれよ。できるようになりたいなら、俺はいくらでも教えてやる。それにテストの点数が悪くても別に誰もお前のことをダメな人間だなんて思ってないから、自分のペースで、コツコツと頑張ればいいんだよ。そうやって自分の足で自信を持って歩くことが人生で一番大事なことだ。」
といったフォローをします。
それを何ヶ月もしつこく続けていると、子供の愚痴が減ってきて「先生これ教えて」と素直に言うようになってくる場合が多いです。
よしよし、かわいいかわいい。
7. 真剣
2003/04/11(金) 02:17:32
とにかく子供は、
「子供は勉強が仕事だ」とか「お前の将来のためだ」とか「大人になれば分かる」とか、そういうきれい事はもう聞きたくないんですよ。
「数学をやれば論理的思考力がつく」とか「英語をやっておかないと国際化社会に対応できない」とか、そういう紋切り型の屁理屈に納得する子供もいない。
僕は子供たちに、「ああ、やっぱりこの人も他の大人と同じ事を言うのか」とだけは思われたくない。
「勉強しておかないとアホな大人になる。アホな大人はうざい。」
とはっきり言ってやればいいんですよ。
少なくとも僕が中高生の時は、そう言ってくれる大人に出会いたかった。
「お前は頭が悪いから、勉強して頭を良くしなさい。そうしないとダメな大人になってしまう。どうしても勉強したくないならサボってもよいが、将来何もできない大人になっても、お願いだから犯罪だけは犯さないでね。邪魔だから。」
も決めゼリフの1つ。
これらは、今現在の生徒を否定しているわけではないというところがポイント。
勉強しなかった結果生じる結果をやんわりと否定するのがポイント。
でも「やりたくないならやらなくてもよい。」ということを強調するのもポイント。「勉強だけがすべてではない」と必ず教える。
それを理解させた上で、「それでもお前が勉強するというのなら、いくらでも教えてやるからついてこい」と促すのがポイント。
そうやってまずは、「やらなきゃならないから仕方なくやっている」という感覚から、「自分で主体的に選択してやっている」という感覚に移行させることが教育において極めて大事な点だと思う。やらされてやった勉強など、人生において何の価値もないと思う。
「子供は勉強が仕事だ」とか「お前の将来のためだ」とか「大人になれば分かる」とか、そういうきれい事はもう聞きたくないんですよ。
「数学をやれば論理的思考力がつく」とか「英語をやっておかないと国際化社会に対応できない」とか、そういう紋切り型の屁理屈に納得する子供もいない。
僕は子供たちに、「ああ、やっぱりこの人も他の大人と同じ事を言うのか」とだけは思われたくない。
「勉強しておかないとアホな大人になる。アホな大人はうざい。」
とはっきり言ってやればいいんですよ。
少なくとも僕が中高生の時は、そう言ってくれる大人に出会いたかった。
「お前は頭が悪いから、勉強して頭を良くしなさい。そうしないとダメな大人になってしまう。どうしても勉強したくないならサボってもよいが、将来何もできない大人になっても、お願いだから犯罪だけは犯さないでね。邪魔だから。」
も決めゼリフの1つ。
これらは、今現在の生徒を否定しているわけではないというところがポイント。
勉強しなかった結果生じる結果をやんわりと否定するのがポイント。
でも「やりたくないならやらなくてもよい。」ということを強調するのもポイント。「勉強だけがすべてではない」と必ず教える。
それを理解させた上で、「それでもお前が勉強するというのなら、いくらでも教えてやるからついてこい」と促すのがポイント。
そうやってまずは、「やらなきゃならないから仕方なくやっている」という感覚から、「自分で主体的に選択してやっている」という感覚に移行させることが教育において極めて大事な点だと思う。やらされてやった勉強など、人生において何の価値もないと思う。
8. mnsk
2003/04/11(金) 03:33:21
「子供は大人のキレイ事が大嫌いだ」ということは確かだ。
私も塾教師をしていたからよく分かる。
しかし、「勉強だけがすべてではない」と強調することは、
逆に「勉強だけがすべてだ」という大前提を雄弁に物語ってしまう。
(「勉強しないとダメな人間になる」と本気で考えているとするならば、
あなたはかなり問題のある教師なのではないか?)
(もし本気で思ってなくて、なおかつあえてそう言っているのであれば、
あなたはまさに嘘つきの大人なのではないか?)
素朴な疑問だが、「公園暮らしで何が悪いの?」と聞き返されたときに、
生徒に何と答えるのだろうか。
少なくとも子供はそのような嘘にはすさまじく敏感である。
私は小さい頃、NHKの「明るい農村」という番組を見て、
この題名そのものが「農村は暗い」という決めつけを絶対的な前提としていることに気づき、
一挙に大人の言葉の嘘とその仕組みを直感した。
あなたもまたそのような嘘をついているのではないか?
私も塾教師をしていたからよく分かる。
しかし、「勉強だけがすべてではない」と強調することは、
逆に「勉強だけがすべてだ」という大前提を雄弁に物語ってしまう。
(「勉強しないとダメな人間になる」と本気で考えているとするならば、
あなたはかなり問題のある教師なのではないか?)
(もし本気で思ってなくて、なおかつあえてそう言っているのであれば、
あなたはまさに嘘つきの大人なのではないか?)
素朴な疑問だが、「公園暮らしで何が悪いの?」と聞き返されたときに、
生徒に何と答えるのだろうか。
少なくとも子供はそのような嘘にはすさまじく敏感である。
私は小さい頃、NHKの「明るい農村」という番組を見て、
この題名そのものが「農村は暗い」という決めつけを絶対的な前提としていることに気づき、
一挙に大人の言葉の嘘とその仕組みを直感した。
あなたもまたそのような嘘をついているのではないか?
9. 真剣
2003/04/12(土) 01:57:43
>mnsk
いやいや、そういうレスを返してくれる人が存在することを期待していました。
僕が「勉強だけがすべてではない」を強調するのは、子供自身が「勉強ができないとダメな人間だ」という思い込みを持っていることを前提としているからです。
とにかく、小学校入学以来の学校社会の中で強固に擦り込まれた「テストで点を取れる奴が立派な奴で、テストで点を取れない奴はダメな奴」という勉強至上主義の価値観をぶっ壊してやりたいのです。
「テストなんかどうでもいいんだよ。何をそんなに恐れているんだ。」と言ってやる。そうすると、子供の中で軽いブレークスルーが起こるわけです。「マジで?そんなこと言う大人は初めてだ。」みたいな。
これは決して奇をてらうことで子供の人気を集めようといった卑しい気持ちからではなく、とにかく、「大人から与えられたことをきちんとこなせる人間がいい人間なんだ」という価値観を捨てさせたいのです。その上で、自分が何をするのかを考えてほしい。
いやいや、そういうレスを返してくれる人が存在することを期待していました。
僕が「勉強だけがすべてではない」を強調するのは、子供自身が「勉強ができないとダメな人間だ」という思い込みを持っていることを前提としているからです。
とにかく、小学校入学以来の学校社会の中で強固に擦り込まれた「テストで点を取れる奴が立派な奴で、テストで点を取れない奴はダメな奴」という勉強至上主義の価値観をぶっ壊してやりたいのです。
「テストなんかどうでもいいんだよ。何をそんなに恐れているんだ。」と言ってやる。そうすると、子供の中で軽いブレークスルーが起こるわけです。「マジで?そんなこと言う大人は初めてだ。」みたいな。
これは決して奇をてらうことで子供の人気を集めようといった卑しい気持ちからではなく、とにかく、「大人から与えられたことをきちんとこなせる人間がいい人間なんだ」という価値観を捨てさせたいのです。その上で、自分が何をするのかを考えてほしい。
10. 真剣
2003/04/12(土) 02:14:23
「勉強しないとダメな人間になる」発言に関してですが、これも説明し出すときりがないのですが、簡単に言うと以下のような意図があります。
既に書いたように、「勉強なんかして何になる」と子供が発言する時には、「ほんとは勉強が得意になりたいんだけど、難しいし、やろうと思ってもけじめをつけられない自分にイライラする。だから勉強を悪者に仕立て上げることで自分を正当化したい。」という裏が隠れているのですから、「したくなけりゃしなけりゃいいだろ。大人に『勉強の価値』を問いただしても、お前の学力はいっこうに上がりゃしないよ。勉強が嫌なら堂々とサボって勝手にアホな大人になればいいだろ(子供はそう思っているから、それを前提とするのです)。それはお前が選択することだ。俺は知らんよ、そんなことは。」と言うことで、子供の「正当化」をくじくわけです。
でも「勉強ができなくても別にいいんだ。」ということを強調するのは既に書いたとおりです。
勉強をして大学に入って、会社に入って安定した給料をもらいたければそうしろ。勉強が嫌なら他にできることを作れ。お前が将来どんな仕事をするのか、自分の頭で考えて、その結果、勉強をやらないことに決めたのなら、それでよい。勉強なんかできなくても立派に活躍している人はたくさんいる。そういう人になりたいならなりなさい。
"とにかく、ブーブーごねていれば、大人がよしよしと頭を撫でてくれると考えるのだけは今すぐやめなさい!自分の人生は自分で生きなさい!"
と、そういうようなことです。
説明するの難しいですが。
既に書いたように、「勉強なんかして何になる」と子供が発言する時には、「ほんとは勉強が得意になりたいんだけど、難しいし、やろうと思ってもけじめをつけられない自分にイライラする。だから勉強を悪者に仕立て上げることで自分を正当化したい。」という裏が隠れているのですから、「したくなけりゃしなけりゃいいだろ。大人に『勉強の価値』を問いただしても、お前の学力はいっこうに上がりゃしないよ。勉強が嫌なら堂々とサボって勝手にアホな大人になればいいだろ(子供はそう思っているから、それを前提とするのです)。それはお前が選択することだ。俺は知らんよ、そんなことは。」と言うことで、子供の「正当化」をくじくわけです。
でも「勉強ができなくても別にいいんだ。」ということを強調するのは既に書いたとおりです。
勉強をして大学に入って、会社に入って安定した給料をもらいたければそうしろ。勉強が嫌なら他にできることを作れ。お前が将来どんな仕事をするのか、自分の頭で考えて、その結果、勉強をやらないことに決めたのなら、それでよい。勉強なんかできなくても立派に活躍している人はたくさんいる。そういう人になりたいならなりなさい。
"とにかく、ブーブーごねていれば、大人がよしよしと頭を撫でてくれると考えるのだけは今すぐやめなさい!自分の人生は自分で生きなさい!"
と、そういうようなことです。
説明するの難しいですが。
11. 真剣
2003/04/12(土) 02:28:29
「公園暮らしの何が悪い」と問われたらこう答えますね。
「勉強もせず、かといって何か特技を磨くわけでもなく、将来のために何か準備をするでもなく、何もせずに毎日バカなバラエティー番組を見てゲラゲラ笑い転げて、あー面白かったと言ってグーグー寝てるだけのくせに、『勉強なんか意味ない』などと屁理屈と文句ばっかり言ってそれで人生が過ぎていくと考えているお前のような甘ったれは、大人になっても何の知識も何の技術もなく、何も仕事をさせてもらえず、公園で暮らすしかなくなるよ、という事実を言っているだけだ。それでいいと思うなら、それでいいから好きなようにしなさい。あるいは、『先生の考えは間違っている』と思うのであれば反論してもいいし、無視してもいい。お前の人生はお前だけのものだから、俺はお前に何かをさせようとは思わない。お前がどう生きるのかはお前が決めればよい。ただ俺は、そういう態度では何もできない大人になる可能性が高いと思うよ、と言っているだけだ。信じたくないなら信じなくてよい。」
実際、「勉強は嫌いだ。俺はダンスが好きだから、ダンスを練習してダンサーになる。」と主張する子供に対しては、僕は断固として「おう、そうか。それじゃあダンスを猛特訓して、立派なダンサーになれ。」と言いますよ。「そんな夢みたいなこと言ってないで勉強しなさい。」などとは"絶対に"言いません。
僕はとにかく、自分の人生を大人から準備してもらえると勘違いしている子供、自分はブーブー不満ばかり言っていれば、夜になれば自動的に晩御飯が出てくると信じている子供を精神的にどついてやりたいだけです。
「勉強もせず、かといって何か特技を磨くわけでもなく、将来のために何か準備をするでもなく、何もせずに毎日バカなバラエティー番組を見てゲラゲラ笑い転げて、あー面白かったと言ってグーグー寝てるだけのくせに、『勉強なんか意味ない』などと屁理屈と文句ばっかり言ってそれで人生が過ぎていくと考えているお前のような甘ったれは、大人になっても何の知識も何の技術もなく、何も仕事をさせてもらえず、公園で暮らすしかなくなるよ、という事実を言っているだけだ。それでいいと思うなら、それでいいから好きなようにしなさい。あるいは、『先生の考えは間違っている』と思うのであれば反論してもいいし、無視してもいい。お前の人生はお前だけのものだから、俺はお前に何かをさせようとは思わない。お前がどう生きるのかはお前が決めればよい。ただ俺は、そういう態度では何もできない大人になる可能性が高いと思うよ、と言っているだけだ。信じたくないなら信じなくてよい。」
実際、「勉強は嫌いだ。俺はダンスが好きだから、ダンスを練習してダンサーになる。」と主張する子供に対しては、僕は断固として「おう、そうか。それじゃあダンスを猛特訓して、立派なダンサーになれ。」と言いますよ。「そんな夢みたいなこと言ってないで勉強しなさい。」などとは"絶対に"言いません。
僕はとにかく、自分の人生を大人から準備してもらえると勘違いしている子供、自分はブーブー不満ばかり言っていれば、夜になれば自動的に晩御飯が出てくると信じている子供を精神的にどついてやりたいだけです。
12. 真剣
2003/04/12(土) 02:47:58
ちなみに個人的な思想としては、モノを知らない大人はみっともないと思うので、できるだけ勉強はしておいた方がいいと思っています。
いくら絵がうまくても、いくらスポーツが得意でも、アメリカの大統領の名前も知らないような大人にだけはなってほしくない。
だからこそ、勉強の方向性は「数学の問題集をせっせと解いて、テストでいい点を取れるように頑張る」のではなくて、「毎日10分でいいから新聞を読んで、世の中の出来事に興味を持つ」というものであるべきだと考えます。
さらには、英語にしろ数学にしろ、勉強するという行為を通じて、「自分で学びたいものが見つかった時や、就きたい職業が見つかった時に、そのために自分に必要な勉強をする際の方法論を修得する」という効果を得なければ意味がありません。
(この方法論の中には、本の選び方やノートの使い方などの他、論理的思考力や抽象化能力、読解力や記憶のコツなどもすべて含まれます。そういうことは必要に応じて人から教えてもらえる類のものではなく、経験を通じて体得するしかないと思っています。)
その意味で、テスト前の詰め込みなどはやるだけ無駄だと思っています。だからこそテスト至上主義に汚染された子供たちに声を荒らげずにはいられないのです。
ただし、こういうことは子供の前では普通言いません。
こういう「学習の価値と目的」といったものは、教える側が分かっておけばいいのであって、子供に言ったところで子供のやる気にはつながりません。ただのきれい事でしかありません。なぜなら、子供は自分の無能力を正当化するために勉強を悪者に仕立て上げたいだけなのだから。
いくら絵がうまくても、いくらスポーツが得意でも、アメリカの大統領の名前も知らないような大人にだけはなってほしくない。
だからこそ、勉強の方向性は「数学の問題集をせっせと解いて、テストでいい点を取れるように頑張る」のではなくて、「毎日10分でいいから新聞を読んで、世の中の出来事に興味を持つ」というものであるべきだと考えます。
さらには、英語にしろ数学にしろ、勉強するという行為を通じて、「自分で学びたいものが見つかった時や、就きたい職業が見つかった時に、そのために自分に必要な勉強をする際の方法論を修得する」という効果を得なければ意味がありません。
(この方法論の中には、本の選び方やノートの使い方などの他、論理的思考力や抽象化能力、読解力や記憶のコツなどもすべて含まれます。そういうことは必要に応じて人から教えてもらえる類のものではなく、経験を通じて体得するしかないと思っています。)
その意味で、テスト前の詰め込みなどはやるだけ無駄だと思っています。だからこそテスト至上主義に汚染された子供たちに声を荒らげずにはいられないのです。
ただし、こういうことは子供の前では普通言いません。
こういう「学習の価値と目的」といったものは、教える側が分かっておけばいいのであって、子供に言ったところで子供のやる気にはつながりません。ただのきれい事でしかありません。なぜなら、子供は自分の無能力を正当化するために勉強を悪者に仕立て上げたいだけなのだから。
13. 真剣
2003/04/12(土) 03:04:00
補足ですが、言い訳ではなくて本気で、「勉強ってなんでするんだろう?」という疑問を発する子がもしいれば、正面から向き合って一緒に話し合います。
実際にそういう子もいました。
僕の言うことが気に入らなければ反論するのも大いに結構なことだし、そういう時には決して適当にごまかしたりせずに、授業をつぶしてでも話し合います。
自分の意見を言いたがる子供は大歓迎です。
大人の言う通りにしなきゃならんという思い込みが僕は一番嫌いですから。
「お前は子供だからまだ何も分かってないんだよ」みたいなごまかしも絶対にしません。「俺はこう思うんだけど、お前はどう思うの?」が基本です。決して「最終的に、道徳的に正しい方向に導こう」などとは考えません。そこが学校の先生にはできないことではないかと思います。
ただ、こちらとしては上のようなことを期待しているのに、大半の子供は「言い訳」と「正当化」の連続なんですよね。自分の人生を自分で生きるんだという自覚と責任感がない。
できれば中学3年生ぐらいで「ガキからの脱皮」を成し遂げてほしいと願っています。
実際にそういう子もいました。
僕の言うことが気に入らなければ反論するのも大いに結構なことだし、そういう時には決して適当にごまかしたりせずに、授業をつぶしてでも話し合います。
自分の意見を言いたがる子供は大歓迎です。
大人の言う通りにしなきゃならんという思い込みが僕は一番嫌いですから。
「お前は子供だからまだ何も分かってないんだよ」みたいなごまかしも絶対にしません。「俺はこう思うんだけど、お前はどう思うの?」が基本です。決して「最終的に、道徳的に正しい方向に導こう」などとは考えません。そこが学校の先生にはできないことではないかと思います。
ただ、こちらとしては上のようなことを期待しているのに、大半の子供は「言い訳」と「正当化」の連続なんですよね。自分の人生を自分で生きるんだという自覚と責任感がない。
できれば中学3年生ぐらいで「ガキからの脱皮」を成し遂げてほしいと願っています。
14. 笹爺
2003/05/09(金) 00:24:34
>真剣さま
感動。
感動。
15. 僕も
2003/05/09(金) 01:01:30
感動...。
16. 私も
2003/05/09(金) 05:52:43
感動。
17. 君も
2003/05/09(金) 08:58:24
感動。
18. なんだかなあ
2003/05/09(金) 11:14:40
まず生徒が自分で勉強する方法を身につけられるようにしたいというのは私も賛成なのね。でもなんか口調がね、断定的で嫌なのよ。自分は真実を伝える大人だと刷り込んだうえで何でもスパスパ言っていけば生徒さんはなかなか反論どころか疑問を持つことも難しくない?あと子供のことなら大体お見通しみたいに思ってるのかもしれないけどエスパーじゃないんだからそんなことは無理でしょ。一人ひとりの持つものがある以上紋切り型の指導法みたいのもどうかと思うしね。まあ教育と称して自分の思うほうに引っ張っていこうとしすぎる嫌いがあるのよ。教育職に就こうとお思いのようなので言っときますが私が生徒ならこの先生は好きになれない、むしろかなり嫌いになるんじゃないかと。だって将来のことを考えることを強要されるんでしょ。若いときってのは見返りとか期待せずに好きにやれる時期でもあるわけでさ。遊んでばっかりでも世の中何とかなるし。即無職ホームレスって思考は短絡的といわれても仕方ないよ。真剣サンの絶対何かを頑張らなきゃいけないっていう考え方はすごく狭い見方だと思うしそれをウザいって感じる生徒さんもいることでしょう。そういう生徒さんに、お前は逃げているだけだ、などと言って無理に洗脳しないよう気をつけてくださいね。でも真剣サンのような教員はよく目にしますよ。大人のキレイ事が嫌いとか道徳にとらわれないとかいって自分の考え方を押し付けてくるので生徒からするとウザイ上に意味わからんから接しづらいんですよね。
19. ↑
2003/05/09(金) 11:37:48
同意。
書くのめんどかったから書かなかったけど。
書くのめんどかったから書かなかったけど。
20. なんだかなあ つづき
2003/05/09(金) 11:50:40
それで私の教育についての考え方だけど、やさしくというのを第一に考えてる。進学校出身でなにかとうるさい教師に数多く出会った反動かもしれないけど。でも高圧的なのはどこか違うよね。具体的には塾ならやる気ない奴でも来ただけほめるとか。だって偉いよ、親に来させられたんだとしてもさ。皆さんも思い出せばわかると思うけど子供のころもいろいろあるじゃない?ストレスあって当たり前だしグチいってても不思議じゃないよ。そういうのは理解してあげたいよね。あとひとりひとりの考え方を大事にしたい。ひたすら彼らの価値観をこわそうとか彼らを啓蒙しようとするのはおこがましいでしょ。
21. なんだかなあ 3
2003/05/09(金) 12:06:22
あと私が生徒さんに伝えたいのは思い出は結構自分で作れるんだよってこと。たとえば全然勉強せんかったっていう思い出もすげー勉強してたよっていう思い出もさ。派手ずきな奴はケンカとかテスト百点とか派手な思い出あつめればいいし地味にいきたいやつは部活でしごかれたなーとかどきどき片思いとか。どんなものでも思い出になるから面白いのよね、ってことをつたえたいかな。
22. ありがとう
2003/05/09(金) 13:42:15
俺も家庭教師やってるけどやっぱ、こういう問題ってどうしてもぶつかるよね。ありがとう、同じことを考えている人の意見が聞けました。
23. 良スレ
2003/05/09(金) 15:29:53
みなさん、本当に真剣に考えておられるんですね。
でも、教育というのは、ある程度鋳型にはめるところがありますし、若いときにきちんとやっておかなければならないものです。これは後悔しても取り戻しが非常にききにくい。年をくうと痛切に感じます。
おしつけと自発性の尊重、そこがジレンマですね。なんだかなあさんのいうことはよく理解できるのですが、それはなんだかなあさんがきちんとしてこられたからこそ得られた判断だという気もします。子供はやはり子供であって、未熟なものです。これは忘れてはならないことだと思います。
私は、真剣さんは、たとえ万一一時嫌われることがあったとしても、将来きっとわかってもらえ、深い感謝を受ける日が来ると思います。
でも、教育というのは、ある程度鋳型にはめるところがありますし、若いときにきちんとやっておかなければならないものです。これは後悔しても取り戻しが非常にききにくい。年をくうと痛切に感じます。
おしつけと自発性の尊重、そこがジレンマですね。なんだかなあさんのいうことはよく理解できるのですが、それはなんだかなあさんがきちんとしてこられたからこそ得られた判断だという気もします。子供はやはり子供であって、未熟なものです。これは忘れてはならないことだと思います。
私は、真剣さんは、たとえ万一一時嫌われることがあったとしても、将来きっとわかってもらえ、深い感謝を受ける日が来ると思います。
24. 柴犬
2003/05/09(金) 16:32:51
真剣さんの文章には共感するところが多いんだけど、一つだけ。
>僕が「勉強だけがすべてではない」を強調するのは、子供自身が「勉強ができないとダメな人間だ」という思い込みを持っていることを前提としているからです。
これはないと思うなあ。今時勉強ができるから立派みたいな価値観は下火でしょう。まして勉強できないとダメな人間などと考えることなんてないんじゃないの?子供がそう考えてるというだけじゃなく、親もそういう姿勢で教育しているように感じるな。昔は勉強できるかどうかがその人の価値を決めるみたいな考えが支配的だった時期もあったんでしょうが、その反動かどうかわからないけども、最近(といってもだいぶ前から)は勉強できることに対して負のイメージの方が強くなってさえいるように思います。
僕は地方都市で育ったので都会の状況はよくわからんのですが。
>僕が「勉強だけがすべてではない」を強調するのは、子供自身が「勉強ができないとダメな人間だ」という思い込みを持っていることを前提としているからです。
これはないと思うなあ。今時勉強ができるから立派みたいな価値観は下火でしょう。まして勉強できないとダメな人間などと考えることなんてないんじゃないの?子供がそう考えてるというだけじゃなく、親もそういう姿勢で教育しているように感じるな。昔は勉強できるかどうかがその人の価値を決めるみたいな考えが支配的だった時期もあったんでしょうが、その反動かどうかわからないけども、最近(といってもだいぶ前から)は勉強できることに対して負のイメージの方が強くなってさえいるように思います。
僕は地方都市で育ったので都会の状況はよくわからんのですが。
25. lplp
2003/05/09(金) 22:01:39
>すべての生徒に「とりあえず毎日、新聞を読みなさい。」と必ず言います
これにだけは絶対賛成できない。
新聞は日々の消費物でしかないもの。
明日になったらその価値はほとんど無くなる瞬間的なもの。
そういう軽薄な読み物より、
歴史の中で生き残ってきた古典を読ませたいと思う。
これにだけは絶対賛成できない。
新聞は日々の消費物でしかないもの。
明日になったらその価値はほとんど無くなる瞬間的なもの。
そういう軽薄な読み物より、
歴史の中で生き残ってきた古典を読ませたいと思う。
26. ↑
2003/05/09(金) 22:19:20
スポーツ新聞しか読んでないのか?
27. いまどき
2003/05/10(土) 00:56:58
古典って(ぷ
28. ↑
2003/05/10(土) 07:10:13
まあ、「絶対に賛成せきない」なんて言われると、たしかに一種の権威主義ととられかねんけど。
ぼくは、中学の時、夏休みの宿題で、毎日、新聞のコラム欄を写させられたなあ。
子供にほそくながく読ませるのには、コラムくらいがちょうどいいかもしれないし、社会の勉強にもなる。
自身が本が好きで古典の価値を否定するわけではないけども、子供の発達段階とかを考えた選定で苦労すると思う。なにより続かないだろう。国語力は継続の力が大きいと思う。
ダンテの『神曲』なんて、最初読んだとき何がなんだか分からず、「なんじゃこりゃ」と思ったが、文庫解説を見て、ゲーテ(だったかな)も「読まれざる傑作」なんて皮肉をこぼしているのをみて、安心したこともあるし。
ぼくは、中学の時、夏休みの宿題で、毎日、新聞のコラム欄を写させられたなあ。
子供にほそくながく読ませるのには、コラムくらいがちょうどいいかもしれないし、社会の勉強にもなる。
自身が本が好きで古典の価値を否定するわけではないけども、子供の発達段階とかを考えた選定で苦労すると思う。なにより続かないだろう。国語力は継続の力が大きいと思う。
ダンテの『神曲』なんて、最初読んだとき何がなんだか分からず、「なんじゃこりゃ」と思ったが、文庫解説を見て、ゲーテ(だったかな)も「読まれざる傑作」なんて皮肉をこぼしているのをみて、安心したこともあるし。
29. 真剣
2003/05/10(土) 07:19:36
嬉しいなあ。色んな意見が突如現れて。
「勉強できる奴が立派な奴」という考えは、子供たちの間に驚くほど蔓延していますよ。「勉強にあまり価値がない」なんて言説をマスコミが言いふらして、親たちも「勉強はそこそこでいいから、伸び伸びと思いやりのある子に育って欲しい」なんて口では言いながら、テストの点数が悪いと「勉強しなさい!」と言っているのです。少なくとも僕がこれまでに接してきた生徒や親たちにはそういった風潮が確実にあります。
「学歴なんて意味がない」とか「必死で勉強していい会社に入っても、得がない」なんてみんな口先では言いながら、子供にはプレッシャーをかけ続けているのです。特に学校という社会、受験という制度がね。とりわけ最近は学力低下などと騒がれて、躍起になっている親も多いでしょう。
だから子供たちは常に何かに怯えていますね。テストの点数が悪いことがそんなに恐怖か、と言いたい。「部活ってやらないと成績下がるんじゃないの?」とか心配してる子もいるんですよ。
僕は「学校で擦り込まれた価値観がすべてではない。周りに流されずに自分の信じる道を進めばいいんだ。」ということを分からせたいだけであって、「将来のことを考えて何かを頑張らないとダメ」と強調したつもりはありませんよ。
かといって、「将来のことなんか考えなくても、その時楽しいようにのん気に暮らせば、それでいいじゃん」とは思いませんね。
それでは教育の存在意義がない。そういうのは放任というのです。それこそダメな人間を大量生産することになると思いますね。教育に携わる以上、何らかの目的と理念が必要です。
僕は情報を与えることで生徒たちが考える材料にしてもらいたいのです。知らないということが一番怖いことであり、考えないことは悲惨なことだと思います。
それから、あと1つ。
僕は生徒に好かれようなどとはこれっぽっちも思っていません。
もし僕のことを嫌いになって言うことを聞かなくても、塾をやめられても、ちっともかまいません。そいつの人生はそいつだけのものだから、僕の言うことを聞く義理など何もない。僕の言うことを信じたい奴だけが信じればいいと思っています。
「勉強できる奴が立派な奴」という考えは、子供たちの間に驚くほど蔓延していますよ。「勉強にあまり価値がない」なんて言説をマスコミが言いふらして、親たちも「勉強はそこそこでいいから、伸び伸びと思いやりのある子に育って欲しい」なんて口では言いながら、テストの点数が悪いと「勉強しなさい!」と言っているのです。少なくとも僕がこれまでに接してきた生徒や親たちにはそういった風潮が確実にあります。
「学歴なんて意味がない」とか「必死で勉強していい会社に入っても、得がない」なんてみんな口先では言いながら、子供にはプレッシャーをかけ続けているのです。特に学校という社会、受験という制度がね。とりわけ最近は学力低下などと騒がれて、躍起になっている親も多いでしょう。
だから子供たちは常に何かに怯えていますね。テストの点数が悪いことがそんなに恐怖か、と言いたい。「部活ってやらないと成績下がるんじゃないの?」とか心配してる子もいるんですよ。
僕は「学校で擦り込まれた価値観がすべてではない。周りに流されずに自分の信じる道を進めばいいんだ。」ということを分からせたいだけであって、「将来のことを考えて何かを頑張らないとダメ」と強調したつもりはありませんよ。
かといって、「将来のことなんか考えなくても、その時楽しいようにのん気に暮らせば、それでいいじゃん」とは思いませんね。
それでは教育の存在意義がない。そういうのは放任というのです。それこそダメな人間を大量生産することになると思いますね。教育に携わる以上、何らかの目的と理念が必要です。
僕は情報を与えることで生徒たちが考える材料にしてもらいたいのです。知らないということが一番怖いことであり、考えないことは悲惨なことだと思います。
それから、あと1つ。
僕は生徒に好かれようなどとはこれっぽっちも思っていません。
もし僕のことを嫌いになって言うことを聞かなくても、塾をやめられても、ちっともかまいません。そいつの人生はそいつだけのものだから、僕の言うことを聞く義理など何もない。僕の言うことを信じたい奴だけが信じればいいと思っています。
30. 真剣
2003/05/10(土) 07:31:00
>遊んでばっかりでも世の中何とかなる
これは事実かも知れないけれども、そういう人間を積極的に育てることは教育の関心事ではないと思いますね。
遊ぶことに決めて遊んでるんじゃなくて、「めんどくせーし、どーでもいーじゃん」って遊ぶ奴や、
何か夢があって、それに向かってフリーターしているんじゃなくて、「なーんにもしたくない。まー、なんとかなるでしょ」ってフリーターする人間を積極的に生みだそうとは思いませんね。
それにそいつの人生は何とかなるかも知れないけれども、そういう人間が増えると「世の中」は不安定になります。犯罪者も増えます。失業者も増えます。生産能力の低い階層が増えます。
それは教育の目指すべきところではありません。
第一、「何とかなる」ような人生を送って欲しくありません。自信を持って生きられる人生を歩んで欲しい。
これは事実かも知れないけれども、そういう人間を積極的に育てることは教育の関心事ではないと思いますね。
遊ぶことに決めて遊んでるんじゃなくて、「めんどくせーし、どーでもいーじゃん」って遊ぶ奴や、
何か夢があって、それに向かってフリーターしているんじゃなくて、「なーんにもしたくない。まー、なんとかなるでしょ」ってフリーターする人間を積極的に生みだそうとは思いませんね。
それにそいつの人生は何とかなるかも知れないけれども、そういう人間が増えると「世の中」は不安定になります。犯罪者も増えます。失業者も増えます。生産能力の低い階層が増えます。
それは教育の目指すべきところではありません。
第一、「何とかなる」ような人生を送って欲しくありません。自信を持って生きられる人生を歩んで欲しい。
31. 真剣
2003/05/10(土) 07:52:52
あとちょっとだけ。
新聞を読まない子供は、価値観が限りなく狭いですね。
学校社会に汚染されきっている。
新聞を読み始めた子は、次第に世の中のことに目が向くようになって、将来の夢とかも出て来るんです。
会話の話題も豊富になって、知識もつきます。情報のアンテナが広がります。
それに伴って自信もつきます。
別に新聞でなくても書籍でもいいわけですが、新聞すら読まない子は本はまず読みません。まずは新聞からです。まずは新聞を1日10分。それだけで全然違います。
すべての学力と"生きる力"の土台になると思います。
新聞を読まない子供は、価値観が限りなく狭いですね。
学校社会に汚染されきっている。
新聞を読み始めた子は、次第に世の中のことに目が向くようになって、将来の夢とかも出て来るんです。
会話の話題も豊富になって、知識もつきます。情報のアンテナが広がります。
それに伴って自信もつきます。
別に新聞でなくても書籍でもいいわけですが、新聞すら読まない子は本はまず読みません。まずは新聞からです。まずは新聞を1日10分。それだけで全然違います。
すべての学力と"生きる力"の土台になると思います。
32. しかし
2003/05/10(土) 10:01:56
そんなに新聞ってすごいかなぁ。
33. なんだかなあ 3
2003/05/10(土) 12:28:18
>信じたい奴だけが信じればいいと思っています
ここはすごい大切だと思うよ。でも「自分の信じる道」をひた走ってきたという人は何か価値観が狭くない?お勉強ひたすら頑張った奴は学歴主義みたいになっちゃう奴多いし。新聞読まないよりまずいことになるんじゃないかな。勉強への姿勢に関しては放任でもいいんじゃない。まあ教育職、とくに学校教育以外は子供に勉強するようになってもらってお金を稼ぐ職業なんだから勉強への姿勢に関しての放任なんかは許されないだろうけど。
ここはすごい大切だと思うよ。でも「自分の信じる道」をひた走ってきたという人は何か価値観が狭くない?お勉強ひたすら頑張った奴は学歴主義みたいになっちゃう奴多いし。新聞読まないよりまずいことになるんじゃないかな。勉強への姿勢に関しては放任でもいいんじゃない。まあ教育職、とくに学校教育以外は子供に勉強するようになってもらってお金を稼ぐ職業なんだから勉強への姿勢に関しての放任なんかは許されないだろうけど。
34. なんだかなあ 5 上は4
2003/05/10(土) 12:39:41
ここでの放任というのはあくまで生徒の自主性にまかせるという意味。子供の間に勉強が大切という価値観が広がっているのならこれでいいんじゃないのかなあ。
35. う〜ん
2003/05/10(土) 13:35:05
みんな大人としての立場からもの言ってるな〜
ついこないだまでみんな子供だったくせに・・・
真剣さんの子供に対する洞察力はすげぇと
おもった。高校受験のときの子供だったときの
俺の気持ち見透かされてるって感じだ。
当時大蔵官僚の腐敗が社会問題になってて、
俺もいい高校いって、いい大学いってもど〜せ
の〜ぱんしゃぶしゃぶやろ。とか口ではいっときながら
心の中ではいい高校いかなって必死やった。
あの時は今と違って、必要以上にいい高校いかな
あかんとおもってた。今ならいい大学いかなくても
人生なんとかなるとおもうけど、あの当時は
口先ではともかく、かな〜りいい高校いかなと
あせってた・・・。
あと今勉強してることは、人間性を豊かにする
とか奇麗事言う大人は大嫌いだったな。
ついこないだまでみんな子供だったくせに・・・
真剣さんの子供に対する洞察力はすげぇと
おもった。高校受験のときの子供だったときの
俺の気持ち見透かされてるって感じだ。
当時大蔵官僚の腐敗が社会問題になってて、
俺もいい高校いって、いい大学いってもど〜せ
の〜ぱんしゃぶしゃぶやろ。とか口ではいっときながら
心の中ではいい高校いかなって必死やった。
あの時は今と違って、必要以上にいい高校いかな
あかんとおもってた。今ならいい大学いかなくても
人生なんとかなるとおもうけど、あの当時は
口先ではともかく、かな〜りいい高校いかなと
あせってた・・・。
あと今勉強してることは、人間性を豊かにする
とか奇麗事言う大人は大嫌いだったな。
36. 確かに
2003/05/10(土) 15:10:46
↑
いい学校(一般的に偏差値が高いといわれている学校)の何がいいんだよ?とか思いながらもそういう学校に入ってしまった。
いい学校(一般的に偏差値が高いといわれている学校)の何がいいんだよ?とか思いながらもそういう学校に入ってしまった。
37. どうでもいいチャチャかもしれない…
2003/05/10(土) 17:04:51
↑↑大人、こどもって話は難しいけど、
「今努力することが将来につながる」っていう世のシステムを理解して実践して
いること自体が、かな〜り大人だと思うけどね。
真剣さんはいい先生だね。ほとんどの人にとっていい先生だろうね。
新聞もほとんどの人にはいい効果をもたらすだろうしね。
「今努力することが将来につながる」っていう世のシステムを理解して実践して
いること自体が、かな〜り大人だと思うけどね。
真剣さんはいい先生だね。ほとんどの人にとっていい先生だろうね。
新聞もほとんどの人にはいい効果をもたらすだろうしね。
38. ぷちいちご
2003/05/10(土) 18:38:56
みなさんすごいですね。
私は教員志望じゃなくて、院に行くつもりだからそれまで安定した収入が得れればいいなって動機で塾講始めたクチ。
予習の時間が必要だけど、長時間強制的に身を拘束されるバイトよりましだろうと思いまして。
反論がいっぱい出るだろうけれど
正直私は、一人一人の生徒の将来のこと、生徒自身のことなんて考えたことないですね。
冷たい言い方をすれば、「興味がない」
だってそんなコトは彼らが自分の価値観によって自分で決めることだろうから
学校の先生でもないタダの1塾講としてはノータッチ。
もともと自分が干渉されるのが大嫌いと言う性格だからそう思っちゃうんでしょうけど。
ちなみにうちは進路指導などはやってない塾だから、
生徒にたいしてこちらから進路指導する機会はないんですね。
もっと言えば、与えられた「生徒との絡み」もない。
塾とか言いながらも予備校みたいなものかな。
私が塾講に必要だと思うことは
「わかりやすい授業をすること」「学問の楽しさを伝えること」
この2つに限られると思います。
どんなに人物的に難ありで嫌な塾講師であったとしても、
塾講であるかぎり、生徒とのつながりは授業でしかないわけであり、
生徒が塾に求めるものは、「学校以上の授業」であるわけで
その先生の授業が生徒(特に受験生)にとって「すばらしい」ものであれば
多少鼻につく態度でも人気は出ると思います。
そりゃもちろん人物的にも好ましいほうがさらに人気が出るのは当たり前だけどね。
自分は塾講である限り、興味があるのは「生徒」ではなく「生徒の理解度」であり、
自分の授業に対する評価なんですね。
いや何より、私が彼らに教えられるのは「学問」しかなく、
たとえ自分より若年者であっても他の人間に「人生」やら「価値観」を
「教える」ことができるほどの人間ではないからです。
そして私自身生徒であったとき、塾にそんなものは求めてなかったから。
価値観だの人生だのは、誰かから教えられるものではなく、
自分の力で得ていくものだと思うから。
他人から与えられた「人生」だの「価値観」なんて
くだらない模倣にしか過ぎなく何の価値もないと思っています。
私は嫌な先生かしら(笑)
私は教員志望じゃなくて、院に行くつもりだからそれまで安定した収入が得れればいいなって動機で塾講始めたクチ。
予習の時間が必要だけど、長時間強制的に身を拘束されるバイトよりましだろうと思いまして。
反論がいっぱい出るだろうけれど
正直私は、一人一人の生徒の将来のこと、生徒自身のことなんて考えたことないですね。
冷たい言い方をすれば、「興味がない」
だってそんなコトは彼らが自分の価値観によって自分で決めることだろうから
学校の先生でもないタダの1塾講としてはノータッチ。
もともと自分が干渉されるのが大嫌いと言う性格だからそう思っちゃうんでしょうけど。
ちなみにうちは進路指導などはやってない塾だから、
生徒にたいしてこちらから進路指導する機会はないんですね。
もっと言えば、与えられた「生徒との絡み」もない。
塾とか言いながらも予備校みたいなものかな。
私が塾講に必要だと思うことは
「わかりやすい授業をすること」「学問の楽しさを伝えること」
この2つに限られると思います。
どんなに人物的に難ありで嫌な塾講師であったとしても、
塾講であるかぎり、生徒とのつながりは授業でしかないわけであり、
生徒が塾に求めるものは、「学校以上の授業」であるわけで
その先生の授業が生徒(特に受験生)にとって「すばらしい」ものであれば
多少鼻につく態度でも人気は出ると思います。
そりゃもちろん人物的にも好ましいほうがさらに人気が出るのは当たり前だけどね。
自分は塾講である限り、興味があるのは「生徒」ではなく「生徒の理解度」であり、
自分の授業に対する評価なんですね。
いや何より、私が彼らに教えられるのは「学問」しかなく、
たとえ自分より若年者であっても他の人間に「人生」やら「価値観」を
「教える」ことができるほどの人間ではないからです。
そして私自身生徒であったとき、塾にそんなものは求めてなかったから。
価値観だの人生だのは、誰かから教えられるものではなく、
自分の力で得ていくものだと思うから。
他人から与えられた「人生」だの「価値観」なんて
くだらない模倣にしか過ぎなく何の価値もないと思っています。
私は嫌な先生かしら(笑)
39. 重ちー
2003/05/10(土) 20:12:23
僕はぷちいちごさんの意見に賛成です.(「興味がない」というのはどうかと思いますが)
真剣さんは生徒のことを思ってのことなのでしょうが,
そのこと自体生徒の価値観を狭めているように感じられてなりません.
学生のもつ「人生観」や「価値観」なんてのもたかが知れてます.
あくまで自分の経験という形で生徒に話すならまだましかと思いますが,
話自体に絶対的な意味を含ませることは,その行為自体価値観が狭いといわざる
を得ないと思います.
塾講とはいっても,生徒からすれば「先生」です.
「先生」の言うことは大抵の場合, 生徒たちにとっては,なんだかんだ言っても
「正しいこと」として受け入れられていると思います.
自分の考え, 思いを生徒に伝えたい気持ちもわかります.
だからといって, どんな事でも口に出したり, 書いたりしていいというもの
では決してありません. どんなに「正し」くても, 黙っておかなければいけない
ことがあります.そういうことは学校や塾で教えてもらうことではありません.
自分で学んでいくことです.
生徒が塾に来るのは教師の思想を学びに来ているのではありません.
各教科の考え方や勉強方法,広い意味では学問の思想を学びに来ているのです.
その中では,講師の個人的な思想というものは全く必要とされていません.
その意味では塾講師という仕事は技術職だと思っています.
僕ごときがでしゃばって生徒の将来云々についてえらそうなことは絶対言えません.
彼らも彼らなりに考えているのです.
個人的に助けを求めてきたときにはじめて, 自分の経験や考えを話してみます.
生徒にとっては,教壇の上から話されるよりもずっと確実に伝わると思っています.
「塾に来るほとんどの生徒はガキだ.だから講師が生徒を大人にするんだ.」とは
おこがましい限りです.
長くて読みにくい文章でごめんなさい
真剣さんは生徒のことを思ってのことなのでしょうが,
そのこと自体生徒の価値観を狭めているように感じられてなりません.
学生のもつ「人生観」や「価値観」なんてのもたかが知れてます.
あくまで自分の経験という形で生徒に話すならまだましかと思いますが,
話自体に絶対的な意味を含ませることは,その行為自体価値観が狭いといわざる
を得ないと思います.
塾講とはいっても,生徒からすれば「先生」です.
「先生」の言うことは大抵の場合, 生徒たちにとっては,なんだかんだ言っても
「正しいこと」として受け入れられていると思います.
自分の考え, 思いを生徒に伝えたい気持ちもわかります.
だからといって, どんな事でも口に出したり, 書いたりしていいというもの
では決してありません. どんなに「正し」くても, 黙っておかなければいけない
ことがあります.そういうことは学校や塾で教えてもらうことではありません.
自分で学んでいくことです.
生徒が塾に来るのは教師の思想を学びに来ているのではありません.
各教科の考え方や勉強方法,広い意味では学問の思想を学びに来ているのです.
その中では,講師の個人的な思想というものは全く必要とされていません.
その意味では塾講師という仕事は技術職だと思っています.
僕ごときがでしゃばって生徒の将来云々についてえらそうなことは絶対言えません.
彼らも彼らなりに考えているのです.
個人的に助けを求めてきたときにはじめて, 自分の経験や考えを話してみます.
生徒にとっては,教壇の上から話されるよりもずっと確実に伝わると思っています.
「塾に来るほとんどの生徒はガキだ.だから講師が生徒を大人にするんだ.」とは
おこがましい限りです.
長くて読みにくい文章でごめんなさい
40. 大学の授業とかなら
2003/05/10(土) 21:46:29
教える側は「これは俺の価値観や意見だからお前らは自分で必要な情報だけ手に入れろ」みたいな感じですが、塾や予備校はそういうところじゃないしな。
41. ↑
2003/05/10(土) 23:11:39
真剣さん批判されているけど、そうなのかなあ。
塾講師・家庭教師という前提をはずして教育一般の問題として考えた場合、
子供は、最初は手がかかるし、かけないといけないと思うけど。
自由放任とは、きちんとした判断力を前提としたもので、子供は未熟でそれを認めることはできないから、義務教育のカリキュラムとかが組まれているんでしょ。
むしろ、家庭教師や塾講という立場でそこまで考えている理念の高さは賞賛に値すると思う。
大人として子供に上から臨んで、理由はどうあれ、勉強に対するモチベーションを喚起して、自発的意志での勉強を誘導し、塾の場だけでの授業の一方通行におわらせたくないというのは、そんなに悪い事かなあ。
自分で考える力を身につけていけば、いずれ先生ばなれができ、塾や家庭教師も必要なく感じるだろう。
また、「知育こそ最高の徳育」だろう。近年の愛国心の如き道徳の授業の押しつけではなく、自分の判断で倫理・論理を体得していくのが大切だと思う。
その論理力・合理的判断力を養うには、各教科をきちんとこなさなければならないとおもうのだが。
きちんと市民としての自覚と合理的判断力を持つ国民、これこそ民主主義の成立の根幹ではないのかなあ。民主主義は人によって支えられねばならないからだ。
塾講師・家庭教師という前提をはずして教育一般の問題として考えた場合、
子供は、最初は手がかかるし、かけないといけないと思うけど。
自由放任とは、きちんとした判断力を前提としたもので、子供は未熟でそれを認めることはできないから、義務教育のカリキュラムとかが組まれているんでしょ。
むしろ、家庭教師や塾講という立場でそこまで考えている理念の高さは賞賛に値すると思う。
大人として子供に上から臨んで、理由はどうあれ、勉強に対するモチベーションを喚起して、自発的意志での勉強を誘導し、塾の場だけでの授業の一方通行におわらせたくないというのは、そんなに悪い事かなあ。
自分で考える力を身につけていけば、いずれ先生ばなれができ、塾や家庭教師も必要なく感じるだろう。
また、「知育こそ最高の徳育」だろう。近年の愛国心の如き道徳の授業の押しつけではなく、自分の判断で倫理・論理を体得していくのが大切だと思う。
その論理力・合理的判断力を養うには、各教科をきちんとこなさなければならないとおもうのだが。
きちんと市民としての自覚と合理的判断力を持つ国民、これこそ民主主義の成立の根幹ではないのかなあ。民主主義は人によって支えられねばならないからだ。
42. ぷちいちご
2003/05/10(土) 23:42:00
私は真剣さんのことを批判する気はありません。
教育者としては よいのではないでしょうか。
ただ私は、塾講であり、学問を教えるだけのために雇われているわけです。
塾の原則は「学校以上のさらなる勉強をするため」に通う場所であり、
生徒はみな、「勉強がしたいから」塾に来ているものだと理解しています。
そうではない生徒ももしかしたらいるかもしれません。
でもそんな彼らに私ができることは、精一杯学問の楽しさを伝えて、興味をそそらせることのみです。
それ以外はないと思っています。
言ってみりゃ大学の授業と方針は変わりません。
大学の講義は学生の理解度なんてお構いなしに進むので
その点はいただけませんが、
「学びたい者にはいくらでも与えるが、そうではないものには冷たい」
という姿勢は同じです。
家庭教師は 勉強「させる」ことを目的に雇われることもあるでしょうし
学校の教員もそういう要素はあるでしょう。
そこが塾との違いではないでしょうか。
>大人として子供に上から臨んで、理由はどうあれ、勉強に対するモチベーションを喚起して、自発的意志での勉強を誘導し、
とありますが、勉強したくない者に「勉強は大切」という「一種の価値観」のみに基づいて迫るのはどうかと思いますが・・・。
勉強を「させる」ために雇われているのならばそれ自体が仕事なので仕方ありませんが、塾講はそこまで立ち入る必要はないと思います。
そして 重ちーさんの意見に賛成です。
教育者としては よいのではないでしょうか。
ただ私は、塾講であり、学問を教えるだけのために雇われているわけです。
塾の原則は「学校以上のさらなる勉強をするため」に通う場所であり、
生徒はみな、「勉強がしたいから」塾に来ているものだと理解しています。
そうではない生徒ももしかしたらいるかもしれません。
でもそんな彼らに私ができることは、精一杯学問の楽しさを伝えて、興味をそそらせることのみです。
それ以外はないと思っています。
言ってみりゃ大学の授業と方針は変わりません。
大学の講義は学生の理解度なんてお構いなしに進むので
その点はいただけませんが、
「学びたい者にはいくらでも与えるが、そうではないものには冷たい」
という姿勢は同じです。
家庭教師は 勉強「させる」ことを目的に雇われることもあるでしょうし
学校の教員もそういう要素はあるでしょう。
そこが塾との違いではないでしょうか。
>大人として子供に上から臨んで、理由はどうあれ、勉強に対するモチベーションを喚起して、自発的意志での勉強を誘導し、
とありますが、勉強したくない者に「勉強は大切」という「一種の価値観」のみに基づいて迫るのはどうかと思いますが・・・。
勉強を「させる」ために雇われているのならばそれ自体が仕事なので仕方ありませんが、塾講はそこまで立ち入る必要はないと思います。
そして 重ちーさんの意見に賛成です。
43. >ぷちいちごさん
2003/05/11(日) 00:47:28
私自身、アルバイトで塾講師を何年かやったので(小学生ばっかりおしえてた)、おっしゃることは理解できる。
なれ合いを防ぐため、質問以外で個人的に話さないようにしていたくらいだ。
ただ、「勉強したくてきている」という状態ではない子が多かったのも事実だ。親御さんの押しつけた誤った学歴信仰になやむ子もいたのは、事実だ。
結局、私は、アンケートを参考に授業内容の向上に徹するだけしかできなかったが、真剣さんがそれを前に心を痛めた気持ちはよくわかる。
たしかに、真剣さんの社会観には多少の問題なしとはない。
しかし、勉強のための勉強を押しつけているわけではなく、その目的としているところは結局は自分の頭で考える子供を作るということなのだから、私は是認されると思う。
真剣さん自身が、子供が成長するにつれ、自分の価値観が子供自身により審定されることは誰よりもよく理解していると思う。
>勉強したくない者に「勉強は大切」という「一種の価値観」のみに基づいて迫る>のはどうかと思いますが・・・。
ただ、親御さんの誤った学歴信仰になやむこどもをまえに、親御さんや雇い先の手前、「勉強しなくていい」とはとてもいえない。技術を教えるのだと割り切るのも一つの手であろうが、いやいややるよりは積極性を引き出した方が効率がいいに決まっている。私自身がそこまでできなく歯がゆい思いをしただけに、真剣さんには、単なる教育者というよりは、プロの家庭教師・塾講師としても敬意を払えると私は思う。
なお、「勉強は大切」というのは、単なる「一種の価値観」ですむものだろうか。
ある程度の勉強は不可欠だから、義務教育があるのであろう。
算数は、普段の役にたたないけれど、論理力の涵養におおきな意味がある。
子供が自分で独り立ちするまでの最低限の力を養うために、教育はあるのではないのだろうか。せめてその最低限を満たすまでは、私は「勉強しなくてもいいよ」とものわかりのいい無責任なことは言えない。
なお、この種の話には学歴信仰の弊害が混同されているところに、問題があると思う。
なれ合いを防ぐため、質問以外で個人的に話さないようにしていたくらいだ。
ただ、「勉強したくてきている」という状態ではない子が多かったのも事実だ。親御さんの押しつけた誤った学歴信仰になやむ子もいたのは、事実だ。
結局、私は、アンケートを参考に授業内容の向上に徹するだけしかできなかったが、真剣さんがそれを前に心を痛めた気持ちはよくわかる。
たしかに、真剣さんの社会観には多少の問題なしとはない。
しかし、勉強のための勉強を押しつけているわけではなく、その目的としているところは結局は自分の頭で考える子供を作るということなのだから、私は是認されると思う。
真剣さん自身が、子供が成長するにつれ、自分の価値観が子供自身により審定されることは誰よりもよく理解していると思う。
>勉強したくない者に「勉強は大切」という「一種の価値観」のみに基づいて迫る>のはどうかと思いますが・・・。
ただ、親御さんの誤った学歴信仰になやむこどもをまえに、親御さんや雇い先の手前、「勉強しなくていい」とはとてもいえない。技術を教えるのだと割り切るのも一つの手であろうが、いやいややるよりは積極性を引き出した方が効率がいいに決まっている。私自身がそこまでできなく歯がゆい思いをしただけに、真剣さんには、単なる教育者というよりは、プロの家庭教師・塾講師としても敬意を払えると私は思う。
なお、「勉強は大切」というのは、単なる「一種の価値観」ですむものだろうか。
ある程度の勉強は不可欠だから、義務教育があるのであろう。
算数は、普段の役にたたないけれど、論理力の涵養におおきな意味がある。
子供が自分で独り立ちするまでの最低限の力を養うために、教育はあるのではないのだろうか。せめてその最低限を満たすまでは、私は「勉強しなくてもいいよ」とものわかりのいい無責任なことは言えない。
なお、この種の話には学歴信仰の弊害が混同されているところに、問題があると思う。
44. >ぷちいちごさん
2003/05/11(日) 00:58:30
自分で読み返して気づいたが、最後の二段落で、塾で教える内容と義務教育の内容という違うカテゴリーの間にちょっと混同が起こっていることに気づいた。ここは無視してください。
45. ぷちいちご
2003/05/11(日) 01:28:48
>↑さんへ
私が教えているのは高校生なんですが、
それゆえ皆さんとは意見も違うかもしれません。
高校で塾に来るというのは、親の意思よりやはり本人の意思が多いでしょう。
高校にもなってくるとそれぞれ自分の将来への輪郭もできてくるでしょうし
その上で「勉強」が必要であると判断したから通ってきているものと考えています。
そのレベルであれば「ある程度の勉強」の域ではなく
「大学受験のため」に通っているのでしょう。
目的があり通っている、そしてその目的は「勉強すること」
大きくいってしまえば「大学受験への手段」かもしれませんが。
私が小学生や中学生を対象に教えていたなら考えも違っていたかもしれません。
私は高校生である彼らより「学問」においては、長けているでしょうが、
それ以外においては、教師と言う名をもって彼らに指導できるようなところはありません。
自分の価値観のおしつけや、思想の刷り込みではない、「指導」はできません。
高校生である彼らはもう大人であり、私達とそうかわりはないだろうし、
もしかわりがあったとしても、それは成長と言う時間だけの問題ではなく
そもそもの考え方自体が違うということが多いと思います。
そして上にも書きましたが、彼らは決してそんなことを求めていない。
彼らが求めているのは「良い授業」であり、「楽しい学問」であります。
何度も重複になりますが、私はそんな彼らに「学問を教えるために」雇われたわけであり
「勉強をさせる」ために雇われたわけではないのです。
昔中学生専門の、いわゆる大衆向けの大手塾に講師登録し、
研修みたいなのを何度か受けましたが
社員の方は常に
「保護者が」「保護者に」
を連呼していました。
そして「『勉強させる』ことが仕事」ともいっていました。
そういう方針がいまいち好きになれず、採用されたものの
結局お断りすることになりました。
ただ私も「勉強をさせるために」家庭教師で雇われていれば
真剣さんが言われているように説き、勉強に向かわせると思います。
家庭教師・塾講とひとくくりにしても それぞれの立場で求められているものが違うということですね。
私が教えているのは高校生なんですが、
それゆえ皆さんとは意見も違うかもしれません。
高校で塾に来るというのは、親の意思よりやはり本人の意思が多いでしょう。
高校にもなってくるとそれぞれ自分の将来への輪郭もできてくるでしょうし
その上で「勉強」が必要であると判断したから通ってきているものと考えています。
そのレベルであれば「ある程度の勉強」の域ではなく
「大学受験のため」に通っているのでしょう。
目的があり通っている、そしてその目的は「勉強すること」
大きくいってしまえば「大学受験への手段」かもしれませんが。
私が小学生や中学生を対象に教えていたなら考えも違っていたかもしれません。
私は高校生である彼らより「学問」においては、長けているでしょうが、
それ以外においては、教師と言う名をもって彼らに指導できるようなところはありません。
自分の価値観のおしつけや、思想の刷り込みではない、「指導」はできません。
高校生である彼らはもう大人であり、私達とそうかわりはないだろうし、
もしかわりがあったとしても、それは成長と言う時間だけの問題ではなく
そもそもの考え方自体が違うということが多いと思います。
そして上にも書きましたが、彼らは決してそんなことを求めていない。
彼らが求めているのは「良い授業」であり、「楽しい学問」であります。
何度も重複になりますが、私はそんな彼らに「学問を教えるために」雇われたわけであり
「勉強をさせる」ために雇われたわけではないのです。
昔中学生専門の、いわゆる大衆向けの大手塾に講師登録し、
研修みたいなのを何度か受けましたが
社員の方は常に
「保護者が」「保護者に」
を連呼していました。
そして「『勉強させる』ことが仕事」ともいっていました。
そういう方針がいまいち好きになれず、採用されたものの
結局お断りすることになりました。
ただ私も「勉強をさせるために」家庭教師で雇われていれば
真剣さんが言われているように説き、勉強に向かわせると思います。
家庭教師・塾講とひとくくりにしても それぞれの立場で求められているものが違うということですね。
46. 真剣
2003/05/11(日) 09:39:14
相反する意見が色々と聞けて大変勉強になります。
少し誤解があるかも知れませんが、僕はいつも「思想教育」みたいなことばかりをしているわけではないですよ。「分かりやすくて楽しい授業」が基本中の基本です(最初のレスで書きました)。生徒に「先生、数学って結構面白いな。」と言わせるのが快感です。場合によっては、こういうことは生徒は恥ずかしがって口には出しませんが、心の中ではそう思ってくれていると感じられる瞬間を増やしたいです(塾であれば講師評価アンケートみたいなものがあるので明解です)。子供は、心の中では「数学って面白い」とちょっと感じる瞬間があっても、そういうのを恥ずかしがって「けっ!数学なんてクソ食らえ。」って言ってしまうものだと思います。だから僕は「勉強が面白いと感じる瞬間があったら、別に口に出して言わなくていいから、その気持ちを大切にしろよ。自分に嘘をついて、勉強は面白くないんだ面白くないんだと言い聞かせるのは寂しいよ。勉強が面白いと感じられるのは素晴らしいことなんだ。そして、そういう勉強をした方が人生はきっと楽しい。」みたいなことをよく言います。
ある優秀な生徒の例で、「僕、数学を勉強しまくって先生みたいな数学の先生になる。」と言って高校に合格していった子もこれまでに2人ほどいました。「できる子」や「やる気のある子」の期待にはそれなりに応えられていると思います。
少し誤解があるかも知れませんが、僕はいつも「思想教育」みたいなことばかりをしているわけではないですよ。「分かりやすくて楽しい授業」が基本中の基本です(最初のレスで書きました)。生徒に「先生、数学って結構面白いな。」と言わせるのが快感です。場合によっては、こういうことは生徒は恥ずかしがって口には出しませんが、心の中ではそう思ってくれていると感じられる瞬間を増やしたいです(塾であれば講師評価アンケートみたいなものがあるので明解です)。子供は、心の中では「数学って面白い」とちょっと感じる瞬間があっても、そういうのを恥ずかしがって「けっ!数学なんてクソ食らえ。」って言ってしまうものだと思います。だから僕は「勉強が面白いと感じる瞬間があったら、別に口に出して言わなくていいから、その気持ちを大切にしろよ。自分に嘘をついて、勉強は面白くないんだ面白くないんだと言い聞かせるのは寂しいよ。勉強が面白いと感じられるのは素晴らしいことなんだ。そして、そういう勉強をした方が人生はきっと楽しい。」みたいなことをよく言います。
ある優秀な生徒の例で、「僕、数学を勉強しまくって先生みたいな数学の先生になる。」と言って高校に合格していった子もこれまでに2人ほどいました。「できる子」や「やる気のある子」の期待にはそれなりに応えられていると思います。
47. 真剣
2003/05/11(日) 09:39:50
僕が上で書いたような説教をするのは、生徒が自分の人生と正面から向き合わずに、大人のせい、学校のせい、世の中のせいにして自分を正当化しようとした時です。無論、子供というのは人生がうまくいかないのを大人のせいにしたがるものだと言うことは重々分かっているわけで、そういう甘ったれた子供を本気で懲らしめてやろうと考えているわけではないです。しかしやはり、自分の人生が外部からの不可抗力によって成立しているという感覚を持っているうちは決して大人にはなれませんから、「自分の人生は自分で歩くんだ」ということはどうしても分かって欲しいですね。今すぐそれを実行しろとは言いません。反抗して、愚痴をたれてもかまいません。成長はゆっくりでかまいません。モラトリアムの時期があってもいい。しかし、「いつまでもそのままではダメなんだ」ということだけは、知っておいてほしい。そして常に忘れないでほしい。それを知らないままで年齢だけを重ねて、年齢だけ大人になってしまって路頭に迷うのだけはなるべくなら回避させてやりたい。自分で考え、自分で決めて、自分で責任を持って堂々と行動することを身につけて初めて、「人生は何とかなる」のではないでしょうか。たとえ勉強ができなくても。
(そういう能力や価値観はほっておいても勝手に身につくものであるとは僕は思いません。仮に、本を読んだり、人と接したりすることで"自然に"身につくとするならば、僕はその"本"や"人"以上の存在になるつもりはありません。きっかけの一つでしかありません。僕が一人の子供の人生を左右できるなどとは思っていません。)
(そういう能力や価値観はほっておいても勝手に身につくものであるとは僕は思いません。仮に、本を読んだり、人と接したりすることで"自然に"身につくとするならば、僕はその"本"や"人"以上の存在になるつもりはありません。きっかけの一つでしかありません。僕が一人の子供の人生を左右できるなどとは思っていません。)
48. 真剣
2003/05/11(日) 09:40:16
僕だって大した人生経験があるわけではない青二才の若者であるのは間違いありません。自分の考え方が絶対的なものだとは思っていません。価値観はどんどん変わるものだということは既に知っていますし、学ばなければいけないことはたくさんあります。しかし、だからと言って、仮にも先生という立場にある人間が「俺に人生を語る資格などない」みたいに卑屈になっていても子供にとって何も有益なことはないと思えるのです。今の自分が語れることをめいっぱい語ってやりたいわけです。
この世はどんなことでも起こり得ますし、あらゆる考え方が存在し得ます。「正しい」ことなど何もなく、「道徳」も「常識」もすべて作られたものだというのが僕の思想にあります。だからこそ、「大人の言ってることが正しいなんてことはないし、学校に行かなきゃならないとか、勉強をしなきゃならないなんて考えは、そう思い込まされているだけだ。だから、自分の頭で考えることを練習しなさい。」ということを子供に言いたくなるのです。そして人生を生きていく上でこの考え方が不利益をもたらすとは思いませんから、自信を持って子供に伝えます。そこで子供が「じゃあ先生が言ってることも正しいとは限らないじゃん」なんて言ってくれたら嬉しいですね。そういう時は「そう!その通り!お前も分かってきたなあ。自分がどう思うかが大事だ。信じるも信じないもまったくお前の自由だ。自分で考えて、自分で何が正しいかを決めるんだ。そしてその判断のための情報をいっぱい集めることが大事だ。」と答えます。
そして様子を見ながら、「何をするのも基本的にお前の自由だが、他人の自由を侵害するような、たとえば人を殺したり、物を盗んだり、そういうことをした奴は逮捕されて刑務所に入れられて社会から排除される仕組みになっている。世の中はそういう仕組みを作ることで、全員の自由を認めながら、全体を安定させることを目指してきたんだ。それは18世紀にフランス革命ってのがあってな・・・。ジョン・ロックの『社会契約説』とか習ったことない?」みたいな話をしたりしますね。
この世はどんなことでも起こり得ますし、あらゆる考え方が存在し得ます。「正しい」ことなど何もなく、「道徳」も「常識」もすべて作られたものだというのが僕の思想にあります。だからこそ、「大人の言ってることが正しいなんてことはないし、学校に行かなきゃならないとか、勉強をしなきゃならないなんて考えは、そう思い込まされているだけだ。だから、自分の頭で考えることを練習しなさい。」ということを子供に言いたくなるのです。そして人生を生きていく上でこの考え方が不利益をもたらすとは思いませんから、自信を持って子供に伝えます。そこで子供が「じゃあ先生が言ってることも正しいとは限らないじゃん」なんて言ってくれたら嬉しいですね。そういう時は「そう!その通り!お前も分かってきたなあ。自分がどう思うかが大事だ。信じるも信じないもまったくお前の自由だ。自分で考えて、自分で何が正しいかを決めるんだ。そしてその判断のための情報をいっぱい集めることが大事だ。」と答えます。
そして様子を見ながら、「何をするのも基本的にお前の自由だが、他人の自由を侵害するような、たとえば人を殺したり、物を盗んだり、そういうことをした奴は逮捕されて刑務所に入れられて社会から排除される仕組みになっている。世の中はそういう仕組みを作ることで、全員の自由を認めながら、全体を安定させることを目指してきたんだ。それは18世紀にフランス革命ってのがあってな・・・。ジョン・ロックの『社会契約説』とか習ったことない?」みたいな話をしたりしますね。
49. 真剣
2003/05/11(日) 09:40:46
>ぷちいちごさん
高校生は自分の意志で、目標と目的を持って塾に来ているのだから、先生は勉強だけ教えていればよい、という意見には完璧に賛成します。高校生に限らず、「そんな話はいいからさっさと勉強教えてよ。」と望む生徒には勉強だけを教えますよ。それは基本的なことです。ですからそのへんは割り引いて僕の発言をとらえてください。
やはり僕が説教したくなるのは「自分の能力のなさを大人や世の中のせいにして、自分は悪くない自分は悪くないと正当化しながら、心の中では自分の能力を高めたい(同時に、他人から認められたいという欲求でもある)と望んでいる子供」ですね。子供が世の中の仕組みや大人の行動に対して不条理だと感じたりするのは、「自分の人生は大人によって規定されている抗いがたいものであって、自分の思い通りにはならない」という歯がゆさからきていると思うので(それは思春期の通過儀礼でもある)、「そうじゃない。お前の人生はお前の思うようにすればいいんだから、人のせいにするのはよしなさい。自信を持ちなさい。」と言いたいのです。大体は中学2〜3年生ですね。思春期の入口でもあり、勉強・受験のプレッシャーの中で自分の無能力を思い知らされる時期でもある。そこで「自分は自分なんだ」と自信を持てるか、人のせいにして泣き言を言って時間だけが過ぎていくかは重大な違いだと思います。
そしてそのあと言うことは、「俺は他には何もしてやれないが、勉強だけはいくらでも教えてやる。だから泣き言を言ってないで、頑張ってみたらどうだ。」ということですね。
高校生は自分の意志で、目標と目的を持って塾に来ているのだから、先生は勉強だけ教えていればよい、という意見には完璧に賛成します。高校生に限らず、「そんな話はいいからさっさと勉強教えてよ。」と望む生徒には勉強だけを教えますよ。それは基本的なことです。ですからそのへんは割り引いて僕の発言をとらえてください。
やはり僕が説教したくなるのは「自分の能力のなさを大人や世の中のせいにして、自分は悪くない自分は悪くないと正当化しながら、心の中では自分の能力を高めたい(同時に、他人から認められたいという欲求でもある)と望んでいる子供」ですね。子供が世の中の仕組みや大人の行動に対して不条理だと感じたりするのは、「自分の人生は大人によって規定されている抗いがたいものであって、自分の思い通りにはならない」という歯がゆさからきていると思うので(それは思春期の通過儀礼でもある)、「そうじゃない。お前の人生はお前の思うようにすればいいんだから、人のせいにするのはよしなさい。自信を持ちなさい。」と言いたいのです。大体は中学2〜3年生ですね。思春期の入口でもあり、勉強・受験のプレッシャーの中で自分の無能力を思い知らされる時期でもある。そこで「自分は自分なんだ」と自信を持てるか、人のせいにして泣き言を言って時間だけが過ぎていくかは重大な違いだと思います。
そしてそのあと言うことは、「俺は他には何もしてやれないが、勉強だけはいくらでも教えてやる。だから泣き言を言ってないで、頑張ってみたらどうだ。」ということですね。
50. 真剣
2003/05/11(日) 09:41:08
他には、親に何もかも決められて、無気力なマシーンになってしまっているような子を見ていると悲しくなってきます。進路相談の時に自分だけ喋りまくって「あんたは何も分からないんだから、黙って言う通りにしなさい。」みたいな態度の親は多いですし、中学生なのに親が明日の時間割をチェックしてカバンに入れているという家庭もありました。「あんたは勉強だけしとけばいいの。」みたいな育て方は、よくない。さらには、「なあ、"うるう年"って何?」とか聞いてくるような中学生に、「本なんか読まなくていいから、数学の問題集をやりなさい。」みたいな育て方をしている親にもあきれます。英語や数学がそんなに大事か?と問いたい。定期テストの点数が人生にとってそんなに重要か?と問いたい。恐ろしいことに、こういう親は少数派ではないようです。
そういう子たちと接していると、おこがましいとは思いながら「僕が救ってやりたい」と思ってしまったりするわけです。でも親は「テスト対策をして点数を上げて下さい」と言ってくるわけです。「すみません。僕にはできません。」と言うしかない。
そういう子たちと接していると、おこがましいとは思いながら「僕が救ってやりたい」と思ってしまったりするわけです。でも親は「テスト対策をして点数を上げて下さい」と言ってくるわけです。「すみません。僕にはできません。」と言うしかない。
51. ろーまん(京大競馬研
2003/05/11(日) 13:00:55
こわいよ〜
52. 重ちー
2003/05/11(日) 22:48:25
<FONT COLOR="#CC8000">>真剣さん</FONT>
<FONT COLOR="#CC8000">
僕はいつも「思想教育」みたいなことばかりをしているわけではないですよ。「分かりやすくて楽しい授業」が基本中の基本です</FONT>
もちろんです。その上で、の話をしているのです。
僕が問題だと思っているのは、「わかりやすくて楽しい授業」の中に講師の主観や
思想が入りすぎているのではないかということです。
<FONT COLOR="#CC8000">
先生という立場にある人間が「俺に人生を語る資格などない」みたいに卑屈になっていても子供にとって何も有益なことはないと思えるのです。</FONT>
僕は「人生を語る資格などない」なんて言っていません。
塾は「人生を語る場所ではない」と言っているのです。
<FONT COLOR="#CC8000">
「正しい」ことなど何もなく、「道徳」も「常識」もすべて作られたものだというのが僕の思想にあります。</FONT>
それはあなたの思想であって、生徒にその思想が真実だと伝えることが問題なのです。
<FONT COLOR="#CC8000">
だからこそ、「大人の言ってることが正しいなんてことはないし、学校に行かなきゃならないとか、勉強をしなきゃならないなんて考えは、そう思い込まされているだけだ。だから、自分の頭で考えることを練習しなさい。」ということを子供に言いたくなるのです。</FONT>
自分の頭で考えることは大切です。しかし、上にも述べたように、
<FONT COLOR="#CC8000">
「正しい」ことなど何もなく、「道徳」も「常識」もすべて作られたものだ
</FONT>
だから
<FONT COLOR="#CC8000">
自分の頭で考えることを練習しなさい
</FONT>
という流れの中に、すでに真剣さんの思想が真実として入りこんでいるのです。
「『道徳』や『常識』はしょせん『作られたもの』 なのだから、『自分の頭で考えた』ことを信じて行動しなさい。」ということを、社会のしくみを完全に理解しているとはいえない生徒に言い、そうすることを生徒に勧めるのですか?
「道徳」も「常識」もすべて作られたものだからといって、それらを無視して
「自分の頭で考えて」得られた考えを押し通す、自分勝手な人間になってしまうか
もしれないということを考えたことがありますか?
「自分で考え」たら、必ず正しい答えが得られると思っているのですか?
<FONT COLOR="#CC8000">
僕はいつも「思想教育」みたいなことばかりをしているわけではないですよ。「分かりやすくて楽しい授業」が基本中の基本です</FONT>
もちろんです。その上で、の話をしているのです。
僕が問題だと思っているのは、「わかりやすくて楽しい授業」の中に講師の主観や
思想が入りすぎているのではないかということです。
<FONT COLOR="#CC8000">
先生という立場にある人間が「俺に人生を語る資格などない」みたいに卑屈になっていても子供にとって何も有益なことはないと思えるのです。</FONT>
僕は「人生を語る資格などない」なんて言っていません。
塾は「人生を語る場所ではない」と言っているのです。
<FONT COLOR="#CC8000">
「正しい」ことなど何もなく、「道徳」も「常識」もすべて作られたものだというのが僕の思想にあります。</FONT>
それはあなたの思想であって、生徒にその思想が真実だと伝えることが問題なのです。
<FONT COLOR="#CC8000">
だからこそ、「大人の言ってることが正しいなんてことはないし、学校に行かなきゃならないとか、勉強をしなきゃならないなんて考えは、そう思い込まされているだけだ。だから、自分の頭で考えることを練習しなさい。」ということを子供に言いたくなるのです。</FONT>
自分の頭で考えることは大切です。しかし、上にも述べたように、
<FONT COLOR="#CC8000">
「正しい」ことなど何もなく、「道徳」も「常識」もすべて作られたものだ
</FONT>
だから
<FONT COLOR="#CC8000">
自分の頭で考えることを練習しなさい
</FONT>
という流れの中に、すでに真剣さんの思想が真実として入りこんでいるのです。
「『道徳』や『常識』はしょせん『作られたもの』 なのだから、『自分の頭で考えた』ことを信じて行動しなさい。」ということを、社会のしくみを完全に理解しているとはいえない生徒に言い、そうすることを生徒に勧めるのですか?
「道徳」も「常識」もすべて作られたものだからといって、それらを無視して
「自分の頭で考えて」得られた考えを押し通す、自分勝手な人間になってしまうか
もしれないということを考えたことがありますか?
「自分で考え」たら、必ず正しい答えが得られると思っているのですか?
53. 重ちー
2003/05/11(日) 22:53:01
ここで問題なのは、どうして大人が「作られた」「道徳」や「常識」をもって、
子供に学校に行かなきゃならないとか、勉強しなきゃならないと言うのか、
その段階では無視されていることが原因でしょう。
大人がどうして「作られた」「道徳」や「常識」を守って社会生活を営んでいるのか、そのことをよく「自分で考える」必要があるのではないでしょうか。
真剣さんが前提としている「道徳」「常識」こそ、これから社会に出て生活していく上で大事なことのひとつだし、そのことこそ、社会で信じられている「道徳」や
「常識」を踏まえた上で、「自分で考え」た自分なりの答えを出すものでしょう。
前にも書きましたが、そのようなことは塾や学校で教えることではありません。
時間をかけて、自分の経験を通じて「作って」いくものです。
>僕が一人の子供の人生を左右できるなどとは思っていません。
生徒は「先生」の言動の端々から「先生」の考えを敏感に感じ取り、それを真実と
して受け止めます。(学年が下がるにつれてより顕著になる)
つまり、「先生」の「歪んだ」感情や意識、思想といったものもそのまま生徒に
伝達されてしまうのです。そして、無意識のうちに自分の思想の中に取り込んでしまうのです。ちょっとした冗談であっても、生徒には非常に大きな衝撃を与えます。
「先生」が生徒に与える影響は真剣さんが思っている以上に大きいものです。
>今の自分が語れることをめいっぱい語ってやりたいわけです。
とありますが、自分が語っていることの中に間違っているかもしれないと思うことはないのですか?
それとも、「先生」が間違ったことを言っても、生徒は「今先生の言ったことは間違っている」と正しく判断できると思っているのですか?
生徒の尊敬を集める「先生」であればあるほど、生徒はその「先生」の考えを鵜呑みにしてしまいがちです。これがどれほど重大なことか理解していますか?
>「普通の先生が言わないような世の中の真実を語ってあげて、
>生徒の心をグサリと突き刺すこと。」
どんな事でも口に出したり、書いたりしていいというものでは決してありません。
たとえ真実であっても、黙っておかなければいけないことが世の中にはあります。
生徒への評判がいいからといって、生徒への影響を真剣に考えず、そんなことを
平気でする「先生」には、僕は教鞭をとってほしくない。
子供に学校に行かなきゃならないとか、勉強しなきゃならないと言うのか、
その段階では無視されていることが原因でしょう。
大人がどうして「作られた」「道徳」や「常識」を守って社会生活を営んでいるのか、そのことをよく「自分で考える」必要があるのではないでしょうか。
真剣さんが前提としている「道徳」「常識」こそ、これから社会に出て生活していく上で大事なことのひとつだし、そのことこそ、社会で信じられている「道徳」や
「常識」を踏まえた上で、「自分で考え」た自分なりの答えを出すものでしょう。
前にも書きましたが、そのようなことは塾や学校で教えることではありません。
時間をかけて、自分の経験を通じて「作って」いくものです。
>僕が一人の子供の人生を左右できるなどとは思っていません。
生徒は「先生」の言動の端々から「先生」の考えを敏感に感じ取り、それを真実と
して受け止めます。(学年が下がるにつれてより顕著になる)
つまり、「先生」の「歪んだ」感情や意識、思想といったものもそのまま生徒に
伝達されてしまうのです。そして、無意識のうちに自分の思想の中に取り込んでしまうのです。ちょっとした冗談であっても、生徒には非常に大きな衝撃を与えます。
「先生」が生徒に与える影響は真剣さんが思っている以上に大きいものです。
>今の自分が語れることをめいっぱい語ってやりたいわけです。
とありますが、自分が語っていることの中に間違っているかもしれないと思うことはないのですか?
それとも、「先生」が間違ったことを言っても、生徒は「今先生の言ったことは間違っている」と正しく判断できると思っているのですか?
生徒の尊敬を集める「先生」であればあるほど、生徒はその「先生」の考えを鵜呑みにしてしまいがちです。これがどれほど重大なことか理解していますか?
>「普通の先生が言わないような世の中の真実を語ってあげて、
>生徒の心をグサリと突き刺すこと。」
どんな事でも口に出したり、書いたりしていいというものでは決してありません。
たとえ真実であっても、黙っておかなければいけないことが世の中にはあります。
生徒への評判がいいからといって、生徒への影響を真剣に考えず、そんなことを
平気でする「先生」には、僕は教鞭をとってほしくない。
54. 重ちー
2003/05/11(日) 22:57:20
>「なあ、"うるう年"って何?」とか聞いてくるような中学生に、「本なんか読まなく
>ていいから、数学の問題集をやりなさい。」みたいな育て方をしている親にもあきれ
>ます。英語や数学がそんなに大事か?と問いたい。定期テストの点数が人生にとって
>そんなに重要か?と問いたい。
学習塾は「勉強」を教える場所です。
極端な言い方をすれば、塾としては「生徒の人生にとって定期テストの点数が重要かどうか」はどうでもよく、「生徒の定期テストの点数」そのものが重要なのです。
また、塾の講師として教鞭をとる以上、「英語や数学がそんなに大事か?」などという問いがでること自体おかしいはずです。講師の立場からすれば大事に決まっています。
塾が「勉強」を教える場所だからです。
そもそも塾という場所は志望校に合格するため、学校での成績をあげるために通う
ところです。塾講師として、生徒の将来の可能性を広げる手助けをしたいと思うのもよくわかります。でも塾は塾です。「勉強」を教える場所です。そこでは、「勉強」を教えることを通じてのみ、生徒とつながっているのです。
生徒や親は、志望校に入学できるようになるため、学校の成績がよくなるために
塾に通うのです。小学校や中学校、高校とは本質的にその目的が違うのです。
>ていいから、数学の問題集をやりなさい。」みたいな育て方をしている親にもあきれ
>ます。英語や数学がそんなに大事か?と問いたい。定期テストの点数が人生にとって
>そんなに重要か?と問いたい。
学習塾は「勉強」を教える場所です。
極端な言い方をすれば、塾としては「生徒の人生にとって定期テストの点数が重要かどうか」はどうでもよく、「生徒の定期テストの点数」そのものが重要なのです。
また、塾の講師として教鞭をとる以上、「英語や数学がそんなに大事か?」などという問いがでること自体おかしいはずです。講師の立場からすれば大事に決まっています。
塾が「勉強」を教える場所だからです。
そもそも塾という場所は志望校に合格するため、学校での成績をあげるために通う
ところです。塾講師として、生徒の将来の可能性を広げる手助けをしたいと思うのもよくわかります。でも塾は塾です。「勉強」を教える場所です。そこでは、「勉強」を教えることを通じてのみ、生徒とつながっているのです。
生徒や親は、志望校に入学できるようになるため、学校の成績がよくなるために
塾に通うのです。小学校や中学校、高校とは本質的にその目的が違うのです。
55. 重ちー
2003/05/11(日) 22:59:47
>そういう子たちと接していると、おこがましいとは思いながら「僕が救ってやりたい」
>と思ってしまったりするわけです。でも親は「テスト対策をして点数を上げて下さ
>い」と言ってくるわけです。「すみません。僕にはできません。」と言うしかない。
もともと生徒の成績を上げるために塾に入ったのに、塾講師にその意思がないとなると塾とはいったい何をするところなのでしょうか?
生徒も、そして保護者も「お客様」です。
生徒だけでなく、保護者にも納得してもらえるように努めるのが塾です。
そこでは気に入らない保護者の意見には取り合わない、といった態度は許されない
はずです。保護者と意見が食い違えば、それこそ自分の考え、思想を保護者に語って、納得してもらうまで説得する必要があります。いくら気に食わなくても。
塾も「勉強」を教えるという教育サービスで利益を得る企業です。
利益のためには、自分を殺すのも時には必要なことだと思います。それはつまり、
自分の考えを前面に押し出しすぎないということになります。もちろん、生徒や
保護者がある特定の先生に面倒を見てもらいたいという場合は別ですが。
これが現実です。
その意味では、結構シビアで精神的に疲れる仕事のひとつといえるかもしれません。
それでも「どうしても救ってやりたい」と思うのなら、塾講師は辞めて、小学校や
中学校、高校の教師になるか、「自己啓発セミナー」的なことも行っているような所で教鞭をとるしかないと思います。
実際、小学校や中学校、高校などはもっともっとシビアだと思いますが。
塾講師にできること、求められていることは「わかりやすい授業をすること」と
「生徒の成績をあげること」(そして保護者に教育方針を納得してもらうこと)
だと思います。
それらを通じて、生徒が学問のおもしろさを感じ、自分の将来を真剣に考えるきっかけになるのなら、塾講師としてこれ以上ないよろこびなのではないでしょうか?
>と思ってしまったりするわけです。でも親は「テスト対策をして点数を上げて下さ
>い」と言ってくるわけです。「すみません。僕にはできません。」と言うしかない。
もともと生徒の成績を上げるために塾に入ったのに、塾講師にその意思がないとなると塾とはいったい何をするところなのでしょうか?
生徒も、そして保護者も「お客様」です。
生徒だけでなく、保護者にも納得してもらえるように努めるのが塾です。
そこでは気に入らない保護者の意見には取り合わない、といった態度は許されない
はずです。保護者と意見が食い違えば、それこそ自分の考え、思想を保護者に語って、納得してもらうまで説得する必要があります。いくら気に食わなくても。
塾も「勉強」を教えるという教育サービスで利益を得る企業です。
利益のためには、自分を殺すのも時には必要なことだと思います。それはつまり、
自分の考えを前面に押し出しすぎないということになります。もちろん、生徒や
保護者がある特定の先生に面倒を見てもらいたいという場合は別ですが。
これが現実です。
その意味では、結構シビアで精神的に疲れる仕事のひとつといえるかもしれません。
それでも「どうしても救ってやりたい」と思うのなら、塾講師は辞めて、小学校や
中学校、高校の教師になるか、「自己啓発セミナー」的なことも行っているような所で教鞭をとるしかないと思います。
実際、小学校や中学校、高校などはもっともっとシビアだと思いますが。
塾講師にできること、求められていることは「わかりやすい授業をすること」と
「生徒の成績をあげること」(そして保護者に教育方針を納得してもらうこと)
だと思います。
それらを通じて、生徒が学問のおもしろさを感じ、自分の将来を真剣に考えるきっかけになるのなら、塾講師としてこれ以上ないよろこびなのではないでしょうか?
56. 重ちー
2003/05/11(日) 23:02:22
ごめんなさい。はじめのやつミスってます。
読みづらくてごめんなさい
読みづらくてごめんなさい
57. なんだかなあ
2003/05/12(月) 00:11:25
重ちーさんの意見は結構うなずけるな。私も自分の考え方とかをあんまり表に出さず生徒さん個人のものを大切にした上で勉強を教えていきたいと思ってる。でも髪染めてたら雇ってもらえないのよね〜。意外と保守的なこの業界。
58. どうだかなあ
2003/05/12(月) 03:24:32
>重ちー
この断定口調に逆にイデオロギー性を感じるのはわたしだけだろうか?
この断定口調に逆にイデオロギー性を感じるのはわたしだけだろうか?
59. ぷちいちご
2003/05/12(月) 20:47:14
>なんだかなあさん
うちは金髪でも雇ってくれますよ。
良い授業さえしていれば 多少のことは目をつぶってくれます。
重ちーさんや 私の考えに近い人は、高校生や浪人向けの
予備校タイプの塾のほうがやりやすいです(笑)
うちは金髪でも雇ってくれますよ。
良い授業さえしていれば 多少のことは目をつぶってくれます。
重ちーさんや 私の考えに近い人は、高校生や浪人向けの
予備校タイプの塾のほうがやりやすいです(笑)
60. 良スレ
2003/05/13(火) 23:16:57
本当に勉強になりますね。
是非は各々議論があるかもしれませんが、皆さんの高い意識を拝見していると、教えられる子供さんは幸せだなあとつくづく感じます。
レスを拝見していると、論議のキーポイントには、教える対象の年齢があるのかもしれませんね。
是非は各々議論があるかもしれませんが、皆さんの高い意識を拝見していると、教えられる子供さんは幸せだなあとつくづく感じます。
レスを拝見していると、論議のキーポイントには、教える対象の年齢があるのかもしれませんね。
61. 真剣
2003/05/14(水) 08:01:38
>重ちーさん
なるほど。おっしゃりたいことはほぼ分かりました。
「塾は勉強を教えるところであり、成績を上げることが至上命題である。したがって勉強を教えていればそれでよい。」
「講師の勝手な思想を、未熟な生徒に吹き込むのは危険だ。」
この2点でよろしいでしょうか。
それとも
「真剣の思想が間違っているので、生徒に吹き込むのは危険だ。」
ということでしょうか。
議論の論点を明確にしないと話がかみ合わなくなる経験を何度もしているので、レスをお願いします。
また後日レスします。
なるほど。おっしゃりたいことはほぼ分かりました。
「塾は勉強を教えるところであり、成績を上げることが至上命題である。したがって勉強を教えていればそれでよい。」
「講師の勝手な思想を、未熟な生徒に吹き込むのは危険だ。」
この2点でよろしいでしょうか。
それとも
「真剣の思想が間違っているので、生徒に吹き込むのは危険だ。」
ということでしょうか。
議論の論点を明確にしないと話がかみ合わなくなる経験を何度もしているので、レスをお願いします。
また後日レスします。
62. ぷちいちご
2003/05/14(水) 11:13:48
私は真剣さんの意見は、家庭教師ならば良いと思いますが、
塾講であれば、ちょっと・・・・。
私が生徒であったとき、私は塾に勉強をしに通ってました。
もっと言えば受験に勝つためだけに通ってました。
楽しめる雑談をしてくれる先生は好きでしたが、
「俺的思想」を端々に入れる先生は嫌いでした。
そのたびに私は「先生の考えなんてどっちでもいいよ、先いけよ」と思ってました。
その先生が好きじゃなければ、興味もないし面白くもなんともないしね。
でも塾だから通年、もしくは半期でお金払っちゃってるし、学校別にクラスが編成されてた以上違うクラスにもいけないし、
嫌々その先生の授業を受けざるを得ませんでした。
やめたところでお金は返ってこないし、それじゃ親にも悪くて言えなかったから。
もう、苦痛で・・・・。
塾講であれば、ちょっと・・・・。
私が生徒であったとき、私は塾に勉強をしに通ってました。
もっと言えば受験に勝つためだけに通ってました。
楽しめる雑談をしてくれる先生は好きでしたが、
「俺的思想」を端々に入れる先生は嫌いでした。
そのたびに私は「先生の考えなんてどっちでもいいよ、先いけよ」と思ってました。
その先生が好きじゃなければ、興味もないし面白くもなんともないしね。
でも塾だから通年、もしくは半期でお金払っちゃってるし、学校別にクラスが編成されてた以上違うクラスにもいけないし、
嫌々その先生の授業を受けざるを得ませんでした。
やめたところでお金は返ってこないし、それじゃ親にも悪くて言えなかったから。
もう、苦痛で・・・・。
63. ぷちいちご
2003/05/14(水) 11:14:05
真剣さんは
>もし僕のことを嫌いになって言うことを聞かなくても、塾をやめられても、ちっともかまいません。そいつの人生はそいつだけのものだから、僕の言うことを聞く義理など何もない。僕の言うことを信じたい奴だけが信じればいいと思っています。
と言っておられますが、これは極めて横暴な意見だと思いますよ。
生徒が「辞めたい」のは塾じゃなくてあなたの授業なんです。
そりゃあなたは、一人やめられたところで大した痛手はないでしょうが、
生徒からしたら、お金は返金されないし、また別の塾を探さなきゃいけないし、
はっきり言って迷惑なんですよ。そういう横暴な態度は。
あなたが集団指導の塾講であれば、あなたが相手にしているのは個ではなく集団なんです。
中にはいろいろな人間がいるのです。
そのことは絶対に忘れてはならないはずです。
中にはあなたの考えに賛同する生徒もいるでしょう。
でも中にはかつての私のように、嫌悪を抱いてる生徒もいるかもしれません。
そして、集団を前にするときに、「嫌な奴は辞めてくれ」と言う考えは絶対に持ってはならないはずです。
そうではなく、「嫌な奴」にも 好感をもたれるような授業をしようという気持ちにはならないんでしょうか?
あなたの考えを生徒に伝えることがそんなに大切ですか?
私は自分の考えを生徒に伝えるなんて、そんなもの二の次三の次だと思っています。
それより大切なことは、生徒が進んで勉強をしに塾に来てくれることだと思います。
あなたが経営者なら別ですが、雇われであれば、塾にも迷惑です。
集団授業であるかぎり、あくまで「万人に好かれる」授業を心がけるべきだと思います。(たとえできなくてもね)
ちなみに家庭教師ならば良いというのは、家庭教師であれば
嫌な先生であればこちらから申し出ればすぐにクビにできます。
つまり、先生と生徒が対等な立場でお互いを選別できるはずです。
しかし集団の授業になれば、生徒が先生を選ぶことができませんからね。
そこのところは もうすこし慎重に考えたほうがよいのではないでしょうか。
>もし僕のことを嫌いになって言うことを聞かなくても、塾をやめられても、ちっともかまいません。そいつの人生はそいつだけのものだから、僕の言うことを聞く義理など何もない。僕の言うことを信じたい奴だけが信じればいいと思っています。
と言っておられますが、これは極めて横暴な意見だと思いますよ。
生徒が「辞めたい」のは塾じゃなくてあなたの授業なんです。
そりゃあなたは、一人やめられたところで大した痛手はないでしょうが、
生徒からしたら、お金は返金されないし、また別の塾を探さなきゃいけないし、
はっきり言って迷惑なんですよ。そういう横暴な態度は。
あなたが集団指導の塾講であれば、あなたが相手にしているのは個ではなく集団なんです。
中にはいろいろな人間がいるのです。
そのことは絶対に忘れてはならないはずです。
中にはあなたの考えに賛同する生徒もいるでしょう。
でも中にはかつての私のように、嫌悪を抱いてる生徒もいるかもしれません。
そして、集団を前にするときに、「嫌な奴は辞めてくれ」と言う考えは絶対に持ってはならないはずです。
そうではなく、「嫌な奴」にも 好感をもたれるような授業をしようという気持ちにはならないんでしょうか?
あなたの考えを生徒に伝えることがそんなに大切ですか?
私は自分の考えを生徒に伝えるなんて、そんなもの二の次三の次だと思っています。
それより大切なことは、生徒が進んで勉強をしに塾に来てくれることだと思います。
あなたが経営者なら別ですが、雇われであれば、塾にも迷惑です。
集団授業であるかぎり、あくまで「万人に好かれる」授業を心がけるべきだと思います。(たとえできなくてもね)
ちなみに家庭教師ならば良いというのは、家庭教師であれば
嫌な先生であればこちらから申し出ればすぐにクビにできます。
つまり、先生と生徒が対等な立場でお互いを選別できるはずです。
しかし集団の授業になれば、生徒が先生を選ぶことができませんからね。
そこのところは もうすこし慎重に考えたほうがよいのではないでしょうか。
64. 真剣
2003/05/15(木) 00:04:11
"勉強を教わりに来ている"生徒はそうでしょうね。
そのことに関しては既に書きました。
前述の通り、僕もそのような生徒に「まあいいから俺の話を聞け」と言わんばかりに思想を吹き込もうとしたりはしません。
しかし必ずしもそのような生徒ばかりではないから、悩ましいのです。
やる気のない生徒、勉強から逃げ出す生徒、はなから無関心な生徒、にどう対処しますか?
これまでのレスでは「勉強するかしないかは生徒の好きにさせればよい」という意見と、それへの反論として「子供にはある程度強制的に勉強させることも必要だ」という意見があったと思います。
また、「塾は、生徒の成績を上げることを保護者と契約しているのだから、それを履行しなければならない」という主旨の意見もありました。
これらをふまえて、「やる気のない生徒(要は親に無理矢理放り込まれているだけの生徒)」にどう対処するかの意見をお聞かせ下さい。
僕の場合は、自主性・主体性の大切さを説くことで、「"勉強を頑張ろう"と思えるようにしむける」という作戦をとるわけですが、みなさんはどうされますか。
そのことに関しては既に書きました。
前述の通り、僕もそのような生徒に「まあいいから俺の話を聞け」と言わんばかりに思想を吹き込もうとしたりはしません。
しかし必ずしもそのような生徒ばかりではないから、悩ましいのです。
やる気のない生徒、勉強から逃げ出す生徒、はなから無関心な生徒、にどう対処しますか?
これまでのレスでは「勉強するかしないかは生徒の好きにさせればよい」という意見と、それへの反論として「子供にはある程度強制的に勉強させることも必要だ」という意見があったと思います。
また、「塾は、生徒の成績を上げることを保護者と契約しているのだから、それを履行しなければならない」という主旨の意見もありました。
これらをふまえて、「やる気のない生徒(要は親に無理矢理放り込まれているだけの生徒)」にどう対処するかの意見をお聞かせ下さい。
僕の場合は、自主性・主体性の大切さを説くことで、「"勉強を頑張ろう"と思えるようにしむける」という作戦をとるわけですが、みなさんはどうされますか。
65. 真剣
2003/05/15(木) 00:21:12
僕の考えとしては、塾にしろ家庭教師にしろ、その使命は「勉強を教えること」ではなくて、「生徒の学力を上げること」だと思うのです。
講師として働くからには、生徒の学力を上げなければならない。というか、上げたい。
そのためには、生徒が勉強に前向きに取り組むことが是非とも必要です。
楽しく分かりやすい授業をして、学問の面白さを伝えていれば、自動的に生徒がやる気になって、自然に学力も上がるというのは幻想です。むしろ言い逃れに近いと思います。
学力を上げるというのは極めて困難な作業です。
目先の定期テストの点数を上げることは比較的容易です。しかしテスト対策で50点が60点になっても、その生徒の人生にとって何ら有益なものが残らないとすれば、50点のままでもいいから、勉強の正しいやり方を身につけ、言葉の力を身につけ、頭を使って考えることを身につけた方が、将来にとっては絶対に有益だと思うのです。(無論、テストの点数も上がるし、入試にも受かる。)
それが保護者との契約に反しているとは思えません。
(もし「そんなことどうでもいいから、テスト対策をしろ」と言われたら、僕にはできません。何と言われようとできないものはできない。)
講師として働くからには、生徒の学力を上げなければならない。というか、上げたい。
そのためには、生徒が勉強に前向きに取り組むことが是非とも必要です。
楽しく分かりやすい授業をして、学問の面白さを伝えていれば、自動的に生徒がやる気になって、自然に学力も上がるというのは幻想です。むしろ言い逃れに近いと思います。
学力を上げるというのは極めて困難な作業です。
目先の定期テストの点数を上げることは比較的容易です。しかしテスト対策で50点が60点になっても、その生徒の人生にとって何ら有益なものが残らないとすれば、50点のままでもいいから、勉強の正しいやり方を身につけ、言葉の力を身につけ、頭を使って考えることを身につけた方が、将来にとっては絶対に有益だと思うのです。(無論、テストの点数も上がるし、入試にも受かる。)
それが保護者との契約に反しているとは思えません。
(もし「そんなことどうでもいいから、テスト対策をしろ」と言われたら、僕にはできません。何と言われようとできないものはできない。)
66. ↑
2003/05/15(木) 01:00:49
小学生ばっかりを教えたと言ったものです。私は真剣さんを擁護した。だからというわけではないが、
>楽しく分かりやすい授業をして、学問の面白さを伝えていれば、自動的に生徒が
>やる気になって、自然に学力も上がるというのは幻想です。むしろ言い逃れに近
>いと思います。
本当にそうだと思う。逆にそういう「いい授業」は、聞いただけで分かった気になり、もしくは勉強した気になり、逆に罪深いかも知れない。大学受験の予備校にだって、そんな人間がうようよいるのが、みえないのか。
結局自分自身で身につける主体的努力と工夫が伴わないと学力の向上などありえない。学力とは、教科の点数ではない。それは結果の一つであって、文字通り「自分で学ぶ力」である。それが、そもそも欠如している人間に対して、「いい授業」は無力でしかないと思う。
真剣さんを批判する人は、しっかりしたひとなのだろう。しかし、世の中そんな人間ばかりではないのは、一歩京大を出れば気づくのではないか。自分の経験は大事だが、それを越えるものに対しても謙虚であらねばならないと思う。
>楽しく分かりやすい授業をして、学問の面白さを伝えていれば、自動的に生徒が
>やる気になって、自然に学力も上がるというのは幻想です。むしろ言い逃れに近
>いと思います。
本当にそうだと思う。逆にそういう「いい授業」は、聞いただけで分かった気になり、もしくは勉強した気になり、逆に罪深いかも知れない。大学受験の予備校にだって、そんな人間がうようよいるのが、みえないのか。
結局自分自身で身につける主体的努力と工夫が伴わないと学力の向上などありえない。学力とは、教科の点数ではない。それは結果の一つであって、文字通り「自分で学ぶ力」である。それが、そもそも欠如している人間に対して、「いい授業」は無力でしかないと思う。
真剣さんを批判する人は、しっかりしたひとなのだろう。しかし、世の中そんな人間ばかりではないのは、一歩京大を出れば気づくのではないか。自分の経験は大事だが、それを越えるものに対しても謙虚であらねばならないと思う。
67. 重ちー
2003/05/15(木) 01:32:24
>真剣さん
>「塾は勉強を教えるところであり、成績を上げることが至上命題である。
>したがって勉強を教えていればそれでよい。」
>「講師の勝手な思想を、未熟な生徒に吹き込むのは危険だ。」
おおむねその通りだと思います。
補足しておくと、「勉強」を教える際に、生徒の学習の効率を上げるための
雑談などはしてもいいでしょう。
あと、「未熟な生徒」に対してのみ、「講師の勝手な思想」を吹き込んでは
いけないということではありません。
「未熟」でなくても「先生」に陶酔しきっている場合もあるからです。
>「塾は勉強を教えるところであり、成績を上げることが至上命題である。
>したがって勉強を教えていればそれでよい。」
>「講師の勝手な思想を、未熟な生徒に吹き込むのは危険だ。」
おおむねその通りだと思います。
補足しておくと、「勉強」を教える際に、生徒の学習の効率を上げるための
雑談などはしてもいいでしょう。
あと、「未熟な生徒」に対してのみ、「講師の勝手な思想」を吹き込んでは
いけないということではありません。
「未熟」でなくても「先生」に陶酔しきっている場合もあるからです。
68. なんだかなあ
2003/05/15(木) 03:09:56
まずぷちいちごサンの意見にはかなり賛成。いま論点はやる気のない子に対してどうするか?だよね。教卓での説教はやる気のある子も聞かされることになるからまずいとおもうよ。私は学問の楽しさを伝えれば生徒はやる気になり、学力も上がるというのは幻想だというのには賛成ですが、とりあえずいい授業をする、そのうえで明らかにやる気が無いような生徒さんには個人的に声をかけたりするのがいいのではないかと。その際もなんか自分の考えを語るというよりは相手の話を聞くって感じで。じーっくり話をきいたうえでそれに応じた勉強への応援をしてあげればいいんじゃないかな。
69. ぷちいちご
2003/05/15(木) 06:54:13
なんだかなあサンの意見に賛成です。
集団指導の講師をしている以上、冷酷な言い方にはなりますが
個よりも集団を重視すべきだと思います。
学力であっても、やる気の有無であっても、人間が集まればその数だけ
差が生じてしまいます。
ある程度あらかじめテストなどで絞っていれば、気休め程度には粒がそろうでしょうが
多くの場合では、はっきり言ってばらばらです。
そうなれば、それぞれの「個」に対して時間は割けません。
あくまで集団授業ですから。
仮に1時間授業であれば、30分は全員の平均の学力に合わせたものを、
15分は下(言い方が下品ですみません)3分の1の生徒たちのために
話をし、残りの15分は上3分の1の生徒たちのために話をするように
心がけています。
それでも「集団」が基本です。
>逆にそういう「いい授業」は、聞いただけで分かった気になり、もしくは勉強した気になり、逆に罪深いかも知れない。大学受験の予備校にだって、そんな人間がうようよいるのが、みえないのか。
じゃぁ 「いい授業」がダメなら一体どんな授業がいいのでしょう?
私からいわせれば、「授業を聞いてわかった気がして・・・罪深い」というのは
怠慢な生徒の言い訳でしかないと思います。
そんなものは自己責任です。
正直そこまで面倒を見るつもりはありません。
が、そうならないために「宿題」を課してますけれどね。
重複にはなりますが、集団指導である以上、生徒から求められない限り
個には対応しません。
集団指導の講師をしている以上、冷酷な言い方にはなりますが
個よりも集団を重視すべきだと思います。
学力であっても、やる気の有無であっても、人間が集まればその数だけ
差が生じてしまいます。
ある程度あらかじめテストなどで絞っていれば、気休め程度には粒がそろうでしょうが
多くの場合では、はっきり言ってばらばらです。
そうなれば、それぞれの「個」に対して時間は割けません。
あくまで集団授業ですから。
仮に1時間授業であれば、30分は全員の平均の学力に合わせたものを、
15分は下(言い方が下品ですみません)3分の1の生徒たちのために
話をし、残りの15分は上3分の1の生徒たちのために話をするように
心がけています。
それでも「集団」が基本です。
>逆にそういう「いい授業」は、聞いただけで分かった気になり、もしくは勉強した気になり、逆に罪深いかも知れない。大学受験の予備校にだって、そんな人間がうようよいるのが、みえないのか。
じゃぁ 「いい授業」がダメなら一体どんな授業がいいのでしょう?
私からいわせれば、「授業を聞いてわかった気がして・・・罪深い」というのは
怠慢な生徒の言い訳でしかないと思います。
そんなものは自己責任です。
正直そこまで面倒を見るつもりはありません。
が、そうならないために「宿題」を課してますけれどね。
重複にはなりますが、集団指導である以上、生徒から求められない限り
個には対応しません。
70. ぷちいちご
2003/05/15(木) 07:12:44
これまた重複になりますが、
家庭教師や、個別指導であれば、
ちゃんと向き合って話をしますよ。
それも、勉強ができなければ将来・・・・なんてのじゃなくて
「やればできるじゃない!」と言う方向でやる気を引き出します。
無関心な子、はなからやる気のない子たちの多くは、
「どうせ、やってもできない」⇒「やるだけ無駄」
と言うケースが多いので
誰だって「自分はできる」と思えればスムーズに先に進めるものですから
そうなればこっちのものです。
ここにいる皆さんがそうであったと思いますが、
私達は生徒であったときおそらくかなりできるほうの生徒であったと思います。
私はそうでした。
だから、あまりにも昔の自分とはなれている人間に教える自信はありません。特に集団では。
私の考え方(つまり、ある程度の自学自習は自己責任)というのが通用するレベルの人間しか
担当したくないと言うのが正直です。
それはそういう彼らであれば、私の授業をよりよく消化してくれるだろうし
彼らの求めているものも、私が与えようとするものと近いと思いますので。
いろいろなレベル、目的、目標、動機の生徒がいる以上
いろいろな考え、スタンスを持った講師がいてよろしいのではないでしょうか。
そして
>「やる気のない生徒(要は親に無理矢理放り込まれているだけの生徒)」への対応
に対する私の答えは、
そういう次元の生徒は担当しないようにする(笑)
みなさん そんなバカなと思われるかもしれませんが
うちはそれが可能なので、それが一番だと思います。
もし、担当したとしても、関与せず ですね。
「勉強のやる気がない」というのは、私の中では範疇外なので。
家庭教師や、個別指導であれば、
ちゃんと向き合って話をしますよ。
それも、勉強ができなければ将来・・・・なんてのじゃなくて
「やればできるじゃない!」と言う方向でやる気を引き出します。
無関心な子、はなからやる気のない子たちの多くは、
「どうせ、やってもできない」⇒「やるだけ無駄」
と言うケースが多いので
誰だって「自分はできる」と思えればスムーズに先に進めるものですから
そうなればこっちのものです。
ここにいる皆さんがそうであったと思いますが、
私達は生徒であったときおそらくかなりできるほうの生徒であったと思います。
私はそうでした。
だから、あまりにも昔の自分とはなれている人間に教える自信はありません。特に集団では。
私の考え方(つまり、ある程度の自学自習は自己責任)というのが通用するレベルの人間しか
担当したくないと言うのが正直です。
それはそういう彼らであれば、私の授業をよりよく消化してくれるだろうし
彼らの求めているものも、私が与えようとするものと近いと思いますので。
いろいろなレベル、目的、目標、動機の生徒がいる以上
いろいろな考え、スタンスを持った講師がいてよろしいのではないでしょうか。
そして
>「やる気のない生徒(要は親に無理矢理放り込まれているだけの生徒)」への対応
に対する私の答えは、
そういう次元の生徒は担当しないようにする(笑)
みなさん そんなバカなと思われるかもしれませんが
うちはそれが可能なので、それが一番だと思います。
もし、担当したとしても、関与せず ですね。
「勉強のやる気がない」というのは、私の中では範疇外なので。
71. 重ちー
2003/05/15(木) 12:18:49
>真剣さん
僕は今までの書きこみで、真剣さんが用いていた「勉強」という語がどの程度の
ことを指すのかはっきりしていなかったため、「勉強」と表記してきました。
今までの真剣さんの文章から推し量ると、「勉強」とは「学校の成績を上げたり、
志望校に合格できるようになるために行なう学習」といえると思いますが、どうでしょうか?
(以下ではそのようなものとして「勉強」というものをとらえていきます)
>僕の考えとしては、塾にしろ家庭教師にしろ、その使命は「勉強を教えること」
>ではなくて、「生徒の学力を上げること」だと思うのです。
上の文章から、真剣さんのいう「勉強を教えること」には「学力を上げること」
は含まれないようですね。(含まれているならば、「勉強」を教えてさえいれば使命は果たされていることなる)
塾で数学を教えるのは「勉強を教える」ことにはならないのですか?
塾はどうやって生徒の「学力を上げる」のですか?
真剣さんは塾で何を教えておられるのですか?
>「勉強ができるようになりたいから」とはっきり答えられる子は扱いが楽です。学力も伸びます。
「勉強ができるようになりたい」という目的をもって塾に来る生徒は「学力」が伸びやすいということを言いたいのだと思いますが、塾の使命が「学力を上げる」ことだとするならば、その生徒の目的は塾で学ぶことによって達成されたのでしょうか?すなわち、その生徒は「勉強」ができるようになったのでしょうか?
それとも、「学力」は上がったけど、「勉強」ができるようにはならなかったのでしょうか?
それとも、「学力」も上がり「勉強」もできるようになったのでしょうか?
僕は今までの書きこみで、真剣さんが用いていた「勉強」という語がどの程度の
ことを指すのかはっきりしていなかったため、「勉強」と表記してきました。
今までの真剣さんの文章から推し量ると、「勉強」とは「学校の成績を上げたり、
志望校に合格できるようになるために行なう学習」といえると思いますが、どうでしょうか?
(以下ではそのようなものとして「勉強」というものをとらえていきます)
>僕の考えとしては、塾にしろ家庭教師にしろ、その使命は「勉強を教えること」
>ではなくて、「生徒の学力を上げること」だと思うのです。
上の文章から、真剣さんのいう「勉強を教えること」には「学力を上げること」
は含まれないようですね。(含まれているならば、「勉強」を教えてさえいれば使命は果たされていることなる)
塾で数学を教えるのは「勉強を教える」ことにはならないのですか?
塾はどうやって生徒の「学力を上げる」のですか?
真剣さんは塾で何を教えておられるのですか?
>「勉強ができるようになりたいから」とはっきり答えられる子は扱いが楽です。学力も伸びます。
「勉強ができるようになりたい」という目的をもって塾に来る生徒は「学力」が伸びやすいということを言いたいのだと思いますが、塾の使命が「学力を上げる」ことだとするならば、その生徒の目的は塾で学ぶことによって達成されたのでしょうか?すなわち、その生徒は「勉強」ができるようになったのでしょうか?
それとも、「学力」は上がったけど、「勉強」ができるようにはならなかったのでしょうか?
それとも、「学力」も上がり「勉強」もできるようになったのでしょうか?
72. 重ちー
2003/05/15(木) 12:20:43
「学力を上げる」ということが、「勉強を教える」ということと無関係ならば、「勉強ができるようになりたい」という目的をもって塾に来る生徒に対してその期待を裏切ることになります。すなわち、真剣さんの考える塾の使命は、生徒や保護者の求める塾の役割と相反するものになってしまいます。
関係があるとするならば、つまり「勉強を教えること」を通じて「学力を上げること」ができるのなら、「勉強を教えること」で「学力を上げること」という使命を
達成できるのだから、塾の使命を「勉強を教えること」としてもかまわないことに
なってしまいます。わざわざ「学力」うんぬんを前面に押し出す必要はなく、「勉強を教える」でこと足りてしまいます。
「『勉強を教えること』だけでは伝えられないことを『学力を上げる』教育ならば
伝えることができる」という主張もあるかと思います。
そのときには次のような疑問が生じます。
小・中学校、高校と塾との違いは何なのか?
生徒や保護者が、学校だけでなく塾にも通うようになるのはどうしてなのか?
生徒や保護者が塾に求めるのはそのようなものなのか?
ここでも真剣さんの言う「学力」が何を指すのかはっきりしていません。
もしかしたらそれが原因で、今までに述べたような様々な疑問が生じているのかも
しれませんし、これからの議論の中でも生じるかもしれませんので、真剣さんの考える「勉強」「学力」とは何なのか教えてください。
関係があるとするならば、つまり「勉強を教えること」を通じて「学力を上げること」ができるのなら、「勉強を教えること」で「学力を上げること」という使命を
達成できるのだから、塾の使命を「勉強を教えること」としてもかまわないことに
なってしまいます。わざわざ「学力」うんぬんを前面に押し出す必要はなく、「勉強を教える」でこと足りてしまいます。
「『勉強を教えること』だけでは伝えられないことを『学力を上げる』教育ならば
伝えることができる」という主張もあるかと思います。
そのときには次のような疑問が生じます。
小・中学校、高校と塾との違いは何なのか?
生徒や保護者が、学校だけでなく塾にも通うようになるのはどうしてなのか?
生徒や保護者が塾に求めるのはそのようなものなのか?
ここでも真剣さんの言う「学力」が何を指すのかはっきりしていません。
もしかしたらそれが原因で、今までに述べたような様々な疑問が生じているのかも
しれませんし、これからの議論の中でも生じるかもしれませんので、真剣さんの考える「勉強」「学力」とは何なのか教えてください。
73. 真剣
2003/05/19(月) 03:19:21
色々な意見が出たので、整理しつつ、僕の見解を書いてみたいと思います。
まず、「集団授業では、やる気のない個人をある程度無視してでも集団としての指導を重視すべきだ」という意見には、僕も賛成です。集団授業でやる気のない生徒が一部にいる場合は、個人的に指導を行うべきでしょう。
これは僕自身への反省も込めて、確認しておきたいと思います。
個別指導塾や家庭教師の場合は常に個人を相手にしますから、生徒にやる気のない場合、授業は成立しません。このことも確認しておきたいと思います。(「やる気がない」というのは「分からないからつまらない」という状態とは異なるとみなした方が話が分かりやすいでしょう。)
そこで問題の焦点は、やる気のない生徒への対応の仕方ということになります。
ぷちいちごさんはそういった生徒は相手にしたくないとおっしゃっておられます。しかしそれは学生がバイトで講師をしている限りにおいては可能かも知れませんが、塾というシステム全体で見た場合、避けることはできない問題であるわけです。
そこで、僕が「やる気のない生徒からやる気を引き出すために(別に必ずしも勉強でなくともよい)、人生について語るのだ」と主張するのに対して、「生徒は塾に勉強をしに来ているのだから、そんなことを語る必要はない」という批判はピントがずれていると言えます。勉強をしに来ていない生徒の話をしているわけですから。この点に対してぷちいちごさんは「そんな生徒のことは知らない」という立場をとられたわけですが、それはそれで結構でしょう。(皮肉ではなく、一バイト講師としてはありだと思います。)
なんだかなあさんは、「やる気のない生徒から話をじっくり聞いてやる」ことを書いておられますが、やる気のない生徒は話などしません。「大学に行きたいけど、勉強がつらい」といった種類の生徒とは異なるので、そのあたりは正しく認識していただきたいと思います。やる気のない中学生などは、どうでもいいからとにかく早く家に帰ってテレビゲームがしたいだけなのです。
まず、「集団授業では、やる気のない個人をある程度無視してでも集団としての指導を重視すべきだ」という意見には、僕も賛成です。集団授業でやる気のない生徒が一部にいる場合は、個人的に指導を行うべきでしょう。
これは僕自身への反省も込めて、確認しておきたいと思います。
個別指導塾や家庭教師の場合は常に個人を相手にしますから、生徒にやる気のない場合、授業は成立しません。このことも確認しておきたいと思います。(「やる気がない」というのは「分からないからつまらない」という状態とは異なるとみなした方が話が分かりやすいでしょう。)
そこで問題の焦点は、やる気のない生徒への対応の仕方ということになります。
ぷちいちごさんはそういった生徒は相手にしたくないとおっしゃっておられます。しかしそれは学生がバイトで講師をしている限りにおいては可能かも知れませんが、塾というシステム全体で見た場合、避けることはできない問題であるわけです。
そこで、僕が「やる気のない生徒からやる気を引き出すために(別に必ずしも勉強でなくともよい)、人生について語るのだ」と主張するのに対して、「生徒は塾に勉強をしに来ているのだから、そんなことを語る必要はない」という批判はピントがずれていると言えます。勉強をしに来ていない生徒の話をしているわけですから。この点に対してぷちいちごさんは「そんな生徒のことは知らない」という立場をとられたわけですが、それはそれで結構でしょう。(皮肉ではなく、一バイト講師としてはありだと思います。)
なんだかなあさんは、「やる気のない生徒から話をじっくり聞いてやる」ことを書いておられますが、やる気のない生徒は話などしません。「大学に行きたいけど、勉強がつらい」といった種類の生徒とは異なるので、そのあたりは正しく認識していただきたいと思います。やる気のない中学生などは、どうでもいいからとにかく早く家に帰ってテレビゲームがしたいだけなのです。
74. 真剣
2003/05/19(月) 03:21:34
他の方も指摘しておられますが、ここにおられるみなさんは、いわゆる「できる子」だったでしょうし、塾講師や家庭教師をされるに際しても、おそらくは相応に優秀な生徒を担当されてきたのかも知れません。
しかし実際には、「塾に勉強をしに来ているのではない生徒」は相当数いて、しかも、テストの点数が悪いだけではなくて、まともな社会生活を営むことさえ困難なのではないかと思われるような、知的程度の低い子供は大量にいるのです。
僕はそういう子供たちに対して、勉強面においても人格面においても「教育」を施そうと試みるわけですが、なんだかなあさんやぷちいちごさんからすれば、そういった子供たちは「知ったことじゃない」というわけですよね。あるいは、「そんなことは学校がやることだ」と。あるいは「そんなことは人から教わることでない」と。
そこで、「なぜ、人生の道標を与えたり、人格形成に関与することが塾講師には許されないのか」という疑問を僕は持つわけですが、その答えとして、ぷちいちごさんや重ちーさんは、「塾は勉強を教えるところであって、生徒たちは勉強を教わることを求めているから」という理由を挙げられました。しかしその論理に説得力がないことは上に書いた通りです。また、「人から教わることではなく、自分で学びとるものだ」という意見に対しては、僕は反対します。そういった事柄を子供たちがつかみ取る手助けをしようというのが教育の一つの役割であって、僕はそういう仕事をしたいからです。それなら塾講師ではなく学校の教師や啓発セミナーの講師になれ、という批判も当たりません。それも上記と同じ理由によります。(むしろ、塾講師や家庭教師こそが、そういった生徒を選択的に指導する機会となり得るのです。)
以上をふまえていただいた上で、重ちーさんは、なぜ「生徒に講師の勝手な思想を吹き込んではいけない」と考えられるのか、それを教えて下さい。
しかし実際には、「塾に勉強をしに来ているのではない生徒」は相当数いて、しかも、テストの点数が悪いだけではなくて、まともな社会生活を営むことさえ困難なのではないかと思われるような、知的程度の低い子供は大量にいるのです。
僕はそういう子供たちに対して、勉強面においても人格面においても「教育」を施そうと試みるわけですが、なんだかなあさんやぷちいちごさんからすれば、そういった子供たちは「知ったことじゃない」というわけですよね。あるいは、「そんなことは学校がやることだ」と。あるいは「そんなことは人から教わることでない」と。
そこで、「なぜ、人生の道標を与えたり、人格形成に関与することが塾講師には許されないのか」という疑問を僕は持つわけですが、その答えとして、ぷちいちごさんや重ちーさんは、「塾は勉強を教えるところであって、生徒たちは勉強を教わることを求めているから」という理由を挙げられました。しかしその論理に説得力がないことは上に書いた通りです。また、「人から教わることではなく、自分で学びとるものだ」という意見に対しては、僕は反対します。そういった事柄を子供たちがつかみ取る手助けをしようというのが教育の一つの役割であって、僕はそういう仕事をしたいからです。それなら塾講師ではなく学校の教師や啓発セミナーの講師になれ、という批判も当たりません。それも上記と同じ理由によります。(むしろ、塾講師や家庭教師こそが、そういった生徒を選択的に指導する機会となり得るのです。)
以上をふまえていただいた上で、重ちーさんは、なぜ「生徒に講師の勝手な思想を吹き込んではいけない」と考えられるのか、それを教えて下さい。
75. 真剣
2003/05/19(月) 03:22:18
「生徒は塾に勉強を教わりに来ているのだ」「塾講師が人生観を語るのを聞くのはうざい」というのは、あくまでもここにおられる優秀な京大合格者の個人的な主観であって、一般化することは誤りと言っていいでしょう。「集団を重視すべきだ」という意見には説得力がありますが、「自分ならそんな講師は嫌だ」という意見には説得力がないのです。
「塾に勉強をしに来ている生徒に限定すれば、彼らは講師の人生観を聞くことなど求めていない」という命題は真でしょうから、それは僕も心に刻んでおきたいと思います。
「塾に勉強をしに来ている生徒に限定すれば、彼らは講師の人生観を聞くことなど求めていない」という命題は真でしょうから、それは僕も心に刻んでおきたいと思います。
76. 真剣
2003/05/19(月) 03:23:27
次に、重ちーさんのレスにある「勉強」や「学力」といった言葉に対する僕の認識を書きます。
「学力」に関しては、ずっと上の方で述べたように、社会に対する興味を持つことや勉強の方法論を身につけること、そして将来の自分の人生に対する主体性を持って行動すること、などを含む概念とします。その過程として、英語や数学などの教科学力も付随しますから、これも含めて「学力」と呼びます。
「勉強ができる」とは、英語・数学などの教科の理解度・問題解決能力を指すものとします。
したがって包含関係で書けば、「学力」⊃「勉強」という関係があることになります。
「学校の成績を上げたり、受験に合格したりする」のに必要なものは、当面「勉強ができる」ということになるでしょう。(ただし学校の成績が勉強の力を正確に反映しているとは考えていませんから、微妙な問題をはらみます。)
そこで、「勉強を教える」ということと、これらの概念との関係を述べます。
やる気のある生徒(短期的にしろ、目標を持っていることを仮定します)の場合、勉強を教えれば、勉強ができるようになります。場合によっては学力も上がります。そもそも高い学力を持っているから、勉強を教えさえすれば、勉強ができるようになると考えることもできます。
自分で様々なことを考え、悩み、ぶつかりながら生き方を模索していくことが積極的に可能な子供たちです。
僕への反論を書かれている方たちは、このような状況を想定しておられると思われます。
しかし、やる気のない生徒(目標もなく、不真面目で、時にはあらゆる面で"雑"です)の場合、勉強を教えてもいっこうに勉強ができるようにはなりません。学力も上がりません。そもそも学力が低いから、勉強を教えても頭に入らない(入れる気もない)のだと考えることもできます。
こういう生徒に対しては、勉強を教えることでは何らの変化も与えることができません。(楽しい授業をしていればそのうち目覚めてくれるというのは幻想です。)
彼らが自分の生き方を自分で見つけ出すためには、大人の手助けが必要だと判断することに無理はありません。
「学力」に関しては、ずっと上の方で述べたように、社会に対する興味を持つことや勉強の方法論を身につけること、そして将来の自分の人生に対する主体性を持って行動すること、などを含む概念とします。その過程として、英語や数学などの教科学力も付随しますから、これも含めて「学力」と呼びます。
「勉強ができる」とは、英語・数学などの教科の理解度・問題解決能力を指すものとします。
したがって包含関係で書けば、「学力」⊃「勉強」という関係があることになります。
「学校の成績を上げたり、受験に合格したりする」のに必要なものは、当面「勉強ができる」ということになるでしょう。(ただし学校の成績が勉強の力を正確に反映しているとは考えていませんから、微妙な問題をはらみます。)
そこで、「勉強を教える」ということと、これらの概念との関係を述べます。
やる気のある生徒(短期的にしろ、目標を持っていることを仮定します)の場合、勉強を教えれば、勉強ができるようになります。場合によっては学力も上がります。そもそも高い学力を持っているから、勉強を教えさえすれば、勉強ができるようになると考えることもできます。
自分で様々なことを考え、悩み、ぶつかりながら生き方を模索していくことが積極的に可能な子供たちです。
僕への反論を書かれている方たちは、このような状況を想定しておられると思われます。
しかし、やる気のない生徒(目標もなく、不真面目で、時にはあらゆる面で"雑"です)の場合、勉強を教えてもいっこうに勉強ができるようにはなりません。学力も上がりません。そもそも学力が低いから、勉強を教えても頭に入らない(入れる気もない)のだと考えることもできます。
こういう生徒に対しては、勉強を教えることでは何らの変化も与えることができません。(楽しい授業をしていればそのうち目覚めてくれるというのは幻想です。)
彼らが自分の生き方を自分で見つけ出すためには、大人の手助けが必要だと判断することに無理はありません。
77. 真剣
2003/05/19(月) 03:25:15
そこで僕がくり返し言っているのは、何より先に「学力を上げる」ということの必要性なのです。僕はこれを生徒には「頭が良くなる」と言っていますが、頭が良くなれば、いわば脳のキャパシティが増えるようなもので、勉強を教わって、それを吸収できるようになるのです。集合的に言えば、「学力」の領域が広がることで、その包含概念である「勉強」の伸びる余地ができるのです。
誤解を恐れずに言ってしまえば、「頭の悪い生徒にいくら勉強を教えても無駄」ということでしょうか。
まずは、自分の人生を見つめて、考えること。世の中に目を向けてみること。正しい勉強の仕方を身につけること。が肝要だと言いたいわけです。
このスレにおいては、何よりも「学力」の存在が仮定されていることが、京大生の誤った思い込みなのではないかと思ってしまいます。
そして僕は、"学力の低い子供"の学力を上げることにやりがいを感じているということです。(無論、優秀な子が嫌いだということではありません。)
ちなみに「定期テストの点数が良い」は、「勉強ができる」よりもさらに狭い概念であって、これに固執することは無意味なことだと考えます。特に学力が低く、したがって勉強の力も低い生徒の場合には。(すでに飽和状態の集合をさらに広げようとするようなものです。)
保護者が塾や家庭教師に求めていることは、多くの場合、「勉強ができるようになる」ことであって、「定期テストの点数が上がる」ことではないと思われるのですが、多くの保護者は定期テストの点数が勉強の力の反映であると信じていますから、齟齬が生じてしまうのです。
このスレの最初の方で書いた"鷹揚な親"というのは、無意識的にではあれ「学力を上げる」ことを要求していると考えられるわけで、勉強というものの本質が分かっているなあと個人的には思います。
(追記。これまでのレスで「学力」と「勉強」を明確に区別せずに使っている箇所もあるかと思いますので、その点はご了承下さい。)
誤解を恐れずに言ってしまえば、「頭の悪い生徒にいくら勉強を教えても無駄」ということでしょうか。
まずは、自分の人生を見つめて、考えること。世の中に目を向けてみること。正しい勉強の仕方を身につけること。が肝要だと言いたいわけです。
このスレにおいては、何よりも「学力」の存在が仮定されていることが、京大生の誤った思い込みなのではないかと思ってしまいます。
そして僕は、"学力の低い子供"の学力を上げることにやりがいを感じているということです。(無論、優秀な子が嫌いだということではありません。)
ちなみに「定期テストの点数が良い」は、「勉強ができる」よりもさらに狭い概念であって、これに固執することは無意味なことだと考えます。特に学力が低く、したがって勉強の力も低い生徒の場合には。(すでに飽和状態の集合をさらに広げようとするようなものです。)
保護者が塾や家庭教師に求めていることは、多くの場合、「勉強ができるようになる」ことであって、「定期テストの点数が上がる」ことではないと思われるのですが、多くの保護者は定期テストの点数が勉強の力の反映であると信じていますから、齟齬が生じてしまうのです。
このスレの最初の方で書いた"鷹揚な親"というのは、無意識的にではあれ「学力を上げる」ことを要求していると考えられるわけで、勉強というものの本質が分かっているなあと個人的には思います。
(追記。これまでのレスで「学力」と「勉強」を明確に区別せずに使っている箇所もあるかと思いますので、その点はご了承下さい。)
78. 真剣
2003/05/19(月) 03:44:29
補足。
「学力」の定義として「人生について考えること」などはちょっと大げさな表現ですが、そういったことも含めて、「勉強やその他の情報の主体的受容能力」と考えていただければいいかと思います。教科内容を理解するための日本語力や抽象化能力なども含みます。
「学力」の定義として「人生について考えること」などはちょっと大げさな表現ですが、そういったことも含めて、「勉強やその他の情報の主体的受容能力」と考えていただければいいかと思います。教科内容を理解するための日本語力や抽象化能力なども含みます。
79. ◎◎♪
2003/05/20(火) 04:55:10
マジで議論っぽくなってきましたね。みなさん、すごいね。
ってか、真剣さん。ややこしくなってきた話をまとめてくれてありがとう。
かなり、いろんな意見が出ててわかりにくくなってたとこです。
僕は塾講してます。ぷちいちごさんと同じような動機で。うちの塾は基本的にバイトの講師の裁量にかなり任されているので、みなさんとは状況が違うかもしれないですが、僕の意見は基本的に次の通りです。
教える、教えられるの関係は人間同士の社会的接触の一つである、と。
うまい言葉で表現できないのが悔しいなぁ・・・
立場的には真剣さんに近いですが、他の方の意見も肯定します。やはり、子供の頃は世界が狭い。それは人生経験が少ないという意味も含めて。塾で、学校の先生、両親とは違う大人(僕らもまだまだ未熟でしょうが)と、接する機会を持つということは、とても重要で、真剣さんや、ぷちいちごさんや、重ちーさんなどの、色々な考えの人たちに出会い、講師・生徒の関係で真剣勝負(言い過ぎかな。向き合う、という方が近いかも)するということが、教育的観点からは重要だと思うのです。勉強ができるように教えること、人生論(あくまで個人的意見のように)を語ること、子供のやる気を引き出すこと、それら全てが、講師・生徒の関係の中で行われ、何言ってんだコイツ、みたいに思われることがあっても、それはそれで生徒にとっては、一つの大人、他人の例として学ぶことになっていくからです。
ってか、真剣さん。ややこしくなってきた話をまとめてくれてありがとう。
かなり、いろんな意見が出ててわかりにくくなってたとこです。
僕は塾講してます。ぷちいちごさんと同じような動機で。うちの塾は基本的にバイトの講師の裁量にかなり任されているので、みなさんとは状況が違うかもしれないですが、僕の意見は基本的に次の通りです。
教える、教えられるの関係は人間同士の社会的接触の一つである、と。
うまい言葉で表現できないのが悔しいなぁ・・・
立場的には真剣さんに近いですが、他の方の意見も肯定します。やはり、子供の頃は世界が狭い。それは人生経験が少ないという意味も含めて。塾で、学校の先生、両親とは違う大人(僕らもまだまだ未熟でしょうが)と、接する機会を持つということは、とても重要で、真剣さんや、ぷちいちごさんや、重ちーさんなどの、色々な考えの人たちに出会い、講師・生徒の関係で真剣勝負(言い過ぎかな。向き合う、という方が近いかも)するということが、教育的観点からは重要だと思うのです。勉強ができるように教えること、人生論(あくまで個人的意見のように)を語ること、子供のやる気を引き出すこと、それら全てが、講師・生徒の関係の中で行われ、何言ってんだコイツ、みたいに思われることがあっても、それはそれで生徒にとっては、一つの大人、他人の例として学ぶことになっていくからです。
80. ◎◎♪
2003/05/20(火) 05:11:43
友達同士の関係。親と子供の関係。義務教育の学校の先生と生徒の関係。いろんな関係を持ちながら、人は成長すると思います。ただ、議論が戻ってしまうようですが、それでどういう授業をすればいいのか。どうすれば、彼彼女らの印象に残るのか。どうすれば有意義な社会的接触の一つになるのか。そう、考えていくと、真剣さんのようなやり方は、答えの一つになるかもしれません。ただいい授業を提供する。それはそれで、大変な苦労を伴うわけで、こちらの苦労(思い)が伝われば、そこにも、有意義な接触を行うことは可能。ただ、一方的な嫌いがある。いい授業を提供して感じてもらうだけでは。接触には、双方向性が重要だなと。ある程度、こちらの価値観をぶつけていって、相手の価値観を引き出すことも大切だと思うんですよね。それでこそ、有意義な接触につながっていくのでは。
81. なんだかなあ
2003/05/21(水) 06:26:46
私の意見は勉強できるよい子の意見だって言われたら仕方ないな。京大に来てる時点で話題になってるような子供たちが求めるものが理解できるはずが無いというのもまあわかります。確かに世の中の一般の人たちには「熱血人生論指導」が求められてるのかもしれない。テレビとか見ててもそんな番組多いしね。私にはそんな教育はちょっと無理だけど。育ちのためかそのようなものをウザい、サムいと感じてしまう。
82. 理系学生
2003/05/21(水) 14:49:41
自分の方針としては、大人であり子供であること。 やはり子供にとって、自分たちと同じような考えをしてくれる人のほうが親近感がわくからね。だけど、やさしく楽しく接するだけじゃだめ。 それをベースにしながら、ちゃんと注意するときは注意して、先生らしいとこも見せる。 その時はあくまでも注意であって、顔は怒っていても、心は怒ってはダメ。 理想としては、普段は笑顔で、注意をするときは怒った顔をしていても、注意が終わればすぐ笑顔に戻る、って感じかな。 心から怒ると、その後の授業がギスギスしてしまうから。 まあ、自分の意見としてはこんな感じかな。 あと、どんなに鬱陶しくても、子供の話を無視しない。 これはかなり子供は傷つくらしい。
83. 私のカテキョ日記
2003/05/22(木) 04:03:55
私は高1と小6の姉妹を教えているが、今週は高1のお姉ちゃんの方が中間試験なので、妹の指導にあまり時間が取れない。それでも、最低限のことはやってるけどね。でも、辛かったのが、私にある本を見せてきて、「これが〜でね、それからね・・・」って話しかけてくれたのに少しの時間しか、相手してやれなかったこと。「ごめんね・・・」って心の中で思ってた。
私個人の意見としては、熱血先生って一歩間違えばマジでイタイと思う。熱けりゃいいってもんじゃないよって思う。勘違い熱血教師(往々にして男)がうざかったこと多数あり。
子供の目線に立って、とかいうのも勘違いしてる人多すぎる。これには散々迷惑した。
最近お姉ちゃんの方から、さらに信頼を得たのが嬉しい。信頼を得た方法は「下ネタ」・・・何が幸いするかわからんね。変な話だけど、下ネタって結構役に立つなって思った。ちなみにこれで以前にも私は友達を作った経験あり。ただ、締めるときは締める。これは、理系学生さんと同じ意見。一緒になって下ネタ言ってても、最後に大人として忠告はしておく。例えば、「避妊は絶対しろ。」とか。
私個人の意見としては、熱血先生って一歩間違えばマジでイタイと思う。熱けりゃいいってもんじゃないよって思う。勘違い熱血教師(往々にして男)がうざかったこと多数あり。
子供の目線に立って、とかいうのも勘違いしてる人多すぎる。これには散々迷惑した。
最近お姉ちゃんの方から、さらに信頼を得たのが嬉しい。信頼を得た方法は「下ネタ」・・・何が幸いするかわからんね。変な話だけど、下ネタって結構役に立つなって思った。ちなみにこれで以前にも私は友達を作った経験あり。ただ、締めるときは締める。これは、理系学生さんと同じ意見。一緒になって下ネタ言ってても、最後に大人として忠告はしておく。例えば、「避妊は絶対しろ。」とか。
84. ゆう
2003/05/29(木) 14:20:10
だいたいにおいて
男生徒には、熱血人生論指導・・・勉強できたら、めっちゃかっこいい。勉強じゃなくても何かに真剣に打ち込むと最高の充実感が得られる
をやりますが、
女生徒には、優しく愚痴を聞いてあげるいいお兄ちゃんキャラで接します。
でも、生徒の状況によって、接し方(自分のキャラ)がかわってくるという視点が、全くないので、そこらへんを踏まえて議論すると、深みが出るかもしれません。
ちなみに僕は上戸彩好きなので、ああいうカワイイ子を教えたいです。
男生徒には、熱血人生論指導・・・勉強できたら、めっちゃかっこいい。勉強じゃなくても何かに真剣に打ち込むと最高の充実感が得られる
をやりますが、
女生徒には、優しく愚痴を聞いてあげるいいお兄ちゃんキャラで接します。
でも、生徒の状況によって、接し方(自分のキャラ)がかわってくるという視点が、全くないので、そこらへんを踏まえて議論すると、深みが出るかもしれません。
ちなみに僕は上戸彩好きなので、ああいうカワイイ子を教えたいです。
85. ゆう
2003/05/29(木) 14:26:54
真剣さんの印象。すごくできる先生。でも真面目なんですよ。
時に、だるだる〜と、まった〜〜りと、一緒に馬鹿やってみたり、そういうのも必要なんですよ。きっと。
家庭教師として、一対一で接することができる機会を折角得たのだから、もっと、人生送る上で役に立つこと教えたい。
どういうことかといいますと、人生にはいくら頭の良い人でも、何もかもうまくいく時期と、何やってもうまくいかない時期というのが存在するようです。うまく行かない時に如何に楽しむか。ってところなどを一緒に探したいですね。どんな状況でも楽しめるような感性を持つってところでしょうか。
時に、だるだる〜と、まった〜〜りと、一緒に馬鹿やってみたり、そういうのも必要なんですよ。きっと。
家庭教師として、一対一で接することができる機会を折角得たのだから、もっと、人生送る上で役に立つこと教えたい。
どういうことかといいますと、人生にはいくら頭の良い人でも、何もかもうまくいく時期と、何やってもうまくいかない時期というのが存在するようです。うまく行かない時に如何に楽しむか。ってところなどを一緒に探したいですね。どんな状況でも楽しめるような感性を持つってところでしょうか。
86. ゆう
2003/05/29(木) 14:46:46
真剣さんへの質問
学力をつけされるために。
論理的思考力を養わせるというのが必要です。各教科を理解する際にも絶対必要です。そのために宿題として題材を出し、それについて授業の最後の20分を議論をしているのですが、「現実に対する洞察力のなさ」が顕著に現われるというのが、よくあります。おります。ございます。
さて、この洞察力。例えば人間に対する理解。でもいいのですが、
きょーだいせーやとーだいせー探索すれば、それなりに勉強はできるんですけど、この能力が欠けている人ってのが1割はいます。どうやら、勉強の能力に比例しているというわけでもなさそうです。
で、こういう能力はどうやったらツキマスカ?例えば、銀座や六本木の高級クラブのホステス、できるホスト、イチロー、ウタダヒカル、上戸彩なんかは、この能力素晴らしく高いですよね。
こういう能力がつけば、人生うまくいきますよ。勉強はそこそこでも。
てなわけで、もしこれに対して何か役に立つ情報がありましたら是非教えてくださいませ。
ちなみに、私の意見として、とにかくたくさんの人と話をする機会を持つというのが、これを身に付ける最善だと思います。恋愛経験の多い人に、この能力が高い人が多いような気がするので。
学力をつけされるために。
論理的思考力を養わせるというのが必要です。各教科を理解する際にも絶対必要です。そのために宿題として題材を出し、それについて授業の最後の20分を議論をしているのですが、「現実に対する洞察力のなさ」が顕著に現われるというのが、よくあります。おります。ございます。
さて、この洞察力。例えば人間に対する理解。でもいいのですが、
きょーだいせーやとーだいせー探索すれば、それなりに勉強はできるんですけど、この能力が欠けている人ってのが1割はいます。どうやら、勉強の能力に比例しているというわけでもなさそうです。
で、こういう能力はどうやったらツキマスカ?例えば、銀座や六本木の高級クラブのホステス、できるホスト、イチロー、ウタダヒカル、上戸彩なんかは、この能力素晴らしく高いですよね。
こういう能力がつけば、人生うまくいきますよ。勉強はそこそこでも。
てなわけで、もしこれに対して何か役に立つ情報がありましたら是非教えてくださいませ。
ちなみに、私の意見として、とにかくたくさんの人と話をする機会を持つというのが、これを身に付ける最善だと思います。恋愛経験の多い人に、この能力が高い人が多いような気がするので。
87. ジロー
2003/05/29(木) 22:16:05
人間に対する理解力に限っていえば、やはり「心」が描かれている優れた小説をたくさん読めば、力がつくと思います。自分の個人的な経験だけでは限界がありますが、その限界を突破するために小説を読むのです。たとえば心をそのものを主題にした夏目漱石の小説とか、時代の心が描かれている時代小説とか、現代社会の心を描いている社会派推理小説なんかがいいとおもいます。
88. ジロー
2003/05/29(木) 22:24:21
真剣さんへ。
今このスレを発見して読ませてもらったのですが、真剣さんの教育に対する思いには共感します。そして、結構修行されているな、と思いました。そもそも、京大生たる自分たちとは別次元とも思える、いわばレベルの低い生徒がいるとわかっているだけでも凄い。最初はなかなか気づきませんから。
私は、自分の信念を自信を持って語ればそれでいいと思います。そういうのを「ウザイ」と思う生徒には、我慢していただきましょう。でも、真剣さんの話を「ウザイ」と思っている生徒は、そんなにいないと思いますよ。
また顔を出します。がんばって下さい。
今このスレを発見して読ませてもらったのですが、真剣さんの教育に対する思いには共感します。そして、結構修行されているな、と思いました。そもそも、京大生たる自分たちとは別次元とも思える、いわばレベルの低い生徒がいるとわかっているだけでも凄い。最初はなかなか気づきませんから。
私は、自分の信念を自信を持って語ればそれでいいと思います。そういうのを「ウザイ」と思う生徒には、我慢していただきましょう。でも、真剣さんの話を「ウザイ」と思っている生徒は、そんなにいないと思いますよ。
また顔を出します。がんばって下さい。
89. 霞
2003/05/31(土) 14:17:04
真剣な議論、非常に面白く読ませてもらってます。いくつかの点で私も参加しようかと・・・
あと、どんなに鬱陶しくても、子供の話を無視しない。 これはかなり子供は傷つくらしい。
→あなたの教えてらっしゃる生徒さんはできがよくて行儀もよいから、そんなことが言えるんでしょうが、私の教えてるのはレベルの低い公立中学の普通の生徒、放っておくと50分の授業で50分間私語をし続けます(子供同士で、あるいは私に話し掛けてきて)。世間はあなたの教えているような子供ばかりではない、もうちっょと広い視野を持ってほしいです。
実際には、「塾に勉強をしに来ているのではない生徒」は相当数いて、しかも、テストの点数が悪いだけではなくて、まともな社会生活を営むことさえ困難なのではないかと思われるような、知的程度の低い子供は大量にいるのです。
→上述のような環境で教えているので、猛烈に賛成です。学びたくて来ている子供、そんなのは本当に一握りです。京大生くらいならみんな行きたがってると思われるかもしれませんが、ちなみに私は、小さいときからずっと塾に行ってましたが、行きたくて行ってた期間なんてのはそのうちの一割にも満たない。一人で本を読んでるほうが好きですから。そういう子供に目を向けている真剣さんはえらいと思います(個人的主観)私は絶望気味なんで・・・
真剣さんの話を「ウザイ」と思っている生徒は、そんなにいないと思いますよ。
→いや、それもないです。生徒は(特にできの悪い生徒ほど)、年上の人間を馬鹿にしてちっぽけな虚栄心を満足させることに夢中です。それが子供の間での自分の好評価につながると信じて。そんな話をし始めると騒ぐ、馬鹿にする、鼻で笑う、いろいろと授業に好ましくない事態になります。わかってくれるのは本当にいろんなことを考えている一部の生徒のみです(それも小学生や中学生ではなかなか期待できない。やはり高校生くらいの精神年齢が必要か・・・どなたかが書かれていましたが、高校生くらいになると人間はちょっとずつ将来のことを考えて不安になったりいろいろ疑問を感じたりしますから)。
真剣さんがすでに書かれたことですが、みんな自分の教えている生徒の年齢がばらばらで統一された議論がなされていない感があります。明記するか、あるいは対応した人の論にだけレスをするようになさってはいかがでしょうか?
あと、どんなに鬱陶しくても、子供の話を無視しない。 これはかなり子供は傷つくらしい。
→あなたの教えてらっしゃる生徒さんはできがよくて行儀もよいから、そんなことが言えるんでしょうが、私の教えてるのはレベルの低い公立中学の普通の生徒、放っておくと50分の授業で50分間私語をし続けます(子供同士で、あるいは私に話し掛けてきて)。世間はあなたの教えているような子供ばかりではない、もうちっょと広い視野を持ってほしいです。
実際には、「塾に勉強をしに来ているのではない生徒」は相当数いて、しかも、テストの点数が悪いだけではなくて、まともな社会生活を営むことさえ困難なのではないかと思われるような、知的程度の低い子供は大量にいるのです。
→上述のような環境で教えているので、猛烈に賛成です。学びたくて来ている子供、そんなのは本当に一握りです。京大生くらいならみんな行きたがってると思われるかもしれませんが、ちなみに私は、小さいときからずっと塾に行ってましたが、行きたくて行ってた期間なんてのはそのうちの一割にも満たない。一人で本を読んでるほうが好きですから。そういう子供に目を向けている真剣さんはえらいと思います(個人的主観)私は絶望気味なんで・・・
真剣さんの話を「ウザイ」と思っている生徒は、そんなにいないと思いますよ。
→いや、それもないです。生徒は(特にできの悪い生徒ほど)、年上の人間を馬鹿にしてちっぽけな虚栄心を満足させることに夢中です。それが子供の間での自分の好評価につながると信じて。そんな話をし始めると騒ぐ、馬鹿にする、鼻で笑う、いろいろと授業に好ましくない事態になります。わかってくれるのは本当にいろんなことを考えている一部の生徒のみです(それも小学生や中学生ではなかなか期待できない。やはり高校生くらいの精神年齢が必要か・・・どなたかが書かれていましたが、高校生くらいになると人間はちょっとずつ将来のことを考えて不安になったりいろいろ疑問を感じたりしますから)。
真剣さんがすでに書かれたことですが、みんな自分の教えている生徒の年齢がばらばらで統一された議論がなされていない感があります。明記するか、あるいは対応した人の論にだけレスをするようになさってはいかがでしょうか?
あげ
91. よしお
2003/06/01(日) 14:52:01
なかなか議論が白熱してますね。私も感想と体験談など
書かせてもらいます。
私は、真剣さんの意見はおおむね良い意見だと思ったし、
「すごいしっかりしてるなあ」と感じました。でも、ずっとその
考え方に凝り固まったような書き方(意見の柔軟性の感じられない
書き方)だったので、見る人が見れば、とても不快に感じる
だろうなあ、と思います。まあ、僕らの年頃で、それなりに
考えを持ってる人間なら、よく起こることだとは思いますが…。
僕は小学生から高校生まで家庭教師で10人以上教えて来ました。
ほんと、成績も上から下まで。性格も良い奴から悪い奴まで
幅広いです。
小中学生だったら、彼らのレベルは、きっとうちの大学の人なら、
想像が付かないものだと思う。英語が(主語)+(動詞)〜で始まる
のが分からない中3とか、「垂直」を説明するのに、「直角(角度が
90度)に交わる」と、何回図を描いて説明しても分かってもらえ
ない小学生とか。結局、「直角」の概念がよく分かってないし、「交わる」
の概念も分かってない。それぞれの概念を、図を描いて説明しても、
それらを2つ同時にインプットできる力を持っていないから、いくら
言っても分かってくれないわけ。
これ、公立の小中学校なら、真ん中か、それよりやや下の生徒の
レベルです。正直、円周率を「約3」にしてしまうのも、僕には正しい
やり方じゃないかって思ってしまう。真ん中辺りの子は「小数の位取り」
なんか理解してないからね。ただ、計算はオートマティックにできるけど。
僕も、彼らの成績を上げるのには、結局のところ普段頭を使わせる
ことが一番効果的だと思います。成績が低い子や、伸びない子は、
これが圧倒的に足りない。まず家ではテレビかゲームだからね…。
書かせてもらいます。
私は、真剣さんの意見はおおむね良い意見だと思ったし、
「すごいしっかりしてるなあ」と感じました。でも、ずっとその
考え方に凝り固まったような書き方(意見の柔軟性の感じられない
書き方)だったので、見る人が見れば、とても不快に感じる
だろうなあ、と思います。まあ、僕らの年頃で、それなりに
考えを持ってる人間なら、よく起こることだとは思いますが…。
僕は小学生から高校生まで家庭教師で10人以上教えて来ました。
ほんと、成績も上から下まで。性格も良い奴から悪い奴まで
幅広いです。
小中学生だったら、彼らのレベルは、きっとうちの大学の人なら、
想像が付かないものだと思う。英語が(主語)+(動詞)〜で始まる
のが分からない中3とか、「垂直」を説明するのに、「直角(角度が
90度)に交わる」と、何回図を描いて説明しても分かってもらえ
ない小学生とか。結局、「直角」の概念がよく分かってないし、「交わる」
の概念も分かってない。それぞれの概念を、図を描いて説明しても、
それらを2つ同時にインプットできる力を持っていないから、いくら
言っても分かってくれないわけ。
これ、公立の小中学校なら、真ん中か、それよりやや下の生徒の
レベルです。正直、円周率を「約3」にしてしまうのも、僕には正しい
やり方じゃないかって思ってしまう。真ん中辺りの子は「小数の位取り」
なんか理解してないからね。ただ、計算はオートマティックにできるけど。
僕も、彼らの成績を上げるのには、結局のところ普段頭を使わせる
ことが一番効果的だと思います。成績が低い子や、伸びない子は、
これが圧倒的に足りない。まず家ではテレビかゲームだからね…。
92. 真剣
2003/06/02(月) 03:22:41
久しぶりに出てきました。
>霞さん
某スレの「なんつーか」は僕なのでよろしく。この手の話はこちらのスレでしましょう。(といってもレス数が残り少ないが。)
>生徒は(特にできの悪い生徒ほど)、年上の人間を馬鹿にしてちっぽけな虚栄心を満足させることに夢中です。
実に慧眼なご意見。
子供というのは誰でも多かれ少なかれそうなのですが、たとえば大人から注意されて、本当は心の中では「しまったなあ・・。格好悪いなあ・・。」という悔しさでいっぱいなんだけれども、それを表に出すのが恥ずかしくて「けっ。アホせんこーが何言ってんだよ。やってらんねー。」みたいな態度をとってしまうものではないでしょうか。
これは必ずしも大人のことをウザいと感じているのとは違うと思いますね。むしろそういうことをウザく感じるのは、このスレでも何度も書かれているような、頭のいい、精神年齢の高い子供たちだと思います。
こういった子供の生意気な態度に、教師の側が本気で腹を立てるのは論外です。しかし逆に甘やかしてもいけません。
この「子供の虚栄心」の扱いは、教育で一番難しい問題の一つではないでしょうか。
「授業を真面目に聞くなんて格好悪い」「大人の言うことを素直に聞くなんて格好悪い」みたいに思ってしまうのはなぜなんでしょうね。ガキのガキたる所以ですね。「言うことを聞いた方が得だと分かっているのに、ついつい反抗してしまう」という子供心の不条理を教師は相手にし続けなければなりません。それが正しい成長の過程だと信じてやるしかないですかね。むしろそうやって大人に反抗して自尊心を保護できる子供の方が、それができずに落ち込んでしまう子供よりも健全かも知れません。
>霞さん
某スレの「なんつーか」は僕なのでよろしく。この手の話はこちらのスレでしましょう。(といってもレス数が残り少ないが。)
>生徒は(特にできの悪い生徒ほど)、年上の人間を馬鹿にしてちっぽけな虚栄心を満足させることに夢中です。
実に慧眼なご意見。
子供というのは誰でも多かれ少なかれそうなのですが、たとえば大人から注意されて、本当は心の中では「しまったなあ・・。格好悪いなあ・・。」という悔しさでいっぱいなんだけれども、それを表に出すのが恥ずかしくて「けっ。アホせんこーが何言ってんだよ。やってらんねー。」みたいな態度をとってしまうものではないでしょうか。
これは必ずしも大人のことをウザいと感じているのとは違うと思いますね。むしろそういうことをウザく感じるのは、このスレでも何度も書かれているような、頭のいい、精神年齢の高い子供たちだと思います。
こういった子供の生意気な態度に、教師の側が本気で腹を立てるのは論外です。しかし逆に甘やかしてもいけません。
この「子供の虚栄心」の扱いは、教育で一番難しい問題の一つではないでしょうか。
「授業を真面目に聞くなんて格好悪い」「大人の言うことを素直に聞くなんて格好悪い」みたいに思ってしまうのはなぜなんでしょうね。ガキのガキたる所以ですね。「言うことを聞いた方が得だと分かっているのに、ついつい反抗してしまう」という子供心の不条理を教師は相手にし続けなければなりません。それが正しい成長の過程だと信じてやるしかないですかね。むしろそうやって大人に反抗して自尊心を保護できる子供の方が、それができずに落ち込んでしまう子供よりも健全かも知れません。
93. 真剣
2003/06/02(月) 04:07:17
>ゆうさん
質問の意味が抽象的でよく分からないのですが、とにもかくにも「テストの点数が良いこと自体に価値があるのではない」ということだけは言えると思います。テストでいい点取るために勉強してるんじゃないだろう、と僕は声を大にしてすべての子供とその親に言いたいです。
その意味で、生徒と議論をされたりするのは素晴らしいことだと思います。人と接するということも、本を読むということも、結局は「自分の知らない世界を知る」ということであって、それを通じて「自分の知らない世界がまだまだあるんだ」という認識を獲得することでもあります。
これがゆうさんの言われる「洞察力」や「人に対する理解」といったものにつながるのではないかと思います。
自分の人生と向き合うためには是非とも必要なことです。
話は違いますが、この、教育にとって重大な使命たる「人間作り」が、一部の私立校では欠けているのではないかという印象を僕は持っています。ひたすら授業を先に進めることだけに腐心する教師と、大学進学実績を上げることに躍起になるシステムとしての私立中高一貫校の存在は目に余るものがあります。そういった学校では、生徒はひたすら課題を与えられて、テストで点数をとることだけに労を費やしているのです。そこには「知性を高める」という概念は存在せず、ひたすら知識を覚えてそれを再現することのくり返しなのです。
優秀な人間を相手にする場合はそれでもよいけれども、大してできるわけでもない子供を集めて、「学力伸長」を旗印に突っ走る教育には疑問を感じずにはいられません。そういった私立中学に入ってしまったがために、勉強に対して苦痛のイメージしか持てず、落ちこぼれのレッテルを貼られて苦しんでいる子供を僕は何人も見てきました。
僕はそういう教育だけはしたくないと心に誓っています。
そもそもそういった学校の教師は、ほとんどの生徒がまったくついてこれていないことに気づいていないのだろうか?毎日テストをして、大量の宿題を課して提出させることが学力伸長につながると本気で信じているのだとしたら良識を疑います。
(公立校も形こそ違え、似た部分はあると思います。これは実は、科目ごとに教師が替わるという教科担任制に本質的な欠陥があるのではないかと僕は考えています。子供の総合的な「学力」を把握してやれる人間が誰もいないことが問題なのです。)
質問の意味が抽象的でよく分からないのですが、とにもかくにも「テストの点数が良いこと自体に価値があるのではない」ということだけは言えると思います。テストでいい点取るために勉強してるんじゃないだろう、と僕は声を大にしてすべての子供とその親に言いたいです。
その意味で、生徒と議論をされたりするのは素晴らしいことだと思います。人と接するということも、本を読むということも、結局は「自分の知らない世界を知る」ということであって、それを通じて「自分の知らない世界がまだまだあるんだ」という認識を獲得することでもあります。
これがゆうさんの言われる「洞察力」や「人に対する理解」といったものにつながるのではないかと思います。
自分の人生と向き合うためには是非とも必要なことです。
話は違いますが、この、教育にとって重大な使命たる「人間作り」が、一部の私立校では欠けているのではないかという印象を僕は持っています。ひたすら授業を先に進めることだけに腐心する教師と、大学進学実績を上げることに躍起になるシステムとしての私立中高一貫校の存在は目に余るものがあります。そういった学校では、生徒はひたすら課題を与えられて、テストで点数をとることだけに労を費やしているのです。そこには「知性を高める」という概念は存在せず、ひたすら知識を覚えてそれを再現することのくり返しなのです。
優秀な人間を相手にする場合はそれでもよいけれども、大してできるわけでもない子供を集めて、「学力伸長」を旗印に突っ走る教育には疑問を感じずにはいられません。そういった私立中学に入ってしまったがために、勉強に対して苦痛のイメージしか持てず、落ちこぼれのレッテルを貼られて苦しんでいる子供を僕は何人も見てきました。
僕はそういう教育だけはしたくないと心に誓っています。
そもそもそういった学校の教師は、ほとんどの生徒がまったくついてこれていないことに気づいていないのだろうか?毎日テストをして、大量の宿題を課して提出させることが学力伸長につながると本気で信じているのだとしたら良識を疑います。
(公立校も形こそ違え、似た部分はあると思います。これは実は、科目ごとに教師が替わるという教科担任制に本質的な欠陥があるのではないかと僕は考えています。子供の総合的な「学力」を把握してやれる人間が誰もいないことが問題なのです。)
94. 真剣
2003/06/02(月) 04:37:49
>正直、円周率を「約3」にしてしまうのも、僕には正しいやり方じゃないかって思ってしまう。
一理あると思います。子供の頭が悪くなったのは生活の中で知性を身につけられていないことが原因なのであって、授業時間を増やしても、指導要領を増やしても、何の解決にもならないと思っています。その点では、文科省が始めた一連の流れは、まったく正しいものであると思います。子供の知識や理解がヘボくなったのは、"授業時間を減らしたから"では断じてないと思いますね。「"総合的な学習の時間"などうまくいくはずがない。それより国語や数学を増やせ。」みたいなことを言う人は、このスレで挙げられているような低レベルな子供と直に接したことがないのではないでしょうか。そのような子供と接していると、「ああ、こりゃ、授業を増やしたり、学級の人数を減らして解決するような問題じゃないな。」という実感を持たずにはいられないはずです。
僕だったら、「円周率なんかどうでもいいから、本を1冊でも多く読みなさい。」と言いたいですね(中学生以降は新聞でもよい)。英語よりも数学よりも、まず日本語の不自由な子供が多すぎます。考える力もまるでない。ものを知らない。中には太陽が東から昇るということを知らない中学生もいました。
しかもそういう子の親に限ってテストの点数ばかり気にして、進学のことばかり気にしている。「何とか大学までは入れてやりたい。」みたいに言って、大金を塾や家庭教師につぎ込む親は一度殴ってやりたい気分です。「お金で解決しようとせずに、1日10分でいいから子供のそばについてやって、計算練習するのを見てやって、褒めてやったらどうですか。」と言いたいです。(しかし言えない。大人を教育するのはさすがに気がひける。)
もはや日本という国自体が巨大な病理をかかえていると思えてなりません。何とか、僕にできることだけでもやりたいと思うのであります。
一理あると思います。子供の頭が悪くなったのは生活の中で知性を身につけられていないことが原因なのであって、授業時間を増やしても、指導要領を増やしても、何の解決にもならないと思っています。その点では、文科省が始めた一連の流れは、まったく正しいものであると思います。子供の知識や理解がヘボくなったのは、"授業時間を減らしたから"では断じてないと思いますね。「"総合的な学習の時間"などうまくいくはずがない。それより国語や数学を増やせ。」みたいなことを言う人は、このスレで挙げられているような低レベルな子供と直に接したことがないのではないでしょうか。そのような子供と接していると、「ああ、こりゃ、授業を増やしたり、学級の人数を減らして解決するような問題じゃないな。」という実感を持たずにはいられないはずです。
僕だったら、「円周率なんかどうでもいいから、本を1冊でも多く読みなさい。」と言いたいですね(中学生以降は新聞でもよい)。英語よりも数学よりも、まず日本語の不自由な子供が多すぎます。考える力もまるでない。ものを知らない。中には太陽が東から昇るということを知らない中学生もいました。
しかもそういう子の親に限ってテストの点数ばかり気にして、進学のことばかり気にしている。「何とか大学までは入れてやりたい。」みたいに言って、大金を塾や家庭教師につぎ込む親は一度殴ってやりたい気分です。「お金で解決しようとせずに、1日10分でいいから子供のそばについてやって、計算練習するのを見てやって、褒めてやったらどうですか。」と言いたいです。(しかし言えない。大人を教育するのはさすがに気がひける。)
もはや日本という国自体が巨大な病理をかかえていると思えてなりません。何とか、僕にできることだけでもやりたいと思うのであります。
95. 真剣
2003/06/02(月) 05:14:13
こういうことを言い出すと、「早期教育とかいって歴代天皇の名前を暗記させたり、世界の首都の名前を暗記させたりする暇があったら、1冊でも多く絵本の読み聞かせをしてやったらどうだ」ということも言わずにはいられないです。
お母さん(別に保育園や幼稚園の先生でもいい)の横で、絵本を見つめてわくわくしながら耳をすました経験が、将来どれだけの価値を持つものかもっと正しく認識されるべきです。
こういったことは小学校に入っても同じです。テストの点数だけ見て叱りつけるのではなくて、毎日そばについて計算練習と漢字練習を見てやって、終わったら思いっきり遊ばせてやる。そういったことができていない家庭が多いのではないでしょうか。動物園や水族館に連れていってやったり、草原で虫を捕まえたり、花を摘んだり、そういう経験がどれほど大事か、すべての親が知るべきです。(ちなみに、教育の世界では「小学4年生までは本の読み聞かせをしてやった方がよい」というのが常識です。)
こういったことを疎かにして、口を開けば二言目には「宿題やったんか」、三言目には「はよ寝なさい」といった言葉しか聞かれない家庭の中で、学力を身につけることはまったくもって不可能です。そしてそういう親に限って学校や塾にウダウダと注文をつける。
なぜこんな風になってしまったのか、原因は色々あろうかと思いますが、とにかく、僕は我慢ならない。
僕が出会うことのできた子供からだけでも、軌道修正をしたい。おこがましいと言われようとも。
お母さん(別に保育園や幼稚園の先生でもいい)の横で、絵本を見つめてわくわくしながら耳をすました経験が、将来どれだけの価値を持つものかもっと正しく認識されるべきです。
こういったことは小学校に入っても同じです。テストの点数だけ見て叱りつけるのではなくて、毎日そばについて計算練習と漢字練習を見てやって、終わったら思いっきり遊ばせてやる。そういったことができていない家庭が多いのではないでしょうか。動物園や水族館に連れていってやったり、草原で虫を捕まえたり、花を摘んだり、そういう経験がどれほど大事か、すべての親が知るべきです。(ちなみに、教育の世界では「小学4年生までは本の読み聞かせをしてやった方がよい」というのが常識です。)
こういったことを疎かにして、口を開けば二言目には「宿題やったんか」、三言目には「はよ寝なさい」といった言葉しか聞かれない家庭の中で、学力を身につけることはまったくもって不可能です。そしてそういう親に限って学校や塾にウダウダと注文をつける。
なぜこんな風になってしまったのか、原因は色々あろうかと思いますが、とにかく、僕は我慢ならない。
僕が出会うことのできた子供からだけでも、軌道修正をしたい。おこがましいと言われようとも。
96. 坊主のバーベキュー
2003/06/02(月) 16:40:39
雑談板に移れ。ウザイ。
97. 坊主のバーベキュー
2003/06/02(月) 16:41:26
このスレッドは100件まであと4件です。
次のスレッドの準備をお願いします。
次のスレッドの準備をお願いします。
98. 坊主のバーベキュー
2003/06/02(月) 16:42:11
このスレッドは100件まであと3件です。
次のスレッドの準備をお願いします。
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99. 坊主のバーベキュー
2003/06/02(月) 16:42:31
このスレッドは100件まであと2件です。
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100. 坊主のバーベキュー
2003/06/02(月) 16:43:42
教師気取りの小僧どもの馴れ合いスレは消えてなくなれ。
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続きは次のスレッドでお楽しみください。
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