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立命館大学について 2


1. なあんて 2003/04/18(金) 22:52:20
立てたらまた誰か書くのか?

2. 工作員 2003/04/18(金) 23:13:20
同志社についても語ってくれよ(涙

3. 2003/04/18(金) 23:37:43
思いっきり叩かれるだけかと思いますが、良いのですか?
それなら私がスレ立てますが。

4. 誰か 2003/04/19(土) 09:15:07
前スレ貼っつけろよ。

5. 2003/08/10(日) 00:53:42
age

6. 2003/08/10(日) 00:58:41
m並だな。

7. ヤジルシ 2003/08/10(日) 02:51:10
消防奈美棚

8. 2003/08/10(日) 02:53:55
いかれてますな。

9. Rits 2004/07/05(月) 23:32:11
<<<西園寺公望の兄弟(夭逝者を除く)と立命館>>>
父親:徳大寺公純・・・・徳大寺家は九精華の一つ。
長男:徳大寺実則・・・・侯爵→公爵。内大臣。明治天皇の侍従長。立命館とは全く無縁。
次男:西園寺公望・・・・侯爵→公爵。元老。首相。立命館学祖。1869年に私塾「立命館」を開く。現在の立命館大学との間には組織的連続性ないが、大学名はそこに由来する。
立命館の名称使用許可の申し出に際し、「公は少なからざる満悦の意」つまりめちゃめちゃ喜ばれたとのことで、この時に大学にプレゼントした「館命立」の自筆扁額は現在「学宝」に指定されている。
この時の縁で、学園の祝賀行事には電報や記念品を送っていたようである。1940年逝去に際し、学祖敬仰決議を行っている。
三男:中院通規・・・・・伯爵。1923年、中院家の膨大な書籍を京都帝国大学へ寄贈(中院文庫)。 当時立命には法科しかなかったので、当然の選択と言えよう。よって、立命館とは全く無縁。
四男:末弘威麿・・・・・徳大寺威麿として生まれる。母方の末弘家を継ぐために民籍に下る。財団法人立命館専務理事。学校卒業後、朝日生命で経理・監査の仕事を行っていたが、文部省官僚で貴族院議員でもあった中川小十郎に請われ、京都法政学校の経営に携わるようになる。
校長の富井政章(民法起草者の一人で東京帝国大学名誉教授)、学監の中川小十郎が東京中心の生活を送っていたため、京都での学園事務の一切は末弘威麿の尽力によるところが大きい。西園寺の兄弟の中で真の意味で立命館大学とつながっていたのは末弘威麿である。

六男:住友友純・・・・・男爵。15代住友家当主(住友吉左衛門)。西園寺公望の政治活動を財政面で支えた。京都法政学校の校舎が東三本木丸太町の元清輝楼から広小路学舎に移転するにあたって、住友友純は1500円の寄付を行っている。
広小路学舎は、少々手狭(7,138平米)ではあったが、京都御所の東隣で、京都帝国大学の教員が夜間出講しやすく、立地条件において申し分ない場所であった。以後、80年に渡ってこの場所で学園運営がなされた。

広小路校地の航空写真(7,138平方メートル):
http://www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/koho/rs/030515/special/parts/campus/h1.jpg

付録:西園寺一晃・・・1953年生まれ。北京大学卒業。AAN総合研究センター研究員。中国政治を専門とする。西園寺家代表として立命館大学式典に出席されたことがあるのはこの方。

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