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┏┗┓芸┏┃術┓┏論┏┃┛


1. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/06(日) 22:55:24
此処kyoto-u.comに"世界に一つだけの花"なるスレッドが存在する。
このスレッドにおいて愚民はSMAPなる低俗慰安商品についての批評を展開するが、
これは全く蒙昧な言説であると言わざるを得ない。


我々知識人は、斯くの如き通俗的芸術論の全てを破棄することを此処に宣言する。
何故なら、芸術批評の死滅こそが芸術の死であり、
ひいては人間における人間性の絶滅を意味するからである。

2. ロキシー 2003/07/06(日) 22:56:38
芸術家は人と共感できないとだめだし、でも自分しかないものも必要。それを伸ばしていくと、やっぱり変わり者なのかな

3. おお、 2003/07/06(日) 22:57:35
いいスレタイだ。
しかし芸術をわかったつもりでいる一面はありませんか?

4. ロキシー 2003/07/06(日) 22:59:25
万人受けするものは、人の心を分かったものだけど、それは芸術ではない。全ての人に受け入れられるものは、商品であって、芸術は商品であってはいけない

5. 2003/07/06(日) 23:01:02
わかった口をきくなぁ!

6. てけてけ 2003/07/06(日) 23:36:23
スレッドタイトルが
 
 
 
 
♪└|∵|┐♪└|∵|┘♪┌|∵|┘♪ズンチャ♪ズンチャ♪
 
に見えます。
うーん。芸術。アスキーアートも芸術だね。

7. >ミネルバ 2003/07/06(日) 23:47:38
"通俗的芸術論の全てを破棄すること"が「"芸術批評"の存続」にどうつながるかがわからん.

8. ザヴィさんに真剣な質問 2003/07/06(日) 23:54:53
ハイカルチャーって何なんでしょうか。
シェークスピアは?
歌舞伎は残すべき?スーパー歌舞伎は?

9. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/07(月) 00:01:10
極めて愚劣であると言わざるを得ない。


"通俗的芸術論の全てを破棄すること"なる引用は、
"斯くの如き"という語が齎す限定用法を無視した、
極めて愚昧なるものであるということが指摘される。

10. パルティータ 2003/07/07(月) 00:22:31
>ミネルバさん

巧い表現ですね。

11. >ミネルバ 2003/07/07(月) 00:51:39
"斯くの如き"という内容が曖昧なんやけど・・・とくに"如き"部分が.
"如き"というのは今風に言うと"ような"ですよね?
例えば「AのようなB」と表現すると「Bは,『Aのある性質を持っている,Aを含めたもの全体』である」ことを意味しますよね?

これはBを定義しています.(とはいえ,"ある性質"の部分が曖昧です.)

このように自分は"斯くの如き通俗的芸術論"を,上で言うと「A="全く蒙昧な言説"」,「B="通俗的芸術論"」としたような定義方式だと解釈しました.ゆえに"通俗的芸術論"はそれ自身で一つの限定されたものを表すものだと解釈しました.

いま,あなたの言った""斯くの如き"という語が齎す限定用法"ということから,"通俗的芸術論"は他で定義されていることだとわかりました.それとともに,"斯くの如き"の使い方が自分の思っているものと違うのわかりました.

それならば,その定義を示すとともに,次の私の質問に答えてください;「"斯くの如き"通俗的芸術論の全てを破棄すること"が『"芸術批評"の存続』にどうつながるのですか?」

12. 2003/07/07(月) 08:20:17
ネタにマジレスしてもネタが返ってくるだけだよ.
このスレは "スレ乱立は自分以外認めない" の心理でも働いて立てたんじゃない?

ところで,ミネルバ・ザビという奴は文体に凝る割りには内容が疎かだね,今に始まったことではないが.

>低俗慰安商品
主観だし.
>我々
その主観の是非の統計でも採ったの?

部分で全体を語るべからず.
まあ,スレの導入もネタだろうな…

13. はなくま 2003/07/07(月) 09:39:21
相変わらず主観のみで文章を構成し、カモフラージュ
を施すだけでは何の説得力もない。
自己の芸術対象の具体的内容を明示した事がない。

14. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/07(月) 17:38:46
参考文献を提示しよう。


愚劣な大衆による芸術の虐殺
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200304/03040003.html

芸術批評の低俗化が、芸術それ自体の質の低下を齎すことは言うまでもない。
何故なら、芸術それ自体が批評性を持ち得るからであり、
芸術批評(の論理)の質の低下は、表現者と芸術享受者の間において
共有可能な概念・想像性の低劣化を齎すのである。

斯くの如き主張を踏まえ、
"世界に一つだけの花"なるスレッドに対する批判を展開しよう。

音楽は、音の配列・構造と情動の関係性の「科学」である。
しかしながら、大衆音楽は、受容者=愚民の想像力の欠如を
支配的テクスト―愚劣な大衆はこれを「詩」と呼ぶ―の明示によって補完する。
ここに、大衆音楽の陳腐さが存在するのである。

15. >ミネルバ 2003/07/07(月) 19:30:32
で,"通俗的芸術論"の定義は?

16. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/07(月) 23:20:04
我々知識人が問題視する通俗的芸術論とは、
端的に言えば、娯楽商品を芸術作品と見なす言説である。
(それは例えばIGNIZなる愚民による「エヴァンゲリオン芸術論」に象徴される。
IGNIZ「エヴァンゲリオン芸術論」については上述の文献を参照せよ。)


通俗的芸術論は、往々にして、
「良質の芸術作品には普遍性が存在する」なる命題を、
「普遍性が存在する作品は良質である」と誤読した上で、
「普遍性」を「商品としての流通性」へと読みかえることにより成立している。

芸術作品の一部が商品として成立し得ることは事実であるが、逆は真ではない。
商品生成におけるダイナミズムと、芸術作品におけるそれの差異を想起すれば、
―商品には生成思想が含意され得ない、あるいは仮に含意されようとも、
それは商品の物語性という販促要素へと転化される、という点からも―
そのことは自明であると言える。

斯くの如き芸術論の罪は、衆生に残された幾ばくかの芸術批評力
―作品に対する思考・想像の質―を壊滅せしむることによって、
彼らの芸術受容ダイナミズムを脊髄反射原理へと変容せしめたことにある。
かくして芸術は、脊髄反射的芸術受容の世界において、
芸術性を洞察されることなく死に絶えるのである。

17. >ミネルバ 2003/07/08(火) 00:21:34
>芸術作品の一部が商品として成立し得ることは事実であるが、逆は真ではない。
ここで言う「逆」とはなんのこっちゃ?
(cf. "命題の逆"の定義は(数学的には),「A⇒B」の形の命題に対して,「B⇒A」の形の命題のことを前者の"逆"という;
"芸術作品の一部が商品として成立し得る"には「⇒」に対応するようなものがないと思うんやけど.もしも"一部"が"すべて"ならば「⇒」に対応するものがあると考えられるけど・・・;
言葉の使い方を誤らないように.)

>芸術作品の一部が商品として成立し得ることは事実である
せやったら,SMAPの"世界にひとつだけの花"(やったっけ?)が「商品として成立している芸術作品である」という主張も成り立つんとちゃう?
そもそも,芸術作品とは何?このSMAPの曲が芸術作品であるか否かは芸術作品の定義によるんとちゃう?

>脊髄反射原理
こりゃまたなんのこっちゃ?

18. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/08(火) 00:45:43
2003/07/08(火)00:21:34の言説は文脈読解能力を持たざる極めて愚劣な言説であり、
論理知識の正当なる運用に支障をきたした愚民として彼を認定せざるを得ない。


第一の指摘に対して。
「逆は真ではない」なる記述は、
2003/07/07(月)23:20:04第二パラグラフの内容を受けたものである。

第二の指摘に対して。
2003/07/07(月)17:38:46最終パラグラフにおける音楽の定義を参照せよ。

脊髄反射については以下の文献を参考とせよ。
http://plaza.rakuten.co.jp/rakurtenten/006000

我々ミネルバ学派は2003/07/08(火)00:21:34に対し、言論停止勧告を発表する。

19. 開幕です 2003/07/08(火) 00:54:47
これより「ミネルバ・ザビ」と「>ミネルバ」が
ミネルバ・ザビの芸術論において議論が繰り広げられます

果して「ミネルバ・ザビ」は独自の理論展開で持論を論破できるのか?
それとも「>ミネルバ」がザビ芸術論の破綻を公然に晒すことができるのか?

部外者はこの議論の成り行きを静観しようではないか!

20. はなくま 2003/07/08(火) 09:37:51
>>ミネルバ氏
あなたの考え方はわかった。だが、そんな
あなたの主観性のみの判断に反逆するかのような参考文献
があるので、俺も掲示しておこう。

おまいら、芸術ってなんですカ?
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200305/03050101.html

まあ、あなたは愚劣かつ感性の堕落云々で片付けそうだが。

21. >ミネルバ 2003/07/08(火) 12:49:29
>第一の指摘に対して。
>「逆は真ではない」なる記述は、
>2003/07/07(月)23:20:04第二パラグラフの内容を受けたものである。
"通俗的芸術論は、往々にして、
「良質の芸術作品には普遍性が存在する」なる命題を、
「普遍性が存在する作品は良質である」と誤読した上で、
「普遍性」を「商品としての流通性」へと読みかえることにより成立している。"の逆とは何ぞや?「⇒」に対応する部分は?

>第二の指摘に対して。
>2003/07/07(月)17:38:46最終パラグラフにおける音楽の定義を参照せよ。
じゃあ,オペラは芸術じゃないと?たとえあんたがそれに感動しても?
いや,それ以前に自分が聞きたかったんは"芸術作品の定義"なんやけど・・・

>脊髄反射については以下の文献を参考とせよ。
自分の聞きたいんは「脊髄反射原理」なんやけど・・・検索したけどなかったで・・・

>我々ミネルバ学派は2003/07/08(火)00:21:34に対し、言論停止勧告を発表する。
はぁ?なんで?

あと,音楽の定義なんやけど,昔は"歌う"ことから生まれたんやと思うんやけど(証拠はないけど).それには歌詞(あんたの言う"支配的テクスト")があります.それを芸術的に劣っているというつもり?あんたは"歌"に感動したことないんですか?
まず,あんたの思っている定義を教えてください.

芸術とは何ぞや?

ちなみに自分の思っている定義は"感動するもの(感動の対象)"です.
せやから,芸術は人によって,あるいは同一人物でも時間や場所,状況によって変わってきます.
飽きてきたら芸術やないっちゅうことです.

22. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/08(火) 14:10:51
極めて愚劣であると言わざるを得ないが、
我々ミネルバ学派は彼を粘り強く啓蒙する所存である。
言論停止勧告を発した理由は、言うまでも無く、
愚昧なる言説の流布が社会の知的レベルを低迷せしめるからである。


命題「A⇒B」の逆は「B⇒A」である。
「(芸術作品が)良質である」ならば「(その作品は)普遍的である」の逆は、
「(芸術作品が)普遍的である」ならば「(その作品は)良質である」となる。
そして、商品性とは普遍性に内包される一要素である。

また、脊髄反射原理とは、比喩として「脊髄反射」を用いた、
思考停止(あるいは思考の大部分のパターン化)の行動原理を指す語である。

また、我々ミネルバ学派の見解においては、
オペラは複合型芸術であって、音楽ではない。
例えば、オペラという芸術は、音楽要素・演劇要素・文学要素等に分解されるが、
オペラにおける音楽は、他の要素の影響下にあるという点で、音楽作品ではない。
それは、総体としてのオペラが我々に与えるイマージュを不断に反映しているのである。

23. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/08(火) 14:25:59
同時に、テクストを持つ歌唱音楽も複合型芸術であって、純粋な音楽ではない。
先に定義したように、音楽は、音の配列・構造と情動の関係性の「科学」であり、
音楽は最小限度のモティーフの提示と音の構築のみによって
我々に対し豊穣なるイマージュを提供し続けてきたのである。
しかしながら、歌唱音楽は、テクストの持つ明示的な意味を借りることによって、
音の配列・構造と情動の関係性に関わる思考の大部分を省略するのである。

24. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/08(火) 14:40:17
芸術の定義について。
芸術とは、表現対象・表現方法と情動の間の関係性の「科学」である。
言うまでも無く、芸術としての価値はその科学性の内容によって定義される。


2003/07/08(火)12:49:29による芸術の定義は、一般的な大衆的芸術論に他ならない。
「感動」の内容や、作品と「感動」の関係性について一切思考することなく、
「感動すること」それ自体を芸術と見なす点に斯くの如き通俗的芸術論の問題がある。
稚拙な知能においては、メロドラマさえも「感動」の対象たり得るように、
彼の定義によっては娯楽と芸術を峻別することが不可能であると言える。

芸術を「感動させるもの」と定義した上で、
「私が感動しているのだからこれは芸術に違いない」とする、
陳腐極まりない思考が見え隠れするのである。

25. >ミネルバ 2003/07/08(火) 15:53:48
>「(芸術作品が)良質である」ならば「(その作品は)普遍的である」の逆は、
>「(芸術作品が)普遍的である」ならば「(その作品は)良質である」となる。
それは「良質の芸術作品には普遍性が存在する」の逆やろ?
自分が逆を示してほしかったんは,
"通俗的芸術論は、往々にして、
「良質の芸術作品には普遍性が存在する」なる命題を、
「普遍性が存在する作品は良質である」と誤読した上で、
「普遍性」を「商品としての流通性」へと読みかえることにより成立している。"(=第二パラグラフの内容)やで.
>「逆は真ではない」なる記述は、
>2003/07/07(月)23:20:04第二パラグラフの内容を受けたものである。
の記述にあるように.
あるいは,"第二パラグラフの「・・・」の部分を受けたものである,"って書いたほうがよかったんちゃう?

じゃあ,あんたの言い方のようにSMAPの歌を評論してみよう.
「SMAPの歌という芸術は、音楽要素・舞踏要素・文学要素等に分解されるが、
SMAPの歌における音楽は、他の要素の影響下にあるという点で、音楽作品ではない。
それは、総体としてのSMAPの歌が我々に与えるイマージュを不断に反映しているのである。」
どこがおかしいですか?あんたのオペラの評論を認めるならこれも認めざるを得ないんでは?w

逆にオペラを批評してみよう.
「同時に、テクスト・演技・ストーリー性を持つオペラ音楽も複合型芸術であって、純粋な音楽ではない。
先に定義したように、音楽は、音の配列・構造と情動の関係性の「科学」であり、
音楽は最小限度のモティーフの提示と音の構築のみによって
我々に対し豊穣なるイマージュを提供し続けてきたのである。
しかしながら、オペラ音楽は、テクスト・演技・ストーリー性の持つ明示的な意味を借りることによって、
音の配列・構造と情動の関係性に関わる思考の大部分を省略するのである。」
www

>音楽は、音の配列・構造と情動の関係性の「科学」である。
(2003/07/07(月) 17:38:46)
声も音やで.w^10

>作品と「感動」の関係性について一切思考することなく、
何もなけりゃ"感動"はせえへんやろ.その人が感動したとき,"これのおかげで感動したんや"と思った対象が,その感動の対象やろ?
(Rem. ここでは"感動"という言葉は未定義で使ってる.その人が"感動"やと思うことがその人にとって"感動"やね.まぁ,気持ち悪いのを見るのを感動やと思う人がいたならば,それは感動なんで."暇やなぁ"って思うことが感動である,と考えてもええし(ここでの感動の対象は"何の刺激もないこと").)

>稚拙な知能においては、メロドラマさえも「感動」の対象たり得るように、
メロドラマも感動さえすりゃあ芸術ちゃう?自分はそうゆう風に思ってるんで.

>彼の定義によっては娯楽と芸術を峻別することが不可能であると言える。
いや,芸術は娯楽の一部やろ.好きでなけりゃ芸術作品誰がつくんのよ?

そういや,今気づいたけど,「科学」って何?実際のところ,哲学界では,「科学的とは何ぞや?」というのがまだ未解決です.科学史でやったけど,ウィーン学団に始まり意味基準などいろいろ考えてみたものの,未だ未解決.あんまり,「科学的」という権威的な言葉に頼らんほうがええと思うけど.

26. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/08(火) 17:33:25
我々知識人は2003/07/08(火)15:53:48の愚説にただただ呆れるばかりであり、
再度の言論停止勧告を発さざるを得ないのである。


2003/07/08(火)15:53:48は、
芸術―西洋芸術に限られないあらゆる芸術―が蓄積してきた、
表現と情動の相関性の体系としての芸術理論=科学性の存在を認識すべきである。

また、我々ミネルバ学派の見解では、芸術の芸術としての価値は、
その「科学性」の内容によって定義されると同時に、
そのモティーフによっても判定されねばならない。

2003/07/08(火)15:53:48は、オペラ作品の生成ダイナミズムと、
SMAPの「商品としての」生成ダイナミズムの間の差異を忘却した上で、
我々ミネルバ学派のオペラ論の極めて稚拙な誤用を犯している。
(娯楽商品生成ダイナミズムにおける動機は営業主義であるが、
芸術作品生成において営業は副次的なものであり、
表現動機の筆頭を構成するものではない。)

最後に、「声」が音であることは事実である。
しかしながら、2003/07/08(火)15:53:48は、
「声」がテクストを唄い上げることによって意味を生成したとき、
「歌」の与える情動が純粋に音が与えるものではなくなることを認識していないようである。
即ち、2003/07/08(火)15:53:48は「声」と「歌」の差異を理解していないのである。

27. あの 2003/07/08(火) 18:09:04
愚民を承知でお聞きします。
ミネルバ氏における「科学性」および「科学」の定義とは何ですか?
それが教えていただければ、あなたの芸術論
の本質が見えてくるような気がします。

28. >ミネルバ・ザビ 2003/07/08(火) 17:33:25 2003/07/08(火) 19:04:16
ここは議論板だから
>言論停止勧告を発さざるを得ない
で指摘を制止するのはやめなさい
それともその応答は反論できないことのシグナルなのか?

自己の芸術論を示してその論に基づいて対象のどこがどう通俗的なのかを弁明する必要があるね

29. >ミネルバ 2003/07/08(火) 20:38:53
まず,
>「声」がテクストを唄い上げることによって意味を生成したとき、
>「歌」の与える情動が純粋に音が与えるものではなくなることを認識していないようである。
>即ち、2003/07/08(火)15:53:48は「声」と「歌」の差異を理解していないのである。
じゃあ,楽器で奏でられる音は意味を生成しないと?
意味な〜いじゃ〜ん!w

>(娯楽商品生成ダイナミズムにおける動機は営業主義であるが、
>芸術作品生成において営業は副次的なものであり、
>表現動機の筆頭を構成するものではない。)
クラシック音楽の作者たちのほとんどは,パトロンからの仕事によって音楽を作り出していた.これって営業やろ.いわゆる,"作曲家"という職業.まぁ,クラシック音楽に限らんけど.
それと,営業目的を副次的なものとした作曲家(つまり,あんたの言う本当の芸術家で,曲を作ってる人)の例は?挙げられる?

*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
あと,ホンマにあんた,自分の質問に答えてへんね.もっぺん聞きます.科学の定義は?これのあんたの解釈を得やん限り,あんたの芸術,音楽の定義が全くわからんし,自分のオペラ論に関するあんたの批判にも全くコメントでけへんわ.

ホンマあんた"科学"ちゅう言葉よう使こてるね.「自分の意見は,"科学"という絶対的な権威の元に成り立ってるのだ〜」とあんたが思ってる,としか自分は思えないね.

あんたがこの独特の読みにくい文体を,自分の理論の変なところを隠すために書いてるように,だんだん見えて来てるんやけど・・・

cf. 科学について.
物理学,化学,生物学,地球科学,・・・これらの学問は,確かにこの自然界の現象をうまく説明している.
でも,我々は未だこれらの学問の法則に対する反例を知らないだけで,反例がないとはまだ証明されていない.
特に物理学は未だ全世界をもれなくうまく説明する方法を得ていない.
また,これらの学問の多くには数学が使われているが,自然数の四則演算さえも,無矛盾であることが証明できないことがわかっている.
(いや,正確に言うと,"自然数の四則演算に矛盾がないとすれば"の仮定がいるが.)
さて,"科学"とは何ぞや?宗教とあまり違わない気がするけど.

ちなみに自分は理学部です.

30. 2003/07/08(火) 21:35:49
やはり理学部の人でしたか.レスの句読点から推察できますね(私もか?).
ところで(スレの流れと関係ないのですが…)
>自然数の四則演算さえも,無矛盾であることが証明できないことが
>わかっている.
これはゲーデルの不完全性定理のことをいっているのでしょうか?
最近「高橋昌一郎著(1999)ゲーデルの哲学.講談社現代新書」を読んでいて
気になったものですから…

31. >ミネルバ 2003/07/08(火) 21:43:06
>↑
はい,そうです.
実際に不完全性定理の証明や,その他詳細事項などは知らんので,なんか勘違いがあるかもしらへんけど・・・
何か間違ってるような点を見つけて,ご指摘いただけたら幸いです.

32. 2003/07/08(火) 21:56:05
不完全性定理の証明は
R. Smullyan (1996)ゲーデルの不完全性定理.丸善.
をお薦めします.ユニークな証明方法ですけども.
また,上であげた書籍も参考文献が必要十分だと思います.
以上.

33. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/08(火) 21:56:12
愚昧極まりない反論に、我々知識人は失笑を禁じ得ない。
2003/07/08(火)20:38:53に文脈を読解する意思が無い限り、
2003/07/08(火) 20:38:53の発言は攪乱の意味しか持ち得ないのである。


先ず第一に、音楽的意味の生成とテクスト性を峻別せよ。
音に付加された「詩」がテクストとして明示的な意味を持つとき、
我々の内に起こる情動は、テクストと音楽的意味の合成として現れるのである。

クラシカル音楽の作曲家とパトロンの関係性は我々知識人も承知する所であるが、
音楽享受者の性質という点において―また資本主義の成立という観点からも―、
大衆と少数精鋭のパトロンの間には決定的な差異があることを認識せねばならない。
2003/07/08(火)20:38:53は大衆消費社会とそれ以前の社会における
「営業」の意味を同次元で語る過ちを犯していることが指摘される。

また、こうしたパトロン図式に反する作曲家としては、
―クラシカルと現代音楽の境界ではあるが―エリック・サティを挙げることができる。

34. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/08(火) 22:03:03
また我々知識人は、その哲学的意味はどうであれ、
他種の科学が自動車を走行させない限りにおいて、
所謂「近代科学」の科学観を採用する。

35. >ミネルバ 2003/07/08(火) 22:45:51
未定義述語多すぎ.
"音楽的意味"ってなに?自分の中には定義のループが起こってます.
「音楽の定義」←「音がテクスト性のない音楽的意味を生成する」←「音楽的意味の定義」←「音楽の定義」←・・・
("B←A"は"Bを定義するにはAが必要"という意味)

何べんも言うけど,"科学"ってなに?現代でも人によって"科学観"は違います.自分の知りたいんは,あんたの解釈っすよ.
「どこかの参考文献を参照」とかはなしで,ちゃんと説明してほしいもんやね.
ホンマにどこかの権威に頼ってて,それだけ大集成しただけの,中身空っぽ人間(あるいは,図書館人間)に思えてきてるんやけどね.w

それと,
>2003/07/08(火)20:38:53は大衆消費社会とそれ以前の社会における
>「営業」の意味を同次元で語る過ちを犯していることが指摘される。
ここまで言うんやったら,"営業"ってなに?
ここらへんのことが全く,クリアでないね,少なくとも自分の中では.どうも"営業"に対する見解が違うようで.
ちなみに自分の考えていた"営業"は「金の取引」ぐらいです.
あと,大衆消費社会と,それ以前の間における"営業"の意味の違いは何?あんたの"営業"に対する見解で答えてください.

>また、我々ミネルバ学派の見解では、芸術の芸術としての価値は、
>その「科学性」の内容によって定義されると同時に、
>そのモティーフによっても判定されねばならない。
はっきり言って,何も言ってへんのとおんなじ.
"その科学性の内容によって定義される"→どのように?と聞きたくなるね.具体性が全くない.このままやったら机上の空論となり得るね.

はぁ(タメイキ),ミネルバから物事聞き出すのは大変や.何か聞いたら未定義述語が出てくる・・・全くコミュニケーションがとれてへんね・・・
ほんで,何ぞ書いたら「我々知識人は・・・愚民の・・・」から始まるレス.
・・・決まり文句やね.w

36. 2003/07/08(火) 22:49:35
逃げ口上やねw

37. 正直 2003/07/08(火) 23:09:13
ゲーデルの不完全性定理を持ち出すのはどうかと思うが。

38. もはや不毛 2003/07/08(火) 23:12:48
ミネルバ・ザビには「自分」の意見が見当たらない。
説明して相手を納得させようという態度がない。
いってる内容にまるで中身がない。
例えばビートたけしとか島田伸介や
松本仁志のエッセイって
言葉は平易で乱暴なんだけどものすごく説得力がある。
なぜなら話が実体験に基づいていて、
すごく具体的だから。
彼らはその具体例から抽象化、一般化して物事を的確に
述べている。はっきりいって愚民だとか知識人だとか
そんなカテゴライズはいらんのだよ。
重要なのはどれだけ人を納得させられるかだ。

39. >ミネルバ 2003/07/08(火) 23:16:33
>↑↑
自分の科学への見解を示したかっただけ.
自分としては科学は一宗教に過ぎないと考えてるんで.
「科学的に・・・しろ」とか言う奴は
科学を絶対的な神やと信じてる人やと自分は考えてる.
特に現代物理では,主張がコロコロ変わっていく状態にあるのに.

40. ↑↑ 2003/07/08(火) 23:51:00
SMAPファンが怒ってる

41. 真実を告げるもの 2003/07/09(水) 03:33:30
>芸術とは、表現対象・表現方法と情動の間の関係性の「科学」である。
>言うまでも無く、芸術としての価値はその科学性の内容によって定義される。

 芸術を定義成し得ても芸術を特定できないことは人間主観の概念から明らかだが、その曖昧さを表現対象・表現方法と情動の間の関係性に孕めたまま科学によって定義したとは、定義では無く単に関連性を述べただけで解決に至っていない。表現対象・表現方法を一意に定めたとしても情動は多岐に亘る故に特定できないことから、統計的な処理に意味はあるものの、一般化は個人にとって無意味である。そしてその情動でさえ、一個人に限定しても環境や時期に左右されて一義的な観点で捉えることができないことは、ピカソなど巨匠と称される芸術家の作風の変遷を見ても理解できる。多様な因子が関わる以上、決定要因を全て把握することはできるはずもなく、科学が存在したとしてもそれを特定することは不可能である。不確定性の大きい両者を関連付けるとする「科学」を取り上げることは問題の過程を1つ増やしただけであり、解析性も再現性も望めない不毛な議論と見なせる。芸術が在るものと知るものがあるからこそ存在するということは、定義以前に芸術が存在する為、芸術を論ずるに当たっては問題視する必要はない。

42. 真実を告げるもの 2003/07/09(水) 03:34:53
 芸術を範疇で限定する、差別することこそ芸術の死を招くのであり、この先入観が大衆から傾向として定着されることに問題がある。分野の本質を述べることは伝達手段としては有益だが、芸術の本質を述べる際に邪魔になる。芸術が分野によらないことは、その分野における質の分布やそれへの疎さで芸術と分野の関連性が偏見として生まれ、それを大衆の観点を盾に高尚さを論ずることから破壊されていく。対象から情報を通して芸術に関する感情を誘う際に、媒体は芸術評価の対象としては価値があるものの、過程に関して強弱でしか左右しない。対象に込められた人為的、自然発生的な芸術への共感が伝わって及ぼす影響は、分野や媒体に関わることを意識する必要も無く、それが関わるべきものはそれら全てを含めた芸術品としての対象であり、それが存在するか否かは芸術として捉えられた以上意味を喪失する。これ故に、自然現象や、一瞬の情景に偶然芸術を見ることがあっても、感性からして芸術と捉えられたのであって、古来日本で嗜まれてきた自然を愛でる慣習と源を同じくする。芸術が個々には拠るが範疇で拠らないとしても、批評でレッテルが貼られる限り良くも悪くも芸術への印象は批評に影響されることは避けられず、芸術否定を以って最も危惧するべく芸術の死が訪れてしまう。批評へ対抗できる芸術心というものが独自に無ければこれは免れることはできないが、価値観に拠る批評を批評を以ってして対抗することもまた不毛である。芸術崇拝者が芸術を普遍なものと根拠無く捉える限り、絶対的な芸術に対する執着は他人の芸術への批判に留まらず、自身においてさえジャコメッティのような果て無き探求に陥るだろう。よって、対象の背後に通じる芸術を、個々が如何に芸術として捉えてくるかという観念から多角的な評価を与えない場合は、独断として批評と同じく芸術を死に追いやる。 

43. 真実を告げるもの 2003/07/09(水) 03:39:18
 一度見た芸術が芸術で無くなることも、二度目にして芸術になることもある。芸術の観念を生む人間が芸術を摘出し、その総じた解釈から対象の芸術を評価することが、芸術を人間が感じるという点からすると最善の評価法である。それを大衆の傾向や一つの批評で対象に関せず歪められることは芸術への冒涜となるが、この板での排他的な行為や確定的発言もその一つの例と言えよう。

追記
批判は芸術には必要である。ここのスレタイはなかなかよい。

44. 見学 2003/07/09(水) 04:05:34
あまり厳しい突っ込みはやめてね。

45. 元祖 揚げ足鳥 2003/07/09(水) 04:54:07
>真実を告げるもの
>芸術を定義成し得ても芸術を特定できないことは人間主観の概念から明らかだが
いきなり文章が変です。

46. 「真実を告げるもの」さんへ 2003/07/09(水) 07:24:45
あなたのレスに大域的に合意する立場から、
いくつかの興味深い点について問うことをお許し下さい。

>芸術が在るものと知るものがあるからこそ存在するということは、
>定義以前に芸術が存在する
「芸術がある」という個々人の認知自体、単なる概念にすぎないのだとすると、
では一体いつ人は「芸術という感性の獲得」を自覚するのでしょう。
そのときに自己内面的(心的)に「これを芸術性とみなすか否か」の閾値が存在して
認知確定の判断がなされると仮定して、各人異なる定義(閾値)を保持する状況から、
何如にしてその定義の集積かつ抽象化としての芸術「論」が現に存在しているのでしょうか?

>対象から情報を通して芸術に関する感情を誘う際に、
>媒体は芸術評価の対象としては価値があるものの、
>過程に関して強弱でしか左右しない。
ということは、芸術認知を誘発する対象からの情報は、
然るべき媒体を選択して伝達しなければ、それが芸術性の発現の障害にもなりかねない、と主張しても差し仕えないのでしょうか?

>芸術の観念を生む人間が芸術を摘出し、
>その総じた解釈から対象の芸術を評価することが、
>芸術を人間が感じるという点からすると最善の評価法である。
芸術創発者自らの作品の評価と、他の芸術創発者からのみの批評とで構成する評価が最善ならば、これは例えば、「英雄は英雄を知る」のが英雄を語るに経験則(実体験)、信憑性(説得力)の点において相応しい(逆に、非英雄の言から英雄論と汲み取れる可能性は皆無)、という道理と酷似するように見えます。
芸術創発(芸術発信)をしていない私のような者が芸術を語るには不十分、芸術感受性があると思い込むだけでは、芸術作品制作の当事者の意図を的確に表現できない、ということでしょうか?

47. 真実を告げるもの 2003/07/09(水) 10:30:48
とりあえず、私はザビ氏のように高等な文体は愚か、的確な表現さえできないことを断っておきます。
>見学
議論板ですから。でも挑発的な文体が見られることにはちと反省します。
>芸術を定義成し得ても芸術を特定できないことは人間主観の概念から明らかだが
芸術が芸術という観念を与えた人間から捉えられる場合、その人間が一通りでないために、定義で明確な関係を与えたとしても人間個々の不確定さが残り、芸術に線を引くことはできない、その曖昧を話題にしているのですが、科学に関連性を委ね、科学の採用で一意的な定義をする意図ならば、その科学について述べない限り定義にはなっていないということです。そして芸術に特徴でなく定義を与えることが妥当かが吟味されていない気がします。

>いつ人は「芸術という感性の獲得」を自覚するのでしょう。
ここからは芸術の存在でなく認識の仕方を問題とします。人が対象を鑑賞する際に抱く情動は、それが芸術性の観点から意識的に捉えない限り自覚はできない、即ち芸術として評価する姿勢を対象に持つことがあれば、情動を芸術判断の一因として変換できるのではないでしょうか。芸術を認識しない動物や子供が対象から影響を受けた時、それが芸術への反応であっても芸術の観念で捉えることができなければ単なるインパクトに終わり、受けた情動を芸術の篩にかけようとすることが芸術の感性だと言えないでしょうか。

>何如にしてその定義の集積かつ抽象化としての芸術「論」が現に存在しているのでしょうか?
各人個体や環境が違うとは言え同じ種であり、似た傾向、多数を占める感情があるからこそ、芸術に対しても論として形作られるほどの存在が許されるのであって、逆に人を選ばない芸術ほど遍く蔓延るものだと思います。

>然るべき媒体を選択して伝達しなければ、それが芸術性の発現の障害にもなりかねない
含まれる芸術が同じ媒体を考えて、知覚への影響を含め芸術とすると、芸術性の発現は媒体の選択と媒体に合わせた表現の選択によって障害にもなりうるけれども、その全てを創作の過程と考え、表現方法も含めて芸術とすれば、先入観などの他者的な要因で乱されない限りは障害と言えないのではないでしょうか。含意される芸術の本質が芸術の強弱を決める媒体で普遍にしても、表現を含んで芸術対象を評価すれば、勿論媒体によって芸術性の発現へ強弱が出る、けれども媒体選択という表現法も伝達の強弱と見て芸術性と見なしたいのです。

>英雄は英雄を知る
芸術の観念を生み出す(了解する)のは人という集合である以上、人が芸術性を見出さなければならず、それは集合の要素である各個人からの解釈を総じ踏まえた上で評価することが、人という種が捉えうる芸術への適切な評価という意味で言ったのであって、言葉の多義性や修飾の曖昧さから来る誤解だと思います。しかしその要素全てに同じ寄与で評価を考慮するのも妥当ではなく、サルと人での芸術感受の違いが人と人でも見られるのであって、ここから自負する者の独断的な批評が顕れるのでしょうが、総論ではなく自己の芸術感受が芸術鑑賞の主観性にとっては一番の問題となることを、芸術を一般化することに埋もれさせてはいけません。

48. 実務家 2003/07/09(水) 11:11:04
一通り拝見したが、
良くも悪くも「学者的」ですな。
経験に基づい知恵がまったく見受けられない。

大そうな理論をもって何かの作品を創作してくれよ。

49. ↑↑ 2003/07/09(水) 14:30:38
大人気ない人だ

50. それと、 2003/07/09(水) 16:44:07
エヴァやらなんやらが芸術だとか言ってる人たちって、けっきょくのところ自分の趣味を芸術=高尚なものだ、と認めてもらいたくて仕方ないのね。趣味でええやん、趣味で。何が不満なの?

51. 要するに、 2003/07/09(水) 16:53:07
マクドナルドのハンバーガーが世界最高の食品だってこと。

52. はなくま 2003/07/09(水) 17:16:33
そもそも、芸術とはなにかと規定を定めようとするだけで、それだけで、人間が自然界を破壊し、冒涜すると言う神話に等しい愚行である。
洗脳論ぶら下げてないで、己の信念だけを貫いたら?>ザビはん

53. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/09(水) 17:47:10
極めて愚劣であると言わざるを得ない。


芸術における技法の歴史的蓄積を参照せよ。
例えば色彩やハーモニーが受容者の情動の大局を規定するように、
芸術とは、愚民が想像する以上に体系的でシステマティックなものなのである。
(我々は書店において多くの芸術理論書と出会うことができるであろう。)
我々知識人が芸術をして「科学」と呼ぶ所以はまさしくここにあるのである。

そして、通俗的な「芸術批評家」が、時に表現者による侮蔑の対象となるのは、
斯くの如き体系的芸術理論に対する「批評家」の無知が、
芸術作品の恣意的な解釈(あるいは印象批評)による誤読・曲解を齎すからである。

54. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/09(水) 17:54:22
愚劣なる「はなくま」に対して、我々知識人は"Art"の語義を参照することを命ずる。

55. やれやれ 2003/07/09(水) 22:21:16
 芸術と呼ばれるものが歴史を通じて共通の特徴を持っており、その蓄積が現在でも生きている、というところには同意します。

ミネルバ氏の主張の問題点は、この歴史的蓄積が客観性を有するものと根拠なしに断定している点です。作品を芸術的なものに見せるための技術は、歴史的にも同時代的にも多くの人の支持を得ているという点から、いかにも客観的な理論体系であるように見えますが、その実、無数の主観の集積に過ぎないというのが私の意見です。これを科学と呼ぶのであれば、それが人体にこう作用しこのような情動をもたらす、という生理学的な分析結果を示さねば意味がありません。

 どんな古典作品でも、それが古典でない時代を必ず経ており、その時代にはその作品はそれまでの理論を打ち破る前衛的な作品であったはずです。それが古典として現在に残っているのは、やはり多くの主観による支持を受けたからに過ぎないと考えます。

 蛇足になりますが、自動車を走らせているのは科学(サイエンス)ではなく、テクノロジとそれを利用する人間です。サイエンスとテクノロジは不可分のものであると感じることはありますが、決してイコールではありません。

56. (=゜∀゜)ノ 2003/07/09(水) 22:26:35
表現したいことがあり、
それを作品として形に表せば、それは全て芸術だ。
高尚だの、芸術かどうかなどのレッテル貼りなど愚かなことだ。

57. あとがきはあとあがき 2003/07/10(木) 07:18:53
とばし読みされても結構です。
[2003/07/09(水) 07:24:45] ---> [2003/07/09(水) 10:30:48]


― 論の現存 ―
>各人個体や環境が違うとは言え同じ種であり、似た傾向、多数を占める感情がある
生物種ごとに脳(あるいは細胞応答)に一様に備わる何らかの認識パターンがあって、
それらの認識の上位層に個人差としての芸術感性が構築されているのかもしれませ
ん。今、「芸術が定義できない、する必要がない」とは、感性の個人差レベルを考慮した結果、導かれ、一方、「芸術論という抽象化が現に存在する」は、個人差レベルの基底となす認識パターンの一致に直結する、と私は考えました。

― 表現内容(芸術性)と表現方法(媒体)の一括評価か分離評価か ―
>表現方法も含めて芸術とすれば、先入観などの他者的な要因で乱されない限り
and/or
>媒体選択という表現法も伝達の強弱と見て芸術性と見なしたい
まず「芸術性」という概念自体は普遍です。例えば「愛」という芸術性を伝達するには、ラブソングでも恋愛映画でも「愛」をテーマにした絵画でも、媒体に依存せずにそのメッセージは亨受者に届くと思います。しかし、芸術性を配給する側の表現技法の拙宅を加味すると、媒体依存性伝達ロス(と、それから発生する先入観)の可能性が認められ、そのことが芸術そのものの受け止められ方に関係するのでは、と感じた次第です。もっとも、「プロの」表現技法は伝達ロスが極力小さいからこそ「プロ」なんでしょうけれど。。。

― 最後に ―
>言葉の多義性や修飾の曖昧さから来る誤解
「芸術の観念を生む人間」のところを、
「生む」人と「生まない」人との場合分けと解釈した私の薄読でした。

58. はなくま 2003/07/10(木) 07:46:05
とりあえず、ザビ氏の意見からは、自己の抽象概念からの脱却がなされず、非常に曖昧な言葉の羅列で説得力がない。科学云々、テクスト云々と述べようが、結局それは、エヴァが芸術だのなんだのとほざいていた奴の理屈と同じで、自己の中での価値観という通過点をクリアして高尚させているにすぎず、芸術の普遍的定義、規定外の持論である。単なる個人の趣味の領域である。

59. >ミネルバ 2003/07/10(木) 12:24:28
一日見てへんかったら増えてるな.

ミネルバの芸術の定義からすると,芸術には人の感情(情動?)が入ってくる.ミネルバは芸術には普遍的なものがあると主張するが,個人個人によって精神構造は異なるので,それによって個人によって芸術作品が何であるのか,またそれに芸術性があるかどうか違ってくる.たとえ,ミネルバがあるものを芸術でないと感じても,それを芸術と感じる人がいるかもしれない.つまり,芸術に対する見方が人によってい様々である,ということ.

ミネルバは単に,自分の個人的な感覚でSMAPの曲などの,大衆的芸術をつまらないものとして考えているだけで,何の根拠もないように思われる.大衆的な芸術は大衆を感動させる,あるいは何らかの精神情動を起こす.ミネルバは大衆的芸術が精神をルーティンワーク(ミネルバの言葉によると"脊髄反射原理")化するといっているが,これは事実か?何の根拠もないし,大衆も何回も同じことをしてりゃ飽きる.また,大衆が芸術を求めていることも真である.全く大衆のニーズにあっている.

ミネルバは単に自分の気に入らないものにイチャモンをつけてるようにしか思えないね.オペラやっても,イチャモンつけたら,「単に歌って踊っている自己満足である,ストーリーと台詞,音楽とを適当に組み合わせているだけだ.曲だけ何かしら変えたらまた新しいものが量産できるので詰まらん.」とかなるんとちゃう?また,ミネルバはほとんど自分の芸術に関する具体的な意見を言っていない.漢字ばかりの重みのあるような文章で空っぽの内容を記述しているだけに過ぎないし,何かの概念を勝手に人類普遍のように感じて,ろくな説明もなしに使用している.はっきり言って何も伝わっていない.人に物事を伝える練習をすることをお勧めします.

60. 閉幕です(か?) 2003/07/10(木) 14:14:35
私の文は偽である!

61. 2003/07/10(木) 14:18:34
おもろい。自己矛盾の文ね。

62. 凄いな。 2003/07/10(木) 21:24:56
ミネルバがここまで支離滅裂な叩かれ方してるの初めてみた。
というか、ミネルバさんよ、もっと分かりやすく噛み砕いた表現でないと
お馬鹿さんには伝わらんぜ?
話題が話題だけに、ね。

63. 叩かれているのは 2003/07/10(木) 23:00:48
ミネルバでなくミネルバの芸術論だけどね。
外見の装飾で愚民(?)を惑わせることができていないどころか、中身がどのように無いかまで指摘されて。
でも反論になってないからね、それくらい知識人でなくてもわかるし。

64. ふむふむ 2003/07/10(木) 23:33:16
(=゜∀゜)ノさんの意見に同意しますよ。
あまり芸術という言葉は使いたくないけど
その芸術っていうのは
自分の中から沸いて出る自己表現活動ですよ。
文字、音、絵いろんな媒体でメッセージを発することが
できてそれが自分以外のひとに感動を与えることができる。
発信するひとと受け取る人が何かの体験をそこで
共有することによってひとそれぞれの感じ方の違いが
あらわれてくる。
つまり自分と相手の共通点や差異がわかる。
そして自分とはなんだろうか、人間ってどういう存在か
について考えることができると思います。
同じ表現活動の共有する場においては
例えばSMAPとピカソを比べて高低、優劣なんかを
決めようとしたところで無意味です。


ザビさんのおっしゃっていることは極端すぎます。
例えば神経生理学的観点において
たしかに普遍的に誰もが素晴らしいとか美しいとか
感じるような音の構成や配色は存在します。

しかし
音楽の話で言えば"ノイズ”というものを好んで聞く人が
いたりします。オルタナティブでいえばソニックユース、
現代音楽でいえばジョンケイジなど、実験的、前衛的な
伝統にとらわれない音楽を生み出そうとしている人たちが
います。
いろんな価値観のもとで表現活動している人たちがいる
ということをザビ氏にまず知って欲しいです。
そうでないとこのままでは視野の狭いままで
一生を終えることになります。

65. あのさぁ… 2003/07/10(木) 23:52:56
どこをどう読んだらザビが芸術に対して狭量な価値観を持ってることになるんだ?
俺の読み方が間違ってるかもしれんから本人に書き込んでもらうほかないが
ふむふむ 2003/07/10(木) 23:33:16
みたいなのが増殖し続けるんじゃぁ傍観してて興ざめもするよ。

66. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/11(金) 02:54:53
言うまでも無く、芸術は、芸術体系から逸脱して成立した作品を
再びその体系へと調和せしむることによってその意味拡張を果たしてきた。
(逸脱は、逸脱の対象となる母体との関係によってその意味が規定されるのである。
それがなされない「逸脱」とは「恣意」であって、逸脱ではない。)
即ち、前衛作品は、その表現―情動の関係性の普遍成分が抽出され、
芸術体系の一部となって古典化されるのである。


一部の蒙昧極まりない現代音楽は、我々ミネルバ学派が先に批判したように、
音楽がなすべき最小限度のモティーフ明示を濫用し、テクスト性へと転ずることによって、
―つまりテクストの力を多大に借り受けることによって―成立している。
斯くの如き「音楽」は複合型芸術であって、音楽ではない。

67. 2003/07/11(金) 06:26:45
>テクストの力を多大に借り受ける
ってことは、音楽のテクスト性(歌詞から発する「何か」か?)が、複合芸術であ
る(べきか?)音楽の、テクスト性を除く他の要素と比較して「多大である(こ
れは君の判断)」ことが気にいらないってことか?
要するに、君は "世界に一つだけの花" の歌詞がウザイ、演奏なしで歌詞読み
上げるだけでも成立するんじゃないか、それは音楽とはいわない、ましてやそ
こから芸術を感じるなんてナンセンス、そんな奴は本当の芸術を知らないだけだ、
ということか?あるいは、「複合型芸術」として歌詞も演奏も振り付けも、そ
のどれもが同質で特徴のないものが良い、と言いたいのか?

でもそれだと音楽(や他の芸術)に対して寛容でない気がする。
私は聖書を読む人ではないが、賛美歌は「テクスト性」がかなり多大だと感じ
るけれども、こうゆうのもダメなのか?
なんか「生証人」のような考え方ですね。
どうやら君がつけたスレタイの「芸術論」に一般化させる気はないようだし。

私の一存で申しわけないが、

君は「"世界に一つだけの花"なるスレッド」でレスしたが構ってくれなかったの
で、わざわざスレたてるまでもないスレをした(現にこれまでに空主張を指摘
されてきた)、

という駄々っ子のように見えるのだが、これは私だけか?

68. >ミネルバ 2003/07/11(金) 15:11:43
あんたが音楽と複合芸術をどのように分けようがどうでもええが,SMAPのこの曲(この曲に限らず一般に"歌")は,「作詞」→「作曲」の過程を経て作られている.もともとはこの歌詞(テクスト)から作られている.音楽や,その踊りなどは後から付け加えられたもの(やと思う)で,メインはテクストである.

あんたは,「"音楽"というものは最小限度の表現手段で構成されるべきだ」と考えてるみたいやけど,「この曲は"複合芸術"で,価値は音楽としてだけではないし,歌詞,踊り,ステージのライトアップ効果など全体として芸術性がある」と考えたことはないのか?そもそも一般の"歌"を純粋な"音楽"として芸術性を評価しようとしている点が間違っている.

ミネルバはこのスレッドに限らずいろんなところで意見を言っているが,その論理,実行計画などは空っぽのまま"何々をすべきである"と主張し,かつその主張の実行可能性などについてはなんら考えていないように思われる.

69. 2003/07/11(金) 15:13:24
ちょっと修正
"一般に歌"→"現在作られている歌は一般"
に訂正してください.

70. おやおや 2003/07/11(金) 17:37:30
ここまで斜め読みしただけど、
ミネルバ某は要するに音楽は自律的な存在であると。
それって単純にハンスリックの形式主義だろ。
19世紀音楽美学で音楽語るなよw
100年遅れてるぞ。
今どき「芸術」なんて臆面もなくよく口に出せるなー。
アドルノ気取りの大衆音楽批判も
50年遅れてるぞ。

71. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/11(金) 18:48:32
我々知識人は複合型芸術それ自体は否定しない。

72. 通りすがりのセーレムだけど 2003/07/11(金) 18:50:37
ザビ様の音楽観はとても新しいにゃ。だって…

73. ↑↑ 2003/07/11(金) 19:48:14
じゃあなんで,
>此処kyoto-u.comに"世界に一つだけの花"なるスレッドが存在する。
>このスレッドにおいて愚民はSMAPなる低俗慰安商品についての批評を展開するが、
>これは全く蒙昧な言説であると言わざるを得ない。
とか,
>"世界に一つだけの花"なるスレッドに対する批判を展開しよう。
なんぞ書いたんや?

74. 何?ここ 2003/07/11(金) 19:57:58
ザビ必死だな
>我々知識人は複合型芸術それ自体は否定しない。
ついに一文…
窒息寸前w
ずっと前の
>我々ミネルバ学派は2003/07/08(火)00:21:34に対し、言論停止勧告を発表する。
がもしかして自分に hit したの?ww
傑作だな

75. 2003/07/11(金) 20:24:22
DQN

76. ザビ最高 2003/07/12(土) 06:24:21
ザビ最高

77. age 2003/07/13(日) 02:14:28
age

78. God is ZABI 2003/07/13(日) 11:50:28
God is ZABI

79. おやおや 2003/07/13(日) 17:12:05
ハンスリックか…。懐かしいな。
「音楽とは鳴り響きつつ動く形式である」だっけ。
となると交響曲や弦楽四重奏が最高の音楽な訳だ。
例えばブラームスとかね。
ミネルバ氏はブラームスはお好き?
アドルノはシェーンベルク礼賛だよな。
いずれにしろクラシックなんてクズ。
音楽といやあやっぱり河内音頭に浪曲だろ。

80. 2003/07/13(日) 18:53:32
>音楽といやあやっぱり河内音頭に浪曲だろ。
そこに六甲おろしは入るの?(w

81. ┏┗┓芸┏┃術┓┏論┏┃┛ 2003/07/13(日) 18:55:42
┏┗┓芸┏┃術┓┏論┏┃┛
之、ザビが考えたの?

だったらすごいセンスしてるね!

82. げいじゅつ 2003/07/14(月) 00:43:27
┏┗
┓芸┏
┃術┓
┏論
┏┃┛

┏┗┓
芸┏┃
術┓┏
論┏┃


┏┗┓芸
┏┃術┓
┏論┏┃


どれがすき?

83. はなくま 2003/07/15(火) 08:43:06
ミネルバ・ザビの自滅ドラマ開幕だな(藁)
最初に愚民で攻撃→論理の破綻を突っつかれて矛盾した答えを出す→また文をカムフラージュして相手を論破した気になる。これって、IGNIZとやらの論戦でも見受けられる
んですけど(藁藁藁)

84. K井K一 2003/07/15(火) 13:02:37
私にはザビは複合型芸術それ自体は認めると言ってるのであって、SMAPが複合型芸術だとは言ってないように思えるのだがな。それに詞先の歌謡曲なんて最近、殆んどないのではなかったか?


はなくまはザビが好きだな。しかし、(藁)は傍から見ていて痛々しいな。今のところ、ここではザビの論理に矛盾は見られんしな。

ザビの魅力は文体にあるのだ。

85. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/15(火) 15:15:29
はなくまの如き鼻息荒いクマ科愚民の、激情的自滅のドラマもまた、
芸術ではなく娯楽玩具に過ぎないのである。

86. 2003/07/15(火) 18:11:21
ザビ生きてたのか…(w
だがもはや芸術を語れまい。
ザビ論ここに形骸あれ――
―――完―――

87. ↑↑ 2003/07/15(火) 19:57:37
HNで悪口を言うとは、
小学生の悪口程度のレベルだな(w
―――再完―――

88. はなくま 2003/07/17(木) 05:53:38
我々知識人は、ミネルバ矛盾論なる定説を、ミネルバなる
リアル言論オナニー厨房に付加しざるを得ない。
なぜならば、視野が非常に偏見であり、そして、論理性のうんちくをたれておきながら、ロジックの顕在しうるテーマにこそ芸術性を見出せると断言しておいて、自分も音楽なる感性の恩恵たる対象物に芸術なる高尚さを付加しているのは、IGNIZとやらが、マンガやアニメは芸術だと断言しているそれそのままの極めて愚劣な知性の敗北であり、論理性の相対的な破綻である。

89. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/23(水) 18:48:03
「付加しざる」「視野が偏見」…笑止極まりない。
斯くの如き誤用は、知識人を騙るはなくまの稚拙な言語運用能力の端的なる事例、
即ち、テクスト誤読の可能性を大いに示唆するものにほかならない。
鼻息を荒げるだけの野生動物は知的議論から退き、
啓蒙の恩恵を享受するだけでよいのである。


音楽の科学性は、和声・調性(が齎す情動)の理論体系において保証されるのであり、
(「感性」の理論化の産物であると言っても過言ではない。)
このことは我々知識人が繰り返し述べてきた通りである。

90. >ミネルバ 2003/07/23(水) 19:51:09
>鼻息を荒げるだけの野生動物は知的議論から退き、
>啓蒙の恩恵を享受するだけでよいのである。
この考え方,"バカは考えるな"って言ってるのと同じやし.
こうゆう考え方は自分が頭が良いと思ってる奴が言うことなんよね,自分がバカかどうかを考えずに.
いわゆる自己過大評価ってとこか?
"俺は頭が良いがお前はバカなので俺の言ってることはわかるわけがない.
おまえらはぶつぶつ文句言わずに,俺の言ってることすればいいんだー!"
って言ってるようにも思えるが.こっちのほうが鼻息荒いような・・・
こうゆう考え方って帝国主義(あるいは独裁主義)とほとんど変わらんで,他を排除するって言う意味では.

ちゅうか,はなくま氏は動物ではありませんよ.
いい加減,小学生レベルの悪口はやめたら?

91. せっかくだから 2003/07/23(水) 20:08:01
当スレを振り返ってみましょう。
では↓さん、どうぞ敷衍されたし。

92. 音楽好き 2003/07/23(水) 20:07:33
>音楽の科学性は、和声・調性(が齎す情動)の理論体系において保証されるのであり、
>(「感性」の理論化の産物であると言っても過言ではない。)
って(西洋)音楽美学上の単なるひとつのイデオロギーでしかないわけですよね。しかも相当に古くさい。
一体このような見解を今さら平気で主張できるミネルバ氏の考える「音楽」とは
具体的にどのようなものなのでしょうか??
私は民族音楽学を学ぶ者ですが、これこそ小学生レベルの発言だと思われるのですが。。。

93. 総評その一 2003/07/23(水) 20:21:52
異論を臆せず剽窃し矛盾を創発する漢、ミネルバ・ザビ、の遺作

94. ミネルバ・ザビ [E-Mail] 2003/07/23(水) 20:24:37
我々知識人は民族音楽を否定するものではない。
それは我々ミネルバ学派の次のような見解によって示される。
詳細は、本スレッドを参照せよ。


(芸術虐殺者に対しての発言)
芸術―西洋芸術に限られないあらゆる芸術―が蓄積してきた、
表現と情動の相関性の体系としての芸術理論=科学性の存在を認識すべきである。

95. はなくま 2003/07/23(水) 20:30:30
>>ミネルバ 2003/07/23(水) 19:51:09
つーか、スマン。俺も言葉汚かった…。
これからは釣られて汚いこというのは避けるわ…。
>>音楽の科学性は、和声・調性(が齎す情動)の理論体系
>>において保証されるのであり
悪いが、これはただ単に音楽というものを作曲していく
上でのプロセスでしかなく、そこに理論性云々は見当たらないと思うのだが…。材料を寄せ集めてそれぞれ適した位置に配置させるという簡単な理屈では、理論性という観点での芸術性を付帯させる事にはならない。

96. ミネルバは絶対に 2003/07/23(水) 20:48:36
詐欺師にはなれない

97. 2003/07/24(木) 15:41:13
音楽は「芸術」でも「科学」でもないわけですよ!!
「科学」だと言い張ってきたのはせいぜいピタゴラス〜バッハ〜シェーンベルクまでの西洋人。
「芸術」に至ってはたかだか近代の産物でしょ。
はっきり言ってあまりに音楽をバカにした議論ですよ。

98. 2003/07/26(土) 11:36:04


99. 2003/07/26(土) 11:36:27


100. 2003/07/26(土) 11:36:54


101. ミネルバザビは 2003/07/26(土) 11:37:18
しね

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