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宅間に関する議論


1. パパ 2003/08/28(木) 23:19:42
一応、法的には死刑、つまり絞首刑以上のものは求められない。しかし、一般に宅間に対して、さらに残酷な手法の処刑をとってもいいという考え方のスタンスは多くのひとに共有されている。宅間の蛮行に対して、同等の残虐性をもってかれを処分したいという世論の背理に留意しつつ、宅間の責任、かれの犯罪の社会的な影響について思うところをかんがえていきましょう。

2. 2003/08/28(木) 23:48:56
とりあえずお前が語れ

3. ももも 2003/08/29(金) 02:01:44
当時、容姿が宅間にそっくりの友人が度々冷やかされているのはかわいそうでした…。

4. 2003/08/29(金) 03:48:28
当時って、そんなに昔のことじゃないぞ?
どこの学部だよw

5. 死刑は 2003/08/29(金) 12:09:16
死刑っていう言い方は、犯罪者側に対する落ち度を
協調した表現であり、本来なら現在の処刑制度は
「公認殺人」と呼ぶのが本義。
宅間は社会に対する不満や怒りを幼児殺人という手
段で発散させた。それにより宅間自身は被害関係者と
国民の怒りを買って、法的合理性の下に公開殺人を
受けることになった。

 殺人が許せない非人間的行為であり、その理由が
人間の命の絶対性であるのなら、国民の信託の下に
法的機関が行う「処刑」も、犯罪者の命を軽んじる
許せない行為だ。落ち度のある犯罪者は法的合理性の
下で殺して当たり前たり前という論理が成り立つ
社会を認めるのなら、法の適応次第で人格異常者
が信念の下に行った私刑の妥当性も、ある程度認め
ざるを得なくなるはずだ。犯罪者も国民の一人であ
、有権者なのだから。

以上のような意見は、叩かれること必至だろうが、
死刑の持つ構造問題は深遠だ。仮に宅間が最終弁論で
「死刑は国民の総意に下づく公開殺人であり、私の
死を望むような発言者は、私の殺人動機と共通性を
持つ」と述べたらどうだろう。死刑は、宅間に天
罰が下ったのではなく、やはり国民が一人の国民
を殺せと命令したことの結果なのだ。

6. 2003/08/29(金) 12:27:33
何か問題でも?

7. 2003/08/29(金) 12:51:26
この事件は面白いと思った。
みんなが死刑を望み、宅間もそれを望んでいるからだ。だから、「宅間はなんてものわかりのいい被告なんだ。被告の鏡である。」と考えてもおかしくない状況だ。
だけど僕もそうだけど多くの人が納得できないと感じている。ごめんなさいっていう反省が無いからかな。
でも、もし宅間が涙流して本心から反省したらどうなるか考えると、たぶん、そのときみんなも宅間も納得して死刑を支持するんだろうな。
ということは、どっちみち宅間は死刑なんだけど、僕らの設定している自明でスムースな死刑宣告ルート、あるいはコンテクストに宅間がのってこないのが腹立たしくて納得できないんだな。

8. 2003/08/29(金) 13:57:56
執行人によって死刑を執行して死んでもらうのではなく
宅間自身に死刑を執行してもらう、つまり自殺を強制する
というのはどうか

9. ↑↑↑ 2003/08/29(金) 13:59:39
>殺人が許せない非人間的行為であり、その理由が
>人間の命の絶対性であるのなら

人間の命の絶対性を根拠に、宅間を『殺人』するならば、やはりそれは復讐の連鎖としか形容のしようがない。かつて、ある裁判官が言った。
「ひとりの命は地球より重い」。この前提にたてば、死刑はやはり背理。
>どっちみち宅間は死刑なんだけど、僕らの設定している>自明でスムースな死刑宣告ルート、あるいはコンテクス>トに宅間がのってこないのが腹立たしくて納得できないんだな。

宅間のルサンチマンが解消されず、行われた殺人。そして、結局はじぶんは司法の手で同じように殺されるだろうという虚無感。
袋小路になった弱者の暴発を抑える手立てはないのかもしれない。

10. ssssss 2003/08/29(金) 14:16:06
大澤真幸がいってたけど、
「責任がなんにもない空間に投げ出された」。

資本制社会の宿命である経済や知能の格差と、タテマエの民主主義、平等主義に折り合いをつけることができずに宅間はその矛先をじぶんより弱いものの暴力的支配に求めた。これを異常といわずになんといおうか?と。しかし、異常ではなかった。宅間は責任能力があったのだから。
されば、多くの人は思う。「宅間のような逃げ場のなくなった弱者は、結局のところ『理由なき殺人』によって殺されるしかないのか?」と・・。なにもいわずただ殺されるしかない宅間へ憎悪と同一感を抱き、吐き気を覚えるかもしれない。

11. はっきり言って 2003/08/29(金) 15:13:09
あんな小さいかわいい子供を簡単に何人も殺したりする心しか持てない、且つ、とうの昔に親にまでも見捨てられてる宅間もかわいそうな気がするけどね、ある意味では・・・・・・・・。
特に小学校から付属に入れるぐらいの親だから、よっぽど金持ちで子供を過保護ぐらいまでかわいがってたのにねぇ・・・。その失って、傷ついた親達の気持ち考えるだけでも恐ろしいよ・・・。

最近こういう残酷極まりない事件増えてるけど・・・。だから逆にこれらを通してもうちょっと人間の心を世界中の人、一人ずつが見つめなおさなければいけないのかもしれないね・・・・。難しい事だけどね・・・。人間らしく生きるには、強さがいるよね・・。

話それちゃったけど、死刑以上の苦しみもっとあると思うけどね・・・、40年禁固刑とか。

12. ヨコチンプレイヤ− 2003/08/29(金) 21:46:11
まあ昔からこういう大量殺人事件は
あるけど、捕まった後も全く態度を
変えない人も珍しい

13. 40年禁固? 2003/08/29(金) 23:31:04
甘すぎ。
100年は必要。

14. ↑すまん 2003/08/30(土) 00:01:09
40年したらもう寿命で死ぬんちゃうかなぁと、思ったから。そのつもりで書いた。まぁできるもんなら100年でも200年でもやってほしいですなぁ・・・。

15. 偏差値による命の格差 2003/08/30(土) 00:46:41
って、あるんだなあ〜と、この件のニュースを見る度に思う。

大量殺人事件じゃないけど、
京都の日野小学校の校庭で、児童が殺害される事件があった。
その後、日野小学校は職員室の位置を変えたりなどの
再発防止策しか、とる手段はなかった。

それに比べて、池田小学校では、
カウンセラーが付いたり、校舎を改築したりなど、
大々的な対応策を取っている。

日野小学校の児童のことを考えると、
扱われ方の違いはやっぱり偏差値の違いかな、と感じてしまった……
どっちの小学校も同じような対策をとってあげることは、
できないのかな

16. 脂身 2003/08/30(土) 01:13:20
ん?「どっちの小学校も」って、殺人が起きたところだけ対策を考えるってのはおかしな話だと思うよ。
偏差値の違いってのは考え過ぎです。偏差値を比べる前に事件の規模と染み付いたイメージをまずは考えるべきです。

17. ガクト 2003/08/30(土) 11:50:41
死刑で十分だろ
たっ君も今までの人生で苦しんだんだから
何も言わず殺してやろう

18. ザビ 2003/08/30(土) 20:05:55
死刑は、大衆によって民主主義的に行われる私刑だ。

19. 偏差値による命の格差 2003/08/31(日) 01:29:53
>脂身
>殺人が起きたところだけ対策を考えるってのはおかしな話だと思うよ。

あのーちゃんと読んでくれてますか?

私が言いたいのは、殺人が起きた小学校の児童に対する心のケアです。
池田では、校舎の改築をやったり、カウンセラーがつく。
けれど、日野では、そうしたことが出来ない。資金がないから。
だから、事件が起こった小学校には、
同じように対策を取るシステムがあって然るべきなのだと私は言いたいんですが。

>事件の規模と染み付いたイメージをまずは考えるべきです

あなたのイメージが、どんなものか分からないんだけど、
池田の事件では、被害者は「偏差値の高い恵まれた環境の子供たち」でしょう。
加害者は、それを犯行動機だと言ったのだから。
でも私は、被害者が殺された動機や、被害者の数に関係無く、
児童に対する心のケアなどの対策を取るシステムが必要なのだと、言いたかったのですよ。

20. 多分 2003/08/31(日) 02:00:25
偏差値による命の格差=ナース服に関する疑問

21. 脂身 2003/08/31(日) 02:15:46
別に私は偏差値の低い学生は虫けらだから心のケアはいらない
・・・などということを言ったつもりはありませんのでまずそのことをご了承ください。

で、問題ですが
池田と日野の事件は同じ事件でない以上、同じケアというのは果たしてどうか?
池田はただの殺人事件ではなく事実上児童虐殺事件である以上、
普通とは異なる特殊なケアが児童に必要だとは思いませんか?
そのケアの差が偏差値の格差であるというのは、なにか踏むべきステップを飛ばしているような気が致します。
そういうことをおっしゃっているのでなければとりあえずタイトル(名前)は改めるべきです。
日野で児童に対するケアがまったく、いっさい、全然なされていないのかは、
私も現場に詳しいわけではありませんのでよくはわかりません。
なにもされずに放っておかれているのであればそれは由々しき事態ですが、実際はどうなのですか?

22. 2003/08/31(日) 10:36:18
話が少し前に戻るんですけど、
日野と池田の違いは公立と国立の違いにあるんだと思います。

公立では各自治体が学校を設置してる訳ですが各自治体ごとに多くの学校が設置されており、それぞれに池田でなされたような対策をしていたら財政的に成り立たない。
そして(本来なされるべきだと思うのですが)国からも各自治体にセキュリティー対策として十分な補助金は出ない。

それに対して池田は国立と言うことで文科省からの予算が公立に対して圧倒的に出やすい立場にある、ということでこれだけの対策がなされているのだと思います。

僕自身、某国立の高校出身なのですが、池田の事件直後からその高校でも警備員が常駐し(事件直後は3〜4人、現在でも1人)、その後もいろいろな対策がとられ、今では通用口にはカメラが設置され、門が一定時間以上開けっ放しとなると警報音が鳴るようになっています。

この予算は、確か、その付属となっている大学の方からではなく、文科省から、特別に直接ついた予算だったと記憶していますので、偏差値が、というのでなく、池田が、「国立」の学校であったということがアドバンテージとしてあったのではないかと思います。

23. 理念と現実とは違うよ 2003/08/31(日) 11:13:29
超名門の国立付属と、普通の公立の資金レベルを
同レベルでは扱えない。
必ずしも学歴が指標となるわけではないが、
屋久島町立宮之浦小学校と、池田小とでばっくあぷの
格差があることは間違いない。

24. 国立の実態 2003/08/31(日) 16:08:46
さも当然のように国立に予算がおりているように思われてますが、
基本的に貧乏ですよ。
今回の事件では非常に国民の注目を浴びたので、
安全対策の予算が特別についたけれども、
それまでうちの学校(国立)なんて、どんなに校舎がボロかろうが壁がはがれおちようが
ずっと修理されませんでした。

偏差値は全然関係ありません。
(だいたい小学生の偏差値って何だろう・・・・・・)
むしろあの工事やカウンセラーは、絶対的に必要なことというより、
世間に対して「安全対策やってます」っていうアピールです。
もう一度国立の小学校で殺人事件が起きたら、
責められるのは「国」だってことも少なからず影響してるでしょう。
それを「偏差値による命の格差」ととっちゃうのはずいぶんねじ曲がった見方だと思いますが・・・・・・。

25. 2003/08/31(日) 17:32:02
>人間の命の絶対性を根拠に、宅間を『殺人』するならば、やはりそれは復讐の連鎖としか形容のしようがない。
それが何か?

26. 昔人 2003/08/31(日) 23:19:27
違いは国立だとかそういう問題でなく
エリート校かどうかだと思うね。
子供が刺されたのにブランド服で身を固めて駆けつけて
死刑判決の会見でも高そうな指輪をこれ見よがし、
偏差値では灘に負けても親の平均年収は池田のが上だね。
うちの塾の偏差値表ではあそこの公立トップの北野や茨木が
62くらいのに対し大教大池田(中学校)は75もあったね。
宅間を見逃した教師に対し「ここの生徒の親に(宅間みたいな)茶髪の
親がいるわけない。」とか言って見逃した教師を責めていたっけ。
そのくせ「ここはエリート校みたいな扱いをされているが
そんなことはない、普通の学校だ」とかコメントしてたな。

他の学校だったら校舎の建替えとか一人頭何千万円の補償は出なかったはずです。
現に出てないし。
対応の違いはその学校に通ってる層の違いだとは思うけどね。
校内で生徒が殺されていて、補償が降りるか降りないか
またその金額の違いは何か、というのを考えると
殺されたのがどういう子供だったのか、というのに辿り着くと思います。

はっきりいって死刑廃止論はいくらか読んできたが
冤罪の可能性以外についてまったく理解できないもんばっかりだった。
上のほうで述べられているのも何が言いたいかわけわからん。
ついでに宅間の「死刑にしてくれ」というセリフを真に受けている
人間がどれほど多いことか。

27. 2003/08/31(日) 23:21:58
アナタヒサシブリニミタ!

28. ヨコチンプレイヤ− 2003/08/31(日) 23:59:23
>宅間を見逃した教師に対し「ここの生徒の親に(宅間みたいな)茶髪の
親がいるわけない。」とか言って見逃した教師を責めていたっけ。
それは知らなかった。まあ錯乱して言っただけかも
しれないけど
今回の事件は、酒鬼薔薇事件みたいに一部では
やっぱり共感を呼ぶ部分があるのかもしれない
「エリートの子供がけったいなおっさんに
殺される不条理さを示す」っていう宅間の「不条理」
っていう言葉はカフカ作品で見られるように
皆持ってる感情かも
まあ普通の人間はその感情をセーブできるんだけどね

29. 774 2003/09/01(月) 00:56:13
「偏差値による命の格差」を書きこんだものですが、
べつに同じタイトルにしたのは、
同一人物だと明言したかったからです。

私は、べつに国立の方が、偏差値が高いから優遇されている→ズルイ
と言いたいわけではないのですよ。

ただ、やはり学校で殺害事件が起こった場合、
学校の校舎の位置の問題とか、
金銭的にコストがかかる問題があると思う。

私が言いたかったことは、公立・国立関係無く、
そうした防犯上のコストやケアのコストは、システムとして考えるべきだということです。

そして、日野の事件の後に、池田の事件が起こったという悲劇を省みると、
日野の事件のときに、全国の学校で防犯意識を高めるための訓練をやっていたら、
もう少し池田の事件がなんとかなったのに……と思うのです。

池田の事件だけにとどまらず、全国の学校で、
こうした事件が起こったときの、避難訓練などをした方がよいのでは、と考えた次第です。

30. トド 2003/09/01(月) 04:14:17
宅間の示したかった、「不条理」は二重に達成されたわけだね。富裕者の殺人と、階層による補償の差。

>校内で生徒が殺されていて、補償が降りるか降りないか
>またその金額の違いは何か、というのを考えると
>殺されたのがどういう子供だったのか、というのに辿り着>くと思います
日野小の殺害された児童に国の補償はでたのだろうか?出ていれば、池田小の子と額面で差はあったの?だれか知らん?

単に、事件の残忍性や規模の差で論じられる問題にとどまらないかもしれない。

31. 「国立の実態」を書いたものですが 2003/09/01(月) 11:24:32
>774さん他
補償に偏差値で差をつけるのは言語道断ですが、
今回の補償は、子供たちの偏差値の差からくるものではありませんよ。
自分が責められたくないという気持ちを含んだ国の勝手な都合です。

日野のあとに附属池田小の事件がおこったことは痛ましいことです。
日野のあとにもっと対策を練れば防げたかも、とも思います。
ただ、違う事件が起こった以上、同じ補償をすべきとは言えないと思います。
日野と池田の違いは、前者が校庭までの侵入にとどまったのに対し、
後者は先生のいる教室にまで乱入したこと。
それからまた、友達が目の前で殺されたのを見た、
実際宅間に切りかかられて怪我をした子供が大勢いたってことでも衝撃的だったと思います。
その意味では日野よりも多くカウンセラーがつく必要があるでしょう。
校舎の建て替えは、誰も人が死んだ教室を使いたくないだろうし、
まあもともとボロかったんで、一人頭の補償ととらえられるか疑問です。
警備員や門の工事はあんまり意味ないと思いますが。

みなさんの意見を聞いていると、
宅間の意味不明な理論にずいぶん感化されている気がします。
京大で宅間みたいなやつが殺人事件を犯したとき、
「俺らはエリートだから恨まれて仕方ない」と思うのでしょうか。
貧乏だけど努力して成功した人もたくさんいるというのに。
まともな努力すらしなかった宅間に「不条理」を説かれても、説得力ありませんよ。

32. 2003/09/01(月) 13:13:30
>まともな努力すらしなかった宅間に「不条理」を説かれても、説得力ありませんよ

虐げれれた弱者が、(たまたま)現実社会の不平等にじぶんを映し出したとき感じる虚無感から宅間が暴走したと考えるなら、現実に確実に潜在する「不平等」の側にも目をむけてはどうかというお話であって、宅間は屑で鬼畜であるのは当然であってみんな分かってる。
すべての問題を「個人」の努力の裁量に帰す考えは、すべての問題を「社会」の問題に帰すとおなじくらいの誤謬であると思う。

33. 「国立の実態」を書いたものですが 2003/09/01(月) 14:50:08
>エさん
>すべての問題を「個人」の努力の裁量に帰す考え
私はこんな考えはもっていません。
こうなってしまった原因が宅間にだけあるとは思いません。
犯罪者はもともと犯罪を犯すような人間だった考えてしまうと、
第二の宅間を防ぐすべがなくなってしまうので。
だけども彼が言っていることは「自分もエリートの親をもっていたら
社会を動かせる偉い人間になれたはずだ」
という稚拙な仮定を前提としています。
逆にいえば「くだらん親や妻をもった俺は犯罪に走ってもしかたない」と言っているのです。
つまり彼は「不条理を示す」と言いながら「自分のやったことは条理にかなっている(間違ってない)」
と思っているわけです。
こんなめちゃくちゃな理論に説得力はありません。

世の中、たしかにいろいろ不条理だとは思うけれども。

34. ヨコチンプレイヤ− 2003/09/01(月) 17:43:49
確かに宅間なんかに「不条理」を説かれても
何の説得力もないけど、問題なのは現に
存在している「不条理」という事実だと思います
いみじくも
>世の中、たしかにいろいろ不条理だとは思うけれど>も
に出ているように、宅間は特異でおかしい
という論説も最後には、でもやはり世の中には
「不条理」はあるで締めくくられる。
この事実が大事だと思います
>すべての問題を「個人」の努力の裁量に帰す考え>は、すべての問題を「社会」の問題に帰すとおなじく>らいの誤謬であると思う。
確かにそうですが、現代社会を象徴した事件では
あると思う

35. 脂身 2003/09/01(月) 19:16:41
中庸を論理的に説明するのは難しいものです。

36. パルティータ 2003/09/01(月) 21:24:02
個人的には
ある程度の広さはあるが何もない無人島に
十分な作物の種と道具類を持たせた宅間(氏)を一人だけ置き去りにして
どのように生活していくかを観察してみたい
とは思いますね。
隔絶された廃村でもいいかもしれませんけれど。


僕は議論に参加する気はありませんが、
現代の日本において
「恨みを買うリスクを犯してでも子どもを社会の現実に直面させる」
という役割を担うべきは誰なのか
ということを政治的に決定するだけでも大きいとは思いますが。
まぁ例の早稲田の件や赤坂の話や歌舞伎町の実態を子どもに勅旨させる気にはならないですけどね。

37. たぶん 2003/09/01(月) 21:31:27
宅間をロープで足と腕を縛り口を閉じさせて、遺族が毎日気分転換に殴り倒すとかいいかも。

38. 昔人 2003/09/01(月) 22:17:29
事件の規模の大きさからして
池田のほうが日野より人的金銭的投資が大きくて当然
みたいな意見があるが、それは明らかに間違っている。

池田の事件は我が国犯罪史上稀なほど凶悪事件ではあるが
その場で犯人が取り押さえられたわけで、もう終わってしまった事件である。
だからカウセリングはともかくセキュリティ面で、他の学校と区別する必要はない。

日野の件では犯人に逃げられてしまったのである。
小学校の生徒やその周辺に暮す子供たちの不安は池田の比ではない。
犯人が捕まっていない以上セキュリティ面の強化も池田の数倍は必要だ。

常識で考えたらこうなる。池田のほうが十数倍優遇される理由は何?


新聞のコメントを読んでいたら「事件の真相は」とか「動機が最後までわからなかった」とか
知識人ぶった意見が多いけど、宅間は何度も説明してるだろ。
実際、行動に移すかは別にして宅間みたいにどうしようもない奴はいるんだよ。
大学教授とかやってると付き合いが狭いから宅間みたいな人間を理解できずに
「精神異常者」と判断してるんだろうな。
この事件の最大の興味深い所は、宅間より遥かに学識のある
精神科医、弁護士、検察、裁判官、みな宅間の手のひらで踊らされていたということだ。
池田小の事件の裁判でなく、宅間のこれまでの数多い訴訟の事です。
人の精神なんて誰にも分析できないのだから、いい加減刑法39条はやめにしたらどうか。

39. 脂身 2003/09/01(月) 22:58:06
セキュリティーに関しては事件が起こったか起こらないかにかかわらず
すべての学校で見直されるべきだとしか言っていません。
ケアに関しては池田には手厚いそれが必要だろうけど、日野は実態がよく分からないのでなんとも言い難い。
>小学校の生徒やその周辺に暮す子供たちの不安は池田の比ではない。
これはどのぐらい本当ですか?
・・・というのも私の身近の殺人事件では、事件のことがあっという間に風化してしまったので。
もちろん犯人はまだ捕まってません。

>人の精神なんて誰にも分析できないのだから、いい加減刑法39条はやめにしたらどうか。
これは大賛成です。

40. 「国立の実態」を書いたものですが 2003/09/01(月) 23:02:34
>昔人さん
日野の事件では、犯人は警察に追われ結局自殺したんじゃなかったですか?
「てるくはのる」ですよね??
刑法39条は本物の精神病の方々のために必要だと思います。
特に懲役刑等の場合、精神異常の人を牢獄にぶちこんでも(社会のためにも)何の解決にもならないので、
精神病院で治療が必要でしょう。
責めるべきはこの治療が徹底していないことではないかと。
法律ができればそれを悪用する人間が必ず出てくる・・・・・・
そこをどう折り合いをつけるか、です。

>ヨコチンプレーヤーさん
世の中に不条理が存在する、ってことには納得できるのに
なぜ宅間の発言があんなにむかつくのか考えてみたのですが。
不条理な世の中とは言えても、不条理な人間とは言えません。
人間は自分が条理にかなっていると思い込む生き物だから。
「一人の人間が不条理を示す」ってそもそも傲慢というか不可能なんですよね。
まあそれはそれとして、「条理」の概念が人により違うので(宗教からむと大変)、
現実に「不条理」を直す?のは難しいと思います。
それでも社会は少しでも不平等をなくそうと努力している(はず)なんですが・・・・・・。

41. 昔人 2003/09/01(月) 23:23:19
>>私の身近の殺人事件では、事件のことがあっという間に風化してしまったので。
もし犯人がすぐに捕まっていたらもっと早く不安も風化していたでしょうね。
日野で個別面接したわけではないが、殺人事件が起きて
犯人が捕まると捕まらないとでは不安感に違いが生じて当然。

>>日野の事件では、犯人は警察に追われ結局自殺したんじゃなかったですか?
事件が起きて犯人自殺までかなり日数があったわけで
その間、日野小学校では校区に殺人鬼がうろうろしている
と考えて当然の状態だったわけです。
安全対策とは終わった事件より終わってない事件により徹底されるべきでしょう。

宅間の事件を見れば明らかのように精神科医に「本物の精神病」と「詐病」を
見分ける力はないわけで、そしたら39条は理論的な意義しか残らないね。
俺としては、精神科医が「大丈夫」と太鼓判押した犯人が再犯したら
精神科医の責任を問えるようにしたら39条残していいと思うけど
当然ながら精神科医はそんなの容認できないと言ってる。
けど自分の判断に責任を持てない奴に重大犯罪者の処遇を決めて欲しくないね。

精神障害者が起こした事件に刑罰で応えても意味はないのは承知しているが
そんなのは刑法39条なくても対応できることだ。
故意、過失論であてはめていけばいい。
39条は残すとしても「事件の当時は心神喪失であり」とかいう無茶な論理はやめろ。
普段は正常であるが、殺人事件を起こすときは異常な状態だった、て虫のいい話があるか。
逆に言えば、こういうのがまかりとおってるから、
通常考えられうる殺人には厳しい刑で答え
裁判官の頭で理解できない異常な殺人は減刑される。
泥酔状態であったから、あるいは覚せい剤服用していたから大事件を起こした者は
世界標準ではより厳罰化で応えるものであるが
日本ではそれゆえに減刑される。
適応されるのは刑法39条だ。

42. ヨコチンプレイヤ− 2003/09/02(火) 00:22:21
確かに刑法39条についてはもう一度考えてみる
必要があるでしょうね。ただ、日本医師会が
自民党の有力な支持団体である以上、なかなか
難しいでしょう。
>それでも社会は少しでも不平等をなくそうと努力し>ている(はず)なんですが・・・・・・
この言葉は重要だと思います
世間では「人権」「人類みな平等」「個人の自由」
なんてことが叫ばれているけど、ちっとも
自分にはそうは思えない。
子供のころから成績は悪い、教師には虐げられる
こうした社会で堂々と叫ばれていることが実は
虚構であり、うさんくささの塊である
人間は各人各様の社会への恨みつらみを持っている
と思います

43. 脂身 2003/09/02(火) 09:51:46
>昔人さん
なにやら時系列がごちゃまぜになってしまってますが、一つ前の書き込みを見る限りでは、
今の話をしているようにしか見えませんでしたが、当時の話をしていたんですね。
はいはい、ようやくわかりました。

>「国立の実態」さん
>特に懲役刑等の場合、精神異常の人を牢獄にぶちこんでも(社会のためにも)何の解決にもならないので、
>精神病院で治療が必要でしょう。
精神病院で治療が必要と言うのは分かりますが、やはり減刑はあまり納得できません。
+αで治療すればいいんじゃ?・・・と思う私はやはり素人でしょうか?

44. 「国立の実態」を書いたものですが 2003/09/03(水) 21:18:29
>刑法39条
酒やら覚せい剤を飲んだため精神に障害をきたした場合に関しては、改正草案で
「精神病者」「故意により精神の障害を招いた者」「過失により精神の障害を招いた者」
をわけて考えようとしていますが、
改正草案の議論が(39条以外の部分でも)煮詰まっていないので、実質改正不能な状態になっています。

減刑に関しては、精神病者にかぎったことではありませんが、
刑務所の機能自体に問題があり、軽い罪で入った者が重罪を犯した者から悪影響を受け、
再犯に結びついてしまう可能性が前々から指摘されています。
また、労務がうまくできない重度の精神病の人の場合、
働かせず閉じ込めておく⇒病人の隔離 となるので、
それなら精神病院に「閉じ込めて治療する」のと大差ないと思われます。
ここにはまた、精神病者の人権問題がからんでくるわけですが・・・・・・。

刑法39条をなくしたところで、やはり「精神病者は罰するな」という規範は残るのであって、
それならばどのみち裁判で「精神病か否か」が争われることになるでしょう。
故意・過失で判断することは不可能だと思います。
たとえば、精神病で弁識能力と制御能力がない=故意と過失がないとしてしまうと、
次の二つが共に「故意・過失がない」かどで無罪になってしまいます。
@精神病で錯乱して人を殺した人
(本人は「危険」)I
Aやくざに銃をつきつけられ「Aを殺さなければお前を殺す」とおどされ、
やむをえず人を殺した者(本人は「危険」ではない)

Aは本人に危険性がないので、すぐ社会に帰せばいいのですが、
@は無罪だからと放置し社会に戻すわけにはいきませ
ん。
結局のところ最後に精神病かどうかは考えねばならないと思われます。

45. 「国立の実態」を書いたものですが 2003/09/03(水) 21:26:43
精神鑑定についてですが、
A本人が精神病を患っている
Bそのために犯行当時弁識能力または制御能力を欠いていた
のうち、主にAに関して専門家の意見が強くでますが、
全体として裁判官の自由心証によるところも大きいです。
昔人さんのおっしゃるように
>精神科医が「大丈夫」と太鼓判押した犯人が再犯したら
>精神科医の責任を問えるようにしたら
というのも気持ちはわかりますが、
その理論だと再犯のたびにむしろ裁判官が責任をとらされる
という裁判制度を壊しかねない事態になってしまうと思います。

46. 昔人 2003/09/03(水) 22:26:54
だから刑法39条なくして故意過失論にしたところで
「精神病で錯乱して人を殺した人」は故意でないから無罪、とはいかんだろ。
それはそれできちんと病院送りにすればよろしい。
精神病者の犯罪=故意ではない=病気として対処
39条なくても無問題。39条の濫用は防げると思うが。
もっともこれは理論的なもんであって、本物の精神病と詐病がきちんと
見分けられるかについては疑問のままだろう。
精神病というのを認めないわけはないが、普段通常通りの生活を送っていた人間が
犯行当時たまたま精神病だったというフィクションを認めるべきではない。
正常な人間が詐病で無罪を勝ち取り精神科医送りになっても、
すぐに「異常なし」(治療されたともいう)として社会に出てくるのだから。
俺としては重度精神障害者手帳を持っていて、昔で言う禁治産宣告を受けている
人間のみ精神病としていいんでないかと思う。
宅間みたいな悪い方向でとても知恵が働く人間が、どうして39条の議論の余地があるのか。

「故意により精神の障害を招いた者」「過失により精神の障害を招いた者」
そもそもこんなカテゴリーに分ける必要があるのか。
このカテゴリーがシラフのときより重く罰するために作られたのなら
まだ価値があるが、事実は逆だろう。
「原因において自由な行為」論も39条の適用を免れるための苦し紛れの理論であり
検察はこの奇妙な理論で罰しようとするし、弁護士は39条で無罪を主張する。
最終的には間をとって緩めの判決がでる。バカバカしい話だ。
故意にせよ過失にせよなぜ自ら「精神の障害」を招いた者を
優しく罰する必要があるのか。


>>その理論だと再犯のたびにむしろ裁判官が責任をとらされる
>>という裁判制度を壊しかねない事態になってしまうと思います
私は裁判官をたいして信頼してるわけではないですが
とにかく犯罪者の処遇を決める権限と責任があるのは裁判官だけです。
なぜ裁判官でもない精神科医が犯罪者の処遇を決められるのですか。
裁判官でない人間が「こいつはあと5年は閉じ込めておこう」
「あいつはもう出してもいいだろう」とか決定する権利があるのですか。
ついでにいうと裁判で39条が適用されたのならともかく
検察側が39条の恐れがあり不起訴にして裁判を受けるまでもなく
精神科医に任せるケースが実務ではかなり多いですが
この場合、精神科医は容疑者に対し裁判官と同等の権限を持つと言っていいでしょう。
国家公務員でもない人間にそんなの任せて良いのでしょうか。

47. 「国立の実態」を書いたものですが 2003/09/04(木) 10:21:21
>昔人さん
>故意・過失論への責任能力問題の吸収
今のままの39条には問題があるとしても、罪刑法定主義の観点からすれば、
39条をなくしてしまうのは問題かと・・・・・・。
やはり責任能力の条文はどこかにのこしておかないといけないと思います。

改正草案の分類も、原因において自由な行為論を文言のうえで示そうとの努力です。
草案では「故意(過失)により精神の障害を招いた者に関しては、
前項の減刑の規定を適用しない」という内容なので、
事実より重くは罰せられないけれども、事実より軽く罰せられることもありません。
だから分類には意味があると思います。

>重度精神障害者手帳を持っていて、昔で言う禁治産宣告を受けている
前半は結局精神科医の判断をあおぐしかないというに等しいと思います。
しかも精神病者の誰もが、精神病院で治療中とは限りません。
後半は今なら「後見開始の審判」ですが、これは民法上の概念であり、
「事理弁識能力を常に欠く状態」にないと認められません。
しかも申し立てが必要で、事理弁識能力のない人全員が受けているわけではありません。
また、たとえば痴呆の老人がときどき正気にもどるように、精神とは不安定なものです。
誰もが「常に」事理弁識能力を欠くわけではありません。
たまたま正常な意識がなく犯行した場合に減刑されないのは、本人にとって酷だと思います。

>精神科医による犯罪者の処遇決定
しかし、精神科医の意見もきかず、検察や裁判官が判断するにも問題がありませんか?
精神の分析も長年研究が進んでおり、ひとつの独立した分野を形成しています。
例えば研究が進んでも地震の予知がはずれるように、その判断が間違うこともあります。
専門家ばかりを責めることはできないでしょう。

もし、犯人が精神病を偽っていた場合に、専門家の意見を聞かなかったとしたら、
精神病院としては正常な人間を送り込まれるわけで、
すぐ退院させてしまうのも無理もない話です。
その人間が再犯したとしても、病院に責任はありません。
責められるべきは、精神病院送りを決定した裁判官や検察官です。
いかに国家公務員であろうとも、彼らは精神病の「素人」です。
玄人ですら間違う判断をすべて彼らにまかせる方がよほど危険だと思います。

48. 昔人 2003/09/04(木) 21:41:32
なぜそこまで39条残すことにこだわるのかさっぱりわからん。
それはいいとしても改正案にせよ現行39条にせよ罰しないと定めてあるのは
「精神障害者の行為」であり「精神障害時の行為」ではない。
つまり犯行時の刹那が精神障害の状態であったかどうかは問題でなく
大事なのは行為者が精神障害者であるかどうかだ。

以上より刑法も民法同様、カテゴライズ化で対処して構わないと思う。
「つい我を忘れて高級ブランド品を(訪問販売でもないのに)買ってしまった」から
その契約を無効にしてほしい、などというムシのいい話がないのと同様に
「普段はまともだけどたまたま犯行当時は気がおかしかった」から無罪という
ムシのいい話もない。
たまたま犯行時の刹那だけ正常でなかった、というのを認めるべきではない。
逆に言うと誰しも犯行時は正常の精神ではないはずであり
なぜそれが減刑になるのか理由が見つからない。
犯行時に極めて平静でいられる奴の方が精神異常だと言ってよい。
刹那に着目して精神を語るのはフィクションかただの理論上の推論にすぎない。
痴呆老人でも正気に戻ることはあっても、事実上痴呆老人の行為は
39条が適用される。通常、痴呆の状態にある人間から聞き取りをして
犯行時に正常であったかどうかを検証するのは不可能だからだ。
だとするとその逆のケースも同様に扱うべきだろう。

後半について
裁判において精神科医の意見を聞くな、とは一言も言っておりませんが??
精神科医は意見を言えばよろしい。そして裁判官はそれを参考にすればよろしい。
そうしていくうちに判決が出る。当たり前のことでしょう?
俺が問題にしているのは裁判官の関与できない所で精神科医が重大な決定権を持つことだ。
地震の専門家が、これは予測のできない事故だ、といって裁判で弁護する意見を
出すのは当然のこと。けれど無罪かどうかの決定権は与えられません。

>>犯人が精神病を偽っていた場合に、精神病院としては正常な人間を送り込まれるわけで、
>>すぐ退院させてしまうのも無理もない話です。
なぜ「詐病ですから再審してはどうですか。うちでは引き取ることができません。」
の一言さえ検察に言わず、退院させてしまうのか。
何が「無理もない話」なのかさっぱりわかりません。

49. 「国立の実態」を書いたものですが 2003/09/05(金) 00:57:51
えっと、だから、
>(改正して)39条を残す理由
「精神の障害(精神病)ならば減刑する」ということが明文化されていないと
罪刑法定主義に反するからです。

>犯行当時は皆異常
そんなことはありません。計画的犯罪では殺害当時「興奮」していたとしても正常の範疇。
異常なのと「覚えてない」「認識してない」のはまた別問題。

>精神科医と裁判官
>精神科医と検察
精神科医にあるのは精神病を治療する義務です。
だから彼らには犯罪者が病院に送られてきてしまったら「犯行当時の精神状態」を調べる権利はありません。
つまり病院に来た時点で精神病でなかったら
(まあ大抵の詐病者はしばらく「ふり」を続けるでしょうが)
「もう病気がなおった」と考えるしかありません。
自由刑を科せる裁判官と違い、精神病が治った者、要するに正常な人間を拘束する
権限は精神科医にはありません。
再審の請求をする権利もありません。
「精神病院に病気が治るまで入れ」と「処遇を決めた」のは「司法」です。

だから
>処遇決定に関し精神科医に裁判官とほぼ同様の権限があるのだから(?)
>39条を残すなら再犯の場合精神科医に責任をとらせるべきだ(?)
という意見は筋違いだと思います。

ただ、司法が精神科医にフォローのない「おしつけ」行為をしていることは私もよくないと思います。

50. 昔人 2003/09/06(土) 09:51:06
罪刑法定主義は、何をもって罪となりどのような刑罰にあたるか、
前もって定めておかねばならない、とする原則であり
どういう状態のときは罪とならないか、を定める原則ではないよ。
法律の蛸壺的議論に入り込んでしまった人がこういうガチガチな考えになる。
39条なくても「精神の障害(精神病)ならば減刑」してもいいし
それは罪刑法定主義に何も反しない。
正当防衛にしても緊急避難にしても条文がなくても適用しても構わないし
そういった国も多い。だいたい、期待可能性とか被害者の同意がある行為とか
自救行為とかこれらは明文の規定がないけど罪刑法定主義に反するかい?
それともこれらは一切認めない立場ですか?
もう一つ言うと39条あるのに「原因において自由な行為」を罰するのは
罪刑法定主義に反しないのですか?
だいたい弁識能力がない人間のための明文規定に罪刑法定主義からの意味があるのか。
39条があるから罰せられないと思って犯行に及んだ人間に
39条の適用があるわけがないからである。

俺も二重人格とかいわゆる「自分が気がつかないうちに犯罪者になってたい」
そういう事例もあることは認識しているが
そんなのはそれで本が一冊書けるような特殊な事例だ。
実際、弁護士が39条を主張しまた判決で取り上げられるケースを見てみるといい。
「自暴自棄になっていた」とか「自殺願望があったとか」「カッとなって」とか
ほとんど全て正常な人間の範疇だと言える。
理論上そういうケースも稀にあるだろう、と思って作られた条文を
弁護士も裁判官も濫用しすぎなんだな。

>>中段
所与の条件を鵜呑みにしすぎです。
そういう現状が正しいと思ってるならともかく、
俺は間違ってると思うから議論してるんだけどね。
ついでに日に3回精神発作を起こす人が一月発作がなければ
「治った」と判断してもよいのでしょうが
39条で適用されるケースは「今までずっと正常な状態だったが
犯行時だけおかしくなった」というのが多いのであり
それが30歳の犯罪者なら少なくてもあと30年の経過は見るべきだと思いますが。

そんな考えではいつまでも発展はないよ。
役所の縦割り行政を「仕方ない」と諦めているだけの話になっている。
Aで「これはBの管轄だ」と判断されて、Bでは「これはうちの仕事でない」と
判断されて放置。それで納得してるんですかね?

最後に精神科医の責任とは法的な責任を意味しているわけではない。
例えば裁判では検察と弁護士双方の意見を吟味して裁判官が判断してのであり
経過は全部わかるわけだ。
不服のある人はそれらを全部調べた上で、検察が悪いとか弁護士が無茶苦茶だとか
裁判官の判決に無理がありすぎとか批判を言う事が出来る。
そうすると同様に精神科医もどういう経緯でそういう決定をしたのか
オープンにするべきでしょう。
それさえせずに批判をされたくないとは無責任だと言われて仕方ないでしょう。
それと精神科医の責任の議論を詐病の話に持っていきすぎ。
普通に判定を誤ったケースはどうなるの?
それについても批判するな、と?

51. 昔人 2003/09/06(土) 10:28:22
追記
調べてみると「人権先進国」であるスウェーデンとノルウェーでは
39条にあたる条文が削除されてしまったらしい。
だからといって精神障害者を等しく罰しているわけでもなく
罪刑法定主義違反だと猛反発があるわけでもない。
そっちのほうが本当に人権にかなった柔軟な対応が取れるんでしょ。
罪刑法定主義とは無縁だった人権などという考えもなかった時代にも
「ご乱心」はお咎めなしだったときもあった。
明文の有無は関係無い。

52. 「国立の実態」を書いたものですが 2003/09/06(土) 20:57:21
>刑法39条
言葉足らずだったようで申し訳ありませんが、
日本における罪刑法定主義は「法律主義」というかたちで表れています。
世界には「成文法」と「不文法」の2つの体系の国があり、日本は前者をとります。
無論、成文法の国々でも判例はある程度重視されるものですが、
とりわけ刑罰を科す刑法については、「文言の拘束力」が大きいとされています。
だから、「文言から離れた判断」は許されません。
それというのも、裁判官によって罰せられる人の間に不公平が生じてはならないからです。

昔人さんのおっしゃるように、39条の内容は直接
罪刑法定主義にかかわりはしないけれども、
刑法39条が消えてしまうと、「精神障害者を処罰しない」ことの根拠となる条文がなくなって、
明文がないまま裁判官が決めるという事態が発生します。

そして、逆にお聞きしますが、なぜ昔人さんはそんなに刑法39条を無くしたいのでしょうか。
刑法39条を無くしたところで、判例が「今までどおり」にやるというなら、何も変わりありませんよ。
昔人さんが望んでいるように「そのときたまたま心神喪失状態のやつを減刑しない」というのは、
明文規定がある今ですら、判例には存在しません。
つまり、39条を無くすことで得られる利益はなく、
「法律主義」という重大な原則をくつがえすことにしかなりません。

原因において自由な行為論だって、改正草案39条のように、明文だったほうが
論理的一貫性があるに決まっています。
だけど、明文がないけれども、処罰しないわけにはいかないものも当然あるわけであって、
そこを「文言にしばられつつ」解釈してのりきっているのです。

だから、昔人さんがおっしゃるような世の中にしたいのであれば、
「犯行当時たまたま精神障害だった者には、減刑しない」とでも法文をおくべきでしょう。
でもこれを、実際に採用することは困難でしょうし、
それが正しいことだとも思いません。

重く処断されるべき犯罪者が罰せられないのはくやしいけれども、
罰せられるべきでない者が刑罰を受けることの方がもっと許されないから。

53. 昔人 2003/09/06(土) 21:37:48
一段目
日本の「成文法」が特殊な体系のように書かれているがそんなことはない。逆だ。
ノルウェーもスウェーデンも「不文法」の国ではない。
ついでにいうと日本刑法はドイツを模範にしたもので
罪や刑の幅が広く曖昧で裁判官の裁量が大きい。
「成文法」の中では「不文法」に近い。
「分娩時に錯乱して子供を殺した者は(日本では39条だが)懲役〜以上」
とことこまかに並べてある国も多い。
ところで明文規定にこだわる「国立〜」さんは
期待可能性の理論、安楽死、自救行為、被害者の同意ある行為、
これら全てに否定的で裁判官は「文言から離れた判断」すべきでないと思うんですか。
そりゃ、そうですね。不公平なんだから。
刑法改正されるまで明文規定のない理論は認めるべきでないという立場で?

二段目
濫用を防ぐためだ、一言でいえば。
まず39条のおかげで検察が裁判にかける前に灰色の奴を病院送りにさせてしまう。
あらゆる犯罪者は裁判で裁かれなくてはいけない。
結果として精神障害と認定されるのはまあいい。
問題は公開の場でなく密室でそれが決められてしまうこと。
裁判すら受けられないのは被疑者の人権問題でもある。
次に39条なくても「精神障害者を罰しないことはできる」とは言ったが
「今まで通り」にやるとは言ってないぞ。
精神障害を全て故意・過失・情状酌量で総合的に判断すればよろしい。
今や39条は悪党の最後の逃げ場になりはててしまった。
冤罪の余地がない凶悪犯の弁護は39条に行き着く。
問題とすべきは故意過失だけで十分である。
通常考えられる精神障害者の犯罪は故意も過失も認められず
刑務所でなくしかるべき場所へ持っていけばよろしい。
一つ言い忘れていたが日本では犯罪を犯した精神障害者を
それ専門の施設でなく普通の精神病院に入れる。
こんなことをしてるのは先進国では日本だけである。
それ専門の施設もないくせに39条があるのはトンデモといえる。

三段目
俺は明文規定がないけれども特定の状況について罪を罰しないのは
罪刑法定主義には反しないとは言ったが
>>明文がないけれども、処罰しないわけにはいかないものも当然あるわけで
これは完全に罪刑法定主義違反だぞ。
39条ないのに精神障害者を罰しないのには問題があるが
39条あるのに「原因において自由な行為」を罰するのは問題がないと?
逆だ、逆。どっちが憲法違反かよく考えよう。
>>そこを「文言にしばられつつ」解釈してのりきっているのです
39条をどうがんばって読んでも「原因において自由な行為」はでてきませんが?
全く文言に縛られてないじゃん。
これも憲法9条と同じ、現実の必要性が明文を超えたケースであるが
肝心の明文規定を現実に適合させることよりアクロバチックな解釈が好まれるようだ

最後の6行くらい
俺が言ったことを採用している国もあるし
39条なくても本当の心神喪失者の行為は罰せず、それ専門の施設に入院させれば
対処可能と何度も言ったはずです。
>>罰せられるべきでない者が刑罰を受けることの方がもっと許されないから。
最後にこれが出てくるのを見ると俺の発言を何も理解してなかったのか悲しくなる。
確かに法律を熱心に勉強しているのはこういうタイプが多かった。
与えられた枠を超えて考えようとしてみないようなタイプが。

54. 「国立の実態」を書いたものですが 2003/09/06(土) 21:43:01
そもそも昔人さんのスタンスは
>人の精神なんて誰にも分析できないのだから、いい加減刑法39条はやめにしたらどうか。
>精神科医に「本物の精神病」と「詐病」を
>見分ける力はないわけで、そしたら39条は理論的な意義しか残らないね。
>検察が不起訴にして精神病院に送ってきた場合、精神科医は裁判官と同じ権限を持つ
>なぜ裁判官でもない精神科医が犯罪者の処遇を決められるのですか。

だったと思うのですが、私はそれに対して「悪いのは精神科医ではない」と述べたまでであって、
「誰も悪くない」とも言っていません。このままでいいとは思いません。
それは先日の文末で述べたところです。

精神科医が判定をあやまったとすれば、当然精神科医も非難されます。
がんばっても地震判定がはずれたときと同じで。
しかし、精神病と判断されたが実際は精神病じゃなかった・・・・・・というケースは、
詐病がほとんどだと思います。
消極的に言えば、減刑判断が下されるから損失は少ないと言えるでしょう。
逆に「精神病だったのに精神病でないと判断された」場合が大問題です。
この場合、治療を受けるべき人は治療を受けられず、
刑務所送りになって無意味な数年間をすごすことになります。
場合によっては一生が終わります。
だから精神科医は非難されるでしょうけれども、
こういう事態になる可能性の大きいケースは
「たまたま犯行当時精神病だった(ときどき正気に戻るタイプ)」
ものであって、昔人さんはそれに対して「減刑すべきでない」と言っているわけですから、
どのみち昔人さんとしては納得のいく結果になるのではないでしょうか。
私は賛成しかねますが。

裁判時の鑑定でなく、入退院の決定のとき、「精神病が治ったと思ったら治ってなかった」
というケースでは、もちろん精神病院の責任もあります。
しかしやはり、「治るまで入院」などとあいまいな処遇を決定した司法側の判断も責められるべきでしょう。

やや抽象的な成文法を持つ日本では、どうしてもガチガチな理論で固めるしかないけれども、
理論の根底には常に各人なりの「正義」が横たわっていて、
その「正義」をできるだけ納得のいくように(論理的に)説明しようとしているのです。
そしてこの場合、昔人さんと私の議論の中心となる決定的な違いは
「犯行当時たまたま精神病だった者」の扱いであり、
理論に縛られない考えVS法律の蛸壺的議論
という戦いでないことも、合わせて考えていただきたく思います。

55. 昔人 2003/09/06(土) 22:45:06
一段目
ならばとりあえず現状の制度のどこが問題がありでどう改革すればいいか
私見を言うべきではないでしょうか?
私は制度が問題ありとは思いますが、
自信がない限り精神科医も引き受けるべきではないと思いますが。
私が思う制度の欠陥
「措置入院には知事と二人の精神科医の了解がいるのに,
退院は担当精神科医の判断のみでよいという制度の方もやはり問題であろう.」
アメリカでの対処法
「精神障害の疑いがある容疑者が逮捕された場合、
裁判官は医師の意見を聞き出廷の可否を決め、出廷不能の場合は治療後に裁判を開く。
日本と違うのは、精神障害を理由に無罪となった場合の入退院を裁判官が決定する点だ。
81年3月のレーガン大統領暗殺未遂事件では、無罪で入院となった男について、
医師は再三、退院可能と勧告したが、裁判官が認めず、今も入院中だ。」

俺は精神障害という病気自体フィクションだとは思ってないし
たまに精神発作を起こすようなケースも多々あると承知しているが
そういうことが全くなかった普通の人間が「犯行時のみ」おかしかったというのは
フィクションであり、少なくとも今の精神医学でその犯行時の刹那の
精神状態を解明できるのはフィクションであると思う。
前にも言ったが常に痴呆状態にある老人から、ほんの一時の出来事の状態を
「正常」かどうか聞き出すのは不可能だと思うし、ならばその逆も真だと考える。

一番の相違点は「精神科医の判定をどれほど信頼できるか?」にあるんじゃないか?
「犯行当時たまたま精神病だった者」の扱いについて精神科医でも意見は
バラバラのケースが多いよ。そして何度も言ってるように
それなりに知恵の働く犯人にとって精神科医を騙すのは容易である。
だから俺は精神科医の診断は判決の判断材料程度の価値しか認めないが
国立さんはそれが全てと思ってるのだろう。

そして他の専門家と精神科医とは全然異なる事情が存在する。
地震とか災害とか例をとってみればわかるように専門家はある種のデータを
元に自分の意見を言うが、少し勉強したらジャーナリストでも
俺ら素人でもその意見が正当かどうかわかるもんだし
よほど専門的でもその筋の他の専門家に聞いたりできる。
常に議論はオープンだし公的な批判にさらされやすいし
信頼が失墜すれば二度と裁判には呼ばれないだろうし
俺らもその専門家がまともかどうかわかるってもんだ。

一方、精神科医は「個別で面接」という特殊な条件を与えられているので
批判ができない。なぜなら同じ状況で容疑者に面接したのは彼一人だけだからだ。
だから彼は反論される心配はないし、そう思うに至った経緯を事細かに説明する
必要もなくなる。だから結果責任を問われるのだろうが
経緯が明らかでない以上、まともな精神科医だったのか
呆れ返るような不勉強の精神科医だったのかさえ俺らはわからん。
しかもそういう奴が犯罪者の処遇に決定的な影響力をもつのだ。

今回で色々と心神喪失のサイトを見て回ったが
宅間の事件に影響を受けて文章書いているのが多い。
けど宅間は39条と何も関係がないだろ。
決定的な違いは「39条は悪党の最後の逃げ場」みたいな裁判のあり方をどう
思っているかだ。そういったケースのほとんどが「犯行当時たまたま精神病だった者」
であるわけであり、私はこれをフィクションだと思うわけだ。
そういったケースのほとんどは明確な故意がある。
宅間もそうだし宮崎勤もそうだ。
「やってやろう」という意思はあるわけで、これを心神喪失と言うのは
詭弁以外の何物でもない。故意がある以上、心神喪失は問題にならない。
俺が思う解決策で詭弁・濫用は著しく減る。
確かに「日頃正常な人間がときたま精神発作を起こす」ケースはあろうが
そういうった事例はまず故意や過失すら認定されないし
何の問題もないだろう。

俺は何度も「こうすればいい」的な意見を言ってきたが
そちらは俺の意見には反論するが自分のヴィジョンは言わない。
「このままでいい」と思っているように思えるが、そうでないなら
どうすればいいと思っているのか提案すべきでないか。
まず宅間のような弁解の余地のない凶悪事件のたびに
39条が持ち出されるのを仕方ないと思うか、もっちいい方法があるのかどうか。

56. 「国立の実態」を書いたものですが 2003/09/06(土) 22:51:35
途中はさみましたね。

んーーーーー、だから、
日本の抽象的な成文法は「文言の枠をつけつつ恣意専断を避ける」ものなので、
日本の刑法では基本的には「文言を離れた解釈」を嫌がるんですよ。
だから今まであった理論を明文化しようというならともかく、
39条を無くすのなんて言語同断だし、
ましてわざわざ39条無くして新しく理論を構築するなんて危険すぎます。

>期待可能性の理論、自救行為、被害者の同意ある行為
「超法規的違法性阻却事由」とよばれていますが、その前提は「憲法に書かれた基本的人権を保障するために必要な行為」であって、
「刑法35条の正当行為に含まれると解すべきもの」とされています。
だから、文言から離れているわけではないんですよ(形式上)。
>原因において自由な行為論
普通に読んでもなかなかわかりにくいと思います。
抽象的刑法の利点でもあり欠点でもあるところです。
つまり「心神喪失の者の行為」という文言にしばられているわけです。
「心神喪失=精神障害により事理弁識能力と制御能力が欠けた状態」
で、「行為」は「原因行為」と「結果行為」に分けて、
「結果行為(例えば殺人)のときに心神喪失でも、原因行為のときに責任能力があったら
全体の行為として心神喪失とはいえない」
とするわけです。
これが明文かといわれると微妙なのですがとりあえず「文言にしばられている」のです(形式上)。
罪刑法定主義からすれば「自分の行為が罰せられるか否かわかる」ことで「被告人の人権を保護する」のが一番大切、
「違法行為でも責任能力なければ罰せられないや」という期待を保護する必要がないというのは、もちろん正しい。
だからこそ上記のような無理矢理ともとれる理論が展開するわけですが。

>(積極的)安楽死
これは宗教的な意味も多分に含まれるのでなんともいえません。
ただ、同意殺人を罰する以上罰せざるを得ないのではないでしょうか?(区別が難しい)
でも「医療として適切な行為」が罰せられないのと同様に、
患者の同意を得た苦痛緩和によるモルヒネ投与等の「間接的安楽死」は認められるべきです。実際認められてます。

>昔人さんの言うことを採用している国
も存在するから、昔人さんの考えが正しいとは言えないと思います。
極端な例、死刑廃止している国もあれば廃止していない国もあるわけですし。

>最後にこれが出てくるのを見ると俺の発言を何も理解してなかったのか悲しくなる。
>確かに法律を熱心に勉強しているのはこういうタイプが多かった。
>与えられた枠を超えて考えようとしてみないようなタイプが。
熱心に議論する気がなければこんなにレスしたりしませんよ。
少なくとも私なりに理解しようと努めて読んでいるつもりです。
でも、与えられた枠(刑法?)を超えて考えるにしても、昔人さんの考え方
(=犯行時たまたま心神喪失だった人は罰せよ)
には同意できません。
だって、私の理想とする「正義」に合ってないから。

57. 「国立の実態」を書いたものですが 2003/09/06(土) 23:01:48
>だから俺は精神科医の診断は判決の判断材料程度の価値しか認めないが
>国立さんはそれが全てと思ってるのだろう。

いやいや、私は
>精神鑑定についてですが、
>A本人が精神病を患っている
>Bそのために犯行当時弁識能力または制御能力を欠いていた
>のうち、主にAに関して専門家の意見が強くでますが、
>全体として裁判官の自由心証によるところも大きいです。
と上で述べました。

都合でしばらくレスできませんが、また戻ります。
いったん失礼します。

58. 昔人 2003/09/07(日) 14:13:03
もうはっきり言ってしまえば
「刑法学者の間での内輪の取り決めごとを押し付けている」
としかいえませんね。
こうなったら刑法理論の異常さより
日本の刑法学の異常さは丁寧に説明しているわけです。
日本では〜なので、〜を嫌がるんですよ、それで〜とされていて
〜しているわけではなくって、〜なわけです。

「ここがヘンだよ、日本刑法」という番組に出れば百点満点の答案です。
けれど素人は誰一人納得できませんよ。
なぜそういう理論になるのかの説明はわかったので
それが正しいと思ってるかどうかが聞きたいわけです。
そんな意味不明な解釈を続けるくらいなら素直に条文を改正しろと誰も思うでしょう。

やたら明文規定にこだわるわりに超法規的違法性阻却事由を
あっさり35条に読み取るのは感服しました。
が、これも「原因において自由な行為」も刑法界の取り決めごとにすぎません。
「わかりにくい」とかいう問題でなく誰が読んだってそんな意味には読めないからです。
これを牽強付会というのですが、どのみち現実の必要性から
無理やりな解釈を編み出したのは認めざるをえないでしょうね。

そんなアクロバティックな解釈を好むなら、刑法38条
「罪を犯す意なき行為はこれを罰せず」に心神喪失無罪は十分読み取れるでしょう。
俺の言いたいこと、つまり39条廃止して故意過失一本化するメリットは
「故意ある心神喪失を認めない」に尽きる。
俺も精神錯乱みたいなのは見てきたが、だいたい心神喪失の行為は突然起きる物であり
「被害者はたまたまその場にいた人間。従って近親者が多く、自傷も多い」
「凶器はたまたま手にあったもの。鉛筆や石など」
のケースがほとんどであろう。
これが殺人事件になるのは、石で思い切り殴りすぎたか、ホームから突き落としたか。
こういうのか故意がなくて罰せず、ということになる。
俺の案に反対する人は「故意ある心神喪失を認める」という人だろう。
エリートの小学生を殺そうと思い、カーナビを小学校にセットして
行く途中で高級の包丁を買っていって小学校に乗り込むと言う
「心神喪失」がありうるのかどうか。
俺は心神喪失の行為に意思があるわけないから38条の対応で十分と思ってるが
それでも39条残す意義はなんだろうか。

俺の言ってることが採用している国があるのなら
それが北朝鮮とかでない限り、それを「正義」ではないと断ずる行為は
それほど日本が「正義」の国だと思ってるのか北欧は悪魔の国だと思ってるのか。
何度も言うが今の日本の現状がベストだと思ってるんだね?
特に改正することは「原因において自由な行為」を明文にすることくらいと思ってる?

最後
精神科医の意見も裁判官の判断材料にすぎんとなれば
「「措置入院には知事と二人の精神科医の了解がいるのに,
退院は担当精神科医の判断のみでよいという制度の方もやはり問題であろう」
これは問題であることがわかるね。
退院時にはアメリカのように裁判官か、それなりの手続が必要。
これで詐病もチェックできるし問題ないんじゃないかな。
精神科医「送られてきたのはいいんですが、最初から精神病の症状はなかったです」
裁判官「それじゃあ審理のやり直ししたほうがいいですね」ってね。

59. 話は変わりますが 2003/09/10(水) 11:08:35
弁護人が勝手に控訴した模様。
ーーーーーー
宅間被告弁護人が控訴=死刑不服「謝罪引き出す」−池田小事件

大阪教育大付属池田小で2001年6月、児童8人が殺害され、15人が重軽傷を負った事件で、殺人などの罪に問われ、1審大阪地裁で死刑判決を受けた宅間守被告(39)について、弁護側は10日、判決を不服として大阪高裁に控訴した。
 刑事訴訟法は、被告の明示した意思に反して控訴、上告することはできないと定めている。弁護側によると、宅間被告はこれまで「将来的には控訴を取り下げる」との意思を示しているものの、「弁護人が控訴することは理解する」と話しており、弁護側は被告の明示的な意思に反しないと判断した。
 弁護側は控訴審を「贖罪(しょくざい)のため」と位置付けている。心理療法を専門とする東海女子大の長谷川博一教授の協力も得て、控訴取り下げの意思を撤回させた上で、謝罪を引き出すため接見を続ける。 (時事通信)
ーーーーーーーーーーーー
ポカーン・・・・
弁護人が勝手に「贖罪」と決めつけて控訴するなんて、
かえって被告人の権利を侵害しているような気がする。

60. なんで弁護人が 2003/09/10(水) 19:07:35
勝手に控訴するんですか?

61. ↑↑ 2003/09/10(水) 20:33:43
あんた条文しか読んでないやろ。

62. ↑スマソ 2003/09/10(水) 20:34:52
>昔人 2003/09/07(日) 14:13:03
のことです。

63. 勝手に引用するが 2003/09/10(水) 23:01:45
>多くの人が納得できないと感じている。ごめんなさいっていう反省が無いからかな。
>でも、もし宅間が涙流して本心から反省したらどうなるか考えると、
>たぶん、そのときみんなも宅間も納得して死刑を支持するんだろうな。
>ということは、どっちみち宅間は死刑なんだけど、
>僕らの設定している自明でスムースな死刑宣告ルート、
>あるいはコンテクストに宅間がのってこないのが腹立たしくて納得できないんだな。

ということなんだろう。

64. 今朝の特ダネでも 2003/09/11(木) 17:33:06
弁護人による控訴について扱っていて、
コメンテータの一人が
「贖罪を求めるということは被告は精神障害ではないと言うに等しく、一審で精神障害で争っていたのと矛盾する」と批判していた。
それに、弁護団と精神科の教授が「遺族に謝罪させたい」ということをしきりに言っていたが、
一審で散々遺族を侮辱してた人間が二審で遺族に謝罪するなんて有り得るのだろうか?
遺族に二重の苦しみを与えてしまいかねない。

65. 昔人 2003/09/11(木) 19:23:17
>>「贖罪を求めるということは被告は精神障害ではないと言うに等しく、
>>一審で精神障害で争っていたのと矛盾する」
悪いことをやっても謝罪しない人間は精神障害なんかね?
そんな人いくらでもいるだろうに。

>>あんた条文しか読んでないやろ。
何を読め、と?

66. 2003/09/12(金) 11:41:27
謝罪するには自分が原因なんだっていう意識が不可欠でしょう。詫間の話からすると、原因は詫間本人にはないよね。詫間の自覚では、自分は運命にのっかってる。だったら、謝罪なんてできないんじゃないか。
 実際、詫間が事件起こそうって思ったのにはさまざまな要因があるわけで、それらに詫間が関与しているわけではない。人間を主体だと考え、それに固執するほうが無理があるんであって、サブリミナル効果などの研究を踏まえて、人間観を改めていく時期なんだろうね。

67. 2003/09/18(木) 17:08:09
とりあえず
前田刑法でも読んでみよう・・・
議論がワカラン

68. あばな 2003/10/13(月) 02:36:39
宅間死刑決定age

69. 某四回@死刑に関して 2003/10/13(月) 08:15:04
議論がおわったようなので蒸し返すが。

>ザビ 2003/08/30(土) 20:05:55
>死刑は、大衆によって民主主義的に行われる私刑だ。

まったくもって正しい。
そもそも私刑は原始の昔から人間に認められてきた権利だ。
国民国家ではその権利を国に仮託しているだけのこと。
日本でも明治まではあだ討ち決闘が認められていた。

>死刑は 2003/08/29(金) 12:09:16
死刑は私刑じゃないかなんて言う馬鹿は根本がわかってない。
さらにそれをもって死刑廃止論を述べるなど笑わせる。
>ssssss 2003/08/29(金) 14:16:06
犯罪者が悪いのではなくて社会が悪いなどというセリフはアホの極致なので言わない方がいい。

70. 某四回@死刑に関して 2003/10/13(月) 08:31:09
>死刑は 2003/08/29(金) 12:09:16

>殺人が許せない非人間的行為であり、その理由が
>人間の命の絶対性であるのなら

先ほども述べたように我々の殺人権は国家に委託済みである。
だから国民国家で人を殺してよいのは国家だけで、
個人に殺人が許されないのは国家の権利を侵害することになる。

人命が大事だから殺人はいけないなんて理由はそもそも存在しない。
勝手に理由をでっちあげないように。

71. 某四回@ちなみに 2003/10/13(月) 08:37:32
国家に対して権利の返還を求める方法はいくつもあるし、
返還を求めるのはまったくの自由だ。

私を国家至上主義者のように誤解する馬鹿がいたらとりあえず罵倒する。

(ちなみに国家と縁を切ったら日本人でなくなるので即座に国外追放だろう。
あたりまえだ。
殺人権をもつ人間を国内に入れていたら国家が成立しない)

72. 昔人 2003/10/13(月) 09:53:44
テロ(人殺し)を予防、撲滅するための戦争(人殺し)が正義なら
国家が死刑を行うことに何の問題もないよなあ、ヨーロッパ諸国さんよ。

73. ぼたん 2003/10/14(火) 04:15:35
国立の実態を書いたものですが、です。
むしかえすのもなんですが、一応。
夜も遅いので手短に。

>アクロバティックな解釈諸々
もともと条文が抽象的なのは、解釈を文言の意味から可能な範囲に限定することで、人権保障をするためです。
正当行為の意味を広めにとっても、この大前提に違えるところはありません。

しかし、
>刑法38条
では絶対に処理できません。
刑法38条第一項を引用します。
「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」

「罪を犯す意思がない」について、
罪を犯す意思→故意
罪を犯す意思がない→過失
とすることに異論はないと思われます。
もし心神喪失を含むとなると、但し書きから、「法律に規定さえあれば心神喪失で犯した犯罪も罰せられる」ことになってしまうからです。
だから、この条文を心神喪失に使うことは不可能です。
条文はひとつひとつの言葉を見るのでなく、
全体をよく読まないと意味が取れませんよ。

これを一般人に分からないからよくない、というのは現行刑法の意図を無視しています。
細かく規定を置きすぎることで起こる弊害だってたくさんあるからです。

>現行刑法がベストか
そんなはずはないし、国民の意見が取り入れられて改正されることもあります。
自動車事故に関して重罰化がなされたのもその一環ですね。
しかし、人の自由を奪う刑法の規定が安易に変更されるとなると、それはそれで大問題です。
だから個人的には、少なくとも一般の人々もそれは処罰されてしかるべきだと思い、
できれば確立された判例が存在し、
現行刑法の規定からは読み取りづらいものに関して、
条文が作り直されるべきだと思います。

>それほど日本が「正義」の国だと思ってるのか北欧は悪魔の国だと思ってるのか。
いや、私はただ、どちらが正しいとは言い切れないと言っただけです。
昔人さんは北欧が「正義」の国だと思っているようでしたので。

>精神病院
おおむね賛成です。
ただ、私は刑事訴訟法はくわしくないのですが、
裁判官は再審請求できないし、再審請求はもともと認められにくいようです。
しかも検察は有罪率99%を誇っていますから、
むしろ問題となるのは、昔人さんが過去に指摘したように、
検察が起訴せずてきとうに入院させた場合でしょうか。
いずれにせよ早く整備を進めてほしいものです。

74. 昔人 2003/10/14(火) 22:21:37
>>条文が抽象的なのは、解釈を文言の意味から可能な範囲に限定することで、人権保障をする
>>条文はひとつひとつの言葉を見るのでなく、全体をよく読まないと意味が取れませんよ。
この辺はもう完全に本人の世界に入ってるんでどうにかしてください。
それはそのとおりだとしても、だからといって自説が正しい証拠にはまったくならんよ。
何度も言ってるようにその二つの論理で38条に心神喪失不可罰を意味を認めるのは
まったく難しいことではない。
>>>それほど日本が「正義」の国だと思ってるのか北欧は悪魔の国だと思ってるのか。
>>いや、私はただ、どちらが正しいとは言い切れないと言っただけです。
以前の発言だ→『私の理想とする「正義」に合ってないから』
他の国で採用されている制度に「正義」ではないと断言したわけだ。
その自信はどこにあるの?どっちが正しいか言い切ってしまってるじゃない。

何度も言うように法律家の蛸壺議論だ。それだから一般民衆さえ納得させられない。

しかも平気でこんな二分法を使う
「罪を犯す意思→故意
罪を犯す意思がない→過失」
過失は故意ではないが、本人に何らかの責任がある行為だ。
罪を犯す意思がまったくなく、本人の何らかの責任もなければ過失にさえならん。
無罪だ。犯罪ではない。
心神喪失がこれにあたる。
法律の但し書き云々は詭弁にすぎん。
現行刑法では、但し書きさえあれば責任がまったくない行為も罰せられるのか?
車を使って人をひき殺したなら故意
携帯電話を使って運転中に誤って轢いたのなら過失
新幹線の運転手が駅通過直前に線路に飛び込んだ人をブレーキ間に合わずに轢いたら?
これは過失?但し書きさえクリアしたらこんな行為も罰せられるの?
それじゃあ現行刑法そのものに問題があるよねえ。
心神喪失は故意ではないのはもちろん、過失でもないぞ。

何が「絶対に処理できません」だ。上のような事を考えなくても
単純に38条を「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。
ただし、法律に特別の規定がある場合は、過失犯を罰する」
と言う風に改正すれば全て済んでしまうわけだし。
その程度の頭も働かないから法律家の蛸壺議論だと言っている。

75. とおりすがり 2003/10/15(水) 15:45:11
宅間の考え方はわかる。
確かに我々底辺の一般庶民にすれば
国立のええとこのボンボンはむかつく!!

けど、そいつら殺して何になる?
それに、やっていいことと悪いことがある。
それやりゃ死刑になるのは当然だが
それを理解したうえでの犯行であるにせよ
対象とされたのが小学生とは・・・
何ともかわいそうである

どうせやるなら国会議事堂で機関銃ブッ放してほしかった。
金しか眼がない自民党国会議員を皆殺しにしてくれた方が
よっぽどよかったと思うが・・・

76. びっくりした 2003/10/15(水) 18:50:19
http://www.google.com/search?q=%91%FB%9A%E2%8Bc%98_&hl=ja&lr=lang_ja

77. ぼたん 2003/10/16(木) 17:58:23
>びっくりした
たしかにびっくりしました。

>昔人さん
心神喪失者や心神耗弱者の処罰につき、あなたの言っていることを聞いていると、
「今の日本刑法はダメダメだ!解釈も全然なってない!
私の言うことが正しいんだ!!」とだだをこねているようにしか聞こえません。
一般民衆を納得させるといいますが、そのままでは誰も納得しませんよ。
今の日本刑法をきちんと知らないのに、蛸壺蛸壺といってやみくもに批判されても困ります。
理想論としても、実現可能性についても、大いに疑問があります。

>「私の理想とする正義」
って
>昔人さんの考え方(=犯行時たまたま心神喪失だった人は罰せよ)
>には同意できません。
>だって、私の理想とする「正義」に合ってないから。
のことですよね???これは昔人さんの心神喪失者処罰に対する考えへの批判であって、
北欧の話とは無関係ですよ。
北欧の話は
>「人権先進国」であるスウェーデンとノルウェーでは
>39条にあたる条文が削除されてしまったらしい。
>だからといって精神障害者を等しく罰しているわけでもなく
でしょう?私は刑法39条にあたる条文を削除した北欧が悪いとは別に思っちゃいません。
でもそのことが、日本の刑法より必ずしも正しいとは言い切れないと述べたのです。
日本と北欧では、刑法典の条文も運用もだいぶちがうものでしょうから。
そして、日本で刑法39条を無くすのは現実的とは言えない(前述)ことから考えれば、
日本のとっている立場を維持したほうが現実的といえるでしょう。
>昔人さんの言うことを採用している国も存在するから、
>昔人さんの考えが正しいとは言えないと思います。
この部分の「昔人さんの言うこと」とは「刑法39条にあたる条文の削除」を指します。

>平気でこんな二分法
ちがいます。条文の「罪を犯す意思がない」という「言葉」が法律用語でいうところの「過失」を指しているだけであって、
何を「過失」の内容とするかはまた別問題でしょう?
わざわざ刑法典は「心神喪失とは何か」「過失とは何か」を書いてはくれません。
そこを解釈にゆだねるためです。
この「過失」の内容については学者により意見が分かれるところですが、「罪を犯す意思がない」という部分は
(その中身はどうあれ)「過失」と読み替えられるのは常識です。
>但し書き
上記のように、38条1項の条文は「過失犯は基本的に罰せられない。ただし、法律の規定があれば話は別」という意味です。
つまり、この条文は、「故意犯処罰の原則」の宣言規定なのです。
そこに心神喪失云々を放り込むのは極めてナンセンスです。
それに、刑法に過失犯を処罰する規定はちゃんと存在しますが(「過失により」とか「失火により」と書いてあるもの)、
心神喪失者を処罰する特別規定がないこととも大いに矛盾します。
そもそも、心身喪失者を処罰しないという刑法の大原則にも、完璧にそむくことになりますね。
但し書きさえあれば、ではなくて、この「宣言規定」の「但し書きにそって」、過失犯処罰のためのルールが作られているのです。
>新幹線の運転手が駅通過直前に線路に飛び込んだ人をブレーキ間に合わずに轢いたら?
過失の内容の決め方によっては、運転手の責任は問われません。
たとえばある論者は「行為の社会的相当性」も過失判断の考慮に入れるとしています。
つまり、列車の運転手が定刻どおりに列車を運行することは、
社会的に認められている行為ですし、認められないと困ります。
だから、運転手には故意も過失もなく、処罰されません。
(ちなみに、もしも、線路に人がくくりつけられているのを「運転前から知っていた」のに列車をとめなかった場合は、
故意犯として処罰されます)。
そのほかも、根拠付けはそれぞれに異なりますが、
このような例で運転手が処罰されると言っている学者はほとんどいませんよ。
刑法の本を読めばいくらでも書いてある話です。

>単純に38条を「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。
>ただし、法律に特別の規定がある場合は、過失犯を罰する」
このように改正したところで、条文を汚すだけです。
心神耗弱はどう考慮するんですか?二項や三項との兼ね合いは?
そんなことするくらいなら、刑法39条残したほうが絶対にいいですよ。
刑法39条という柱を無くすなら、別の古い柱に支えさせようとするのではなく、
新しい柱を作るほうが懸命でしょう。

78. ぼたん 2003/10/16(木) 18:05:20
宅間の話でしたね。
この議論は少し逸れすぎだったかもしれません。
長文失礼しました。

生前に、親に会うことも、好きなものを食べることも、死を覚悟することもさせず、たくさんの小学生を殺しまわったにもかかわらず、
「今までおとなしくしていたのだから言いたいことを言わせろ」「早く死刑を執行しろ。これは法に基づく権利だ」とは……身勝手にもほどがありますね。
誰でもみんな「生きる権利」があるんですよ。
ただただ憤りを感じます。

79. 昔人 2003/10/16(木) 22:23:00
>>「今の日本刑法はダメダメだ!解釈も全然なってない!私の言うことが正しいんだ!!」
そこまで言ってるかどうかはともかく、もちろん自分の「かくあるべき」論を
主張しているわけです。日本の刑法全体というより、主に心神喪失の部分に関して
解釈に関してはあまりに明文規定から離れようとしているのには批判してますがね。

>>一般民衆を納得させるといいますが、そのままでは誰も納得しませんよ。
>>理想論としても、実現可能性についても、大いに疑問があります。
>>刑法38条では「絶対」に処理できません。
この辺はさ、自身も認めているように俺の主張を採用している国もあるわけだ。
なのにそこまで言い切ってしまう自信を知りたい。
俺から見れば「だだをこねている」ようにしか見えない。

>>昔人さんの考え方(=犯行時たまたま心神喪失だった人は罰せよ)
最初に言ったこれがよくわからん方向に発展させているのか?
理論的に言い直す「故意、過失のある行為に心神喪失は認めない」
今までの主張としっくり来るだろ。
38条では「故意も過失もない行為は罰しない」ことになり
心神喪失はまさに「故意も過失もない行為」にあたる。
もちろん、これを採用している国は多い。
それでもまだ正義に反するかい?

えっと、38条について言いたかったことが全く伝わらなかったようだ。
うまい例を考えられなかったのが問題だ。
新幹線の例で言いたかったのは「故意も過失もない行為はどうする?」ってことだ。
まあ、無罪だろう。その根拠は?38条じゃないのかね。
一々、まわりくどい考え方をしているようだけど「故意でもなく過失もなければ無罪」
っていうのはわかってるんだよね?(新幹線の例はそれを言いたかった)
それを心神喪失に当てはめればいいだけの話でないの?
自分も認めているように「故意も過失もない行為」を罰するのはありえないよ。
これは「刑法の本を読めばいくらでも書いてある話です。」
俺の考えでは「心神喪失の行為は故意も過失もない」と思ってる。
なぜここまで来て意見に相違が出るかわからん。
根拠規定は不満があるのかしらないけど、
俺としては「故意も過失もない行為は罰さない」という原則が確認できれば
それを心神喪失に当てはめて、39条をつぶせばいいと思ってるだけ。
もちろん、あなたが「故意も過失もある心神喪失の行為は存在する」と思ってるなら
これから先のステージに突入するところだが、今はここまでで止めておこう。
以前言われた「なぜ39条を目の敵にするのか」という質問の答えはここだ。
明らかに「過失どころか故意ある」行為も心神喪失として無罪になっていってるから。
今がそういう運用ならそれができないように変えてしまったほうがいいと思ってる。

>>心神耗弱はどう考慮するんですか?
その二分法もいらないと思う。
まったくの心神喪失なら「過失なし」だし、
いくらか本人の意思が残っていれば「過失」として処理すればいいだけ。

>>今の日本刑法をきちんと知らないのに
あなたがよく知ってるのは「今の日本刑法界の主流の議論」ですよ。
俺もそれぐらいは知ってる上で発言してるんだけどな。
だいたい「今の日本刑法」ってここ50年たいしてかわっとらんぞ。
戦前と比べてもそんなに変わってないのに。
あなたのいう「刑法」は「学説の趨勢」について述べているんですか?
学説を細かく勉強しないとわからないような法律は
さっさと条文見れば誰にでも意味が明らかなように改正すればいいとは思ってる。
刑法に限った話でないよ。

宅間の議論に戻ると、カーナビを小学校にセットして
来る途中にごっつい包丁を購入してくる「過失犯」があるか。
心神喪失を議論する余地もない。故意犯です。

80. ぼたん 2003/10/17(金) 20:09:46
>>一般民衆を納得させるといいますが、そのままでは誰も納得しませんよ。
>>理想論としても、実現可能性についても、大いに疑問があります。
>>刑法38条では「絶対」に処理できません。
>この辺はさ、自身も認めているように俺の主張を採用している国もあるわけだ。
>なのにそこまで言い切ってしまう自信を知りたい。
>俺から見れば「だだをこねている」ようにしか見えない。
日本と外国じゃもとになる法律も運用も状況も違うといっているのです。
外国でできるから日本でもできる、そしてそれが正しい、とは言い切れません。
たとえば、アメリカと同じ陪審制度が日本で採用できますか?そしてそれは正しいことですか?
(国民の参加については、日本では諸外国を参考に、「裁判員制度」を作ろうとしています。
まるっきりそのまままねするのではなくて)
それに、たとえ外国が全く日本と同じ刑法を持っていたとしても、
この刑法38条の構成では、心神喪失と心神耗弱を考慮することは不可能です。
以下にそれを論じます。

>一々、まわりくどい考え方をしているようだけど「故意でもなく過失もなければ無罪」
>っていうのはわかってるんだよね?(新幹線の例はそれを言いたかった)
>それを心神喪失に当てはめればいいだけの話でないの?
故意と過失をどの段階で論じるのかにも異なりますが、
責任能力あっても故意や過失がない場合の不可罰と、
責任能力がなくて不可罰なのとは本質的に異なります。
前者は、本人をそのまま社会に返しても危険とはいえないけど、
後者は、何らかの治療なりしないとその人は「危険」なままです。

ですから、仮に過失も故意も「主観(責任)」の問題だとするとしても、
その人の人格的な能力と、その他の事情による責任の不存在は分けて考えられるべきですよね。
罰しない理由が全然違うのに、同じ条文にいれてしまえというのは乱暴です。

上記のような理由以外に決定的なのが
心神喪失者と心神耗弱者の問題ですが、うまいこと伝わってなかったようです。

まず、現在の刑法では心神耗弱者(昔人さんがいうところの「いくらか本人の意思が残っている人」)は「減刑」します。
ここにいう「減刑」とは、本来受けるべき刑罰が半分になるということです。
いくらか責任能力が残っているので不可罰とまではいえないけど、
責任能力の欠けた人を責任能力が完全にあった人と同等に処罰するわけにはいかないから。

さて、昔人さんの改正刑法38条1項は次のようなものでした。
>罪を犯す意思のない行為は、罰しない。ただし、過失犯につき、
>法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
過失と責任能力を一緒に考えている点で、論理的にまずい構成です。

おまけに、この条文では、過失犯として処罰するか、減刑なしで故意犯処罰するしかないですよね。
さてどうしたものか。新しい条文を別に作るなら、39条無くす意味はなくなってしまうし・・・・・・。

そこで昔人さんは、
>いくらか本人の意思が残っていれば「過失」として処理すればいいだけ。
とおっしゃってます。
上記のように過失と責任能力の問題は全然違うし、
心神耗弱は「罪を犯す意思がない」とはいえないので、非常に無理のある解釈です。

そして、論理的にどうかはおいておくとしても、もしこんな処理をしたらどうなってしまうか。
過失犯は刑法典には8つしかないので(行政法にはまだあるけど)、
今まで故意犯減刑で処罰されてきた心神耗弱者は、昔人さんの改正の結果、
この先みんな不可罰になってしまうわけです。
一応責任能力が残っているのに、おかしいですよね。

で、もしこれを防ぐために新しく過失犯を罰する条文を作ったらどうなるか。
たとえば「過失器物損壊罪(現行刑法にはない)」を作ったとすると、
過失で物を壊しちゃうことってよくありますから、
そのたびに人が逮捕されたら困りますし、
故意犯処罰の原則もくずれちゃいますね。

以上のような理由から、刑法38条に責任能力を含めるのは無理であり、
刑法39条を残すべきだと思われます。

>学説を細かく勉強しないとわからないような法律は
>さっさと条文見れば誰にでも意味が明らかなように改正すればいいとは思ってる。
>刑法に限った話でないよ。
たしかに、日本などの抽象的な法律の国もあれば、いわゆる「教科書的な法律」の国もありますよね。
ですが、そのような法律は、確かに誰が見てもわかる反面、
規定が細かすぎて柔軟性や論理的一貫性に欠け、
かえって人権保護にそぐわないとも言われています。
つまり、どちらも一長一短なので、特にどちらを採用したほうがいいとは言えないと思われます。
今の日本は、せっかく抽象的な法律を採用しているのですから、
なるべくその流れにそって適切な運用を考えていくべきだと思います。

81. 昔人 2003/10/18(土) 00:13:07
とりあえず俺の主張は、制度としては今の日本の奴と自説と両方考えられるわけで
そして自説のが良いと思うから強く主張しているわけだ。
一方、ぼたんさんは始めの頃は俺の説の制度が「ありえない」「無理」「不可能」
みたいな強い言い方していたけど、今はその辺はどうなのだろう?
制度としてそういった物もアリだけど、自分は今の日本の方がいいと思うのか
制度としてもそういうのはありえないと思うのか。
どっちの制度が優れているかという価値判断のステップに進むのか
やはりそういう制度自体が問題であるという議論に留まるのか。

>>アメリカと同じ陪審制度が日本で採用できますか?そしてそれは正しいことですか?
採用はできるよ、もちろんメリットデメリットありで俺は後者のが大きいと思う。
俺の言う「採用できる」は刑法や憲法の細かい条文の解釈とかは抜いての話ね。
それが邪魔で出来ないようなら出来るように改正すればいいだけの話。

故意・過失がない場合と責任能力がない場合と全然別、
というけど条文の書き方は一緒ですね。「〜は罰しない」
39条に「罰しないが治療は必要である」とも書いていない。
「本質的に異なります」と書いてあるけど、どこをどう読んでも
異なっているのは「その後に治療が必要かどうか」だけしか書いてないし
それは「罰しない」理由ではないでしょう。
>>罰しない理由が全然違うのに
ちょっとこの辺りはもう一度考えてきた方がいいと思います。

>>ここにいう「減刑」とは、本来受けるべき刑罰が半分になるということです。
ちょっと待て。今まで正確さにこだわっていたのに急に乱暴になったな。
死刑や無期懲役の「半分」て何よ?半殺し?
言いたいと事はわかるのでこれ以上は突っ込まん。
確かに心神耗弱が認められると刑が必要的に半分になりますね。
おかしくない?そんなに抽象的なのが良いと言ってる割にこれじゃみんな半分だよ。
心神耗弱だってピンキリあるでしょう。心神喪失に近いのから故意に近いのまで。
十把一絡げに半分ですか。柔軟性が欠けるよなあ。

そういうわけでさ
>>この条文では、過失犯として処罰するか、故意犯処罰するしかないですよね
その通りで意思が認められれば故意犯か過失犯で処罰することになるね。
以前に心神耗弱=過失犯みたいに書いたのはまずかったと思う。
で、何が問題だっけ?
過失犯なら処罰できる犯罪が少なすぎるし、故意犯なら減刑できないから酷すぎるだったか。
意図的に引用文変えたけどなぜ「故意犯なら減刑なし」なんだい?
言うように抽象的な条文のおかげで柔軟な対応できます。
情状酌量というんだったか。
日本の裁判では故意犯でも画一的な判決せずにいろんな事情を汲んで判決してます。
母親が出産時に錯乱して殺してしまったときとか、
他国ではそういうのを一々条文で定めてるのもあるけど
日本ではたいてい執行猶予あたりに落ち着きますね。
心神耗弱だろうとそうでなくても。
今だって「だいたいこれぐらいの犯罪ならこれぐらいの刑だろう」という「相場」から
半分にしているわけではないでしょう。実際は情状酌量したうえで
「これぐらいの刑が適当だろう」というアタリをつけて判断しているわけだ。
そういう運用であるなら心神耗弱の減刑規程に意味があるとは思えない。

最後に抽象的な条文の良さについて述べると
故殺、謀殺、毒殺とか事細かに刑まできっちり分けている刑法と
日本のように単純に「人を殺したものは〜」で柔軟な運用している刑法は
いずれも一長一短で確かにそれは無理に変えることもないと思う。
けれど俺が言いたいのはそういう幅の広さではない。
含む範囲が広すぎて素人にはわかりづらいというのと
(運用が)条文からの逸脱が激しすぎて素人には理解できない
というのは本質的に違いますね。その辺もよく考えてください。

82. さて 2003/11/04(火) 17:00:04
定期的に議論するがよかろう

83. 死刑に 2004/09/14(火) 18:00:38
なったよ、おめでとうage

84. ごるご 2004/09/14(火) 18:10:10
宅間がああなったのは
僕らが彼の少年時代を奪った結果さ。

85. 2004/09/14(火) 18:15:13
どういう意味?

86. 死刑執行 2004/09/14(火) 21:19:25
反対論者は、
「一年で執行は速すぎる」(刑訴法では6ヶ月以内に執行、って決まってなかったっけ?)
「謝罪の言葉が出てくるまで待つべきだ」(仮に謝罪したとして赦せるのか?)
だそうな。

87. 昔人 2004/09/14(火) 21:33:43
理解できるかどうかは別にして
「真相」なんてとっくに本人の口から語られていたし
なんで「謝罪の言葉」が必要なのかわからん。
本人が反省し謝罪した上で死刑執行したほうが効果大だろうとは思うが。

こういう現行犯で冤罪の可能性がゼロの場合、死刑執行のハンコを押すのも
気が楽だったろう、法務大臣は。

88. 死刑執行は嘘 2004/09/14(火) 21:35:56
秘密警察「ワイルド7」の新メンバーに抜擢された。

89. 東北人2 2004/09/15(水) 09:47:03
死刑の、理屈は裁判官や法務大臣が考えればいいですよ。授業受けてる子供をいきなり刺すようなのは、娑婆に置いといたら、危険極まりないから(私なら、こんなのと隣り合わせて生活したくない)2度と社会に戻らないようにするために最も確実な方法として死刑にした。以上。

90. 2004/09/20(月) 20:55:15
宅間の奥さんはどうしてんの、今?

91. 俺も知りたい 2004/09/21(火) 02:34:37
何か情報ないの?

92. 重要関連スレ 2004/09/21(火) 06:10:15
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200312/03120049.html

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