真理について
1. とある理学部生
2004/03/22(月) 20:37:59
長くなりますが読んでいただけるとありがたいです。そしてこの若造にご教示ください。
僕は昔、何となく誰にとっても不変である絶対的真理というものを認識し、あたかもすべての世界はそれのみによってなりたっているように考えていました。また真理や真実、正しいという言葉をあまり意識せずに使っていました。
しかし最近真理や事実、正しいということは何かについて深く考えるようになり、ある結論に達しました。それをこれから述べようと思います。
まず真理や事実、正しいということを昔の僕のようにほとんどの人があまり意識せず、またそれにもかかわらず絶対神のようにその存在を信じているのではないかと考えます。そしてその定義は曖昧です。辞書等を読んでみても、「真実」の説明にには「本当」という言葉が用いられ、「本当」の説明には「真実」という言葉が用いられるというように定義が明確でないのです(少なくとも僕には)。定義が明確でない言葉を用い、絶対的真理という得体の知れないものを盲目的に信じ込むことは非常に危険だと思います。
そこで僕は、真実は個々人の信ずるもの、信念であると定義します。なぜこのように定義したかというと、例えば真実を「大多数の人間がそうであると考えるもの」と定義したとします、すると大多数というものがどれだけの数かというナーバスな問題が生じます。一般人が曖昧に用いる「無限」という言葉をきちんと定義しようとするときに、必然的にあの数学的な定義にならざるを得なかったように、僕も真実を定義しようとしたときにそう定義せざるを得なかったのです。
例えば自分の前にパソコンがある。このことは絶対的真理ではないのかと思う人がほとんどでしょう。しかしそこにはあくまで主観(自分の五感)が入っており、完璧に客観的な絶対的真理というものはありえないのです(全世界、全年代の人に確認させることは不可能)。また地動説やアインシュタインの相対性理論はもし誰にも認められなかったとしても真理であるという人がいますが、僕はそれが認められて初めて真理になるのだと思います。また、それを認めている人や、権威のある科学者がそれは真理だと言うことを信じている人以外の人にとってそれは真理でないのです。特殊相対性理論を勉強して納得したが、一般相対性理論はまだ勉強の途中である僕にとって特殊相対性理論は真理ですが、一般相対性理論は真理ではないのです。理学部は真理を探究するところだと言いますが、何らかのかたちで理学と関わったり、見聞きした人たち、科学を信じている人たちにとっての真理なのであり、他の動物にとってそれは人間の感覚、行為、解釈なのであって真理でもなんでもないのだと思います。
また宗教と科学は、他者を信じ込ませる方法(科学は飛行機を飛ぶところを実感させたり、観測結果を説明するなどして他者の五感を刺激することによって信者を増やす)、信者の数や、信者の身分などの点で異なりますが、宗教に比べて科学は完全に客観的な真理だというのは意味をなさないと思われます。
稚拙でくだらない内容の文章をとりとめもなく書きましたが、絶対的真理を暗黙の了解とせず、それが何たるかを個々人が考えることができれば、対人関係や世界の紛争が少しでも改善するのではないでしょうか。
皆さんは真理とは何だと思われますか?絶対的真理というものの存在を信じますか?
僕は昔、何となく誰にとっても不変である絶対的真理というものを認識し、あたかもすべての世界はそれのみによってなりたっているように考えていました。また真理や真実、正しいという言葉をあまり意識せずに使っていました。
しかし最近真理や事実、正しいということは何かについて深く考えるようになり、ある結論に達しました。それをこれから述べようと思います。
まず真理や事実、正しいということを昔の僕のようにほとんどの人があまり意識せず、またそれにもかかわらず絶対神のようにその存在を信じているのではないかと考えます。そしてその定義は曖昧です。辞書等を読んでみても、「真実」の説明にには「本当」という言葉が用いられ、「本当」の説明には「真実」という言葉が用いられるというように定義が明確でないのです(少なくとも僕には)。定義が明確でない言葉を用い、絶対的真理という得体の知れないものを盲目的に信じ込むことは非常に危険だと思います。
そこで僕は、真実は個々人の信ずるもの、信念であると定義します。なぜこのように定義したかというと、例えば真実を「大多数の人間がそうであると考えるもの」と定義したとします、すると大多数というものがどれだけの数かというナーバスな問題が生じます。一般人が曖昧に用いる「無限」という言葉をきちんと定義しようとするときに、必然的にあの数学的な定義にならざるを得なかったように、僕も真実を定義しようとしたときにそう定義せざるを得なかったのです。
例えば自分の前にパソコンがある。このことは絶対的真理ではないのかと思う人がほとんどでしょう。しかしそこにはあくまで主観(自分の五感)が入っており、完璧に客観的な絶対的真理というものはありえないのです(全世界、全年代の人に確認させることは不可能)。また地動説やアインシュタインの相対性理論はもし誰にも認められなかったとしても真理であるという人がいますが、僕はそれが認められて初めて真理になるのだと思います。また、それを認めている人や、権威のある科学者がそれは真理だと言うことを信じている人以外の人にとってそれは真理でないのです。特殊相対性理論を勉強して納得したが、一般相対性理論はまだ勉強の途中である僕にとって特殊相対性理論は真理ですが、一般相対性理論は真理ではないのです。理学部は真理を探究するところだと言いますが、何らかのかたちで理学と関わったり、見聞きした人たち、科学を信じている人たちにとっての真理なのであり、他の動物にとってそれは人間の感覚、行為、解釈なのであって真理でもなんでもないのだと思います。
また宗教と科学は、他者を信じ込ませる方法(科学は飛行機を飛ぶところを実感させたり、観測結果を説明するなどして他者の五感を刺激することによって信者を増やす)、信者の数や、信者の身分などの点で異なりますが、宗教に比べて科学は完全に客観的な真理だというのは意味をなさないと思われます。
稚拙でくだらない内容の文章をとりとめもなく書きましたが、絶対的真理を暗黙の了解とせず、それが何たるかを個々人が考えることができれば、対人関係や世界の紛争が少しでも改善するのではないでしょうか。
皆さんは真理とは何だと思われますか?絶対的真理というものの存在を信じますか?
2. やじるし
2004/03/22(月) 21:22:11
私はむしろ、
真実=
>それが何たるかを個々人が考え
>信ずるもの、信念
とするほうが危険だと思うけどなぁ。
絶対的真理という曖昧なものを受け入れるだけの
心のゆとりがあればこそ世界の紛争が少しでも改善するんだと思う。
>絶対的真理という得体の知れないものを盲目的に信じ込むこと
よりも、ね。
また、曖昧であるからこそ、言葉とそのものとの距離が近い気もする。
真実=
>それが何たるかを個々人が考え
>信ずるもの、信念
とするほうが危険だと思うけどなぁ。
絶対的真理という曖昧なものを受け入れるだけの
心のゆとりがあればこそ世界の紛争が少しでも改善するんだと思う。
>絶対的真理という得体の知れないものを盲目的に信じ込むこと
よりも、ね。
また、曖昧であるからこそ、言葉とそのものとの距離が近い気もする。
3. 理の院生
2004/03/22(月) 21:56:51
>皆さんは真理とは何だと思われますか?絶対的真理というものの存在を信じますか?
そんなものは無いと思っています。
ただ、基礎になる部分をしっかりと定義し、確立しているのであれば、それについては正しい/誤りであるという判断を下すことができるでしょう。
例えば、
2×3=6 というのは正しい。真理です。
なぜならば、そのように数を定義してあるからです。(ここで注意せねばならないのは、これが真理であることの理由が「大勢の人が認めるから」ではないことです!)
科学というのは基本的に、定義をしっかりと整理することからスタートします。だから真理といえる事象を多く含むわけです。
そんなものは無いと思っています。
ただ、基礎になる部分をしっかりと定義し、確立しているのであれば、それについては正しい/誤りであるという判断を下すことができるでしょう。
例えば、
2×3=6 というのは正しい。真理です。
なぜならば、そのように数を定義してあるからです。(ここで注意せねばならないのは、これが真理であることの理由が「大勢の人が認めるから」ではないことです!)
科学というのは基本的に、定義をしっかりと整理することからスタートします。だから真理といえる事象を多く含むわけです。
4. 虎次郎
2004/03/22(月) 22:15:33
1さんは車の運転はできますか?
5. デージーカッター
2004/03/22(月) 22:24:42
1さんいいことかきますね。
6. デージーカッター
2004/03/22(月) 22:28:05
二つ上の人に聞きたいんだけど、
車を洗うといつも雨に降られる人が「私が車を洗うとと雨が降る」と定義したらこれは真理になるんですか?
車を洗うといつも雨に降られる人が「私が車を洗うとと雨が降る」と定義したらこれは真理になるんですか?
7. 虎次郎
2004/03/22(月) 22:38:09
なんかヴィトゲンシュタインだね。では、問いには問いでということで、「あなた赤信号でとまりますか?」
8. デージーカッター
2004/03/22(月) 22:42:02
みんなは赤と言うけど、俺は緑に見える(しきもうではない)から、なんか車がきてるけど注意してわたるよ。
9. 虎次郎
2004/03/22(月) 22:59:30
問い方が悪かったです。「車を運転しているとき、赤で止まりますか」ということです。
10. (たまに)北部人
2004/03/22(月) 23:04:13
>デージーカッターさん
それは「定義」という形式になってない気がしますけど、(何の定義なの??)
命題として、本当にいつも(未来においても)降るなら、真理なんじゃないですか?
ただ一般的にそういう事はないはずなので意味はありませんが。
>1さん
真理というものがちゃんと何を指すのかよく分かりませんが信念という考え方では、今までの使い方から大きくはずれると思います。
そういう使い方、と定義をしなおす事には何の問題もないし、そういう使い方の上では科学も宗教も同じです。
ただ科学の方は(分野によるかもしれませんが)勉強さえすれば誰でも同じ結果になるようにできている、という点で宗教等と異なるので、それに相当する言葉があってもいいと思いますし、僕はそれを真理と言ってもいいかな、と思います。
それは「定義」という形式になってない気がしますけど、(何の定義なの??)
命題として、本当にいつも(未来においても)降るなら、真理なんじゃないですか?
ただ一般的にそういう事はないはずなので意味はありませんが。
>1さん
真理というものがちゃんと何を指すのかよく分かりませんが信念という考え方では、今までの使い方から大きくはずれると思います。
そういう使い方、と定義をしなおす事には何の問題もないし、そういう使い方の上では科学も宗教も同じです。
ただ科学の方は(分野によるかもしれませんが)勉強さえすれば誰でも同じ結果になるようにできている、という点で宗教等と異なるので、それに相当する言葉があってもいいと思いますし、僕はそれを真理と言ってもいいかな、と思います。
11. 彷徨人
2004/03/22(月) 23:10:06
破綻しない内が真理、かと……。
12. 芭蕉煽
2004/03/23(火) 02:40:25
>とある理学部生さん
>真理
「真理」ということで何を意味しているのかわからない。通常の「認識と実在との一致」でいいのかな。
2つのことを混同していると思います。
・何を真理とみなすか。
何を真理と見なすかということでは、多くの人が信じていることでいいと思います。もちろん「多く」というのは、必ずしも人数の多少を意味するわけではなく、エキスパートの権威とか、俗に流布してしまうこととかも関係するでしょうが。
・主観性を意識すること
「それがパソコンである」ことは、1つの視点でしかありませんが、それだけで絶対的真理がないということにはなりません。それが1つの視点でしかなくても、「1つの視点でしかないということを知っている」ことが重要でしょう。1つの視点でしか物事を考えられないことと、自分が考えているのは1つの視点においてでしかないと知っていることとのあいだにギャップがあり、そのギャップの先に想定されるのが絶対的真理であり、そのギャップを埋める1つの方法が科学なのでは。絶対的真理は、仮想のものだとしても、その人自身で想定することをやめるやめないを自由にできるタイプの仮想ではないと思う。というのも、世界が存在することは、確かめようがなくとも自明に想定されているし(それはその人自身でどうにかなる仮想ではない)、科学が絶対的真理を措定するのは、その世界が存在するという想定からの素直な派生だと思うから。
対人関係についても同じようなことがいえると思う。他人が自分と同じように何かを思う存在であるというのは、想定にすぎない。しかし、相手が思っている内容についての想定は自由に変えられる一方、相手が何かを思うことができる存在であるという想定は自由に変えることはできない。このギャップがあるから、相手を思いやれるわけで。
>真理
「真理」ということで何を意味しているのかわからない。通常の「認識と実在との一致」でいいのかな。
2つのことを混同していると思います。
・何を真理とみなすか。
何を真理と見なすかということでは、多くの人が信じていることでいいと思います。もちろん「多く」というのは、必ずしも人数の多少を意味するわけではなく、エキスパートの権威とか、俗に流布してしまうこととかも関係するでしょうが。
・主観性を意識すること
「それがパソコンである」ことは、1つの視点でしかありませんが、それだけで絶対的真理がないということにはなりません。それが1つの視点でしかなくても、「1つの視点でしかないということを知っている」ことが重要でしょう。1つの視点でしか物事を考えられないことと、自分が考えているのは1つの視点においてでしかないと知っていることとのあいだにギャップがあり、そのギャップの先に想定されるのが絶対的真理であり、そのギャップを埋める1つの方法が科学なのでは。絶対的真理は、仮想のものだとしても、その人自身で想定することをやめるやめないを自由にできるタイプの仮想ではないと思う。というのも、世界が存在することは、確かめようがなくとも自明に想定されているし(それはその人自身でどうにかなる仮想ではない)、科学が絶対的真理を措定するのは、その世界が存在するという想定からの素直な派生だと思うから。
対人関係についても同じようなことがいえると思う。他人が自分と同じように何かを思う存在であるというのは、想定にすぎない。しかし、相手が思っている内容についての想定は自由に変えられる一方、相手が何かを思うことができる存在であるという想定は自由に変えることはできない。このギャップがあるから、相手を思いやれるわけで。
13. 美少女戦士もりふ
2004/03/23(火) 03:04:19
1さんには分析哲学や科学哲学がオススメ。
内井惣七さんの本とか、ポパー・ヴィトゲンシュタイン・フレーゲ・オースティンとか。。。
内井惣七さんの本とか、ポパー・ヴィトゲンシュタイン・フレーゲ・オースティンとか。。。
14. 12
2004/03/23(火) 10:38:55
オウム真理教も認めてあげてくださいよ
15. あ
2004/03/23(火) 12:05:17
2かける3は6が正しいのはみんなが認めるからでは?
もしも2かける3が7だというのが常識な世界に住んでたらそこの住民も2かける3が7なのは真理的に正しいと言うだろうし。。
もしも2かける3が7だというのが常識な世界に住んでたらそこの住民も2かける3が7なのは真理的に正しいと言うだろうし。。
16. 真理について
2004/03/23(火) 12:29:12
人間は、閾値を越えたものしか知覚できないのです。神経の仕組みがそうなっているのです。閾値とは、一定の差異の大きさです。
私たちは、実体を見ているのではなく、差異を見ているのです。実体とはひとつのものであるのに対し、差異とは、二つのものの関係です。
たとえば、何か見えているとき、私たちは実体を見ていると思いますが、実は、そうではありません。目は常に微妙に動き続けており、そのため差異を生み出すことができ、閾値を越えた刺激が与えられるのです。そのような差異を使って、世界を構成しているのです。
したがって、人間が経験したことのない環境に身をおけば、差異がより多くうまれ、私たちはそれを使って、世界を再構成することのなるのです。たとえば、スピードが違った世界に住めば、その人が知覚する差異は、私たちの世界とはかなり違ったものになります。
決して、私たちは、実体を把握して世界を構成しているのではありません。差異を使っているのです。差異は、さまざまな方法で、無限に見つかっていくものです。そして、私たちは、そのつど世界観を変えていくのです。ある世界観に住んでいる人にとっては、それが真理であると思われているのです。
私たちは、実体を見ているのではなく、差異を見ているのです。実体とはひとつのものであるのに対し、差異とは、二つのものの関係です。
たとえば、何か見えているとき、私たちは実体を見ていると思いますが、実は、そうではありません。目は常に微妙に動き続けており、そのため差異を生み出すことができ、閾値を越えた刺激が与えられるのです。そのような差異を使って、世界を構成しているのです。
したがって、人間が経験したことのない環境に身をおけば、差異がより多くうまれ、私たちはそれを使って、世界を再構成することのなるのです。たとえば、スピードが違った世界に住めば、その人が知覚する差異は、私たちの世界とはかなり違ったものになります。
決して、私たちは、実体を把握して世界を構成しているのではありません。差異を使っているのです。差異は、さまざまな方法で、無限に見つかっていくものです。そして、私たちは、そのつど世界観を変えていくのです。ある世界観に住んでいる人にとっては、それが真理であると思われているのです。
17. (たまに)北部人
2004/03/23(火) 13:59:19
>あ
逆だと思います。
2かける3が6になるように2,3,6は定義されていて、常に正しいから
みんなが認めるのでしょう。
みんなが認めるためにはそれなりの理由がないとダメなわけですから「2かける3が7の世界」という仮定があまり意味のあるものとは思えません。
それでも無理矢理そういう世界を作ったとしても、2かける3の意味がこの世界と同じであれば、単に6と7の記号の意味が逆転してるだけです。
つまりどちらも正しいので別に真理(の意味は微妙)がその世界によって変わるわけではありません。
逆だと思います。
2かける3が6になるように2,3,6は定義されていて、常に正しいから
みんなが認めるのでしょう。
みんなが認めるためにはそれなりの理由がないとダメなわけですから「2かける3が7の世界」という仮定があまり意味のあるものとは思えません。
それでも無理矢理そういう世界を作ったとしても、2かける3の意味がこの世界と同じであれば、単に6と7の記号の意味が逆転してるだけです。
つまりどちらも正しいので別に真理(の意味は微妙)がその世界によって変わるわけではありません。
18. とある理学部生
2004/03/23(火) 15:06:07
みなさん返答ありがとうございます。みなさんも僕のように(僕以上に)いろいろと深く考えていらっしゃるようで、理解するのに苦労しています。もう少し分かりやすく書いていただければありがたいのですが。その部分はまたあとにじっくり考えて返答します。
>やじるしさん
僕が言いたかったのは、例えばほとんどの人がそうであるように、オウムも曖昧な絶対的な真理というものを信じていました。そして悪いことにオウムは自分たちの真理がその絶対的な真理だと判断し、あのような惨事となってしまったのです。しかし絶対的真理というものの存在を信じているとそういう判断に陥りやすいと思います。絶対的真理というものは曖昧であると自覚し、真理が人によって違う可能性があることを認識することによって他者を尊重したり、共通項を模索したりすることができるのではないかということです。
>理の院生さん
数学に限らず、法の世界やいろいろな場面で他者と、同じ対象に対して考察するという点で定義は重要ですね。
>(たまに)北部人さん
>勉強さえすれば誰でも同じ結果になるようにできている
数学のことですね。他の自然科学では必ずしもそうとは限らないと思いますが。例えば
フェルマーの最終定理にしても一度ある命題が証明されれば(数学界で認められれば)、ど
のような方法をとろうともその命題と同じ結論に達する、またはその結果は不変なものと
なるということですね。しかしそれは本当に科学だけのことでしょうか。例えばオウムな
どの宗教にも一応きちんとした定義、原理があり、オウムの場合麻原だけでなく勉強した
信者みなが殺戮することが救済になるという結論に達したのです。そしてそのことがあの
惨事を生む原因にもなったのです。また信者の中には科学の素養(かなりのレベル)があ
るものが多かったことから、その人達には科学と宗教の区別がつかなくなっていたのかも
しれません。また、数学を学んで違う結論に達するということはほとんどないと思います
が、数学を勉強してもどうしても理解できないという人がかなりいます。はたしてそのよ
うな人にとってもそれは真理と呼べるのでしょうか。ただ僕は理学部で理学を実感をもっ
て納得しながら学んでいるので科学信奉者ですが。
>芭蕉煽さん
>世界が存在することは、確かめようがなくとも自明に想定されている
自分にとって外界が存在し、それから刺激を受けるというのは僕にとってもそうである
し五感がすべてふさがれている人以外の人にとっては真理であると思います。これは
絶対的真理というよりもむしろかなり普遍性のある真理と言ったほうがいいのではないで
しょうか。
>やじるしさん
僕が言いたかったのは、例えばほとんどの人がそうであるように、オウムも曖昧な絶対的な真理というものを信じていました。そして悪いことにオウムは自分たちの真理がその絶対的な真理だと判断し、あのような惨事となってしまったのです。しかし絶対的真理というものの存在を信じているとそういう判断に陥りやすいと思います。絶対的真理というものは曖昧であると自覚し、真理が人によって違う可能性があることを認識することによって他者を尊重したり、共通項を模索したりすることができるのではないかということです。
>理の院生さん
数学に限らず、法の世界やいろいろな場面で他者と、同じ対象に対して考察するという点で定義は重要ですね。
>(たまに)北部人さん
>勉強さえすれば誰でも同じ結果になるようにできている
数学のことですね。他の自然科学では必ずしもそうとは限らないと思いますが。例えば
フェルマーの最終定理にしても一度ある命題が証明されれば(数学界で認められれば)、ど
のような方法をとろうともその命題と同じ結論に達する、またはその結果は不変なものと
なるということですね。しかしそれは本当に科学だけのことでしょうか。例えばオウムな
どの宗教にも一応きちんとした定義、原理があり、オウムの場合麻原だけでなく勉強した
信者みなが殺戮することが救済になるという結論に達したのです。そしてそのことがあの
惨事を生む原因にもなったのです。また信者の中には科学の素養(かなりのレベル)があ
るものが多かったことから、その人達には科学と宗教の区別がつかなくなっていたのかも
しれません。また、数学を学んで違う結論に達するということはほとんどないと思います
が、数学を勉強してもどうしても理解できないという人がかなりいます。はたしてそのよ
うな人にとってもそれは真理と呼べるのでしょうか。ただ僕は理学部で理学を実感をもっ
て納得しながら学んでいるので科学信奉者ですが。
>芭蕉煽さん
>世界が存在することは、確かめようがなくとも自明に想定されている
自分にとって外界が存在し、それから刺激を受けるというのは僕にとってもそうである
し五感がすべてふさがれている人以外の人にとっては真理であると思います。これは
絶対的真理というよりもむしろかなり普遍性のある真理と言ったほうがいいのではないで
しょうか。
19. (たまに)北部人
2004/03/23(火) 15:54:17
>とある理学部生さん
の僕に対する返事に対してですが。
オウムを例に出してますが、
まず、本当にオウムの原理(って何か知らないけど)を絶対的に全員が信じているか、というと全くの予想ですがそんな事はありえないでしょう。
単に流されてる人、洗脳された人もたくさんいたでしょう。
実際、ニュースでも改心した信者の話は出ますし、時間が経てば変わるようなものを真理と呼ぶのは何か違う気がします。
(これもただの定義の問題ですが、そうでなければ一般的な感覚からはずれるでしょう)
大体、それを信じる人だけが集まるような社会で通用する概念も「真理」と呼べるような定義は抵抗があります。
それから「数学を勉強してもどうしても理解できない」というのは単に考えが足りないだけで正しいか正しくないかとは全くの別問題です。
(って言うか「どうしても」とかはただの甘えやろ(苦笑))
理解できなくても正しい事に疑問の余地はないんやから一般的な感覚で言えば真理と呼べるでしょう。
まぁ、「ある人がある事を正しいと思えば、それが真理だ」という考え方はその人にとってはいいですけど、他人には通用しないのでそんな定義では使えないと思いますよ。
って言うかいそいでるから何書いたかよく分からんけど、また見ます。
の僕に対する返事に対してですが。
オウムを例に出してますが、
まず、本当にオウムの原理(って何か知らないけど)を絶対的に全員が信じているか、というと全くの予想ですがそんな事はありえないでしょう。
単に流されてる人、洗脳された人もたくさんいたでしょう。
実際、ニュースでも改心した信者の話は出ますし、時間が経てば変わるようなものを真理と呼ぶのは何か違う気がします。
(これもただの定義の問題ですが、そうでなければ一般的な感覚からはずれるでしょう)
大体、それを信じる人だけが集まるような社会で通用する概念も「真理」と呼べるような定義は抵抗があります。
それから「数学を勉強してもどうしても理解できない」というのは単に考えが足りないだけで正しいか正しくないかとは全くの別問題です。
(って言うか「どうしても」とかはただの甘えやろ(苦笑))
理解できなくても正しい事に疑問の余地はないんやから一般的な感覚で言えば真理と呼べるでしょう。
まぁ、「ある人がある事を正しいと思えば、それが真理だ」という考え方はその人にとってはいいですけど、他人には通用しないのでそんな定義では使えないと思いますよ。
って言うかいそいでるから何書いたかよく分からんけど、また見ます。
20. 数学
2004/03/23(火) 16:14:27
理解のレベルの話でしょ。
つまり、テストで点を取るだけなら取れるが、それが何を意味しているのかわからない。
つまり、テストで点を取るだけなら取れるが、それが何を意味しているのかわからない。
21. 真理について
2004/03/23(火) 16:41:59
違う真理を持つ人がいる、ということを尊重することは、できません。それは、次のうちのどちらかです。
ひとつ。自分が真理だと思っていることも、他人が真理だと思っていることも、どちらも真理ではない。好みの問題なのだ。好みについてはとやかく言うこともないので、尊重する。
ふたつ。自分は真理を持っているが、他人は頭が悪いようで、真理が何かわからないようだ。変なことを信じている。しかし、心の広い自分は、そんな他人にもやさしく接しよう。
一般的に、他人の考えを尊重しましょうというとき、後者を指します。しかし、あまりに傲慢でしょう。
基本的に、私たちは、何かが真理であることを論証できません。できるのは、私たちが真理であると信じていることが、実は真理ではないことの論証です。
このような論証を通じて、一つ目のような態度を持つことができます。
ひとつ。自分が真理だと思っていることも、他人が真理だと思っていることも、どちらも真理ではない。好みの問題なのだ。好みについてはとやかく言うこともないので、尊重する。
ふたつ。自分は真理を持っているが、他人は頭が悪いようで、真理が何かわからないようだ。変なことを信じている。しかし、心の広い自分は、そんな他人にもやさしく接しよう。
一般的に、他人の考えを尊重しましょうというとき、後者を指します。しかし、あまりに傲慢でしょう。
基本的に、私たちは、何かが真理であることを論証できません。できるのは、私たちが真理であると信じていることが、実は真理ではないことの論証です。
このような論証を通じて、一つ目のような態度を持つことができます。
22. オウム
2004/03/23(火) 19:53:09
オウムが、自分たちの真理を絶対的なものだと信じてしまったから、ああいう惨事になった、というが、彼らは、ああいう惨事を起こそうとしたんだろう?だとすれば、彼らにとっては、過ちではないんじゃないか?
ああいう行動を、後悔したかどうかが、ポイントだな。後悔した人にとっては、絶対的な真理だと思ってしまっていたことは、反省すべきことだ。しかし、後悔していない人にとっては、計画通りなわけだ。
後悔しない限り、仮説は真理であり続ける。
ああいう行動を、後悔したかどうかが、ポイントだな。後悔した人にとっては、絶対的な真理だと思ってしまっていたことは、反省すべきことだ。しかし、後悔していない人にとっては、計画通りなわけだ。
後悔しない限り、仮説は真理であり続ける。
23. 虎次郎
2004/03/23(火) 20:20:20
〈truth〉
@the quality or state of being true.
Athat which is true as opposed to false.
Ba fact or belief that is accepted as true.
from The Concise Oxford Dictionary
@the quality or state of being true.
Athat which is true as opposed to false.
Ba fact or belief that is accepted as true.
from The Concise Oxford Dictionary
24. (たまに)北部人
2004/03/24(水) 00:28:14
>数学
何が言いたいのかよく分かりませんが、それは僕に対して??
「何を意味してるのか分からない」という事に対しても単に考えが足りないだけだと思いますが。
というかやっぱり何が言いたいのか分かりませんけど。
何が言いたいのかよく分かりませんが、それは僕に対して??
「何を意味してるのか分からない」という事に対しても単に考えが足りないだけだと思いますが。
というかやっぱり何が言いたいのか分かりませんけど。
25. 傍観者其の壱
2004/03/24(水) 00:58:04
なんとなく視点が各人ばらばらのような気がします。
「私」が真理をとらえるのか(主観的真理?)、
知的生命体が与り知らないところに真理があるのか(絶対的真理?)
あと、真理と原理の区別もしっかりしておいたほうがいいと思います。
2×3=6なのは1+1=2が定義されており、
6という数字が1より5大きい数字であると定義されており、
×という記号が数学的に定義されているからではないのですか?
「私」が真理をとらえるのか(主観的真理?)、
知的生命体が与り知らないところに真理があるのか(絶対的真理?)
あと、真理と原理の区別もしっかりしておいたほうがいいと思います。
2×3=6なのは1+1=2が定義されており、
6という数字が1より5大きい数字であると定義されており、
×という記号が数学的に定義されているからではないのですか?
26. 美少女戦士もりふ
2004/03/24(水) 01:05:54
1さんが、「真理」と「信念」を挙げているので、少し説明させていただこうと思います。
フレーゲという近代哲学の方がいるのですが、その人もまずは「真理値(もしくは意味)」と「意義」を分けています。1さんの想像はもしかしたらそれと近いかなと思ったので、それを書きます。
たとえば、異論があるかもしれませんけど、「夜の終わり」と「朝の始まり」は真理値あるいは意味的には全く同じものですが、その意義は異なるという感じです。意義は「印象」みたいな言葉でもいいですけど、「夜の終わり」と「朝の始まり」の間に感じるギャップが「主観」の存在をまさしく意味しています。
分析哲学ではかつて言語(数学や物理の公理体系でも良いです)で世界が説明できるという立ち場の人がいました。
だから、たとえばある部族社会で使われる文章なり、読み物なりを全部抜き出して保存すればその部族社会が消えてなくなっても同じように再生することが可能だとする立場がありました。
しかし、後にプラグマティストと呼ばれる人々が現れて(たとえばローティとか)、上のような主張は間違いであるとしたのです。
たとえば、「うちの娘は男です」という文があるとすると、常識からすればこんな文章(命題)は背理であるといえます。しかし、たとえばいろんな親御さんたちが集まっているときに「あんたの娘が産んだのは男かね?女かね?うちの娘の子どもは女だったよ」「ウチの娘は女だったよ」みたいな会話の最中であれば「うちの娘は男です」はありということになります。
このことが指し示すのは、世界は言語だけで成り立っているのではなく、解釈主体の主観がなければいけないということです。この場合、「うちの娘は男です」という文はその文が使われている背景に依存した使われようになっているわけです。この「背景」を前提とした会話を可能にするのは会話に参加している成員たちの「主観」以外の何者でもないです。
だから、「言語を理解し、文章をかき集めれば消滅した部族社会の世界を再生できる」というのはありえなくなる話です。
私の知り合いにも自分の飼っている猫に単に「ネコ」という名前しか与えていませんが、それをわかっている人間とわかっていない人間では、私の知り合いが話す文章を理解できないでしょう。。
なんらかの助けになればと思って以上のことを書きました。
なお、
>絶対的真理を暗黙の了解とせず、それが何たるかを個々人が考えることができれば、対人関係や世界の紛争が少しでも改善するのではないでしょうか。
という1さんの主張には全く同意するのですが、このことに必ずしもみなが同意できないのが苦しいところでしょうね。
フレーゲという近代哲学の方がいるのですが、その人もまずは「真理値(もしくは意味)」と「意義」を分けています。1さんの想像はもしかしたらそれと近いかなと思ったので、それを書きます。
たとえば、異論があるかもしれませんけど、「夜の終わり」と「朝の始まり」は真理値あるいは意味的には全く同じものですが、その意義は異なるという感じです。意義は「印象」みたいな言葉でもいいですけど、「夜の終わり」と「朝の始まり」の間に感じるギャップが「主観」の存在をまさしく意味しています。
分析哲学ではかつて言語(数学や物理の公理体系でも良いです)で世界が説明できるという立ち場の人がいました。
だから、たとえばある部族社会で使われる文章なり、読み物なりを全部抜き出して保存すればその部族社会が消えてなくなっても同じように再生することが可能だとする立場がありました。
しかし、後にプラグマティストと呼ばれる人々が現れて(たとえばローティとか)、上のような主張は間違いであるとしたのです。
たとえば、「うちの娘は男です」という文があるとすると、常識からすればこんな文章(命題)は背理であるといえます。しかし、たとえばいろんな親御さんたちが集まっているときに「あんたの娘が産んだのは男かね?女かね?うちの娘の子どもは女だったよ」「ウチの娘は女だったよ」みたいな会話の最中であれば「うちの娘は男です」はありということになります。
このことが指し示すのは、世界は言語だけで成り立っているのではなく、解釈主体の主観がなければいけないということです。この場合、「うちの娘は男です」という文はその文が使われている背景に依存した使われようになっているわけです。この「背景」を前提とした会話を可能にするのは会話に参加している成員たちの「主観」以外の何者でもないです。
だから、「言語を理解し、文章をかき集めれば消滅した部族社会の世界を再生できる」というのはありえなくなる話です。
私の知り合いにも自分の飼っている猫に単に「ネコ」という名前しか与えていませんが、それをわかっている人間とわかっていない人間では、私の知り合いが話す文章を理解できないでしょう。。
なんらかの助けになればと思って以上のことを書きました。
なお、
>絶対的真理を暗黙の了解とせず、それが何たるかを個々人が考えることができれば、対人関係や世界の紛争が少しでも改善するのではないでしょうか。
という1さんの主張には全く同意するのですが、このことに必ずしもみなが同意できないのが苦しいところでしょうね。
27. 犬のおまわりさん」
2004/03/24(水) 03:09:56
28. 数学
2004/03/24(水) 10:54:09
たとえば、物理的現象を数式で表現しようとする。
これは、空間を数であると考えることでしょう。すると、いろいろ厄介な問題が出てくるんだわ。
もちろん、ヒルベルトみたいに数学の世界を、知覚世界から分離すれば問題ないんだが、そのような数学は、真理ではなくて、定義でしょ。
これは、空間を数であると考えることでしょう。すると、いろいろ厄介な問題が出てくるんだわ。
もちろん、ヒルベルトみたいに数学の世界を、知覚世界から分離すれば問題ないんだが、そのような数学は、真理ではなくて、定義でしょ。
29. もりふさんに付け加えて
2004/03/24(水) 11:07:38
別に、こういう付け加えておきます。
人が知覚によって世界とつながっていなければ、言語の意味はわかりえません。知覚は、上のほうにありましたが、閾値を越える刺激しか感知できません。
人が知覚によって世界とつながっていなければ、言語の意味はわかりえません。知覚は、上のほうにありましたが、閾値を越える刺激しか感知できません。
30. (たまに)北部人
2004/03/24(水) 11:22:13
↑
何を言いたい(話の流れ的に)のかあまり分からないけど、
知覚世界から分離して考えるのは数学の基本的な考え方の一つですよ。
そのための高度の抽象化でしょう。
そこまで高度でなくても一度問題が数式になれば知覚世界と分離して計算するのは定石でしょう。
それを知覚世界の言葉に戻すところで「厄介な問題」が出てくるというのは、そうかもしれませんがそれと数学は別物です。
また、完全に分離して考えるのは、理解しにくくなる事も確かです(元々何かモデルがあることが多いので)
それから最後は知覚世界と関係のない数学は定義だ、という意味ですか?
それなら、そうではない、と僕は思うし、
大体「定義」の意味はそういう意味ではありません。
何を言いたい(話の流れ的に)のかあまり分からないけど、
知覚世界から分離して考えるのは数学の基本的な考え方の一つですよ。
そのための高度の抽象化でしょう。
そこまで高度でなくても一度問題が数式になれば知覚世界と分離して計算するのは定石でしょう。
それを知覚世界の言葉に戻すところで「厄介な問題」が出てくるというのは、そうかもしれませんがそれと数学は別物です。
また、完全に分離して考えるのは、理解しにくくなる事も確かです(元々何かモデルがあることが多いので)
それから最後は知覚世界と関係のない数学は定義だ、という意味ですか?
それなら、そうではない、と僕は思うし、
大体「定義」の意味はそういう意味ではありません。
31. 数学
2004/03/24(水) 15:47:45
高度な抽象化って言うのは、あくまで知覚世界を抽象化したものでしょう。その意味だと、数学を抽象化って考えるのは、知覚世界とつながったままなんだよ。
たとえば、線分とかの抽象的な空間的なモデルを、数で表そうとすると、ゼノンのパラドクスとかの矛盾が出る。だから、数学の世界を矛盾なく成立させるには、抽象的なモデルも放棄しなくてはならない。
理解の途上では、わかりやすいから空間的なモデルを使うけど、最終的には、そのモデルとは別物だと認識しなければならない。そのとき、数学ってそれ自体何なんだろう。そういうことを言いたかったわけです。
それから定義って言うのは、いい加減に使ってしまいました。ごめんなさい。僕のいう意味で二数学には、定義もなにもないね。
たとえば、線分とかの抽象的な空間的なモデルを、数で表そうとすると、ゼノンのパラドクスとかの矛盾が出る。だから、数学の世界を矛盾なく成立させるには、抽象的なモデルも放棄しなくてはならない。
理解の途上では、わかりやすいから空間的なモデルを使うけど、最終的には、そのモデルとは別物だと認識しなければならない。そのとき、数学ってそれ自体何なんだろう。そういうことを言いたかったわけです。
それから定義って言うのは、いい加減に使ってしまいました。ごめんなさい。僕のいう意味で二数学には、定義もなにもないね。
32. (たまに)北部人
2004/03/24(水) 21:25:34
↑
言いたいことはなんとなく分かりました。
その話が何故出てきたのかあまりよく分かりませんけど。
確かに抽象化の元には何かモデルがあるわけですが、
抽象化したものと元のモデルは分離して考えるのでつながってないと僕は考えますけどね。
(別につながってると考えてもいいと思いますけど)
抽象化というのは単に定義から構成されますから。
数学の世界を矛盾なく〜〜ってのが僕にはあまり分からないのですが
抽象的なモデルを放棄しないといけない理由をもう少し詳しく言ってもらえますか?
なんとなく抽象的なモデルの使い方が僕と違う気もしますけど。
数学の世界というのは抽象的なモデルの世界だと思ってるので。
数学ってそれ自体何か、という疑問については答えはないのでは。
ただの言葉遊びだと僕は考えてますけど。
言いたいことはなんとなく分かりました。
その話が何故出てきたのかあまりよく分かりませんけど。
確かに抽象化の元には何かモデルがあるわけですが、
抽象化したものと元のモデルは分離して考えるのでつながってないと僕は考えますけどね。
(別につながってると考えてもいいと思いますけど)
抽象化というのは単に定義から構成されますから。
数学の世界を矛盾なく〜〜ってのが僕にはあまり分からないのですが
抽象的なモデルを放棄しないといけない理由をもう少し詳しく言ってもらえますか?
なんとなく抽象的なモデルの使い方が僕と違う気もしますけど。
数学の世界というのは抽象的なモデルの世界だと思ってるので。
数学ってそれ自体何か、という疑問については答えはないのでは。
ただの言葉遊びだと僕は考えてますけど。
33. 数学
2004/03/25(木) 11:45:26
抽象化するということは、具体的なものをモデル化すること。たとえば、ものの動きを線分と考えてみたり。この場合の線分は、知覚するものを抽象化したものだ。
で、厚みがないとかって数学的に定義したあと、この線分を数字で測ると、ゼノンのパラドクスのような矛盾が生じる。そこで、こうした矛盾を拒む限り、数学からは、線分等も排除しなくてはならない。そうすると、そこで残された数学は、何かを抽象したものではないでしょう。抽象化きっかけに生まれながら、ついには抽象化を脱しているから。
もちろん、抽象化した世界と近似しているから、応用はかのうだが、あくまで近似。
数学は、言葉遊びだというのには同感。
で、厚みがないとかって数学的に定義したあと、この線分を数字で測ると、ゼノンのパラドクスのような矛盾が生じる。そこで、こうした矛盾を拒む限り、数学からは、線分等も排除しなくてはならない。そうすると、そこで残された数学は、何かを抽象したものではないでしょう。抽象化きっかけに生まれながら、ついには抽象化を脱しているから。
もちろん、抽象化した世界と近似しているから、応用はかのうだが、あくまで近似。
数学は、言葉遊びだというのには同感。
34. >数学
2004/03/25(木) 13:47:44
>たとえば、線分とかの抽象的な空間的なモデルを、数で表そうとすると、ゼノンのパラドクスとかの矛盾が出る。
おいおい、出ないだろ?等比級数の和は収束するんだぜ。
その問題は、デデキントで決着ついてるよ。
>数学は、言葉遊びだというのには同感。
みんなそう思ってるの?俺はそんなの絶対嫌だな。
小平先生じゃないけど、「数学的実在」ってあると思う。
おいおい、出ないだろ?等比級数の和は収束するんだぜ。
その問題は、デデキントで決着ついてるよ。
>数学は、言葉遊びだというのには同感。
みんなそう思ってるの?俺はそんなの絶対嫌だな。
小平先生じゃないけど、「数学的実在」ってあると思う。
35. (たまに)北部人
2004/03/25(木) 14:25:10
↑
>そんなの絶対嫌だな。
単に僕がそう思うだけですし、気にしなくても。
小平先生の随筆(?)とか読んだことないからどういう意味で使ってるか分からんけど「実在」ではなく「数学的実在」なわけやから数学の世界でしか通用しないってことでは?
それと大分話がずれてますね。
すいません。
>そんなの絶対嫌だな。
単に僕がそう思うだけですし、気にしなくても。
小平先生の随筆(?)とか読んだことないからどういう意味で使ってるか分からんけど「実在」ではなく「数学的実在」なわけやから数学の世界でしか通用しないってことでは?
それと大分話がずれてますね。
すいません。
36. 数学
2004/03/26(金) 12:25:51
等比級数の和が収束するのは、数学の世界の話。
それは、そうなるような定義を実数に与えているからでしょう。
それは、そうなるような定義を実数に与えているからでしょう。
37. 数学
2004/03/26(金) 12:43:44
数学が何につまずいてきたのか、そのときどう対応してきたのかっていう進展を、把握してる?デデキントで決着ついてるよっていわれても、ちょっとね。
38. >数学
2004/03/26(金) 13:11:25
そもそもこのスレッドの議論自体、何か不毛だと思う。
「真理」とは何かを論ずる前に、まず自分にとって「真理」が致命的に重要なことなのかを考えるべきだと思う。でないから、この議論自体が、行き先の見えない上滑りなものになってるのでは、と指摘しておく。
>数学が何につまずいてきたのか、そのときどう対応してきたのかっていう進展を、把握してる?
いや、そういうことじゃない。あんたの話はずれてる。
ゼノンのパラドックスは「矛盾」になっていないという立場もあり得るわけで、現代数学の取った立場もその一つだ。
逆に、「矛盾」になっていると主張する側は、別のモデルの限界を指摘したまででしかない。
その二つを比べれば、現代数学のモデルの方がより現実に近いと言えよう。
そもそも、数学に限らず科学というものは、何らかの現象という範型に対して、一部の構造を取り出して残りを捨象し、それを模して抽象的構造を与えるものなので、現実と無関係ということも、現実そのものを表すということも、いずれもあり得ない。
つまり、あなたは
>等比級数の和が収束するのは、数学の世界の話。
>それは、そうなるような定義を実数に与えているからでしょう。
といいながら、「なぜそういう定義を与えたのか」ということを無視している。
もし数学が言葉遊びでしかないのなら、そうでない定義もあり得たかも知れない。
それに、少し無理があるのではないかと指摘される選択公理を殆どの人が受け容れ、直観主義を排するのはなぜだろうか?単なる言葉遊びなら、もっと均等に分かれてもいいはず。
「真理」とは何かを論ずる前に、まず自分にとって「真理」が致命的に重要なことなのかを考えるべきだと思う。でないから、この議論自体が、行き先の見えない上滑りなものになってるのでは、と指摘しておく。
>数学が何につまずいてきたのか、そのときどう対応してきたのかっていう進展を、把握してる?
いや、そういうことじゃない。あんたの話はずれてる。
ゼノンのパラドックスは「矛盾」になっていないという立場もあり得るわけで、現代数学の取った立場もその一つだ。
逆に、「矛盾」になっていると主張する側は、別のモデルの限界を指摘したまででしかない。
その二つを比べれば、現代数学のモデルの方がより現実に近いと言えよう。
そもそも、数学に限らず科学というものは、何らかの現象という範型に対して、一部の構造を取り出して残りを捨象し、それを模して抽象的構造を与えるものなので、現実と無関係ということも、現実そのものを表すということも、いずれもあり得ない。
つまり、あなたは
>等比級数の和が収束するのは、数学の世界の話。
>それは、そうなるような定義を実数に与えているからでしょう。
といいながら、「なぜそういう定義を与えたのか」ということを無視している。
もし数学が言葉遊びでしかないのなら、そうでない定義もあり得たかも知れない。
それに、少し無理があるのではないかと指摘される選択公理を殆どの人が受け容れ、直観主義を排するのはなぜだろうか?単なる言葉遊びなら、もっと均等に分かれてもいいはず。
39. 数学
2004/03/26(金) 19:26:13
俺が言ってるのは、数学とは知覚の世界から抽象したものだ、と考えると、ゼノンのパラドクスが起こる、ということなんだが。だから、あなたの言ってるのと同じじゃないか?
均等に分かれないのは、言葉遊びだってことに気がつかないからじゃないか?ちょうど、神とか主体とかいう仮想を本気で信じているように。
均等に分かれないのは、言葉遊びだってことに気がつかないからじゃないか?ちょうど、神とか主体とかいう仮想を本気で信じているように。
40. >数学
2004/03/26(金) 22:56:23
>俺が言ってるのは、数学とは知覚の世界から抽象したものだ、と考えると、ゼノンのパラドクスが起こる、ということなんだが。
いや、だから違うでしょ。現在の数学モデルではゼノンのパラドックスは起こらない(等比級数は収束)。
で、現在の数学モデルだって、知覚の世界から抽象したもんでしょ。
>均等に分かれないのは、言葉遊びだってことに気がつかないからじゃないか?
何だか、「創造主の有無について」のスレと似た展開になってきたが。。。
じゃあ君は、世の数学者のほとんどが気づかないことに気づいているとそう主張するのか?
数学がどうとか言うなら、例えば碁や将棋のプロが、「一局の碁(将棋)に人生を見る」というのは、あれは嘘か?
>ちょうど、神とか主体とかいう仮想を本気で信じているように。
信じるものにとっては、神はいる。
仮想だなどというのは、あまりにも傲慢だ。
神の不在を証明できないのだから。
いや、だから違うでしょ。現在の数学モデルではゼノンのパラドックスは起こらない(等比級数は収束)。
で、現在の数学モデルだって、知覚の世界から抽象したもんでしょ。
>均等に分かれないのは、言葉遊びだってことに気がつかないからじゃないか?
何だか、「創造主の有無について」のスレと似た展開になってきたが。。。
じゃあ君は、世の数学者のほとんどが気づかないことに気づいているとそう主張するのか?
数学がどうとか言うなら、例えば碁や将棋のプロが、「一局の碁(将棋)に人生を見る」というのは、あれは嘘か?
>ちょうど、神とか主体とかいう仮想を本気で信じているように。
信じるものにとっては、神はいる。
仮想だなどというのは、あまりにも傲慢だ。
神の不在を証明できないのだから。
41. 某卒業生@一緒だなぁ
2004/03/26(金) 23:50:20
>数学 2004/03/26(金) 19:26:13 氏
>ちょうど、神とか主体とかいう仮想を本気で信じているように。
こっちの人は頭がよさそうだから創造主スレと同じ質問をぶつけてみよう。
神が仮想であるのと同じに、日本国という存在も仮想なのです。
人権や民主主義も仮想つまりフィクション、集団思い込みに過ぎないわけです。
さて、神の存在が仮想であるということと、国家の存在が仮想であるということの違いは何?
違いがないとすれば神や数学などの仮想を本気で信じて何が悪いの?
それとも国家は仮想ではない?国家はどこにどうやって存在しているの?
>ちょうど、神とか主体とかいう仮想を本気で信じているように。
こっちの人は頭がよさそうだから創造主スレと同じ質問をぶつけてみよう。
神が仮想であるのと同じに、日本国という存在も仮想なのです。
人権や民主主義も仮想つまりフィクション、集団思い込みに過ぎないわけです。
さて、神の存在が仮想であるということと、国家の存在が仮想であるということの違いは何?
違いがないとすれば神や数学などの仮想を本気で信じて何が悪いの?
それとも国家は仮想ではない?国家はどこにどうやって存在しているの?
42. 虎次郎
2004/03/27(土) 12:02:49
ここは真理についてですが、脱線覚悟でレスします。ここのみんなゴメンネ。国家についてなんですが、日本では日本国家という概念は明治以降にできたそうです。昔は山城国って言ってたし、今でも日本全‘国’って言うよね。昔は地方がそれぞれ一つの国だった。でも江戸後期に黒船きて、みんな占領されるって思った。やばいって。薩摩と長州がけんかしてる場合じゃないって。抵抗するには、日本をつくるしかないって思ったのさ。憲法作らんと、対等にはなられへん、相手にされへんって。
僕は「外部(外圧・外からの脅威)-内部(安心)」という意識こそが、国家を成り立たせていると思うよ。
一方、神の存在はどうなんだろう?神を創りださなければならないって状況はあるのかな?あるなら、どんな状況なんだろう。宗教だと、必ず神に対抗する‘敵’をでっちあげてるような気がする。たぶん、
>某卒業生@一緒だなぁ
の言ってる神は悪徳のものではないのでしょうけど。
あと、数学は素人なんでお聞きしたいのですが、「写像」というのはどういうことなんでしょう。言葉は、現実世界を写像したものだという理論があります。
もし個々人それぞれが抱く真理が個々人の経験(学習)から導きだされたものであるならば、それは十人十色です。さらに、個々人の抱く真理から抽象し、皆に当てはまる真理はこうだと言ってみても、「確かにそうは言えるけど違う」といった矛盾めいたことになるのではないでしょうか?
僕は「外部(外圧・外からの脅威)-内部(安心)」という意識こそが、国家を成り立たせていると思うよ。
一方、神の存在はどうなんだろう?神を創りださなければならないって状況はあるのかな?あるなら、どんな状況なんだろう。宗教だと、必ず神に対抗する‘敵’をでっちあげてるような気がする。たぶん、
>某卒業生@一緒だなぁ
の言ってる神は悪徳のものではないのでしょうけど。
あと、数学は素人なんでお聞きしたいのですが、「写像」というのはどういうことなんでしょう。言葉は、現実世界を写像したものだという理論があります。
もし個々人それぞれが抱く真理が個々人の経験(学習)から導きだされたものであるならば、それは十人十色です。さらに、個々人の抱く真理から抽象し、皆に当てはまる真理はこうだと言ってみても、「確かにそうは言えるけど違う」といった矛盾めいたことになるのではないでしょうか?
43. ↑
2004/03/27(土) 12:41:07
関係ないとわかってて書き込むな。混乱するだけだろ。
何か聞きたかったら別スレッド立てろ、ボケ。
何か聞きたかったら別スレッド立てろ、ボケ。
44. 虎次郎
2004/03/27(土) 12:46:33
>関係ない
はあくまで前置きだ。
>ボケ
誰に向かって言ってる?
はあくまで前置きだ。
>ボケ
誰に向かって言ってる?
45. 某卒業生@それは
2004/03/27(土) 13:40:31
>虎次郎 2004/03/27(土) 12:02:49 氏
>日本では日本国家という概念は明治以降にできたそうです。
有名な言説ですがプロパガンダです。
江戸の三百諸侯分国時代には確かに藩への所属意識が日本国への所属意識より強かったでしょうが。
鎌倉以降の日本では少しでも知識のある人間なら日本が唐天竺と対比できる一つの「天下」であるという意識がありました。
さらに古代日本ではもともと朝鮮や渤海、支那諸王朝とのかかわりが非常に大きかったので、江戸時代なんかより明確に「日本国」という意識があったものと思われます。
江戸時代という日本の一時期を指して、昔からそうだった、と主張するのはありがちですが間違いのことが多いです。
>一方、神の存在はどうなんだろう?
元から存在する自然神(と仮に呼びますが)は宗教と関係無いことが多いです。もしくは「人を救わない宗教」です。
農業をしていて太陽を神々しく感じ、乾季の雨を感謝する。これらは人間として自然な感情です。
これらは「敵」を必要としませんし、
お布施を強要とか修行を強いるとかしません。
「人を救う宗教」の「神」はまた別物ですね。
>日本では日本国家という概念は明治以降にできたそうです。
有名な言説ですがプロパガンダです。
江戸の三百諸侯分国時代には確かに藩への所属意識が日本国への所属意識より強かったでしょうが。
鎌倉以降の日本では少しでも知識のある人間なら日本が唐天竺と対比できる一つの「天下」であるという意識がありました。
さらに古代日本ではもともと朝鮮や渤海、支那諸王朝とのかかわりが非常に大きかったので、江戸時代なんかより明確に「日本国」という意識があったものと思われます。
江戸時代という日本の一時期を指して、昔からそうだった、と主張するのはありがちですが間違いのことが多いです。
>一方、神の存在はどうなんだろう?
元から存在する自然神(と仮に呼びますが)は宗教と関係無いことが多いです。もしくは「人を救わない宗教」です。
農業をしていて太陽を神々しく感じ、乾季の雨を感謝する。これらは人間として自然な感情です。
これらは「敵」を必要としませんし、
お布施を強要とか修行を強いるとかしません。
「人を救う宗教」の「神」はまた別物ですね。
46. (たまに)北部人
2004/03/27(土) 13:50:46
>現実世界を写像したものだという理論
とりあえずこの「写像」は数学とは無関係ですが、
写像と言うからには、どこからどこへの、写像なのかが重要です。
現実世界からどこへの写像なのかが分からないのでよく分かりません。
と、適当に答えてみました。
とりあえずこの「写像」は数学とは無関係ですが、
写像と言うからには、どこからどこへの、写像なのかが重要です。
現実世界からどこへの写像なのかが分からないのでよく分かりません。
と、適当に答えてみました。
47. 虎次郎
2004/03/27(土) 19:52:52
>江戸時代なんかより明確に「日本国」という意識があったものと思われます。
すみません。ただ、ここも単なる前置きにすぎないつもりだったのですがね。
>鎌倉以降の日本では少しでも知識のある人間なら日本が唐天竺と対比できる一つの「天下」であるという意識がありました。
遣隋使だったかな?「日出づる国」だっけ?そこまで遡ることもできますね。確かそのときも法整備をしていましたね。ただ、明治憲法発布のときには、‘一般市民’は憲法を理解していなかったようですね。ここでは、
>僕は「外部(外圧・外からの脅威)-内部(安心)」という意識こそが、国家を成り立たせていると思うよ。
外部があって初めて内部が成立するんじゃないっていう当たり前のことを言ってるだけに過ぎません。
>現実世界からどこへの写像なのかが分からないのでよく分かりません。
言葉です。
すみません。ただ、ここも単なる前置きにすぎないつもりだったのですがね。
>鎌倉以降の日本では少しでも知識のある人間なら日本が唐天竺と対比できる一つの「天下」であるという意識がありました。
遣隋使だったかな?「日出づる国」だっけ?そこまで遡ることもできますね。確かそのときも法整備をしていましたね。ただ、明治憲法発布のときには、‘一般市民’は憲法を理解していなかったようですね。ここでは、
>僕は「外部(外圧・外からの脅威)-内部(安心)」という意識こそが、国家を成り立たせていると思うよ。
外部があって初めて内部が成立するんじゃないっていう当たり前のことを言ってるだけに過ぎません。
>現実世界からどこへの写像なのかが分からないのでよく分かりません。
言葉です。
48. 某卒業生@もちろんです
2004/03/27(土) 20:32:52
>虎次郎 2004/03/27(土) 19:52:52 氏
>>>僕は「外部(外圧・外からの脅威)-内部(安心)」という意識こそが、国家を成り立たせていると思うよ。
>外部があって初めて内部が成立するんじゃないっていう当たり前のことを言ってるだけに過ぎません。
そこを批判しているわけではないのでお気を悪くなさらずに。
もちろん国家が必要なのは外国があるからです。
ただ、外国がなければ国内がさらに小さく分裂して争うだけのことです。
---------------------------
ところで真理についてですが、
真理は完全知であり、人間は有限知であるので、
真理は直接的にも間接的にも観測不可能であると考えます。
そのようなものを持ち出すのはどのような場合でも無意味でしょう。
>>>僕は「外部(外圧・外からの脅威)-内部(安心)」という意識こそが、国家を成り立たせていると思うよ。
>外部があって初めて内部が成立するんじゃないっていう当たり前のことを言ってるだけに過ぎません。
そこを批判しているわけではないのでお気を悪くなさらずに。
もちろん国家が必要なのは外国があるからです。
ただ、外国がなければ国内がさらに小さく分裂して争うだけのことです。
---------------------------
ところで真理についてですが、
真理は完全知であり、人間は有限知であるので、
真理は直接的にも間接的にも観測不可能であると考えます。
そのようなものを持ち出すのはどのような場合でも無意味でしょう。
49. (たまに)北部人
2004/03/27(土) 22:58:29
>言葉は、現実世界を写像したものだという理論
で、写像の行き先が
>言葉です
はおかしいですよ。
その像を言葉と呼ぶだけで、写像は別に必要です。
って別にどうでもいい事ですが、数学とは関係なさそうだし。
単に「反映」ぐらいの意味で使ってるんじゃないですかね。
で、写像の行き先が
>言葉です
はおかしいですよ。
その像を言葉と呼ぶだけで、写像は別に必要です。
って別にどうでもいい事ですが、数学とは関係なさそうだし。
単に「反映」ぐらいの意味で使ってるんじゃないですかね。
50. 虎次郎
2004/03/27(土) 23:16:36
肖像画・地図・楽譜等々、現実を記号的に表現しなおそうとすれば、その記号的表現は現実の写像でなくてはならないということ。そして、それが写像であることを、像そのもののうちに端的に読み取らなければならないということだよ。例えば、肖像画は実在の人物の像だが、その写像関係自体を再び絵に描くことができないということなんだけどなぁ。記号というところに注意を払ってくれたまえ。
>って別にどうでもいい事ですが、数学とは関係なさそうだし。単に「反映」ぐらいの意味で使ってるんじゃないですかね。
数学での写像を中学生にもわかるように、平易な言葉で私に説明してくださいよ。もしできないのなら、あなたの知識は贋物であると批判されてもしょうがないでしょう。
>って別にどうでもいい事ですが、数学とは関係なさそうだし。単に「反映」ぐらいの意味で使ってるんじゃないですかね。
数学での写像を中学生にもわかるように、平易な言葉で私に説明してくださいよ。もしできないのなら、あなたの知識は贋物であると批判されてもしょうがないでしょう。
51. 某卒業生@どうでもいいが
2004/03/27(土) 23:50:50
別に批判されているわけじゃないんだから、
「教えてください」ぐらい丁寧に言えんか?
「教えてください」ぐらい丁寧に言えんか?
52. (たまに)北部人
2004/03/28(日) 00:22:12
↑↑
かっちーん。
その↑↑の文章なら確かに数学での「写像」で意味が当てはまりそうやけど。
とりあえず、数Cの教科書でも見れば?
かっちーん。
その↑↑の文章なら確かに数学での「写像」で意味が当てはまりそうやけど。
とりあえず、数Cの教科書でも見れば?
53. 虎次郎
2004/03/28(日) 13:14:50
>その↑↑の文章なら確かに数学での「写像」で意味が当てはまりそうやけど。
「〜当たりはまりそうやけど」という言説にあなたの不可能性を感じる。
>とりあえず、数Cの教科書でも見れば?
必要ない。
>数学での写像を中学生にもわかるように、平易な言葉で私に説明してくださいよ。
では、なぜ必要ないのにこのように言ったのか?それは、あなたに発言の機会を促そうとしたまでである。そして、そこからどうのような展開がなされるのかを見たかっただけである。
>別に批判されているわけじゃないんだから、「教えてください」ぐらい丁寧に言えんか?
あなたの書き込み自体が丁寧さを備えているとは思えない。
「〜当たりはまりそうやけど」という言説にあなたの不可能性を感じる。
>とりあえず、数Cの教科書でも見れば?
必要ない。
>数学での写像を中学生にもわかるように、平易な言葉で私に説明してくださいよ。
では、なぜ必要ないのにこのように言ったのか?それは、あなたに発言の機会を促そうとしたまでである。そして、そこからどうのような展開がなされるのかを見たかっただけである。
>別に批判されているわけじゃないんだから、「教えてください」ぐらい丁寧に言えんか?
あなたの書き込み自体が丁寧さを備えているとは思えない。
54. 虎次郎逝ってよし
2004/03/28(日) 14:45:41
いい加減にしろ。お前何様だ。
そういえばお前「挫折」のスレでもしょうもないことばかり言って、
せっかくの中身のある議論を潰してしまったやないか。
アホは黙っとれ。自分の理解できないことに首を突っ込むな。
参考スレ:
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200403/04030019.html
そういえばお前「挫折」のスレでもしょうもないことばかり言って、
せっかくの中身のある議論を潰してしまったやないか。
アホは黙っとれ。自分の理解できないことに首を突っ込むな。
参考スレ:
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200403/04030019.html
55. 虎次郎
2004/03/28(日) 15:42:25
残念です。最後に
>自分の理解できないことに首を突っ込むな。
あなたの経験値ごときでふざけたことをいってはいけない。私の書き込みの行間を読み取れていない。
>お前何様だ。
成績管理するものの一人です。まぁ講師ですが・・。春にはどこかで会えるかもしれませんね。さよなら。もう来ることは二度とない。
>自分の理解できないことに首を突っ込むな。
あなたの経験値ごときでふざけたことをいってはいけない。私の書き込みの行間を読み取れていない。
>お前何様だ。
成績管理するものの一人です。まぁ講師ですが・・。春にはどこかで会えるかもしれませんね。さよなら。もう来ることは二度とない。
56. 虎次郎逝ってよし
2004/03/28(日) 16:47:58
これが本当に講師だとすると、
なんという低い知的レベルかね。
京大生の平均を遥かに下回る。
そんな奴に教わることは何もないね。
少なくとも、何もわかっていないくせに
人を上から見下ろす偉そうな態度だけで、
その人間性の低さは容易に窺い知れようが。
はあ。脱力だ。
>あなたの経験値ごときでふざけたことをいってはいけない。私の書き込みの行間を読み取れていない。
その言葉はそっくりそのまま貴様にお返ししよう。
なんという低い知的レベルかね。
京大生の平均を遥かに下回る。
そんな奴に教わることは何もないね。
少なくとも、何もわかっていないくせに
人を上から見下ろす偉そうな態度だけで、
その人間性の低さは容易に窺い知れようが。
はあ。脱力だ。
>あなたの経験値ごときでふざけたことをいってはいけない。私の書き込みの行間を読み取れていない。
その言葉はそっくりそのまま貴様にお返ししよう。
57. (たまに)北部人
2004/03/28(日) 17:51:30
>虎次郎さん
まぁ、見てないでしょうが、一応自己反省レスを。
まず最初の
>(たまに)北部人 2004/03/27(土) 13:50:46
>(たまに)北部人 2004/03/27(土) 22:58:29
のレスでは適当で上から見たところがあったように見えたなら謝っておきます。
ただ、
>言葉は、現実世界を写像したものだという理論があります。
だけでは、明らかに数学における写像の定義とかみ合わないしどうしようもないのも確かでした。
それを差し引いても
>虎次郎 2004/03/27(土) 23:16:36
の言葉遣いは丁寧さに欠けると思いますが。
それに、
>あなたの書き込み自体が丁寧さを備えているとは思えない。
人が丁寧でないなら自分が丁寧でなかった事は許されるのでしょうか。
「当てはまりそうやけど」と僕が言ったのは、それでもなお数学の写像の定義にはあてはまらないところがあるからです。
別に必要でなかったならよいのですが、
>数学での写像を中学生にもわかるように、平易な言葉で私に説明してくださいよ。
僕は半分感情的に「数Cの教科書を見れば」といいましたが
実際それ以上でもそれ以下でもありませんし、
十分中学生にも分かりますのでもしまだ分かってないのなら読むことをお勧めします。
まぁ、見てないでしょうが、一応自己反省レスを。
まず最初の
>(たまに)北部人 2004/03/27(土) 13:50:46
>(たまに)北部人 2004/03/27(土) 22:58:29
のレスでは適当で上から見たところがあったように見えたなら謝っておきます。
ただ、
>言葉は、現実世界を写像したものだという理論があります。
だけでは、明らかに数学における写像の定義とかみ合わないしどうしようもないのも確かでした。
それを差し引いても
>虎次郎 2004/03/27(土) 23:16:36
の言葉遣いは丁寧さに欠けると思いますが。
それに、
>あなたの書き込み自体が丁寧さを備えているとは思えない。
人が丁寧でないなら自分が丁寧でなかった事は許されるのでしょうか。
「当てはまりそうやけど」と僕が言ったのは、それでもなお数学の写像の定義にはあてはまらないところがあるからです。
別に必要でなかったならよいのですが、
>数学での写像を中学生にもわかるように、平易な言葉で私に説明してくださいよ。
僕は半分感情的に「数Cの教科書を見れば」といいましたが
実際それ以上でもそれ以下でもありませんし、
十分中学生にも分かりますのでもしまだ分かってないのなら読むことをお勧めします。
58. り4
2004/03/29(月) 01:34:40
議論にはなんとなく機を逸して参加する気になれなかったが、無責任に課題図書を書こう。読めなくてもその著者の思想についてググルなり百科事典の類を引くなりするだけでもずいぶん助けになると思う。
a)物理と認識」パウリ あるいは 哲学随筆集/パウリ
b)「物理学にとって実在とは何か」/デスパーニア(理学部中央図書館にあった)
c)「認識の分析」/エルンスト・マッハ
d)「純粋理性批判」/カント
上に行くほど物理よりの人。下に行くほど哲学よりの人。
1番初めの書き込みで定義された「真理」は b では「弱い客観性」と表現されている、などというように結構すでになされている議論だったりする。
a)物理と認識」パウリ あるいは 哲学随筆集/パウリ
b)「物理学にとって実在とは何か」/デスパーニア(理学部中央図書館にあった)
c)「認識の分析」/エルンスト・マッハ
d)「純粋理性批判」/カント
上に行くほど物理よりの人。下に行くほど哲学よりの人。
1番初めの書き込みで定義された「真理」は b では「弱い客観性」と表現されている、などというように結構すでになされている議論だったりする。
59. ↑
2004/03/29(月) 02:10:52
課題図書って・・・、何様?(w
60. >1、>り4
2004/03/29(月) 02:51:33
なんか理屈で考えすぎだと思う。もっと身体で感じてはどうか?
坐禅でもしてみたらいいんじゃないの。
あるいは、お寺や教会に行って話を聴くんでもよし。
坐禅でもしてみたらいいんじゃないの。
あるいは、お寺や教会に行って話を聴くんでもよし。
61. 就活中
2007/09/03(月) 17:00:57
真理なんて言葉自体人間が作ったものなのに、それについての議論で争ったり罵ったりしてみっともないと思うけど。
天体観測みたいなマクロな視点で宇宙を解析しようとしてたのが古代の学問で、20世紀からは量子力学なんかのミクロな視点で真理みたいなもんを模索してるよね。とりあえずそういう人間の真理を探そうとする滑稽な様が普遍の事なんじゃない?人類が滅亡すりゃ真理なんて言葉自体が消え失せるから真理も死ぬってことで。宇宙の物理法則は残るけど真理っていう抽象的な概念は消える。残ってるのは無という有なんじゃない?
天体観測みたいなマクロな視点で宇宙を解析しようとしてたのが古代の学問で、20世紀からは量子力学なんかのミクロな視点で真理みたいなもんを模索してるよね。とりあえずそういう人間の真理を探そうとする滑稽な様が普遍の事なんじゃない?人類が滅亡すりゃ真理なんて言葉自体が消え失せるから真理も死ぬってことで。宇宙の物理法則は残るけど真理っていう抽象的な概念は消える。残ってるのは無という有なんじゃない?
62. 流れ無視
2007/09/03(月) 18:56:30
どこかの上座部仏教の僧が言っていた。
人間が矛盾なしに話すのは非常に難しい。しかし釈迦にはできた。
釈迦は真理を話したから矛盾が生じなかったのであると。
人間が矛盾なしに話すのは非常に難しい。しかし釈迦にはできた。
釈迦は真理を話したから矛盾が生じなかったのであると。
追加発言



