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学問と技術の境界線を


1. かずカメ [E-Mail] 2004/04/04(日) 05:38:02
はじめまして、高校3年の受験生です。
京都大学を目指しているのですが、学問とは何か?と思うようなことがあります。
東大、京大または名大、阪大などのいわゆる難関大を除けば、
理学部と名乗っているところでも結局は、工学部か農学部の領域に含まれていて、
理学追求の精神がかけているのではないかと思っています。
流行のバイオテクノロジー、ナノテクノロジーなど、
そのような研究の重要性を否定することはできませんが、
それを理学部でやっていることに関して疑問を抱いてしまいます。
名前の問題であれば、それは単なる形式的なものですが、
日本の研究者の大半が学問ではなく技術開発をしているに過ぎないのではないかと思ってしまいます。
僕が言う学問とは、真理追究を重視するものです。
そういうことをやれる舞台が京都大学にあると信じています。
確かに、現実的な面を考えれば、学問を重視することは
できないかもしれませんけど。

2. かずカメ [E-Mail] 2004/04/04(日) 05:43:04
題名の境界線というのは、
京都大学が学問のほかの大学とは違って、
学問をすることができる環境であることを願っている。という意味です。
分かりにくくてすみません。

3. うんこ 2004/04/04(日) 15:10:26
そんな風に分けて考えることが無駄だとしか思えない経済学部生が一人。

4. 2004/04/04(日) 17:27:49
国民の血税をムダに使って「学問の真理」とやらを
追求するなど言語道断・・・と考えるのが現在の潮流です。
たとえば東大でも最近は特に国家機関などから下りてきた
大規模プロジェクトを大勢で取り組む、ということが増えています。
阪大や東北大などでは率先して企業との包括提携を押し進め、
産業との連携という面で高い評価を受けています。

京大はそういったものから一歩身を引いた立場を取っていますが
多少時代に立ち遅れているとも言い換えられると思います。
基礎研究重視で科学系ノーベル賞・フィールズ賞
日本人受賞者の過半数を輩出してきたとはいえ、
それはあくまでも日本国内でのみ通用する話です。
本当に「真理を追求する学問の府」を標榜していくには
現状はちと印象不足・力不足なのではないか、と最近感じています。
まして、独法化で国立大学も自分で稼がなければ
いけなくなりましたから。

もちろん、かずカメさんのような人がどんどん京大に来て
現状を遥かに超える素晴らしい学問業績を挙げていくようなら
事情は変わっていくと思いますが。

5. かずカメ [E-Mail] 2004/04/04(日) 19:46:51
分けて考えるというつもりはありません。
学問をジャンルわけすることは不可能ですし、
定義することも不可能ですから。
ただ、現時点での研究活動を見る限りでは、
宇宙論をやるにしても莫大な費用をかけて実験するだけだったり、
生態学をやるにしても調査結果に関する考察にとどまっていたり、
そういう研究を否定するつもりはないのですが、
それが重視されすぎているということが不満なのです。
現実問題では、やはり学問に投資するお金などないのですが。

学問をする場が少ないことはしょうがないかもしれませんが、
流行に乗っているだけの研究者が、多かれ少なかれいるということはどう思いますか?
僕の知りうる範囲で言えば、
ナノ、バイオ、量子力学、生命工学、環境関連、遺伝子など。
このような分野の研究は重要だと思うし、学問としての価値も感じてはいるのですが、もてはやされすぎだと思います。

しかも、これほど生活に密着している分野なのに、
これらに対する倫理的議論が十分になされていません。
哲学に対する我々の意識の低下の証拠です。
哲学といえば、ソクラテスだとか孔子だとかの引用をして、
訳の分からないことを言うものだと思われているのです。
本来、哲学というものは、人間の営みに対して、善悪の意識を持ち、科学というものの使い道を検討する役割も持っていたのであると思うのですが。

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