進化学とキリスト教はどこまで共存できるか
1. 生物専攻のクリスチャン
2004/06/09(水) 00:07:07
R・ドーキンスが好きな人やキリスト教に詳しい人、考えを聞かせてください。
2. 電波くん
2004/06/09(水) 00:09:36
精神世界と物質世界の峻別。ってことで
終了!!!!!
終了!!!!!
3. 東北人
2004/06/09(水) 00:10:36
ラマルクやビュホンあたりの伝記や、自然科学史分野のナポレオンからヒトラーまでの時代で骨董学について調べると詳しく乗ってますよ。
4. これが真理だ
2004/06/09(水) 00:39:01
私は、人間を単なる原子の集合体以上の物とする「魂」が存在していると思います。
一方で、生物が単純なものから進化してきたことは疑いようがないとも思います。
このパラドックスを解消するには、次のように考えるしかありません。
すなわち、五感で感知できる物質世界と同様に、五感以外の感覚で感知される「非物質的世界」が実在し、そこでも物質世界と同様に生物は進歩している、ということです。
ここで非物質世界といっているのは、伝統的に哲学者が「可能態」とよんでいる対象も含んでいるものです。
肉体の運動と同様に、この非物質世界における運動が思考と呼ばれるものの本質であると考えます。
そして、「非物質的世界」における運動可能性の発達が、精神の発達ということであろうと思います。
物質世界と同様に非物質世界も神が創造されたものである以上、進化論はキリスト教徒矛盾しません。
むしろ、時間とは人間の主観に基づくものであり、神は超時間的に全ての生物の可能な発展段階を一挙に創造したと考えるべきであります。
一方で、生物が単純なものから進化してきたことは疑いようがないとも思います。
このパラドックスを解消するには、次のように考えるしかありません。
すなわち、五感で感知できる物質世界と同様に、五感以外の感覚で感知される「非物質的世界」が実在し、そこでも物質世界と同様に生物は進歩している、ということです。
ここで非物質世界といっているのは、伝統的に哲学者が「可能態」とよんでいる対象も含んでいるものです。
肉体の運動と同様に、この非物質世界における運動が思考と呼ばれるものの本質であると考えます。
そして、「非物質的世界」における運動可能性の発達が、精神の発達ということであろうと思います。
物質世界と同様に非物質世界も神が創造されたものである以上、進化論はキリスト教徒矛盾しません。
むしろ、時間とは人間の主観に基づくものであり、神は超時間的に全ての生物の可能な発展段階を一挙に創造したと考えるべきであります。
5. >↑
2004/06/09(水) 00:50:24
6. ↑↑
2004/06/09(水) 01:08:38
7. これが真理だ
2004/06/09(水) 01:15:31
諸君は誤解してますね。
私は理系ですぞ!?
私は理系ですぞ!?
8. 東北人
2004/06/09(水) 01:18:05
ってゆうか、1は理系の般教の課題かと思っていたんですが・・・。
9. いや,こっちが真理
2004/06/09(水) 01:23:51
昔々,世の中には神のみが存在していました.(言語)
神はあるとき大地を作りました.しかし大地には何もありませんでした.(空集合の公理)
そして神は"光あれ"といいました.すると,
外延性の公理,非順序対の公理,合併集合の公理,無限公理,
分出公理,巾集合の公理,置換公理,正則性の公理ができました.
このおかげで,我々は多種多様な理論を安心して築けるようになったということです.
神はあるとき大地を作りました.しかし大地には何もありませんでした.(空集合の公理)
そして神は"光あれ"といいました.すると,
外延性の公理,非順序対の公理,合併集合の公理,無限公理,
分出公理,巾集合の公理,置換公理,正則性の公理ができました.
このおかげで,我々は多種多様な理論を安心して築けるようになったということです.
10. 東北人
2004/06/09(水) 01:25:58
↑ソーセーキ+スーガク+ブツリですか?
11. これが真理だ
2004/06/09(水) 01:28:04
実際のところ、私が言わんとしたのは↑と大体において同一です。
もっとも、公理主義で片がつくとは限りませんが。
その証拠に、連続体の濃度がアレフ2であるこという事実を、我々は公理から導けないではないか!
もっとも、公理主義で片がつくとは限りませんが。
その証拠に、連続体の濃度がアレフ2であるこという事実を、我々は公理から導けないではないか!
12. これが真理だ
2004/06/09(水) 01:29:09
失礼 ↑×2です。
13. 東北人
2004/06/09(水) 01:42:42
理論の構築ではなくて、共存できるか否かがテーマでは?
キリスト教もプロテスタントとカトリックがあり、また原理主義や穏健派もあって一律に分類することはできないのでは。
キリスト教もプロテスタントとカトリックがあり、また原理主義や穏健派もあって一律に分類することはできないのでは。
14. いや,こっちが真理
2004/06/09(水) 01:52:16
追記です.
しかし神はこう考えました.
「人間はたかが人間.無限を考えることは認めたが,高々有限なことしかしてはならぬ.」
そういうわけで神は,人間が選択公理を使うことを禁じたわけです.
しかし,無限の存在が人間をそそのかし,人間は選択公理を使ってしまいました.
そのことに神は激怒し,人間は神に追放されてしまいました.
しかし神はこう考えました.
「人間はたかが人間.無限を考えることは認めたが,高々有限なことしかしてはならぬ.」
そういうわけで神は,人間が選択公理を使うことを禁じたわけです.
しかし,無限の存在が人間をそそのかし,人間は選択公理を使ってしまいました.
そのことに神は激怒し,人間は神に追放されてしまいました.
15. チック
2004/06/09(水) 11:46:04
神は全知全能です。
人間は選択公理を使う事も予知していました。
故に激怒はしませんでした。
人間は選択公理を使う事も予知していました。
故に激怒はしませんでした。
16. ディート
2004/06/09(水) 12:44:04
キリスト教がいけないんじゃなくて原理主義がいけないんじゃないのか?
17. 多神教の神
2004/06/09(水) 17:46:25
なぜにキリスト教?
キリスト教は数ある宗教の中の一つに過ぎないよね。
キリスト教が一番優れた宗教だという偏見でもあるの?
進化学とイスラム教はどこまで共存できるか
進化学とヒンドゥー教はどこまで共存できるか
進化学と仏教はどこまで共存できるか
「進化学」と「宗教」はどこまで共存できるか
でもいいじゃん。
キリスト教は数ある宗教の中の一つに過ぎないよね。
キリスト教が一番優れた宗教だという偏見でもあるの?
進化学とイスラム教はどこまで共存できるか
進化学とヒンドゥー教はどこまで共存できるか
進化学と仏教はどこまで共存できるか
「進化学」と「宗教」はどこまで共存できるか
でもいいじゃん。
18. 東北人
2004/06/09(水) 17:53:33
↑進化論はヨーロッパでキリスト教における、人は神から生まれたという前提の下に、その命題に反する形で形成された価値観なのでキリスト教と対比したほうがわかりです。なお進化学対宗教の対立軸なら、議論に無理は無いと思います。
19. これが真理だ
2004/06/09(水) 18:11:13
私は聖書の「アダムとイブ」はたとえ話、あるいは超感覚的世界で生じた事実である、と考えているので、進化論と聖書は矛盾しないと思います。
聖書をこの世界の歴史的事実を記したものと考えるのは馬鹿げています。なぜなら、神自身がラテン語で語りかけたはずがないからです。
さらに、アダムとイブが事実なら、神武天皇とアダムは同一人物ということになり、必然的に聖書と同一の内容を記した日本語版の古文献が存在したはずですがなにか?
聖書をこの世界の歴史的事実を記したものと考えるのは馬鹿げています。なぜなら、神自身がラテン語で語りかけたはずがないからです。
さらに、アダムとイブが事実なら、神武天皇とアダムは同一人物ということになり、必然的に聖書と同一の内容を記した日本語版の古文献が存在したはずですがなにか?
20. イカ京
2004/06/09(水) 18:18:55
>私は聖書の「アダムとイブ」はたとえ話、あるいは超感覚的世界で生じた事実である、と考えているので
勝手に解釈しないで下さい。
勝手に解釈しないで下さい。
21. 多神教の神
2004/06/09(水) 19:07:46
聖書は数ある神話の中の一つに過ぎません。
聖書が真であると言うなら、例えばコーランが真でない理由は?
聖書が真であると言うなら、例えばコーランが真でない理由は?
22. ↑↑
2004/06/09(水) 19:11:05
まあ、でも字義通りに読むっていう解釈は、原理派を除いてどこも否定してるからね。
クリスチャンとしては正しい読み方でしょう。
クリスチャンとしては正しい読み方でしょう。
23. 多神教の神
2004/06/09(水) 19:21:11
字義通りに読まないとなると、どうとでも都合良く解釈できるね。
そうなると仏教の仏典もヴェーダ(ヒンドゥー教)もコーランも正しいということになるな。
聖書だけが特別だとは言えなくなる。
そうなると仏教の仏典もヴェーダ(ヒンドゥー教)もコーランも正しいということになるな。
聖書だけが特別だとは言えなくなる。
24. 東北人
2004/06/09(水) 19:26:35
↑聖書だけが特別だとはいえなくなるねって
誰もそんなことは書いていないのではないですか?
誰もそんなことは書いていないのではないですか?
25. ↑↑
2004/06/09(水) 23:31:53
>そうなると仏教の仏典もヴェーダ(ヒンドゥー教)もコーランも正しいということになるな。
それでいいんじゃないですか?どれも同じ真理を違った視点から見たものだというわけで。
一見「非科学的」に見えるのは、古代人の言葉で書いてあるからというだけ。
思うに、非日常的な言葉をすべて取り除いて、自分の周りの事実に引き戻して読める部分だけが、少しでも「わかった」といえる部分なんじゃないでしょうか。そしてそういう解釈ができれば、教典の正しさを疑う必要もなくなるでしょう。
それでいいんじゃないですか?どれも同じ真理を違った視点から見たものだというわけで。
一見「非科学的」に見えるのは、古代人の言葉で書いてあるからというだけ。
思うに、非日常的な言葉をすべて取り除いて、自分の周りの事実に引き戻して読める部分だけが、少しでも「わかった」といえる部分なんじゃないでしょうか。そしてそういう解釈ができれば、教典の正しさを疑う必要もなくなるでしょう。
26. クリス・マテマティちゃん
2004/06/10(木) 16:43:44
神とはあらゆる可能態の総体として捉えられます。
したがって、神は無限です。
選択公理を認めないことは、無神論です。
したがって、神は無限です。
選択公理を認めないことは、無神論です。
27. キリストなんて
2004/06/10(木) 17:02:57
恐ろしい宗教、人間を人間として扱わない共産党の考えと同じだ、
28. 疑問
2004/06/10(木) 17:21:50
>神とはあらゆる可能態の総体として捉えられます。
>したがって、神は無限です。
これは、キリスト教の神のことですか?
それとも、イスラムも含めた旧約聖書の神のことですか?
それとも、特定の宗教ではなく一神教の神のことですか?
多神教の神々や、仏教の仏(如来)は無視ですか?
>したがって、神は無限です。
これは、キリスト教の神のことですか?
それとも、イスラムも含めた旧約聖書の神のことですか?
それとも、特定の宗教ではなく一神教の神のことですか?
多神教の神々や、仏教の仏(如来)は無視ですか?
29. クリス・マテマティちゃん
2004/06/10(木) 18:23:11
ん?
私は「神とはあらゆる可能態の総体である」といいました。
したがって、あなたが何か特定の対象をさして、
「これは神ですか?」
と問うたとき、つねにその枠を超越しています。
私は「神とはあらゆる可能態の総体である」といいました。
したがって、あなたが何か特定の対象をさして、
「これは神ですか?」
と問うたとき、つねにその枠を超越しています。
30. チック
2004/06/10(木) 18:25:26
>人間を人間として扱わない共産党の考えと同じだ
それは明らかに違うと思いますが。
それは明らかに違うと思いますが。
31. チック
2004/06/10(木) 18:27:15
キリスト教と共産党はって事です。
32. 疑問
2004/06/10(木) 19:16:44
>神とはあらゆる可能態の総体である
そのように定義できる根拠はなんですか?
その定義からすると、あなたの言う「神」とは、キリスト教やイスラム教やヒンドゥー教の神など「様々な宗教における特定の神」を超越した存在のことを指しているのですか?
神とは、一般的にはシヴァやヴィシュヌなどの多神教の神々や、ヤハウェ(ユダヤ・キリスト・イスラムの神、旧約聖書の神)のような一神教の唯一神を指すと思うのですが・・・
そのように定義できる根拠はなんですか?
その定義からすると、あなたの言う「神」とは、キリスト教やイスラム教やヒンドゥー教の神など「様々な宗教における特定の神」を超越した存在のことを指しているのですか?
神とは、一般的にはシヴァやヴィシュヌなどの多神教の神々や、ヤハウェ(ユダヤ・キリスト・イスラムの神、旧約聖書の神)のような一神教の唯一神を指すと思うのですが・・・
33. クリス・マテマティちゃん
2004/06/10(木) 20:55:12
聖トマスなどをはじめとする中世の神学・スコラ哲学書にはそのへんの議論が書いてあるので、暇があったら眺めてみたら面白いかも。
「否定神学」と呼ばれている議論です。(神は○○だ、という命題をすべて超越した全体が神である、という『否定』の神学という意味らしい)
聖アンセルムスは、否定神学に基づいて神の存在証明を考案しました。
「否定神学」と呼ばれている議論です。(神は○○だ、という命題をすべて超越した全体が神である、という『否定』の神学という意味らしい)
聖アンセルムスは、否定神学に基づいて神の存在証明を考案しました。
34. 疑問
2004/06/11(金) 02:11:42
「否定神学」における「神」は、すでにキリスト教における神とは異なるものに思えるのですが・・・キリスト教における神は唯一神ではあるが人格神ですよね。
「否定神学」に基づいて展開されたという「神の存在証明」は、キリスト教だけでなくイスラム教やユダヤ教などあらゆる「一神教」でも使える気がするのですが、どうなのでしょうか。
「否定神学」に基づいて展開されたという「神の存在証明」は、キリスト教だけでなくイスラム教やユダヤ教などあらゆる「一神教」でも使える気がするのですが、どうなのでしょうか。
35. クリス・マテマティちゃん
2004/06/11(金) 02:27:45
>否定神学」に基づいて展開されたという「神の存在証明」は、キリスト教だけでなくイスラム教やユダヤ教などあらゆる「一神教」でも使える気がするのですが、どうなのでしょうか。
そりゃ使えます。神は無限で、宇宙は一つですから。
>キリスト教における神は唯一神ではあるが人格神ですよね。
神はイエズス様を地上に遣わされ、愛が宇宙の真理であることを知らしめたのです。
もしかしたら、神武天皇やブッダも神が遣わしたのかもしれませんが、麻原ショーコーは偽者でしょう。
そりゃ使えます。神は無限で、宇宙は一つですから。
>キリスト教における神は唯一神ではあるが人格神ですよね。
神はイエズス様を地上に遣わされ、愛が宇宙の真理であることを知らしめたのです。
もしかしたら、神武天皇やブッダも神が遣わしたのかもしれませんが、麻原ショーコーは偽者でしょう。
36. 疑問
2004/06/11(金) 03:52:23
「神は○○だ、という命題をすべて超越した全体が神である」
↑このような神であるのに、なぜ「愛が宇宙の真理」となるのでしょうか。「キリスト教の神」と、「全てを超越した神」は異なるように感じられます。また、宇宙が一つであると言える根拠は無いと思います。と同様に、「神」も色々だと思います。西洋の一般的な「神」の概念とは異なるのでしょうが、「神」によっては、有限の神もいます。多神教の神々のように。
また、仏陀がキリスト教的な唯一神の使いかもしれない、というのは個人的にはいただけません。仏教と一神教は根本的には全く異なる教えでしょう。また、多神教からすると、キリスト教の神も多くの神々のうちの一柱に過ぎないということになるでしょう。
↑このような神であるのに、なぜ「愛が宇宙の真理」となるのでしょうか。「キリスト教の神」と、「全てを超越した神」は異なるように感じられます。また、宇宙が一つであると言える根拠は無いと思います。と同様に、「神」も色々だと思います。西洋の一般的な「神」の概念とは異なるのでしょうが、「神」によっては、有限の神もいます。多神教の神々のように。
また、仏陀がキリスト教的な唯一神の使いかもしれない、というのは個人的にはいただけません。仏教と一神教は根本的には全く異なる教えでしょう。また、多神教からすると、キリスト教の神も多くの神々のうちの一柱に過ぎないということになるでしょう。
37. 疑問
2004/06/11(金) 03:56:15
「ブッダも神が遣わしたのかもしれない」という発想は、一神教的な世界観を前提とした、又は一神教的な世界観が正しい、というような考えが裏にあるように思えます。なんらかの一神教的な信仰を持っている人(例えばユダヤ・キリスト・イスラム教徒の方)なら仕方ないでしょうが。
38. 疑問
2004/06/11(金) 04:07:36
「人格神」であるとする以上、「キリスト教の唯一神ヤハウェ」と「全てを超越した存在である神」をイコールで結ぶことはできないと思います。本当に「全てを超越した存在である神」を証明しようとするならば、結局はキリスト教の否定に繋がると思うのですが・・・。
39. クリス・マテマティちゃん
2004/06/11(金) 12:26:50
>↑このような神であるのに、なぜ「愛が宇宙の真理」となるのでしょうか。
イエズス様の降誕は歴史的事実であるので、ロジックにより論証することはできません。
>一神教的な世界観が正しい、というような考えが裏にあるように思えます。
聖トマス、聖アンセルムス、ライプニッツその他が繰り返し証明を与えているので、仕方ありません。
>「人格神」であるとする以上、「キリスト教の唯一神ヤハウェ」と「全てを超越した存在である神」をイコールで結ぶことはできないと思います。
可能態の総体としての神の本質より、神というものが存在すれば、それは一意的に存在することが結論されます。これは、数学で言うところのuniversalityです。
したがって、イエズス様が示された神は、否定神学における神と同一でなければなりません。
イエズス様の降誕は歴史的事実であるので、ロジックにより論証することはできません。
>一神教的な世界観が正しい、というような考えが裏にあるように思えます。
聖トマス、聖アンセルムス、ライプニッツその他が繰り返し証明を与えているので、仕方ありません。
>「人格神」であるとする以上、「キリスト教の唯一神ヤハウェ」と「全てを超越した存在である神」をイコールで結ぶことはできないと思います。
可能態の総体としての神の本質より、神というものが存在すれば、それは一意的に存在することが結論されます。これは、数学で言うところのuniversalityです。
したがって、イエズス様が示された神は、否定神学における神と同一でなければなりません。
40. ますます疑問
2004/06/11(金) 22:32:34
「キリスト教が正しい」ことを前提に、キリスト教徒が考え出した自己弁護の為の詭弁に聞こえるのですが・・・。
そもそも、「聖トマス、聖アンセルムス、ライプニッツその他が繰り返し証明」した「証明」が正しいと言えるのでしょうか。神学における神の証明というのは、言語上のレトリックに過ぎないのではないですか。また、「イエズス様の降誕は歴史的事実であるので、ロジックにより論証することはできません。」というのも都合の良い言い逃れに聞こえます。
クリスさんの言う「神」はキリスト教的唯一神のみを指しており、多神教における神などを最初から無視した偏った議論のように思われます。クリスさんはキリスト教徒なのですか?
そもそも、「聖トマス、聖アンセルムス、ライプニッツその他が繰り返し証明」した「証明」が正しいと言えるのでしょうか。神学における神の証明というのは、言語上のレトリックに過ぎないのではないですか。また、「イエズス様の降誕は歴史的事実であるので、ロジックにより論証することはできません。」というのも都合の良い言い逃れに聞こえます。
クリスさんの言う「神」はキリスト教的唯一神のみを指しており、多神教における神などを最初から無視した偏った議論のように思われます。クリスさんはキリスト教徒なのですか?
41. 滝沢クリミナル
2004/06/11(金) 22:33:50
・・・
42. クリス・マテマティちゃん
2004/06/12(土) 00:29:32
神の実在とは、全体に関する命題であって、比較検討の対象とはなりえません。全体と、それと独立な部分とを比較することはできないからです。
また、多神教の「神」とは、定義から言って、世界の全体ではありえません。:全体はひとつしかないので。
したがって、そのような「神」は、唯一つの神の部分に過ぎません。そのような不完全な「神」を信仰することは誤りです。
イエズス様は我々の道徳の根本原理を示されましたが、他の偉大なる聖人もまた優れた教えを残しました。
その聖人が本物であれば、その人の神学的観念はイエズス様のものと一致することが、否定神学のユニバーサリティーにより証明されています。
また、多神教の「神」とは、定義から言って、世界の全体ではありえません。:全体はひとつしかないので。
したがって、そのような「神」は、唯一つの神の部分に過ぎません。そのような不完全な「神」を信仰することは誤りです。
イエズス様は我々の道徳の根本原理を示されましたが、他の偉大なる聖人もまた優れた教えを残しました。
その聖人が本物であれば、その人の神学的観念はイエズス様のものと一致することが、否定神学のユニバーサリティーにより証明されています。
43. >クリス・マテマティちゃん
2004/06/12(土) 13:52:59
では、一神教の神と、インドのブラフマンの違いは?
44. クリス・マテマティちゃん
2004/06/12(土) 17:29:15
この議論はこれ以上控えさせていただきたいと思います。
というのは、私の見解は異端に触れている可能性があり、そのような意見を公表することで、法王庁のテレパスに攻撃される可能性があるためです。
これ以上はなにも申し上げられません。
というのは、私の見解は異端に触れている可能性があり、そのような意見を公表することで、法王庁のテレパスに攻撃される可能性があるためです。
これ以上はなにも申し上げられません。
45. k
2004/06/13(日) 04:37:46
まあ、何ていうのかな。
「不合理故に吾信ず」が一番しっくりくる。
「不合理故に吾信ず」が一番しっくりくる。
46. クリス・マセマティちゃん
2004/06/19(土) 12:43:17
神は実在しなければなりません。そして、神は私達を愛してくださるはずです。
それは、「死刑廃止論」のような現実問題とも密接に関係します。
そもそも道徳とは、「他者と喜びを分かち合うこと」を原則としています。死刑囚にも家族や友人がいるでしょう、その人たちの悲しみの故に、死刑は断罪されねばならないのです。
では、天涯孤独の人間ならば、死刑にしても良いのでしょうか? そんなはずはありません。人間の価値は、他者によって規定されるものではないからです。
したがって、天涯孤独の人間にも存在する価値がある:なぜなら神がその人を愛しているから、という結論を避けることはできないのです。
それは、「死刑廃止論」のような現実問題とも密接に関係します。
そもそも道徳とは、「他者と喜びを分かち合うこと」を原則としています。死刑囚にも家族や友人がいるでしょう、その人たちの悲しみの故に、死刑は断罪されねばならないのです。
では、天涯孤独の人間ならば、死刑にしても良いのでしょうか? そんなはずはありません。人間の価値は、他者によって規定されるものではないからです。
したがって、天涯孤独の人間にも存在する価値がある:なぜなら神がその人を愛しているから、という結論を避けることはできないのです。
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