文系学部の存在意義。その六
1. 工学系院生
2004/06/12(土) 18:48:32
文系学部の存在意義。その五
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200406/04060009.html
文系学部の存在意義。その四
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200405/04050064.html
文系学部の存在意義。その二(←正しくは「その三」)
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050056.html
文系学部の存在意義。その二
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050047.html
文系学部の存在意義
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050045.html
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200406/04060009.html
文系学部の存在意義。その四
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200405/04050064.html
文系学部の存在意義。その二(←正しくは「その三」)
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050056.html
文系学部の存在意義。その二
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050047.html
文系学部の存在意義
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050045.html
2. 工学
2004/06/12(土) 18:55:47
現実でうまく言ってるから良いや
の段階はもちろんあるけど、「最終的にはなぜそうなのか理解してやろう」という姿勢で挑まないと理性的な者の態度とはいえない。
の段階はもちろんあるけど、「最終的にはなぜそうなのか理解してやろう」という姿勢で挑まないと理性的な者の態度とはいえない。
3. ギョ-ン
2004/06/12(土) 19:05:10
工学は音楽を聴いてなにかを感じた経験はないの?
うまくいえないけど、たとえばモーツァルトを聞いて晴れ晴れした気持ちになったか、マーラーを聞いて迫力に圧倒されたとか、子犬のワルツの軽快なリズムが爽快だとか。べつに子犬の〜って名前がついてるけど、子犬なんかどーでもいいわけで。
美術でも、キリコの絵から不安を感じるとか、ゲルニカをみて、「あーこれが戦争だ」とかさw(うまく言えないw)
あと、
>「最終的にはなぜそうなのか理解してやろう」という姿勢で挑まないと理性的な者の態度とはいえない。
と言いながら「歴史学研究は公金の無駄」っちゅーのもよくわからん。社会の成り立ちは理解しなくていいのか?
うまくいえないけど、たとえばモーツァルトを聞いて晴れ晴れした気持ちになったか、マーラーを聞いて迫力に圧倒されたとか、子犬のワルツの軽快なリズムが爽快だとか。べつに子犬の〜って名前がついてるけど、子犬なんかどーでもいいわけで。
美術でも、キリコの絵から不安を感じるとか、ゲルニカをみて、「あーこれが戦争だ」とかさw(うまく言えないw)
あと、
>「最終的にはなぜそうなのか理解してやろう」という姿勢で挑まないと理性的な者の態度とはいえない。
と言いながら「歴史学研究は公金の無駄」っちゅーのもよくわからん。社会の成り立ちは理解しなくていいのか?
4. 工学
2004/06/12(土) 19:29:10
やっと落ち着いたか。
そうそう。
リズムとか迫力(=低音の多さや大きさ)とかそういうのはある。
でもそこからその物理的な情報以上の「何か」や「深さ」を追求したりするととたんに権威の語りになってしまうわけだ。
そうそう。
リズムとか迫力(=低音の多さや大きさ)とかそういうのはある。
でもそこからその物理的な情報以上の「何か」や「深さ」を追求したりするととたんに権威の語りになってしまうわけだ。
5. ギョ-ン
2004/06/12(土) 20:53:23
んー…
なんか「人間は原子の集合体に過ぎないんだから、それ以上の意味を追求するのは無駄だ」とか言いそうな勢いだなぁw じゃ、人間と石ころの違いはなんだ?
あと、絵のほうと歴史学研究の意義は??
なんか「人間は原子の集合体に過ぎないんだから、それ以上の意味を追求するのは無駄だ」とか言いそうな勢いだなぁw じゃ、人間と石ころの違いはなんだ?
あと、絵のほうと歴史学研究の意義は??
6. 工学系院生
2004/06/12(土) 21:23:58
>工学君
>じゃぁこの絵の本質は何??笑
絵の本質は絵そのものです。もとより絵が具体的事物、またはそれだけを指していると思うなかれ。
>つまりそれは才能に他ならない。
だからどうしました?
>子犬のワルツ聴いて文章、例えば俺らのこのやり取り以上の情報を得られるのか?
得られますよ。悪いけど。ただし、君のいう「情報」という言葉の意味は非常に狭いですね。
>明日から音楽という形で論文を発表すれば?笑
確かに論文は書けませんね。でも、論文を何のために書くかというと、自分の発見の感動やその境地を何らかの形で人に伝えたいということがまずあるわけで、その境地に至るために、数理的な言語でなく音楽言語で思考し、それを書けるならば作曲家になれます。それを曲から読み取って、自分で弾きこなせるならば演奏家になれます。
ええ、なれるものならそうしたいですよ。でも残念ながら私にはそちらの才能はなかったし、優れた教育を受ける機会もありませんでした。卑近な言い方をすれば、文字の学問では京大にも入れるけれど、音楽ではせいぜい三流大学レベルでしかなかったのです。凡庸な音楽教師がいいところで、とてもプロになれる器ではありません。だから無能力ゆえできない、というのが正直な答えですね。
>もうやめとけって、ドとかレとかの音が組み合わさってそれが文章以上の情報(作者がこめたなんらかのもの)になりうるわけないってもう分かってるんだろ?本当は。
人を甘く見るのはよした方がよい、とだけ伝えておきます。この大学でも、私程度に芸術を解する人など、探せば掃いて捨てるほどいます。
>だから逆に指摘の余地のない完璧な論文を教えてほしいものだ。
確かに、「反論の余地のない論文」は存在しないだろう。だけど、君の書く文章は「論文としての体をなさないだろう」と言っているのです。この違いおわかりか?
>楽しさ×人の数(最大多数の〜)が全体的な視点から見たすべきことだとするならばそれこそ科学を発展させればいい。
いやしくも理系を称するなら、そういう比較可能な尺度がまず存在するかどうか、というところをよく考えてみてほしい。君にわかるように言えば、ラグランジアンが見つからない系では変分法は無力ということです。
>「とにかく優生学的手段で進歩させた集団A」と
>「『生まれたモン勝ち。生まれた俺らの幸福が最優先。あとはしらん』で無計画になんとなく続いた集団B(つまりこのまま行った場合の未来の人類)」
>とでどうしてBの幸福だけが問題になるのか?
「集団A」が存在せず、そもそも現在の人類が「集団B」なのだからBの幸福を考えるのは当たり前でしょう。
前も言ったけれど、逆3乗重力系のような、存在しない系を想定することは無意味。
>宗教以下はレスする気もおきない・・
なぜ。反論できないから逃げたと言われても仕方ないですよ。
>じゃぁ例えば「輪廻転生」という概念を科学的に見た場合なにが得られるのか教えてよ。
話をそらさないでください。私は仏教の専門家でもないのにそんなことを訊かれても困るのだが、一つだけ言えることは、私の記憶が正しければ、釈迦は「輪廻転生はあるのか」という問いに「確かなことは言えない」という理由で沈黙を守っているはず。ではなぜ仏教に「輪廻転生」というバラモン教の言葉が出るかというと、それは魂の不滅を仮定しなくても含まれる真実があると考えられたからに他ならないです。たとえばある宗派の解釈では、「輪廻転生」とは、実は我々の一生の間の心の状態の移り変わりのことで、物欲に溺れている状態を「餓鬼界」、他人との争いに明け暮れる状態を「修羅界」などと象徴的に表現しているのだ、ということ。
また(ここからは半分私見)、たとえば理不尽と思えるような状況に陥って絶望に苛まれたとき、このときの気分は罪悪感にも似ている。これに、知らず知らずのうちに罪を犯していないとは言えないという内省を込めた表現が「前世の罪業」といった言い方になるのではないだろうか。あるいは、この罪悪感は、キリスト教の文脈では「実は絶望こそが罪なのだ」と説明されたりもします。要するにこれはすべてメタ心理学(?)的な語法なのです。
もちろん、他の解釈もあり得るはずで、逆に多様な解釈が可能だからこそ、教典はあのような記法を取っているのだと私は信じます。
以下続く。
>じゃぁこの絵の本質は何??笑
絵の本質は絵そのものです。もとより絵が具体的事物、またはそれだけを指していると思うなかれ。
>つまりそれは才能に他ならない。
だからどうしました?
>子犬のワルツ聴いて文章、例えば俺らのこのやり取り以上の情報を得られるのか?
得られますよ。悪いけど。ただし、君のいう「情報」という言葉の意味は非常に狭いですね。
>明日から音楽という形で論文を発表すれば?笑
確かに論文は書けませんね。でも、論文を何のために書くかというと、自分の発見の感動やその境地を何らかの形で人に伝えたいということがまずあるわけで、その境地に至るために、数理的な言語でなく音楽言語で思考し、それを書けるならば作曲家になれます。それを曲から読み取って、自分で弾きこなせるならば演奏家になれます。
ええ、なれるものならそうしたいですよ。でも残念ながら私にはそちらの才能はなかったし、優れた教育を受ける機会もありませんでした。卑近な言い方をすれば、文字の学問では京大にも入れるけれど、音楽ではせいぜい三流大学レベルでしかなかったのです。凡庸な音楽教師がいいところで、とてもプロになれる器ではありません。だから無能力ゆえできない、というのが正直な答えですね。
>もうやめとけって、ドとかレとかの音が組み合わさってそれが文章以上の情報(作者がこめたなんらかのもの)になりうるわけないってもう分かってるんだろ?本当は。
人を甘く見るのはよした方がよい、とだけ伝えておきます。この大学でも、私程度に芸術を解する人など、探せば掃いて捨てるほどいます。
>だから逆に指摘の余地のない完璧な論文を教えてほしいものだ。
確かに、「反論の余地のない論文」は存在しないだろう。だけど、君の書く文章は「論文としての体をなさないだろう」と言っているのです。この違いおわかりか?
>楽しさ×人の数(最大多数の〜)が全体的な視点から見たすべきことだとするならばそれこそ科学を発展させればいい。
いやしくも理系を称するなら、そういう比較可能な尺度がまず存在するかどうか、というところをよく考えてみてほしい。君にわかるように言えば、ラグランジアンが見つからない系では変分法は無力ということです。
>「とにかく優生学的手段で進歩させた集団A」と
>「『生まれたモン勝ち。生まれた俺らの幸福が最優先。あとはしらん』で無計画になんとなく続いた集団B(つまりこのまま行った場合の未来の人類)」
>とでどうしてBの幸福だけが問題になるのか?
「集団A」が存在せず、そもそも現在の人類が「集団B」なのだからBの幸福を考えるのは当たり前でしょう。
前も言ったけれど、逆3乗重力系のような、存在しない系を想定することは無意味。
>宗教以下はレスする気もおきない・・
なぜ。反論できないから逃げたと言われても仕方ないですよ。
>じゃぁ例えば「輪廻転生」という概念を科学的に見た場合なにが得られるのか教えてよ。
話をそらさないでください。私は仏教の専門家でもないのにそんなことを訊かれても困るのだが、一つだけ言えることは、私の記憶が正しければ、釈迦は「輪廻転生はあるのか」という問いに「確かなことは言えない」という理由で沈黙を守っているはず。ではなぜ仏教に「輪廻転生」というバラモン教の言葉が出るかというと、それは魂の不滅を仮定しなくても含まれる真実があると考えられたからに他ならないです。たとえばある宗派の解釈では、「輪廻転生」とは、実は我々の一生の間の心の状態の移り変わりのことで、物欲に溺れている状態を「餓鬼界」、他人との争いに明け暮れる状態を「修羅界」などと象徴的に表現しているのだ、ということ。
また(ここからは半分私見)、たとえば理不尽と思えるような状況に陥って絶望に苛まれたとき、このときの気分は罪悪感にも似ている。これに、知らず知らずのうちに罪を犯していないとは言えないという内省を込めた表現が「前世の罪業」といった言い方になるのではないだろうか。あるいは、この罪悪感は、キリスト教の文脈では「実は絶望こそが罪なのだ」と説明されたりもします。要するにこれはすべてメタ心理学(?)的な語法なのです。
もちろん、他の解釈もあり得るはずで、逆に多様な解釈が可能だからこそ、教典はあのような記法を取っているのだと私は信じます。
以下続く。
7. 工学系院生
2004/06/12(土) 21:24:24
続き。
>そんなこと言い出したらそっちだって自分の主観こそが正しくて、俺の考えを排除(強制)しようとしてるわけだろ・・
どうしてそういう被害妄想的なことを言うのですか。こちらはできるだけ客観的な言葉で考えを説明しようとしているじゃないですか。
>工学系院は「意味の無い〜はナンセンス」とか
>「使えない〜は無駄」とかやめようや。
ほら、これこそが主観ですよ。人の言論を封殺する気ですか?私の発言に不満があるのなら、論理的に説得しなさい。
>また、理屈でごもっともと思ったのなら無駄とはできないはず。
なぜ。「ごもっとも」というのは揶揄を含んだ言葉であって、「トートロジーも真は真」というだけの話ですよ。
たとえば「0=0」という数式をめぐって議論を戦わせることは、まず、無駄です。で、なぜそれが無駄かを問いたければ、君の嫌いな「哲学的」な議論になるんですが、いいんですかね?私はそういう、メタフィジカルであるためだけにメタフィジカルな議論は大嫌いなのですけれども。
>あと「結局〜だ」とか「結局〜ということですよね」を多用すると頭悪くなっていくぞ。
文章が下手で申し訳ありませんけど、それで頭が悪くなる因果関係はございません。
>でもそこからその物理的な情報以上の「何か」や「深さ」を追求したりするととたんに権威の語りになってしまうわけだ。
だからどうしてそこで「権威」が出てくるのよ。。。。君の「権威」は根拠もなしに唐突に持ち出されるから、何が言いたいのかさっぱりわからんのよ。「権威」があるというなら実例を挙げてちょうだい。まさかスノッブを権威だと思ってるんじゃないだろうね?
>モさん
>ときにこれは所謂「文系科目」なのか?
>違くない?
>人間全員が持ってる普遍的な物な気がするけど。
そうですよ。
>勉強したから、よく読み取れるとかそういうもんでもないだろう?
いや、人間は、曖昧な感性の世界を言葉で説明されると理解が深まったりするものですよ。
>そんなんわざわざ学問する意味あるの?(価値じゃなくて意味ね)
どうでしょう。それを言い出すと「学問する意味」のある学問とは何か、というまた不毛な議論になる気が。
>そんなこと言い出したらそっちだって自分の主観こそが正しくて、俺の考えを排除(強制)しようとしてるわけだろ・・
どうしてそういう被害妄想的なことを言うのですか。こちらはできるだけ客観的な言葉で考えを説明しようとしているじゃないですか。
>工学系院は「意味の無い〜はナンセンス」とか
>「使えない〜は無駄」とかやめようや。
ほら、これこそが主観ですよ。人の言論を封殺する気ですか?私の発言に不満があるのなら、論理的に説得しなさい。
>また、理屈でごもっともと思ったのなら無駄とはできないはず。
なぜ。「ごもっとも」というのは揶揄を含んだ言葉であって、「トートロジーも真は真」というだけの話ですよ。
たとえば「0=0」という数式をめぐって議論を戦わせることは、まず、無駄です。で、なぜそれが無駄かを問いたければ、君の嫌いな「哲学的」な議論になるんですが、いいんですかね?私はそういう、メタフィジカルであるためだけにメタフィジカルな議論は大嫌いなのですけれども。
>あと「結局〜だ」とか「結局〜ということですよね」を多用すると頭悪くなっていくぞ。
文章が下手で申し訳ありませんけど、それで頭が悪くなる因果関係はございません。
>でもそこからその物理的な情報以上の「何か」や「深さ」を追求したりするととたんに権威の語りになってしまうわけだ。
だからどうしてそこで「権威」が出てくるのよ。。。。君の「権威」は根拠もなしに唐突に持ち出されるから、何が言いたいのかさっぱりわからんのよ。「権威」があるというなら実例を挙げてちょうだい。まさかスノッブを権威だと思ってるんじゃないだろうね?
>モさん
>ときにこれは所謂「文系科目」なのか?
>違くない?
>人間全員が持ってる普遍的な物な気がするけど。
そうですよ。
>勉強したから、よく読み取れるとかそういうもんでもないだろう?
いや、人間は、曖昧な感性の世界を言葉で説明されると理解が深まったりするものですよ。
>そんなんわざわざ学問する意味あるの?(価値じゃなくて意味ね)
どうでしょう。それを言い出すと「学問する意味」のある学問とは何か、というまた不毛な議論になる気が。
8. 23
2004/06/12(土) 22:15:03
主観なんて言葉出したら、こういう問題の議論は
成り立たんぜよ。タブー。禁忌。
成り立たんぜよ。タブー。禁忌。
9. 工学
2004/06/12(土) 22:41:59
>絵の本質は絵そのものです
は?ではその絵以上の「何か」の存在は否定することでいいのか?
まぁこの「芸術のあいまいさ」については多分これ以上突っ込んでもいつかは「音楽の本質は文字では表現しきれない」という最強の逃げに終わるんだろうな・・。
でも「良さ」を言語化できないとしたらその「良さ」は決して共有できないわけだぞ?
だってあなたが感じてるその「良さ」と他の人が感じてる「良さ」が同じかどうか分からないわけだし。
あなたの感じたものは「♪※^@?・(『直感』が感じた言語化できない良さ)」
で他の人が感じた良さは「+¥・。:(同)」
かもしれないぞ?
芸術に、人間に普遍の「深さ」「良さ」など無いことについてはもう分かった?
>だからどうしました?
優生学が正しいことを言ったの。
前後ゼンゼン読んで無いのか?
>集団AB
集団Bもまだ存在して無いんだけど?
またあなたの理論は存在してるから存在してるほうの勝ちってことか?
>存在しない系を論じるのは無意味
いや将来存在するだろ。
>話をそらさないでください
そらしてないだろ!w
そっちが宗教も科学的に説明できるといったから俺は当然疑問を持ったわけで、例として簡単なものをやってくれと頼んだんだよ。
>以下の説明
>もちろんさまざまな解釈が可能で〜
いや、あなたのいう宗教の科学的な解釈を知りたいんだが?
「輪廻」が現実の心情の象徴である(こじつけっぽいな・・)ね。
何が科学的なのか良く分からん。
他に数ある文系的解釈とどう違うのそれ?
>どうしてそういう被害妄想的なことを言うのですか。こちらはできるだけ客観的な言葉で考えを説明しようとしているじゃないですか
アッハッハこれには参った。
俺だって俺から見たら客観的な言葉で考えを説明しようとしてるんだって。
「何で僕が正しいのに相手はわかってくれないのだろう?」
そういうときは相手も同じことを思ってると思ったほうがいい笑
>ほら、これこそが主観ですよ
はいはい。「使えない〜は無駄である」という形式は〜に何をおいても真で、なぜなら無駄という言葉は使えないの意味をすでに含んでるから。
あなたの好きなトートロジー的な意味で無駄だし、やめよう。
とりあえずこの辺で。
は?ではその絵以上の「何か」の存在は否定することでいいのか?
まぁこの「芸術のあいまいさ」については多分これ以上突っ込んでもいつかは「音楽の本質は文字では表現しきれない」という最強の逃げに終わるんだろうな・・。
でも「良さ」を言語化できないとしたらその「良さ」は決して共有できないわけだぞ?
だってあなたが感じてるその「良さ」と他の人が感じてる「良さ」が同じかどうか分からないわけだし。
あなたの感じたものは「♪※^@?・(『直感』が感じた言語化できない良さ)」
で他の人が感じた良さは「+¥・。:(同)」
かもしれないぞ?
芸術に、人間に普遍の「深さ」「良さ」など無いことについてはもう分かった?
>だからどうしました?
優生学が正しいことを言ったの。
前後ゼンゼン読んで無いのか?
>集団AB
集団Bもまだ存在して無いんだけど?
またあなたの理論は存在してるから存在してるほうの勝ちってことか?
>存在しない系を論じるのは無意味
いや将来存在するだろ。
>話をそらさないでください
そらしてないだろ!w
そっちが宗教も科学的に説明できるといったから俺は当然疑問を持ったわけで、例として簡単なものをやってくれと頼んだんだよ。
>以下の説明
>もちろんさまざまな解釈が可能で〜
いや、あなたのいう宗教の科学的な解釈を知りたいんだが?
「輪廻」が現実の心情の象徴である(こじつけっぽいな・・)ね。
何が科学的なのか良く分からん。
他に数ある文系的解釈とどう違うのそれ?
>どうしてそういう被害妄想的なことを言うのですか。こちらはできるだけ客観的な言葉で考えを説明しようとしているじゃないですか
アッハッハこれには参った。
俺だって俺から見たら客観的な言葉で考えを説明しようとしてるんだって。
「何で僕が正しいのに相手はわかってくれないのだろう?」
そういうときは相手も同じことを思ってると思ったほうがいい笑
>ほら、これこそが主観ですよ
はいはい。「使えない〜は無駄である」という形式は〜に何をおいても真で、なぜなら無駄という言葉は使えないの意味をすでに含んでるから。
あなたの好きなトートロジー的な意味で無駄だし、やめよう。
とりあえずこの辺で。
10. 某理系4回
2004/06/12(土) 23:38:47
芸術には作者の何らかの思いはそりゃあるだろう。俺だって美術の時間に絵を描けば、そのときに何かしらは思っていただろう。しかし、その思いを他人が言葉の如く理解できるなんてのは甚だ疑問を感じる。ホントかよ?ってね。
音楽を聞いて鳥肌が立ったことも何度かはある。オーケストラ見に行って、凄いなと思ったこともある。しかし実はそれが、巧妙に仕掛けられた技術的には絶対にばれないトリックで実は誰も楽器を弾いてなくて録音だったかもしれない。でも俺は気づかない。気づく人なんて本当にいるの?演奏後、みんなで「生演奏は違う」とか言いながら、ネタ晴らししたら「なんか実は違うと思ってた」なんて言う奴バッカじゃないの?
絵を見た人の感想なんて十人十色だろう。だったらなんでピカソの絵はあんなに価値があるんだ?技術的にはもっと凄い絵なんていくらでもあるでしょうが。そう、きっと権威のある人間が言ったんだ「ピカソの絵は凄い、これを理解できん奴は芸術的センスない」なんてね。そしていつのまにかそれが世間の評価になり、後世の人間はそれは凄いと信じ込んでるんでしょ。そんなもんじゃないの。
と俺の疑問を書き込んでみます。
音楽を聞いて鳥肌が立ったことも何度かはある。オーケストラ見に行って、凄いなと思ったこともある。しかし実はそれが、巧妙に仕掛けられた技術的には絶対にばれないトリックで実は誰も楽器を弾いてなくて録音だったかもしれない。でも俺は気づかない。気づく人なんて本当にいるの?演奏後、みんなで「生演奏は違う」とか言いながら、ネタ晴らししたら「なんか実は違うと思ってた」なんて言う奴バッカじゃないの?
絵を見た人の感想なんて十人十色だろう。だったらなんでピカソの絵はあんなに価値があるんだ?技術的にはもっと凄い絵なんていくらでもあるでしょうが。そう、きっと権威のある人間が言ったんだ「ピカソの絵は凄い、これを理解できん奴は芸術的センスない」なんてね。そしていつのまにかそれが世間の評価になり、後世の人間はそれは凄いと信じ込んでるんでしょ。そんなもんじゃないの。
と俺の疑問を書き込んでみます。
11. 工学系院生
2004/06/12(土) 23:49:38
これほどのお子様とは思わなかった・・・。脱力。
>は?ではその絵以上の「何か」の存在は否定することでいいのか?
そうですよ。絵は絵以上の何ものでもない。
しかし、絵は絵のモデル以上の何ものかではあり得る。そういうことを私は言っているのです。
>まぁこの「芸術のあいまいさ」については多分これ以上突っ込んでもいつかは「音楽の本質は文字では表現しきれない」という最強の逃げに終わるんだろうな・・。
逃げも何も、それが真理です。
言葉も覚束ない幼児に科学の本質が伝わらないのと同様。
ただし、音楽から受けた感動を言語化することはいくらか可能であって、それがいくらかの手がかりにはなり得る。
それをお望みならば、やってみてもよいが、君の側に人生経験が足りなければ(つまり、極端な話幼児と同様ならば)もうどうしようもない。そして、君の文章から察するに、君は感性を鈍らせ切っていて、私が何を言おうと聴こうとしまい。だからそれはやりたくなかったのだが、それでもよければやってもよいが?
>でも「良さ」を言語化できないとしたらその「良さ」は決して共有できないわけだぞ?
それは科学の「良さ」だって同じですよ。
>だってあなたが感じてるその「良さ」と他の人が感じてる「良さ」が同じかどうか分からないわけだし。
>あなたの感じたものは「♪※^@?・(『直感』が感じた言語化できない良さ)」
>で他の人が感じた良さは「+¥・。:(同)」
かもしれないぞ?
だからどうなのでしょう?それでもなお、多くの人を感動させるとしたら、それはなおさら凄いことではないのですか?
それに、「完全に一致」するものでなくとも、共有できる部分はあるかもしれないし、「ある」と殆どの人は考えています。それは何ものか、またそれが存在するのかを学問的に考察するのが芸術学ですよ。
>>だからどうしました?
>優生学が正しいことを言ったの。
>前後ゼンゼン読んで無いのか?
論証になってないんですよ。君は「個体の能力に先天的な差がある」ということを言ったけれど、それがどうして「優生学が正しい」ことになるのか。そこのギャップが少しも埋まっていない。
そんなの、「f(0)=f(1)、故に関数fは定数関数」というくらいの粗雑な論理です。
>集団Bもまだ存在して無いんだけど?
ああ、「集団B」は現在の人類かと誤読してました。ごめん。
>またあなたの理論は存在してるから存在してるほうの勝ちってことか?
勝ちも何も、「世の中を動かすメカニズム」を考えるときに、「世の中」の外の存在を考えても全くどうしようもない。
>>存在しない系を論じるのは無意味
>いや将来存在するだろ。
では、存在することを示してください。
>いや、あなたのいう宗教の科学的な解釈を知りたいんだが?
だから、「人文科学的」な解釈でしょうが。
>「輪廻」が現実の心情の象徴である(こじつけっぽいな・・)ね。
こじつけに思えるのは君の勉強が足りないからです。ε−δ論法が、初見のときに無意味に小難しい記号の羅列に見えるのと同様。
>俺だって俺から見たら客観的な言葉で考えを説明しようとしてるんだって。
あのですね。自分がそう思ったから客観的、というほど楽な世の中がありますか?
少なくとも、どこが客観的でないか、私はきちんと逐一指摘してるじゃないですか。なのに君はそれに反論することすらしない。そんなのが議論になってると思うのですか?
>「何で僕が正しいのに相手はわかってくれないのだろう?」
あのですね、「自分が正しい」なんて未熟な思いこみはとうの昔に卒業しています。また、君がどのあたりで躓いているかもだいたいわかりますよ。話の相手が自分のレベルと同水準またはそれ以下というような傲慢な思いこみはいい加減に捨てた方がよろしい。
>はいはい。「使えない〜は無駄である」という形式は〜に何をおいても真で、なぜなら無駄という言葉は使えないの意味をすでに含んでるから。
>あなたの好きなトートロジー的な意味で無駄だし、やめよう。
あのですねえ。それを揚げ足取りというんですよ。
私は日常語として「トートロジー」という言葉を、「トリヴィアルなこと」という意味で使ったんです。君はそれを記号論理学の「トートロジー」とごっちゃにしています。
そんなことを言えば、たとえば数学の定理はすべてトートロジーですし、情報理論的に言えば情報量0です。
下らないことを言って勝ち誇るのはおやめなさい。
それから言っておきますが、私の使う「使えない」という言葉と「無駄」という言葉には意味のずれがあります。たとえば「使えない科学理論」とは「適用する対象を持たない理論」のことで、「この科学理論は無駄だ」というのは「この科学理論を『構築したことが』無駄だ」と言っているのです。
そういう文脈を読み取る力がないから、君は文系の学問を理解できないのですよ。
>は?ではその絵以上の「何か」の存在は否定することでいいのか?
そうですよ。絵は絵以上の何ものでもない。
しかし、絵は絵のモデル以上の何ものかではあり得る。そういうことを私は言っているのです。
>まぁこの「芸術のあいまいさ」については多分これ以上突っ込んでもいつかは「音楽の本質は文字では表現しきれない」という最強の逃げに終わるんだろうな・・。
逃げも何も、それが真理です。
言葉も覚束ない幼児に科学の本質が伝わらないのと同様。
ただし、音楽から受けた感動を言語化することはいくらか可能であって、それがいくらかの手がかりにはなり得る。
それをお望みならば、やってみてもよいが、君の側に人生経験が足りなければ(つまり、極端な話幼児と同様ならば)もうどうしようもない。そして、君の文章から察するに、君は感性を鈍らせ切っていて、私が何を言おうと聴こうとしまい。だからそれはやりたくなかったのだが、それでもよければやってもよいが?
>でも「良さ」を言語化できないとしたらその「良さ」は決して共有できないわけだぞ?
それは科学の「良さ」だって同じですよ。
>だってあなたが感じてるその「良さ」と他の人が感じてる「良さ」が同じかどうか分からないわけだし。
>あなたの感じたものは「♪※^@?・(『直感』が感じた言語化できない良さ)」
>で他の人が感じた良さは「+¥・。:(同)」
かもしれないぞ?
だからどうなのでしょう?それでもなお、多くの人を感動させるとしたら、それはなおさら凄いことではないのですか?
それに、「完全に一致」するものでなくとも、共有できる部分はあるかもしれないし、「ある」と殆どの人は考えています。それは何ものか、またそれが存在するのかを学問的に考察するのが芸術学ですよ。
>>だからどうしました?
>優生学が正しいことを言ったの。
>前後ゼンゼン読んで無いのか?
論証になってないんですよ。君は「個体の能力に先天的な差がある」ということを言ったけれど、それがどうして「優生学が正しい」ことになるのか。そこのギャップが少しも埋まっていない。
そんなの、「f(0)=f(1)、故に関数fは定数関数」というくらいの粗雑な論理です。
>集団Bもまだ存在して無いんだけど?
ああ、「集団B」は現在の人類かと誤読してました。ごめん。
>またあなたの理論は存在してるから存在してるほうの勝ちってことか?
勝ちも何も、「世の中を動かすメカニズム」を考えるときに、「世の中」の外の存在を考えても全くどうしようもない。
>>存在しない系を論じるのは無意味
>いや将来存在するだろ。
では、存在することを示してください。
>いや、あなたのいう宗教の科学的な解釈を知りたいんだが?
だから、「人文科学的」な解釈でしょうが。
>「輪廻」が現実の心情の象徴である(こじつけっぽいな・・)ね。
こじつけに思えるのは君の勉強が足りないからです。ε−δ論法が、初見のときに無意味に小難しい記号の羅列に見えるのと同様。
>俺だって俺から見たら客観的な言葉で考えを説明しようとしてるんだって。
あのですね。自分がそう思ったから客観的、というほど楽な世の中がありますか?
少なくとも、どこが客観的でないか、私はきちんと逐一指摘してるじゃないですか。なのに君はそれに反論することすらしない。そんなのが議論になってると思うのですか?
>「何で僕が正しいのに相手はわかってくれないのだろう?」
あのですね、「自分が正しい」なんて未熟な思いこみはとうの昔に卒業しています。また、君がどのあたりで躓いているかもだいたいわかりますよ。話の相手が自分のレベルと同水準またはそれ以下というような傲慢な思いこみはいい加減に捨てた方がよろしい。
>はいはい。「使えない〜は無駄である」という形式は〜に何をおいても真で、なぜなら無駄という言葉は使えないの意味をすでに含んでるから。
>あなたの好きなトートロジー的な意味で無駄だし、やめよう。
あのですねえ。それを揚げ足取りというんですよ。
私は日常語として「トートロジー」という言葉を、「トリヴィアルなこと」という意味で使ったんです。君はそれを記号論理学の「トートロジー」とごっちゃにしています。
そんなことを言えば、たとえば数学の定理はすべてトートロジーですし、情報理論的に言えば情報量0です。
下らないことを言って勝ち誇るのはおやめなさい。
それから言っておきますが、私の使う「使えない」という言葉と「無駄」という言葉には意味のずれがあります。たとえば「使えない科学理論」とは「適用する対象を持たない理論」のことで、「この科学理論は無駄だ」というのは「この科学理論を『構築したことが』無駄だ」と言っているのです。
そういう文脈を読み取る力がないから、君は文系の学問を理解できないのですよ。
12. 工学系院生
2004/06/12(土) 23:59:06
挟みましたね。
>某理系4回さん
たぶん、工学君の言いたいことをもう少しきっちり書けばあなたの言ったことのようになるのでしょう。
そして、遺憾ながら、あなたの言ったことが正しい面が「なくはない」ことも事実です。
芸術愛好家を自称する人の多く(おそらくは半数以上)は、あなたが指摘したような輩です。スノッブです。
しかし、それが全てではない、ということも申し上げておきましょう。
あなたが感じたみたいに、実際に「凄い」と思う人はいるわけです。そして、「凄い」と思わされる体験をどんどん重ねていくうちに、感性も鋭敏になるし、本物と贋物の区別もわかるようになります。それこそ、生演奏と録音の違いなど容易にわかるようになりますよ。
もっとも、「生演奏は違う」という言明自体がかなり怪しげなもので、ライブ録音などでも、よほど優れた演奏であれば、演奏者や聴衆の息吹が伝わってくるようなほどの迫力があるものも現実に存在します。驚くべきことに、そういう録音はむしろ、戦前の録音のような極めて古いものに多いのです。
美術に関しては・・・、そこまで詳しくないので保留。ピカソの作品は正直私もわかりません。ただ、別にピカソだけが美術でもないですし、深い感銘を受ける作品と理解できない作品があるのはむしろ当たり前のことだと思うのですが。
ですから、芸術作品の頂点の水準に関しては、少なくとも私には想像もつかないほど高い、ということだけは保証して差し上げましょう。「京大生の底辺はアホ」だということから、「京大の研究レベルは低い」という結論が出てこないようなもので、その点は心配ご無用なのです。
>某理系4回さん
たぶん、工学君の言いたいことをもう少しきっちり書けばあなたの言ったことのようになるのでしょう。
そして、遺憾ながら、あなたの言ったことが正しい面が「なくはない」ことも事実です。
芸術愛好家を自称する人の多く(おそらくは半数以上)は、あなたが指摘したような輩です。スノッブです。
しかし、それが全てではない、ということも申し上げておきましょう。
あなたが感じたみたいに、実際に「凄い」と思う人はいるわけです。そして、「凄い」と思わされる体験をどんどん重ねていくうちに、感性も鋭敏になるし、本物と贋物の区別もわかるようになります。それこそ、生演奏と録音の違いなど容易にわかるようになりますよ。
もっとも、「生演奏は違う」という言明自体がかなり怪しげなもので、ライブ録音などでも、よほど優れた演奏であれば、演奏者や聴衆の息吹が伝わってくるようなほどの迫力があるものも現実に存在します。驚くべきことに、そういう録音はむしろ、戦前の録音のような極めて古いものに多いのです。
美術に関しては・・・、そこまで詳しくないので保留。ピカソの作品は正直私もわかりません。ただ、別にピカソだけが美術でもないですし、深い感銘を受ける作品と理解できない作品があるのはむしろ当たり前のことだと思うのですが。
ですから、芸術作品の頂点の水準に関しては、少なくとも私には想像もつかないほど高い、ということだけは保証して差し上げましょう。「京大生の底辺はアホ」だということから、「京大の研究レベルは低い」という結論が出てこないようなもので、その点は心配ご無用なのです。
13. 工学
2004/06/13(日) 00:02:38
あのな、
「音楽からこのやり取り以上の情報は得られる。
ただしそこで得た情報は言語化できないので君には示せない。」
で納得するとでも思ってるのか?
まぁ少しなら言語化可能ということらしいのでぜひともやって欲しいものだ。
あと某理系4回がまさに俺が思ってることを書いてくれたのでありがたい。
「音楽からこのやり取り以上の情報は得られる。
ただしそこで得た情報は言語化できないので君には示せない。」
で納得するとでも思ってるのか?
まぁ少しなら言語化可能ということらしいのでぜひともやって欲しいものだ。
あと某理系4回がまさに俺が思ってることを書いてくれたのでありがたい。
14. 工学系院生
2004/06/13(日) 00:04:45
連続書き込みご容赦です。一箇所大事なことを忘れていた。
>その思いを他人が言葉の如く理解できるなんてのは甚だ疑問を感じる。
私の言った意味をたぶん誤解されていると思います。
言葉というメディアだって、その気になれば無限に誤読が可能です。また、「当てこすり」や「皮肉」や「褒め殺し」のように、字面とは反対の意味を文章に込めることさえ可能です。
ことほど左様に、言葉を発した側の感情を、受け取る側が正しく理解しているとは言い難い。所詮言葉だってその程度のものではないか、ということですよ(現実に、あなたは私の言ったことを誤解されていた)。
そういう「言葉」への懐疑が前提にあれば、音楽を聴いて受ける印象の多少のぶれなど問題ではないではないか、ということです。音楽が感情を伝えることは疑いなく、その感情が曲と全く無関係などではあり得ない、そんな当たり前のことを主張しただけですよ。
>その思いを他人が言葉の如く理解できるなんてのは甚だ疑問を感じる。
私の言った意味をたぶん誤解されていると思います。
言葉というメディアだって、その気になれば無限に誤読が可能です。また、「当てこすり」や「皮肉」や「褒め殺し」のように、字面とは反対の意味を文章に込めることさえ可能です。
ことほど左様に、言葉を発した側の感情を、受け取る側が正しく理解しているとは言い難い。所詮言葉だってその程度のものではないか、ということですよ(現実に、あなたは私の言ったことを誤解されていた)。
そういう「言葉」への懐疑が前提にあれば、音楽を聴いて受ける印象の多少のぶれなど問題ではないではないか、ということです。音楽が感情を伝えることは疑いなく、その感情が曲と全く無関係などではあり得ない、そんな当たり前のことを主張しただけですよ。
15. う〜む2
2004/06/13(日) 00:06:58
『工学さんは、文系の学問は主観的でどのようにもとれるから・・といって切り捨てておいて、しばしば自分の主観的な価値観を正しいと主張し・・・』
の旨の発言をしたものです。
私は、工学さんが一方で、主観を切り捨てて、一方で主観を強行に押し付けることが、論理的に首尾一貫していないと思っただけで、別に私は自分の主観が正しいと無理強いするつもりはぜんぜんありません。
もしたとえば工学さんが、「正しいとか間違ってるとかでなくて、道徳なんてどうでもいいんだ、自分の命が一番大事なんだ、と俺は俺の価値観において思う。別にこの考えが正しいと無理強いする気はない」といっていたならば、別に「その考えは間違っている」などというつもりはありませんでした。ただ単に、私は好きになれない、大きらいな考えだという、好き嫌いの問題に過ぎません。
まあ、相手が一番根本の部分で、自分と同じ倫理的な価値観(命を尊ぶなど)を持っているはずだろうと、思っている場合は、「あなたも持っているはずのそういう価値観と矛盾しているのでは?間違っているのでは?」と問いかけるときはあるかもしれませんが、根本的に相手の人は違う価値観を持っているんだ、と感じた場合、そして、それゆえ、その価値観を前提に考えれば矛盾を指摘できないと感じた場合、正しいか否かを問うのはやめます。
工学さんには、「俺の意見を排除しようとしている」などと勝手に根拠もなく決めつけるのはやめていただきたいものです。もちろんこの場合も、工学さんの中に「人の意見を勝手に根拠もなく決め付けるのはわるいことだ」という倫理がはたらかなければ、工学さんが間違っていると否定する気はありません。ただ私はそういう議論に興味を失って、語りかけるのをやめるだけです。
の旨の発言をしたものです。
私は、工学さんが一方で、主観を切り捨てて、一方で主観を強行に押し付けることが、論理的に首尾一貫していないと思っただけで、別に私は自分の主観が正しいと無理強いするつもりはぜんぜんありません。
もしたとえば工学さんが、「正しいとか間違ってるとかでなくて、道徳なんてどうでもいいんだ、自分の命が一番大事なんだ、と俺は俺の価値観において思う。別にこの考えが正しいと無理強いする気はない」といっていたならば、別に「その考えは間違っている」などというつもりはありませんでした。ただ単に、私は好きになれない、大きらいな考えだという、好き嫌いの問題に過ぎません。
まあ、相手が一番根本の部分で、自分と同じ倫理的な価値観(命を尊ぶなど)を持っているはずだろうと、思っている場合は、「あなたも持っているはずのそういう価値観と矛盾しているのでは?間違っているのでは?」と問いかけるときはあるかもしれませんが、根本的に相手の人は違う価値観を持っているんだ、と感じた場合、そして、それゆえ、その価値観を前提に考えれば矛盾を指摘できないと感じた場合、正しいか否かを問うのはやめます。
工学さんには、「俺の意見を排除しようとしている」などと勝手に根拠もなく決めつけるのはやめていただきたいものです。もちろんこの場合も、工学さんの中に「人の意見を勝手に根拠もなく決め付けるのはわるいことだ」という倫理がはたらかなければ、工学さんが間違っていると否定する気はありません。ただ私はそういう議論に興味を失って、語りかけるのをやめるだけです。
16. 工学
2004/06/13(日) 00:14:22
当てこすりや皮肉など、そりゃある程度高度なことを伝えようとするなら誤解もありうるだろう。
でも芸術は犬を猫と誤解したりとかそういうレベルであやふやなんだぞ?
音楽と感情についても一度言ったように、怒りに満ちたピアノ弾きが、そのテクニックを駆使すれば、みんな「すばらしく優しさに満ちた演奏だった」と言うだろうし。
でも芸術は犬を猫と誤解したりとかそういうレベルであやふやなんだぞ?
音楽と感情についても一度言ったように、怒りに満ちたピアノ弾きが、そのテクニックを駆使すれば、みんな「すばらしく優しさに満ちた演奏だった」と言うだろうし。
17. 芸術の鑑識眼
2004/06/13(日) 00:19:01
は実在するし、しかも誰でも簡単にそれを実感できる。
まず、総人の図書館にいってラファエロの作品集を眺める。素晴らしいと思う。
次にミケランジェロの作品集を見る。やっぱり素晴らしいと思う。
もう一度、ラファエロの作品集を見る。すると、驚いたことに、今度は下手糞な絵に見えるのだ。これホント。
自分で実際に経験したことです。
まず、総人の図書館にいってラファエロの作品集を眺める。素晴らしいと思う。
次にミケランジェロの作品集を見る。やっぱり素晴らしいと思う。
もう一度、ラファエロの作品集を見る。すると、驚いたことに、今度は下手糞な絵に見えるのだ。これホント。
自分で実際に経験したことです。
18. 工学
2004/06/13(日) 00:23:17
>うーむ
あのな、議論しようってときにコレは押し付けるつもりは無いですがなどという前提はいらん。
自分の意見を言うことは間違いなく反対意見との衝突を意味するし、意見を表明するという行為自体が押し付けなの。
自分の世界の見方が懸かった価値観が衝突してるときに「別にどちらの見方もありだし、押し付けるつもりは無い」などと軟弱なことを言うような人は果たして議論に本気なのかどうか疑問。
あのな、議論しようってときにコレは押し付けるつもりは無いですがなどという前提はいらん。
自分の意見を言うことは間違いなく反対意見との衝突を意味するし、意見を表明するという行為自体が押し付けなの。
自分の世界の見方が懸かった価値観が衝突してるときに「別にどちらの見方もありだし、押し付けるつもりは無い」などと軟弱なことを言うような人は果たして議論に本気なのかどうか疑問。
19. あじの塩焼き
2004/06/13(日) 00:24:03
>まぁこの「芸術のあいまいさ」については多分これ以上突っ込んでもいつかは「音楽の本質は文字では表現しきれない」という最強の逃げに終わるんだろうな・・。
工学系院さんが「絵の本質は絵」だとおっしゃったのはまさに「言葉では表現できないし、する必要もない」ということですよ。言葉にできるんだったら初めから絵なんて書く必要ない。
>だってあなたが感じてるその「良さ」と他の人が感じてる「良さ」が同じかどうか分からないわけだし。
>芸術に、人間に普遍の「深さ」「良さ」など無いことについてはもう分かった?
芸術の「普遍の深さ・良さ」とは、各々に共通の解釈があるという意味ではなく、各々が自由にそれぞれの方法で感動を得られるということではないでしょうか。
そんでその“自由度”がありすぎるのを学問として否定なさってるんでしたよね?
芸術作品の解釈についてうんぬん語る学問があるかどうか僕は知りませんが、音楽の解釈について言葉で何か言うことはプロの方は良く思っていないようです(工学系院さんも同じことを書いてましたが)。知り合いのピアニストの方は、音楽雑誌の存在を馬鹿らしいと言っていました。「音楽は音楽であり言葉では表現できないし、する必要もない」ってことですね。
個人的には、文学作品についてあれこれと解釈つけるのは、上と同じ理由で馬鹿らしいと思っています。それぞれが自由に、文章から思い思いの情景や心境を連想すればよいと思います。
じゃあ理系学問はどうかというと、自然は自然であってそれ以上でも以下でもなく、それを数式で表現するのは興ざめするようなことだと思います。それでも僕が物理を勉強するのは数式で表現することもまた別の意味で面白いと感じるからです。ですから文学作品に解釈をつけることを面白い、というのは僕は否定しませんし(個人的な趣味に合わないというだけで)、大学内で学問として行われることも否定しません。
工学さんは「言葉」で表現できないものを認めないようですが、数学や物理がただの記号の羅列だとお思いですか?数学にしろ物理にしろ、数式の背景にある現象、あるいは数式になっていないものを直感的に感じ取る能力に欠けているようならば、正直いって才能がないと思います。
工学系院さんが「絵の本質は絵」だとおっしゃったのはまさに「言葉では表現できないし、する必要もない」ということですよ。言葉にできるんだったら初めから絵なんて書く必要ない。
>だってあなたが感じてるその「良さ」と他の人が感じてる「良さ」が同じかどうか分からないわけだし。
>芸術に、人間に普遍の「深さ」「良さ」など無いことについてはもう分かった?
芸術の「普遍の深さ・良さ」とは、各々に共通の解釈があるという意味ではなく、各々が自由にそれぞれの方法で感動を得られるということではないでしょうか。
そんでその“自由度”がありすぎるのを学問として否定なさってるんでしたよね?
芸術作品の解釈についてうんぬん語る学問があるかどうか僕は知りませんが、音楽の解釈について言葉で何か言うことはプロの方は良く思っていないようです(工学系院さんも同じことを書いてましたが)。知り合いのピアニストの方は、音楽雑誌の存在を馬鹿らしいと言っていました。「音楽は音楽であり言葉では表現できないし、する必要もない」ってことですね。
個人的には、文学作品についてあれこれと解釈つけるのは、上と同じ理由で馬鹿らしいと思っています。それぞれが自由に、文章から思い思いの情景や心境を連想すればよいと思います。
じゃあ理系学問はどうかというと、自然は自然であってそれ以上でも以下でもなく、それを数式で表現するのは興ざめするようなことだと思います。それでも僕が物理を勉強するのは数式で表現することもまた別の意味で面白いと感じるからです。ですから文学作品に解釈をつけることを面白い、というのは僕は否定しませんし(個人的な趣味に合わないというだけで)、大学内で学問として行われることも否定しません。
工学さんは「言葉」で表現できないものを認めないようですが、数学や物理がただの記号の羅列だとお思いですか?数学にしろ物理にしろ、数式の背景にある現象、あるいは数式になっていないものを直感的に感じ取る能力に欠けているようならば、正直いって才能がないと思います。
20. う〜む
2004/06/13(日) 00:35:02
僕は、ものの正しい正しくないと、主観をごちゃまぜにする工学さんみたいなやりかたが大きらいなだけです。
もし、工学さんのような価値観が世界に広がろうとしたとき、「別にどちらの意見もありだよ、好きにしなよ」というつもりはありません。「オマエの意見を間違っていると否定することは論理的にできないが、お前の意見はとうてい俺にとって許せるものではない。」と宣言し、断固として排斥にかかります。議論では解決できません。
自分の好き嫌いをわめいているだけなのを、まるで、正しい、正しくないを議論しているかのように、ごまかすやりかたはきらいなんです。
価値観の前提があまりにも違う人には議論は無駄です。
もし、工学さんのような価値観が世界に広がろうとしたとき、「別にどちらの意見もありだよ、好きにしなよ」というつもりはありません。「オマエの意見を間違っていると否定することは論理的にできないが、お前の意見はとうてい俺にとって許せるものではない。」と宣言し、断固として排斥にかかります。議論では解決できません。
自分の好き嫌いをわめいているだけなのを、まるで、正しい、正しくないを議論しているかのように、ごまかすやりかたはきらいなんです。
価値観の前提があまりにも違う人には議論は無駄です。
21. 工学系院生
2004/06/13(日) 00:35:13
また挟んだ・・・。
>う〜む2さん
フォローありがとうございます。
>工学さんの中に「人の意見を勝手に根拠もなく決め付けるのはわるいことだ」という倫理がはたらかなければ、工学さんが間違っていると否定する気はありません。ただ私はそういう議論に興味を失って、語りかけるのをやめるだけです。
そうですね。というよりもうすでにそれは議論じゃありませんしね。
>あじの塩焼きさん
>じゃあ理系学問はどうかというと、自然は自然であってそれ以上でも以下でもなく、それを数式で表現するのは興ざめするようなことだと思います。
そうですね。私は思うのですが、自分が自然の中にとけ込めない(「解脱」の境地?)からこそ、自然科学をやるような気がする。学問ってのはものすごく哀しい営みなんですね。
でも、その哀しさを極限まで味わい尽くすしか、自分の頑なな「こだわり」を崩す方法はないし、一生かけてそれができればすばらしいことだと思います。そしてそれができたときにこそ、冷たい数式の向こうにもしかしたら「真理」が見えるのかもしれない、私はそう信じています。
>工学君
>でも芸術は犬を猫と誤解したりとかそういうレベルであやふやなんだぞ?
だからそれは犬でも猫でもないって言ってるでしょうが。
>音楽と感情についても一度言ったように、怒りに満ちたピアノ弾きが、そのテクニックを駆使すれば、みんな「すばらしく優しさに満ちた演奏だった」と言うだろうし。
言わないって言ったでしょうが。音楽愛好者を舐めすぎです。
>自分の意見を言うことは間違いなく反対意見との衝突を意味するし、意見を表明するという行為自体が押し付けなの。
そんなしょうもないレトリックで遊ぶのはやめなさい。
>「音楽からこのやり取り以上の情報は得られる。
ただしそこで得た情報は言語化できないので君には示せない。」
>で納得するとでも思ってるのか?
思っていませんよ。もう一度書きますが、「幼児に科学の本質が伝わらないのと同様」であって、君は理解しないだろうということは想定済みです。
いくらなんでもそれを私のせいにするのはやめて頂きたい。それをあらかじめ断っておきます。
ただまあ君が、自分が理解できない世界というものが存在することに気づき、理解できなくとも敬意を払うという、「大人としてごく当たり前の」態度に目覚めてくれるのではないかという淡い期待に望みをかけるとしましょうか。
>まぁ少しなら言語化可能ということらしいのでぜひともやって欲しいものだ。
いいですよ。審美眼の低さがばれるのが嫌ですけど、まあ、仕方がない。
だいぶ昔のことですが。その頃の私は極めてナイーブに、「音楽の価値はつまるところ、感動を伝えられるかどうかだ」と考えていました。感動と興奮の区別がついていなかったのですね。
で、あるとき聴きに行った演奏会。メインのプログラムに大いに「感動」を覚え、ああ、来て良かったなあと素朴に思っていました。アンコールが始まる前も、また「いい演奏」だといいなあと、まるでお涙ちょうだいように、甘く考えていただけなのでした。
ところがアンコール!最初の音が出た途端、そのただならぬ雰囲気に息を飲みました。この感情はいったい何なのだろう?今まで音楽とは、喜怒哀楽といった、日頃親しみのある感情を表現したものだと思っていた。ところが、この感情は今まで味わったこともない。美しいようで悲しいようで、楽しいようで夢見るようで、唄うようで祈るようで、何とも言い難い。まるで天上で天使が奏でているような・・・。月並みですがそうとでも表現するしか言葉がありませんし、それでもとても足りません。生老病死といった悩みを全て超え、達観したような、それでも半ば諦めの漂う境地・・・。そんなものを垣間見たのです。
その曲は、モーツァルトの晩年の曲でした。ともあれ、その曲を聴いてはじめて、「死をも超越した境地」が存在することが実感として理解できたし、音楽が「境地」のようなものを直接伝えることができる優れた媒体であることも理解できたし、敬遠していた「宗教的なもの」に対して親しみを持って近づけるようにもなったのです。あれは誇張抜きで、私の人生の転機の一つでした。
そんなことがありました。
君が理解できることは期待してませんけど、いかがですか?わからんならわからんでよろしい。ただ、私にとってそういう体験があったことは全く事実ですし、それに匹敵することは何度もありました。だから「それは嘘だ」などと頭ごなしに否定しないように。くれぐれも。
>う〜む2さん
フォローありがとうございます。
>工学さんの中に「人の意見を勝手に根拠もなく決め付けるのはわるいことだ」という倫理がはたらかなければ、工学さんが間違っていると否定する気はありません。ただ私はそういう議論に興味を失って、語りかけるのをやめるだけです。
そうですね。というよりもうすでにそれは議論じゃありませんしね。
>あじの塩焼きさん
>じゃあ理系学問はどうかというと、自然は自然であってそれ以上でも以下でもなく、それを数式で表現するのは興ざめするようなことだと思います。
そうですね。私は思うのですが、自分が自然の中にとけ込めない(「解脱」の境地?)からこそ、自然科学をやるような気がする。学問ってのはものすごく哀しい営みなんですね。
でも、その哀しさを極限まで味わい尽くすしか、自分の頑なな「こだわり」を崩す方法はないし、一生かけてそれができればすばらしいことだと思います。そしてそれができたときにこそ、冷たい数式の向こうにもしかしたら「真理」が見えるのかもしれない、私はそう信じています。
>工学君
>でも芸術は犬を猫と誤解したりとかそういうレベルであやふやなんだぞ?
だからそれは犬でも猫でもないって言ってるでしょうが。
>音楽と感情についても一度言ったように、怒りに満ちたピアノ弾きが、そのテクニックを駆使すれば、みんな「すばらしく優しさに満ちた演奏だった」と言うだろうし。
言わないって言ったでしょうが。音楽愛好者を舐めすぎです。
>自分の意見を言うことは間違いなく反対意見との衝突を意味するし、意見を表明するという行為自体が押し付けなの。
そんなしょうもないレトリックで遊ぶのはやめなさい。
>「音楽からこのやり取り以上の情報は得られる。
ただしそこで得た情報は言語化できないので君には示せない。」
>で納得するとでも思ってるのか?
思っていませんよ。もう一度書きますが、「幼児に科学の本質が伝わらないのと同様」であって、君は理解しないだろうということは想定済みです。
いくらなんでもそれを私のせいにするのはやめて頂きたい。それをあらかじめ断っておきます。
ただまあ君が、自分が理解できない世界というものが存在することに気づき、理解できなくとも敬意を払うという、「大人としてごく当たり前の」態度に目覚めてくれるのではないかという淡い期待に望みをかけるとしましょうか。
>まぁ少しなら言語化可能ということらしいのでぜひともやって欲しいものだ。
いいですよ。審美眼の低さがばれるのが嫌ですけど、まあ、仕方がない。
だいぶ昔のことですが。その頃の私は極めてナイーブに、「音楽の価値はつまるところ、感動を伝えられるかどうかだ」と考えていました。感動と興奮の区別がついていなかったのですね。
で、あるとき聴きに行った演奏会。メインのプログラムに大いに「感動」を覚え、ああ、来て良かったなあと素朴に思っていました。アンコールが始まる前も、また「いい演奏」だといいなあと、まるでお涙ちょうだいように、甘く考えていただけなのでした。
ところがアンコール!最初の音が出た途端、そのただならぬ雰囲気に息を飲みました。この感情はいったい何なのだろう?今まで音楽とは、喜怒哀楽といった、日頃親しみのある感情を表現したものだと思っていた。ところが、この感情は今まで味わったこともない。美しいようで悲しいようで、楽しいようで夢見るようで、唄うようで祈るようで、何とも言い難い。まるで天上で天使が奏でているような・・・。月並みですがそうとでも表現するしか言葉がありませんし、それでもとても足りません。生老病死といった悩みを全て超え、達観したような、それでも半ば諦めの漂う境地・・・。そんなものを垣間見たのです。
その曲は、モーツァルトの晩年の曲でした。ともあれ、その曲を聴いてはじめて、「死をも超越した境地」が存在することが実感として理解できたし、音楽が「境地」のようなものを直接伝えることができる優れた媒体であることも理解できたし、敬遠していた「宗教的なもの」に対して親しみを持って近づけるようにもなったのです。あれは誇張抜きで、私の人生の転機の一つでした。
そんなことがありました。
君が理解できることは期待してませんけど、いかがですか?わからんならわからんでよろしい。ただ、私にとってそういう体験があったことは全く事実ですし、それに匹敵することは何度もありました。だから「それは嘘だ」などと頭ごなしに否定しないように。くれぐれも。
22. う〜む
2004/06/13(日) 00:35:57
↑ 一行目の「主観」は「価値観」の間違いでした
23. う〜む
2004/06/13(日) 00:36:32
↑すみません。はさみました
24. 工学
2004/06/13(日) 00:37:12
はぁ・・なんとなく分かってきた。
要するに俺は言葉にならない「何か」をことさらに強調してそれが分からないことを理系の才能が無い→理性の欠如
音楽の才能が無い→人間的な感性の欠如
って言われることにいい加減腹が立つのか。
そんな「何か」なんて漠然とした物が分かってないからという理由でお前は人として欠陥品だって言われたってそりゃ理不尽きわまるわ。
俺はF=maでリンゴが落ちる現象を読み取る力はあっても
数式になってない「何か」を感じ取る能力なんて無いし、
音楽を聴いてリズムや高低、音量を聞き取る力はあっても
それ以上の「何か」を感じ取る能力は無い。
だけど言語にならない「何か」をことさらに誇示されて、じゃぁ「工学系院が感じてる何かと味の塩焼きが感じてる何かとでは違うんじゃないの?」と聞けば、
それは「違っても良い。でもある程度は共通している」???
じゃぁそのある程度共通しているところを言語化してくれよ・・
要するに俺は言葉にならない「何か」をことさらに強調してそれが分からないことを理系の才能が無い→理性の欠如
音楽の才能が無い→人間的な感性の欠如
って言われることにいい加減腹が立つのか。
そんな「何か」なんて漠然とした物が分かってないからという理由でお前は人として欠陥品だって言われたってそりゃ理不尽きわまるわ。
俺はF=maでリンゴが落ちる現象を読み取る力はあっても
数式になってない「何か」を感じ取る能力なんて無いし、
音楽を聴いてリズムや高低、音量を聞き取る力はあっても
それ以上の「何か」を感じ取る能力は無い。
だけど言語にならない「何か」をことさらに誇示されて、じゃぁ「工学系院が感じてる何かと味の塩焼きが感じてる何かとでは違うんじゃないの?」と聞けば、
それは「違っても良い。でもある程度は共通している」???
じゃぁそのある程度共通しているところを言語化してくれよ・・
25. えーっと
2004/06/13(日) 00:39:19
芸術って言うのは、それを通していかに「現実から解放されるか」に価値があるわけで、各人が自分の感性で鑑賞する(作品を触媒にイマジネーションを広げる)のでなければ意味ないんですよ。そして、どれくらい非凡なイメージが生み出せるかという点に関して、作家の間に力量の差(想像力と表現技術の差)があるのは事実なんですよ。だから芸術家の卵は苦労するわけで、そこはサイエンスも一緒でしょ。
もとから現実にないイメージを表現してるんだから、日常言語に翻訳できないのは当然で、イメージの非凡さが「深さ」と言い表されるわけです。
「これの意味はなにか?」とか現実と対応させようとして「どーとでもなる、曖昧だ」というのは、見方がおかしいわけで、イマジネーションを広げられないことが問題なのですよ。
もとから現実にないイメージを表現してるんだから、日常言語に翻訳できないのは当然で、イメージの非凡さが「深さ」と言い表されるわけです。
「これの意味はなにか?」とか現実と対応させようとして「どーとでもなる、曖昧だ」というのは、見方がおかしいわけで、イマジネーションを広げられないことが問題なのですよ。
26. 111
2004/06/13(日) 00:49:36
高揚じゃないですか?一行で申し訳ないですが。
27. 某理系4回
2004/06/13(日) 00:50:38
>工学系院生さん
>工学さん
僕の駄文を最後まで読んでいただき、さらにレスありがとうございます。ここからはきちんと敬語で書かせていただきます。
>院生さん
あなたのおっしゃる通り、本物の理解者がいるとします。しかし、その他大勢のモグリがいる限り、そして本物とモグリの判別が難しい限り、失礼ですが本物の理解者の言葉は力を持たないような気がします。僕の疑いは晴れません。さらに現実に当のモグリほぼ全員が「自分は本物」だと自負しているでしょう、これは僕の疑いを加速させるだけです。
モーツァルトの「交響曲40番?」を(CDですが)聴いたときは素直に凄いなと思いました。鳥肌が立ちました。しかしそれは多分技術的なところに感銘を受けたのだと思われます。モーツァルトの思いその他は僕には理解できません。物理的な空気の振動が僕の脳に「心地良い」と思わせただけととらえます。
>工学さん
僕の駄文を最後まで読んでいただき、さらにレスありがとうございます。ここからはきちんと敬語で書かせていただきます。
>院生さん
あなたのおっしゃる通り、本物の理解者がいるとします。しかし、その他大勢のモグリがいる限り、そして本物とモグリの判別が難しい限り、失礼ですが本物の理解者の言葉は力を持たないような気がします。僕の疑いは晴れません。さらに現実に当のモグリほぼ全員が「自分は本物」だと自負しているでしょう、これは僕の疑いを加速させるだけです。
モーツァルトの「交響曲40番?」を(CDですが)聴いたときは素直に凄いなと思いました。鳥肌が立ちました。しかしそれは多分技術的なところに感銘を受けたのだと思われます。モーツァルトの思いその他は僕には理解できません。物理的な空気の振動が僕の脳に「心地良い」と思わせただけととらえます。
28. 工学
2004/06/13(日) 01:17:11
まとめると、
モーツァルトの音楽を聞いてものすごく感動した。
そのとき死をも超える「境地」を見出した。か。
その「死をも超える」とは
コレを聞いたらもう死ねるということ?
私が死んでもこの感覚は生きるとかそういうこと?
どういう意味で死を「超える」のかもうちょっと教えて。
どちらにせよ、モーツァルトの晩年の曲が死を悟って澄み切った境地のものだと良く称せられることを知識として知っているからそういうことをいっただけにしか俺には思えないのだが。
そんなことはしらずにタマタマ境地とか言う言葉が出てきたのかな?笑
あと怒った演奏者が優しい心の演奏者が出す音と同じである状況なんて想定可能。
音は波動にすぎないのだから。
究極的に言えば機械が作曲して機械が演奏した曲にはどんな心がこもってるの?
モーツァルトの音楽を聞いてものすごく感動した。
そのとき死をも超える「境地」を見出した。か。
その「死をも超える」とは
コレを聞いたらもう死ねるということ?
私が死んでもこの感覚は生きるとかそういうこと?
どういう意味で死を「超える」のかもうちょっと教えて。
どちらにせよ、モーツァルトの晩年の曲が死を悟って澄み切った境地のものだと良く称せられることを知識として知っているからそういうことをいっただけにしか俺には思えないのだが。
そんなことはしらずにタマタマ境地とか言う言葉が出てきたのかな?笑
あと怒った演奏者が優しい心の演奏者が出す音と同じである状況なんて想定可能。
音は波動にすぎないのだから。
究極的に言えば機械が作曲して機械が演奏した曲にはどんな心がこもってるの?
29. u
2004/06/13(日) 01:38:54
今時こんな生硬な科学万能主義を妄信してるやつがいるのか…
30. えーっと
2004/06/13(日) 01:42:25
>究極的に言えば機械が作曲して機械が演奏した曲にはどんな心がこもってるの?
それが非凡なイメージを喚起する力をもってれば、立派に作品と言えますが?
それが非凡なイメージを喚起する力をもってれば、立派に作品と言えますが?
31. DAT
2004/06/13(日) 01:50:58
はじめまして。工学部3回のものです。
残念ながら、
皆様の議論の全てを拝見できていませんが、
理系と文系について、思うところがありますので、
書き込ませて頂きます。
私は根っからの理系人間です。
すべての自然界の現象が、
数式でもって、厳密に表現できることを夢見ますし、
自分がそのモデルを作ることができるなら、
これ以上に嬉しいことはありません。
しかしながら、日々、自分の学問に取り組みながら思うのは、
理系の学問にも「あいまいさ」は排除できないということです。
自然科学の中で、数学は確かに厳密性が保たれた美しい学問だと考えますが、
それは、数学の論理の中で話が進むためでしょう。
物理学、化学、生物学はどうでしょうか。
これらの学問では、妥当だと思われるモデルをつくり、
自然との対比(実験結果との比較)によって、
そのモデルを少しずつ現実にみあった形へ変えてゆきますよね。
この現実と比較しなければいけないという事実自体が、
「あいまいさ」を排除しきれない証拠ではないでしょうか。
現実との比較を必要としない、数学は、
現実に必ずしも一致しません。
理系と文系は、学問を適当に分けた以上のものではありません。
この適当な分類のもとに、
どちらか片方を捨てることなんて、不可能なことでしょう。
私も、できれば、
どちらの学問にも造詣の深い人間になりたいところです。
この程度の書き込みに数十分かかるようでは、
高望みのしすぎだと思いますが(笑)
残念ながら、
皆様の議論の全てを拝見できていませんが、
理系と文系について、思うところがありますので、
書き込ませて頂きます。
私は根っからの理系人間です。
すべての自然界の現象が、
数式でもって、厳密に表現できることを夢見ますし、
自分がそのモデルを作ることができるなら、
これ以上に嬉しいことはありません。
しかしながら、日々、自分の学問に取り組みながら思うのは、
理系の学問にも「あいまいさ」は排除できないということです。
自然科学の中で、数学は確かに厳密性が保たれた美しい学問だと考えますが、
それは、数学の論理の中で話が進むためでしょう。
物理学、化学、生物学はどうでしょうか。
これらの学問では、妥当だと思われるモデルをつくり、
自然との対比(実験結果との比較)によって、
そのモデルを少しずつ現実にみあった形へ変えてゆきますよね。
この現実と比較しなければいけないという事実自体が、
「あいまいさ」を排除しきれない証拠ではないでしょうか。
現実との比較を必要としない、数学は、
現実に必ずしも一致しません。
理系と文系は、学問を適当に分けた以上のものではありません。
この適当な分類のもとに、
どちらか片方を捨てることなんて、不可能なことでしょう。
私も、できれば、
どちらの学問にも造詣の深い人間になりたいところです。
この程度の書き込みに数十分かかるようでは、
高望みのしすぎだと思いますが(笑)
32. あじの塩焼き
2004/06/13(日) 02:46:22
>数式になってない「何か」を感じ取る能力なんて無いし、
じゃああなたには新しい定理を生み出すことはできませんね。少なくとも数学の無機質な定義や定理から何かを読みとることができなければ、もっと高度な数学をやるときに面白みに欠けますよ。
あなたが言っていることは、
「私には幽霊が見えない。よって幽霊は存在しない」
と同じことでは?
>工学系院生さん
>自分が自然の中にとけ込めない(「解脱」の境地?)からこそ、自然科学をやるような気がする。
好きな子に振り向いてもらえないからストーカーになるようなもんですか(笑)手に入らないからこそひたすら追っかける。そういう意味では、
>すべての自然界の現象が、
数式でもって、厳密に表現できることを夢見ますし、
むしろ終わりがなくぼやけているほうが魅力的だと僕は思っています。そのぼやけた部分を、他の学問や芸術などで補うんですね。
じゃああなたには新しい定理を生み出すことはできませんね。少なくとも数学の無機質な定義や定理から何かを読みとることができなければ、もっと高度な数学をやるときに面白みに欠けますよ。
あなたが言っていることは、
「私には幽霊が見えない。よって幽霊は存在しない」
と同じことでは?
>工学系院生さん
>自分が自然の中にとけ込めない(「解脱」の境地?)からこそ、自然科学をやるような気がする。
好きな子に振り向いてもらえないからストーカーになるようなもんですか(笑)手に入らないからこそひたすら追っかける。そういう意味では、
>すべての自然界の現象が、
数式でもって、厳密に表現できることを夢見ますし、
むしろ終わりがなくぼやけているほうが魅力的だと僕は思っています。そのぼやけた部分を、他の学問や芸術などで補うんですね。
33. DOM
2004/06/13(日) 04:31:28
このスレを初めからずっと読んでいるが、ためになった事と言えば「ソーカル事件」なる物を知った事ぐらいだ。
もちっとみんな「俺はこう思う〜」じゃなくて「こういう事例/研究があるぜ〜」といったことを書き込んで欲しいなぁ。
仮にも大学生なんだからさ。
もちっとみんな「俺はこう思う〜」じゃなくて「こういう事例/研究があるぜ〜」といったことを書き込んで欲しいなぁ。
仮にも大学生なんだからさ。
34. dtm
2004/06/13(日) 09:43:41
議論してるの理系の人間ばっかじゃん。
文系の人間はいないのか?
文系の人間はいないのか?
35. 工学系院生
2004/06/13(日) 09:57:15
>某理系4回さん
>あなたのおっしゃる通り、本物の理解者がいるとします。しかし、その他大勢のモグリがいる限り、そして本物とモグリの判別が難しい限り、失礼ですが本物の理解者の言葉は力を持たないような気がします。僕の疑いは晴れません。
おっしゃる通り、これ以上は言葉ではどうしようもないことだと思います。というより、言葉で伝えられる程度の音楽体験なら、まだ偽物でしょう。むしろ、そういう疑念を捨てないことは大事なことだと思いますし、後はあなたの選択に任されています。聴くなら聴くで、体験したことを素直に受け入れる気持ちで体験を重ねれば、少しずつ目が開いていくでしょうし、聴かないなら聴かないでそれもまた自由です。
>さらに現実に当のモグリほぼ全員が「自分は本物」だと自負しているでしょう、これは僕の疑いを加速させるだけです。
といいますか、モグリと本物を二分しましたけど、正確には超一流のプロを除いて全員がモグリの側面を持っているのではないかと思います。理解に言葉が混じる限り、理解が自分や他人の言葉に縛られて、硬直したものとなってしまうでしょう。ですから、天才を除けば、「自分はモグリであった」と思わされる体験を何度も得て、その都度理解が深まっていくという類のものであるように感じます。逆に、自分がモグリだと思っていない人こそが、本当の無理解というべきか。工学君も、自分のナイーブな認識が誤っているという疑いを持っていないという意味で、その裏返しだと思います。
>しかしそれは多分技術的なところに感銘を受けたのだと思われます。モーツァルトの思いその他は僕には理解できません。物理的な空気の振動が僕の脳に「心地良い」と思わせただけととらえます。
ものすごく自分のことを冷静に観察されていると思います。そういう、自分を偽らない姿勢こそが本当に大事なことだと思いますよ。そう思っているときに、認識を変えられるようなことが起こるのでしょう。
>あじの塩焼きさん
>好きな子に振り向いてもらえないからストーカーになるようなもんですか(笑)手に入らないからこそひたすら追っかける。
かもしれませんね。「好きな人と身も心も一つになりたいのに、さすがにそれはできない」という方が近い気かもしれませんが。
>あなたのおっしゃる通り、本物の理解者がいるとします。しかし、その他大勢のモグリがいる限り、そして本物とモグリの判別が難しい限り、失礼ですが本物の理解者の言葉は力を持たないような気がします。僕の疑いは晴れません。
おっしゃる通り、これ以上は言葉ではどうしようもないことだと思います。というより、言葉で伝えられる程度の音楽体験なら、まだ偽物でしょう。むしろ、そういう疑念を捨てないことは大事なことだと思いますし、後はあなたの選択に任されています。聴くなら聴くで、体験したことを素直に受け入れる気持ちで体験を重ねれば、少しずつ目が開いていくでしょうし、聴かないなら聴かないでそれもまた自由です。
>さらに現実に当のモグリほぼ全員が「自分は本物」だと自負しているでしょう、これは僕の疑いを加速させるだけです。
といいますか、モグリと本物を二分しましたけど、正確には超一流のプロを除いて全員がモグリの側面を持っているのではないかと思います。理解に言葉が混じる限り、理解が自分や他人の言葉に縛られて、硬直したものとなってしまうでしょう。ですから、天才を除けば、「自分はモグリであった」と思わされる体験を何度も得て、その都度理解が深まっていくという類のものであるように感じます。逆に、自分がモグリだと思っていない人こそが、本当の無理解というべきか。工学君も、自分のナイーブな認識が誤っているという疑いを持っていないという意味で、その裏返しだと思います。
>しかしそれは多分技術的なところに感銘を受けたのだと思われます。モーツァルトの思いその他は僕には理解できません。物理的な空気の振動が僕の脳に「心地良い」と思わせただけととらえます。
ものすごく自分のことを冷静に観察されていると思います。そういう、自分を偽らない姿勢こそが本当に大事なことだと思いますよ。そう思っているときに、認識を変えられるようなことが起こるのでしょう。
>あじの塩焼きさん
>好きな子に振り向いてもらえないからストーカーになるようなもんですか(笑)手に入らないからこそひたすら追っかける。
かもしれませんね。「好きな人と身も心も一つになりたいのに、さすがにそれはできない」という方が近い気かもしれませんが。
36. 工学系院生
2004/06/13(日) 09:58:21
>工学君
>要するに俺は言葉にならない「何か」をことさらに強調してそれが分からないことを理系の才能が無い→理性の欠如
>音楽の才能が無い→人間的な感性の欠如
>って言われることにいい加減腹が立つのか。
「それはあなたが言ったことだ」です。私に面と向かって「あなたは科学に向いていない」とまで言い切ったのはどこの誰でしたっけ?
人間誰しも、全ての分野に才能を持っているなどまずあり得ませんし、得意分野であってすら才能の欠如に悩むのです。理解できないことがあるのは当然で、「才能がない」ということは別に人格を否定したわけではないです。理解できないならば理解できないなりに敬意を払う。それで問題は無いはずなのです。
もちろん、「才能がない」などということは敢えて言うべきことではありません。しかし、君が「文系学問や芸術は馬鹿げている」などと言った以上は、正直なところを言うよりほかはないではないですか。
要するに、全て君が自分で蒔いた種なのですよ。それに腹を立てることがそもそも間違っている。
>じゃぁそのある程度共通しているところを言語化してくれよ・・
まず、人に訊けば答えが得られるはずというその甘い認識をどうにかしなさい。それができれば美学の根本問題に答えが出てしまうし、またできたとしても難解極まりないものになってしまう可能性も高いです。であれば、言葉で理解しようというのは諦めたほうが賢明です。だから、体験してもらうことが一番なのですが、芸術でなくても科学でも何なり、君が何らかの分野にそれなりに真摯に打ち込めば、ある程度は見えてくるはずです。
>どういう意味で死を「超える」のかもうちょっと教えて。
なんと言いますか・・・。死というのは人間の根源的な恐怖の対象なわけですが、それを克服したというか、「死の先には天国がある」とも表現できるような心境というか・・・。
誤解の無いように言いますが、私がその境地を得たわけではありませんよ。ただ、そういう境地が存在することを身体で知ったということです。
>どちらにせよ、モーツァルトの晩年の曲が死を悟って澄み切った境地のものだと良く称せられることを知識として知っているからそういうことをいっただけにしか俺には思えないのだが。
そこまで人を疑うならどうしようもない。そういうことがよく言われることが「助けになった」かもしれないのは事実(だから音楽評論はあながち無意味とはいえない)ですが、それが「頭でわかった」のではなく、「身体でわかった」のです。ホンマかいなと思って半信半疑で聴いていた話が、本当であることがわかったといいますか。
>あと怒った演奏者が優しい心の演奏者が出す音と同じである状況なんて想定可能。
>音は波動にすぎないのだから。
しかし、人間ってのはデリケートなもんですから、現実問題そんなことをすることは不可能です。
>究極的に言えば機械が作曲して機械が演奏した曲にはどんな心がこもってるの?
それは結構難しい問題ですが、とりあえず、機械を作った人の心が反映されることは間違いないでしょうね。
>要するに俺は言葉にならない「何か」をことさらに強調してそれが分からないことを理系の才能が無い→理性の欠如
>音楽の才能が無い→人間的な感性の欠如
>って言われることにいい加減腹が立つのか。
「それはあなたが言ったことだ」です。私に面と向かって「あなたは科学に向いていない」とまで言い切ったのはどこの誰でしたっけ?
人間誰しも、全ての分野に才能を持っているなどまずあり得ませんし、得意分野であってすら才能の欠如に悩むのです。理解できないことがあるのは当然で、「才能がない」ということは別に人格を否定したわけではないです。理解できないならば理解できないなりに敬意を払う。それで問題は無いはずなのです。
もちろん、「才能がない」などということは敢えて言うべきことではありません。しかし、君が「文系学問や芸術は馬鹿げている」などと言った以上は、正直なところを言うよりほかはないではないですか。
要するに、全て君が自分で蒔いた種なのですよ。それに腹を立てることがそもそも間違っている。
>じゃぁそのある程度共通しているところを言語化してくれよ・・
まず、人に訊けば答えが得られるはずというその甘い認識をどうにかしなさい。それができれば美学の根本問題に答えが出てしまうし、またできたとしても難解極まりないものになってしまう可能性も高いです。であれば、言葉で理解しようというのは諦めたほうが賢明です。だから、体験してもらうことが一番なのですが、芸術でなくても科学でも何なり、君が何らかの分野にそれなりに真摯に打ち込めば、ある程度は見えてくるはずです。
>どういう意味で死を「超える」のかもうちょっと教えて。
なんと言いますか・・・。死というのは人間の根源的な恐怖の対象なわけですが、それを克服したというか、「死の先には天国がある」とも表現できるような心境というか・・・。
誤解の無いように言いますが、私がその境地を得たわけではありませんよ。ただ、そういう境地が存在することを身体で知ったということです。
>どちらにせよ、モーツァルトの晩年の曲が死を悟って澄み切った境地のものだと良く称せられることを知識として知っているからそういうことをいっただけにしか俺には思えないのだが。
そこまで人を疑うならどうしようもない。そういうことがよく言われることが「助けになった」かもしれないのは事実(だから音楽評論はあながち無意味とはいえない)ですが、それが「頭でわかった」のではなく、「身体でわかった」のです。ホンマかいなと思って半信半疑で聴いていた話が、本当であることがわかったといいますか。
>あと怒った演奏者が優しい心の演奏者が出す音と同じである状況なんて想定可能。
>音は波動にすぎないのだから。
しかし、人間ってのはデリケートなもんですから、現実問題そんなことをすることは不可能です。
>究極的に言えば機械が作曲して機械が演奏した曲にはどんな心がこもってるの?
それは結構難しい問題ですが、とりあえず、機械を作った人の心が反映されることは間違いないでしょうね。
37. めらっさ
2004/06/13(日) 11:00:12
>究極的に言えば機械が作曲して機械が演奏した曲にはどんな心がこもってるの?
>それは結構難しい問題ですが、とりあえず、機械を作った人の心が反映されることは間違いないでしょうね。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/haselic/pi/pai.htm
↑このサイトはアレなことで有名なサイトだが、ここまで来ると、聴く側が勝手に感情移入しているだけだわな。極端な例だけど。
でも、もしかしたら円周率に対応させる音符を決めた時に人為が入り込んでいるということが無い事も無い事も無いかもしれない。
そこで、例えば、0〜9に音符を適当に対応させた後に、乱数表を作って、演奏したら、それは音楽と呼べるのだろうか?そこから感動を得たとしても、聴く側が勝手に感情移入しているとしか言えないはず。
工学が言いたいのはこういうことじゃないか?
>それは結構難しい問題ですが、とりあえず、機械を作った人の心が反映されることは間違いないでしょうね。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/haselic/pi/pai.htm
↑このサイトはアレなことで有名なサイトだが、ここまで来ると、聴く側が勝手に感情移入しているだけだわな。極端な例だけど。
でも、もしかしたら円周率に対応させる音符を決めた時に人為が入り込んでいるということが無い事も無い事も無いかもしれない。
そこで、例えば、0〜9に音符を適当に対応させた後に、乱数表を作って、演奏したら、それは音楽と呼べるのだろうか?そこから感動を得たとしても、聴く側が勝手に感情移入しているとしか言えないはず。
工学が言いたいのはこういうことじゃないか?
38. 工学
2004/06/13(日) 11:48:12
パイの音楽か。ここまで弾けてくれるとまぁ楽しいんだが。
>工学系院
別に才能が無いといわれることは構わない。
才能が無いと思ったやつにはそういえばいい。
道徳的にそれが悪いことかどうかはどうでもいい。
だけど俺がそういったのはあなたが「考える前に感じなさい」
などと抜けたことをあなたが言ったからで・・
でもそっちが言ったのは「君には『何か』を感じ取る力が無いので才能が無い。ただしその『何か』は言語化できないし君には示せない。『何か』は言語化できないのでわれわれ才能ある識者がみな同じものを共有しているかは分からないが、(人によって『何か』は違うものであって良いが)才能ある人はみな『何か』を感じ取っています。」
が俺が才能が無い理由なわけだろ?
それは納得行かないのも当然だろ。
こういうのものすごく宗教っぽい。
「神を君が感じ取れないのであれば君は救われません。神は人によって違ってもいいし、それぞれの心の中にだけいるのです。とにかく神を受け入れられない君は地獄行きです」ってな。
まぁ幽霊やサンタクロースの存在を心から信じてる人には何を言っても無駄というレベルであなたにはここから先何を言っても無駄なんだろうな。
だって結局言語化できないすばらしいものがあなたには分かって俺にはわからないのだから。笑
「モーツァルトのピアノ協奏曲第27番が実は彼の死に際に代理のオッサンが作った曲でした」って分かればあなたは間違いなく「やぱりそうか。なんかおかしい気がしたんだよ」って言うだろうよ。
本で「死を悟った澄み切った心の境地」ということを読み、それを知った上で演奏会に出向き、大量の観衆の異様な空気に包まれ、技術的に上手な演奏を大音量で聴かされればそりゃ「おお、これが死を超えた境地だ」とか思うでしょうな。
じゃぁ、今度ぜんぜん知らない名曲を聞いてそこで感じたことを「死を超えた境地」みたいにフレーズでメモって、それとクラシック評論の本では一般的にどう言われてるのかとを照らしあわしてみれば?
>工学系院
別に才能が無いといわれることは構わない。
才能が無いと思ったやつにはそういえばいい。
道徳的にそれが悪いことかどうかはどうでもいい。
だけど俺がそういったのはあなたが「考える前に感じなさい」
などと抜けたことをあなたが言ったからで・・
でもそっちが言ったのは「君には『何か』を感じ取る力が無いので才能が無い。ただしその『何か』は言語化できないし君には示せない。『何か』は言語化できないのでわれわれ才能ある識者がみな同じものを共有しているかは分からないが、(人によって『何か』は違うものであって良いが)才能ある人はみな『何か』を感じ取っています。」
が俺が才能が無い理由なわけだろ?
それは納得行かないのも当然だろ。
こういうのものすごく宗教っぽい。
「神を君が感じ取れないのであれば君は救われません。神は人によって違ってもいいし、それぞれの心の中にだけいるのです。とにかく神を受け入れられない君は地獄行きです」ってな。
まぁ幽霊やサンタクロースの存在を心から信じてる人には何を言っても無駄というレベルであなたにはここから先何を言っても無駄なんだろうな。
だって結局言語化できないすばらしいものがあなたには分かって俺にはわからないのだから。笑
「モーツァルトのピアノ協奏曲第27番が実は彼の死に際に代理のオッサンが作った曲でした」って分かればあなたは間違いなく「やぱりそうか。なんかおかしい気がしたんだよ」って言うだろうよ。
本で「死を悟った澄み切った心の境地」ということを読み、それを知った上で演奏会に出向き、大量の観衆の異様な空気に包まれ、技術的に上手な演奏を大音量で聴かされればそりゃ「おお、これが死を超えた境地だ」とか思うでしょうな。
じゃぁ、今度ぜんぜん知らない名曲を聞いてそこで感じたことを「死を超えた境地」みたいにフレーズでメモって、それとクラシック評論の本では一般的にどう言われてるのかとを照らしあわしてみれば?
39. 数学
2004/06/13(日) 12:51:36
なんか熱くなりすぎて、煽りあいみたいになってるぞ。冷静に議論しれ。
んで、芸術の価値についてだが、理論的に言うと、製作者の思考過程と、出来上がった作品の価値は、分けて考えねばならぬと思うのだが。
工学氏の「機械が作曲した〜」という思考実験と、同じことが科学論文にも言えるわけで、「サルが適当にタイプライターを叩いたらアインシュタインの『運動体の電磁気学』と同じものが出力されました」サルが相対論を考え付くわけはないが、その論文を読めば意味はわかるわけでしょう。つまり、出来上がったものと、製作過程は区別しなければならない。
上の挿話は非現実的ですが、機械がモーツァルトばりの名曲を書くというのも、十分非現実的な仮定なわけです。
その点では、サイエンスとアートは同じ。
さて、権威主義でもなんでもいいけど、芸術作品にも一定の評価が与えられているわけです。8世紀には1万曲の交響曲が作られたそうですが、今日演奏されるのはほんの一握りの作曲家の作品です。
芸術家も何か考えて(言語化できない何か)、作曲しているわけですが、その過程とできた作品の質には何か相関関係があると考えるのが現実的でしょう。(相対論の論文を書いた人は、相対論の内容を理解していたはずでしょう)
したがって、交響曲を聴いて、言語化できない作曲者の頭の中の「何か」を感じ取れる聴衆がいても不思議ではないわけです。もちろん、それを言葉で表そうとおもえば、たとえ話(「死を見つめている」とか)にならざるをえないわけですが。
さて、工学氏の主張は「上で述べたようなことはありえない」ということになりそうですが、その根拠はなんですか?
私は、上にのべたことと、例えば「相対論が分かる人間が一握りである」ことは同じだと思うのですが? 音が単なる波と言うなら、科学論文もただのインクの集まりだし。
んで、芸術の価値についてだが、理論的に言うと、製作者の思考過程と、出来上がった作品の価値は、分けて考えねばならぬと思うのだが。
工学氏の「機械が作曲した〜」という思考実験と、同じことが科学論文にも言えるわけで、「サルが適当にタイプライターを叩いたらアインシュタインの『運動体の電磁気学』と同じものが出力されました」サルが相対論を考え付くわけはないが、その論文を読めば意味はわかるわけでしょう。つまり、出来上がったものと、製作過程は区別しなければならない。
上の挿話は非現実的ですが、機械がモーツァルトばりの名曲を書くというのも、十分非現実的な仮定なわけです。
その点では、サイエンスとアートは同じ。
さて、権威主義でもなんでもいいけど、芸術作品にも一定の評価が与えられているわけです。8世紀には1万曲の交響曲が作られたそうですが、今日演奏されるのはほんの一握りの作曲家の作品です。
芸術家も何か考えて(言語化できない何か)、作曲しているわけですが、その過程とできた作品の質には何か相関関係があると考えるのが現実的でしょう。(相対論の論文を書いた人は、相対論の内容を理解していたはずでしょう)
したがって、交響曲を聴いて、言語化できない作曲者の頭の中の「何か」を感じ取れる聴衆がいても不思議ではないわけです。もちろん、それを言葉で表そうとおもえば、たとえ話(「死を見つめている」とか)にならざるをえないわけですが。
さて、工学氏の主張は「上で述べたようなことはありえない」ということになりそうですが、その根拠はなんですか?
私は、上にのべたことと、例えば「相対論が分かる人間が一握りである」ことは同じだと思うのですが? 音が単なる波と言うなら、科学論文もただのインクの集まりだし。
40. 工学
2004/06/13(日) 13:47:44
もちろん機械が相対性理論を書き上げるうることは認めるが?
機械は相対性理論を書いてもその背景に存在する「何か」を感じて書いたわけじゃない。
その例は「何か」を感じることが相対性理論を書いたり音楽理論的に耳障りの良い音楽を作曲するのに関係ないことを示したに過ぎない。
音楽家が何かを思って作曲し、まァその思いが曲の調子に作用するのは分かる。だがそれを聞いた人が音を翻訳して「何か」に戻して理解するなど到底信じられたものではない。
せいぜい
作曲者(漠然と)悲しい気持ち→短調でスローテンポな曲の完成→聞き手「漠然と悲しい曲かな」と思う。
くらいだろ。
でも工学系院らが言ってるのはもっともっと文字情報すらをも超越するような「何か」だからそれとは違うわけね。
>さて、工学氏の主張は「上で述べたようなことはありえない」ということになりそうですが、その根拠はなんですか?
まともな人間なら自分には感じ取れない「何か」なんてものを無闇に信じるほうがおかしいだろ。
でもそれを信じることであなた達が何かしら幸せなんだったら別にそれでもいい。
サンタクロースはいないけど、サンタクロースを信じる幸せな子供を論破するつもりはない。(しかしあくまでサンタクロースは居ない)
ちなみに俺はこのスレの初めからこの調子である。
>なんか熱くなりすぎて、煽りあいみたいになってるぞ
機械は相対性理論を書いてもその背景に存在する「何か」を感じて書いたわけじゃない。
その例は「何か」を感じることが相対性理論を書いたり音楽理論的に耳障りの良い音楽を作曲するのに関係ないことを示したに過ぎない。
音楽家が何かを思って作曲し、まァその思いが曲の調子に作用するのは分かる。だがそれを聞いた人が音を翻訳して「何か」に戻して理解するなど到底信じられたものではない。
せいぜい
作曲者(漠然と)悲しい気持ち→短調でスローテンポな曲の完成→聞き手「漠然と悲しい曲かな」と思う。
くらいだろ。
でも工学系院らが言ってるのはもっともっと文字情報すらをも超越するような「何か」だからそれとは違うわけね。
>さて、工学氏の主張は「上で述べたようなことはありえない」ということになりそうですが、その根拠はなんですか?
まともな人間なら自分には感じ取れない「何か」なんてものを無闇に信じるほうがおかしいだろ。
でもそれを信じることであなた達が何かしら幸せなんだったら別にそれでもいい。
サンタクロースはいないけど、サンタクロースを信じる幸せな子供を論破するつもりはない。(しかしあくまでサンタクロースは居ない)
ちなみに俺はこのスレの初めからこの調子である。
>なんか熱くなりすぎて、煽りあいみたいになってるぞ
41. あじの塩焼き
2004/06/13(日) 14:05:52
>まともな人間なら自分には感じ取れない「何か」なんてものを無闇に信じるほうがおかしいだろ。
あのさあ、僕は(たぶん工学系院生さんも)あなたに信じろとか感じろなんていってないよ。あなたが「一般的に」そのようなもの存在しないと言うから反論してるんでしょ。
別に幽霊が見えない人に見ろなんて言う気はない。見える人もいる、って主張してるだけ。でもあなたは見えないから存在しないって言ってるわけでしょ?
解けない方程式には解が存在しないわけ?
あのさあ、僕は(たぶん工学系院生さんも)あなたに信じろとか感じろなんていってないよ。あなたが「一般的に」そのようなもの存在しないと言うから反論してるんでしょ。
別に幽霊が見えない人に見ろなんて言う気はない。見える人もいる、って主張してるだけ。でもあなたは見えないから存在しないって言ってるわけでしょ?
解けない方程式には解が存在しないわけ?
42. 工学
2004/06/13(日) 14:14:32
なるほど幽霊と同等でいいのか。
それなら初めから言ってほしい。
もちろんそれは認めよう。
味の塩焼きは幽霊を信じるし、俺はそれを科学的に言ってつまらんものだと思うけど、(俺は蜂に刺されて死ぬ人はいても幽霊に呪い殺された例を新聞で見たことが無いなどいろいろと理屈をつけるだろう。)
別に勝手に信じて勝手に怖がる分にはあなたの自由だ。
ありもしない幽霊(「何か」)を信じて怖がれば(すばらしがれば)いい。
それなら初めから言ってほしい。
もちろんそれは認めよう。
味の塩焼きは幽霊を信じるし、俺はそれを科学的に言ってつまらんものだと思うけど、(俺は蜂に刺されて死ぬ人はいても幽霊に呪い殺された例を新聞で見たことが無いなどいろいろと理屈をつけるだろう。)
別に勝手に信じて勝手に怖がる分にはあなたの自由だ。
ありもしない幽霊(「何か」)を信じて怖がれば(すばらしがれば)いい。
43. 数学
2004/06/13(日) 14:22:46
>もちろん機械が相対性理論を書き上げるうることは認めるが?
>機械は相対性理論を書いてもその背景に存在する「何か」を感じて書いたわけじゃない。
>その例は「何か」を感じることが相対性理論を書いたり音楽理論的に耳障りの良い音楽を作曲するのに関係ないことを示したに過ぎない。
それは結果論だよ。抽象的に考えすぎ。端的に間違ってると思うけどね。つまり、論文を書いたことのある人間に聞いてみれば、誰も同意しないよ。
>音楽家が何かを思って作曲し、まァその思いが曲の調子に作用するのは分かる。だがそれを聞いた人が音を翻訳して「何か」に戻して理解するなど到底信じられたものではない。
>作曲者(漠然と)悲しい気持ち→短調でスローテンポな曲の完成→聞き手「漠然と悲しい曲かな」と思う。
>くらいだろ。
そんな単純なものだったら、凡庸な作曲家と優れた作曲家を区別できないよ。つまり、作曲家の頭の中の操作は、もっと情報量が多い。そして、それを聞き分ける人種がいるから、音楽が文化として成り立ってるのでは?
>まともな人間なら自分には感じ取れない「何か」なんてものを無闇に信じるほうがおかしいだろ。
音楽文化が現に存在している以上、無闇というわけではないと思うよ? まぁ、私は個人的に音楽が好きなんだけどね。
>機械は相対性理論を書いてもその背景に存在する「何か」を感じて書いたわけじゃない。
>その例は「何か」を感じることが相対性理論を書いたり音楽理論的に耳障りの良い音楽を作曲するのに関係ないことを示したに過ぎない。
それは結果論だよ。抽象的に考えすぎ。端的に間違ってると思うけどね。つまり、論文を書いたことのある人間に聞いてみれば、誰も同意しないよ。
>音楽家が何かを思って作曲し、まァその思いが曲の調子に作用するのは分かる。だがそれを聞いた人が音を翻訳して「何か」に戻して理解するなど到底信じられたものではない。
>作曲者(漠然と)悲しい気持ち→短調でスローテンポな曲の完成→聞き手「漠然と悲しい曲かな」と思う。
>くらいだろ。
そんな単純なものだったら、凡庸な作曲家と優れた作曲家を区別できないよ。つまり、作曲家の頭の中の操作は、もっと情報量が多い。そして、それを聞き分ける人種がいるから、音楽が文化として成り立ってるのでは?
>まともな人間なら自分には感じ取れない「何か」なんてものを無闇に信じるほうがおかしいだろ。
音楽文化が現に存在している以上、無闇というわけではないと思うよ? まぁ、私は個人的に音楽が好きなんだけどね。
44. 工学系院生
2004/06/13(日) 14:56:36
>だけど俺がそういったのはあなたが「考える前に感じなさい」
>などと抜けたことをあなたが言ったからで・・
それがどういう意味かは、これまで散々説明したでしょう。それに、そう言われたからといって腹を立てることにつながる理屈がまるでわからない。
>でもそっちが言ったのは「君には『何か』を感じ取る力が無いので才能が無い。ただしその『何か』は言語化できないし君には示せない。『何か』は言語化できないのでわれわれ才能ある識者がみな同じものを共有しているかは分からないが、(人によって『何か』は違うものであって良いが)才能ある人はみな『何か』を感じ取っています。」
全然違います。
まず一つ、「才能ある識者」といったニュアンスのことを言った覚えはない。それだけははっきり言っておく。
次に、学問や芸術というものは、凡才でも感じ取れます。私も凡才です。だからこそ普遍的な力を持ちます。ただし、天才でない者は(あるいは天才であっても?)、それを感じ取るために努力と経験と根気(と運)がいる。受動的にではなく、能動的に受容する努力をこちらからもしなければならない。
もちろん、それでも理解できない「負の才能」の持ち主がいるかもしれない。そういうことです。
>それは納得行かないのも当然だろ。
納得してくれとは頼んでいません。納得できないなら納得できないでおいておけばすむことなのに、それを君はわざわざ侮辱的言辞を弄して我々をことさらに不快にしたわけで。
>「モーツァルトのピアノ協奏曲第27番が実は彼の死に際に代理のオッサンが作った曲でした」って分かればあなたは間違いなく「やぱりそうか。なんかおかしい気がしたんだよ」って言うだろうよ。
言いません。実際、偽作あるいはその疑いがあることが知られていながら名曲って曲もありますよ。そうやって人を舐めた発言するんじゃないの。
>じゃぁ、今度ぜんぜん知らない名曲を聞いてそこで感じたことを「死を超えた境地」みたいにフレーズでメモって、それとクラシック評論の本では一般的にどう言われてるのかとを照らしあわしてみれば?
悪いけど、あなたは私を甘く見すぎていますよ。批評を読んでも縛られないことぐらい、とうの昔にできています。
>音楽家が何かを思って作曲し、まァその思いが曲の調子に作用するのは分かる。だがそれを聞いた人が音を翻訳して「何か」に戻して理解するなど到底信じられたものではない。
それはまるで、「フランス人がフランス語を日本語に翻訳しないで理解するなど信じられない」と言っているように聞こえます。
音楽は音楽として理解する、それが全てです。
>でも工学系院らが言ってるのはもっともっと文字情報すらをも超越するような「何か」だからそれとは違うわけね。
超越するんじゃなくて、文字とは別の何か(つまり音楽)なのですよ。逆に、文字で伝えられても音楽で伝えられないこともある。
>まともな人間なら自分には感じ取れない「何か」なんてものを無闇に信じるほうがおかしいだろ。
>でもそれを信じることであなた達が何かしら幸せなんだったら別にそれでもいい。
>サンタクロースはいないけど、サンタクロースを信じる幸せな子供を論破するつもりはない。(しかしあくまでサンタクロースは居ない)
だから、最後の「しかしあくまでサンタクロースは居ない」が余計なんですよ。上の二行は別に問題ないんです。
その喩えで謂うなら、悪いけど、私は「サンタクロースを見た」と言っているんです。そして、この比喩の世界では、「サンタクロースを見た」「サンタクロースから直接贈り物を受け取った」「サンタクロースが配る贈り物を作った」「サンタクロースの助手をした」そんな人たちが私だけではなく、他に沢山いる、そういう状況ですよ。
>なるほど幽霊と同等でいいのか。
それを揚げ足取りというのです。そんな細かいところに反応するのなら、「解けない方程式には解が存在しないわけ?」に反応しなさい。
>などと抜けたことをあなたが言ったからで・・
それがどういう意味かは、これまで散々説明したでしょう。それに、そう言われたからといって腹を立てることにつながる理屈がまるでわからない。
>でもそっちが言ったのは「君には『何か』を感じ取る力が無いので才能が無い。ただしその『何か』は言語化できないし君には示せない。『何か』は言語化できないのでわれわれ才能ある識者がみな同じものを共有しているかは分からないが、(人によって『何か』は違うものであって良いが)才能ある人はみな『何か』を感じ取っています。」
全然違います。
まず一つ、「才能ある識者」といったニュアンスのことを言った覚えはない。それだけははっきり言っておく。
次に、学問や芸術というものは、凡才でも感じ取れます。私も凡才です。だからこそ普遍的な力を持ちます。ただし、天才でない者は(あるいは天才であっても?)、それを感じ取るために努力と経験と根気(と運)がいる。受動的にではなく、能動的に受容する努力をこちらからもしなければならない。
もちろん、それでも理解できない「負の才能」の持ち主がいるかもしれない。そういうことです。
>それは納得行かないのも当然だろ。
納得してくれとは頼んでいません。納得できないなら納得できないでおいておけばすむことなのに、それを君はわざわざ侮辱的言辞を弄して我々をことさらに不快にしたわけで。
>「モーツァルトのピアノ協奏曲第27番が実は彼の死に際に代理のオッサンが作った曲でした」って分かればあなたは間違いなく「やぱりそうか。なんかおかしい気がしたんだよ」って言うだろうよ。
言いません。実際、偽作あるいはその疑いがあることが知られていながら名曲って曲もありますよ。そうやって人を舐めた発言するんじゃないの。
>じゃぁ、今度ぜんぜん知らない名曲を聞いてそこで感じたことを「死を超えた境地」みたいにフレーズでメモって、それとクラシック評論の本では一般的にどう言われてるのかとを照らしあわしてみれば?
悪いけど、あなたは私を甘く見すぎていますよ。批評を読んでも縛られないことぐらい、とうの昔にできています。
>音楽家が何かを思って作曲し、まァその思いが曲の調子に作用するのは分かる。だがそれを聞いた人が音を翻訳して「何か」に戻して理解するなど到底信じられたものではない。
それはまるで、「フランス人がフランス語を日本語に翻訳しないで理解するなど信じられない」と言っているように聞こえます。
音楽は音楽として理解する、それが全てです。
>でも工学系院らが言ってるのはもっともっと文字情報すらをも超越するような「何か」だからそれとは違うわけね。
超越するんじゃなくて、文字とは別の何か(つまり音楽)なのですよ。逆に、文字で伝えられても音楽で伝えられないこともある。
>まともな人間なら自分には感じ取れない「何か」なんてものを無闇に信じるほうがおかしいだろ。
>でもそれを信じることであなた達が何かしら幸せなんだったら別にそれでもいい。
>サンタクロースはいないけど、サンタクロースを信じる幸せな子供を論破するつもりはない。(しかしあくまでサンタクロースは居ない)
だから、最後の「しかしあくまでサンタクロースは居ない」が余計なんですよ。上の二行は別に問題ないんです。
その喩えで謂うなら、悪いけど、私は「サンタクロースを見た」と言っているんです。そして、この比喩の世界では、「サンタクロースを見た」「サンタクロースから直接贈り物を受け取った」「サンタクロースが配る贈り物を作った」「サンタクロースの助手をした」そんな人たちが私だけではなく、他に沢山いる、そういう状況ですよ。
>なるほど幽霊と同等でいいのか。
それを揚げ足取りというのです。そんな細かいところに反応するのなら、「解けない方程式には解が存在しないわけ?」に反応しなさい。
45. 工学
2004/06/13(日) 15:31:56
解けないと解が無いとは違うだろ。
解けないなら解けないで解があるかどうかを調べることは可能だろ。
そういう例をいうのなら、じゃぁ解が存在することを示せるんだろうな?
>まず一つ、「才能ある識者」といったニュアンスのことを言った覚えはない。それだけははっきり言っておく
の次に「それでも芸術を感じ取れない負の才能が〜」
ってなんなんだ一体・・
>悪いけど、あなたは私を甘く見すぎていますよ。批評を読んでも縛られないことぐらい、とうの昔にできています
は??意味分からんし。
じゃァなぜ「死を超えた境地」という一般的によく言われているものとあなたが感じたものとがたまたま一致したんでしょうかね?
すごい偶然ですか?
知ってたからに決まってるだろ。
それに俺が聞いてるのは一般的に言われてる、名曲から得られる「何か」のうち、音楽の鑑賞力優れたものなら誰が聞いても得られるはずのところだけでいいから(例えばモーツァルトから「死とか澄み切ったとかそいういう境地」)、
あなたが一般的にどういわれてるか知らない曲を聞いて、本当にその感じが一般的に言われてるものと一致するのかどうかってことだぞ?
解けないなら解けないで解があるかどうかを調べることは可能だろ。
そういう例をいうのなら、じゃぁ解が存在することを示せるんだろうな?
>まず一つ、「才能ある識者」といったニュアンスのことを言った覚えはない。それだけははっきり言っておく
の次に「それでも芸術を感じ取れない負の才能が〜」
ってなんなんだ一体・・
>悪いけど、あなたは私を甘く見すぎていますよ。批評を読んでも縛られないことぐらい、とうの昔にできています
は??意味分からんし。
じゃァなぜ「死を超えた境地」という一般的によく言われているものとあなたが感じたものとがたまたま一致したんでしょうかね?
すごい偶然ですか?
知ってたからに決まってるだろ。
それに俺が聞いてるのは一般的に言われてる、名曲から得られる「何か」のうち、音楽の鑑賞力優れたものなら誰が聞いても得られるはずのところだけでいいから(例えばモーツァルトから「死とか澄み切ったとかそいういう境地」)、
あなたが一般的にどういわれてるか知らない曲を聞いて、本当にその感じが一般的に言われてるものと一致するのかどうかってことだぞ?
46. 工学系院生
2004/06/13(日) 17:11:30
>そういう例をいうのなら、じゃぁ解が存在することを示せるんだろうな?
一般的に「存在する」と言われているものを「存在しない」と言い出したのは君ですよ。君が「存在しないこと」を示さないと。
あともう一つ、例えば一般的にはナヴィエ=ストークス方程式は解けませんが、流体の運動は必ず存在するわけで、これは解があると考えるのが妥当でしょう(ちなみに、数学的に厳密に解の存在が示されてるかどうかは私は知りません。知ってる方誰か教えてください)。そういう推論です。
>>まず一つ、「才能ある識者」といったニュアンスのことを言った覚えはない。それだけははっきり言っておく
>の次に「それでも芸術を感じ取れない負の才能が〜」
ってなんなんだ一体・・
「才能」ではなく「識者」の方が問題なのです。あなたと私たちを本質的に区別したわけではない。誰にだって得手不得手があるということをそう言い換えただけに過ぎないのに。
>>悪いけど、あなたは私を甘く見すぎていますよ。批評を読んでも縛られないことぐらい、とうの昔にできています
>は??意味分からんし。
要するに、批評家の助けなど借りなくても、自分なりの価値付けができるってことですよ。批評家の意見が参考になることはありえても、必須ではない。別に聴いた曲の批評を全部読んだりするわけないし、そんなことしてたら追いつかない。
>じゃァなぜ「死を超えた境地」という一般的によく言われているものとあなたが感じたものとがたまたま一致したんでしょうかね?
>すごい偶然ですか?
>知ってたからに決まってるだろ。
どうして、音楽にそういう力があるから、と思えないのですか?
>それに俺が聞いてるのは一般的に言われてる、名曲から得られる「何か」のうち、音楽の鑑賞力優れたものなら誰が聞いても得られるはずのところだけでいいから(例えばモーツァルトから「死とか澄み切ったとかそいういう境地」)、
>あなたが一般的にどういわれてるか知らない曲を聞いて、本当にその感じが一般的に言われてるものと一致するのかどうかってことだぞ?
あのねえ、「一般的に言われている見解」なんてはっきりしたものがあるわけじゃないんですよ。人によって全然違うこと言ってるのが実態。その理由は、批評家にもピンからキリまでいるということもあるし、もともと言葉にならないものを無理に言葉に翻訳したのだからそんなもの一致しないのが当たり前。
たとえて言えば、「無限次元空間の正確な絵を描けない」ということです。
しかしそれにもかかわらず、例えば曲の評価の高低などに、ある程度の無視できない偏りが出てくる。つまり、多くの人にとって、「名曲」と考えられる曲は一致するのです。となればこれは、曲自体に何かがあるからと考えざるを得ないのではないか、ということです。
別の言い方をすれば、古典力学じゃなくて量子力学的な世界なんですよ。粒子一つ一つの挙動には必然性がないように見えても、統計的に見ると傾向が見える。
そこには何らかの因果関係があると考えられるということです。
一般的に「存在する」と言われているものを「存在しない」と言い出したのは君ですよ。君が「存在しないこと」を示さないと。
あともう一つ、例えば一般的にはナヴィエ=ストークス方程式は解けませんが、流体の運動は必ず存在するわけで、これは解があると考えるのが妥当でしょう(ちなみに、数学的に厳密に解の存在が示されてるかどうかは私は知りません。知ってる方誰か教えてください)。そういう推論です。
>>まず一つ、「才能ある識者」といったニュアンスのことを言った覚えはない。それだけははっきり言っておく
>の次に「それでも芸術を感じ取れない負の才能が〜」
ってなんなんだ一体・・
「才能」ではなく「識者」の方が問題なのです。あなたと私たちを本質的に区別したわけではない。誰にだって得手不得手があるということをそう言い換えただけに過ぎないのに。
>>悪いけど、あなたは私を甘く見すぎていますよ。批評を読んでも縛られないことぐらい、とうの昔にできています
>は??意味分からんし。
要するに、批評家の助けなど借りなくても、自分なりの価値付けができるってことですよ。批評家の意見が参考になることはありえても、必須ではない。別に聴いた曲の批評を全部読んだりするわけないし、そんなことしてたら追いつかない。
>じゃァなぜ「死を超えた境地」という一般的によく言われているものとあなたが感じたものとがたまたま一致したんでしょうかね?
>すごい偶然ですか?
>知ってたからに決まってるだろ。
どうして、音楽にそういう力があるから、と思えないのですか?
>それに俺が聞いてるのは一般的に言われてる、名曲から得られる「何か」のうち、音楽の鑑賞力優れたものなら誰が聞いても得られるはずのところだけでいいから(例えばモーツァルトから「死とか澄み切ったとかそいういう境地」)、
>あなたが一般的にどういわれてるか知らない曲を聞いて、本当にその感じが一般的に言われてるものと一致するのかどうかってことだぞ?
あのねえ、「一般的に言われている見解」なんてはっきりしたものがあるわけじゃないんですよ。人によって全然違うこと言ってるのが実態。その理由は、批評家にもピンからキリまでいるということもあるし、もともと言葉にならないものを無理に言葉に翻訳したのだからそんなもの一致しないのが当たり前。
たとえて言えば、「無限次元空間の正確な絵を描けない」ということです。
しかしそれにもかかわらず、例えば曲の評価の高低などに、ある程度の無視できない偏りが出てくる。つまり、多くの人にとって、「名曲」と考えられる曲は一致するのです。となればこれは、曲自体に何かがあるからと考えざるを得ないのではないか、ということです。
別の言い方をすれば、古典力学じゃなくて量子力学的な世界なんですよ。粒子一つ一つの挙動には必然性がないように見えても、統計的に見ると傾向が見える。
そこには何らかの因果関係があると考えられるということです。
47. あじの塩焼き
2004/06/13(日) 17:58:48
>解けないと解が無いとは違うだろ。
イカ京ファッションのときもそうだったけど、あなたは簡単な例を出すと分かってくれるみたいですね。
「私には芸術の深さが理解できない」と「芸術の深さは存在しない」は別物ですよ。
>工学系院生さん
>数学的に厳密に解の存在が示されてるかどうかは私は知りません。知ってる方誰か教えてください
極端に簡単な境界条件の場合は解析的に解けるしそうでないときも数値解はけっこう多く見つかってます。一般解についてはどうなんでしょうねえ。現実世界とうまくリンクしていれば、少なくとも非現実的な境界条件のときは解が存在しないはずですね。これは波動方程式のような簡単な方程式のときでもそうです。
一意性については100万ドルの賞金がかかってるみたいです。
イカ京ファッションのときもそうだったけど、あなたは簡単な例を出すと分かってくれるみたいですね。
「私には芸術の深さが理解できない」と「芸術の深さは存在しない」は別物ですよ。
>工学系院生さん
>数学的に厳密に解の存在が示されてるかどうかは私は知りません。知ってる方誰か教えてください
極端に簡単な境界条件の場合は解析的に解けるしそうでないときも数値解はけっこう多く見つかってます。一般解についてはどうなんでしょうねえ。現実世界とうまくリンクしていれば、少なくとも非現実的な境界条件のときは解が存在しないはずですね。これは波動方程式のような簡単な方程式のときでもそうです。
一意性については100万ドルの賞金がかかってるみたいです。
48. 工学
2004/06/13(日) 18:24:12
>どうして、音楽にそういう力があるから、と思えないのですか?
思えるわけが無い。
例えるなら
毎日神様に病気の回復をお祈りしてたら本当に治った人に、俺がそれは自然治癒だと指摘したら「どうして神様にそういう力があるからと思えないんですか?」って言われるようなもので・・。
しかもそういう人の「多さ」とか言い出したらそれこそコレを本気で信じた人で一杯な時代もあったわけで。
>あのねえ、「一般的に言われている見解」なんてはっきりしたものがあるわけじゃないんですよ。
では「死を超えた境地」はどうなの?
一般的に言われてる見解あるじゃない。
では質問を変えて、死を超えた境地というフレーズを全く知らなかったら、その曲がモーツァルトの晩年に作曲された曲だと知らなかったら、
それでもあの時演奏会に出向いていれば「何か」を体で実感できたといえるか?
そしてその「何か」を無理やり言語化するならば「死を超えた境地」といえたか?
「死を超えた」とかそんな程度の無茶苦茶漠然とした見解ですら一致をみないのであればやはり音楽の「深さ」についての懐疑は深まる一方だ。
それに人によって感じたものを言語化したものが違っていいんだったら、あなたどうやって音楽鑑賞の才能の有る人と無い人を見分けてるわけ?
適当だろといわれても仕方ない。
>曲自体に何かがあるからと考えざるを得ないのではないか
いや、「何か」とか言わなくても「曲自体が音楽理論的によく練られてるから」でいいじゃない。
思えるわけが無い。
例えるなら
毎日神様に病気の回復をお祈りしてたら本当に治った人に、俺がそれは自然治癒だと指摘したら「どうして神様にそういう力があるからと思えないんですか?」って言われるようなもので・・。
しかもそういう人の「多さ」とか言い出したらそれこそコレを本気で信じた人で一杯な時代もあったわけで。
>あのねえ、「一般的に言われている見解」なんてはっきりしたものがあるわけじゃないんですよ。
では「死を超えた境地」はどうなの?
一般的に言われてる見解あるじゃない。
では質問を変えて、死を超えた境地というフレーズを全く知らなかったら、その曲がモーツァルトの晩年に作曲された曲だと知らなかったら、
それでもあの時演奏会に出向いていれば「何か」を体で実感できたといえるか?
そしてその「何か」を無理やり言語化するならば「死を超えた境地」といえたか?
「死を超えた」とかそんな程度の無茶苦茶漠然とした見解ですら一致をみないのであればやはり音楽の「深さ」についての懐疑は深まる一方だ。
それに人によって感じたものを言語化したものが違っていいんだったら、あなたどうやって音楽鑑賞の才能の有る人と無い人を見分けてるわけ?
適当だろといわれても仕方ない。
>曲自体に何かがあるからと考えざるを得ないのではないか
いや、「何か」とか言わなくても「曲自体が音楽理論的によく練られてるから」でいいじゃない。
49. 工学系院生
2004/06/13(日) 18:46:08
>あじの塩焼きさん
どうもありがとうございます。勉強になります。
物理がご専門のはずなのに、数学もお詳しいんですね。尊敬します。
>例えるなら
>毎日神様に病気の回復をお祈りしてたら本当に治った人に、俺がそれは自然治癒だと指摘したら「どうして神様にそういう力があるからと思えないんですか?」って言われるようなもので・・。
じゃあ、「治った」ことは認めるんですね?
では、「自然治癒」にあたるのはこの場合何なのですか?
>>あのねえ、「一般的に言われている見解」なんてはっきりしたものがあるわけじゃないんですよ。
>では「死を超えた境地」はどうなの?
>一般的に言われてる見解あるじゃない。
それはたまたまですよ。さっきの量子系のたとえを使えば、この系では波動関数がデルタ関数みたいな形になってただけのこと。
>では質問を変えて、死を超えた境地というフレーズを全く知らなかったら、その曲がモーツァルトの晩年に作曲された曲だと知らなかったら、
>それでもあの時演奏会に出向いていれば「何か」を体で実感できたといえるか?
その仮定は無意味です。そういう知識を知っていたことも含めて私の音楽遍歴があるわけで。
その曲はものごころついた頃から特に好きな曲でしたし、「特別にきれいな曲だ」と思っていました。
ただ、大きくなって批評なんかを読むようになって、「死を超えた」とか「この世ならぬ」といった表現を見ても、「ふーん、そうなんかなあ。ようわからんな」と思うばかりでしたよ。
それが、その演奏会のとき初めて眼が開いたんです。
何百回も聴いてる曲ですよ。
>そしてその「何か」を無理やり言語化するならば「死を超えた境地」といえたか?
それは違った表現になったかもしれない。でもだからといって、私が感じたものが変わるわけではない。
たとえば、"I am a cat." という文章を「私は猫です」と訳そうが「吾輩は猫である」と訳そうが、元の文章が変わるわけではない。それと同じことです。
>「死を超えた」とかそんな程度の無茶苦茶漠然とした見解ですら一致をみないのであればやはり音楽の「深さ」についての懐疑は深まる一方だ。
じゃあ、量子力学を知って、物理学への懐疑を深めなければなりませんね。波動関数の解釈といったごく基本的な見解ですら一致をみないのだから。
>それに人によって感じたものを言語化したものが違っていいんだったら、あなたどうやって音楽鑑賞の才能の有る人と無い人を見分けてるわけ?
>適当だろといわれても仕方ない。
適当ですよ。そんなもの見分ける必要ありますか?
そもそも、才能だけじゃなくて「経験や努力や根気(や運)」も大事だって言ったでしょ。
>いや、「何か」とか言わなくても「曲自体が音楽理論的によく練られてるから」でいいじゃない。
あのですね。音楽理論ってのは、「文法」みたいなもんなんです。理論があって作曲があるんではなくて、理論の方が、作曲の後を追いかけてるんですよ。
で、文法的に正しい文章でも名文も駄文もあるし、面白い文章もつまらん文章もある。同様に、音楽理論的に正しくてもいい曲とは限らないし、理論的に破格な曲が名曲であったりもするんです。
で、仮に「よい曲は何がよいか」を説明できる理論があったとして、その理論による判別法と、われわれの頭の中で起こってることは一致するのですか?おそらく違うでしょう。
「理論に合致するからよい曲」なんてことはないんです。アルゴリズムとメカニズムはあくまでも別物だということですよ。
どうもありがとうございます。勉強になります。
物理がご専門のはずなのに、数学もお詳しいんですね。尊敬します。
>例えるなら
>毎日神様に病気の回復をお祈りしてたら本当に治った人に、俺がそれは自然治癒だと指摘したら「どうして神様にそういう力があるからと思えないんですか?」って言われるようなもので・・。
じゃあ、「治った」ことは認めるんですね?
では、「自然治癒」にあたるのはこの場合何なのですか?
>>あのねえ、「一般的に言われている見解」なんてはっきりしたものがあるわけじゃないんですよ。
>では「死を超えた境地」はどうなの?
>一般的に言われてる見解あるじゃない。
それはたまたまですよ。さっきの量子系のたとえを使えば、この系では波動関数がデルタ関数みたいな形になってただけのこと。
>では質問を変えて、死を超えた境地というフレーズを全く知らなかったら、その曲がモーツァルトの晩年に作曲された曲だと知らなかったら、
>それでもあの時演奏会に出向いていれば「何か」を体で実感できたといえるか?
その仮定は無意味です。そういう知識を知っていたことも含めて私の音楽遍歴があるわけで。
その曲はものごころついた頃から特に好きな曲でしたし、「特別にきれいな曲だ」と思っていました。
ただ、大きくなって批評なんかを読むようになって、「死を超えた」とか「この世ならぬ」といった表現を見ても、「ふーん、そうなんかなあ。ようわからんな」と思うばかりでしたよ。
それが、その演奏会のとき初めて眼が開いたんです。
何百回も聴いてる曲ですよ。
>そしてその「何か」を無理やり言語化するならば「死を超えた境地」といえたか?
それは違った表現になったかもしれない。でもだからといって、私が感じたものが変わるわけではない。
たとえば、"I am a cat." という文章を「私は猫です」と訳そうが「吾輩は猫である」と訳そうが、元の文章が変わるわけではない。それと同じことです。
>「死を超えた」とかそんな程度の無茶苦茶漠然とした見解ですら一致をみないのであればやはり音楽の「深さ」についての懐疑は深まる一方だ。
じゃあ、量子力学を知って、物理学への懐疑を深めなければなりませんね。波動関数の解釈といったごく基本的な見解ですら一致をみないのだから。
>それに人によって感じたものを言語化したものが違っていいんだったら、あなたどうやって音楽鑑賞の才能の有る人と無い人を見分けてるわけ?
>適当だろといわれても仕方ない。
適当ですよ。そんなもの見分ける必要ありますか?
そもそも、才能だけじゃなくて「経験や努力や根気(や運)」も大事だって言ったでしょ。
>いや、「何か」とか言わなくても「曲自体が音楽理論的によく練られてるから」でいいじゃない。
あのですね。音楽理論ってのは、「文法」みたいなもんなんです。理論があって作曲があるんではなくて、理論の方が、作曲の後を追いかけてるんですよ。
で、文法的に正しい文章でも名文も駄文もあるし、面白い文章もつまらん文章もある。同様に、音楽理論的に正しくてもいい曲とは限らないし、理論的に破格な曲が名曲であったりもするんです。
で、仮に「よい曲は何がよいか」を説明できる理論があったとして、その理論による判別法と、われわれの頭の中で起こってることは一致するのですか?おそらく違うでしょう。
「理論に合致するからよい曲」なんてことはないんです。アルゴリズムとメカニズムはあくまでも別物だということですよ。
50. これ以上
2004/06/14(月) 21:32:16
言っても無駄なんじゃないの?
工学は何を言われても「そんなことを言われても信じられない」というだけだし、都合が悪くなると「権威」をどこかから持ち出して逃げるだけだし。
大勢の人が認めてることを全部インチキ扱いするんだからどうしようもないよ。「相対論は実証されていない、実験データの捏造だ!」って言ってるトンデモさんと一緒やん。
もう相手にする必要ないで。
工学は何を言われても「そんなことを言われても信じられない」というだけだし、都合が悪くなると「権威」をどこかから持ち出して逃げるだけだし。
大勢の人が認めてることを全部インチキ扱いするんだからどうしようもないよ。「相対論は実証されていない、実験データの捏造だ!」って言ってるトンデモさんと一緒やん。
もう相手にする必要ないで。
51. 工学
2004/06/14(月) 23:10:03
>では、「自然治癒」にあたるのはこの場合何なのですか?
いや、風邪引いても別に自然治癒するだろ。
もっと言えば白血球が云々ってやつ。
>あのですね。音楽理論ってのは、「文法」みたいなもんなんです。理論があって作曲があるんではなくて、理論の方が、作曲の後を追いかけてるんですよ。
そんなのどっちでもいいよ。
もっと直接的な表現にかえるとすれば「物理的に見て脳みそに耳障りが良いと感じさせるような音の組み合わせが多いもの」が名曲で良いのでは?ってことだ。
モーニング娘の歌が全部同じように聞こえるのと同じで、だいたい耳触りのいい音の組み合わせってのがあって、同じようなコードを使いまわしてるだけで深さなど無くても大衆に受ける音楽ができるってこと。
もっともその多様性はクラシックのほうが広いかもしれんが。
ところであなたはオウム真理教が教える神の存在やら幽霊の存在をいちいち信じてるのか?
ともに言葉では説明できないし、感じる人は感じるし、才能が負の人には一生感じられない(努力しだいで感じられる?)という点で芸術の深さとやらと全く同じ構造を取ってるのだが。
(そして俺の上のヤツの態度見ても明らかなように、しばしばそれらを信じてるやつが、その存在を否定する人を強く排除しようとするところまでソックリ)
いや、風邪引いても別に自然治癒するだろ。
もっと言えば白血球が云々ってやつ。
>あのですね。音楽理論ってのは、「文法」みたいなもんなんです。理論があって作曲があるんではなくて、理論の方が、作曲の後を追いかけてるんですよ。
そんなのどっちでもいいよ。
もっと直接的な表現にかえるとすれば「物理的に見て脳みそに耳障りが良いと感じさせるような音の組み合わせが多いもの」が名曲で良いのでは?ってことだ。
モーニング娘の歌が全部同じように聞こえるのと同じで、だいたい耳触りのいい音の組み合わせってのがあって、同じようなコードを使いまわしてるだけで深さなど無くても大衆に受ける音楽ができるってこと。
もっともその多様性はクラシックのほうが広いかもしれんが。
ところであなたはオウム真理教が教える神の存在やら幽霊の存在をいちいち信じてるのか?
ともに言葉では説明できないし、感じる人は感じるし、才能が負の人には一生感じられない(努力しだいで感じられる?)という点で芸術の深さとやらと全く同じ構造を取ってるのだが。
(そして俺の上のヤツの態度見ても明らかなように、しばしばそれらを信じてるやつが、その存在を否定する人を強く排除しようとするところまでソックリ)
52. 工学
2004/06/14(月) 23:15:59
それに
「大勢の人が認めているから」
なんてことはいくらでもひっくり返ってきたことは俺に言われるまでも無いことだろ?
「大勢の人が認めているから」
なんてことはいくらでもひっくり返ってきたことは俺に言われるまでも無いことだろ?
53. 野次馬
2004/06/15(火) 00:34:43
そろそろ誰かここまでの論点まとめてよ
54. とあるコテハン
2004/06/15(火) 00:35:03
音楽が動のという話題に移ったようだが…
まぁ議論に参加する気はないので再び放言。
音楽で「その場において鳴っている音(音楽)」と「認識されている音(音楽)」とは必ずしも同一ではない。
定量的に検討することは現時点では不可能といえるが定性的になら多少は説明できるので
それを少し書き出してみたいと考える。
人間(動物もっと広げれば感覚器と中枢のある生物、ただしここでは認識という点が問題になるので
高次脳機能を持つと推定できる動物に限定します)の脳では、
常に物事の「本質」を一切の瑕疵なく捉えているわけではない。
感覚器から入った信号は様々な削り込みや肉付けをされて最終的に認識の対象となる。
この修飾的な過程は種が同一ならおそらくだいたいは同じ(「危険」に際しての反応など)と考えられるが
こと芸術に関しては対象が、例えば音楽では楽器編成や音の流れや構築であったり美術では
立体的な構図や描かれた対象(抽象画では対象が存在するわけではないけれども)であったりするような
要素によって、鑑賞者の過去の経験、知識、感情などをある程度惹起している。
鑑賞者が認識するのはその加工された対象であり、これは自覚できるものであれば想い出などと共に
想起されることもあるし、自覚できないものであればいいようのしれない感情となることもある。
こういう対象の変容は芸術に限ったことでなく、「プロのスポーツ選手がどうのこうの」という話題において
「一般の健常人とは身体能力が違う」とされることとそれほど変わるところはない。
音楽が認識されるまでに付加されうる要素というのは当然過去のものだけではなく、
演奏者の表情や会場の雰囲気など即時的なものも含まれる。
もちろんこれは鑑賞者が感じ取ったその場の情況でといえる。
ある程度その違いをfMRIなどによって対象化することはできるものの抽象的に扱うのは難しいというのが現状。
こういった現象を十分に加味しないで議論するのはいささかみっともないのでは?
まぁ議論に参加する気はないので再び放言。
音楽で「その場において鳴っている音(音楽)」と「認識されている音(音楽)」とは必ずしも同一ではない。
定量的に検討することは現時点では不可能といえるが定性的になら多少は説明できるので
それを少し書き出してみたいと考える。
人間(動物もっと広げれば感覚器と中枢のある生物、ただしここでは認識という点が問題になるので
高次脳機能を持つと推定できる動物に限定します)の脳では、
常に物事の「本質」を一切の瑕疵なく捉えているわけではない。
感覚器から入った信号は様々な削り込みや肉付けをされて最終的に認識の対象となる。
この修飾的な過程は種が同一ならおそらくだいたいは同じ(「危険」に際しての反応など)と考えられるが
こと芸術に関しては対象が、例えば音楽では楽器編成や音の流れや構築であったり美術では
立体的な構図や描かれた対象(抽象画では対象が存在するわけではないけれども)であったりするような
要素によって、鑑賞者の過去の経験、知識、感情などをある程度惹起している。
鑑賞者が認識するのはその加工された対象であり、これは自覚できるものであれば想い出などと共に
想起されることもあるし、自覚できないものであればいいようのしれない感情となることもある。
こういう対象の変容は芸術に限ったことでなく、「プロのスポーツ選手がどうのこうの」という話題において
「一般の健常人とは身体能力が違う」とされることとそれほど変わるところはない。
音楽が認識されるまでに付加されうる要素というのは当然過去のものだけではなく、
演奏者の表情や会場の雰囲気など即時的なものも含まれる。
もちろんこれは鑑賞者が感じ取ったその場の情況でといえる。
ある程度その違いをfMRIなどによって対象化することはできるものの抽象的に扱うのは難しいというのが現状。
こういった現象を十分に加味しないで議論するのはいささかみっともないのでは?
55. 鬱ってる
2004/06/15(火) 01:06:09
工学の言ってることは、「この世の全ては物理的な言葉で記述できる」ということだろう。
仮にそれを認めても、そこから「芸術などは科学的にはアホらしい」という結論を導くのは、論理が飛躍してるけどね。
あたかも「この世は原子でできているんだから、経済学なんて科学的にはアホらしい」というのと同様に的外れ。
ましてや、「芸術愛好家など全員ただの権威主義者」というに至っては、間違ってるし、何の根拠もない。
分からないことは分からないと認めるのが科学的なのであって、工学は自分の偏見に縛られてるだけなんだよ。
仮にそれを認めても、そこから「芸術などは科学的にはアホらしい」という結論を導くのは、論理が飛躍してるけどね。
あたかも「この世は原子でできているんだから、経済学なんて科学的にはアホらしい」というのと同様に的外れ。
ましてや、「芸術愛好家など全員ただの権威主義者」というに至っては、間違ってるし、何の根拠もない。
分からないことは分からないと認めるのが科学的なのであって、工学は自分の偏見に縛られてるだけなんだよ。
56. >野次馬
2004/06/15(火) 04:03:50
工学は言うことが一貫していないしすぐ変わるからわかりにくいのだが。
工学の主張
・自然科学のみが正しい学問で、文系学問は権威と主観だけのアホなもの
・科学は理性と論理のみ。感覚は無縁。よってそれを主張したポアンカレはアホ
・科学は哲学と無関係。よって方法序説などというくだらんものを書いたデカルトはアホ
・学問の価値は役に立つかどうか。よってカミオカンデも無駄
→しかし、「文系学問も役に立つものがある」との反論に答えず
・自然科学など、数式で示されたものは全て正しい
→後に撤回。科学における「仮定」など、例外があることを認める
・科学は一種の「宗教」だが、これを信仰することは「得」
・そして、科学的に考えれば倫理や道徳や芸術など全て下らん
・文系学問や倫理や道徳は権威による押しつけ
→「権威」とは何かとの問いには一切答えず
・力こそが正義。倫理などない。福祉は不要。高齢者や障害者を生かすのは無駄
・原爆投下で相対論が実証できるならそれぐらいの被害など安いものだ
・文系学問や芸術に「深さ」などない。全ては権威による虚構
↑現在の論点はこれ。他の論点は論破されかけると話を変える、反論を無視する、で逃げ続けているが、要は「工学」流の「科学主義」に反するものは全て「権威による押しつけ」であり「アホ」というのがその主張の要約。そのくせ、その主張のどこが「科学的」なのかとの問いには答えず
こういうむちゃくちゃな主張を、「工学系院生」「霞」の両氏をはじめとする人がたしなめ続ける展開。しかしたまに「工学」擁護派も出現するが、いずれも主観の羅列で根拠を欠く。
工学の主張
・自然科学のみが正しい学問で、文系学問は権威と主観だけのアホなもの
・科学は理性と論理のみ。感覚は無縁。よってそれを主張したポアンカレはアホ
・科学は哲学と無関係。よって方法序説などというくだらんものを書いたデカルトはアホ
・学問の価値は役に立つかどうか。よってカミオカンデも無駄
→しかし、「文系学問も役に立つものがある」との反論に答えず
・自然科学など、数式で示されたものは全て正しい
→後に撤回。科学における「仮定」など、例外があることを認める
・科学は一種の「宗教」だが、これを信仰することは「得」
・そして、科学的に考えれば倫理や道徳や芸術など全て下らん
・文系学問や倫理や道徳は権威による押しつけ
→「権威」とは何かとの問いには一切答えず
・力こそが正義。倫理などない。福祉は不要。高齢者や障害者を生かすのは無駄
・原爆投下で相対論が実証できるならそれぐらいの被害など安いものだ
・文系学問や芸術に「深さ」などない。全ては権威による虚構
↑現在の論点はこれ。他の論点は論破されかけると話を変える、反論を無視する、で逃げ続けているが、要は「工学」流の「科学主義」に反するものは全て「権威による押しつけ」であり「アホ」というのがその主張の要約。そのくせ、その主張のどこが「科学的」なのかとの問いには答えず
こういうむちゃくちゃな主張を、「工学系院生」「霞」の両氏をはじめとする人がたしなめ続ける展開。しかしたまに「工学」擁護派も出現するが、いずれも主観の羅列で根拠を欠く。
57. 野次馬
2004/06/15(火) 09:57:28
なるほど。科学も仮定、つまり外の世界に対する解釈の方法の一つにすぎないことは認めているわけですね。
私自身は、合理的な議論で検証できるような方法で実験を行うことが出来る点で、自然科学は他の学問に比べて独自の地位を持つと思いますが、それは自然科学の対象が単純だからであって、そのことを以って他の学問を研究することを否定するのはやはり無茶かと。
存在意義に関しては、権威に盲目に従っているだけとしても、これらの学問を学びたいという人が多くいる時点で十分にある、というんじゃ駄目なんだろうか、と思いました。
以上、通りすがりの野次馬の感想。
私自身は、合理的な議論で検証できるような方法で実験を行うことが出来る点で、自然科学は他の学問に比べて独自の地位を持つと思いますが、それは自然科学の対象が単純だからであって、そのことを以って他の学問を研究することを否定するのはやはり無茶かと。
存在意義に関しては、権威に盲目に従っているだけとしても、これらの学問を学びたいという人が多くいる時点で十分にある、というんじゃ駄目なんだろうか、と思いました。
以上、通りすがりの野次馬の感想。
58. 工学系院生
2004/06/15(火) 15:03:36
>工学君
>もっと直接的な表現にかえるとすれば「物理的に見て脳みそに耳障りが良いと感じさせるような音の組み合わせが多いもの」が名曲で良いのでは?ってことだ。
>モーニング娘の歌が全部同じように聞こえるのと同じで、だいたい耳触りのいい音の組み合わせってのがあって、同じようなコードを使いまわしてるだけで深さなど無くても大衆に受ける音楽ができるってこと。
それはある意味ではそうです。言葉遣いに気になる点はありますが、今はまあ良いでしょう。
しかし、たとえばモーニング娘。などの歌では刺激されない部分を芸術音楽が刺激するのだとしたら、それを「深さ」と呼べばよい話です。言葉の定義の問題ですね。
とはいうものの、とあるコテハンさんが書いてくれたこととも関連するのですが、そういった脳生理学的な分析は現在のところないに等しい状態ですし、そういう音楽をどうやって作るかということに関しては、「先天的な資質を持ったごく少数の人」が経験と訓練によって行う以外の方法は全く見出されていない、お手上げです。
まあ、いずれにしても仮にそうだとして、そこから「芸術など科学的に見れば下らない」という結論がどう出てくるか少しもわかりません。
>ところであなたはオウム真理教が教える神の存在やら幽霊の存在をいちいち信じてるのか?
意味不明ですね。宗教は全部オウムなのですか?
まあ、オウム云々は無視して、仏教やキリスト教などまともな宗教の話をします。神に関していえば、「信じる者にとって神はいる」というのが私の答えです。もっといえば「神」をどう定義するかの問題ですね。それと、幽霊は民間信仰であって、宗教の体系的な教義に組み込まれたものではないと思いますがね。
>ともに言葉では説明できないし、感じる人は感じるし、才能が負の人には一生感じられない(努力しだいで感じられる?)という点で芸術の深さとやらと全く同じ構造を取ってるのだが。
「負の才能の持ち主」とは、「才能が負の人」でなくて「先天的な資質を著しく欠く人」、つまりごく少数の「負の天才」のことなのですがね。まあそれはいいとして。
一つだけ言っておくと、「幽霊の存在」に関しては肯定的な実験事実はありませんし、否定的な事実は多くあります。
しかし、多分君は誤解していると思うが、「神の存在」に対して否定的な実験事実はないのです。地動説など、宗教界が激震にさらされたこともありましたが、「それは今までの教義解釈が誤っていただけだ」としてその問題はことごとく切り抜けられてしまっているのです。
もともと近代科学というものは、キリスト教徒が「神の御業」を知ろうとして始めた運動なのであって、それによって従来の教義が否定されても「教義解釈の誤りを正した」としてむしろ長期的には神学上の成果として分類されてしまうものです。
だから、科学者がクリスチャンであることには何の矛盾もない(少なくとも見つかっていない)ので、「科学」を受け入れて「神」を信じないのと、「科学」を受け入れつつ「神」を信じることは
で、それらの事実を知ってもらったうえであれば、「クリスチャンにとっての神の存在」と「我々にとっての『文系学問』や『芸術』の価値の存在」を等価に扱ってもらっても結構です。
>(そして俺の上のヤツの態度見ても明らかなように、しばしばそれらを信じてるやつが、その存在を否定する人を強く排除しようとするところまでソックリ)
それもまた、「それはあなたが言ったことだ」です。もともとこの議論は、「文系学問」や「芸術」の価値を否定しようとして君が持ち出したものだということをお忘れなく。
>それに
>「大勢の人が認めているから」
>なんてことはいくらでもひっくり返ってきたことは俺に言われるまでも無いことだろ?
同様に科学だってひっくり返る可能性はありますね。そういう意味ではその批判には意味がない。
>もっと直接的な表現にかえるとすれば「物理的に見て脳みそに耳障りが良いと感じさせるような音の組み合わせが多いもの」が名曲で良いのでは?ってことだ。
>モーニング娘の歌が全部同じように聞こえるのと同じで、だいたい耳触りのいい音の組み合わせってのがあって、同じようなコードを使いまわしてるだけで深さなど無くても大衆に受ける音楽ができるってこと。
それはある意味ではそうです。言葉遣いに気になる点はありますが、今はまあ良いでしょう。
しかし、たとえばモーニング娘。などの歌では刺激されない部分を芸術音楽が刺激するのだとしたら、それを「深さ」と呼べばよい話です。言葉の定義の問題ですね。
とはいうものの、とあるコテハンさんが書いてくれたこととも関連するのですが、そういった脳生理学的な分析は現在のところないに等しい状態ですし、そういう音楽をどうやって作るかということに関しては、「先天的な資質を持ったごく少数の人」が経験と訓練によって行う以外の方法は全く見出されていない、お手上げです。
まあ、いずれにしても仮にそうだとして、そこから「芸術など科学的に見れば下らない」という結論がどう出てくるか少しもわかりません。
>ところであなたはオウム真理教が教える神の存在やら幽霊の存在をいちいち信じてるのか?
意味不明ですね。宗教は全部オウムなのですか?
まあ、オウム云々は無視して、仏教やキリスト教などまともな宗教の話をします。神に関していえば、「信じる者にとって神はいる」というのが私の答えです。もっといえば「神」をどう定義するかの問題ですね。それと、幽霊は民間信仰であって、宗教の体系的な教義に組み込まれたものではないと思いますがね。
>ともに言葉では説明できないし、感じる人は感じるし、才能が負の人には一生感じられない(努力しだいで感じられる?)という点で芸術の深さとやらと全く同じ構造を取ってるのだが。
「負の才能の持ち主」とは、「才能が負の人」でなくて「先天的な資質を著しく欠く人」、つまりごく少数の「負の天才」のことなのですがね。まあそれはいいとして。
一つだけ言っておくと、「幽霊の存在」に関しては肯定的な実験事実はありませんし、否定的な事実は多くあります。
しかし、多分君は誤解していると思うが、「神の存在」に対して否定的な実験事実はないのです。地動説など、宗教界が激震にさらされたこともありましたが、「それは今までの教義解釈が誤っていただけだ」としてその問題はことごとく切り抜けられてしまっているのです。
もともと近代科学というものは、キリスト教徒が「神の御業」を知ろうとして始めた運動なのであって、それによって従来の教義が否定されても「教義解釈の誤りを正した」としてむしろ長期的には神学上の成果として分類されてしまうものです。
だから、科学者がクリスチャンであることには何の矛盾もない(少なくとも見つかっていない)ので、「科学」を受け入れて「神」を信じないのと、「科学」を受け入れつつ「神」を信じることは
で、それらの事実を知ってもらったうえであれば、「クリスチャンにとっての神の存在」と「我々にとっての『文系学問』や『芸術』の価値の存在」を等価に扱ってもらっても結構です。
>(そして俺の上のヤツの態度見ても明らかなように、しばしばそれらを信じてるやつが、その存在を否定する人を強く排除しようとするところまでソックリ)
それもまた、「それはあなたが言ったことだ」です。もともとこの議論は、「文系学問」や「芸術」の価値を否定しようとして君が持ち出したものだということをお忘れなく。
>それに
>「大勢の人が認めているから」
>なんてことはいくらでもひっくり返ってきたことは俺に言われるまでも無いことだろ?
同様に科学だってひっくり返る可能性はありますね。そういう意味ではその批判には意味がない。
59. 工学系院生
2004/06/15(火) 15:07:25
上の投稿にミスがありました。
>だから、科学者がクリスチャンであることには何の矛盾もない(少なくとも見つかっていない)ので、「科学」を受け入れて「神」を信じないのと、「科学」を受け入れつつ「神」を信じることは
この文章の末尾に「どちらも成り立ち得る立場であり、どちらが正しいとも言い切れません。少なくともそう考えるのが論理的・『科学的』な思考というものでしょう。」を追加してください。まあ、わかると思いますが。
>だから、科学者がクリスチャンであることには何の矛盾もない(少なくとも見つかっていない)ので、「科学」を受け入れて「神」を信じないのと、「科学」を受け入れつつ「神」を信じることは
この文章の末尾に「どちらも成り立ち得る立場であり、どちらが正しいとも言い切れません。少なくともそう考えるのが論理的・『科学的』な思考というものでしょう。」を追加してください。まあ、わかると思いますが。
60. いまもう一人の理学部
2004/06/15(火) 18:21:00
>工学
もっと科学を勉強したまえ。
君の考え方は科学にどっぷり使っているものの考え方としてすら洗練されていない。
もっと科学を勉強したまえ。
君の考え方は科学にどっぷり使っているものの考え方としてすら洗練されていない。
61. 通りすがり
2004/06/15(火) 22:19:01
>F=maでリンゴが落ちる現象を読み取る力はあっても、数式になってない「何か」を感じ取る能力なんて無い
翻訳
数式という形で単純な因果関係を示されている現象についてのみ、現実でそれに対応するものを見い出すことが出来るが、数式という形で表現されてない現象については、現実でそれに対応するようなものを感じ取ることが出来ない。
寸評
これぞまさしく逆転の発想。
翻訳
数式という形で単純な因果関係を示されている現象についてのみ、現実でそれに対応するものを見い出すことが出来るが、数式という形で表現されてない現象については、現実でそれに対応するようなものを感じ取ることが出来ない。
寸評
これぞまさしく逆転の発想。
62. 霞
2004/06/16(水) 14:24:18
>>>>どうして、音楽にそういう力があるから、と思えないのですか?
>>>思えるわけが無い。
例えるなら
毎日神様に病気の回復をお祈りしてたら本当に治った人に、俺がそれは自然治癒だと指摘したら「どうして神様にそういう力があるからと思えないんですか?」って言われるようなもので・・。
>>じゃあ、「治った」ことは認めるんですね?
では、「自然治癒」にあたるのはこの場合何なのですか?
>いや、風邪引いても別に自然治癒するだろ。
もっと言えば白血球が云々ってやつ。
なんか議論が途切れてるみたいなんで(でもそれなりに大事な部分だと思うんで)補足。
工学系院生さんの言葉を工学君が理解しきれてないみたいですね。もう少し言葉を変えて言うと、
音楽には、ただの音の羅列(より科学的にいうとただの波調の集合体となるかな?)以上の「力」が含まれており、それが機械によって人間を真似て演奏される音楽と、生身の人間が感情や思いに任せて演奏する音楽との違いとなる。そしてそれは音楽だけではなく絵画などの芸術全般に関して言えることである。
こういう工学系院生さんの言葉に対し、工学君は理解できないと書いた。そこで、
例え自然治癒によって病気が治っても、その人がなんらかの宗教の神を信じて祈っていれば、それは自然治癒ではなくその神の奇跡の力ということになる。だから芸術の「力」などはまやかしである。
その反論に対し、院生さんは、
工学君は少なくとも、今の発言において自然治癒が起こったことは認めている。つまり、芸術においても何らかの「自然治癒」に当たるものが起こり、院生さんにとっては、それは主に感動とか、価値観の変革などを引き起こすのであり、それは芸術の持つ「力」によって発生すると解釈できるわけだ。
だから工学君の解釈においては、「自然治癒」とは何か、そしてその「自然治癒」を引き起こすものは何か、と問うている。
それに対して工学君は、白血球がどうのこうのと、なぜかただの自然治癒について述べている。
もう少し相手の議論をはっきりと見据え、一つ一つの言葉が何を意味しているのか考えながらしゃべりましょう。この場合の「自然治癒」とは、放っておいて怪我が治るという種類のものではない。
工学君の最初の例示では確かに普通の意味の自然治癒でしたが、院生さんが「」を付けて表示し、「この場合何なのですか」と書いている。「この場合」とは「音楽」あるいは「芸術」の場合であって、最初の病人が治る云々とはもう議論が違ってきている。
→通りすがりさん
>寸評
これぞまさしく逆転の発想。
まさにそう。自然科学とは本来、自然界に存在する不思議を合理的説明によって記述する学問。なにか現実に不思議を感じ、それをうまく説明する方法を(感覚で)思いつき、それから最後に数式で表して証明するのが手順。
ただ問題なのは、あなたの「翻訳」があっているかどうか判断しにくいというところですが。
工学君の言葉は、彼自身の考えと多少ずれていることが多いので。
なんか全般的に議論が堂々巡りになってきて、しかも本来の趣旨とは外れてます。「文型学部の存在意義」って、なんかみんな議論したくないんですかね(笑)
この芸術に関する議論は、あじの塩焼きさんの
>2004/06/13(日) 14:05:52
の発言が一番正鵠を射ているような気がします。
私自身、個人的にいえば、宗教と芸術をまったく同一視するのはどうかと思うけど、結局のところ、人は自分が信じた価値基準でのみ世界を体系的に理解しようとするんですよ。科学的にいって確かに、病気の人が薬も何も投与せずに普通に治れば、それは科学の世界の言葉で言えば「自然治癒」となるでしょう。でも宗教の世界で言えば、それは善行の積み重ねによるだとか、神の奇跡だとか、まあ色々説明されるわけです。
科学の世界の人間が宗教を合理的でないと批判するのであれば、宗教の世界の人間は科学を冒涜的だというでしょう。そんなもんなんです。
芸術によって引き起こされる感動だって、(全く理解できないと自称する)工学君にとっては、所詮まやかしです。でも、高等数学や自然科学なんか理解できない子供にとっては、それは魔法みたいなもんですね(子供のときに、この世界が高速で回転している、宇宙はひたすら広がり続けているなどと聞いて、素直に信じることができた人はいたのでしょうか?)。
工学君は生まれて始めてその理論を聞いたときに、即座にわかった、あるいはその理論を聞く前から体感してわかってたんですかね。もしわからなかったのなら、そのときにあなたは、今のあなた自身が芸術なんて理解できない、権威による押し付けだと主張するのと全く完全に同様に、科学なんてわからない、大人は嘘をついていると主張したことでしょうね。
>>>思えるわけが無い。
例えるなら
毎日神様に病気の回復をお祈りしてたら本当に治った人に、俺がそれは自然治癒だと指摘したら「どうして神様にそういう力があるからと思えないんですか?」って言われるようなもので・・。
>>じゃあ、「治った」ことは認めるんですね?
では、「自然治癒」にあたるのはこの場合何なのですか?
>いや、風邪引いても別に自然治癒するだろ。
もっと言えば白血球が云々ってやつ。
なんか議論が途切れてるみたいなんで(でもそれなりに大事な部分だと思うんで)補足。
工学系院生さんの言葉を工学君が理解しきれてないみたいですね。もう少し言葉を変えて言うと、
音楽には、ただの音の羅列(より科学的にいうとただの波調の集合体となるかな?)以上の「力」が含まれており、それが機械によって人間を真似て演奏される音楽と、生身の人間が感情や思いに任せて演奏する音楽との違いとなる。そしてそれは音楽だけではなく絵画などの芸術全般に関して言えることである。
こういう工学系院生さんの言葉に対し、工学君は理解できないと書いた。そこで、
例え自然治癒によって病気が治っても、その人がなんらかの宗教の神を信じて祈っていれば、それは自然治癒ではなくその神の奇跡の力ということになる。だから芸術の「力」などはまやかしである。
その反論に対し、院生さんは、
工学君は少なくとも、今の発言において自然治癒が起こったことは認めている。つまり、芸術においても何らかの「自然治癒」に当たるものが起こり、院生さんにとっては、それは主に感動とか、価値観の変革などを引き起こすのであり、それは芸術の持つ「力」によって発生すると解釈できるわけだ。
だから工学君の解釈においては、「自然治癒」とは何か、そしてその「自然治癒」を引き起こすものは何か、と問うている。
それに対して工学君は、白血球がどうのこうのと、なぜかただの自然治癒について述べている。
もう少し相手の議論をはっきりと見据え、一つ一つの言葉が何を意味しているのか考えながらしゃべりましょう。この場合の「自然治癒」とは、放っておいて怪我が治るという種類のものではない。
工学君の最初の例示では確かに普通の意味の自然治癒でしたが、院生さんが「」を付けて表示し、「この場合何なのですか」と書いている。「この場合」とは「音楽」あるいは「芸術」の場合であって、最初の病人が治る云々とはもう議論が違ってきている。
→通りすがりさん
>寸評
これぞまさしく逆転の発想。
まさにそう。自然科学とは本来、自然界に存在する不思議を合理的説明によって記述する学問。なにか現実に不思議を感じ、それをうまく説明する方法を(感覚で)思いつき、それから最後に数式で表して証明するのが手順。
ただ問題なのは、あなたの「翻訳」があっているかどうか判断しにくいというところですが。
工学君の言葉は、彼自身の考えと多少ずれていることが多いので。
なんか全般的に議論が堂々巡りになってきて、しかも本来の趣旨とは外れてます。「文型学部の存在意義」って、なんかみんな議論したくないんですかね(笑)
この芸術に関する議論は、あじの塩焼きさんの
>2004/06/13(日) 14:05:52
の発言が一番正鵠を射ているような気がします。
私自身、個人的にいえば、宗教と芸術をまったく同一視するのはどうかと思うけど、結局のところ、人は自分が信じた価値基準でのみ世界を体系的に理解しようとするんですよ。科学的にいって確かに、病気の人が薬も何も投与せずに普通に治れば、それは科学の世界の言葉で言えば「自然治癒」となるでしょう。でも宗教の世界で言えば、それは善行の積み重ねによるだとか、神の奇跡だとか、まあ色々説明されるわけです。
科学の世界の人間が宗教を合理的でないと批判するのであれば、宗教の世界の人間は科学を冒涜的だというでしょう。そんなもんなんです。
芸術によって引き起こされる感動だって、(全く理解できないと自称する)工学君にとっては、所詮まやかしです。でも、高等数学や自然科学なんか理解できない子供にとっては、それは魔法みたいなもんですね(子供のときに、この世界が高速で回転している、宇宙はひたすら広がり続けているなどと聞いて、素直に信じることができた人はいたのでしょうか?)。
工学君は生まれて始めてその理論を聞いたときに、即座にわかった、あるいはその理論を聞く前から体感してわかってたんですかね。もしわからなかったのなら、そのときにあなたは、今のあなた自身が芸術なんて理解できない、権威による押し付けだと主張するのと全く完全に同様に、科学なんてわからない、大人は嘘をついていると主張したことでしょうね。
63. 工学系院生
2004/06/16(水) 15:50:05
>霞さん
フォローしてくださったのはありがたいんですが、誤解が二、三あるようです。わかりにくくて申し訳ありません。
>音楽には、ただの音の羅列(より科学的にいうとただの波調の集合体となるかな?)以上の「力」が含まれており、それが機械によって人間を真似て演奏される音楽と、生身の人間が感情や思いに任せて演奏する音楽との違いとなる。そしてそれは音楽だけではなく絵画などの芸術全般に関して言えることである。
それは私の主張と少し違います。私の主張をもう少し正確に書けば、
芸術表現は一種の言語のようなものと捉えられる。外国語のニュアンスを日本語に翻訳しきれないのと同様、芸術表現は、日常言語あるいは数学的言語に完全には翻訳し得ない。芸術表現のニュアンスは最終的には、フランス人がフランス語をそのまま理解できるように、たとえば音楽を音楽それ自体として理解するしかない。その意味で音楽の感動は言語化して説明することは最終的には不可能。
ということです。
それ以下に関しては、特に問題はありません。
>なんか全般的に議論が堂々巡りになってきて、しかも本来の趣旨とは外れてます。「文型学部の存在意義」って、なんかみんな議論したくないんですかね(笑)
私が思うに、彼の中で「芸術が否定されるべき理由」と「文系学部の存在が否定されるべき理由」は同一の源に発するので、その誤解自体を潰してやらないとどうしようもないのではないかと。
>科学的にいって確かに、病気の人が薬も何も投与せずに普通に治れば、それは科学の世界の言葉で言えば「自然治癒」となるでしょう。でも宗教の世界で言えば、それは善行の積み重ねによるだとか、神の奇跡だとか、まあ色々説明されるわけです。
何か少しずれているような気がします。工学君は「現代において宗教は科学によって克服された」と主張しているのに、中世以前の宗教観を持ち出しては話が混乱するだけではないかと。
>科学の世界の人間が宗教を合理的でないと批判するのであれば、宗教の世界の人間は科学を冒涜的だというでしょう。そんなもんなんです。
それも中世と近代以降が混同されている気がします。ご存知とは思いますが、近代科学は元々は「自然哲学」であり、その元を辿れば神学に行き着くわけですから、少なくともキリスト教世界の人にとって宗教と科学は本質的には対立するものではなく、せいぜいが、保守派と急進派の内部対立です。教義解釈上の問題ですから。
キリスト教以外の各宗教にしたところで、ユダヤ教やイスラム教は元々キリスト教と源を一にするわけですから、科学の受容はできているわけですし(そもそも、近代科学自体、アラブ世界の強い影響の下に成立している!)、仏教は元々、世界は「法(ダルマ)」に則って動いているという世界観ですし、近代科学を受け入れるかどうかは教義解釈上の問題に過ぎません。実際、一部の原理主義者を除いて、近代科学が拒否されていることは現実問題としてないでしょう。
ですから、科学と宗教は元々両立しうる二体系であり、対立するものとして捉えること自体がそもそもおかしいのではないかと思うのです。
そしてその構造が、科学と芸術の間にも成り立つはずだという限りにおいて、私は宗教と芸術を同一視したにすぎません。
問題は、半ば科学の装いをかぶったカルト教団です。ですが、彼らの世界観は稚拙で容易に矛盾が見つかるものですから、長い間の激震を生き延びてきた伝統宗教各派と同一視することはできませんし、今回の議論の蚊帳の外のものでしょう。それゆえ、私は工学君の「オウム真理教」云々という言明を無視すべきものとしたわけです。
フォローしてくださったのはありがたいんですが、誤解が二、三あるようです。わかりにくくて申し訳ありません。
>音楽には、ただの音の羅列(より科学的にいうとただの波調の集合体となるかな?)以上の「力」が含まれており、それが機械によって人間を真似て演奏される音楽と、生身の人間が感情や思いに任せて演奏する音楽との違いとなる。そしてそれは音楽だけではなく絵画などの芸術全般に関して言えることである。
それは私の主張と少し違います。私の主張をもう少し正確に書けば、
芸術表現は一種の言語のようなものと捉えられる。外国語のニュアンスを日本語に翻訳しきれないのと同様、芸術表現は、日常言語あるいは数学的言語に完全には翻訳し得ない。芸術表現のニュアンスは最終的には、フランス人がフランス語をそのまま理解できるように、たとえば音楽を音楽それ自体として理解するしかない。その意味で音楽の感動は言語化して説明することは最終的には不可能。
ということです。
それ以下に関しては、特に問題はありません。
>なんか全般的に議論が堂々巡りになってきて、しかも本来の趣旨とは外れてます。「文型学部の存在意義」って、なんかみんな議論したくないんですかね(笑)
私が思うに、彼の中で「芸術が否定されるべき理由」と「文系学部の存在が否定されるべき理由」は同一の源に発するので、その誤解自体を潰してやらないとどうしようもないのではないかと。
>科学的にいって確かに、病気の人が薬も何も投与せずに普通に治れば、それは科学の世界の言葉で言えば「自然治癒」となるでしょう。でも宗教の世界で言えば、それは善行の積み重ねによるだとか、神の奇跡だとか、まあ色々説明されるわけです。
何か少しずれているような気がします。工学君は「現代において宗教は科学によって克服された」と主張しているのに、中世以前の宗教観を持ち出しては話が混乱するだけではないかと。
>科学の世界の人間が宗教を合理的でないと批判するのであれば、宗教の世界の人間は科学を冒涜的だというでしょう。そんなもんなんです。
それも中世と近代以降が混同されている気がします。ご存知とは思いますが、近代科学は元々は「自然哲学」であり、その元を辿れば神学に行き着くわけですから、少なくともキリスト教世界の人にとって宗教と科学は本質的には対立するものではなく、せいぜいが、保守派と急進派の内部対立です。教義解釈上の問題ですから。
キリスト教以外の各宗教にしたところで、ユダヤ教やイスラム教は元々キリスト教と源を一にするわけですから、科学の受容はできているわけですし(そもそも、近代科学自体、アラブ世界の強い影響の下に成立している!)、仏教は元々、世界は「法(ダルマ)」に則って動いているという世界観ですし、近代科学を受け入れるかどうかは教義解釈上の問題に過ぎません。実際、一部の原理主義者を除いて、近代科学が拒否されていることは現実問題としてないでしょう。
ですから、科学と宗教は元々両立しうる二体系であり、対立するものとして捉えること自体がそもそもおかしいのではないかと思うのです。
そしてその構造が、科学と芸術の間にも成り立つはずだという限りにおいて、私は宗教と芸術を同一視したにすぎません。
問題は、半ば科学の装いをかぶったカルト教団です。ですが、彼らの世界観は稚拙で容易に矛盾が見つかるものですから、長い間の激震を生き延びてきた伝統宗教各派と同一視することはできませんし、今回の議論の蚊帳の外のものでしょう。それゆえ、私は工学君の「オウム真理教」云々という言明を無視すべきものとしたわけです。
64. 霞
2004/06/16(水) 17:18:42
すいません。色々と言葉足らずでした。
院生さんの主張は大体わかってると思います。
>絵の本質は絵そのものです
>絵は絵以上の何ものでもない。
>しかし、絵は絵のモデル以上の何ものかではあり得る
という部分に現れてますね。もちろん音楽も同様。ですが工学君にとって大事な部分は、どちらかというと本質論ではなく、それを鑑賞するときに必然的に出てくる人による解釈の違い(彼の言葉を借りれば「曖昧さ」)かなーと思います。だから音楽による感動、などを中心においた書き方をしました。
もちろん私も含めて芸術好きな人間は、本質の方をわかってもらいたいわけですが。。。
ただ、やはり私の説明が足りなかったの事実ですね。すいません。
>彼の中で「芸術が否定されるべき理由」と「文系学部の存在が否定されるべき理由」は同一の源
ま、確かにそうですね。ただ、彼は芸術に関してある程度理解したとしても、今度は文系学部が遊んでばかりいること(教授や研究室からやらされる勉強が少ないこと)に対して再び、色々と言い出すやろうなーと思いまして。。。それにこのスレは工学君を説得するためだけに使うもんでもないし(汗)本来の議論ができないものかな、、、と。
うーん、なんか私のさっきの書き込み、かなりボケてるな(笑)ごめんなさい。
さて、最後に宗教です。私はそんなに宗教学や神学に詳しくないので詳論は避けながらいきます。
確かに院生さんのおっしゃるとおり、現代宗教においては科学はある程度容認され、私や工学君の書いたような極端な「神の奇跡」だとか「祈りの効果」だとか、そんなものはもうあまり信じられてないです(少なくとも、盲目的に信じられていることではない)。だから現代においてはある程度の両立ができているという部分には私も賛同です。
ですが、ここに至るまでに、いったいどれほどの年月がかかりました?宗教が自分たちの教義と相反する、あるいは相容れない他の価値観との融和点を見出すのは、ものすごく時間のかかることであり(確か、ローマカトリック教会が公式的に地動説を承認したのは、1990年代に入ってからだったと思います。ガリレオの発見から300年以上経ってます)、また表面のみを取り繕っている部分もあります。そしてまた現在でも、その融和点が見つかっていない部分もあります。一神教を信ずる者たちの中で、未だに他の神を信ずるものを邪教徒と断じて排除しようとする集団もあるわけですね。
別に、ローマ教会が公式な承認を出すまで信者がみな地動説を信じていなかったかというと、もちろんそんなわけはないんですが、でもやはり、教会ではそのように説教し、まだ科学的な世界の構造など何も知らない子供から、ちゃんとわかっている大人までが一緒に聞くのです。つまり、子供は、いったんはそう信じる(こともある)。私は海外に行ったときに、同じ旅行者のドイツ人と宗教について少し議論しましたが、(ご両親が敬虔なキリスト教徒であるらしく)彼も幼いときにはやはりその世界観にある程度住んでいたらしいのです。
院生さんの主張は大体わかってると思います。
>絵の本質は絵そのものです
>絵は絵以上の何ものでもない。
>しかし、絵は絵のモデル以上の何ものかではあり得る
という部分に現れてますね。もちろん音楽も同様。ですが工学君にとって大事な部分は、どちらかというと本質論ではなく、それを鑑賞するときに必然的に出てくる人による解釈の違い(彼の言葉を借りれば「曖昧さ」)かなーと思います。だから音楽による感動、などを中心においた書き方をしました。
もちろん私も含めて芸術好きな人間は、本質の方をわかってもらいたいわけですが。。。
ただ、やはり私の説明が足りなかったの事実ですね。すいません。
>彼の中で「芸術が否定されるべき理由」と「文系学部の存在が否定されるべき理由」は同一の源
ま、確かにそうですね。ただ、彼は芸術に関してある程度理解したとしても、今度は文系学部が遊んでばかりいること(教授や研究室からやらされる勉強が少ないこと)に対して再び、色々と言い出すやろうなーと思いまして。。。それにこのスレは工学君を説得するためだけに使うもんでもないし(汗)本来の議論ができないものかな、、、と。
うーん、なんか私のさっきの書き込み、かなりボケてるな(笑)ごめんなさい。
さて、最後に宗教です。私はそんなに宗教学や神学に詳しくないので詳論は避けながらいきます。
確かに院生さんのおっしゃるとおり、現代宗教においては科学はある程度容認され、私や工学君の書いたような極端な「神の奇跡」だとか「祈りの効果」だとか、そんなものはもうあまり信じられてないです(少なくとも、盲目的に信じられていることではない)。だから現代においてはある程度の両立ができているという部分には私も賛同です。
ですが、ここに至るまでに、いったいどれほどの年月がかかりました?宗教が自分たちの教義と相反する、あるいは相容れない他の価値観との融和点を見出すのは、ものすごく時間のかかることであり(確か、ローマカトリック教会が公式的に地動説を承認したのは、1990年代に入ってからだったと思います。ガリレオの発見から300年以上経ってます)、また表面のみを取り繕っている部分もあります。そしてまた現在でも、その融和点が見つかっていない部分もあります。一神教を信ずる者たちの中で、未だに他の神を信ずるものを邪教徒と断じて排除しようとする集団もあるわけですね。
別に、ローマ教会が公式な承認を出すまで信者がみな地動説を信じていなかったかというと、もちろんそんなわけはないんですが、でもやはり、教会ではそのように説教し、まだ科学的な世界の構造など何も知らない子供から、ちゃんとわかっている大人までが一緒に聞くのです。つまり、子供は、いったんはそう信じる(こともある)。私は海外に行ったときに、同じ旅行者のドイツ人と宗教について少し議論しましたが、(ご両親が敬虔なキリスト教徒であるらしく)彼も幼いときにはやはりその世界観にある程度住んでいたらしいのです。
65. 霞
2004/06/16(水) 17:20:20
ですから、院生さんの主張は、確かに宗教をほとんど信じていない(院生さんが実際に宗教を信じているのかどうか私は知らないですが。。。)人間が客観的に宗教と科学の概念を整理して理解するうえでは、正しいものです。しかし、実際にその世界観の中にいた者は、現代世界を席巻する科学に依拠した世界観とのギャップを少し感じるものであり、そこまで理論的にことが運ぶわけじゃないと思います。
そう思って、あえて工学君の現在理解しているレベルの「宗教」(それはつまり、中世的概念における宗教であるわけですが)と同じレベルで書きました。工学君が、まずそのレベルの相対的なものの見方をできるようになってほしいと個人的に思ってるので。
科学ではすでに証明されたことでも、また宗教がその概念を容認していない例は、現代においてもたくさんあるはずなんですが。具体的な事例を挙げたいのですが、いいのが思いつきませんが。。。
つまりこれが示すものは、宗教は科学を完全に認めたわけではないということ。もしちゃんと認めたのならば、いちいち公式見解など出す必要はない。まず教義を信ぜよ、しかる後に世界を理解せよ、相容れないものは教義によって解釈せよ、そういった姿勢は、持っている人がもう非常に少ないでしょうが、少なくとも現代の宗教においてまだまだ保持されているものだと思います。
もちろん、オウム云々は伝統宗教ではないですから、院生さんの主張どおり、蚊帳の外とすべきですね。
それから、某理系四回さんの
>2004/06/12(土) 23:38:47
の書き込み、かなり前のですが、まだ解決できてないみたいですし、芸術云々に関して工学君の言いたいことはきっとここにある程度詰まっているような気がします。彼自身そうかいてますし(笑)
今は時間ないから書きませんが、またこんど書くときにこれについて触れてみようと思います。このあたりが、彼が権威だ権威だと主張する原因でもあり、正直な話、彼の主張を退けることができない部分でもあると思います。
そう思って、あえて工学君の現在理解しているレベルの「宗教」(それはつまり、中世的概念における宗教であるわけですが)と同じレベルで書きました。工学君が、まずそのレベルの相対的なものの見方をできるようになってほしいと個人的に思ってるので。
科学ではすでに証明されたことでも、また宗教がその概念を容認していない例は、現代においてもたくさんあるはずなんですが。具体的な事例を挙げたいのですが、いいのが思いつきませんが。。。
つまりこれが示すものは、宗教は科学を完全に認めたわけではないということ。もしちゃんと認めたのならば、いちいち公式見解など出す必要はない。まず教義を信ぜよ、しかる後に世界を理解せよ、相容れないものは教義によって解釈せよ、そういった姿勢は、持っている人がもう非常に少ないでしょうが、少なくとも現代の宗教においてまだまだ保持されているものだと思います。
もちろん、オウム云々は伝統宗教ではないですから、院生さんの主張どおり、蚊帳の外とすべきですね。
それから、某理系四回さんの
>2004/06/12(土) 23:38:47
の書き込み、かなり前のですが、まだ解決できてないみたいですし、芸術云々に関して工学君の言いたいことはきっとここにある程度詰まっているような気がします。彼自身そうかいてますし(笑)
今は時間ないから書きませんが、またこんど書くときにこれについて触れてみようと思います。このあたりが、彼が権威だ権威だと主張する原因でもあり、正直な話、彼の主張を退けることができない部分でもあると思います。
66. 工学
2004/06/16(水) 17:29:28
別にキリスト教や仏教でも容易く矛盾が見つかるだろ・・
簡単に一つあげるならどの宗教が教える神が本当の神か?とか
それと音楽の良さを宗教の信者が神を信じるのと同じ次元では俺は認めてるのだから、
音楽のよさと宗教の違いを教えて欲しいものだ。
工学系院生が言ったように彼の音楽歴があって初めてシューベルトの良さなんてものを彼は体感できたわけだ。
シューベルトの音楽がいままでどういう風に解釈されてきたか、その音楽はいつ作られたか、それを作ったときのシューベルトの心身の状態・・などなど。
そういう知識がそろって初めてコンサートで「これが死を超えた境地というものだ」などと思えたわけだ。
この感動は「だってコレだけたくさんの人がシューベルトに感動しているんだから自分も当然感動しておかしくないよ。死に際の天才が作った音楽だから、死を超えた境地を伝える何かがこの音楽にはこもってるに違いないんだ」という状況に追い込まれた上での感動だわな。
しかし彼の当初の見解によればまるで人間なら誰でもシューベルトの音楽を聴いて言葉では表せない素晴らしい何かを感じとる能力が備わっているのだというように聞こえてならない。
もしもシューベルトの曲を聴いたことが無くて、シューベルトがどういう人かぜんぜん知らなくて、そしてクラシックの権威主義から完全に自由な人々(まあ簡単にはアフリカの原住民とか)にシューベルトを聞かせて感動することなどあると思うか?ないって。
(アフリカの原住民が全員工学系院生より音楽的才能に劣っているなどとは到底考えられないしな。)
もしもキリスト教の社会に生まれた人がいきなり仏教の神に目覚めるということがあるなら、もちろん俺は仏教の普遍性(誰の心にも仏教の神が宿っている)について認める。
もちろんそんなことはないし、それはキリスト教も仏教も人間が勝手に作り上げたものだからだな。
生まれたときから親を初め周りの人が、毎日キリスト教的な言動を繰り返せばそれは誰だって神がいると本気で信じるだろう。
このように俺は宗教の神も音楽のよさも信じる人自体は認めるが(信じて幸せならそうすれば良い)、その普遍性は認めない。
簡単に一つあげるならどの宗教が教える神が本当の神か?とか
それと音楽の良さを宗教の信者が神を信じるのと同じ次元では俺は認めてるのだから、
音楽のよさと宗教の違いを教えて欲しいものだ。
工学系院生が言ったように彼の音楽歴があって初めてシューベルトの良さなんてものを彼は体感できたわけだ。
シューベルトの音楽がいままでどういう風に解釈されてきたか、その音楽はいつ作られたか、それを作ったときのシューベルトの心身の状態・・などなど。
そういう知識がそろって初めてコンサートで「これが死を超えた境地というものだ」などと思えたわけだ。
この感動は「だってコレだけたくさんの人がシューベルトに感動しているんだから自分も当然感動しておかしくないよ。死に際の天才が作った音楽だから、死を超えた境地を伝える何かがこの音楽にはこもってるに違いないんだ」という状況に追い込まれた上での感動だわな。
しかし彼の当初の見解によればまるで人間なら誰でもシューベルトの音楽を聴いて言葉では表せない素晴らしい何かを感じとる能力が備わっているのだというように聞こえてならない。
もしもシューベルトの曲を聴いたことが無くて、シューベルトがどういう人かぜんぜん知らなくて、そしてクラシックの権威主義から完全に自由な人々(まあ簡単にはアフリカの原住民とか)にシューベルトを聞かせて感動することなどあると思うか?ないって。
(アフリカの原住民が全員工学系院生より音楽的才能に劣っているなどとは到底考えられないしな。)
もしもキリスト教の社会に生まれた人がいきなり仏教の神に目覚めるということがあるなら、もちろん俺は仏教の普遍性(誰の心にも仏教の神が宿っている)について認める。
もちろんそんなことはないし、それはキリスト教も仏教も人間が勝手に作り上げたものだからだな。
生まれたときから親を初め周りの人が、毎日キリスト教的な言動を繰り返せばそれは誰だって神がいると本気で信じるだろう。
このように俺は宗教の神も音楽のよさも信じる人自体は認めるが(信じて幸せならそうすれば良い)、その普遍性は認めない。
67. トンデモマン
2004/06/16(水) 18:36:38
右脳も鍛えろ>工学
68. つまり
2004/06/16(水) 19:55:34
工学は「オレ教」以外が普遍的であるのは認めないと言いたいわけか。
なるほど、なるほど(・∀・)
なるほど、なるほど(・∀・)
69. ・∀・
2004/06/16(水) 20:05:21
>つまり
それはここで議論してる人たちみんなだよ。
それはここで議論してる人たちみんなだよ。
70. 普遍かどうかではなく
2004/06/16(水) 21:51:36
視野を広げることができるかどうかで議論しようよ。
つまり、よりwiseになれるかどうか。
つまり、よりwiseになれるかどうか。
71. >工学さん
2004/06/17(木) 00:19:53
>別にキリスト教や仏教でも容易く矛盾が見つかるだろ・・簡単に一つあげるならどの宗教が教える神が本当の神か?とか
工学系院生さんがいってるのはそれぞれの宗教内部での論理展開に矛盾がない、論理整合性があるということでないの?
それぞれの宗教は別の世界観があるんだから、そりゃあお互いに矛盾し合っても不思議じゃないでしょう。
工学系院生さんも「科学と宗教は両立しうる。」とは言ったけれども、別に「仏教徒とキリスト教は両立しうる」とか言ってないと思いますし。
工学系院生さんがいってるのはそれぞれの宗教内部での論理展開に矛盾がない、論理整合性があるということでないの?
それぞれの宗教は別の世界観があるんだから、そりゃあお互いに矛盾し合っても不思議じゃないでしょう。
工学系院生さんも「科学と宗教は両立しうる。」とは言ったけれども、別に「仏教徒とキリスト教は両立しうる」とか言ってないと思いますし。
72. 工学系院生
2004/06/17(木) 00:55:50
>霞さん
>ですから、院生さんの主張は、確かに宗教をほとんど信じていない(院生さんが実際に宗教を信じているのかどうか私は知らないですが。。。)人間が客観的に宗教と科学の概念を整理して理解するうえでは、正しいものです。
>しかし、実際にその世界観の中にいた者は、現代世界を席巻する科学に依拠した世界観とのギャップを少し感じるものであり、そこまで理論的にことが運ぶわけじゃないと思います。
私ももちろん宗教学の素人ですので、あまり深い議論に入るのは本意ではないので、簡単に。
一応ここでは、自分の宗教的立場というものを離れた中立的な立場で書こうとしています(私が無宗教者だとか仏教徒だとかクリスチャンだとか書けば、工学君に先入観を与える危険があるので)。
それに、無宗教者を自認する人にとって、信仰と科学の内面的葛藤などは自分の価値観の枠外の出来事であり、関係のないことでしょうから。
>工学君
>別にキリスト教や仏教でも容易く矛盾が見つかるだろ・・
>簡単に一つあげるならどの宗教が教える神が本当の神か?とか
それは全くナンセンスな指摘です。上の人の書き込み参照。
>それと音楽の良さを宗教の信者が神を信じるのと同じ次元では俺は認めてるのだから、
>音楽のよさと宗教の違いを教えて欲しいものだ。
その質問の意味がわかりません。宗教の敬虔な信者の人と深く話したことがあればすぐにわかりますが、信仰というものは、信者にとっては何より大切なものですよ。ですから君の発言は、「音楽は愛好者にとって最上のものであり得る」ということを認めたわけで、もうそれ以上議論の必要はないでしょう。私の意見を受け入れたことになるのですから。
>シューベルトの音楽がいままでどういう風に解釈されてきたか、その音楽はいつ作られたか、それを作ったときのシューベルトの心身の状態・・などなど。
>そういう知識がそろって初めてコンサートで「これが死を超えた境地というものだ」などと思えたわけだ。
いつの間にモーツァルトの話がシューベルトの話になったのか知りませんが、それはあまりにも曲解だと思います。私の感覚としては、それらの知識が必要不可欠だったとは思えませんし、若気にはやる当時の私にとって、他人の言葉がそれほど心に残っていたとは思えません。
>しかし彼の当初の見解によればまるで人間なら誰でもシューベルトの音楽を聴いて言葉では表せない素晴らしい何かを感じとる能力が備わっているのだというように聞こえてならない。
>もしもシューベルトの曲を聴いたことが無くて、シューベルトがどういう人かぜんぜん知らなくて、そしてクラシックの権威主義から完全に自由な人々(まあ簡単にはアフリカの原住民とか)にシューベルトを聞かせて感動することなどあると思うか?ないって。
あのですね。芸術なんて一度や二度でわかるようなもんじゃないですよ(天才を除く)。一生かかってもわからんもんです。それは、他人のことを完全に理解するのが不可能というのと同じことです。他人の作品なんですから。
ただし一つだけ言っておくと、私はモーツァルトの名前も知らない幼い頃から、周囲から聞こえてくる音楽の中で、モーツァルトの曲だけが断然好きでした(当時から曲を覚えていたのです)。そういうことはあり得ます。
>もしもキリスト教の社会に生まれた人がいきなり仏教の神に目覚めるということがあるなら、もちろん俺は仏教の普遍性(誰の心にも仏教の神が宿っている)について認める。
まず根本的な間違いとして、仏教には神はいません。仏は神とは全く違うものです。
それともう一つ、私は「仏教の普遍性」などを主張した覚えはありません。
一応その前提で聞いてほしいのですが、同じものを見て同じ言葉が出ないからといって、それを「普遍性を欠く」というのはおかしなことです。
たとえば、日本人とイギリス人とドイツ人がいて、ある動物を指さして、日本人は「犬」といい、イギリス人は "dog" といい、ドイツ人は "Hund" と言ったからといって、その動物がこれら三人にとって全く別のものだという訳ではないですね。
あともう一つ問う、科学に「普遍性」があると断言できる根拠は?
>このように俺は宗教の神も音楽のよさも信じる人自体は認めるが(信じて幸せならそうすれば良い)、その普遍性は認めない。
本当にその言葉通りなら、議論はとうに終了なのですがね。
別に君に、宗教だとか芸術だとか文系学問の良さを無理に理解していただく必要はありません。ただ、自分がそういったものを理解できないことだけは自覚し、尊重する人に敬意を払え、私はそういっているだけです。
そしてこの立場を取る限り、「芸術や宗教など科学的には無意味」とか、「文系学部は不要」という言葉は撤回していただかなければいけないのですが、それで良いのですね?
>ですから、院生さんの主張は、確かに宗教をほとんど信じていない(院生さんが実際に宗教を信じているのかどうか私は知らないですが。。。)人間が客観的に宗教と科学の概念を整理して理解するうえでは、正しいものです。
>しかし、実際にその世界観の中にいた者は、現代世界を席巻する科学に依拠した世界観とのギャップを少し感じるものであり、そこまで理論的にことが運ぶわけじゃないと思います。
私ももちろん宗教学の素人ですので、あまり深い議論に入るのは本意ではないので、簡単に。
一応ここでは、自分の宗教的立場というものを離れた中立的な立場で書こうとしています(私が無宗教者だとか仏教徒だとかクリスチャンだとか書けば、工学君に先入観を与える危険があるので)。
それに、無宗教者を自認する人にとって、信仰と科学の内面的葛藤などは自分の価値観の枠外の出来事であり、関係のないことでしょうから。
>工学君
>別にキリスト教や仏教でも容易く矛盾が見つかるだろ・・
>簡単に一つあげるならどの宗教が教える神が本当の神か?とか
それは全くナンセンスな指摘です。上の人の書き込み参照。
>それと音楽の良さを宗教の信者が神を信じるのと同じ次元では俺は認めてるのだから、
>音楽のよさと宗教の違いを教えて欲しいものだ。
その質問の意味がわかりません。宗教の敬虔な信者の人と深く話したことがあればすぐにわかりますが、信仰というものは、信者にとっては何より大切なものですよ。ですから君の発言は、「音楽は愛好者にとって最上のものであり得る」ということを認めたわけで、もうそれ以上議論の必要はないでしょう。私の意見を受け入れたことになるのですから。
>シューベルトの音楽がいままでどういう風に解釈されてきたか、その音楽はいつ作られたか、それを作ったときのシューベルトの心身の状態・・などなど。
>そういう知識がそろって初めてコンサートで「これが死を超えた境地というものだ」などと思えたわけだ。
いつの間にモーツァルトの話がシューベルトの話になったのか知りませんが、それはあまりにも曲解だと思います。私の感覚としては、それらの知識が必要不可欠だったとは思えませんし、若気にはやる当時の私にとって、他人の言葉がそれほど心に残っていたとは思えません。
>しかし彼の当初の見解によればまるで人間なら誰でもシューベルトの音楽を聴いて言葉では表せない素晴らしい何かを感じとる能力が備わっているのだというように聞こえてならない。
>もしもシューベルトの曲を聴いたことが無くて、シューベルトがどういう人かぜんぜん知らなくて、そしてクラシックの権威主義から完全に自由な人々(まあ簡単にはアフリカの原住民とか)にシューベルトを聞かせて感動することなどあると思うか?ないって。
あのですね。芸術なんて一度や二度でわかるようなもんじゃないですよ(天才を除く)。一生かかってもわからんもんです。それは、他人のことを完全に理解するのが不可能というのと同じことです。他人の作品なんですから。
ただし一つだけ言っておくと、私はモーツァルトの名前も知らない幼い頃から、周囲から聞こえてくる音楽の中で、モーツァルトの曲だけが断然好きでした(当時から曲を覚えていたのです)。そういうことはあり得ます。
>もしもキリスト教の社会に生まれた人がいきなり仏教の神に目覚めるということがあるなら、もちろん俺は仏教の普遍性(誰の心にも仏教の神が宿っている)について認める。
まず根本的な間違いとして、仏教には神はいません。仏は神とは全く違うものです。
それともう一つ、私は「仏教の普遍性」などを主張した覚えはありません。
一応その前提で聞いてほしいのですが、同じものを見て同じ言葉が出ないからといって、それを「普遍性を欠く」というのはおかしなことです。
たとえば、日本人とイギリス人とドイツ人がいて、ある動物を指さして、日本人は「犬」といい、イギリス人は "dog" といい、ドイツ人は "Hund" と言ったからといって、その動物がこれら三人にとって全く別のものだという訳ではないですね。
あともう一つ問う、科学に「普遍性」があると断言できる根拠は?
>このように俺は宗教の神も音楽のよさも信じる人自体は認めるが(信じて幸せならそうすれば良い)、その普遍性は認めない。
本当にその言葉通りなら、議論はとうに終了なのですがね。
別に君に、宗教だとか芸術だとか文系学問の良さを無理に理解していただく必要はありません。ただ、自分がそういったものを理解できないことだけは自覚し、尊重する人に敬意を払え、私はそういっているだけです。
そしてこの立場を取る限り、「芸術や宗教など科学的には無意味」とか、「文系学部は不要」という言葉は撤回していただかなければいけないのですが、それで良いのですね?
73. ふう
2004/06/17(木) 01:05:36
やっと議論終了?
74. 個人的には
2004/06/17(木) 01:10:32
非常に興味深いので、続いてほしいんですけどね・・。
75. 工学
2004/06/17(木) 08:30:41
別にキリスト教ならキリスト教の中でも恐ろしく矛盾した世界観だろうが。
昔は天動説を信じてて最近になってようやく地動説を認めることにした??
キリスト教の世界観にあまりにも無理があったらそのたびに科学に迎合していくの?
十分に(貴方の言う意味で)科学的な人が聖書にあるイエスキリストの奇跡的な御業も信じてるの?
聖書の教えどおり生きていれば神が死後救ってくれるとかも?
いやそもそも死後の世界を信じてるの?笑
分かっただろ?
犬をドッグと言おうがフントと言おうがそれは言い方が違うだけで、言うなら量子力学の3つの解釈とやらの違いみたいなものだ。
世界を地動説で見ようが天動説で見ようが構わないという事にはならないんだよ。
世界は地面が動いているか天が動いているかのどちらかなんだよ。
そしてそういう意味でキリスト教は間違っている。
それを信じて幸せな人は認めてもそれは間違った認識だという事に変わりない。なんで間違った認識を持った、自分の中に勝手に神を作って信仰している人を尊重しなければならんのだ?
分からないことは何でも神にこじつけておこうと言う態度は全く尊重できない。
で、シューベルトは全部モーツァルトに直してくれ・・貴方がそのよさを分かるには間違いなくまわりの洗脳が必要だったでしょうね。ヒトの話を聞いたとかじゃなくて、クラシック音楽を分かることが教養ある人にとって一種の必須素養であるとかそういう感覚が知らず知らずのうちにあなたの脳に染み付いているんだよ。
あなたが小さい頃からモーツァルトだけが好きだった?恐らくモーツァルトを聞かせるくらいだから親や周りの人がクラシックの権威主義者で、モーツァルトを聞く貴方を褒めてさらに貴方はそれを聞くことを良いことだと信じ・・・っていう感じだろ。
もちろんそういう洗脳から自由なアフリカ原住民に聞かせても良さは分からんわな。
一回二回でモーツァルトのよさは分からないって言うなら何100回聞かせた上ででもいいが?
彼らが嫌がることはあっても良さにイキナリ開眼することなどないだろうね。
そっちこそ芸術のよさは神と同じように勝手に自分の中にそういうものを作り上げてるだけにすぎないとは認めるんだな?ではそれを信じないものを良さが分からないなどと排除するのはやめてほしいものだ。
でなければ敬意を払えなんてふざけたこと言わないだろうから。
でなければ才能なんてふざけたことを言わないだろうから。アフリカ原住民の例で見たように、モーツァルトの良さが分かるのは才能でも何でもなくて単なる教育で刷り込まれたものにすぎん。
科学は仏教信者にもキリスト教信者にも分かるぶん、少なくとも宗教よりは普遍的だが?
科学は世の中がそうなっているという事実に基づいて作られたのだから、そもそもが神を通して勝手に世界を解釈した宗教とはもっている普遍性が違う。
昔は天動説を信じてて最近になってようやく地動説を認めることにした??
キリスト教の世界観にあまりにも無理があったらそのたびに科学に迎合していくの?
十分に(貴方の言う意味で)科学的な人が聖書にあるイエスキリストの奇跡的な御業も信じてるの?
聖書の教えどおり生きていれば神が死後救ってくれるとかも?
いやそもそも死後の世界を信じてるの?笑
分かっただろ?
犬をドッグと言おうがフントと言おうがそれは言い方が違うだけで、言うなら量子力学の3つの解釈とやらの違いみたいなものだ。
世界を地動説で見ようが天動説で見ようが構わないという事にはならないんだよ。
世界は地面が動いているか天が動いているかのどちらかなんだよ。
そしてそういう意味でキリスト教は間違っている。
それを信じて幸せな人は認めてもそれは間違った認識だという事に変わりない。なんで間違った認識を持った、自分の中に勝手に神を作って信仰している人を尊重しなければならんのだ?
分からないことは何でも神にこじつけておこうと言う態度は全く尊重できない。
で、シューベルトは全部モーツァルトに直してくれ・・貴方がそのよさを分かるには間違いなくまわりの洗脳が必要だったでしょうね。ヒトの話を聞いたとかじゃなくて、クラシック音楽を分かることが教養ある人にとって一種の必須素養であるとかそういう感覚が知らず知らずのうちにあなたの脳に染み付いているんだよ。
あなたが小さい頃からモーツァルトだけが好きだった?恐らくモーツァルトを聞かせるくらいだから親や周りの人がクラシックの権威主義者で、モーツァルトを聞く貴方を褒めてさらに貴方はそれを聞くことを良いことだと信じ・・・っていう感じだろ。
もちろんそういう洗脳から自由なアフリカ原住民に聞かせても良さは分からんわな。
一回二回でモーツァルトのよさは分からないって言うなら何100回聞かせた上ででもいいが?
彼らが嫌がることはあっても良さにイキナリ開眼することなどないだろうね。
そっちこそ芸術のよさは神と同じように勝手に自分の中にそういうものを作り上げてるだけにすぎないとは認めるんだな?ではそれを信じないものを良さが分からないなどと排除するのはやめてほしいものだ。
でなければ敬意を払えなんてふざけたこと言わないだろうから。
でなければ才能なんてふざけたことを言わないだろうから。アフリカ原住民の例で見たように、モーツァルトの良さが分かるのは才能でも何でもなくて単なる教育で刷り込まれたものにすぎん。
科学は仏教信者にもキリスト教信者にも分かるぶん、少なくとも宗教よりは普遍的だが?
科学は世の中がそうなっているという事実に基づいて作られたのだから、そもそもが神を通して勝手に世界を解釈した宗教とはもっている普遍性が違う。
76. 写楽
2004/06/17(木) 09:01:28
>モーツァルトの良さが分かるのは才能でも何でもなくて単なる教育で刷り込まれたものにすぎん
>もっと直接的な表現にかえるとすれば「物理的に見て脳みそに耳障りが良いと感じさせるような音の組み合わせが多いもの」が名曲で良いのでは?ってことだ。
工学はいったいどっちの立場?
>もっと直接的な表現にかえるとすれば「物理的に見て脳みそに耳障りが良いと感じさせるような音の組み合わせが多いもの」が名曲で良いのでは?ってことだ。
工学はいったいどっちの立場?
77. 工学系院生
2004/06/17(木) 10:35:24
>工学君
>別にキリスト教ならキリスト教の中でも恐ろしく矛盾した世界観だろうが。
具体的には?
>キリスト教の世界観にあまりにも無理があったらそのたびに科学に迎合していくの?
それはクリスチャンにとって「あまりにも奥の深い神の言葉を理解し誤っていた」というだけのこと。
たとえば、神が当時の人間にわかりやすいように比喩を用いて言ったことを字面どおり理解してしまった誤りという可能性もあります。これはこじつけでもなんでもなくて、実際当時の言語ではそうとでも表現するほかなかったかもしれません。
科学に迎合したわけではないです。そもそも前にも言ったけど、科学はもともとキリスト教神学の一派なのだから。
そういう風に、キリスト教界内部では、それなりに何とか折り合いの付きようがある問題なのです。君が納得しようとしまいと。
>十分に(貴方の言う意味で)科学的な人が聖書にあるイエスキリストの奇跡的な御業も信じてるの?
いや、「奇蹟」とは、科学の法則を超えた神にしかできないことだからこそ「奇蹟」なのだという説も聞いたことありますよ。
私だってキリスト教学の素人ですし、これぐらいにしておきますが。
>いやそもそも死後の世界を信じてるの?笑
信じてはいけませんか?死後の世界が存在しない根拠があるとでも?
>犬をドッグと言おうがフントと言おうがそれは言い方が違うだけで、言うなら量子力学の3つの解釈とやらの違いみたいなものだ。
>世界を地動説で見ようが天動説で見ようが構わないという事にはならないんだよ。
>世界は地面が動いているか天が動いているかのどちらかなんだよ。
物理学を勉強しなおすことを勧めます。座標系のとり方によって、天動説も地動説も表現できます。慣性系だけを特別視する根拠はありません。単に慣性系の方程式が簡単だというだけです。
>貴方がそのよさを分かるには間違いなくまわりの洗脳が必要だったでしょうね。ヒトの話を聞いたとかじゃなくて、クラシック音楽を分かることが教養ある人にとって一種の必須素養であるとかそういう感覚が知らず知らずのうちにあなたの脳に染み付いているんだよ。
私のことを見てきたかのように断言するけど、その根拠は?
>あなたが小さい頃からモーツァルトだけが好きだった?恐らくモーツァルトを聞かせるくらいだから親や周りの人がクラシックの権威主義者で、モーツァルトを聞く貴方を褒めてさらに貴方はそれを聞くことを良いことだと信じ・・・っていう感じだろ。
その議論は、「すべて『権威』を造ってこじつける」という意味で、君の嫌いな「『宗教的』思考」(二重括弧注意)と全く同じに見えますが。君の言葉を借りれば、「なんで間違った認識を持った、自分の中に勝手に『権威』を作って非難している人を尊重しなければならんのだ?」
>もちろんそういう洗脳から自由なアフリカ原住民に聞かせても良さは分からんわな。
じゃあなんで、日本人をはじめとする「洗脳から自由な」非西洋人がクラシック音楽を受け入れたんでしょうね?
>そっちこそ芸術のよさは神と同じように勝手に自分の中にそういうものを作り上げてるだけにすぎないとは認めるんだな?ではそれを信じないものを良さが分からないなどと排除するのはやめてほしいものだ。
芸術も神も「作り上げてる」と認めたつもりはないが、少なくとも「排除」はしていません。
>でなければ敬意を払えなんてふざけたこと言わないだろうから。
自分と立場の違う人間に敬意を払うのは、社会人として当たり前のことです。言っておきますが、私だってあなたにそれなりの敬意は払っているつもりだ。だからこうやって、いちいち理詰めで対応している。敬意を払わないというのは、人格を認めない、排除するということで、それこそ君の忌み嫌っていることになるのだが。
>科学は仏教信者にもキリスト教信者にも分かるぶん、少なくとも宗教よりは普遍的だが?
では、仏教もキリスト教も、科学を受け入れる受け入れないにかかわらず信仰できる普遍性があるとお答えしましょう。
>科学は世の中がそうなっているという事実に基づいて作られたのだから、そもそもが神を通して勝手に世界を解釈した宗教とはもっている普遍性が違う。
むちゃくちゃです。科学は「世の中の現象は数理的に記述できる」という、それ自体は根拠のない仮説に基づいています。それを「世の中がそうなっている」と呼んでいいなら、一神教徒が、「神はいる」ということを「世の中はそうなっている」と言っても文句は言えない。
最後に、
>なんで間違った認識を持った、自分の中に勝手に『権威』を作って非難している人を尊重しなければならんのだ?
>俺は宗教の神も音楽のよさも信じる人自体は認めるが
この矛盾を説明してください。それと、写楽さんの指摘にも答えてください。
>別にキリスト教ならキリスト教の中でも恐ろしく矛盾した世界観だろうが。
具体的には?
>キリスト教の世界観にあまりにも無理があったらそのたびに科学に迎合していくの?
それはクリスチャンにとって「あまりにも奥の深い神の言葉を理解し誤っていた」というだけのこと。
たとえば、神が当時の人間にわかりやすいように比喩を用いて言ったことを字面どおり理解してしまった誤りという可能性もあります。これはこじつけでもなんでもなくて、実際当時の言語ではそうとでも表現するほかなかったかもしれません。
科学に迎合したわけではないです。そもそも前にも言ったけど、科学はもともとキリスト教神学の一派なのだから。
そういう風に、キリスト教界内部では、それなりに何とか折り合いの付きようがある問題なのです。君が納得しようとしまいと。
>十分に(貴方の言う意味で)科学的な人が聖書にあるイエスキリストの奇跡的な御業も信じてるの?
いや、「奇蹟」とは、科学の法則を超えた神にしかできないことだからこそ「奇蹟」なのだという説も聞いたことありますよ。
私だってキリスト教学の素人ですし、これぐらいにしておきますが。
>いやそもそも死後の世界を信じてるの?笑
信じてはいけませんか?死後の世界が存在しない根拠があるとでも?
>犬をドッグと言おうがフントと言おうがそれは言い方が違うだけで、言うなら量子力学の3つの解釈とやらの違いみたいなものだ。
>世界を地動説で見ようが天動説で見ようが構わないという事にはならないんだよ。
>世界は地面が動いているか天が動いているかのどちらかなんだよ。
物理学を勉強しなおすことを勧めます。座標系のとり方によって、天動説も地動説も表現できます。慣性系だけを特別視する根拠はありません。単に慣性系の方程式が簡単だというだけです。
>貴方がそのよさを分かるには間違いなくまわりの洗脳が必要だったでしょうね。ヒトの話を聞いたとかじゃなくて、クラシック音楽を分かることが教養ある人にとって一種の必須素養であるとかそういう感覚が知らず知らずのうちにあなたの脳に染み付いているんだよ。
私のことを見てきたかのように断言するけど、その根拠は?
>あなたが小さい頃からモーツァルトだけが好きだった?恐らくモーツァルトを聞かせるくらいだから親や周りの人がクラシックの権威主義者で、モーツァルトを聞く貴方を褒めてさらに貴方はそれを聞くことを良いことだと信じ・・・っていう感じだろ。
その議論は、「すべて『権威』を造ってこじつける」という意味で、君の嫌いな「『宗教的』思考」(二重括弧注意)と全く同じに見えますが。君の言葉を借りれば、「なんで間違った認識を持った、自分の中に勝手に『権威』を作って非難している人を尊重しなければならんのだ?」
>もちろんそういう洗脳から自由なアフリカ原住民に聞かせても良さは分からんわな。
じゃあなんで、日本人をはじめとする「洗脳から自由な」非西洋人がクラシック音楽を受け入れたんでしょうね?
>そっちこそ芸術のよさは神と同じように勝手に自分の中にそういうものを作り上げてるだけにすぎないとは認めるんだな?ではそれを信じないものを良さが分からないなどと排除するのはやめてほしいものだ。
芸術も神も「作り上げてる」と認めたつもりはないが、少なくとも「排除」はしていません。
>でなければ敬意を払えなんてふざけたこと言わないだろうから。
自分と立場の違う人間に敬意を払うのは、社会人として当たり前のことです。言っておきますが、私だってあなたにそれなりの敬意は払っているつもりだ。だからこうやって、いちいち理詰めで対応している。敬意を払わないというのは、人格を認めない、排除するということで、それこそ君の忌み嫌っていることになるのだが。
>科学は仏教信者にもキリスト教信者にも分かるぶん、少なくとも宗教よりは普遍的だが?
では、仏教もキリスト教も、科学を受け入れる受け入れないにかかわらず信仰できる普遍性があるとお答えしましょう。
>科学は世の中がそうなっているという事実に基づいて作られたのだから、そもそもが神を通して勝手に世界を解釈した宗教とはもっている普遍性が違う。
むちゃくちゃです。科学は「世の中の現象は数理的に記述できる」という、それ自体は根拠のない仮説に基づいています。それを「世の中がそうなっている」と呼んでいいなら、一神教徒が、「神はいる」ということを「世の中はそうなっている」と言っても文句は言えない。
最後に、
>なんで間違った認識を持った、自分の中に勝手に『権威』を作って非難している人を尊重しなければならんのだ?
>俺は宗教の神も音楽のよさも信じる人自体は認めるが
この矛盾を説明してください。それと、写楽さんの指摘にも答えてください。
78. 数学
2004/06/17(木) 11:25:56
なんかなー…
最初は工学氏の主張を、論理実証主義に近い立場から、学問の基準とか知識の持つべき性質を規定するような、哲学的な主張かと勝手に思っていたんだが…段々分かってきたぞ。
普通に、抽象絵画やクラシック音楽を「わけのわからんもの」「高尚なもの」とか「文系学問なぞ役に立たん、意味なし」とか思ってる人はいっぱいいそうだが、その類の認識なんだろ工学氏は。
権威とみれば、反抗してみたくなる、みたいな。
結論:工学はただの煽り屋
最初は工学氏の主張を、論理実証主義に近い立場から、学問の基準とか知識の持つべき性質を規定するような、哲学的な主張かと勝手に思っていたんだが…段々分かってきたぞ。
普通に、抽象絵画やクラシック音楽を「わけのわからんもの」「高尚なもの」とか「文系学問なぞ役に立たん、意味なし」とか思ってる人はいっぱいいそうだが、その類の認識なんだろ工学氏は。
権威とみれば、反抗してみたくなる、みたいな。
結論:工学はただの煽り屋
79. そもそも
2004/06/17(木) 11:36:02
工学屋が文系学部の存在意義を議論できるわけはない。ただ、工学屋の視点から非難するだけで建設的ではない気がします。
そういう俺は理学部院生です。
そういう俺は理学部院生です。
80. 通りすがり
2004/06/17(木) 14:31:40
>論理実証主義に近い立場
>哲学的な主張
論理実証主義をせっかくもちだしてくるなら、ここはひとつ公式どおりに、工学君の主張は一貫して反哲学の主張だとおもっていたんだが、、、とでも言っといた方がまだ実状に近いでしょう。喋る度にボロをだして敗走に敗走を重ねてる工学君の主張のなかで、ある程度一貫して主張し続けていて、なおかつ論破されてないのが、安易に言語化されない「何か」を持ち出してその何かを説明した気になるな、というもの。これなんていかにも反哲学とよぶにふさわしい主張だし、この主張をベースにして、工学的な発想を推し進めていくっていうのは非難されるようなことではないですよね。もちろん工学君には言語化できない「何か」を持ち込まずにまともな議論を展開できるような能力はないし、それ以上の安易さで言語化できないものの最たるものである脳をもちだしてくるのは、退行以外のなにものでもないんやけど。
>哲学的な主張
論理実証主義をせっかくもちだしてくるなら、ここはひとつ公式どおりに、工学君の主張は一貫して反哲学の主張だとおもっていたんだが、、、とでも言っといた方がまだ実状に近いでしょう。喋る度にボロをだして敗走に敗走を重ねてる工学君の主張のなかで、ある程度一貫して主張し続けていて、なおかつ論破されてないのが、安易に言語化されない「何か」を持ち出してその何かを説明した気になるな、というもの。これなんていかにも反哲学とよぶにふさわしい主張だし、この主張をベースにして、工学的な発想を推し進めていくっていうのは非難されるようなことではないですよね。もちろん工学君には言語化できない「何か」を持ち込まずにまともな議論を展開できるような能力はないし、それ以上の安易さで言語化できないものの最たるものである脳をもちだしてくるのは、退行以外のなにものでもないんやけど。
81. 霞
2004/06/17(木) 16:47:04
>芸術のよさは神と同じように勝手に自分の中にそういうも
>のを作り上げてるだけにすぎないとは認めるんだな?では
>それを信じないものを良さが分からないなどと排除するの
>はやめてほしいものだ。
>でなければ敬意を払えなんてふざけたこと言わないだろう
>から。
>でなければ才能なんてふざけたことを言わないだろうか
>ら。アフリカ原住民の例で見たように、モーツァルトの良
>さが分かるのは才能でも何でもなくて単なる教育で刷り込
>まれたものにすぎん。
この部分に関しては、前にも書きました。そして例によって例のごとく、スルーでしたが。。。まあもう一度。
院生さんは、芸術に敬意を払えなんて一言も言ってません。あなたの被害妄想に過ぎない。私も含めて、芸術擁護派はみな、芸術にも価値を認めろといっているだけ。自分が理解できないからといって排除するなといっているのです。
さて、芸術を理解するのに教育(それは工学君の言葉を借りれば「洗脳」となりますが)が必要かという問題ですが、全く要らないということはやはりないでしょう。現実を正確に認識することのできない(あるいは認識できても理解できない)赤ちゃんには、きっと芸術は理解できないでしょう。しかし、我々くらいの年齢になれば、それは誰にでもできることと思います。
ただ、ここでいう芸術の理解とは、その作品を作った人が誰で、その人は「〜派」で、「〜派」はこういう特徴を持ち、この作品はこのような状態で製作されて、、、といった作品に付随する部分ではなく、作品そのものがよいかどうか、感動しうるかどうか、そういったことを指します。前者を理解するためには、もちろん歴史や芸術学を勉強しないといけないでしょう。しかし、後者の理解には特別な勉強など必要ないと思います。工学君はこのあたりを勘違いしているか、あるいは故意にごちゃごちゃにして議論をややこしくしている。
そして何度もいっていることだが、あなたが全面的に正しいと信じる科学を、まだ言葉も満足に話せない子供に理解させることができますか?小学校にもまだいってないような子供に、カミオカンデの構造と役割、それらをニュートリノという素粒子の持つ特殊な性質に言及しながら説明し、理解させてみてください。
あなたの科学信仰だって十分、この科学万能の時代の様々なものによって洗脳された結果に他ならないと、私は個人的には思います。そしてその信仰を、私たちにも強要しようとし、そして私たちの信仰をあなたは価値がないものだと排除しようとしている。
工学君は「科学的」思考と数式によって世の中の構造を理解し、子供は感覚と感情で理解し、宗教を信じる人はその教義と良心に従って理解する(前に書いたとおり、中世的な意味での宗教を考えてください)。人には様々な立場の違いがあります。それが理解できませんか?
→通りすがりさん
>論破されてないのが、安易に言語化されない「何か」を持
>ち出してその何かを説明した気になるな、というもの
彼の主張はわかりにくいですが、それは言えるでしょうね。確かに宗教や芸術など、文系の学問領域に属するものにはそういう部分が依然としてあります。そして彼の毛嫌いするところの、「権威」がそれに絡みつくとなかなか大変なことになります。
ピカソは誰か偉い人がいいといったから、世界中でいいと評価されているだけだとか、そういった類の主張です。確かに、この部分に洗脳と言えるものが残ってないわけではない。でもそれはあくまで芸術の本質に関係するものではなく、芸術に付随する様々な作品には関係のないものです。本質は院生さんなどが常々主張してくださっているように、「絵は絵以上でも絵以下でもない、絵そのものである」とか、私が言う「その芸術から連想するものが人それぞれ違っても(解釈が異なったとしても)、最終的に感動をもたらすという意味では皆同じ」などですね。
ピカソの例で言うと、彼の絵にはありえないくらいの値段がつく。そういった世俗的、非芸術的な部分においては、彼の主張を全面的に退けるとはできないような気がします。
「春峰庵事件」を例示して説明しようと思ったのですが、もう時間がないのでまた今度。
>のを作り上げてるだけにすぎないとは認めるんだな?では
>それを信じないものを良さが分からないなどと排除するの
>はやめてほしいものだ。
>でなければ敬意を払えなんてふざけたこと言わないだろう
>から。
>でなければ才能なんてふざけたことを言わないだろうか
>ら。アフリカ原住民の例で見たように、モーツァルトの良
>さが分かるのは才能でも何でもなくて単なる教育で刷り込
>まれたものにすぎん。
この部分に関しては、前にも書きました。そして例によって例のごとく、スルーでしたが。。。まあもう一度。
院生さんは、芸術に敬意を払えなんて一言も言ってません。あなたの被害妄想に過ぎない。私も含めて、芸術擁護派はみな、芸術にも価値を認めろといっているだけ。自分が理解できないからといって排除するなといっているのです。
さて、芸術を理解するのに教育(それは工学君の言葉を借りれば「洗脳」となりますが)が必要かという問題ですが、全く要らないということはやはりないでしょう。現実を正確に認識することのできない(あるいは認識できても理解できない)赤ちゃんには、きっと芸術は理解できないでしょう。しかし、我々くらいの年齢になれば、それは誰にでもできることと思います。
ただ、ここでいう芸術の理解とは、その作品を作った人が誰で、その人は「〜派」で、「〜派」はこういう特徴を持ち、この作品はこのような状態で製作されて、、、といった作品に付随する部分ではなく、作品そのものがよいかどうか、感動しうるかどうか、そういったことを指します。前者を理解するためには、もちろん歴史や芸術学を勉強しないといけないでしょう。しかし、後者の理解には特別な勉強など必要ないと思います。工学君はこのあたりを勘違いしているか、あるいは故意にごちゃごちゃにして議論をややこしくしている。
そして何度もいっていることだが、あなたが全面的に正しいと信じる科学を、まだ言葉も満足に話せない子供に理解させることができますか?小学校にもまだいってないような子供に、カミオカンデの構造と役割、それらをニュートリノという素粒子の持つ特殊な性質に言及しながら説明し、理解させてみてください。
あなたの科学信仰だって十分、この科学万能の時代の様々なものによって洗脳された結果に他ならないと、私は個人的には思います。そしてその信仰を、私たちにも強要しようとし、そして私たちの信仰をあなたは価値がないものだと排除しようとしている。
工学君は「科学的」思考と数式によって世の中の構造を理解し、子供は感覚と感情で理解し、宗教を信じる人はその教義と良心に従って理解する(前に書いたとおり、中世的な意味での宗教を考えてください)。人には様々な立場の違いがあります。それが理解できませんか?
→通りすがりさん
>論破されてないのが、安易に言語化されない「何か」を持
>ち出してその何かを説明した気になるな、というもの
彼の主張はわかりにくいですが、それは言えるでしょうね。確かに宗教や芸術など、文系の学問領域に属するものにはそういう部分が依然としてあります。そして彼の毛嫌いするところの、「権威」がそれに絡みつくとなかなか大変なことになります。
ピカソは誰か偉い人がいいといったから、世界中でいいと評価されているだけだとか、そういった類の主張です。確かに、この部分に洗脳と言えるものが残ってないわけではない。でもそれはあくまで芸術の本質に関係するものではなく、芸術に付随する様々な作品には関係のないものです。本質は院生さんなどが常々主張してくださっているように、「絵は絵以上でも絵以下でもない、絵そのものである」とか、私が言う「その芸術から連想するものが人それぞれ違っても(解釈が異なったとしても)、最終的に感動をもたらすという意味では皆同じ」などですね。
ピカソの例で言うと、彼の絵にはありえないくらいの値段がつく。そういった世俗的、非芸術的な部分においては、彼の主張を全面的に退けるとはできないような気がします。
「春峰庵事件」を例示して説明しようと思ったのですが、もう時間がないのでまた今度。
82. 工学
2004/06/17(木) 17:55:47
>具体例は?
いや、今まで地動説だったのが科学的な正しい認識があまりにも広まったためにその矛盾を隠しきれずいきなり天動説に変えたってのが例のつもりだった。
で、その下に答えると、
まぁいつかそうくると思っていたが・・
>あまりにも深い神の言葉を誤って〜
そりゃこういう事言うならもう俺はどうしようもないわな。
反キリスト者「キリスト教の矛盾が見つかったぞ」→
信者「今まではあまりにも深い神の言葉を誤って解釈してただけでした。」
アッハッハ楽でいいな。宗教は。
誰かが新しい事実を見つけてくれるのを待って、それこそ実は神の真意でしたでいいんだからな。
死後の世界・・死んだ脳細胞がどうして何かを知覚してるの?
いや、今まで地動説だったのが科学的な正しい認識があまりにも広まったためにその矛盾を隠しきれずいきなり天動説に変えたってのが例のつもりだった。
で、その下に答えると、
まぁいつかそうくると思っていたが・・
>あまりにも深い神の言葉を誤って〜
そりゃこういう事言うならもう俺はどうしようもないわな。
反キリスト者「キリスト教の矛盾が見つかったぞ」→
信者「今まではあまりにも深い神の言葉を誤って解釈してただけでした。」
アッハッハ楽でいいな。宗教は。
誰かが新しい事実を見つけてくれるのを待って、それこそ実は神の真意でしたでいいんだからな。
死後の世界・・死んだ脳細胞がどうして何かを知覚してるの?



