文系学部の存在意義。その七
1. たこる氏ね
2004/06/19(土) 17:20:23
文系学部の存在意義。その六
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200406/04060032.html
文系学部の存在意義。その五
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200406/04060009.html
文系学部の存在意義。その四
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200405/04050064.html
文系学部の存在意義。その二(←正しくは「その三」)
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050056.html
文系学部の存在意義。その二
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050047.html
文系学部の存在意義
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050045.html
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200406/04060032.html
文系学部の存在意義。その五
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200406/04060009.html
文系学部の存在意義。その四
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200405/04050064.html
文系学部の存在意義。その二(←正しくは「その三」)
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050056.html
文系学部の存在意義。その二
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050047.html
文系学部の存在意義
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050045.html
2. 阿部備中守
2004/06/19(土) 17:30:39
文系学部教官は、文系学部は低コストで人材を育成できます、などとおっしゃるが・・・・
3. 工学
2004/06/19(土) 19:08:18
1500mを努力して5分切れる例では、5分切って走れない人やそもそも虚弱体質や病気で走れない人から見ても「確かに5分切ってるね」と認めることができるが、
芸術では違う。何しろ客観的な物差しがない。
その例で行くなら、まるでタイムを示さずに「私は訓練で5分切れるようになりましたよ」って言ってるのと一緒。
そんなものを信じるわけには行かないだろ。
こっちが「タイムは?」と聞いてるのに、「残念ながらタイムは言語化できない。したがって君とこの情報を共有することはできない。しかも虚弱体質の人(負の才能)には一生分からないね」と逃げる。
「好きなものは好き」と、言語では言い表せない何かを感じ取ることとは違うだろ・・
ジャズ愛好家がジャズ独特の複雑なコード進行やものすごくすばやい手の動きなどを見て、あなたの言うところのサーカス的なすごさ(それが音楽の良さの全てである)を感じることはあっても、別に「ビルエヴァンスの魂」とかを感じてるわけじゃない。(もちろんそういう精神論を言うやつはジャズの世界にもしこたまいるだろうが。)
デザイナーは良くできたデザインを見てなんとなく「お。このデザインは良い感じだ」と感じることはあっても「コシノジュンコが感じたなんとも言いえぬ境地が表象されている」など思ってない。(こっちもこういうこと言うやつはいくらでも居るだろうが)
>君の意識は二つの脳に共有されているのでしょうか?
共有されていたら何か問題でも?
>だから、それは君の主張でしかないんです。議論というのは客観的に納得できることだけを使って進めていくべきものですよ。
それに、根拠がないというが、何度も言うように私自身が根拠です。これは「実験事実」です。
「私自身が感じた」のどこが客観的なのか?
芸術では違う。何しろ客観的な物差しがない。
その例で行くなら、まるでタイムを示さずに「私は訓練で5分切れるようになりましたよ」って言ってるのと一緒。
そんなものを信じるわけには行かないだろ。
こっちが「タイムは?」と聞いてるのに、「残念ながらタイムは言語化できない。したがって君とこの情報を共有することはできない。しかも虚弱体質の人(負の才能)には一生分からないね」と逃げる。
「好きなものは好き」と、言語では言い表せない何かを感じ取ることとは違うだろ・・
ジャズ愛好家がジャズ独特の複雑なコード進行やものすごくすばやい手の動きなどを見て、あなたの言うところのサーカス的なすごさ(それが音楽の良さの全てである)を感じることはあっても、別に「ビルエヴァンスの魂」とかを感じてるわけじゃない。(もちろんそういう精神論を言うやつはジャズの世界にもしこたまいるだろうが。)
デザイナーは良くできたデザインを見てなんとなく「お。このデザインは良い感じだ」と感じることはあっても「コシノジュンコが感じたなんとも言いえぬ境地が表象されている」など思ってない。(こっちもこういうこと言うやつはいくらでも居るだろうが)
>君の意識は二つの脳に共有されているのでしょうか?
共有されていたら何か問題でも?
>だから、それは君の主張でしかないんです。議論というのは客観的に納得できることだけを使って進めていくべきものですよ。
それに、根拠がないというが、何度も言うように私自身が根拠です。これは「実験事実」です。
「私自身が感じた」のどこが客観的なのか?
4. スキッツォイドマン
2004/06/19(土) 21:38:53
門外漢なので正確なことはよくわからないが、日本で盛んな哲学って、外国の哲学者研究以外では、科哲とか分析の一部かな?
科哲は基本的に経験主義的な分野だと思うし、西田幾多郎の思想も仏教(稀に見る経験的合理主義の宗教)の影響を受けてると思うんだが、日本にもこー、神・倫理・存在など形而上学を正面切って展開するスケールのでかい総合哲学者は現れないものかね。
日本の神なき風土では、形而上学は不可能なのか。
科哲は基本的に経験主義的な分野だと思うし、西田幾多郎の思想も仏教(稀に見る経験的合理主義の宗教)の影響を受けてると思うんだが、日本にもこー、神・倫理・存在など形而上学を正面切って展開するスケールのでかい総合哲学者は現れないものかね。
日本の神なき風土では、形而上学は不可能なのか。
5. ↑
2004/06/19(土) 21:41:46
圧倒的にスレ違い。
(飯男の同類と思われる基地外に荒らされてるが)このへんのスレで。
http://www.kyoto-u.com/lounge/ep/html/200406/04060003.html
(飯男の同類と思われる基地外に荒らされてるが)このへんのスレで。
http://www.kyoto-u.com/lounge/ep/html/200406/04060003.html
6. スキッツォイドマン
2004/06/19(土) 21:48:09
(・3・) エェー
じゃー新スレたてるよ。
じゃー新スレたてるよ。
7. スキッツォイドマン
2004/06/19(土) 21:55:50
と思ったけど、やめとこう。食いつきが悪そうだ・・・
8. 工学系院生
2004/06/19(土) 23:58:27
>工学君
>1500mを努力して5分切れる例では、5分切って走れない人やそもそも虚弱体質や病気で走れない人から見ても「確かに5分切ってるね」と認めることができるが、
>芸術では違う。何しろ客観的な物差しがない。
>その例で行くなら、まるでタイムを示さずに「私は訓練で5分切れるようになりましたよ」って言ってるのと一緒。
悪いけど、予想通りの答えですね。では訊くが、「努力の結果」というところは「客観的に証明できない」(少なくとも君は納得しない)だろうし、「権威による押しつけ」とか「排除されている」という反応をしなければ筋が通らないはず。その点はどうなのか?
あるいは、「健康な若者なら努力次第で、30kmの山道を大した苦もなく歩き通せるようになる」ではどうですか?「たいした苦もなく」というのは半ば精神的なものであって、客観的な基準はないわけだけれど、これ自体は事実と認めざるを得ないでしょう?
>しかも虚弱体質の人(負の才能)には一生分からないね」と逃げる。
それは違いますね。虚弱体質の人でも、たとえば学問の分野で努力で多少なりとも壁を越えたことのある人なら、「そうだろうね、僕は全力疾走はできないけれど、努力の成果ってのは何となくわかるよ」とでも言うのが普通だと思うよ。「一生走れない」のと「想像もつかない」のは別です。
>ジャズ愛好家がジャズ独特の複雑なコード進行やものすごくすばやい手の動きなどを見て、あなたの言うところのサーカス的なすごさ(それが音楽の良さの全てである)を感じることはあっても、別に「ビルエヴァンスの魂」とかを感じてるわけじゃない。(もちろんそういう精神論を言うやつはジャズの世界にもしこたまいるだろうが。)
だから、「感じてるわけじゃない」とか、根拠なしに断言しないの。
さっき私が書いた「君の主張は、『真偽いずれとも証明されない主張は、排除しない』ということを『公理』として受け入れない限り成立しません」という文章に反論できないのであればね。
>デザイナーは良くできたデザインを見てなんとなく「お。このデザインは良い感じだ」と感じることはあっても「コシノジュンコが感じたなんとも言いえぬ境地が表象されている」など思ってない。(こっちもこういうこと言うやつはいくらでも居るだろうが)
別に、この際「なんとも言いえぬ境地」を感じて頂かなくて結構ですよ。「なんとなく」を言語化してみてごらんよ。できないでしょう?
しかし、君の書き込み見てたら寂しくなってきた。君って趣味はないんですか?書き込みを読んでる限り、学問にそれほど執着があるわけでもないようだし、読書も音楽も美術もファッションも興味なしですか?言っちゃ悪いけど、生きてて楽しい?
はっきり言って、君の主張って、趣味がある人の口からは絶対出てこない言葉だと思うしね。
>>君の意識は二つの脳に共有されているのでしょうか?
>共有されていたら何か問題でも?
だから、そういうことがあると想像できるか、ということですよ。距離が何光年も隔てられていても、それぞれ2つの眼が見たものを君は同時に見るのですか?だとしたらその視覚情報はどうやって伝わる?(ちょっとEPRのパラドックスに似てますね)光速を超えて伝わるのですか?
現在の科学では、そういう問いに答えが出ないんですよ。
>「私自身が感じた」のどこが客観的なのか?
私だけでなく、同じように考える人が数多くいる。それに、圧倒的大多数の人はそれを否定するわけでもない。クラシックに興味ない人でも、「俺には興味ないけど、凄いと思う人に取っては凄いんだろうな」ぐらいの中立的態度を崩さない人が圧倒的多数です(科学と同じような状況ですね)。それだけで十分客観的でしょう。
その他の点に関してはどうしました?反論できないと思って良いのですね?
>1500mを努力して5分切れる例では、5分切って走れない人やそもそも虚弱体質や病気で走れない人から見ても「確かに5分切ってるね」と認めることができるが、
>芸術では違う。何しろ客観的な物差しがない。
>その例で行くなら、まるでタイムを示さずに「私は訓練で5分切れるようになりましたよ」って言ってるのと一緒。
悪いけど、予想通りの答えですね。では訊くが、「努力の結果」というところは「客観的に証明できない」(少なくとも君は納得しない)だろうし、「権威による押しつけ」とか「排除されている」という反応をしなければ筋が通らないはず。その点はどうなのか?
あるいは、「健康な若者なら努力次第で、30kmの山道を大した苦もなく歩き通せるようになる」ではどうですか?「たいした苦もなく」というのは半ば精神的なものであって、客観的な基準はないわけだけれど、これ自体は事実と認めざるを得ないでしょう?
>しかも虚弱体質の人(負の才能)には一生分からないね」と逃げる。
それは違いますね。虚弱体質の人でも、たとえば学問の分野で努力で多少なりとも壁を越えたことのある人なら、「そうだろうね、僕は全力疾走はできないけれど、努力の成果ってのは何となくわかるよ」とでも言うのが普通だと思うよ。「一生走れない」のと「想像もつかない」のは別です。
>ジャズ愛好家がジャズ独特の複雑なコード進行やものすごくすばやい手の動きなどを見て、あなたの言うところのサーカス的なすごさ(それが音楽の良さの全てである)を感じることはあっても、別に「ビルエヴァンスの魂」とかを感じてるわけじゃない。(もちろんそういう精神論を言うやつはジャズの世界にもしこたまいるだろうが。)
だから、「感じてるわけじゃない」とか、根拠なしに断言しないの。
さっき私が書いた「君の主張は、『真偽いずれとも証明されない主張は、排除しない』ということを『公理』として受け入れない限り成立しません」という文章に反論できないのであればね。
>デザイナーは良くできたデザインを見てなんとなく「お。このデザインは良い感じだ」と感じることはあっても「コシノジュンコが感じたなんとも言いえぬ境地が表象されている」など思ってない。(こっちもこういうこと言うやつはいくらでも居るだろうが)
別に、この際「なんとも言いえぬ境地」を感じて頂かなくて結構ですよ。「なんとなく」を言語化してみてごらんよ。できないでしょう?
しかし、君の書き込み見てたら寂しくなってきた。君って趣味はないんですか?書き込みを読んでる限り、学問にそれほど執着があるわけでもないようだし、読書も音楽も美術もファッションも興味なしですか?言っちゃ悪いけど、生きてて楽しい?
はっきり言って、君の主張って、趣味がある人の口からは絶対出てこない言葉だと思うしね。
>>君の意識は二つの脳に共有されているのでしょうか?
>共有されていたら何か問題でも?
だから、そういうことがあると想像できるか、ということですよ。距離が何光年も隔てられていても、それぞれ2つの眼が見たものを君は同時に見るのですか?だとしたらその視覚情報はどうやって伝わる?(ちょっとEPRのパラドックスに似てますね)光速を超えて伝わるのですか?
現在の科学では、そういう問いに答えが出ないんですよ。
>「私自身が感じた」のどこが客観的なのか?
私だけでなく、同じように考える人が数多くいる。それに、圧倒的大多数の人はそれを否定するわけでもない。クラシックに興味ない人でも、「俺には興味ないけど、凄いと思う人に取っては凄いんだろうな」ぐらいの中立的態度を崩さない人が圧倒的多数です(科学と同じような状況ですね)。それだけで十分客観的でしょう。
その他の点に関してはどうしました?反論できないと思って良いのですね?
9. 工学
2004/06/20(日) 10:53:32
>そうですか。では、「『芸術家を愛好する立場を認めない立場』を認めない立場を根拠もなく排除するのは・・・」となるのですが、それで良いのですね?つまり、仮に君が「権威」から排除されていても、君はその「権威」に文句を言う資格はないということになるのですが。
要するに君の主張は、「真偽いずれとも証明されない主張は、排除しない」ということを「公理」として受け入れない限り成立しません。
いや、ここの部分は全く意味分からんのだが。
「『芸術家を愛好する立場を認めない立場』を認めない立場」というのは「芸術家を愛好する立場」だろ?
それに俺が疎外されても構わないって当たり前すぎるだろ???
それに「真偽いずれとも判断できないものは排除しない」などという腑抜けた態度を取ってるのはそっちだと思うが・・
1500mを5分切るようになるまでに為された努力や山を苦も無く30km歩き通すといったことならそれは健康だができない人や、虚弱体質者にも想像できるだろうよ・・
例えば運動はしたこと無くても毎日算数の問題集を50題ずつこなしたつらい経験、あるいはついには毎日50題が苦に感じられなくなったことなどと比較できるから。
この場合(手の感じた)肉体的苦痛や同じ作業を長時間続ける苦痛などつらさの本質においてかなり共通したイメージをもつことができる。
だがモーツァルトから彼の感じた境地を感じられるといわれても、俺ら虚弱体質者は抽象画から「境地」を感じたことも無いし、べつに芸術に限らず、TVゲームから作者の「魂」を感じることも無いし、友人の弁当からそいつの母親の「愛情」を感じることも無いし、スポーツのファインプレーにその人の「精神」を垣間見ることも無い。
そしてそんなものを感じなくても十分趣味は成り立つ。
(>君、趣味あるの?生きてて楽しい?)
ファインプレーは強靭な精神力が為したのか?
そんなものはない。100%が技術だろ。
>「なんとなく」を言語化してみてごらんよ。できないでしょう?
だから、「なんとなく好き」は誰にでもあるし、それは認めるって言ってるだろ。
なぜうどんよりそばがすきなのか?
もちろん最終的には歯ごたえや匂いや味やらが脳みそに送った電気信号が総合してたくさんドーパミンを出したからなのだろうが、正確にここで言語化はそれは複雑すぎてほぼ不可能だろう。(だが複雑さを厭わないなら可能であるが)
だがそれと芸術から人の精神やら境地やらが読み取れることとはぜんぜん違う。
あなたがモーツァルトを聞いて興奮し、脳がそれを気持ちよく感じたことは認めても、そこにモーツァルトが感じた境地をあなたも感じたから(あるいは一部でも共有できた?だったか)だとする一切の精神論があやしいと言ってるんだ。
>距離が何光年も隔てられていても、それぞれ2つの眼が見たものを君は同時に見るのですか?だとしたらその視覚情報はどうやって伝わる
A地点と、そこから何光年も離れたB地点に俺のコピーを作るまではいいが、俺がAで何かを見、Bでも何かを見た瞬間それらは別のものになるだろ。
それにもかかわらずAからでもBで見たものを見れると考えるほうがおかしい。
>私だけでなく、同じように考える人が数多くいる
いや、口には出さなくてもそういう芸術と精神論を怪しいと感じてる人もかなりたくさん居ると思うが?
それに良さの情報が共有されない以上は本当に良さを感じてるかきわめて怪しい。実社会では「良さ」を認めるほうが圧倒的に生き易いんだから。
>以下一つ前
>「議論の相手として存在を認める」ということでしょうが
議論の相手として存在を認めてるからこうやって議論してるんだろうが・・何を主張したいのか分からん。
>「自分で調べろ」と言ったのは、人を非難するのにその程度の努力もしない君に対する批判ですよ
いや、輪廻転生の本当の意味とやらを書いてみろよ。
間違いなく生と死について科学とあるいはキリスト教と相容れない点が浮き出てくるわけで、それは困るわな?
何せそれぞれの解釈は矛盾しないんだから。
なんでここだけ急に自分で調べなさいになるんだ。都合よすぎ。
要するに君の主張は、「真偽いずれとも証明されない主張は、排除しない」ということを「公理」として受け入れない限り成立しません。
いや、ここの部分は全く意味分からんのだが。
「『芸術家を愛好する立場を認めない立場』を認めない立場」というのは「芸術家を愛好する立場」だろ?
それに俺が疎外されても構わないって当たり前すぎるだろ???
それに「真偽いずれとも判断できないものは排除しない」などという腑抜けた態度を取ってるのはそっちだと思うが・・
1500mを5分切るようになるまでに為された努力や山を苦も無く30km歩き通すといったことならそれは健康だができない人や、虚弱体質者にも想像できるだろうよ・・
例えば運動はしたこと無くても毎日算数の問題集を50題ずつこなしたつらい経験、あるいはついには毎日50題が苦に感じられなくなったことなどと比較できるから。
この場合(手の感じた)肉体的苦痛や同じ作業を長時間続ける苦痛などつらさの本質においてかなり共通したイメージをもつことができる。
だがモーツァルトから彼の感じた境地を感じられるといわれても、俺ら虚弱体質者は抽象画から「境地」を感じたことも無いし、べつに芸術に限らず、TVゲームから作者の「魂」を感じることも無いし、友人の弁当からそいつの母親の「愛情」を感じることも無いし、スポーツのファインプレーにその人の「精神」を垣間見ることも無い。
そしてそんなものを感じなくても十分趣味は成り立つ。
(>君、趣味あるの?生きてて楽しい?)
ファインプレーは強靭な精神力が為したのか?
そんなものはない。100%が技術だろ。
>「なんとなく」を言語化してみてごらんよ。できないでしょう?
だから、「なんとなく好き」は誰にでもあるし、それは認めるって言ってるだろ。
なぜうどんよりそばがすきなのか?
もちろん最終的には歯ごたえや匂いや味やらが脳みそに送った電気信号が総合してたくさんドーパミンを出したからなのだろうが、正確にここで言語化はそれは複雑すぎてほぼ不可能だろう。(だが複雑さを厭わないなら可能であるが)
だがそれと芸術から人の精神やら境地やらが読み取れることとはぜんぜん違う。
あなたがモーツァルトを聞いて興奮し、脳がそれを気持ちよく感じたことは認めても、そこにモーツァルトが感じた境地をあなたも感じたから(あるいは一部でも共有できた?だったか)だとする一切の精神論があやしいと言ってるんだ。
>距離が何光年も隔てられていても、それぞれ2つの眼が見たものを君は同時に見るのですか?だとしたらその視覚情報はどうやって伝わる
A地点と、そこから何光年も離れたB地点に俺のコピーを作るまではいいが、俺がAで何かを見、Bでも何かを見た瞬間それらは別のものになるだろ。
それにもかかわらずAからでもBで見たものを見れると考えるほうがおかしい。
>私だけでなく、同じように考える人が数多くいる
いや、口には出さなくてもそういう芸術と精神論を怪しいと感じてる人もかなりたくさん居ると思うが?
それに良さの情報が共有されない以上は本当に良さを感じてるかきわめて怪しい。実社会では「良さ」を認めるほうが圧倒的に生き易いんだから。
>以下一つ前
>「議論の相手として存在を認める」ということでしょうが
議論の相手として存在を認めてるからこうやって議論してるんだろうが・・何を主張したいのか分からん。
>「自分で調べろ」と言ったのは、人を非難するのにその程度の努力もしない君に対する批判ですよ
いや、輪廻転生の本当の意味とやらを書いてみろよ。
間違いなく生と死について科学とあるいはキリスト教と相容れない点が浮き出てくるわけで、それは困るわな?
何せそれぞれの解釈は矛盾しないんだから。
なんでここだけ急に自分で調べなさいになるんだ。都合よすぎ。
10. 工学系院生
2004/06/20(日) 19:49:08
>工学君
>「『芸術家を愛好する立場を認めない立場』を認めない立場」というのは「芸術家を愛好する立場」だろ?
・・・本気で言っているのですか?世の中、白か黒かしかないとでも?
>それに俺が疎外されても構わないって当たり前すぎるだろ???
ああそう。では、君を疎外します。アホにいくら言っても無駄。黙っとれ。お前の言うことなんて幼稚なガキの戯言なんだよ。そんなの俺から見たら一目瞭然だ。屁理屈こねてる暇があったらもっと人生修行して経験積んでこい。・・・と言われても良いのですね?それに対して君はさらに罵倒で返すの?それが議論なわけ?第一、君は「権威から疎外されてる」ことに不満言ってるくせに、「疎外されても構わない」って何よそれ?要するに君は筋が通っていようといまいと、自分のわがままを通したいだけと違うの?それって幼稚園児並の態度だよ?
>それに「真偽いずれとも判断できないものは排除しない」などという腑抜けた態度を取ってるのはそっちだと思うが・・
「科学主義」を名乗る人が、よくもまあそんなせりふを吐けるもんです。腑抜けも何も、未証明の命題は議論の対象になり得るというのが科学の第一原則でしょうが。
>だがモーツァルトから彼の感じた境地を感じられるといわれても、俺ら虚弱体質者は抽象画から「境地」を感じたことも無いし、べつに芸術に限らず、TVゲームから作者の「魂」を感じることも無いし、友人の弁当からそいつの母親の「愛情」を感じることも無いし、スポーツのファインプレーにその人の「精神」を垣間見ることも無い。
・・・それって本当か?信じられない。じゃあ、別に芸術じゃなくてもいいよ。学問でもゲームでもスポーツでもいいけど、君にとってそれは時間つぶしに過ぎないわけ?スポーツで勝利の喜びや体を動かしたすがすがしさみたいなもの感じないの?
>ファインプレーは強靭な精神力が為したのか?
>そんなものはない。100%が技術だろ。
精神力がなければ現実的には無理なプレーって多いよ。別に野球やサッカーみたいな本格的なもんじゃなくてもいい。ボーリングやビリヤードでも、本気で実力の近い相手と競り合ったら、最後は「勝つ!」っていう気迫と邪念を断つ集中力がなければまず勝てないよ。それぐらい経験則でわかるでしょう?
>だから、「なんとなく好き」は誰にでもあるし、それは認めるって言ってるだろ。
じゃあ、少なくとも文系学問や芸術(あるいや宗教も)だって「なんとなく好き」な人がいたっていいやん。「なんとなく好き」なものを語りたいってのは当たり前の心理でしょう。それをわざわざ「権威」なんて名付けなくてもいいじゃないですか?
>だがそれと芸術から人の精神やら境地やらが読み取れることとはぜんぜん違う。
では訊きます。たとえばたぶん、君はアラビア語やらヒンドゥー語なんて知らないでしょう。そういう知らない外国語でしゃべってる人たちが、そういう君のわからない言葉で意志や感情を伝え合ってることに疑問を持ちますか?持たないでしょう。ではそれは何を見て、そう思ったのですか?
>だがそれと芸術から人の精神やら境地やらが読み取れることとはぜんぜん違う。
じゃあ、君は文学だったら認めますか?文学はそういうものを言語で記述するわけだけれど。
あるいは文学じゃなくてもいい、映画でもテレビドラマでもいいですよ。映画を見て、あとまで深い印象を残すことってありませんか?あれだって所詮、映像と音の組み合わせですよ。だったら、映像だけ、あるいは音だけでそういうものが伝わることだってあり得ると思いませんか?
>A地点と、そこから何光年も離れたB地点に俺のコピーを作るまではいいが、俺がAで何かを見、Bでも何かを見た瞬間それらは別のものになるだろ。
>それにもかかわらずAからでもBで見たものを見れると考えるほうがおかしい。
それも一つの考えです。ですがそうだとしても、意識が共有されるなら君の意識とコピーの意識は区別がつかなくなるわけで、元々A地点にいた君が、その次の瞬間B地点のコピーの肉体を所有することになってもおかしくない。となると君はその瞬間「ワープ」をしたことになる。
あるいはこう考えてもいい。コピーを作って、次に元の君の肉体を破壊する。すると、君の意識は途切れないので、君はコピーのいた地点に意識の上ではワープすることになる。そんなことが信じられますか?そんな実験が可能だとして、実験台になる勇気がありますか?
>「『芸術家を愛好する立場を認めない立場』を認めない立場」というのは「芸術家を愛好する立場」だろ?
・・・本気で言っているのですか?世の中、白か黒かしかないとでも?
>それに俺が疎外されても構わないって当たり前すぎるだろ???
ああそう。では、君を疎外します。アホにいくら言っても無駄。黙っとれ。お前の言うことなんて幼稚なガキの戯言なんだよ。そんなの俺から見たら一目瞭然だ。屁理屈こねてる暇があったらもっと人生修行して経験積んでこい。・・・と言われても良いのですね?それに対して君はさらに罵倒で返すの?それが議論なわけ?第一、君は「権威から疎外されてる」ことに不満言ってるくせに、「疎外されても構わない」って何よそれ?要するに君は筋が通っていようといまいと、自分のわがままを通したいだけと違うの?それって幼稚園児並の態度だよ?
>それに「真偽いずれとも判断できないものは排除しない」などという腑抜けた態度を取ってるのはそっちだと思うが・・
「科学主義」を名乗る人が、よくもまあそんなせりふを吐けるもんです。腑抜けも何も、未証明の命題は議論の対象になり得るというのが科学の第一原則でしょうが。
>だがモーツァルトから彼の感じた境地を感じられるといわれても、俺ら虚弱体質者は抽象画から「境地」を感じたことも無いし、べつに芸術に限らず、TVゲームから作者の「魂」を感じることも無いし、友人の弁当からそいつの母親の「愛情」を感じることも無いし、スポーツのファインプレーにその人の「精神」を垣間見ることも無い。
・・・それって本当か?信じられない。じゃあ、別に芸術じゃなくてもいいよ。学問でもゲームでもスポーツでもいいけど、君にとってそれは時間つぶしに過ぎないわけ?スポーツで勝利の喜びや体を動かしたすがすがしさみたいなもの感じないの?
>ファインプレーは強靭な精神力が為したのか?
>そんなものはない。100%が技術だろ。
精神力がなければ現実的には無理なプレーって多いよ。別に野球やサッカーみたいな本格的なもんじゃなくてもいい。ボーリングやビリヤードでも、本気で実力の近い相手と競り合ったら、最後は「勝つ!」っていう気迫と邪念を断つ集中力がなければまず勝てないよ。それぐらい経験則でわかるでしょう?
>だから、「なんとなく好き」は誰にでもあるし、それは認めるって言ってるだろ。
じゃあ、少なくとも文系学問や芸術(あるいや宗教も)だって「なんとなく好き」な人がいたっていいやん。「なんとなく好き」なものを語りたいってのは当たり前の心理でしょう。それをわざわざ「権威」なんて名付けなくてもいいじゃないですか?
>だがそれと芸術から人の精神やら境地やらが読み取れることとはぜんぜん違う。
では訊きます。たとえばたぶん、君はアラビア語やらヒンドゥー語なんて知らないでしょう。そういう知らない外国語でしゃべってる人たちが、そういう君のわからない言葉で意志や感情を伝え合ってることに疑問を持ちますか?持たないでしょう。ではそれは何を見て、そう思ったのですか?
>だがそれと芸術から人の精神やら境地やらが読み取れることとはぜんぜん違う。
じゃあ、君は文学だったら認めますか?文学はそういうものを言語で記述するわけだけれど。
あるいは文学じゃなくてもいい、映画でもテレビドラマでもいいですよ。映画を見て、あとまで深い印象を残すことってありませんか?あれだって所詮、映像と音の組み合わせですよ。だったら、映像だけ、あるいは音だけでそういうものが伝わることだってあり得ると思いませんか?
>A地点と、そこから何光年も離れたB地点に俺のコピーを作るまではいいが、俺がAで何かを見、Bでも何かを見た瞬間それらは別のものになるだろ。
>それにもかかわらずAからでもBで見たものを見れると考えるほうがおかしい。
それも一つの考えです。ですがそうだとしても、意識が共有されるなら君の意識とコピーの意識は区別がつかなくなるわけで、元々A地点にいた君が、その次の瞬間B地点のコピーの肉体を所有することになってもおかしくない。となると君はその瞬間「ワープ」をしたことになる。
あるいはこう考えてもいい。コピーを作って、次に元の君の肉体を破壊する。すると、君の意識は途切れないので、君はコピーのいた地点に意識の上ではワープすることになる。そんなことが信じられますか?そんな実験が可能だとして、実験台になる勇気がありますか?
11. 工学系院生
2004/06/20(日) 19:49:58
>いや、口には出さなくてもそういう芸術と精神論を怪しいと感じてる人もかなりたくさん居ると思うが?
では、どうして今までそういう意見が表に出てこなかったのでしょうね?別にそういう意見が弾圧される世の中でもないでしょうに。
>それに良さの情報が共有されない以上は本当に良さを感じてるかきわめて怪しい。実社会では「良さ」を認めるほうが圧倒的に生き易いんだから。
もし「怪しいと感じてる人」が多いなら、そういう人の冷たい視線に曝されるわけで、とても生きやすいとは思えませんがね?
それに、そんなことをいえばどんな感情だって共有されることはないですよ。君が言いたいことが私に伝わることがあるのか、あったとしてそれをどうやって確かめるのか。どうしようもないでしょう。だったら君は私に意見を言うのはやめるべきですね。
>>「議論の相手として存在を認める」ということでしょうが
>議論の相手として存在を認めてるからこうやって議論してるんだろうが・・何を主張したいのか分からん。
「議論の相手として存在を認める」というのは、相手を排除しないということですよ?わかってますか??
>>「自分で調べろ」と言ったのは、人を非難するのにその程度の努力もしない君に対する批判ですよ
>いや、輪廻転生の本当の意味とやらを書いてみろよ。
あのねえ。前にもある宗派の解釈(の一端)を書いて見せたでしょう。忘れたのですか?
それに、それが「本当の意味」なのかどうかは私はわかりませんし、わかってたとしてそれを門外漢の君に伝えられるかどうかも疑問です。
どんなことでも「本当の意味」がわかっていて、言葉で書けると思うのは誤りですよ。なんとなく「こんなもんなんちゃうの」という漠然としたイメージから段々理解を深めていくしかないんですよ。
そんなこというなら「質量」って何ですか?「時間」って何ですか?「力」って何ですか?「空間」って何ですか?物理学の根本概念ですよ。門外漢にもわかるように、ごまかさずに「本当の意味」を書いてくださいよ。もっとも、最先端の物理学でも答えの出てる質問なのかどうか私は知りませんけどね。君が私に向けた態度からすると、君はそういうことができるようだから敢えて訊いてみました。
>間違いなく生と死について科学とあるいはキリスト教と相容れない点が浮き出てくるわけで、それは困るわな?
科学とはともかく、キリスト教と仏教が矛盾したとして、この議論に何らかの影響があるのですか?
私は「宗教と科学は相互排他の関係にない」と言っているだけで、複数の宗教が相互排他の関係にないと主張した人は誰もいないと思いますが。
>なんでここだけ急に自分で調べなさいになるんだ。都合よすぎ。
もういい加減に嫌になったからですよ。君は何度答えても忘れたふりをして同じ質問をしてくるし、私は別に専門知識があるわけでもないし、そもそも私は「宗教」一般についてどうこう言ったかもしれないけれど、特定の宗教の教義について語るつもりなんてないんだし。
それに、芸術体験に関してはある程度は仕方ないとは思うが、宗教の教義なんてのは本を読めば書いてあることです。自分が批判する対象について調べる努力もしないような怠惰な人の相手をしてやる気に、誰がなりますか。君は、私が君の主張を全体として読み取っていないというけれど(その指摘にはまったく承服できないが)、一応私は君の主張の骨子を読み取る努力はしているつもりですよ。主張がすぐ変わるから非常に読み取りにくいですけれどね。にもかかわらず、君は批判対象の主張を読み取る努力すらしていない。そんなことが許されると思っているのですか。
では、どうして今までそういう意見が表に出てこなかったのでしょうね?別にそういう意見が弾圧される世の中でもないでしょうに。
>それに良さの情報が共有されない以上は本当に良さを感じてるかきわめて怪しい。実社会では「良さ」を認めるほうが圧倒的に生き易いんだから。
もし「怪しいと感じてる人」が多いなら、そういう人の冷たい視線に曝されるわけで、とても生きやすいとは思えませんがね?
それに、そんなことをいえばどんな感情だって共有されることはないですよ。君が言いたいことが私に伝わることがあるのか、あったとしてそれをどうやって確かめるのか。どうしようもないでしょう。だったら君は私に意見を言うのはやめるべきですね。
>>「議論の相手として存在を認める」ということでしょうが
>議論の相手として存在を認めてるからこうやって議論してるんだろうが・・何を主張したいのか分からん。
「議論の相手として存在を認める」というのは、相手を排除しないということですよ?わかってますか??
>>「自分で調べろ」と言ったのは、人を非難するのにその程度の努力もしない君に対する批判ですよ
>いや、輪廻転生の本当の意味とやらを書いてみろよ。
あのねえ。前にもある宗派の解釈(の一端)を書いて見せたでしょう。忘れたのですか?
それに、それが「本当の意味」なのかどうかは私はわかりませんし、わかってたとしてそれを門外漢の君に伝えられるかどうかも疑問です。
どんなことでも「本当の意味」がわかっていて、言葉で書けると思うのは誤りですよ。なんとなく「こんなもんなんちゃうの」という漠然としたイメージから段々理解を深めていくしかないんですよ。
そんなこというなら「質量」って何ですか?「時間」って何ですか?「力」って何ですか?「空間」って何ですか?物理学の根本概念ですよ。門外漢にもわかるように、ごまかさずに「本当の意味」を書いてくださいよ。もっとも、最先端の物理学でも答えの出てる質問なのかどうか私は知りませんけどね。君が私に向けた態度からすると、君はそういうことができるようだから敢えて訊いてみました。
>間違いなく生と死について科学とあるいはキリスト教と相容れない点が浮き出てくるわけで、それは困るわな?
科学とはともかく、キリスト教と仏教が矛盾したとして、この議論に何らかの影響があるのですか?
私は「宗教と科学は相互排他の関係にない」と言っているだけで、複数の宗教が相互排他の関係にないと主張した人は誰もいないと思いますが。
>なんでここだけ急に自分で調べなさいになるんだ。都合よすぎ。
もういい加減に嫌になったからですよ。君は何度答えても忘れたふりをして同じ質問をしてくるし、私は別に専門知識があるわけでもないし、そもそも私は「宗教」一般についてどうこう言ったかもしれないけれど、特定の宗教の教義について語るつもりなんてないんだし。
それに、芸術体験に関してはある程度は仕方ないとは思うが、宗教の教義なんてのは本を読めば書いてあることです。自分が批判する対象について調べる努力もしないような怠惰な人の相手をしてやる気に、誰がなりますか。君は、私が君の主張を全体として読み取っていないというけれど(その指摘にはまったく承服できないが)、一応私は君の主張の骨子を読み取る努力はしているつもりですよ。主張がすぐ変わるから非常に読み取りにくいですけれどね。にもかかわらず、君は批判対象の主張を読み取る努力すらしていない。そんなことが許されると思っているのですか。
12. 長く続いていますな
2004/06/20(日) 23:48:30
>1500mを努力して5分切れる例では、5分切って走れない人やそもそも虚弱体質や病気で走れない人から見ても「確かに5分切ってるね」と認めることができる
それはそうですが、じゃあそれには価値があるのですか?
これに関して芸術の話で対称な例をあげるとすれば、「山が書いてある絵ではその絵の写実性などを評価できなくても、山が書いてあると認識することができる」ですね。その絵がもっと抽象的な意味を持っていたとしても、所謂芸術が分からない人にとってはその価値は理解できないかもしれません。5分を切って走ることができたことに対して、それはそうだけどだからどうしたのと聞くのと一緒です。それどころか、例えば逆に「確かに速いけどフォームはぐちゃぐちゃだったね」と評価されることもありうるわけだし、他にも、「足が速いということは、野蛮な証拠だ」などと無茶な評価もできるわけで。5分をきるということ自体は客観的でも、その評価になると主体性の塊です。そういう意味では、芸術自体も客観的だといえます。
結局、「だからどうした」と言ってしまえばそこで終わりなのでは。もっと肯定的に捉える方法を模索するのがよいのでは。
それはそうですが、じゃあそれには価値があるのですか?
これに関して芸術の話で対称な例をあげるとすれば、「山が書いてある絵ではその絵の写実性などを評価できなくても、山が書いてあると認識することができる」ですね。その絵がもっと抽象的な意味を持っていたとしても、所謂芸術が分からない人にとってはその価値は理解できないかもしれません。5分を切って走ることができたことに対して、それはそうだけどだからどうしたのと聞くのと一緒です。それどころか、例えば逆に「確かに速いけどフォームはぐちゃぐちゃだったね」と評価されることもありうるわけだし、他にも、「足が速いということは、野蛮な証拠だ」などと無茶な評価もできるわけで。5分をきるということ自体は客観的でも、その評価になると主体性の塊です。そういう意味では、芸術自体も客観的だといえます。
結局、「だからどうした」と言ってしまえばそこで終わりなのでは。もっと肯定的に捉える方法を模索するのがよいのでは。
13. それに工学は
2004/06/21(月) 07:25:58
>悪いけど、予想通りの答えですね。では訊くが、「努力の結果」というところは「客観的に証明できない」(少なくとも君は納得しない)だろうし、「権威による押しつけ」とか「排除されている」という反応をしなければ筋が通らないはず。その点はどうなのか?
>あるいは、「健康な若者なら努力次第で、30kmの山道を大した苦もなく歩き通せるようになる」ではどうですか?「たいした苦もなく」というのは半ば精神的なものであって、客観的な基準はないわけだけれど、これ自体は事実と認めざるを得ないでしょう?
これに答えてないしね。
>あるいは、「健康な若者なら努力次第で、30kmの山道を大した苦もなく歩き通せるようになる」ではどうですか?「たいした苦もなく」というのは半ば精神的なものであって、客観的な基準はないわけだけれど、これ自体は事実と認めざるを得ないでしょう?
これに答えてないしね。
14. >工学
2004/06/21(月) 19:33:07
逃げたのか知らんが、一応「輪廻転生」について目についたサイトを。
本願寺派(西本願寺)
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/index.html
上座部仏教(いわゆる小乗仏教。著者はスリランカ人なので多少日本語は変だが)
http://www.j-theravada.net/kogi/index.html
本願寺派(西本願寺)
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/index.html
上座部仏教(いわゆる小乗仏教。著者はスリランカ人なので多少日本語は変だが)
http://www.j-theravada.net/kogi/index.html
15. 文系ですが
2004/06/22(火) 12:14:17
ここで文系と名乗るには勇気が要りますな(笑)
さておいて、あまりの分量に目を通し切れて居ないのでその点については最初に謝罪しておきますが、工学氏にお聞きしたいのは、
>信じる人自体は認める
の「認める」の意味はなんなんでしょうか?ということです。
既出だったら申し訳ないですが…。
さておいて、あまりの分量に目を通し切れて居ないのでその点については最初に謝罪しておきますが、工学氏にお聞きしたいのは、
>信じる人自体は認める
の「認める」の意味はなんなんでしょうか?ということです。
既出だったら申し訳ないですが…。
16. いまもう一人の理学部
2004/06/22(火) 13:19:15
まだ続けてんの?
工学は言葉を交わす価値の無いあほなのに・・・
工学は言葉を交わす価値の無いあほなのに・・・
17. 無権代理人
2004/06/22(火) 13:22:45
>信じる人自体は認めるの「認める」の意味
そういう人が存在する「事実」は認めるってことです。
そういう人が存在する「事実」は認めるってことです。
18. 文系ですが
2004/06/22(火) 13:51:52
>無権代理人さま
なるほど、では「人自体は認める」というのは言葉足らずな訳ですね。
「人自体」は認めていないが「そういう人間が居るという厳然とした客観的事実」は認めざるを得ないということでしょうか。
>いまもう一人の理学部さま
どうしてもそこが引っかかっていたので^^;
すみません^^;;
なるほど、では「人自体は認める」というのは言葉足らずな訳ですね。
「人自体」は認めていないが「そういう人間が居るという厳然とした客観的事実」は認めざるを得ないということでしょうか。
>いまもう一人の理学部さま
どうしてもそこが引っかかっていたので^^;
すみません^^;;
19. 無権代理人
2004/06/22(火) 18:01:11
>「人自体」は認めていないが「そういう人間が居るという厳然とした客観的事実」は認めざるを得ないということでしょうか
後半は正しい。前半は、「芸術や音楽などをわかったつもりでいいきになっている人がいうような、『境地』は認めない」ということです。なにかをわかったというとき、「わかる」という言葉の中に相手と同じ認識を得たという要素が含まれているはずです。芸術や音楽を自称「わかる」人は、厳密にいえば「わかるはずがない」のに「わかる」と言っていい気になっている。そこに芸術や音楽における「欺瞞」や「傲慢」をみてとることができるのです。
後半は正しい。前半は、「芸術や音楽などをわかったつもりでいいきになっている人がいうような、『境地』は認めない」ということです。なにかをわかったというとき、「わかる」という言葉の中に相手と同じ認識を得たという要素が含まれているはずです。芸術や音楽を自称「わかる」人は、厳密にいえば「わかるはずがない」のに「わかる」と言っていい気になっている。そこに芸術や音楽における「欺瞞」や「傲慢」をみてとることができるのです。
20. 無権代理人さんは
2004/06/22(火) 18:28:38
工学さんなの?
21. いや、
2004/06/22(火) 19:10:17
工学よりはもう少しわかってるっぽいぞ。
22. スキッツォイドマン
2004/06/22(火) 22:47:24
まず、歌謡曲の善し悪しは権威主義ではなかろう。
したがって、曲の善し悪しの概念は存在する。
そこで、曲AよりBの方がいい曲、さらにCの方が…と続けて極限をとると、何かが存在するだろう。それが音楽的感動のイデアである。
同様に、まずい茶と飲める茶の区別は…(r)
…何がいいたいのか自分でもわからん。
したがって、曲の善し悪しの概念は存在する。
そこで、曲AよりBの方がいい曲、さらにCの方が…と続けて極限をとると、何かが存在するだろう。それが音楽的感動のイデアである。
同様に、まずい茶と飲める茶の区別は…(r)
…何がいいたいのか自分でもわからん。
23. 無権代理人
2004/06/22(火) 23:40:54
>工学さんなの?
工学が尻尾巻いて逃げていくの見ましたが何か?
その姿のあまりのふがいなさに登場しました。
工学が尻尾巻いて逃げていくの見ましたが何か?
その姿のあまりのふがいなさに登場しました。
24. 無権代理人
2004/06/22(火) 23:57:31
>スキッツォイドマン
>曲の善し悪しは権威主義ではなかろう
なかろうね。これには異論はない。あくまで個人の主観レベルに限るが。
>極限をとると、何かが存在するだろう。それが音楽的感動のイデアである。
まずはっきりさせておきたいが、究極の音楽など存在しない。よりよい音楽はあるかもしれないが。よって「極限=何かの存在」などという概念を認めることはできない。
また、よりよい曲でなければ音楽的感動を得られないとはいえない。
仮に、一定集団内における「より洗練された音楽」や「より洗練された芸術」なるものの価値が、一定の統一をみたとしても、そのことをもって、他の音楽や芸術よりも「高次の価値」をもっているとはいえないし、それが普遍的だともいえない。
ゴッホの「ひまわり」はゴッホの代表作の一つだが、技術レベルであれと同じものを作れる作家はたくさんいる。現に一寸たがわぬ贋作が多数出回っている。「ゴッホが書いた」絵であるから価値があるのであって、それは芸術の普遍性とは無関係の話である。
それを普遍性にまで高める文化装置が権威であり、人々の「盲信」である。
>曲の善し悪しは権威主義ではなかろう
なかろうね。これには異論はない。あくまで個人の主観レベルに限るが。
>極限をとると、何かが存在するだろう。それが音楽的感動のイデアである。
まずはっきりさせておきたいが、究極の音楽など存在しない。よりよい音楽はあるかもしれないが。よって「極限=何かの存在」などという概念を認めることはできない。
また、よりよい曲でなければ音楽的感動を得られないとはいえない。
仮に、一定集団内における「より洗練された音楽」や「より洗練された芸術」なるものの価値が、一定の統一をみたとしても、そのことをもって、他の音楽や芸術よりも「高次の価値」をもっているとはいえないし、それが普遍的だともいえない。
ゴッホの「ひまわり」はゴッホの代表作の一つだが、技術レベルであれと同じものを作れる作家はたくさんいる。現に一寸たがわぬ贋作が多数出回っている。「ゴッホが書いた」絵であるから価値があるのであって、それは芸術の普遍性とは無関係の話である。
それを普遍性にまで高める文化装置が権威であり、人々の「盲信」である。
25. スキッツォイドマン
2004/06/23(水) 00:18:52
>現に一寸たがわぬ贋作が多数出回っている。「ゴッホが書いた」絵であるから価値があるのであって、それは芸術の普遍性とは無関係の話である。
たしかにゴッホの絵に50億の値がついてありがたがってるのは、スノビズムだろうなあ。画集で十分鑑賞できるし。
とはいえ、
>技術レベルであれと同じものを作れる作家
がお手本なしで創作した絵は、多分ゴッホの作品ほどの美しさがない(可能性が高い)。ゴッホのように歴史に残る作品はつくれないであろう。
この差を説明する「何か」が、ただの権威だとは思えんのであるが。
たしかにゴッホの絵に50億の値がついてありがたがってるのは、スノビズムだろうなあ。画集で十分鑑賞できるし。
とはいえ、
>技術レベルであれと同じものを作れる作家
がお手本なしで創作した絵は、多分ゴッホの作品ほどの美しさがない(可能性が高い)。ゴッホのように歴史に残る作品はつくれないであろう。
この差を説明する「何か」が、ただの権威だとは思えんのであるが。
26. 工学系院生
2004/06/23(水) 00:30:43
工学君は消えてしまったのかなあ。
まあ、一応続いているみたいなので多少。
>無権代理人さん
>芸術や音楽を自称「わかる」人は、厳密にいえば「わかるはずがない」のに「わかる」と言っていい気になっている。そこに芸術や音楽における「欺瞞」や「傲慢」をみてとることができるのです。
正直、あなたの発言にも工学君と同様のトゲがありますね・・・。読んでいて余り愉快な文章ではないですよ。
それはともかく、確かにあなたのおっしゃることは厳密には正しいと思います。他人の考えたことが「完全に」わかることはまずないと言ってよいでしょう。
しかし、「完全に」わからなければ「わかる」とは言ってはいけないのでしょうか?ある程度ではあるにせよ、意思が通じたのであれば「わかる」と言うのが普通の語法ではないのでしょうか?
どうも、全否定と部分否定を混同なされている気がします。これは工学君にも言えることですが。
>>極限をとると、何かが存在するだろう。それが音楽的感動のイデアである。
>まずはっきりさせておきたいが、究極の音楽など存在しない。
「存在しない」となぜ言えるのですか?
それと、「イデア」の意味はわかってますか?
>ゴッホの「ひまわり」はゴッホの代表作の一つだが、技術レベルであれと同じものを作れる作家はたくさんいる。現に一寸たがわぬ贋作が多数出回っている。
いや、贋作はともかく、模写と本物はやはり違うと思いますけどねえ。
それはそれとして、「本物の絵についた値段」と「絵自体の価値」はかならずしも一致しないのではないでしょうか。絵を買うということは、「一つしかないオリジナル」を集めたいという蒐集趣味でもある気がしますし。古銭コレクターと同じですよ。百円札が未だ百円の貨幣価値しか持っていないにもかかわらず、百円以上の値で取引されるわけで。
小説の自筆原稿や作曲家の自筆譜が高額で取引されることを持って、それが音楽や文学の権威主義ってことにはなりませんよね?(もっとも、自筆原稿や自筆譜は学術研究上はとても貴重な資料です)
まあ、一応続いているみたいなので多少。
>無権代理人さん
>芸術や音楽を自称「わかる」人は、厳密にいえば「わかるはずがない」のに「わかる」と言っていい気になっている。そこに芸術や音楽における「欺瞞」や「傲慢」をみてとることができるのです。
正直、あなたの発言にも工学君と同様のトゲがありますね・・・。読んでいて余り愉快な文章ではないですよ。
それはともかく、確かにあなたのおっしゃることは厳密には正しいと思います。他人の考えたことが「完全に」わかることはまずないと言ってよいでしょう。
しかし、「完全に」わからなければ「わかる」とは言ってはいけないのでしょうか?ある程度ではあるにせよ、意思が通じたのであれば「わかる」と言うのが普通の語法ではないのでしょうか?
どうも、全否定と部分否定を混同なされている気がします。これは工学君にも言えることですが。
>>極限をとると、何かが存在するだろう。それが音楽的感動のイデアである。
>まずはっきりさせておきたいが、究極の音楽など存在しない。
「存在しない」となぜ言えるのですか?
それと、「イデア」の意味はわかってますか?
>ゴッホの「ひまわり」はゴッホの代表作の一つだが、技術レベルであれと同じものを作れる作家はたくさんいる。現に一寸たがわぬ贋作が多数出回っている。
いや、贋作はともかく、模写と本物はやはり違うと思いますけどねえ。
それはそれとして、「本物の絵についた値段」と「絵自体の価値」はかならずしも一致しないのではないでしょうか。絵を買うということは、「一つしかないオリジナル」を集めたいという蒐集趣味でもある気がしますし。古銭コレクターと同じですよ。百円札が未だ百円の貨幣価値しか持っていないにもかかわらず、百円以上の値で取引されるわけで。
小説の自筆原稿や作曲家の自筆譜が高額で取引されることを持って、それが音楽や文学の権威主義ってことにはなりませんよね?(もっとも、自筆原稿や自筆譜は学術研究上はとても貴重な資料です)
27. ぅぉ
2004/06/23(水) 01:03:27
まだ続いてるのか・・・
文字数がすごい。
文字数がすごい。
28. 無権代理人
2004/06/23(水) 01:14:01
>手本なしで創作した絵は、多分ゴッホの作品ほどの美しさがない(可能性が高い)。
ゴッホ自身の若い頃の絵は、駄作もたくさんあります。人は他人の技術などを真似して成長するものです。つまり、ゴッホ自身が他人の作品を「贋作」して成長していったのです。誰でも「ゴッホたりうる」わけです。
あなたがゴッホの作品を美しいと思うのは、あなたの趣味の問題です。あなたが単にゴッホの絵が好きだということです。そのことは、名もない作品よりもゴッホの絵が「より芸術的境地に近い」ということにはならないのではないですか?
贋作家がゴッホの技術を身に付ければ、贋作家自身のスタイルに合わせた立派な作品が生まれることでしょう。あなたがゴッホ以上に気に入るかもしれませんし、そうでないかもしれません。ただし、これは仮定の話なので議論しても先には進めないかもしれませんね。
ゴッホ自身の若い頃の絵は、駄作もたくさんあります。人は他人の技術などを真似して成長するものです。つまり、ゴッホ自身が他人の作品を「贋作」して成長していったのです。誰でも「ゴッホたりうる」わけです。
あなたがゴッホの作品を美しいと思うのは、あなたの趣味の問題です。あなたが単にゴッホの絵が好きだということです。そのことは、名もない作品よりもゴッホの絵が「より芸術的境地に近い」ということにはならないのではないですか?
贋作家がゴッホの技術を身に付ければ、贋作家自身のスタイルに合わせた立派な作品が生まれることでしょう。あなたがゴッホ以上に気に入るかもしれませんし、そうでないかもしれません。ただし、これは仮定の話なので議論しても先には進めないかもしれませんね。
29. 無権代理人
2004/06/23(水) 01:42:39
>院生さん
では棘を抜いた上で議論しましょう。
>ある程度ではあるにせよ、意思が通じたのであれば「わかる」と言うのが普通の語法ではないのでしょうか?
ではあなたは、「ある程度=部分的には」モーツァルトやゴッホと意思が通じたのですか?普通の用語法でいえば、「わかったつもりになりました」というのが正しい語法だと思います。
確かに、一般人の会話では「わかる」はそれほど厳密には問題にしなくていいでしょうが、ここは「本当にそう言えるか」という意味での厳密さを求める議論ではないでしょうか。その場合には、「部分的にわかった」という明確な根拠を求めずにはいられません。
>>まずはっきりさせておきたいが、究極の音楽など存在しない。
>「存在しない」となぜ言えるのですか?
>それと、「イデア」の意味はわかってますか?
最初の質問には、「音楽の評価基準は個人意外にありえないから」と答えます。あなたの語法によっても、究極の音楽=普遍的に最高の音楽、と言い換えることができるでしょう。その場合、僕はその音楽を究極とは認めません、といえば、それは究極ではなくなります。僕が鴨川のせせらぎが究極の音楽だといえば、あなたはなんと反論できますか?できないでしょう。究極の音楽などはないのですから。
それは次の質問の「イデア」にも関係します。イデアの意味は個体的なものを離れた観念的な原型、と理解していますが、ここであなたと形而上哲学について云々いうつもりはありません。この議論においても、「イデア」なる概念は、これまで言われてきた「芸術的境地」や「何か」とほぼ同義であり、言い換えたものにすぎないわけですから、わざわざ難しい用語を使って議論する必要性はないでしょう。
究極的な音楽という概念=イデア=何か=芸術的境地、なので、どれを使ってもらっても構いませんが、どれかに統一してください。
仮に観念それ自体を「空想的に」認めることができたとしても、それはこの議論の柱である「何か」や「普遍性」が現実の世界を前提としてなされなければならない以上、意味がないと考えます。
では棘を抜いた上で議論しましょう。
>ある程度ではあるにせよ、意思が通じたのであれば「わかる」と言うのが普通の語法ではないのでしょうか?
ではあなたは、「ある程度=部分的には」モーツァルトやゴッホと意思が通じたのですか?普通の用語法でいえば、「わかったつもりになりました」というのが正しい語法だと思います。
確かに、一般人の会話では「わかる」はそれほど厳密には問題にしなくていいでしょうが、ここは「本当にそう言えるか」という意味での厳密さを求める議論ではないでしょうか。その場合には、「部分的にわかった」という明確な根拠を求めずにはいられません。
>>まずはっきりさせておきたいが、究極の音楽など存在しない。
>「存在しない」となぜ言えるのですか?
>それと、「イデア」の意味はわかってますか?
最初の質問には、「音楽の評価基準は個人意外にありえないから」と答えます。あなたの語法によっても、究極の音楽=普遍的に最高の音楽、と言い換えることができるでしょう。その場合、僕はその音楽を究極とは認めません、といえば、それは究極ではなくなります。僕が鴨川のせせらぎが究極の音楽だといえば、あなたはなんと反論できますか?できないでしょう。究極の音楽などはないのですから。
それは次の質問の「イデア」にも関係します。イデアの意味は個体的なものを離れた観念的な原型、と理解していますが、ここであなたと形而上哲学について云々いうつもりはありません。この議論においても、「イデア」なる概念は、これまで言われてきた「芸術的境地」や「何か」とほぼ同義であり、言い換えたものにすぎないわけですから、わざわざ難しい用語を使って議論する必要性はないでしょう。
究極的な音楽という概念=イデア=何か=芸術的境地、なので、どれを使ってもらっても構いませんが、どれかに統一してください。
仮に観念それ自体を「空想的に」認めることができたとしても、それはこの議論の柱である「何か」や「普遍性」が現実の世界を前提としてなされなければならない以上、意味がないと考えます。
30. スキッツォイドマン
2004/06/23(水) 02:10:01
>「何か」や「普遍性」が現実の世界を前提としてなされなければならない
拙者は思弁的な議論の方が好みなのだが、あえて現実的検討をくわえると。
優れた音楽がもつ「何か」とは、音楽会社に利益を与え、多くの若者をして音楽を志すように仕向け、熱心なファンを生み出すような「何か」である。
この「何か」が権威主義では済まされないことは、常に新しい音楽が生み出され、それに評価がくだされ、また生き残った古典と忘れられた古典がある(サリエリはモーツァルト存命中にはモーツァルトより人気があった)理由を、権威だけでは説明できないことから朗らかである。
拙者は思弁的な議論の方が好みなのだが、あえて現実的検討をくわえると。
優れた音楽がもつ「何か」とは、音楽会社に利益を与え、多くの若者をして音楽を志すように仕向け、熱心なファンを生み出すような「何か」である。
この「何か」が権威主義では済まされないことは、常に新しい音楽が生み出され、それに評価がくだされ、また生き残った古典と忘れられた古典がある(サリエリはモーツァルト存命中にはモーツァルトより人気があった)理由を、権威だけでは説明できないことから朗らかである。
31. 無権代理人
2004/06/23(水) 02:13:09
>贋作はともかく、模写と本物はやはり違うと思いますけどねえ。
芸術作品の模写というのは、人間の感覚器官で捉えられる程度の「似ている」というものではありません。何億・何十億を得るために模写(贋作を作る)のです。だからこそ、あらゆる科学鑑定を駆使して初めてどれが本物の「ひまわり」か見分けることができるのです。そうでなければ、見分ける事などできないのはある種の常識かと思いますが。
それに、あなたが「違う」と認識できること自体、僕には驚きです。本当に「違い」がわかるのですか?
>それはそれとして、「本物の絵についた値段」と「絵自体の価値」はかならずしも一致しないのではないでしょうか。>小説の自筆原稿や作曲家の自筆譜が高額で取引されることを持って、それが音楽や文学の権威主義ってことにはなりませんよね?
その通りですね。値段=価値とは言い切れないでしょう。僕はそのことは普遍性との関係では言っていないので、問題はないですね。
あなたは、権威主義との関係で言っているのでしょうけど、価値そのものが権威であることは否定しませんよね?ほとんどの人は、「50億円の絵」といわれて、または「ゴッホのひまわり」だといわれて、あるいはそれが混在した形で、その絵に「普遍的な」価値を「見出そうとする」のです。
先ほども述べたように、「一つしかないものにオリジナリティーを見出す」といいますが、それが科学鑑定でしか違いが(炭素年代などでしか)わからないものを、なぜ「一つしかない」と認識できるのですか?人間の認識レベルでは同じものはいくつかあるわけです。そこに「本物」を見出すことで差別化し、価値を高めるのは、それがゴッホだからですね。これは権威主義とは無関係といえるでしょうか?
芸術作品の模写というのは、人間の感覚器官で捉えられる程度の「似ている」というものではありません。何億・何十億を得るために模写(贋作を作る)のです。だからこそ、あらゆる科学鑑定を駆使して初めてどれが本物の「ひまわり」か見分けることができるのです。そうでなければ、見分ける事などできないのはある種の常識かと思いますが。
それに、あなたが「違う」と認識できること自体、僕には驚きです。本当に「違い」がわかるのですか?
>それはそれとして、「本物の絵についた値段」と「絵自体の価値」はかならずしも一致しないのではないでしょうか。>小説の自筆原稿や作曲家の自筆譜が高額で取引されることを持って、それが音楽や文学の権威主義ってことにはなりませんよね?
その通りですね。値段=価値とは言い切れないでしょう。僕はそのことは普遍性との関係では言っていないので、問題はないですね。
あなたは、権威主義との関係で言っているのでしょうけど、価値そのものが権威であることは否定しませんよね?ほとんどの人は、「50億円の絵」といわれて、または「ゴッホのひまわり」だといわれて、あるいはそれが混在した形で、その絵に「普遍的な」価値を「見出そうとする」のです。
先ほども述べたように、「一つしかないものにオリジナリティーを見出す」といいますが、それが科学鑑定でしか違いが(炭素年代などでしか)わからないものを、なぜ「一つしかない」と認識できるのですか?人間の認識レベルでは同じものはいくつかあるわけです。そこに「本物」を見出すことで差別化し、価値を高めるのは、それがゴッホだからですね。これは権威主義とは無関係といえるでしょうか?
32. >無権代理人さん
2004/06/23(水) 03:03:59
イデアが存在するかどうかは誰にも判断はできませんが。
今まで見たことがなくても、いつの日か出現する可能性はありますよ。もちろん、出現しない可能性もありますが。
だから、イデアに関して話すのは無駄かと。
科学鑑定云々にしても、人間の潜在能力によって実は見極めることができるのかもしれません。どうも、頭から不可能だと決めてかかってる気がするのですが。
あと、「贋作はともかく」なのでは。
今まで見たことがなくても、いつの日か出現する可能性はありますよ。もちろん、出現しない可能性もありますが。
だから、イデアに関して話すのは無駄かと。
科学鑑定云々にしても、人間の潜在能力によって実は見極めることができるのかもしれません。どうも、頭から不可能だと決めてかかってる気がするのですが。
あと、「贋作はともかく」なのでは。
33. 工学系院生
2004/06/23(水) 07:43:47
>無権代理人さん
>確かに、一般人の会話では「わかる」はそれほど厳密には問題にしなくていいでしょうが、ここは「本当にそう言えるか」という意味での厳密さを求める議論ではないでしょうか。
私はもとより、それほど厳密な意味で「わかる」という言葉を使っていませんでしたし、そこまで厳密に議論する意味があるのかと思ってしまいます。それほど厳密さにこだわるのであれば、目の前の机を見ることができ、触ることができても、「机がある」と言うことすら著しく困難になってしまいます。しかし、我々は普段「机がある」ということは事実として受け容れて行動しているのであり、それほどまで厳密さにこだわって得られるところがあるのでしょうか?芸術愛好家にとって、芸術性というものは現実として「ある」ものですし、もとよりこの議論の本筋は「それを『ある』と思う人がいることを理解せよ」という程度のものですから、そこまで立ち入った議論は不要と思えるのです。
>僕が鴨川のせせらぎが究極の音楽だといえば、あなたはなんと反論できますか?
芸術作品であれば、より多くの人に理解されるという意味での「普遍性」が必要だ、と答えましょう。
>「イデア」なる概念は、これまで言われてきた「芸術的境地」や「何か」とほぼ同義であり、言い換えたものにすぎないわけですから、
いや、それは違います。「芸術的境地」のイデアを現実界に投影したものは「作品から受けた印象」であり、「作品」ではありません。
>仮に観念それ自体を「空想的に」認めることができたとしても、それはこの議論の柱である「何か」や「普遍性」が現実の世界を前提としてなされなければならない以上、意味がないと考えます。
そういうことを言い出すと、観念論と実在論の神学論争になってしまいますし、無意味ではないでしょうか?
>それに、あなたが「違う」と認識できること自体、僕には驚きです。本当に「違い」がわかるのですか?
本物と偽って金を得るための「贋作」については何とも申しません。
しかし、「模写」に関しては以下の事実があります。以前京都国立博物館で雪舟展をやっていたとき、模写と真作が混在して展示されていたのですが、そのことを知った上で絵を見ると、殆どの絵で模写か真作かを言い当てることができました(というと、言い当てるために絵を観に行ったようで語弊がありますが)。そして私は、美術については全然詳しくなく、展覧会で観た画家以外は名前も怪しいていどなのです。
>あなたは、権威主義との関係で言っているのでしょうけど、価値そのものが権威であることは否定しませんよね?ほとんどの人は、「50億円の絵」といわれて、または「ゴッホのひまわり」だといわれて、あるいはそれが混在した形で、その絵に「普遍的な」価値を「見出そうとする」のです。
それはそうかもしれませんが、「ほとんどの人」でない人も少数ながら無視できない数存在するでしょうし、そうでない人の中にもそのうち、絵の値段を離れて価値を見出せる(と少なくとも本人は思う)ようになる人も多いわけですから、そのことには意味があないと思います。
>人間の認識レベルでは同じものはいくつかあるわけです。そこに「本物」を見出すことで差別化し、価値を高めるのは、それがゴッホだからですね。これは権威主義とは無関係といえるでしょうか?
贋作と真作が本当に「同じ」かどうかは私にはわかりません。ですが、絵の真作贋作は「文化財」や「骨董品」あるいは「蒐集癖の対象」だと思うのです。実際、もし全く「同じ」絵があったとして、そこから大きな感銘を受けた場合、それは「ゴッホの絵から受けた感銘」と呼んでよいでしょう(そういう絵を描こうと思い立った人はゴッホ以外にいなかった訳ですから)。鑑賞者から見た絵の本質とはそういうものだと思います。
あるいは、こう言ってもよいでしょう。文学や音楽の場合、それほどわかりやすい「権威主義」があるでしょうか?そうでなければこれが、芸術に必然的につきまとう権威主義とは言えないはずです。
>確かに、一般人の会話では「わかる」はそれほど厳密には問題にしなくていいでしょうが、ここは「本当にそう言えるか」という意味での厳密さを求める議論ではないでしょうか。
私はもとより、それほど厳密な意味で「わかる」という言葉を使っていませんでしたし、そこまで厳密に議論する意味があるのかと思ってしまいます。それほど厳密さにこだわるのであれば、目の前の机を見ることができ、触ることができても、「机がある」と言うことすら著しく困難になってしまいます。しかし、我々は普段「机がある」ということは事実として受け容れて行動しているのであり、それほどまで厳密さにこだわって得られるところがあるのでしょうか?芸術愛好家にとって、芸術性というものは現実として「ある」ものですし、もとよりこの議論の本筋は「それを『ある』と思う人がいることを理解せよ」という程度のものですから、そこまで立ち入った議論は不要と思えるのです。
>僕が鴨川のせせらぎが究極の音楽だといえば、あなたはなんと反論できますか?
芸術作品であれば、より多くの人に理解されるという意味での「普遍性」が必要だ、と答えましょう。
>「イデア」なる概念は、これまで言われてきた「芸術的境地」や「何か」とほぼ同義であり、言い換えたものにすぎないわけですから、
いや、それは違います。「芸術的境地」のイデアを現実界に投影したものは「作品から受けた印象」であり、「作品」ではありません。
>仮に観念それ自体を「空想的に」認めることができたとしても、それはこの議論の柱である「何か」や「普遍性」が現実の世界を前提としてなされなければならない以上、意味がないと考えます。
そういうことを言い出すと、観念論と実在論の神学論争になってしまいますし、無意味ではないでしょうか?
>それに、あなたが「違う」と認識できること自体、僕には驚きです。本当に「違い」がわかるのですか?
本物と偽って金を得るための「贋作」については何とも申しません。
しかし、「模写」に関しては以下の事実があります。以前京都国立博物館で雪舟展をやっていたとき、模写と真作が混在して展示されていたのですが、そのことを知った上で絵を見ると、殆どの絵で模写か真作かを言い当てることができました(というと、言い当てるために絵を観に行ったようで語弊がありますが)。そして私は、美術については全然詳しくなく、展覧会で観た画家以外は名前も怪しいていどなのです。
>あなたは、権威主義との関係で言っているのでしょうけど、価値そのものが権威であることは否定しませんよね?ほとんどの人は、「50億円の絵」といわれて、または「ゴッホのひまわり」だといわれて、あるいはそれが混在した形で、その絵に「普遍的な」価値を「見出そうとする」のです。
それはそうかもしれませんが、「ほとんどの人」でない人も少数ながら無視できない数存在するでしょうし、そうでない人の中にもそのうち、絵の値段を離れて価値を見出せる(と少なくとも本人は思う)ようになる人も多いわけですから、そのことには意味があないと思います。
>人間の認識レベルでは同じものはいくつかあるわけです。そこに「本物」を見出すことで差別化し、価値を高めるのは、それがゴッホだからですね。これは権威主義とは無関係といえるでしょうか?
贋作と真作が本当に「同じ」かどうかは私にはわかりません。ですが、絵の真作贋作は「文化財」や「骨董品」あるいは「蒐集癖の対象」だと思うのです。実際、もし全く「同じ」絵があったとして、そこから大きな感銘を受けた場合、それは「ゴッホの絵から受けた感銘」と呼んでよいでしょう(そういう絵を描こうと思い立った人はゴッホ以外にいなかった訳ですから)。鑑賞者から見た絵の本質とはそういうものだと思います。
あるいは、こう言ってもよいでしょう。文学や音楽の場合、それほどわかりやすい「権威主義」があるでしょうか?そうでなければこれが、芸術に必然的につきまとう権威主義とは言えないはずです。
34. いまもう一人の理学部
2004/06/23(水) 14:04:25
もっと芸術作品に心を開くべきだ。
理屈だけが先行してる気がしてむなしい。
芸術ってものは「わかる」ものじゃない。「感じる」ものだ。
ただ、意図的に組み合わされたであろう音や色を鑑賞したときにその意図を感じたときに「わかった」と表現するのであってその組み合わせの裏に有る論理性を楽しんでいるわけでは有るまい。
楽しいか楽しくないかが重要でわかるかわからないかは重要ではない。
芸術に対しどういう思想を持った人がいるのか知らんが、どうでもいい。
芸術のよさを鑑賞者によらない形で定義しようとする試みはばかげてる。
理屈だけが先行してる気がしてむなしい。
芸術ってものは「わかる」ものじゃない。「感じる」ものだ。
ただ、意図的に組み合わされたであろう音や色を鑑賞したときにその意図を感じたときに「わかった」と表現するのであってその組み合わせの裏に有る論理性を楽しんでいるわけでは有るまい。
楽しいか楽しくないかが重要でわかるかわからないかは重要ではない。
芸術に対しどういう思想を持った人がいるのか知らんが、どうでもいい。
芸術のよさを鑑賞者によらない形で定義しようとする試みはばかげてる。
35. 工学
2004/06/23(水) 19:40:06
>・・・本気で言っているのですか?世の中、白か黒かしかないとでも?
いやここであなたが言ったことが意味不明だったので聞いてるんだが・・
>君は「権威から疎外されてる」ことに不満言ってるくせに、「疎外されても構わない」って何よそれ?
いや、権威が俺を疎外するのは当然だろ?ってこと。
ここもあなたが言ったことが意味分からんから聞いてるんで、突っ込まれても・・
>「科学主義」を名乗る人が、よくもまあそんなせりふを吐けるもんです。腑抜けも何も、未証明の命題は議論の対象になり得るというのが科学の第一原則でしょうが。
「お互いが認め合う」とか意味分からんこと言うのではなくて、自分が正しいとしてお互いに排除しあうのが科学。てか、ここもどういうこと?って聞いてるんでなぜ突っ込むのか分からん。
>スポーツで勝利の喜びや体を動かしたすがすがしさみたいなもの感じないの?
別に精神の存在に関係なく、勝ったら嬉しいし、スポーツしたら脳内物質の働き(エンドルフィンが云々)で爽快感を得られるだろ。
>精神力がなければ現実的には無理なプレーって多いよ。別に野球やサッカーみたいな本格的なもんじゃなくてもいい。ボーリングやビリヤードでも、本気で実力の近い相手と競り合ったら、最後は「勝つ!」っていう気迫と邪念を断つ集中力がなければまず勝てないよ
アッハッハ。勝ちたい気持ちが上の人が勝つのか?
あなた漫画の読みすぎでは?
外野に飛んだ良い当たりをイチローがギリギリのところでスーパーキャッチしたらそれはイチローが取りたいと願ったからか?イチローの足の速さとか、腕の長さとか、玉が飛んできた瞬間の判断等等物理的要素以外の要素など存在しない。
>少なくとも文系学問や芸術(あるいや宗教も)だって「なんとなく好き」な人がいたっていいやん。「なんとなく好き」なものを語りたいってのは当たり前の心理でしょう。
いや、別にいいんだけど、彼らの言うことは間違ってるから。(5回くらい書いたか)サンタ(宗教の神であり芸術の深さである)を信じてそりゃ悪くは無いけど、そんなものはいない。
>アラビア語やらヒンドゥー語
いやそれは日本語に翻訳できるから・・
良さとやらは日本語にできないんだろ?
微妙なニュアンスは確かに翻訳しきれない。が、芸術の良さはそのレベルの話だったか?
「芸術のよさの大半は日本語にできるけど、ところどころ日本語にできない微妙な差異も有る」などというレベルだったか?
>映画を見て、あとまで深い印象を残すことってありませんか?あれだって所詮、映像と音の組み合わせですよ。
映画を見て深い印象を残すのと深さを知覚するのとは関係ない。
>A地点B地点
>そんなことが信じられますか?
信じられる。
>実験台になる勇気がありますか?
意味不明。俺にその勇気がある/ないとしてどうしたというんだ。
まぁ答えると俺のコピーは作れても、俺を殺すときに痛みを感じるので勇気は無い。俺を処分するときに痛くないのならやっても良いかも。
いやここであなたが言ったことが意味不明だったので聞いてるんだが・・
>君は「権威から疎外されてる」ことに不満言ってるくせに、「疎外されても構わない」って何よそれ?
いや、権威が俺を疎外するのは当然だろ?ってこと。
ここもあなたが言ったことが意味分からんから聞いてるんで、突っ込まれても・・
>「科学主義」を名乗る人が、よくもまあそんなせりふを吐けるもんです。腑抜けも何も、未証明の命題は議論の対象になり得るというのが科学の第一原則でしょうが。
「お互いが認め合う」とか意味分からんこと言うのではなくて、自分が正しいとしてお互いに排除しあうのが科学。てか、ここもどういうこと?って聞いてるんでなぜ突っ込むのか分からん。
>スポーツで勝利の喜びや体を動かしたすがすがしさみたいなもの感じないの?
別に精神の存在に関係なく、勝ったら嬉しいし、スポーツしたら脳内物質の働き(エンドルフィンが云々)で爽快感を得られるだろ。
>精神力がなければ現実的には無理なプレーって多いよ。別に野球やサッカーみたいな本格的なもんじゃなくてもいい。ボーリングやビリヤードでも、本気で実力の近い相手と競り合ったら、最後は「勝つ!」っていう気迫と邪念を断つ集中力がなければまず勝てないよ
アッハッハ。勝ちたい気持ちが上の人が勝つのか?
あなた漫画の読みすぎでは?
外野に飛んだ良い当たりをイチローがギリギリのところでスーパーキャッチしたらそれはイチローが取りたいと願ったからか?イチローの足の速さとか、腕の長さとか、玉が飛んできた瞬間の判断等等物理的要素以外の要素など存在しない。
>少なくとも文系学問や芸術(あるいや宗教も)だって「なんとなく好き」な人がいたっていいやん。「なんとなく好き」なものを語りたいってのは当たり前の心理でしょう。
いや、別にいいんだけど、彼らの言うことは間違ってるから。(5回くらい書いたか)サンタ(宗教の神であり芸術の深さである)を信じてそりゃ悪くは無いけど、そんなものはいない。
>アラビア語やらヒンドゥー語
いやそれは日本語に翻訳できるから・・
良さとやらは日本語にできないんだろ?
微妙なニュアンスは確かに翻訳しきれない。が、芸術の良さはそのレベルの話だったか?
「芸術のよさの大半は日本語にできるけど、ところどころ日本語にできない微妙な差異も有る」などというレベルだったか?
>映画を見て、あとまで深い印象を残すことってありませんか?あれだって所詮、映像と音の組み合わせですよ。
映画を見て深い印象を残すのと深さを知覚するのとは関係ない。
>A地点B地点
>そんなことが信じられますか?
信じられる。
>実験台になる勇気がありますか?
意味不明。俺にその勇気がある/ないとしてどうしたというんだ。
まぁ答えると俺のコピーは作れても、俺を殺すときに痛みを感じるので勇気は無い。俺を処分するときに痛くないのならやっても良いかも。
36. 工学
2004/06/23(水) 19:45:24
>別にそういう意見が弾圧される世の中でもないでしょうに
弾圧される。
このスレでの「工学」の芸術観での部分のたたかれようを見れば一目瞭然。
もしくは明日から社会的な場で(友達同士の馴れ合いの場ではないという意味で。)クラシックの話題を持ち出されたときに、「私はモーニング娘しか聞きませんからよくわかんないですね。え?モーツァルトの良さ?良さなんてないでしょ。そんなありもしないものをありがたがってアホらしいですよ。」と答えることにしてみれば?
間違いなくあなたの評価は下がるでしょう。
>そういう人の冷たい視線に曝されるわけで、とても生きやすいとは思えませんがね?
大半のヤツは良さなど感じてないが、その権威主義には迎合しているのでそうはならない。
>「議論の相手として存在を認める」というのは、相手を排除しないということですよ?わかってますか??
議論の相手としてあなたを認め、あなたの主張を排除して(排除しようとして)るんだよ。
>「本当の意味」がわかっていて、言葉で書けると思うのは誤りですよ
あなたそればっかりかよ・・
別に真に厳密な意味で情報を共有しようと言ってるのじゃなくて、例えば「時」や「質量」についてみんなが持ってるくらいの認識(それでもあいまいなら辞書や高校の教科書に書いてある程度の認識)でいいよ。
その程度の意味でいいから輪廻転生の意味を書いてみろよ。間違いなく科学と反する。
>キリスト教と仏教が矛盾したとして、この議論に何らかの影響があるのですか?
少なくともどちらかが間違っていたことが明らかにできる。(もちろんどっちも間違ってるが。)
>君は、私が君の主張を全体として読み取っていないというけれど(その指摘にはまったく承服できないが)、一応私は君の主張の骨子を読み取る努力はしているつもりですよ。主張がすぐ変わるから非常に読み取りにくいですけれどね。にもかかわらず、君は批判対象の主張を読み取る努力すらしていない。そんなことが許されると思っているのですか
何度も言うけどそういうときは相手も同じことを考えていると思いましょう。
実際、「君」と「私」を入れ替えてそのまま書いてやりたいぐらいだ。
真意が伝わってない→工学は悪い、工学は分かってないじゃなくて、
真意が伝わってない→自分の表現を改めよう、どこが分かってないのか聞こう。だろ。
>理学部
>理屈だけが先行してる気がしてむなしい。
>芸術ってものは「わかる」ものじゃない。「感じる」ものだ。
まだそんなことを・・
>その意図を感じたときに「わかった」と表現するのであってその組み合わせの裏に有る論理性を楽しんでいるわけでは有るまい
作者の意図を感じることを「芸術が分かった」というのなら思いっきり論理的なものだろ。しかも本読んだら分かるやんそれ。
>楽しいか楽しくないかが重要でわかるかわからないかは重要ではない。
同意。
ちなみに「無権代理人」は俺がいようがいまいが書いてくれるとありがたい。「文系ですが」見たいなクソみたいな質問に答えるのめんどいし。
弾圧される。
このスレでの「工学」の芸術観での部分のたたかれようを見れば一目瞭然。
もしくは明日から社会的な場で(友達同士の馴れ合いの場ではないという意味で。)クラシックの話題を持ち出されたときに、「私はモーニング娘しか聞きませんからよくわかんないですね。え?モーツァルトの良さ?良さなんてないでしょ。そんなありもしないものをありがたがってアホらしいですよ。」と答えることにしてみれば?
間違いなくあなたの評価は下がるでしょう。
>そういう人の冷たい視線に曝されるわけで、とても生きやすいとは思えませんがね?
大半のヤツは良さなど感じてないが、その権威主義には迎合しているのでそうはならない。
>「議論の相手として存在を認める」というのは、相手を排除しないということですよ?わかってますか??
議論の相手としてあなたを認め、あなたの主張を排除して(排除しようとして)るんだよ。
>「本当の意味」がわかっていて、言葉で書けると思うのは誤りですよ
あなたそればっかりかよ・・
別に真に厳密な意味で情報を共有しようと言ってるのじゃなくて、例えば「時」や「質量」についてみんなが持ってるくらいの認識(それでもあいまいなら辞書や高校の教科書に書いてある程度の認識)でいいよ。
その程度の意味でいいから輪廻転生の意味を書いてみろよ。間違いなく科学と反する。
>キリスト教と仏教が矛盾したとして、この議論に何らかの影響があるのですか?
少なくともどちらかが間違っていたことが明らかにできる。(もちろんどっちも間違ってるが。)
>君は、私が君の主張を全体として読み取っていないというけれど(その指摘にはまったく承服できないが)、一応私は君の主張の骨子を読み取る努力はしているつもりですよ。主張がすぐ変わるから非常に読み取りにくいですけれどね。にもかかわらず、君は批判対象の主張を読み取る努力すらしていない。そんなことが許されると思っているのですか
何度も言うけどそういうときは相手も同じことを考えていると思いましょう。
実際、「君」と「私」を入れ替えてそのまま書いてやりたいぐらいだ。
真意が伝わってない→工学は悪い、工学は分かってないじゃなくて、
真意が伝わってない→自分の表現を改めよう、どこが分かってないのか聞こう。だろ。
>理学部
>理屈だけが先行してる気がしてむなしい。
>芸術ってものは「わかる」ものじゃない。「感じる」ものだ。
まだそんなことを・・
>その意図を感じたときに「わかった」と表現するのであってその組み合わせの裏に有る論理性を楽しんでいるわけでは有るまい
作者の意図を感じることを「芸術が分かった」というのなら思いっきり論理的なものだろ。しかも本読んだら分かるやんそれ。
>楽しいか楽しくないかが重要でわかるかわからないかは重要ではない。
同意。
ちなみに「無権代理人」は俺がいようがいまいが書いてくれるとありがたい。「文系ですが」見たいなクソみたいな質問に答えるのめんどいし。
37. 工学
2004/06/23(水) 19:52:10
そうそう、A地点B地点について面白いサイトがあるので紹介しておく。
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/sikou2.html
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/sikou3.html
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/sikou2.html
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/sikou3.html
38. 粉屋
2004/06/23(水) 20:38:04
>いまもう一人の理学部さん
>芸術ってものは「わかる」ものじゃない。「感じる」ものだ。
それは誰も否定していないのでは?時機を得なければ作品に触れて、なんとなく腑に落ちない思いをすることもあるわけで、それを「わからない」と言うだけでは。逆に、作品が心の中に入ってきて「感じられた」ときに「わかる」と言っているだけでしょう。
>工学君
>いやここであなたが言ったことが意味不明だったので聞いてるんだが・・
意味不明も何も、君の思考がナイーブすぎるからわからないのです。私が指摘したことを頭にいれてもう一度読みなさい。
>「お互いが認め合う」とか意味分からんこと言うのではなくて、自分が正しいとしてお互いに排除しあうのが科学。
言葉遊びをしないように。「排除」というのは「論争の場から、論破以外の手段を用いて相手を追い出すこと」でしょう。
>別に精神の存在に関係なく、勝ったら嬉しいし、
じゃあ何で勝ったら嬉しいの?
>アッハッハ。勝ちたい気持ちが上の人が勝つのか?
実力が均衡していたら、統計的にはそうなる。それは我々の日常からもわかるし、スポーツ選手の言葉からも窺い知れる。
これはきちんと科学的に説明がつくことです。我々の身体を統御しているのは脳なわけで、脳の活動を活発化させることが、身体能力をいかんなく発揮することに繋がる。そして、そのためには集中力を持って臨むことが必要。逆に注意が散漫だと、動く身体も動いてくれない。当然すぎて説明の必要もないことです。
>いや、別にいいんだけど、彼らの言うことは間違ってるから。(5回くらい書いたか)
未証明の命題を何度書こうとも、議論をいたずらに混乱させる以外に何の効果もありません。
>微妙なニュアンスは確かに翻訳しきれない。が、芸術の良さはそのレベルの話だったか?
そうですよ。その「微妙なニュアンス」を拡大して積み重ねて行ったのが絵や音楽だと思って良い。
>映画を見て深い印象を残すのと深さを知覚するのとは関係ない。
違います。それを「深さ」と呼ぶのです。
>まぁ答えると俺のコピーは作れても、俺を殺すときに痛みを感じるので勇気は無い。俺を処分するときに痛くないのならやっても良いかも。
・・・よほど君は特殊な人ですね。
>もしくは明日から社会的な場で(中略)と答えることにしてみれば?
>間違いなくあなたの評価は下がるでしょう。
それはその言い方がマナー違反だからで、「モーニング娘」と「クラシック」を入れ換えても顰蹙を買うことには変わりはない、いやむしろその方が余計に嫌味でしょう。
>大半のヤツは良さなど感じてないが、その権威主義には迎合しているのでそうはならない。
・・・余程他人をなめた意見ですね。何様のつもり?
>その程度の意味でいいから輪廻転生の意味を書いてみろよ。間違いなく科学と反する。
「その程度でよい」のなら、「以前に書いた」と何度も言っているでしょう。探して御覧なさい。それが嫌なら、「>工学」氏の挙げたサイトのここに詳しいから読みなさい。
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/98_7_23.html
>>キリスト教と仏教が矛盾したとして、この議論に何らかの影響があるのですか?
>少なくともどちらかが間違っていたことが明らかにできる。(もちろんどっちも間違ってるが。)
違いますね。例えばユークリッド幾何学とリーマン幾何学は一般的には矛盾しますが(平行線の数など)、どちらが間違いとも言えない。「何を見ているか」が違うだけかもしれないでしょ?
>真意が伝わってない→自分の表現を改めよう、どこが分かってないのか聞こう。だろ。
開きなおりなさんな。何度も「読め」と書いていることを君は読んでいないのだから、それは単なる君の「不誠実」です。
>作者の意図を感じることを「芸術が分かった」というのなら思いっきり論理的なものだろ。
意味わかりません。なぜ論理的なのですか。
>しかも本読んだら分かるやんそれ。
一般的に、芸術家は(小説家でさえ)作品の意図を言葉で語ることを嫌いますし、語ったところで「自分の意図を伝え切れたとは思えない」というのが現実です。
それから、工学君は
>悪いけど、予想通りの答えですね。では訊くが、「努力の結果」というところは「客観的に証明できない」(少なくとも君は納得しない)だろうし、「権威による押しつけ」とか「排除されている」という反応をしなければ筋が通らないはず。その点はどうなのか?
>あるいは、「健康な若者なら努力次第で、30kmの山道を大した苦もなく歩き通せるようになる」ではどうですか?「たいした苦もなく」というのは半ば精神的なものであって、客観的な基準はないわけだけれど、これ自体は事実と認めざるを得ないでしょう?
これに答えなさい!都合悪いからって無視するんじゃないの。
>芸術ってものは「わかる」ものじゃない。「感じる」ものだ。
それは誰も否定していないのでは?時機を得なければ作品に触れて、なんとなく腑に落ちない思いをすることもあるわけで、それを「わからない」と言うだけでは。逆に、作品が心の中に入ってきて「感じられた」ときに「わかる」と言っているだけでしょう。
>工学君
>いやここであなたが言ったことが意味不明だったので聞いてるんだが・・
意味不明も何も、君の思考がナイーブすぎるからわからないのです。私が指摘したことを頭にいれてもう一度読みなさい。
>「お互いが認め合う」とか意味分からんこと言うのではなくて、自分が正しいとしてお互いに排除しあうのが科学。
言葉遊びをしないように。「排除」というのは「論争の場から、論破以外の手段を用いて相手を追い出すこと」でしょう。
>別に精神の存在に関係なく、勝ったら嬉しいし、
じゃあ何で勝ったら嬉しいの?
>アッハッハ。勝ちたい気持ちが上の人が勝つのか?
実力が均衡していたら、統計的にはそうなる。それは我々の日常からもわかるし、スポーツ選手の言葉からも窺い知れる。
これはきちんと科学的に説明がつくことです。我々の身体を統御しているのは脳なわけで、脳の活動を活発化させることが、身体能力をいかんなく発揮することに繋がる。そして、そのためには集中力を持って臨むことが必要。逆に注意が散漫だと、動く身体も動いてくれない。当然すぎて説明の必要もないことです。
>いや、別にいいんだけど、彼らの言うことは間違ってるから。(5回くらい書いたか)
未証明の命題を何度書こうとも、議論をいたずらに混乱させる以外に何の効果もありません。
>微妙なニュアンスは確かに翻訳しきれない。が、芸術の良さはそのレベルの話だったか?
そうですよ。その「微妙なニュアンス」を拡大して積み重ねて行ったのが絵や音楽だと思って良い。
>映画を見て深い印象を残すのと深さを知覚するのとは関係ない。
違います。それを「深さ」と呼ぶのです。
>まぁ答えると俺のコピーは作れても、俺を殺すときに痛みを感じるので勇気は無い。俺を処分するときに痛くないのならやっても良いかも。
・・・よほど君は特殊な人ですね。
>もしくは明日から社会的な場で(中略)と答えることにしてみれば?
>間違いなくあなたの評価は下がるでしょう。
それはその言い方がマナー違反だからで、「モーニング娘」と「クラシック」を入れ換えても顰蹙を買うことには変わりはない、いやむしろその方が余計に嫌味でしょう。
>大半のヤツは良さなど感じてないが、その権威主義には迎合しているのでそうはならない。
・・・余程他人をなめた意見ですね。何様のつもり?
>その程度の意味でいいから輪廻転生の意味を書いてみろよ。間違いなく科学と反する。
「その程度でよい」のなら、「以前に書いた」と何度も言っているでしょう。探して御覧なさい。それが嫌なら、「>工学」氏の挙げたサイトのここに詳しいから読みなさい。
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/98_7_23.html
>>キリスト教と仏教が矛盾したとして、この議論に何らかの影響があるのですか?
>少なくともどちらかが間違っていたことが明らかにできる。(もちろんどっちも間違ってるが。)
違いますね。例えばユークリッド幾何学とリーマン幾何学は一般的には矛盾しますが(平行線の数など)、どちらが間違いとも言えない。「何を見ているか」が違うだけかもしれないでしょ?
>真意が伝わってない→自分の表現を改めよう、どこが分かってないのか聞こう。だろ。
開きなおりなさんな。何度も「読め」と書いていることを君は読んでいないのだから、それは単なる君の「不誠実」です。
>作者の意図を感じることを「芸術が分かった」というのなら思いっきり論理的なものだろ。
意味わかりません。なぜ論理的なのですか。
>しかも本読んだら分かるやんそれ。
一般的に、芸術家は(小説家でさえ)作品の意図を言葉で語ることを嫌いますし、語ったところで「自分の意図を伝え切れたとは思えない」というのが現実です。
それから、工学君は
>悪いけど、予想通りの答えですね。では訊くが、「努力の結果」というところは「客観的に証明できない」(少なくとも君は納得しない)だろうし、「権威による押しつけ」とか「排除されている」という反応をしなければ筋が通らないはず。その点はどうなのか?
>あるいは、「健康な若者なら努力次第で、30kmの山道を大した苦もなく歩き通せるようになる」ではどうですか?「たいした苦もなく」というのは半ば精神的なものであって、客観的な基準はないわけだけれど、これ自体は事実と認めざるを得ないでしょう?
これに答えなさい!都合悪いからって無視するんじゃないの。
39. 工学系院生
2004/06/23(水) 20:44:02
間違えた。別トピックの名前で投稿してしまった。上は私。
40. 工学
2004/06/23(水) 20:44:10
こ、粉屋?
41. 工学
2004/06/23(水) 21:29:27
答えただろ!!
山道を苦も無くというのは、病気で体が不自由な人が例えば問題集50問を苦も無くこなせる体験に結び付けて理解できると。
まぁでは心肺の機能を計れば「つらさ」をある程度数値化できる。データとって平均人がつらいと感じるところで分かる。芸術の良さの平均を言語化してみろよ。
>じゃあ何で勝ったら嬉しいの?
勝ちたい欲望を満たしたからだよ。
では勝ちたいのはなぜか?
勝てば相手よりも上に立てるからだよ。
ではなぜ上に立ちたいのか?
まぁ人間には力への志向があるからだとしか言いようが無いね。
>未証明の命題を何度書こうとも、議論をいたずらに混乱させる以外に何の効果もありません。
5回はサンタだ。
>違います。それを「深さ」と呼ぶのです。
へぇ。じゃぁ少なくとも俺らの世代前後の人にとってはモーツァルトより最近のポップスのほうが「深い」んだな?
ドストエフスキーよりマガジンで連載されてるマンガのほうが深いんだな?
市民ケーンよりタイタニックのほうが深いんだな?
印象の深さと権威が言う「深さ」とは違うだろ。
>それはその言い方がマナー違反だからで、「モーニング娘」と「クラシック」を入れ換えても顰蹙を買うことには変わりはない、いやむしろその方が余計に嫌味でしょう。
本当か?「日本の流行歌なんかにクラシックほどの深さは無いですね」といえば分かってる人だと扱われるだろ。
もちろん最近芸術の権威の放棄・芸術の相対化に成功しつつある日本の若い世代には受けが悪いということも有るが、例外だ。
少なくとも欧米の知識人階級の人には通用しないだろ。
マナー違反だからというのなら明日から「私はモーニング娘しか聞きません。クラシックは私にとっては眠いだけで全然分かりませんよ。アッハッハ」って言えば?
もちろんアホだと思われる。
>「何を見ているか」が違うだけかもしれないでしょ?
死んだらどうなるか?について見てるんだから同じだろ。
>・・・余程他人をなめた意見ですね。何様のつもり?
実際問題あなただってゴッホの偽者と本物と見分けがつかないって言っただろ。だけど本物はやっぱり良いはずだって思ってるんだろ?それは自分の目じゃなくて権威に迎合した判断だろ。
>何度も「読め」と書いていることを君は読んでいないのだから、それは単なる君の「不誠実」です。
いや俺はどうでもいいと判断したから読んでないだけで。それも含めて自分の表現を変えろよ。
俺だって「お前分かってないもう一度読め」なんて書こうと思えばいくらでも書ける。相手が分かってないようなら自分の表現の拙さを認めろよ。
>意味わかりません。なぜ論理的なのですか
>一般的に、芸術家は(小説家でさえ)作品の意図を言葉で語ることを嫌いますし、語ったところで「自分の意図を伝え切れたとは思えない」というのが現実です。
これこれこういう意図で作ったのですよといえるなら誰もこんな議論はしない。という意味で意図を読み取るのが芸術の理解とするのはおかしいといおうとした。
山道を苦も無くというのは、病気で体が不自由な人が例えば問題集50問を苦も無くこなせる体験に結び付けて理解できると。
まぁでは心肺の機能を計れば「つらさ」をある程度数値化できる。データとって平均人がつらいと感じるところで分かる。芸術の良さの平均を言語化してみろよ。
>じゃあ何で勝ったら嬉しいの?
勝ちたい欲望を満たしたからだよ。
では勝ちたいのはなぜか?
勝てば相手よりも上に立てるからだよ。
ではなぜ上に立ちたいのか?
まぁ人間には力への志向があるからだとしか言いようが無いね。
>未証明の命題を何度書こうとも、議論をいたずらに混乱させる以外に何の効果もありません。
5回はサンタだ。
>違います。それを「深さ」と呼ぶのです。
へぇ。じゃぁ少なくとも俺らの世代前後の人にとってはモーツァルトより最近のポップスのほうが「深い」んだな?
ドストエフスキーよりマガジンで連載されてるマンガのほうが深いんだな?
市民ケーンよりタイタニックのほうが深いんだな?
印象の深さと権威が言う「深さ」とは違うだろ。
>それはその言い方がマナー違反だからで、「モーニング娘」と「クラシック」を入れ換えても顰蹙を買うことには変わりはない、いやむしろその方が余計に嫌味でしょう。
本当か?「日本の流行歌なんかにクラシックほどの深さは無いですね」といえば分かってる人だと扱われるだろ。
もちろん最近芸術の権威の放棄・芸術の相対化に成功しつつある日本の若い世代には受けが悪いということも有るが、例外だ。
少なくとも欧米の知識人階級の人には通用しないだろ。
マナー違反だからというのなら明日から「私はモーニング娘しか聞きません。クラシックは私にとっては眠いだけで全然分かりませんよ。アッハッハ」って言えば?
もちろんアホだと思われる。
>「何を見ているか」が違うだけかもしれないでしょ?
死んだらどうなるか?について見てるんだから同じだろ。
>・・・余程他人をなめた意見ですね。何様のつもり?
実際問題あなただってゴッホの偽者と本物と見分けがつかないって言っただろ。だけど本物はやっぱり良いはずだって思ってるんだろ?それは自分の目じゃなくて権威に迎合した判断だろ。
>何度も「読め」と書いていることを君は読んでいないのだから、それは単なる君の「不誠実」です。
いや俺はどうでもいいと判断したから読んでないだけで。それも含めて自分の表現を変えろよ。
俺だって「お前分かってないもう一度読め」なんて書こうと思えばいくらでも書ける。相手が分かってないようなら自分の表現の拙さを認めろよ。
>意味わかりません。なぜ論理的なのですか
>一般的に、芸術家は(小説家でさえ)作品の意図を言葉で語ることを嫌いますし、語ったところで「自分の意図を伝え切れたとは思えない」というのが現実です。
これこれこういう意図で作ったのですよといえるなら誰もこんな議論はしない。という意味で意図を読み取るのが芸術の理解とするのはおかしいといおうとした。
42. 工学
2004/06/23(水) 21:37:32
一個忘れてた
>実力が均衡していたら、統計的にはそうなる。それは我々の日常からもわかるし、スポーツ選手の言葉からも窺い知れる。
これはきちんと科学的に説明がつくことです。我々の身体を統御しているのは脳なわけで、脳の活動を活発化させることが、身体能力をいかんなく発揮することに繋がる。そして、そのためには集中力を持って臨むことが必要。逆に注意が散漫だと、動く身体も動いてくれない。当然すぎて説明の必要もないことです。
勝ちたいという気持ちの念の強さと勝率についてのデータがあるのかよ。
どれだけ勝ちたいと思っても勝てなかった経験も多い(むしろその方が多い)だろ。
あとわけわからん精神とやらは認めないが集中力は誰も否定していない。
しかもあなたが言ってるのは真面目にやるのと真面目にやらないとの違いだと思われる。
バスケット選手のフリースローで、「入れたい!」と特別願った場合と、普段どおりとで比較したものとでどっちが良く入るか。ならば精神が現実に作用するかの実験としてはふさわしいだろうが、間違いなく同じだろうね。
>実力が均衡していたら、統計的にはそうなる。それは我々の日常からもわかるし、スポーツ選手の言葉からも窺い知れる。
これはきちんと科学的に説明がつくことです。我々の身体を統御しているのは脳なわけで、脳の活動を活発化させることが、身体能力をいかんなく発揮することに繋がる。そして、そのためには集中力を持って臨むことが必要。逆に注意が散漫だと、動く身体も動いてくれない。当然すぎて説明の必要もないことです。
勝ちたいという気持ちの念の強さと勝率についてのデータがあるのかよ。
どれだけ勝ちたいと思っても勝てなかった経験も多い(むしろその方が多い)だろ。
あとわけわからん精神とやらは認めないが集中力は誰も否定していない。
しかもあなたが言ってるのは真面目にやるのと真面目にやらないとの違いだと思われる。
バスケット選手のフリースローで、「入れたい!」と特別願った場合と、普段どおりとで比較したものとでどっちが良く入るか。ならば精神が現実に作用するかの実験としてはふさわしいだろうが、間違いなく同じだろうね。
43. 工学
2004/06/23(水) 21:41:29
あと、A地点B地点について俺の考え方でどういうパラドックスが生じるのか書いてもらいたい。
44. 無権代理人
2004/06/23(水) 23:44:43
工学が復活してますね。というわけで、「逃げた」というのは誤りでした。
>スキッツォイドマンさん
>優れた音楽がもつ「何か」とは、音楽会社に利益を与え、多くの若者をして音楽を志すように仕向け、熱心なファンを生み出すような「何か」である。
この「何か」が権威主義では済まされないことは、常に新しい音楽が生み出され、それに評価がくだされ、また生き残った古典と忘れられた古典がある(サリエリはモーツァルト存命中にはモーツァルトより人気があった)理由を、権威だけでは説明できないことから朗らかである。
あなたは、「普遍的に優れた」音楽が存在すると考えているのですか?では、仮に音楽に対する評価から「権威」を取り除いたとして、その「優れている」というものはどのように判断されますか?あなたの主観的な考えでいいので教えてください。
>いまもう一人の理学部
>芸術のよさを鑑賞者によらない形で定義しようとする試みはばかげてる。
鑑賞者によらない形って、鑑賞者を前提に話をしているのです。
>スキッツォイドマンさん
>優れた音楽がもつ「何か」とは、音楽会社に利益を与え、多くの若者をして音楽を志すように仕向け、熱心なファンを生み出すような「何か」である。
この「何か」が権威主義では済まされないことは、常に新しい音楽が生み出され、それに評価がくだされ、また生き残った古典と忘れられた古典がある(サリエリはモーツァルト存命中にはモーツァルトより人気があった)理由を、権威だけでは説明できないことから朗らかである。
あなたは、「普遍的に優れた」音楽が存在すると考えているのですか?では、仮に音楽に対する評価から「権威」を取り除いたとして、その「優れている」というものはどのように判断されますか?あなたの主観的な考えでいいので教えてください。
>いまもう一人の理学部
>芸術のよさを鑑賞者によらない形で定義しようとする試みはばかげてる。
鑑賞者によらない形って、鑑賞者を前提に話をしているのです。
45. ↑
2004/06/23(水) 23:46:27
うっしっしっし
46. 無権代理人
2004/06/23(水) 23:51:25
>工学系院生さん
>議論の本筋は「それを『ある』と思う人がいることを理解せよ」という程度のもの
A,僕はそれを否定した覚えはありません。あなたが「ある」と思っていることは事実ですから。ただ、僕が言いたいのは、仮に、一定集団内における「より洗練された音楽」や「より洗練された芸術」なるものの価値が、一定の統一をみたとしても、そのことをもって、他の音楽や芸術よりも「高次の価値」をもっているとはいえないし、それが「普遍的な価値」(あるいはそれに近いもの)だともいえない、ということです。ここが僕の本質的に言いたい事です。
>>僕が鴨川のせせらぎが究極の音楽だといえば、あなたはなんと反論できますか?
>芸術作品であれば、より多くの人に理解されるという意味での「普遍性」が必要だ、と答えましょう。
一つ上に書いたこととも関連しますが、あなたは芸術作品の「普遍性」について、「より多くの人に理解されるという意味」との限定を付けつつも、その存在を認めているわけですね。それが、「必要だ」ということの解釈でいいですか?
>「芸術的境地」のイデアを現実界に投影したものは「作品から受けた印象」であり、「作品」ではありません。
僕は「作品」とはどこにも言っていません。僕が「同じ」と言ったのは、あなたや他の人がいう「何か」や「境地」や「極限」には、「芸術的境地なるイデア」が部分的にも反映されているわけですから、あえて2段階にして話をややこしくする必要はないということです。あなたが言いたい事の本質は「同じ」だということです。
>>仮に観念それ自体を「空想的に」認めることができたとしても、それはこの議論の柱である「何か」や「普遍性」が現実の世界を前提としてなされなければならない以上、意味がないと考えます。
>そういうことを言い出すと、観念論と実在論の神学論争になってしまいますし、無意味ではないでしょうか?
僕は、あなたや他の人が音楽や芸術を認識する際に「感じた」、あるいは「感じられると感じた」、または「普遍性がある」と認識した(している)事実について尋ねているのです。現実を離れての全くの空想については議論していませんよね。この部分の話は抽象論に終わるので、返答してもらってももらわなくてもいいです。
>>それに、あなたが「違う」と認識できること自体、僕には驚きです。本当に「違い」がわかるのですか?
>本物と偽って金を得るための「贋作」については何とも申しません。しかし、「模写」に関しては以下の事実があります。
僕は主に贋作について言っています。あなたが何も申さないのは、「違い」が認識できないということを認めたと解釈してもいいのでしょうか?あなたは、
>絵の値段を離れて価値を見出せる(と少なくとも本人は思う)ようになる人も多い。
といいつつも、
>絵の真作贋作は「文化財」や「骨董品」あるいは「蒐集癖の対象」
と、帰属社会との関係(一種の権威主義)で価値が決まると認め、
>全く「同じ」絵があったとして、そこから大きな感銘を受けた場合、それは「ゴッホの絵から受けた感銘」と呼んでよい(∵そういう絵を描こうと思い立った人はゴッホ以外にいなかった)。鑑賞者から見た絵の本質とはそういうもの。
と、絵の本質を、人間が認識する絵が仮に同一でも、「ゴッホの『精神を』認識するから」価値がある(感銘を受ける)といっています。そしてそれが「鑑賞者からみた絵の本質」だといいます。
しかし、これは以前厳密には「精神」の共有などできないとあなたは同意したはずです。また、鑑賞者からみた絵の本質とは、あなたが何度もいっている「それを『ある』と思う人がいる」ということと同じことを言い換えたにすぎません。これに対する返事は、上の「A」で書いたとおりです。
>議論の本筋は「それを『ある』と思う人がいることを理解せよ」という程度のもの
A,僕はそれを否定した覚えはありません。あなたが「ある」と思っていることは事実ですから。ただ、僕が言いたいのは、仮に、一定集団内における「より洗練された音楽」や「より洗練された芸術」なるものの価値が、一定の統一をみたとしても、そのことをもって、他の音楽や芸術よりも「高次の価値」をもっているとはいえないし、それが「普遍的な価値」(あるいはそれに近いもの)だともいえない、ということです。ここが僕の本質的に言いたい事です。
>>僕が鴨川のせせらぎが究極の音楽だといえば、あなたはなんと反論できますか?
>芸術作品であれば、より多くの人に理解されるという意味での「普遍性」が必要だ、と答えましょう。
一つ上に書いたこととも関連しますが、あなたは芸術作品の「普遍性」について、「より多くの人に理解されるという意味」との限定を付けつつも、その存在を認めているわけですね。それが、「必要だ」ということの解釈でいいですか?
>「芸術的境地」のイデアを現実界に投影したものは「作品から受けた印象」であり、「作品」ではありません。
僕は「作品」とはどこにも言っていません。僕が「同じ」と言ったのは、あなたや他の人がいう「何か」や「境地」や「極限」には、「芸術的境地なるイデア」が部分的にも反映されているわけですから、あえて2段階にして話をややこしくする必要はないということです。あなたが言いたい事の本質は「同じ」だということです。
>>仮に観念それ自体を「空想的に」認めることができたとしても、それはこの議論の柱である「何か」や「普遍性」が現実の世界を前提としてなされなければならない以上、意味がないと考えます。
>そういうことを言い出すと、観念論と実在論の神学論争になってしまいますし、無意味ではないでしょうか?
僕は、あなたや他の人が音楽や芸術を認識する際に「感じた」、あるいは「感じられると感じた」、または「普遍性がある」と認識した(している)事実について尋ねているのです。現実を離れての全くの空想については議論していませんよね。この部分の話は抽象論に終わるので、返答してもらってももらわなくてもいいです。
>>それに、あなたが「違う」と認識できること自体、僕には驚きです。本当に「違い」がわかるのですか?
>本物と偽って金を得るための「贋作」については何とも申しません。しかし、「模写」に関しては以下の事実があります。
僕は主に贋作について言っています。あなたが何も申さないのは、「違い」が認識できないということを認めたと解釈してもいいのでしょうか?あなたは、
>絵の値段を離れて価値を見出せる(と少なくとも本人は思う)ようになる人も多い。
といいつつも、
>絵の真作贋作は「文化財」や「骨董品」あるいは「蒐集癖の対象」
と、帰属社会との関係(一種の権威主義)で価値が決まると認め、
>全く「同じ」絵があったとして、そこから大きな感銘を受けた場合、それは「ゴッホの絵から受けた感銘」と呼んでよい(∵そういう絵を描こうと思い立った人はゴッホ以外にいなかった)。鑑賞者から見た絵の本質とはそういうもの。
と、絵の本質を、人間が認識する絵が仮に同一でも、「ゴッホの『精神を』認識するから」価値がある(感銘を受ける)といっています。そしてそれが「鑑賞者からみた絵の本質」だといいます。
しかし、これは以前厳密には「精神」の共有などできないとあなたは同意したはずです。また、鑑賞者からみた絵の本質とは、あなたが何度もいっている「それを『ある』と思う人がいる」ということと同じことを言い換えたにすぎません。これに対する返事は、上の「A」で書いたとおりです。
47. スキッツォイドマン
2004/06/24(木) 00:00:52
>無権代理人
主観でよければ。
私はイデア論を信じているので、
「優れた音楽とは、美のイデアに近い音楽である」
と考える。
イデア論の善し悪しを論じると泥沼に嵌るので、前レスでは「イデアの影法師」として、現実世界を動かす「音楽の力」の例をあげました。
主観でよければ。
私はイデア論を信じているので、
「優れた音楽とは、美のイデアに近い音楽である」
と考える。
イデア論の善し悪しを論じると泥沼に嵌るので、前レスでは「イデアの影法師」として、現実世界を動かす「音楽の力」の例をあげました。
48. 無権代理人
2004/06/24(木) 00:08:30
>「>無権代理人さん」へ(何か名前をつけてもらったほうがわかりやすいのですが)
>イデアに関して話すのは無駄かと。
イデアについては僕はあまり話していませんよ。無駄とは思いませんが、話がややこしくなるので。
>科学鑑定云々にしても、人間の潜在能力によって実は見極めることができるのかもしれません。どうも、頭から不可能だと決めてかかってる気がするのですが。
では0ではない可能性がありますか?それはニュートリノを肉眼で観測できる「可能性がある」、「人間にはその潜在能力がある」と言っているのと同じことではないですか?
>イデアに関して話すのは無駄かと。
イデアについては僕はあまり話していませんよ。無駄とは思いませんが、話がややこしくなるので。
>科学鑑定云々にしても、人間の潜在能力によって実は見極めることができるのかもしれません。どうも、頭から不可能だと決めてかかってる気がするのですが。
では0ではない可能性がありますか?それはニュートリノを肉眼で観測できる「可能性がある」、「人間にはその潜在能力がある」と言っているのと同じことではないですか?
49. ↑
2004/06/24(木) 00:14:32
とりあえず、長文ウザ杉
50. 無権代理人
2004/06/24(木) 00:25:54
>スキッツオイドさん
>現実世界を動かす「音楽の力」
イデア(現実世界では、「何かを追求するその『何か』といってもいいでしょうね)を信じる事は、ロマンがあっていいと思います。
また、現実世界を「動かす」という側面もあるでしょうね。僕も、音楽の「普遍性」には疑問をもちますが、「普遍的」なものを追求しようとする人間の活動、特になぜ新しい事を追求しようとするのかについては、関心があります。
また、なぜ人間は必要とされる「以前に」、数学などの能力を有しているように「できている(た)のか」」ということも、興味がありますね。誰か意見あれば聞いてみたいです。ここではスレ違いですが。
>現実世界を動かす「音楽の力」
イデア(現実世界では、「何かを追求するその『何か』といってもいいでしょうね)を信じる事は、ロマンがあっていいと思います。
また、現実世界を「動かす」という側面もあるでしょうね。僕も、音楽の「普遍性」には疑問をもちますが、「普遍的」なものを追求しようとする人間の活動、特になぜ新しい事を追求しようとするのかについては、関心があります。
また、なぜ人間は必要とされる「以前に」、数学などの能力を有しているように「できている(た)のか」」ということも、興味がありますね。誰か意見あれば聞いてみたいです。ここではスレ違いですが。
51. 無権代理人
2004/06/24(木) 00:31:13
>↑
あなたにクリックすること強制しましたか?
「長い」ことと「悪い」こととは関係ないですよね?
意味もなく長いのなら謝ります。ぜひ引用した上で指摘してください。
あなたにクリックすること強制しましたか?
「長い」ことと「悪い」こととは関係ないですよね?
意味もなく長いのなら謝ります。ぜひ引用した上で指摘してください。
52. 工学系院生
2004/06/24(木) 08:32:05
>無権代理人さん
>仮に、一定集団内における「より洗練された音楽」や「より洗練された芸術」なるものの価値が、一定の統一をみたとしても、そのことをもって、他の音楽や芸術よりも「高次の価値」をもっているとはいえないし、
そういうことを主張したつもりはないと思います。「普遍的」というのは、「殆ど誰にでも理解されうる」という意味です。
>あなたは芸術作品の「普遍性」について、「より多くの人に理解されるという意味」との限定を付けつつも、その存在を認めているわけですね。それが、「必要だ」ということの解釈でいいですか?
結構です。例えば私が「うがー!」と絶叫したところで、それは私にとって大いなる意味があっても、他の人には全く理解不能でしょうし、多くの人の理解は必要です。
>あえて2段階にして話をややこしくする必要はないということです。あなたが言いたい事の本質は「同じ」だということです。
おっしゃる意味が今一つわかりませんが、とりあえずあなたの議論に乗ることにしましょう。
以下は、私の主張を誤解していると思われます。
>僕は主に贋作について言っています。あなたが何も申さないのは、「違い」が認識できないということを認めたと解釈してもいいのでしょうか?
いや、ですから私は美術のことは詳しくないので、そのあたりは「わからない」と言っているのです。まあ、違いが認識できない贋作があると仮定しても結構ですが。
>>絵の値段を離れて価値を見出せる(と少なくとも本人は思う)ようになる人も多い。
>といいつつも、
>>絵の真作贋作は「文化財」や「骨董品」あるいは「蒐集癖の対象」
>と、帰属社会との関係(一種の権威主義)で価値が決まると認め、
いや、「文化財としての価値」と「芸術作品としての価値」は別物だと言っているのです。
つまり、絵の価値には「ハードウェア」的側面と「ソフトウェア」的側面がありまして、前者は物理的に存在する「絵」、後者は絵の構図など、「キャンバスの上に描かれたもの」のことです。
そしてこの場合、画家の価値は新たな「ソフトウェア」を造ったことにあるというのです。その意味で贋作者は原作者に劣ります。
一方、芸術愛好家が注目するのは絵の「ソフトウェア」的側面であり、骨董品蒐集家が注目するのは「ハードウェア」的側面です。つまり、単に絵が好きな人であれば、「全く区別のつかない贋作(模写)を無料でもらえる」ことは僥倖でしょうが、骨董品蒐集家にはそれには殆ど意味がないことです。
そして、今は芸術愛好家の立場のみを考えています。
このことは、音楽に置き換えればすぐにわかることです。作曲家の自筆譜が高価に売買されることはあっても、「あの演奏家の演奏は、自筆譜所有者『だからこそ』素晴らしい」などと言おうものなら馬鹿にされることは明白でしょう。
>と、絵の本質を、人間が認識する絵が仮に同一でも、「ゴッホの『精神を』認識するから」価値がある(感銘を受ける)といっています。
そういうことを言ったつもりではありません。それは全くの誤解です。上記のように、真作だから価値があるといったつもりは全くないのです。贋作に関しては、絵の「ソフトウェア」の作者は飽くまでゴッホであって贋作者ではないということを言ったまでです。ただし、人間には誰しも「蒐集癖」の片鱗はあり、そこが多少のスノビズムを惹起することは否定できませんが、むしろそこは反省すべき点だと思います。
>仮に、一定集団内における「より洗練された音楽」や「より洗練された芸術」なるものの価値が、一定の統一をみたとしても、そのことをもって、他の音楽や芸術よりも「高次の価値」をもっているとはいえないし、
そういうことを主張したつもりはないと思います。「普遍的」というのは、「殆ど誰にでも理解されうる」という意味です。
>あなたは芸術作品の「普遍性」について、「より多くの人に理解されるという意味」との限定を付けつつも、その存在を認めているわけですね。それが、「必要だ」ということの解釈でいいですか?
結構です。例えば私が「うがー!」と絶叫したところで、それは私にとって大いなる意味があっても、他の人には全く理解不能でしょうし、多くの人の理解は必要です。
>あえて2段階にして話をややこしくする必要はないということです。あなたが言いたい事の本質は「同じ」だということです。
おっしゃる意味が今一つわかりませんが、とりあえずあなたの議論に乗ることにしましょう。
以下は、私の主張を誤解していると思われます。
>僕は主に贋作について言っています。あなたが何も申さないのは、「違い」が認識できないということを認めたと解釈してもいいのでしょうか?
いや、ですから私は美術のことは詳しくないので、そのあたりは「わからない」と言っているのです。まあ、違いが認識できない贋作があると仮定しても結構ですが。
>>絵の値段を離れて価値を見出せる(と少なくとも本人は思う)ようになる人も多い。
>といいつつも、
>>絵の真作贋作は「文化財」や「骨董品」あるいは「蒐集癖の対象」
>と、帰属社会との関係(一種の権威主義)で価値が決まると認め、
いや、「文化財としての価値」と「芸術作品としての価値」は別物だと言っているのです。
つまり、絵の価値には「ハードウェア」的側面と「ソフトウェア」的側面がありまして、前者は物理的に存在する「絵」、後者は絵の構図など、「キャンバスの上に描かれたもの」のことです。
そしてこの場合、画家の価値は新たな「ソフトウェア」を造ったことにあるというのです。その意味で贋作者は原作者に劣ります。
一方、芸術愛好家が注目するのは絵の「ソフトウェア」的側面であり、骨董品蒐集家が注目するのは「ハードウェア」的側面です。つまり、単に絵が好きな人であれば、「全く区別のつかない贋作(模写)を無料でもらえる」ことは僥倖でしょうが、骨董品蒐集家にはそれには殆ど意味がないことです。
そして、今は芸術愛好家の立場のみを考えています。
このことは、音楽に置き換えればすぐにわかることです。作曲家の自筆譜が高価に売買されることはあっても、「あの演奏家の演奏は、自筆譜所有者『だからこそ』素晴らしい」などと言おうものなら馬鹿にされることは明白でしょう。
>と、絵の本質を、人間が認識する絵が仮に同一でも、「ゴッホの『精神を』認識するから」価値がある(感銘を受ける)といっています。
そういうことを言ったつもりではありません。それは全くの誤解です。上記のように、真作だから価値があるといったつもりは全くないのです。贋作に関しては、絵の「ソフトウェア」の作者は飽くまでゴッホであって贋作者ではないということを言ったまでです。ただし、人間には誰しも「蒐集癖」の片鱗はあり、そこが多少のスノビズムを惹起することは否定できませんが、むしろそこは反省すべき点だと思います。
53. 工学系院生
2004/06/24(木) 08:32:40
>工学君
>答えただろ!!
いや、君は肝心の所に答えていない。
>「努力の結果」というところは「客観的に証明できない」(少なくとも君は納得しない)だろうし、「権威による押しつけ」とか「排除されている」という反応をしなければ筋が通らないはず。その点はどうなのか?
これについて返事を求める。
>>じゃあ何で勝ったら嬉しいの?
>勝ちたい欲望を満たしたからだよ。
じゃあ、「練習しないで勝つ」のと「必死で練習して勝つ」のだとどっちが嬉しいと思うの?
>>未証明の命題を何度書こうとも、議論をいたずらに混乱させる以外に何の効果もありません。
>5回はサンタだ。
だから、そのサンタの比喩が不適切だと言ってるでしょうに。
>へぇ。じゃぁ少なくとも俺らの世代前後の人にとってはモーツァルトより最近のポップスのほうが「深い」んだな?
私も含めて世代まとめて一括りにしないで欲しいのだけれど、そういう人にとってはそれは確かですね。
ただし一つ言えることは、モーツァルトもポップスもどちらも好きという人ならば、圧倒的にモーツァルトの方が「深い」と思う人の方が多いということ。そこには何らかの因果関係があるでしょうね。
>少なくとも欧米の知識人階級の人には通用しないだろ。
私は欧米のインテリと交際があるわけではないので何とも申しませんが、欧米のインテリだろうがそういう奴はただのアホです。おしまい。
>マナー違反だからというのなら明日から「私はモーニング娘しか聞きません。クラシックは私にとっては眠いだけで全然分かりませんよ。アッハッハ」って言えば?
>もちろんアホだと思われる。
そんなことはありません。好きでもないのに好きな態度を取るより余程好感持たれます。
ただし、クラシックを内心見下すような態度が言葉に出ていたら別ですよ。
ポップスだろうがクラシックだろうが、他人の趣味を見下すことはマナー違反です。
>実際問題あなただってゴッホの偽者と本物と見分けがつかないって言っただろ。だけど本物はやっぱり良いはずだって思ってるんだろ?
違いますね。下の代理人さんへの返信参照。
>相手が分かってないようなら自分の表現の拙さを認めろよ。
そういう言い方をするなら、君の精神が幼稚過ぎるから私の言葉が伝わらないと言わせてもらう。
>という意味で意図を読み取るのが芸術の理解とするのはおかしいといおうとした。
誰もそんな主張はしてないと思いますが。
>あとわけわからん精神とやらは認めないが集中力は誰も否定していない。
>しかもあなたが言ってるのは真面目にやるのと真面目にやらないとの違いだと思われる。
では、集中力を発揮するためにはどうしたらいいのですか?単に「真面目にやる」だけでは気合いが空回りすることだって多いでしょうに。プロ野球選手で坐禅を組む人がいるのはなぜ?
>あと、A地点B地点について俺の考え方でどういうパラドックスが生じるのか書いてもらいたい。
君が挙げた、「のび太がどこでもドアの中で殺される」というので十分でしょう。
>答えただろ!!
いや、君は肝心の所に答えていない。
>「努力の結果」というところは「客観的に証明できない」(少なくとも君は納得しない)だろうし、「権威による押しつけ」とか「排除されている」という反応をしなければ筋が通らないはず。その点はどうなのか?
これについて返事を求める。
>>じゃあ何で勝ったら嬉しいの?
>勝ちたい欲望を満たしたからだよ。
じゃあ、「練習しないで勝つ」のと「必死で練習して勝つ」のだとどっちが嬉しいと思うの?
>>未証明の命題を何度書こうとも、議論をいたずらに混乱させる以外に何の効果もありません。
>5回はサンタだ。
だから、そのサンタの比喩が不適切だと言ってるでしょうに。
>へぇ。じゃぁ少なくとも俺らの世代前後の人にとってはモーツァルトより最近のポップスのほうが「深い」んだな?
私も含めて世代まとめて一括りにしないで欲しいのだけれど、そういう人にとってはそれは確かですね。
ただし一つ言えることは、モーツァルトもポップスもどちらも好きという人ならば、圧倒的にモーツァルトの方が「深い」と思う人の方が多いということ。そこには何らかの因果関係があるでしょうね。
>少なくとも欧米の知識人階級の人には通用しないだろ。
私は欧米のインテリと交際があるわけではないので何とも申しませんが、欧米のインテリだろうがそういう奴はただのアホです。おしまい。
>マナー違反だからというのなら明日から「私はモーニング娘しか聞きません。クラシックは私にとっては眠いだけで全然分かりませんよ。アッハッハ」って言えば?
>もちろんアホだと思われる。
そんなことはありません。好きでもないのに好きな態度を取るより余程好感持たれます。
ただし、クラシックを内心見下すような態度が言葉に出ていたら別ですよ。
ポップスだろうがクラシックだろうが、他人の趣味を見下すことはマナー違反です。
>実際問題あなただってゴッホの偽者と本物と見分けがつかないって言っただろ。だけど本物はやっぱり良いはずだって思ってるんだろ?
違いますね。下の代理人さんへの返信参照。
>相手が分かってないようなら自分の表現の拙さを認めろよ。
そういう言い方をするなら、君の精神が幼稚過ぎるから私の言葉が伝わらないと言わせてもらう。
>という意味で意図を読み取るのが芸術の理解とするのはおかしいといおうとした。
誰もそんな主張はしてないと思いますが。
>あとわけわからん精神とやらは認めないが集中力は誰も否定していない。
>しかもあなたが言ってるのは真面目にやるのと真面目にやらないとの違いだと思われる。
では、集中力を発揮するためにはどうしたらいいのですか?単に「真面目にやる」だけでは気合いが空回りすることだって多いでしょうに。プロ野球選手で坐禅を組む人がいるのはなぜ?
>あと、A地点B地点について俺の考え方でどういうパラドックスが生じるのか書いてもらいたい。
君が挙げた、「のび太がどこでもドアの中で殺される」というので十分でしょう。
54. 霞
2004/06/24(木) 13:52:49
たまにしかこないと、議論に参加できませんね。。もう傍観者になっちゃった感があるので、傍観者的立場から言わせてもらいます(笑)
芸術の価値に関して。
院生さんと無権代理人さんの議論に少しかませてもらいます。
お二人の議論で一番問題になっているのは「価値」という言葉の定義だと思います。
院生さんは(たまに書き込みの中でずれた意味で使ってらっしゃることもありますが)、大体において鑑賞者から見た絵の本質、金銭的価値にも、権威主義から来る社会的価値にも関係のないものと考えています。
それに対して無権代理人さんは、そのような評価には社会全体を覆う権威主義による錯覚の影響がある場合があり、なおかつ、その本質を理解するということは作家の精神を共有することであってそれは本来できない(と院生さん自身が主張している)と主張しています。また、そのような「価値」が仮に一定の集団あるいは一定の時代において評価を得たとしても、それを他の「価値」に対する優性だとは考えられないと仰ってます。
要約はこんなところでいいですかね。細かいズレとかは突っ込まないでください(^^;
さて、絵(や音楽に代表される芸術)の価値とはなんでしょうか。それは人によってさまざまな側面を持つものだと思います。
何十億もかけてゴッホの絵を買う人にとっては、絵の「価値」を判断する材料はそれを購うのに必要な札束の枚数でしか計れないし、
ゴッホの展覧会があると聞けば普段は絵なんて見ないくせに友達と連れ立って行って芸術を鑑賞したと言い張る有閑層の人にとっては、それはえらい先生が認めていて芸術を大して知らない自分たちでも名前を聞き知っている有名な絵描きだからであり、
ゴッホの画集を買っていろんな作品を眺めて悦に入る人は、ゴッホの絵の雰囲気が好きだからであり、、、、、
と、こんな調子でしょう。
ではいったいどれが正しいのか。もちろんここで議論している芸術好きの方はみんな、少なくとも前の二者ではないでしょう。だが前の二者であっても、芸術が好きという認識を自身で持っている可能性が高いです。そして前の二者もよく(周囲の人に)馬鹿にされることでしょう。
院生さんの主張によれば、絵とは絵そのものでありそれに付随した「価値」に影響されない。そして絵によって感動なり満足なり、そういうものを得る。それが作者の意図とまったく同じである必要はない・・・ということになります。
そういった意味で真作でも贋作でも模写でも、それが完璧に成されていて人間の認識上区別のつかないものであれば、「ソフトウェア的側面」の価値でいえば、それら三者に違いはありません。どれからも等しく感銘を受けることでしょう。ただ、その中でゴッホの優位性というのは、そのような優良なソフトウェアを独自に開発した、という点にあるでしょう。
さて、私の上げた三者三様の例でいきますと、一番目のタイプにおいては、真作以外に価値はないでしょう。二番目のタイプにおいては逆に、その作品に対する世間の評価がどのようなものかってことが大事になるでしょう。三番目のタイプは、それが感銘をもたらしてくれるものであれば何でもいいはずです。
「価値」は人によって違い、その判断基準によって芸術に対する考え方も違ってくるのです。だから院生さんの定義する鑑賞者と、無権代理人さんのいう鑑賞者がずれていることによって議論が少し変になってますね。お互い相手を理解しようとちゃんと解説しながら議論してるのに、うまく理解できてないような気がする。
最新の院生さんの書き込みで、無権さんはきっと理解されると思いますが、老婆心で補足しときます(笑)
芸術の価値に関して。
院生さんと無権代理人さんの議論に少しかませてもらいます。
お二人の議論で一番問題になっているのは「価値」という言葉の定義だと思います。
院生さんは(たまに書き込みの中でずれた意味で使ってらっしゃることもありますが)、大体において鑑賞者から見た絵の本質、金銭的価値にも、権威主義から来る社会的価値にも関係のないものと考えています。
それに対して無権代理人さんは、そのような評価には社会全体を覆う権威主義による錯覚の影響がある場合があり、なおかつ、その本質を理解するということは作家の精神を共有することであってそれは本来できない(と院生さん自身が主張している)と主張しています。また、そのような「価値」が仮に一定の集団あるいは一定の時代において評価を得たとしても、それを他の「価値」に対する優性だとは考えられないと仰ってます。
要約はこんなところでいいですかね。細かいズレとかは突っ込まないでください(^^;
さて、絵(や音楽に代表される芸術)の価値とはなんでしょうか。それは人によってさまざまな側面を持つものだと思います。
何十億もかけてゴッホの絵を買う人にとっては、絵の「価値」を判断する材料はそれを購うのに必要な札束の枚数でしか計れないし、
ゴッホの展覧会があると聞けば普段は絵なんて見ないくせに友達と連れ立って行って芸術を鑑賞したと言い張る有閑層の人にとっては、それはえらい先生が認めていて芸術を大して知らない自分たちでも名前を聞き知っている有名な絵描きだからであり、
ゴッホの画集を買っていろんな作品を眺めて悦に入る人は、ゴッホの絵の雰囲気が好きだからであり、、、、、
と、こんな調子でしょう。
ではいったいどれが正しいのか。もちろんここで議論している芸術好きの方はみんな、少なくとも前の二者ではないでしょう。だが前の二者であっても、芸術が好きという認識を自身で持っている可能性が高いです。そして前の二者もよく(周囲の人に)馬鹿にされることでしょう。
院生さんの主張によれば、絵とは絵そのものでありそれに付随した「価値」に影響されない。そして絵によって感動なり満足なり、そういうものを得る。それが作者の意図とまったく同じである必要はない・・・ということになります。
そういった意味で真作でも贋作でも模写でも、それが完璧に成されていて人間の認識上区別のつかないものであれば、「ソフトウェア的側面」の価値でいえば、それら三者に違いはありません。どれからも等しく感銘を受けることでしょう。ただ、その中でゴッホの優位性というのは、そのような優良なソフトウェアを独自に開発した、という点にあるでしょう。
さて、私の上げた三者三様の例でいきますと、一番目のタイプにおいては、真作以外に価値はないでしょう。二番目のタイプにおいては逆に、その作品に対する世間の評価がどのようなものかってことが大事になるでしょう。三番目のタイプは、それが感銘をもたらしてくれるものであれば何でもいいはずです。
「価値」は人によって違い、その判断基準によって芸術に対する考え方も違ってくるのです。だから院生さんの定義する鑑賞者と、無権代理人さんのいう鑑賞者がずれていることによって議論が少し変になってますね。お互い相手を理解しようとちゃんと解説しながら議論してるのに、うまく理解できてないような気がする。
最新の院生さんの書き込みで、無権さんはきっと理解されると思いますが、老婆心で補足しときます(笑)
55. 霞
2004/06/24(木) 13:55:56
芸術の普遍性に関して。
無権さんの仰るとおり、次々と新しい世代に支持される音楽が出現することは、やはり新しい価値観の創出が起こっているからであり、それは「価値」に時代や集団を超えて優位性を発揮するような普遍性があるかどうかの疑問符である、という主張は、私自身も感じるところです。
工学君がうまく表現し切れていないと思われるもの(彼自身が内面に抱える芸術に対する不審)を少し代弁しましょうか。
ゴッホは実際、高い技術を持ってよい絵を描いた。ここまではそう問題なく認識できる部分です(彼の絵を下手だとは思わないですよね?工学君)。
そしてそういう点をちゃんと理解できる人が理解し、それが評判になったためにゴッホはここまで有名になり、その絵には天文学的値段がつけられるようになった。もちろん、本当に実力があったのにそうならなかった画家も数多くいるはずで、かなりの運が必要だと思いますが。
そしてそれらの評価が全て済んでしまった現代において、それらをごっちゃにした認識が行われているのです。ゴッホはすばらしい絵を描き、国際的に高い評価を得、すごい値段がついている、と。
工学君は権威主義権威主義と主張しますが、もともとゴッホには何の権威もなかった。彼の評価が高まったのは死んでからのほうが著しい。だから、彼の評価がある程度のレベルまで高まることは別に権威は何も絡んでこなかったと思います。
しかし、最高レベルの権威が染み付いてしまった現在、その「価値」が普遍的に通用するものではなく、感銘を受ける人が少なくなってしまっても、その「権威」が一人歩きして芸術の価値を変えてしまうのではないかという懸念はあります。
これが工学君の言いたいことじゃないかと、少し思ってます。間違ってたらごめん。
私は比較的新しい価値観より古いほうに染まっている人間で、現代の社会の流れとは、あるいは一般人の嗜好とは異なる部分が多いですが、それでもよさのわからない古典芸術もたくさん存在します。映画や現代演劇とかミュージカルはそれなりに好きだけど能楽や狂言や人形浄瑠璃は、正直言ってよくわからない。
等しく権威主義があるなら、現代社会でクラシックが大衆の認知を得ており、能楽があまり見られなくなったという現状に説明がつきません。しかし、一般的に古くから人間の評価の目をくぐりながらも生き延びてきた芸術にほぼ普遍的(に近い)価値がある(この議論のかなり最初のほうで出てきた主張です。誰が言ったのかは忘れましたが、現代の芸術と比較して昔から伝わってきた伝統的なものの方が価値が高い場合が多い、というような文脈だったと思います)かというと、今のクラシックと能楽を取り巻く現状を見れば、それもどうかと思う。
結局人は、自分の理解できる範囲しか理解しないものかなと、思ったりもします。
まあだからといって、工学君のように他人の持っている趣味をあからさまに間違っているとか価値がないとか決め付けるやり方は、やはりおかしいと思います。私個人は、流行を追いかけて二週間ごとに「大好きな」歌が変わる友人をイヤだとは思いますが、別に否定しないですしね。本人が満足ならそれでいいやんと(他人がどうこうできる問題じゃないしと)思うから。
無権さんの仰るとおり、次々と新しい世代に支持される音楽が出現することは、やはり新しい価値観の創出が起こっているからであり、それは「価値」に時代や集団を超えて優位性を発揮するような普遍性があるかどうかの疑問符である、という主張は、私自身も感じるところです。
工学君がうまく表現し切れていないと思われるもの(彼自身が内面に抱える芸術に対する不審)を少し代弁しましょうか。
ゴッホは実際、高い技術を持ってよい絵を描いた。ここまではそう問題なく認識できる部分です(彼の絵を下手だとは思わないですよね?工学君)。
そしてそういう点をちゃんと理解できる人が理解し、それが評判になったためにゴッホはここまで有名になり、その絵には天文学的値段がつけられるようになった。もちろん、本当に実力があったのにそうならなかった画家も数多くいるはずで、かなりの運が必要だと思いますが。
そしてそれらの評価が全て済んでしまった現代において、それらをごっちゃにした認識が行われているのです。ゴッホはすばらしい絵を描き、国際的に高い評価を得、すごい値段がついている、と。
工学君は権威主義権威主義と主張しますが、もともとゴッホには何の権威もなかった。彼の評価が高まったのは死んでからのほうが著しい。だから、彼の評価がある程度のレベルまで高まることは別に権威は何も絡んでこなかったと思います。
しかし、最高レベルの権威が染み付いてしまった現在、その「価値」が普遍的に通用するものではなく、感銘を受ける人が少なくなってしまっても、その「権威」が一人歩きして芸術の価値を変えてしまうのではないかという懸念はあります。
これが工学君の言いたいことじゃないかと、少し思ってます。間違ってたらごめん。
私は比較的新しい価値観より古いほうに染まっている人間で、現代の社会の流れとは、あるいは一般人の嗜好とは異なる部分が多いですが、それでもよさのわからない古典芸術もたくさん存在します。映画や現代演劇とかミュージカルはそれなりに好きだけど能楽や狂言や人形浄瑠璃は、正直言ってよくわからない。
等しく権威主義があるなら、現代社会でクラシックが大衆の認知を得ており、能楽があまり見られなくなったという現状に説明がつきません。しかし、一般的に古くから人間の評価の目をくぐりながらも生き延びてきた芸術にほぼ普遍的(に近い)価値がある(この議論のかなり最初のほうで出てきた主張です。誰が言ったのかは忘れましたが、現代の芸術と比較して昔から伝わってきた伝統的なものの方が価値が高い場合が多い、というような文脈だったと思います)かというと、今のクラシックと能楽を取り巻く現状を見れば、それもどうかと思う。
結局人は、自分の理解できる範囲しか理解しないものかなと、思ったりもします。
まあだからといって、工学君のように他人の持っている趣味をあからさまに間違っているとか価値がないとか決め付けるやり方は、やはりおかしいと思います。私個人は、流行を追いかけて二週間ごとに「大好きな」歌が変わる友人をイヤだとは思いますが、別に否定しないですしね。本人が満足ならそれでいいやんと(他人がどうこうできる問題じゃないしと)思うから。
56. いまもう一人の理学部
2004/06/24(木) 18:34:40
どうでもいいけど工学は損してる。
生まれた時から損してる
ほかの人が感じられる美をかたくなに拒んでいる時点で。
>意図が本読めばわかる。
モチベーションはわかるかもしれない。
でもそれもフィーリングだったりするかもしれない。
というかね君は多体系とか統計によって情報量を減らすことが重要になってくるような状況を知らなさ過ぎる。
たとえ芸術が原理的に論理的に解釈可能でも実際問題としてはそれで片付かない。
なぜかとかじゃなくて実際にそうなんだよ。(現象論的主張)
本当に馬鹿を見てると腹立たしい。
生まれた時から損してる
ほかの人が感じられる美をかたくなに拒んでいる時点で。
>意図が本読めばわかる。
モチベーションはわかるかもしれない。
でもそれもフィーリングだったりするかもしれない。
というかね君は多体系とか統計によって情報量を減らすことが重要になってくるような状況を知らなさ過ぎる。
たとえ芸術が原理的に論理的に解釈可能でも実際問題としてはそれで片付かない。
なぜかとかじゃなくて実際にそうなんだよ。(現象論的主張)
本当に馬鹿を見てると腹立たしい。
57. 工学
2004/06/24(木) 20:43:43
>工学系院
努力の結果なんてのもそりゃ主観的なものであって本人以外の誰にも「その努力」は分からないだろう。
だけど毎日ロードワーク30キロやったなどといえばかなり客観的な共通のイメージが涌くだろ。
芸術の深さについては全く共通のイメージがないやん。
個人が感じる瑣末な部分はどうでもいい。
万人が感じた平均程度とか最大公約数的に一番大事な部分でいいからモーツァルトのイメージを言語化してみろよ。全く下らん陳腐なものだろうから。お前らはそんなものをありがたがっていたのかと俺に言われる程度のものだろう。
>じゃあ、「練習しないで勝つ」のと「必死で練習して勝つ」のだとどっちが嬉しいと思うの?
質問の意図が不明だ・・練習しないで楽して勝てたといううれしさもあるし、努力が報われたからうれしい(過去の経験に意味が与えられたから)うれしいというのとそれぞれあるだろうな。どっちが?って言われても人によるし、努力の内容にもよるだろ。
>私は欧米のインテリと交際があるわけではないので何とも申しませんが、欧米のインテリだろうがそういう奴はただのアホです。
そのただのアホがあなたの好きな「芸術に理解ある科学者」像だ。
>そんなことはありません。
じゃぁそうしてみろよ笑
公の場でクラシックに対する理解を問う質問をされたらさっきのせりふを吐いてみれば?
>では、集中力を発揮するためにはどうしたらいいのですか?単に「真面目にやる」だけでは気合いが空回りすることだって多いでしょうに。プロ野球選手で坐禅を組む人がいるのはなぜ?
ではなぜ座禅を組む人が強くて組まない人は弱いとならないんだ?
なぜイチローは座禅を組まない?(組んでたらしらんが笑)メジャーの人らは?
結局座禅を組むことに対して意味が無いからだろ。
あなたは座禅を組む前と後での打率のデータを知った上で言ってるの?ただなんとなくだろ?ただなんとなく
座禅を組む→精神が強くなる→本番に強くなれる
というクソくだらん思考をやってしまったわけだろ?
仮に座禅を組んで少しは集中力がついて打率が上がったとしよう。
でもそれは例えばガムをかむというだけで克服される程度のきわめて瑣末なものにすぎないだろう。
(そうでなければメジャーリーガーはみないっせいに座禅を組むだろう。)
こうやってまたあなたはありもしない精神論を語ってしまった。
座禅をして打率が上がるならなぜみんなそうしないのか考えろよ笑
>君が挙げた、「のび太がどこでもドアの中で殺される」というので十分でしょう。
どこにも矛盾はありません。
>、「あの演奏家の演奏は、自筆譜所有者『だからこそ』素晴らしい」などと言おうものなら馬鹿にされることは明白でしょう。
ゴッホだからこそ素晴らしいと思ってるあなたも同じだ。
(もしも贋作とゴッホを見分ける能力があなたにあれば撤回)
>霞
>もちろん、本当に実力があったのにそうならなかった画家も数多くいるはずで、かなりの運が必要だと思いますが。
そうそう。芸術は運が99.9パーセントで才能が0.1。技術的にゴッホ級の腕前の作家はいっぱいいただろうが、たまたま権威に認められるかの違いで天と地の差だわな。
(もしもアインシュタイン級の科学業績をあげる人が複数おれば、だいたいみな有名になっているだろう。)
>これが工学君の言いたいことじゃないかと、少し思ってます。間違ってたらごめん。
まぁそういうことだ。それにプラスして、ゴッホ級の技術の絵全てにそれくらいの評価をしてないんだったら、そもそもゴッホにもたいした価値が無いと思いなさいってことを書き加えておく。
>私個人は、流行を追いかけて二週間ごとに「大好きな」歌が変わる友人をイヤだとは思いますが、別に否定しないですしね。本人が満足ならそれでいいやんと(他人がどうこうできる問題じゃないしと)思うから
嫌だと思ってるんだろ?
俺も別にサンタを信じてるヤツを否定はしないが、そういうやつをイヤだと思ってるのだ。
結局イヤだと思うってことはどこかで否定してるってことだろう。
努力の結果なんてのもそりゃ主観的なものであって本人以外の誰にも「その努力」は分からないだろう。
だけど毎日ロードワーク30キロやったなどといえばかなり客観的な共通のイメージが涌くだろ。
芸術の深さについては全く共通のイメージがないやん。
個人が感じる瑣末な部分はどうでもいい。
万人が感じた平均程度とか最大公約数的に一番大事な部分でいいからモーツァルトのイメージを言語化してみろよ。全く下らん陳腐なものだろうから。お前らはそんなものをありがたがっていたのかと俺に言われる程度のものだろう。
>じゃあ、「練習しないで勝つ」のと「必死で練習して勝つ」のだとどっちが嬉しいと思うの?
質問の意図が不明だ・・練習しないで楽して勝てたといううれしさもあるし、努力が報われたからうれしい(過去の経験に意味が与えられたから)うれしいというのとそれぞれあるだろうな。どっちが?って言われても人によるし、努力の内容にもよるだろ。
>私は欧米のインテリと交際があるわけではないので何とも申しませんが、欧米のインテリだろうがそういう奴はただのアホです。
そのただのアホがあなたの好きな「芸術に理解ある科学者」像だ。
>そんなことはありません。
じゃぁそうしてみろよ笑
公の場でクラシックに対する理解を問う質問をされたらさっきのせりふを吐いてみれば?
>では、集中力を発揮するためにはどうしたらいいのですか?単に「真面目にやる」だけでは気合いが空回りすることだって多いでしょうに。プロ野球選手で坐禅を組む人がいるのはなぜ?
ではなぜ座禅を組む人が強くて組まない人は弱いとならないんだ?
なぜイチローは座禅を組まない?(組んでたらしらんが笑)メジャーの人らは?
結局座禅を組むことに対して意味が無いからだろ。
あなたは座禅を組む前と後での打率のデータを知った上で言ってるの?ただなんとなくだろ?ただなんとなく
座禅を組む→精神が強くなる→本番に強くなれる
というクソくだらん思考をやってしまったわけだろ?
仮に座禅を組んで少しは集中力がついて打率が上がったとしよう。
でもそれは例えばガムをかむというだけで克服される程度のきわめて瑣末なものにすぎないだろう。
(そうでなければメジャーリーガーはみないっせいに座禅を組むだろう。)
こうやってまたあなたはありもしない精神論を語ってしまった。
座禅をして打率が上がるならなぜみんなそうしないのか考えろよ笑
>君が挙げた、「のび太がどこでもドアの中で殺される」というので十分でしょう。
どこにも矛盾はありません。
>、「あの演奏家の演奏は、自筆譜所有者『だからこそ』素晴らしい」などと言おうものなら馬鹿にされることは明白でしょう。
ゴッホだからこそ素晴らしいと思ってるあなたも同じだ。
(もしも贋作とゴッホを見分ける能力があなたにあれば撤回)
>霞
>もちろん、本当に実力があったのにそうならなかった画家も数多くいるはずで、かなりの運が必要だと思いますが。
そうそう。芸術は運が99.9パーセントで才能が0.1。技術的にゴッホ級の腕前の作家はいっぱいいただろうが、たまたま権威に認められるかの違いで天と地の差だわな。
(もしもアインシュタイン級の科学業績をあげる人が複数おれば、だいたいみな有名になっているだろう。)
>これが工学君の言いたいことじゃないかと、少し思ってます。間違ってたらごめん。
まぁそういうことだ。それにプラスして、ゴッホ級の技術の絵全てにそれくらいの評価をしてないんだったら、そもそもゴッホにもたいした価値が無いと思いなさいってことを書き加えておく。
>私個人は、流行を追いかけて二週間ごとに「大好きな」歌が変わる友人をイヤだとは思いますが、別に否定しないですしね。本人が満足ならそれでいいやんと(他人がどうこうできる問題じゃないしと)思うから
嫌だと思ってるんだろ?
俺も別にサンタを信じてるヤツを否定はしないが、そういうやつをイヤだと思ってるのだ。
結局イヤだと思うってことはどこかで否定してるってことだろう。
58. 無権代理人
2004/06/24(木) 23:40:02
>霞さん
>院生さんの定義する鑑賞者と、無権代理人さんのいう鑑賞者がずれている
整理してもらい、自分の中でうまく整理されていない部分がわかりました。芸術の価値に関して、院生さんの定義する鑑賞者については一応理解していたつもりでした。すなわち、3番目のタイプの「鑑賞者」(院生さん)がいることは事実なので、それは否定しませんと言ってた部分です。
混乱が生じていたのは、芸術の価値と芸術の普遍性には共通する部分があるからでした。前述のように、院生さんが「モーツァルトに価値がある『と思う自分がいること』を理解せよ」ということ(『』)には、理解を示したつもりでしたが、「モーツァルトに価値がある」という部分は、裏返せばモーツァルトが他の音楽家に対して「優越し、普遍性がある」ということの裏返しではないかと思いまして。ここは「普遍性・優越性」に引っかかりまして、だから「価値」の使われ方によっては、いろいろ反論したのだと思います。
>院生さん
鑑賞者としての院生さんの存在を認めつつも、他の音楽家に対してではなく、院生さん自身の内面での「優越性・普遍性」についての質問があります。
音楽を聴いていると、何回も聞けばより感動する曲とそうでない曲に次第に分類されてくると思います。仮に初心者がゼロから全ての曲を何百回も聴いた上で、例えばモーツァルトの第41番を一番感動する曲だと認識したとします。はたしてそれは、初心者だった頃よりも「前に進んだ」といえるのでしょうか。つまり、少しでも芸術の「優越性・普遍性」を認識できる鑑賞者に近づいたといえるでしょうか?厳密な意味でなく、「そう思う」「そう思いたい」という程度の答えでいいですので。
>院生さんの定義する鑑賞者と、無権代理人さんのいう鑑賞者がずれている
整理してもらい、自分の中でうまく整理されていない部分がわかりました。芸術の価値に関して、院生さんの定義する鑑賞者については一応理解していたつもりでした。すなわち、3番目のタイプの「鑑賞者」(院生さん)がいることは事実なので、それは否定しませんと言ってた部分です。
混乱が生じていたのは、芸術の価値と芸術の普遍性には共通する部分があるからでした。前述のように、院生さんが「モーツァルトに価値がある『と思う自分がいること』を理解せよ」ということ(『』)には、理解を示したつもりでしたが、「モーツァルトに価値がある」という部分は、裏返せばモーツァルトが他の音楽家に対して「優越し、普遍性がある」ということの裏返しではないかと思いまして。ここは「普遍性・優越性」に引っかかりまして、だから「価値」の使われ方によっては、いろいろ反論したのだと思います。
>院生さん
鑑賞者としての院生さんの存在を認めつつも、他の音楽家に対してではなく、院生さん自身の内面での「優越性・普遍性」についての質問があります。
音楽を聴いていると、何回も聞けばより感動する曲とそうでない曲に次第に分類されてくると思います。仮に初心者がゼロから全ての曲を何百回も聴いた上で、例えばモーツァルトの第41番を一番感動する曲だと認識したとします。はたしてそれは、初心者だった頃よりも「前に進んだ」といえるのでしょうか。つまり、少しでも芸術の「優越性・普遍性」を認識できる鑑賞者に近づいたといえるでしょうか?厳密な意味でなく、「そう思う」「そう思いたい」という程度の答えでいいですので。
59. 霞
2004/06/24(木) 23:46:08
珍しく早レス。
→工学君
>>もちろん、本当に実力があったのにそうならなかった画>>家も数多くいるはずで、かなりの運が必要だと思います
>>が。
>そうそう。芸術は運が99.9パーセントで才能が0.
>1。技術的にゴッホ級の腕前の作家はいっぱいいただろ
>うが、たまたま権威に認められるかの違いで天と地の差
>だわな。
また誤解してる。ちゃんと読んでください。
私はゴッホの才能は非常に高いと思うし、そして何より、独創的だと思います。絵にはテクニカルな意味での「才能」と、ソフトウェア開発にも似た独創的創作ができる「才能」が必要であって、彼はその双方に優れていたのです(どちらかというと、彼は技術面ではそこまでの天才ではなかったのですが)。工学君は、後者の「才能」のことをほぼ考慮に入れてない。だから誤解が生じている。あなたはあくまで、ゴッホが書いた有名な作品と同レベルの油絵が描けるという言葉を、単純にそれだけの技術だと思い込んでいる。明らかに間違いです。院生さんなどが何度も主張され、なおかつ私がちゃんと「高い技術を持ってよい絵を描いた」と双方に言及しているにもかかわらず。この違いは分かりますね?芸術とは大部分の場合において、後者の才能が重視される。
卑近な例でいえば研究もそう。頭のよさも厳然として研究成果に差を作ることになりますが、それ以上に未知の事象に対してどのようにアプローチし、客観的説明を加えていくか、そういった部分は独創性です。そしてそれは皆さんが主張しているように、主観です。
だから、芸術においても数式の如く客観的に評価できる部分というのはあるんですよ。どの程度のレベルのスケッチができるか、どの程度の速度で正確に鍵盤を叩けるかなどなど。これらは客観的評価が可能。高校までの勉強と同様です。
工学君に分かりやすく図式化すると、
主観:学問における研究的創造性=芸術における独創性
客観:学問における高校まで、あるいは学部教養レベルまでの数学や物理や化学などの(受験的)勉強=芸術におけるスケッチの精密さや演奏の正確さ
となりますね。
そして、「たまたま権威に認められただけ」とは一言も書いてない。何度もいったように、彼は存命中はあまり評価が高くなかった。つまり、絵を描き作品によって人に訴えかけるという画家としての『実力』だけでもって、ある程度は評価されていたんですよ。芸術家仲間の間でもそれなりに認められていた(同じく画家として現代で高い評価を得ているゴーギャンとは親友だったし)。
有名なエピソードですが、彼が生きていた頃に売れた絵はたった一枚だけ。彼はメルキュール・ド・フランスという雑誌で自作を紹介されて波に乗れるかと思いきや、次作以降は特に声もかからなかった。そして持病の精神的衰弱にも苛まれ、40才より前にピストル自殺します。
彼が評価され始めたのは死後ある程度経ってからで、それも別に急激に評価が上がったわけではない。その良さがいろんな人に認められるにつれ、段々と評価が高まっていったのです。現代では彼の評価は天にも届かんばかりですが、その過程を考えてみてください。ごく小数の権威が賞賛するだけでは、とても現在のような状態にはならなかったのです(現に、雑誌に紹介された後の彼は、紹介される前と何ら変わらない名声しか持っていなかった)。
これこそが、ゴッホは単純に美術評論家たちに賞賛されて現在の地位を築いたのではなく、彼の絵が多くの人にとって感銘を与えられるものであり、それが地域や時代の枠を超えてある一定レベル以上の普遍性を持っているという(実証的)証左に他なりません。
→工学君
>>もちろん、本当に実力があったのにそうならなかった画>>家も数多くいるはずで、かなりの運が必要だと思います
>>が。
>そうそう。芸術は運が99.9パーセントで才能が0.
>1。技術的にゴッホ級の腕前の作家はいっぱいいただろ
>うが、たまたま権威に認められるかの違いで天と地の差
>だわな。
また誤解してる。ちゃんと読んでください。
私はゴッホの才能は非常に高いと思うし、そして何より、独創的だと思います。絵にはテクニカルな意味での「才能」と、ソフトウェア開発にも似た独創的創作ができる「才能」が必要であって、彼はその双方に優れていたのです(どちらかというと、彼は技術面ではそこまでの天才ではなかったのですが)。工学君は、後者の「才能」のことをほぼ考慮に入れてない。だから誤解が生じている。あなたはあくまで、ゴッホが書いた有名な作品と同レベルの油絵が描けるという言葉を、単純にそれだけの技術だと思い込んでいる。明らかに間違いです。院生さんなどが何度も主張され、なおかつ私がちゃんと「高い技術を持ってよい絵を描いた」と双方に言及しているにもかかわらず。この違いは分かりますね?芸術とは大部分の場合において、後者の才能が重視される。
卑近な例でいえば研究もそう。頭のよさも厳然として研究成果に差を作ることになりますが、それ以上に未知の事象に対してどのようにアプローチし、客観的説明を加えていくか、そういった部分は独創性です。そしてそれは皆さんが主張しているように、主観です。
だから、芸術においても数式の如く客観的に評価できる部分というのはあるんですよ。どの程度のレベルのスケッチができるか、どの程度の速度で正確に鍵盤を叩けるかなどなど。これらは客観的評価が可能。高校までの勉強と同様です。
工学君に分かりやすく図式化すると、
主観:学問における研究的創造性=芸術における独創性
客観:学問における高校まで、あるいは学部教養レベルまでの数学や物理や化学などの(受験的)勉強=芸術におけるスケッチの精密さや演奏の正確さ
となりますね。
そして、「たまたま権威に認められただけ」とは一言も書いてない。何度もいったように、彼は存命中はあまり評価が高くなかった。つまり、絵を描き作品によって人に訴えかけるという画家としての『実力』だけでもって、ある程度は評価されていたんですよ。芸術家仲間の間でもそれなりに認められていた(同じく画家として現代で高い評価を得ているゴーギャンとは親友だったし)。
有名なエピソードですが、彼が生きていた頃に売れた絵はたった一枚だけ。彼はメルキュール・ド・フランスという雑誌で自作を紹介されて波に乗れるかと思いきや、次作以降は特に声もかからなかった。そして持病の精神的衰弱にも苛まれ、40才より前にピストル自殺します。
彼が評価され始めたのは死後ある程度経ってからで、それも別に急激に評価が上がったわけではない。その良さがいろんな人に認められるにつれ、段々と評価が高まっていったのです。現代では彼の評価は天にも届かんばかりですが、その過程を考えてみてください。ごく小数の権威が賞賛するだけでは、とても現在のような状態にはならなかったのです(現に、雑誌に紹介された後の彼は、紹介される前と何ら変わらない名声しか持っていなかった)。
これこそが、ゴッホは単純に美術評論家たちに賞賛されて現在の地位を築いたのではなく、彼の絵が多くの人にとって感銘を与えられるものであり、それが地域や時代の枠を超えてある一定レベル以上の普遍性を持っているという(実証的)証左に他なりません。
60. 霞
2004/06/24(木) 23:51:07
ですが、私が書き、工学君自身も不信感を口に出しているように、ここまで大きくなったゴッホの名声が、彼の作品がその時代を生きる人間の感性に合わないものとなったとしても、そのまま残りつづけるのではないかという不安があります。
彼の作品が生前に評価されなかったのは、ゴッホが生きた19世紀中ごろはヨーロッパでは写実主義が全盛で、彼のように原色を多く使い独創性の高い(対象を正確に描写するだけではない)絵は、評価を得にくかったのです。そして人々の感性が彼の絵に合うようになってきた頃に(野獣派が彼の影響を受けて彼の流れを受け継ぎ、それらが高い評価を得ていく過程で)、彼の絵は高い評価を受けたのです。
果たして好みに合わなくなってから、ゴッホの絵の値段は暴落するでしょうか。多少疑問に感じます。
さて、次の反論。
工学君の言う、「ゴッホ級の技術の絵全てにそれくらいの評価をしてないんだったら、そもそもゴッホにもたいした価値が無いと思いなさい」という反論は妥当ではない。
まず第一段階として、単純な意味での「技術」は絵の評価にそれほど大きな影響を与えるわけではない。
第二に、人の好みは緩やかではあるが変わっていく。いつの時代にも「原色の荒々しいタッチが好きな人」と「色使いの優しい繊細な絵が好きな人」とが存在するが、時代によってその趨勢は異なります。だから、いつでも高い技術と独創性を持った画家が確実に評価されるわけではないということは言えるが、そういうレベルの画家がいつの時代になっても評価を与えられないままずっと放っておかれることは、それほど確実にいえることではない。
この辺り、工学君の大好きな数式のように、完全に厳密な客観性が存在しないのもまた事実かと思う。だがそれが結果として、工学君の主張する全ての芸術作品が権威による愚民の扇動と解釈できるということはありえない。同時代の、あるいは後の時代の人が多くその作品を理解して賞賛すれば、それはある程度の客観性をもつと解することが可能なはずです。
先ほど私が図式化したように、スケッチの精密さほどの客観性は得られないにしても、主観もある程度大勢の人に認められれば相応の客観性があるということになるはずです。実証的に言えば、の話ですが。
>結局イヤだと思うってことはどこかで否定してるってこと
>だろう
うーん、そう言いますか。。。工学君とはニュアンスが違うんやけどな。
つまり私は、その友人が確固とした考え方を持たずに流行に流されているだけなのが嫌いなのであって、あなたのように、相手の持つ趣味を価値がないと断じたり、権威主義による押し付け洗脳されているだけだといったりはしてません。それが単純にイヤと思うのと否定することの違いです。
実際のところ、私はクラシックも現代のポップスも好きです。ただ、ある程度好みがはっきりしてるから、聞かないタイプの曲は聞かない。それだけのこと。
彼の作品が生前に評価されなかったのは、ゴッホが生きた19世紀中ごろはヨーロッパでは写実主義が全盛で、彼のように原色を多く使い独創性の高い(対象を正確に描写するだけではない)絵は、評価を得にくかったのです。そして人々の感性が彼の絵に合うようになってきた頃に(野獣派が彼の影響を受けて彼の流れを受け継ぎ、それらが高い評価を得ていく過程で)、彼の絵は高い評価を受けたのです。
果たして好みに合わなくなってから、ゴッホの絵の値段は暴落するでしょうか。多少疑問に感じます。
さて、次の反論。
工学君の言う、「ゴッホ級の技術の絵全てにそれくらいの評価をしてないんだったら、そもそもゴッホにもたいした価値が無いと思いなさい」という反論は妥当ではない。
まず第一段階として、単純な意味での「技術」は絵の評価にそれほど大きな影響を与えるわけではない。
第二に、人の好みは緩やかではあるが変わっていく。いつの時代にも「原色の荒々しいタッチが好きな人」と「色使いの優しい繊細な絵が好きな人」とが存在するが、時代によってその趨勢は異なります。だから、いつでも高い技術と独創性を持った画家が確実に評価されるわけではないということは言えるが、そういうレベルの画家がいつの時代になっても評価を与えられないままずっと放っておかれることは、それほど確実にいえることではない。
この辺り、工学君の大好きな数式のように、完全に厳密な客観性が存在しないのもまた事実かと思う。だがそれが結果として、工学君の主張する全ての芸術作品が権威による愚民の扇動と解釈できるということはありえない。同時代の、あるいは後の時代の人が多くその作品を理解して賞賛すれば、それはある程度の客観性をもつと解することが可能なはずです。
先ほど私が図式化したように、スケッチの精密さほどの客観性は得られないにしても、主観もある程度大勢の人に認められれば相応の客観性があるということになるはずです。実証的に言えば、の話ですが。
>結局イヤだと思うってことはどこかで否定してるってこと
>だろう
うーん、そう言いますか。。。工学君とはニュアンスが違うんやけどな。
つまり私は、その友人が確固とした考え方を持たずに流行に流されているだけなのが嫌いなのであって、あなたのように、相手の持つ趣味を価値がないと断じたり、権威主義による押し付け洗脳されているだけだといったりはしてません。それが単純にイヤと思うのと否定することの違いです。
実際のところ、私はクラシックも現代のポップスも好きです。ただ、ある程度好みがはっきりしてるから、聞かないタイプの曲は聞かない。それだけのこと。
61. 工学
2004/06/25(金) 00:55:33
長々と書いてるが要するに独創性がゴッホにはあったからってことだな?
あなたの言う独創性って何だ?
ゴッホには独創性があってゴッホ級の腕前だが残念ながら美術史には残らなかった作家AやBには独創性が無かったのか?
ゴッホが特有なら彼らにも彼らの特有さがあるだろ。
どっちの特有さが受けるか?はっきり言って運だ。
そして権威付けされたほうを単に独創性が有ると言ってるだけ。
ありもしない独創性などという概念を作り出して解決した気になってる。
全く(なぜゴッホが良いかの)説明になってないのが分からんの?
いかにも今まで適当に変な概念を作り出して説明→満足という作業になれた文系っぽい思考・・
(文学部が排出した最大の業績の一人である、西洋の心身二元論に答えを出した西田幾多郎というオッサンをみろ。主観と客観が合一になったと考えてその矛盾を克服した?それが「絶対矛盾の自己合一性」?いやこいつ適当に小難しい概念を作り出して説明したことになってるだけで、こんなのは運のみだから。そして文系とはおめでたいことにこの程度の研究に権威が付けられあがめられるという世界なのだ。)
単に良いといわれてるものに「独創性が有るだろ」、「魂がこもってるだろ」、「深さがあるだろ」etc・・
それで「まぁお前には分からんだろうね」って何それ。
そんなものはあなたら権威が適当に作り上げた概念であって、ゴッホの絵のこれこれこういうところが他の画家には無い、確実に万人受けするべき理由だとする手法を取らない限り言葉遊びの世界を出られんだろうが。
そしてそんな方法は無いと気づくとき、全く彼の業績は、彼についた権威は運のみだったと知るだろう。
もちろん君らにはありもしない深さ等の概念を作ってそれをあがめるという逃げがあるから安心だな。
>あなたのように、相手の持つ趣味を価値がないと断じたり、権威主義による押し付け洗脳されているだけだといったりはしてません
まず完全な趣味としては認めていると言ってるだろ。ただモーツァルトにモーニング娘以上の何か「深さ」がある、ただの技術だけがゴッホ級の人が書いた油絵には無い「深さ」がゴッホにはあるなどとほざいてしまった時点からを認めないだけで。
次に、あなたは確固とした考えを持たずに流行に流されるというその人の趣向を否定してるんだよ。
無意識のうちに自分の考えを持って流行に左右されないことが良いことだと信じ込み、そしてそうでないその友達のやりかたが価値が無いものだと(あなたはそういわなくても)思い込んでる。
自分の持った価値観とそれに反する価値観が衝突してるときはお互いを排除するしかないのであって、「その考え方も認める。」「私の考えを押し付けはしない」って全く意味不明。あなたがその価値観を持ってる時点で反する価値観を排除してるのがなぜ分からない。流行に流されないことが大事と考えた時点で流されることを否定してるんだ。
(これは工学系院にも書いたが、「工学」に対して自分だけが善だと心から信じきってるお前らには何度言っても分からないようだ。)
あなたの言う独創性って何だ?
ゴッホには独創性があってゴッホ級の腕前だが残念ながら美術史には残らなかった作家AやBには独創性が無かったのか?
ゴッホが特有なら彼らにも彼らの特有さがあるだろ。
どっちの特有さが受けるか?はっきり言って運だ。
そして権威付けされたほうを単に独創性が有ると言ってるだけ。
ありもしない独創性などという概念を作り出して解決した気になってる。
全く(なぜゴッホが良いかの)説明になってないのが分からんの?
いかにも今まで適当に変な概念を作り出して説明→満足という作業になれた文系っぽい思考・・
(文学部が排出した最大の業績の一人である、西洋の心身二元論に答えを出した西田幾多郎というオッサンをみろ。主観と客観が合一になったと考えてその矛盾を克服した?それが「絶対矛盾の自己合一性」?いやこいつ適当に小難しい概念を作り出して説明したことになってるだけで、こんなのは運のみだから。そして文系とはおめでたいことにこの程度の研究に権威が付けられあがめられるという世界なのだ。)
単に良いといわれてるものに「独創性が有るだろ」、「魂がこもってるだろ」、「深さがあるだろ」etc・・
それで「まぁお前には分からんだろうね」って何それ。
そんなものはあなたら権威が適当に作り上げた概念であって、ゴッホの絵のこれこれこういうところが他の画家には無い、確実に万人受けするべき理由だとする手法を取らない限り言葉遊びの世界を出られんだろうが。
そしてそんな方法は無いと気づくとき、全く彼の業績は、彼についた権威は運のみだったと知るだろう。
もちろん君らにはありもしない深さ等の概念を作ってそれをあがめるという逃げがあるから安心だな。
>あなたのように、相手の持つ趣味を価値がないと断じたり、権威主義による押し付け洗脳されているだけだといったりはしてません
まず完全な趣味としては認めていると言ってるだろ。ただモーツァルトにモーニング娘以上の何か「深さ」がある、ただの技術だけがゴッホ級の人が書いた油絵には無い「深さ」がゴッホにはあるなどとほざいてしまった時点からを認めないだけで。
次に、あなたは確固とした考えを持たずに流行に流されるというその人の趣向を否定してるんだよ。
無意識のうちに自分の考えを持って流行に左右されないことが良いことだと信じ込み、そしてそうでないその友達のやりかたが価値が無いものだと(あなたはそういわなくても)思い込んでる。
自分の持った価値観とそれに反する価値観が衝突してるときはお互いを排除するしかないのであって、「その考え方も認める。」「私の考えを押し付けはしない」って全く意味不明。あなたがその価値観を持ってる時点で反する価値観を排除してるのがなぜ分からない。流行に流されないことが大事と考えた時点で流されることを否定してるんだ。
(これは工学系院にも書いたが、「工学」に対して自分だけが善だと心から信じきってるお前らには何度言っても分からないようだ。)
62. スキッツォイドマン
2004/06/25(金) 01:12:04
>あなたがその価値観を持ってる時点で反する価値観を排除してるのがなぜ分からない。
普通に、違う価値観に対して「自分にはわからんわ」で済むだろ。
きみちょっと性格が悪いよ。
普通に、違う価値観に対して「自分にはわからんわ」で済むだろ。
きみちょっと性格が悪いよ。
63. 工学
2004/06/25(金) 01:16:19
それは社交上の対応とごっちゃにしてる。
64. 工学
2004/06/25(金) 01:18:33
工学系院と霞もそうとうだが、あなたともうひとりの理学部みたいなやつとは救いがたくアホだから以後無視する。
いちいち説明するのめんどいしな。
いちいち説明するのめんどいしな。
65. スキッツォイドマン
2004/06/25(金) 01:27:35
そーですか。
そういう独善的な頭の固さを何とかしろと言いたいんだが…きみは何にもわかってないね。
そういう独善的な頭の固さを何とかしろと言いたいんだが…きみは何にもわかってないね。
66. とあるコテハン
2004/06/25(金) 02:45:29
>工学氏
>(文学部が排出した最大の業績の一人である、西洋の心身二元論に答えを出した西田幾多郎というオッサンをみろ。主観と客観が合一になったと考えてその矛盾を克服した?それが「絶対矛盾の自己合一性」?いやこいつ適当に小難しい概念を作り出して説明したことになってるだけで、こんなのは運のみだから。そして文系とはおめでたいことにこの程度の研究に権威が付けられあがめられるという世界なのだ。)
この部分はいささか同意しかねるね。
「おめでたい文系」の権威付けを真に受ける必要はないという意味に限定してのことだが。
主客合一云々というのは一応西欧の哲学(形而上学・現象学・実存哲学など)の流れに
仏教的な世界観を混ぜてそれ自体としては認識も対象化も不可能な「世界のありかた」を
説明しようとしている行為であって、実験など基準を設けて検証できないのは確かだが、
著作の記述を真に受ければ彼が決して満悦に浸っていたわけではないということも分かる。
もちろん専門化でもない素人判断でもあるし、ここでは深く入り込む余地はないので
まぁ「そこはこの流れで噛み付くところじゃないだろう」ということだけを主張するにとどめたい。
で、氏の捉え方には少なくともいわゆる「独創性」を運のみに還元してしまおうという姿勢が
見え隠れしているが、それは早計といわざるを得ないのではないかな。
ここでいう「独創性」とは、第3者が見てその言葉を与えることでしか表現できないような
言語化できなさそうな要素のこと、としておく。
ただし西田幾多郎がその「独創性」を持ち、発揮していたかどうかは問題の外に置くとして、だが。
氏が「運」という言葉で表現しようとしているものの把握はなかなか難しいが、
散々話題になっている精神論のようなものとの明確な差異はどのように示されうるのだろうか。
「強く願ったからその結果がもたらされた」
と捉えることとの間にどれほどの違いを見出せるとお考えか?
そこをうまく提示しなければ学者気取りの似非モラリストには聞く耳持たず否定される。
また、すべてを「運」に還元しようとすれば、権威主義と同じ過ちを犯すことになるが?
まぁ西田哲学の場合は結論だけを卑近な言葉で示せば「生きろ」というものになるので
氏にはおそらく不用のものであると推し量られる。
>(文学部が排出した最大の業績の一人である、西洋の心身二元論に答えを出した西田幾多郎というオッサンをみろ。主観と客観が合一になったと考えてその矛盾を克服した?それが「絶対矛盾の自己合一性」?いやこいつ適当に小難しい概念を作り出して説明したことになってるだけで、こんなのは運のみだから。そして文系とはおめでたいことにこの程度の研究に権威が付けられあがめられるという世界なのだ。)
この部分はいささか同意しかねるね。
「おめでたい文系」の権威付けを真に受ける必要はないという意味に限定してのことだが。
主客合一云々というのは一応西欧の哲学(形而上学・現象学・実存哲学など)の流れに
仏教的な世界観を混ぜてそれ自体としては認識も対象化も不可能な「世界のありかた」を
説明しようとしている行為であって、実験など基準を設けて検証できないのは確かだが、
著作の記述を真に受ければ彼が決して満悦に浸っていたわけではないということも分かる。
もちろん専門化でもない素人判断でもあるし、ここでは深く入り込む余地はないので
まぁ「そこはこの流れで噛み付くところじゃないだろう」ということだけを主張するにとどめたい。
で、氏の捉え方には少なくともいわゆる「独創性」を運のみに還元してしまおうという姿勢が
見え隠れしているが、それは早計といわざるを得ないのではないかな。
ここでいう「独創性」とは、第3者が見てその言葉を与えることでしか表現できないような
言語化できなさそうな要素のこと、としておく。
ただし西田幾多郎がその「独創性」を持ち、発揮していたかどうかは問題の外に置くとして、だが。
氏が「運」という言葉で表現しようとしているものの把握はなかなか難しいが、
散々話題になっている精神論のようなものとの明確な差異はどのように示されうるのだろうか。
「強く願ったからその結果がもたらされた」
と捉えることとの間にどれほどの違いを見出せるとお考えか?
そこをうまく提示しなければ学者気取りの似非モラリストには聞く耳持たず否定される。
また、すべてを「運」に還元しようとすれば、権威主義と同じ過ちを犯すことになるが?
まぁ西田哲学の場合は結論だけを卑近な言葉で示せば「生きろ」というものになるので
氏にはおそらく不用のものであると推し量られる。
67. とあるコテハン
2004/06/25(金) 02:47:31
補足
>もちろん専門化でもない素人判断でもあるし、
これはもちろん俺の読み方が、ということ。
ついでに 専門化→専門家 で。
>もちろん専門化でもない素人判断でもあるし、
これはもちろん俺の読み方が、ということ。
ついでに 専門化→専門家 で。
68. もうひとりの理学部生
2004/06/25(金) 05:20:01
ほんとどうでもいい話なんですけど、僕と いまもうひとりの理学部生さんはまったくの別人物であります。僕はこの名前とか通りすがりとかいう名前で放言をくりかえすただの卑劣漢なんですけど、いまもうひとりの理学部生さんのほうは議論の本筋に積極的に参加しておられて、僕と一緒にされるのは彼の名誉を毀損するに等しいのではなかろうか と思い、些末なことながら一応一言書き込ませてもらいました。
69. 工学系院生
2004/06/25(金) 07:47:40
ものすごく発言が増えましたね。返事しきれるかどうか。
>霞さん
>さて、絵(や音楽に代表される芸術)の価値とはなんでしょうか。それは人によってさまざまな側面を持つものだと思います。
分類ありがとうございます。この場ではそれくらいで十分ですよね。
ちなみにご存知かも知れませんが、アドルノの「音楽社会学序説」という本では、もっと詳しく音楽(や芸術)と人間の立場を類別してます(非常に読みにくい本ですが、該当の章だけは読みやすい)。興味があればどうぞ。本当は工学君にもこれぐらいは読んで頂きたいのですが、絶対読まないでしょうしねえ・・・。
>次々と新しい世代に支持される音楽が出現することは、やはり新しい価値観の創出が起こっているからであり、それは「価値」に時代や集団を超えて優位性を発揮するような普遍性があるかどうかの疑問符である、という主張は、私自身も感じるところです。
それはおっしゃる通りです。しかしそれに関しては議論しても仕方ない気がします。近代以降、芸術音楽がこれほど衰退して大衆音楽が隆盛を極めた時代はなかったわけで、大衆音楽の中から時代を超えて評価を獲得するものが出てくるかは今後百年は待たなければならないのではないでしょうか。
>もちろん、本当に実力があったのにそうならなかった画家も数多くいるはずで、かなりの運が必要だと思いますが。
本筋からは外れますが、これに関しては全く疑問なしではありません。といいますのは、霞さん自身ゴッホとゴーギャンの例でおっしゃっているように、後世に「超一流」と呼ばれる人は、一般社会での評価は低くとも、専門家の間では少なくとも一部からは「一流」の評価は受けているからです。
>しかし、最高レベルの権威が染み付いてしまった現在、その「価値」が普遍的に通用するものではなく、感銘を受ける人が少なくなってしまっても、その「権威」が一人歩きして芸術の価値を変えてしまうのではないかという懸念はあります。
>これが工学君の言いたいことじゃないかと、少し思ってます。間違ってたらごめん。
おっしゃることはごもっともですし、実際に起こっているとも思えます。とはいえおわかりとは思いますが、そこで工学君はそこで部分否定と全否定を混同してしまっていて、芸術や文系学問自体を全否定できたと思いこんでいるので困ったものです。
>結局人は、自分の理解できる範囲しか理解しないものかなと、思ったりもします。
そうなのでしょうし、それが一番誠意のある態度だと思います。そしてその中で自然と浮かび上がってくるものだけが後世に残れば良いのでしょう。
>無権代理人さん
>はたしてそれは、初心者だった頃よりも「前に進んだ」といえるのでしょうか。つまり、少しでも芸術の「優越性・普遍性」を認識できる鑑賞者に近づいたといえるでしょうか?
難しいですね。といいますのは、ただ何回も聴けば認識が深まるというほど単純なものではありませんし、その間の人生経験にもよるでしょう。ただ一つ言えることは、もしあなたのおっしゃることを「経験を十分積めば」という意味だと解釈するならば、その結果得られた認識の変化はどんなものであれ、前進でしょう。普遍性は、個々人の練り上げられた認識の積み重ねで得られると思うので、そういう人の認識はどんなものであれ、「普遍性」の一部を構成すると考えます。逆に、「普遍性」自体は存在するが、その全てを認識できることはないというのが私の考えです。
なお、私の考えに関しては、霞さんの2004/06/24(木) 23:51:07の書き込みの
>この辺り、工学君の大好きな数式のように、完全に厳密な客観性が存在しないのもまた事実かと思う。
以下と全く一致しますので、そちらもご参照を。
>霞さん
>さて、絵(や音楽に代表される芸術)の価値とはなんでしょうか。それは人によってさまざまな側面を持つものだと思います。
分類ありがとうございます。この場ではそれくらいで十分ですよね。
ちなみにご存知かも知れませんが、アドルノの「音楽社会学序説」という本では、もっと詳しく音楽(や芸術)と人間の立場を類別してます(非常に読みにくい本ですが、該当の章だけは読みやすい)。興味があればどうぞ。本当は工学君にもこれぐらいは読んで頂きたいのですが、絶対読まないでしょうしねえ・・・。
>次々と新しい世代に支持される音楽が出現することは、やはり新しい価値観の創出が起こっているからであり、それは「価値」に時代や集団を超えて優位性を発揮するような普遍性があるかどうかの疑問符である、という主張は、私自身も感じるところです。
それはおっしゃる通りです。しかしそれに関しては議論しても仕方ない気がします。近代以降、芸術音楽がこれほど衰退して大衆音楽が隆盛を極めた時代はなかったわけで、大衆音楽の中から時代を超えて評価を獲得するものが出てくるかは今後百年は待たなければならないのではないでしょうか。
>もちろん、本当に実力があったのにそうならなかった画家も数多くいるはずで、かなりの運が必要だと思いますが。
本筋からは外れますが、これに関しては全く疑問なしではありません。といいますのは、霞さん自身ゴッホとゴーギャンの例でおっしゃっているように、後世に「超一流」と呼ばれる人は、一般社会での評価は低くとも、専門家の間では少なくとも一部からは「一流」の評価は受けているからです。
>しかし、最高レベルの権威が染み付いてしまった現在、その「価値」が普遍的に通用するものではなく、感銘を受ける人が少なくなってしまっても、その「権威」が一人歩きして芸術の価値を変えてしまうのではないかという懸念はあります。
>これが工学君の言いたいことじゃないかと、少し思ってます。間違ってたらごめん。
おっしゃることはごもっともですし、実際に起こっているとも思えます。とはいえおわかりとは思いますが、そこで工学君はそこで部分否定と全否定を混同してしまっていて、芸術や文系学問自体を全否定できたと思いこんでいるので困ったものです。
>結局人は、自分の理解できる範囲しか理解しないものかなと、思ったりもします。
そうなのでしょうし、それが一番誠意のある態度だと思います。そしてその中で自然と浮かび上がってくるものだけが後世に残れば良いのでしょう。
>無権代理人さん
>はたしてそれは、初心者だった頃よりも「前に進んだ」といえるのでしょうか。つまり、少しでも芸術の「優越性・普遍性」を認識できる鑑賞者に近づいたといえるでしょうか?
難しいですね。といいますのは、ただ何回も聴けば認識が深まるというほど単純なものではありませんし、その間の人生経験にもよるでしょう。ただ一つ言えることは、もしあなたのおっしゃることを「経験を十分積めば」という意味だと解釈するならば、その結果得られた認識の変化はどんなものであれ、前進でしょう。普遍性は、個々人の練り上げられた認識の積み重ねで得られると思うので、そういう人の認識はどんなものであれ、「普遍性」の一部を構成すると考えます。逆に、「普遍性」自体は存在するが、その全てを認識できることはないというのが私の考えです。
なお、私の考えに関しては、霞さんの2004/06/24(木) 23:51:07の書き込みの
>この辺り、工学君の大好きな数式のように、完全に厳密な客観性が存在しないのもまた事実かと思う。
以下と全く一致しますので、そちらもご参照を。
70. 工学系院生
2004/06/25(金) 07:41:07
>工学君
>芸術の深さについては全く共通のイメージがないやん。
>個人が感じる瑣末な部分はどうでもいい。
>万人が感じた平均程度とか最大公約数的に一番大事な部分でいいからモーツァルトのイメージを言語化してみろよ。
だから、以前に「死を超越した」云々と書いたでしょうが。そしたら「権威の常套句だ」と君は決めつけた。言葉で語るときは「万人が感じた平均程度」に印象を捨象せざるを得ないから必然的に常套句になるのに、それがダメだというなら一体どうすれば君は満足するのか。
>質問の意図が不明だ・・練習しないで楽して勝てたといううれしさもあるし、
じゃあ訊き直す。必死の努力を重ねた結果やっと勝てたこと自体に格別の嬉しさはないのですか?
そういえば先日清原が2000本安打を打ちましたが、そのとき感激をうまく言葉にできないでいた。それを確か張本勲が「あの心境は達成した者にしかわからないですよ」と言ったのですが、そういう「心境」の存在は君は否定しないですよね?
>そのただのアホがあなたの好きな「芸術に理解ある科学者」像だ。
それは間違いなく君の思い込みです。
>公の場でクラシックに対する理解を問う質問をされたらさっきのせりふを吐いてみれば?
あのねえ、何でわざわざ嘘を吐かなければいけないのですか?意味が不明です。
それに、私の周りでそういう台詞を言う人なんて掃いて捨てるほどいますが。
>ではなぜ座禅を組む人が強くて組まない人は弱いとならないんだ?
因果関係と必然性を混同しています。坐禅は精神修養の一つの方法ではありますが、唯一ではない。
>>君が挙げた、「のび太がどこでもドアの中で殺される」というので十分でしょう。
>どこにも矛盾はありません。
まず一つ、パラドックスというのは「矛盾の指摘」じゃないんですよ。
それともう一つ、君は私が言った「ワープ」の実験を「苦痛がなければやっても良い」と言いましたよね?しかしあの「どこでもドア」の話が私の「ワープ」の話と同じだとなぜわからないのですか?
>ゴッホだからこそ素晴らしいと思ってるあなたも同じだ。
>(もしも贋作とゴッホを見分ける能力があなたにあれば撤回)
だから、精巧な贋作の絵の部分は「ゴッホの作品」なの!ちゃんと私のいうことを理解しなさい。
>技術的にゴッホ級の腕前の作家はいっぱいいただろうが、たまたま権威に認められるかの違いで天と地の差だわな。
>(もしもアインシュタイン級の科学業績をあげる人が複数おれば、だいたいみな有名になっているだろう。)
それは誤りです。以前挙げたガロアやカントルやブールの例に見るように、科学の世界でも類似の構造はあります。
>そんなものはあなたら権威が適当に作り上げた概念であって、
これは驚いた。私たちのどこに権威があるのか。
>もちろん君らにはありもしない深さ等の概念を作ってそれをあがめるという逃げがあるから安心だな。
そんなことを言うなら、君は全て「○○の『深さ』などありもしない」という逃げがあるから・・・、と答えましょう。
>まず完全な趣味としては認めていると言ってるだろ。ただモーツァルトにモーニング娘以上の何か「深さ」がある、ただの技術だけがゴッホ級の人が書いた油絵には無い「深さ」がゴッホにはあるなどとほざいてしまった時点からを認めないだけで。
まず、「ほざく」という罵倒言語を議論の場で使うべきではないですね。
それと、他人が何を言おうが君に関わりのないことならば無視すれば良いことです。
それができないのは「認めている」ことになっていない。
>あなたがその価値観を持ってる時点で反する価値観を排除してるのがなぜ分からない。流行に流されないことが大事と考えた時点で流されることを否定してるんだ。
小学生みたいな下らない屁理屈をこねるなとしか言いようがないですね。
>(これは工学系院にも書いたが、「工学」に対して自分だけが善だと心から信じきってるお前らには何度言っても分からないようだ。)
あのねえ、善悪と真偽の区別もつかないのですか!?本当に君は白か黒かという思考しかできないのですね。一体何歳なのですか、君は。顔を洗って出直してきなさい。
そもそも、君に主張が近いと思える無権代理人さんを含め、私たちと他の人との間では議論が進み、主張の差も段々埋まってくるのに、どうして君と他人との主張の差が埋まらないか、一度考え直した方が良いよ。自分の主張だけが「『善』」(括弧に注意)だと信じ切っているのはどちらですか。
>工学系院と霞もそうとうだが、あなたともうひとりの理学部みたいなやつとは救いがたくアホだから以後無視する。
・・・もう何も言うことがありません。君の大好きな「相手も同じことを」云々という台詞を差し上げましょう。
>芸術の深さについては全く共通のイメージがないやん。
>個人が感じる瑣末な部分はどうでもいい。
>万人が感じた平均程度とか最大公約数的に一番大事な部分でいいからモーツァルトのイメージを言語化してみろよ。
だから、以前に「死を超越した」云々と書いたでしょうが。そしたら「権威の常套句だ」と君は決めつけた。言葉で語るときは「万人が感じた平均程度」に印象を捨象せざるを得ないから必然的に常套句になるのに、それがダメだというなら一体どうすれば君は満足するのか。
>質問の意図が不明だ・・練習しないで楽して勝てたといううれしさもあるし、
じゃあ訊き直す。必死の努力を重ねた結果やっと勝てたこと自体に格別の嬉しさはないのですか?
そういえば先日清原が2000本安打を打ちましたが、そのとき感激をうまく言葉にできないでいた。それを確か張本勲が「あの心境は達成した者にしかわからないですよ」と言ったのですが、そういう「心境」の存在は君は否定しないですよね?
>そのただのアホがあなたの好きな「芸術に理解ある科学者」像だ。
それは間違いなく君の思い込みです。
>公の場でクラシックに対する理解を問う質問をされたらさっきのせりふを吐いてみれば?
あのねえ、何でわざわざ嘘を吐かなければいけないのですか?意味が不明です。
それに、私の周りでそういう台詞を言う人なんて掃いて捨てるほどいますが。
>ではなぜ座禅を組む人が強くて組まない人は弱いとならないんだ?
因果関係と必然性を混同しています。坐禅は精神修養の一つの方法ではありますが、唯一ではない。
>>君が挙げた、「のび太がどこでもドアの中で殺される」というので十分でしょう。
>どこにも矛盾はありません。
まず一つ、パラドックスというのは「矛盾の指摘」じゃないんですよ。
それともう一つ、君は私が言った「ワープ」の実験を「苦痛がなければやっても良い」と言いましたよね?しかしあの「どこでもドア」の話が私の「ワープ」の話と同じだとなぜわからないのですか?
>ゴッホだからこそ素晴らしいと思ってるあなたも同じだ。
>(もしも贋作とゴッホを見分ける能力があなたにあれば撤回)
だから、精巧な贋作の絵の部分は「ゴッホの作品」なの!ちゃんと私のいうことを理解しなさい。
>技術的にゴッホ級の腕前の作家はいっぱいいただろうが、たまたま権威に認められるかの違いで天と地の差だわな。
>(もしもアインシュタイン級の科学業績をあげる人が複数おれば、だいたいみな有名になっているだろう。)
それは誤りです。以前挙げたガロアやカントルやブールの例に見るように、科学の世界でも類似の構造はあります。
>そんなものはあなたら権威が適当に作り上げた概念であって、
これは驚いた。私たちのどこに権威があるのか。
>もちろん君らにはありもしない深さ等の概念を作ってそれをあがめるという逃げがあるから安心だな。
そんなことを言うなら、君は全て「○○の『深さ』などありもしない」という逃げがあるから・・・、と答えましょう。
>まず完全な趣味としては認めていると言ってるだろ。ただモーツァルトにモーニング娘以上の何か「深さ」がある、ただの技術だけがゴッホ級の人が書いた油絵には無い「深さ」がゴッホにはあるなどとほざいてしまった時点からを認めないだけで。
まず、「ほざく」という罵倒言語を議論の場で使うべきではないですね。
それと、他人が何を言おうが君に関わりのないことならば無視すれば良いことです。
それができないのは「認めている」ことになっていない。
>あなたがその価値観を持ってる時点で反する価値観を排除してるのがなぜ分からない。流行に流されないことが大事と考えた時点で流されることを否定してるんだ。
小学生みたいな下らない屁理屈をこねるなとしか言いようがないですね。
>(これは工学系院にも書いたが、「工学」に対して自分だけが善だと心から信じきってるお前らには何度言っても分からないようだ。)
あのねえ、善悪と真偽の区別もつかないのですか!?本当に君は白か黒かという思考しかできないのですね。一体何歳なのですか、君は。顔を洗って出直してきなさい。
そもそも、君に主張が近いと思える無権代理人さんを含め、私たちと他の人との間では議論が進み、主張の差も段々埋まってくるのに、どうして君と他人との主張の差が埋まらないか、一度考え直した方が良いよ。自分の主張だけが「『善』」(括弧に注意)だと信じ切っているのはどちらですか。
>工学系院と霞もそうとうだが、あなたともうひとりの理学部みたいなやつとは救いがたくアホだから以後無視する。
・・・もう何も言うことがありません。君の大好きな「相手も同じことを」云々という台詞を差し上げましょう。
71. 工学
2004/06/25(金) 09:23:22
もう・・
光学系院生とは確かに延々書き込みあっても同じことをお互い言い合ってるだけだな。
>小学生みたいな下らない屁理屈をこねるなとしか言いようがないですね
どこが小学生みたいなのだか。ここはあなたらが犯している最大の過ちなのだが。
>自分の主張だけが「『善』」(括弧に注意)だと信じ切っているのはどちらですか
当然両方だよ。
(以上がどういうことか「霞」には理解してもらえることを期待する。)
>・・・もう何も言うことがありません。君の大好きな「相手も同じことを」云々という台詞を差し上げましょう。
いやこの人は明らかに質問の内容のレベルが低すぎだろ。
>それを確か張本勲が「あの心境は達成した者にしかわからないですよ」と言ったのですが、そういう「心境」の存在は君は否定しないですよね?
存在しないね。
たくさん安打を打って満足という気持ちはそりゃあるだろうが、そこに何か崇高な、そこにしかない「悟り」などない。
じゃぁ何で1879本では悟り云々言わないの?
なんで1999本から2000に行ったとたん感無量なんだ?2000に何の意味があるの?
たまたま人間の世界ではキリがいい数字だからだろ。
>因果関係と必然性を混同しています。坐禅は精神修養の一つの方法ではありますが、唯一ではない。
因果関係もないっていってるだろ。
唯一ではないどころかまったく効果がないっていってるんだよ。
>それは誤りです。以前挙げたガロアやカントルやブールの例に見るように、科学の世界でも類似の構造はあります。
その例をあなたが知ってる時点で有名だろ。ゴッホの場合同じくらいの技術をもってもまったく無名の人なんかその比ではない。
>精巧な贋作の絵の部分は「ゴッホの作品」なの!ちゃんと私のいうことを理解しなさい。
じゃぁいいよ。「ゴッホのあまり有名でない絵と同じような絵を描く人のまったく別の作品でどっちがゴッホか分かるのなら別だが」としよう。
光学系院生とは確かに延々書き込みあっても同じことをお互い言い合ってるだけだな。
>小学生みたいな下らない屁理屈をこねるなとしか言いようがないですね
どこが小学生みたいなのだか。ここはあなたらが犯している最大の過ちなのだが。
>自分の主張だけが「『善』」(括弧に注意)だと信じ切っているのはどちらですか
当然両方だよ。
(以上がどういうことか「霞」には理解してもらえることを期待する。)
>・・・もう何も言うことがありません。君の大好きな「相手も同じことを」云々という台詞を差し上げましょう。
いやこの人は明らかに質問の内容のレベルが低すぎだろ。
>それを確か張本勲が「あの心境は達成した者にしかわからないですよ」と言ったのですが、そういう「心境」の存在は君は否定しないですよね?
存在しないね。
たくさん安打を打って満足という気持ちはそりゃあるだろうが、そこに何か崇高な、そこにしかない「悟り」などない。
じゃぁ何で1879本では悟り云々言わないの?
なんで1999本から2000に行ったとたん感無量なんだ?2000に何の意味があるの?
たまたま人間の世界ではキリがいい数字だからだろ。
>因果関係と必然性を混同しています。坐禅は精神修養の一つの方法ではありますが、唯一ではない。
因果関係もないっていってるだろ。
唯一ではないどころかまったく効果がないっていってるんだよ。
>それは誤りです。以前挙げたガロアやカントルやブールの例に見るように、科学の世界でも類似の構造はあります。
その例をあなたが知ってる時点で有名だろ。ゴッホの場合同じくらいの技術をもってもまったく無名の人なんかその比ではない。
>精巧な贋作の絵の部分は「ゴッホの作品」なの!ちゃんと私のいうことを理解しなさい。
じゃぁいいよ。「ゴッホのあまり有名でない絵と同じような絵を描く人のまったく別の作品でどっちがゴッホか分かるのなら別だが」としよう。
72. 結論
2004/06/25(金) 09:27:30
ロジックが通じる人間同士なら議論で意見が収束することもあるだろうが、
工学みたいに自分の偏見を垂れ流すだけの子どもには、議論はまだはやい。
工学みたいに自分の偏見を垂れ流すだけの子どもには、議論はまだはやい。
73. 工学は
2004/06/25(金) 13:39:40
アホだからもう勉強しなくていいよ。
74. _
2004/06/25(金) 21:16:03
ネット上の議論もどきで意見が収束したのなんて見たことない
75. まあ
2004/06/25(金) 23:53:21
どうみても工学は小学生並みの論理だなw
76. とりあえず言っておくが
2004/06/26(土) 00:33:06
芸術は文系ではない。
そして、最早議論はスレ違い。
そして、最早議論はスレ違い。
77. 無権代理人
2004/06/26(土) 06:21:50
>↑
人間の独創性の有無やその価値、及ぶ範囲や検証可能性についてが本筋で、芸術はその例えとして議論されているだけでは?それが文系学部の存在意義と無関係とでも?また、文系学部の存在意義を問うなら同時に理系学部の存在意義も問われるわけで、方向は拡大するのが必然かと。
>霞さん
2004/06/24(木) 23:46:08であなたが言っている「独創性」と「技術」という言葉ですが、工学との間にずれがあります。あなたは「描く人間」と「描かれた絵」をいわば一体として2つの言葉を使っていますが、工学は「描かれた絵のみ」を「技術」という言葉で捉えています。つまり、創造性のあるなしは、「描かれた絵」のみをもって判断されなければならないと考えているわけです。ちなみにこれは院生さんと工学の議論にも生じている食い違いの原因だとも思います。
だから、工学の論理でいけば、同じ「技術(創造性を含む)」をもつ作家がたくさんいる中で、霞さんのいうような(独創性も含めた)「技術」の絵が他にもあるにも関わらず、ゴッホだけが長い評価を得たのは、「運」だというのです。
その意味では、工学のいう「独創性などない」という主張は、結論です。理由の部分が、繰り返しになりますが、多くの同時代にあったであろう「ひまわり(それぞれの作家の独創性があるはず)」のなかで、「ゴッホの」ひまわりだけが「独創性がある」と評価された(または生き延びた)、という事実です。そのことが、「独創性がある」という評価はあてにならない、という結論となり、「独創性などない」という主張につながっているのです。
注意しなければならないのは、工学は「ゴッホのひまわり」に独創性がないということを当然の前提とはしていないということです。寝ぼけているので説明が重複してしまいましたが、たぶんこういうことをいっているのでしょう。
人間の独創性の有無やその価値、及ぶ範囲や検証可能性についてが本筋で、芸術はその例えとして議論されているだけでは?それが文系学部の存在意義と無関係とでも?また、文系学部の存在意義を問うなら同時に理系学部の存在意義も問われるわけで、方向は拡大するのが必然かと。
>霞さん
2004/06/24(木) 23:46:08であなたが言っている「独創性」と「技術」という言葉ですが、工学との間にずれがあります。あなたは「描く人間」と「描かれた絵」をいわば一体として2つの言葉を使っていますが、工学は「描かれた絵のみ」を「技術」という言葉で捉えています。つまり、創造性のあるなしは、「描かれた絵」のみをもって判断されなければならないと考えているわけです。ちなみにこれは院生さんと工学の議論にも生じている食い違いの原因だとも思います。
だから、工学の論理でいけば、同じ「技術(創造性を含む)」をもつ作家がたくさんいる中で、霞さんのいうような(独創性も含めた)「技術」の絵が他にもあるにも関わらず、ゴッホだけが長い評価を得たのは、「運」だというのです。
その意味では、工学のいう「独創性などない」という主張は、結論です。理由の部分が、繰り返しになりますが、多くの同時代にあったであろう「ひまわり(それぞれの作家の独創性があるはず)」のなかで、「ゴッホの」ひまわりだけが「独創性がある」と評価された(または生き延びた)、という事実です。そのことが、「独創性がある」という評価はあてにならない、という結論となり、「独創性などない」という主張につながっているのです。
注意しなければならないのは、工学は「ゴッホのひまわり」に独創性がないということを当然の前提とはしていないということです。寝ぼけているので説明が重複してしまいましたが、たぶんこういうことをいっているのでしょう。
78. 工学系院生
2004/06/26(土) 17:44:19
>工学君
>光学系院生とは確かに延々書き込みあっても同じことをお互い言い合ってるだけだな。
君が「自分の主張」と「客観的に正しいこと」を混同しているのが全ての原因ですよ。
>どこが小学生みたいなのだか。ここはあなたらが犯している最大の過ちなのだが。
小学生並です。「ある価値観を持った時点で別の価値観の持ち主を排除している」ってのはつまり、「いかなる価値観も共存は不可能であること」ってことでしょう。だとすると、世の中の人間全てを同じ価値観で染め上げなければ軋轢がやまないことになるのだが、君はそんなことを本気で主張するのか。自分は自分、他人は他人という割り切った考え方ができないのは小学生です。
>>自分の主張だけが「『善』」(括弧に注意)だと信じ切っているのはどちらですか
>当然両方だよ。
一緒にしないで下さい。少なくとも私は善悪の観念を持ち込んだつもりはない。
そもそも、「自分の主張」を「自分」と切り離すことができない(最低限、切り離す努力をしない)のは子供ですよ。
>いやこの人は明らかに質問の内容のレベルが低すぎだろ。
何を誤解しているのか知らんが、君が切り捨てられるほど低くないです。
>たくさん安打を打って満足という気持ちはそりゃあるだろうが、そこに何か崇高な、そこにしかない「悟り」などない。
「悟り」なんて言葉は使ってないが、なぜ「ない」なんて言える?達成した本人が「ある」と言っているのに。
>なんで1999本から2000に行ったとたん感無量なんだ?2000に何の意味があるの?
>たまたま人間の世界ではキリがいい数字だからだろ。
それは先ほどの1500m走を5分切れる話でも同じです。要するに、極めてレベルの高い目標を設定して、それを実際に超えたということに意味があるのです。それは例えば、入試で「合格最低点なんていう人為的な点数にどんあ意味があるのか」というようなもの。
そもそも君は客観的な基準がないと文句を言い、あっても文句を言う。どうせよというのか。
>>因果関係と必然性を混同しています。坐禅は精神修養の一つの方法ではありますが、唯一ではない。
>因果関係もないっていってるだろ。
>唯一ではないどころかまったく効果がないっていってるんだよ。
それは君の主張に過ぎないし、「全員が坐禅を組む訳ではない」ことから「坐禅に精神修養の効果はない」という結論は絶対に出て来ない。むしろ、組む人が後を断たずいるということは、「何らかの効果がある場合があり得る」と考えるのが科学的ですね。
>その例をあなたが知ってる時点で有名だろ。ゴッホの場合同じくらいの技術をもってもまったく無名の人なんかその比ではない。
そんな人が実在するかどうかもわからないのにそんなことを言われても困る。科学者の世界にだってそんな人がいるかもしれないではないですか!
>>精巧な贋作の絵の部分は「ゴッホの作品」なの!ちゃんと私のいうことを理解しなさい。
>じゃぁいいよ。「ゴッホのあまり有名でない絵と同じような絵を描く人のまったく別の作品でどっちがゴッホか分かるのなら別だが」としよう。
そんな都合の良い人が実在するとは思えないし、何が言いたいのかわからん。作風が酷似しているために埋没したというのなら、その人の作品の良さとゴッホの作品の良さは極めて近く、区別する必要はない。ゴッホが優れた画家ならば、その画家も然りだったという話だ。ゴッホ並に優れた画家が他にもいたとなればそれは素晴らしいことである。
逆に、作風が似ていないのであれば区別は容易であろう。
そもそも、君が勝手に信じ込んでいる「埋没した芸術家」の存在は非常に怪しいのである。ある程度は自ずと目立つような人でなければ芸術家の才能がないと言っても良いし、「埋もれた天才」がいないかどうか、一部の批評家や画商は必死で探し求めている。にも関わらず、彼らが売り出した「過去の隠れた天才」という触れ込みの人の中で、その後もその評価を保ち続けた人は寡聞にして知らない。
で、そもそもそれがどうしたのか。自筆譜を所持しているか否かと全く関係のない問題だ。
言っておくが、私は「ゴッホの作品だから素晴らしい」と言っているのではない。「素晴らしい作品を描いたからこそゴッホは優れた画家である」と言っているのである。
>光学系院生とは確かに延々書き込みあっても同じことをお互い言い合ってるだけだな。
君が「自分の主張」と「客観的に正しいこと」を混同しているのが全ての原因ですよ。
>どこが小学生みたいなのだか。ここはあなたらが犯している最大の過ちなのだが。
小学生並です。「ある価値観を持った時点で別の価値観の持ち主を排除している」ってのはつまり、「いかなる価値観も共存は不可能であること」ってことでしょう。だとすると、世の中の人間全てを同じ価値観で染め上げなければ軋轢がやまないことになるのだが、君はそんなことを本気で主張するのか。自分は自分、他人は他人という割り切った考え方ができないのは小学生です。
>>自分の主張だけが「『善』」(括弧に注意)だと信じ切っているのはどちらですか
>当然両方だよ。
一緒にしないで下さい。少なくとも私は善悪の観念を持ち込んだつもりはない。
そもそも、「自分の主張」を「自分」と切り離すことができない(最低限、切り離す努力をしない)のは子供ですよ。
>いやこの人は明らかに質問の内容のレベルが低すぎだろ。
何を誤解しているのか知らんが、君が切り捨てられるほど低くないです。
>たくさん安打を打って満足という気持ちはそりゃあるだろうが、そこに何か崇高な、そこにしかない「悟り」などない。
「悟り」なんて言葉は使ってないが、なぜ「ない」なんて言える?達成した本人が「ある」と言っているのに。
>なんで1999本から2000に行ったとたん感無量なんだ?2000に何の意味があるの?
>たまたま人間の世界ではキリがいい数字だからだろ。
それは先ほどの1500m走を5分切れる話でも同じです。要するに、極めてレベルの高い目標を設定して、それを実際に超えたということに意味があるのです。それは例えば、入試で「合格最低点なんていう人為的な点数にどんあ意味があるのか」というようなもの。
そもそも君は客観的な基準がないと文句を言い、あっても文句を言う。どうせよというのか。
>>因果関係と必然性を混同しています。坐禅は精神修養の一つの方法ではありますが、唯一ではない。
>因果関係もないっていってるだろ。
>唯一ではないどころかまったく効果がないっていってるんだよ。
それは君の主張に過ぎないし、「全員が坐禅を組む訳ではない」ことから「坐禅に精神修養の効果はない」という結論は絶対に出て来ない。むしろ、組む人が後を断たずいるということは、「何らかの効果がある場合があり得る」と考えるのが科学的ですね。
>その例をあなたが知ってる時点で有名だろ。ゴッホの場合同じくらいの技術をもってもまったく無名の人なんかその比ではない。
そんな人が実在するかどうかもわからないのにそんなことを言われても困る。科学者の世界にだってそんな人がいるかもしれないではないですか!
>>精巧な贋作の絵の部分は「ゴッホの作品」なの!ちゃんと私のいうことを理解しなさい。
>じゃぁいいよ。「ゴッホのあまり有名でない絵と同じような絵を描く人のまったく別の作品でどっちがゴッホか分かるのなら別だが」としよう。
そんな都合の良い人が実在するとは思えないし、何が言いたいのかわからん。作風が酷似しているために埋没したというのなら、その人の作品の良さとゴッホの作品の良さは極めて近く、区別する必要はない。ゴッホが優れた画家ならば、その画家も然りだったという話だ。ゴッホ並に優れた画家が他にもいたとなればそれは素晴らしいことである。
逆に、作風が似ていないのであれば区別は容易であろう。
そもそも、君が勝手に信じ込んでいる「埋没した芸術家」の存在は非常に怪しいのである。ある程度は自ずと目立つような人でなければ芸術家の才能がないと言っても良いし、「埋もれた天才」がいないかどうか、一部の批評家や画商は必死で探し求めている。にも関わらず、彼らが売り出した「過去の隠れた天才」という触れ込みの人の中で、その後もその評価を保ち続けた人は寡聞にして知らない。
で、そもそもそれがどうしたのか。自筆譜を所持しているか否かと全く関係のない問題だ。
言っておくが、私は「ゴッホの作品だから素晴らしい」と言っているのではない。「素晴らしい作品を描いたからこそゴッホは優れた画家である」と言っているのである。
79. スキッツォイドマン
2004/06/26(土) 19:05:53
五感はほとんどの人間が共通にそなえているから、物理的な事実は言語化できるが、芸術的な鑑識眼や数学能力や形而上学的感覚(倫理観など)などは個人によってかなりの差がある。だから、言語で十分に表せない場合もあるし、それがまったく理解できない人もいるだろう。
だからといって、それがないと断定するのは了見がせまいだけ。
あと、科学は概念を五感の世界に還元することで普遍的な知識を目指すものだが、その網にいまだ捕らえられないものを「存在しない」というのは本末転倒。音楽だって「α波の出方がどうのこうの」と測定することができ、モーツァルトやベートーヴェンの場合、その波形に「1/fゆらぎ」がたくさん含まれることまで分かっている。そもそも、芸術を物理的言葉に還元できようができまいが、それが実際に多くの人の心を揺さぶるのは事実。
以上から、自分が感覚できないものであっても、それを工学のような調子で「ない」と断定するのはあまりに自閉的だし、非科学的なものは存在しないというのは、単純に論理が飛躍している。
それと、工学君は人を馬鹿にしすぎ。芸術は運がほとんどって、芸術家は馬鹿ばっかりとでも言うつもりか? 自分の意見に同調しない人間もアホ扱いしてるし、本気でそう思ってるなら、君はホントに馬鹿だぞ。
だからといって、それがないと断定するのは了見がせまいだけ。
あと、科学は概念を五感の世界に還元することで普遍的な知識を目指すものだが、その網にいまだ捕らえられないものを「存在しない」というのは本末転倒。音楽だって「α波の出方がどうのこうの」と測定することができ、モーツァルトやベートーヴェンの場合、その波形に「1/fゆらぎ」がたくさん含まれることまで分かっている。そもそも、芸術を物理的言葉に還元できようができまいが、それが実際に多くの人の心を揺さぶるのは事実。
以上から、自分が感覚できないものであっても、それを工学のような調子で「ない」と断定するのはあまりに自閉的だし、非科学的なものは存在しないというのは、単純に論理が飛躍している。
それと、工学君は人を馬鹿にしすぎ。芸術は運がほとんどって、芸術家は馬鹿ばっかりとでも言うつもりか? 自分の意見に同調しない人間もアホ扱いしてるし、本気でそう思ってるなら、君はホントに馬鹿だぞ。
80. 工学
2004/06/26(土) 23:21:34
>世の中の人間全てを同じ価値観で染め上げなければ軋轢がやまないことになるのだが、君はそんなことを本気で主張するのか。自分は自分、他人は他人という割り切った考え方ができないのは小学生です。
いや実際の世の中でも軋轢やまないだろ。
他人は他人って言うのは社交場の言葉にすぎんわけで。
仏教を信じてる人がキリスト教も認めますって言うのはキリスト教を信じたのじゃないだろ。キリスト教を信じている人を敵に回さないようにするための言葉にすぎんのがなぜ分からん。
心のそこから仏教を信じきってる人がキリスト教も認めるということがいかにおかしいか・・
じゃぁさっきからあなたはなんで深さなど無いという俺の価値観を認めないのだ。
深さがあるという以上は俺の意見が間違っているからだろ
いや実際の世の中でも軋轢やまないだろ。
他人は他人って言うのは社交場の言葉にすぎんわけで。
仏教を信じてる人がキリスト教も認めますって言うのはキリスト教を信じたのじゃないだろ。キリスト教を信じている人を敵に回さないようにするための言葉にすぎんのがなぜ分からん。
心のそこから仏教を信じきってる人がキリスト教も認めるということがいかにおかしいか・・
じゃぁさっきからあなたはなんで深さなど無いという俺の価値観を認めないのだ。
深さがあるという以上は俺の意見が間違っているからだろ



