文系学部の存在意義。その八
1. 無権代理人
2004/06/28(月) 23:18:53
文系学部の存在意義。その七
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200406/04060051.html
文系学部の存在意義。その六
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200406/04060032.html
文系学部の存在意義。その五
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200406/04060009.html
文系学部の存在意義。その四
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200405/04050064.html
文系学部の存在意義。その二(←正しくは「その三」)
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050056.html
文系学部の存在意義。その二
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050047.html
文系学部の存在意義
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050045.html
とりあえずたてておきます。
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200406/04060051.html
文系学部の存在意義。その六
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200406/04060032.html
文系学部の存在意義。その五
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200406/04060009.html
文系学部の存在意義。その四
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200405/04050064.html
文系学部の存在意義。その二(←正しくは「その三」)
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050056.html
文系学部の存在意義。その二
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050047.html
文系学部の存在意義
http://www.kyoto-u.com./lounge/discuss/html/200405/04050045.html
とりあえずたてておきます。
2. あの〜
2004/06/28(月) 23:20:33
文系学部にはもちろん存在意義があると思うんですけど・・・
3. もう
2004/06/28(月) 23:54:33
スレ立てんなよ。
4. まだ
2004/06/29(火) 00:24:27
やってたんですか?w
5. 霞
2004/06/29(火) 01:19:57
→工学君
>ゴッホには独創性があってゴッホ級の腕前だが残念ながら
>美術史には残らなかった作家AやBには独創性が無かった
>のか?
>ゴッホが特有なら彼らにも彼らの特有さがあるだろ。
>どっちの特有さが受けるか?はっきり言って運だ。
無権さんのご指摘に従って私の誤解していた点を訂正してみても、やはり君の主張にはおかしい点があります。まず定義しておきますが、AやBは技術や独創性も含めてゴッホと同レベルの、同時代の画家だということ。
さて、私が書いたように、ゴッホは同時代の一般民衆にはほぼ評価されませんでした。だがあなたの言うAやBは評価されなかったのでしょうか?
もし当時評価されていれば、彼らはその時代には受け入れられたが、後の時代の感性には合わなかったということになります。
また、現在に至るまで一度も評価されなかったのなら、これから先評価される可能性があります。
現在すでに作品が全て消滅しているような画家であればこの先評価されることはないでしょうが、同時代の人間に(特に同業者の内輪である画壇でも)理解されないようなレベルであるのなら、そもそもの「ゴッホと同レベルの才能」という定義に問題が感じられます。
最終の論法以外はオッケーですよね?(笑)最後のだけは、多少牽強付会かな。。誰にも全く理解されないような芸術だってあるかもしれない。でもそれは果たして、芸術の美として認めてよいのか。
そもそも芸術の美とは、作品を通して他者に何かしらアピールし、感銘を与えるものだと思います。全く誰にも理解されないようなのは、芸術であるかもしれませんが、優れた美を持った芸術とはいえないと思います。だから、全くどの時代に生まれても誰にも理解されないような独創性は、芸術としての美をもっていないと考えられます。
ですが、ここまでの論理展開でいうと、同時代人に(たとえごく小数でもいいから)理解してもらえるかどうか、作品を次の世代に残せるかどうか、これがわずかにネックだと考えられます。その点を「運」と称するのは、致し方ないことと考えます。私はその点を指して、「芸術家に必要な運」ということとします。
>ゴッホには独創性があってゴッホ級の腕前だが残念ながら
>美術史には残らなかった作家AやBには独創性が無かった
>のか?
>ゴッホが特有なら彼らにも彼らの特有さがあるだろ。
>どっちの特有さが受けるか?はっきり言って運だ。
無権さんのご指摘に従って私の誤解していた点を訂正してみても、やはり君の主張にはおかしい点があります。まず定義しておきますが、AやBは技術や独創性も含めてゴッホと同レベルの、同時代の画家だということ。
さて、私が書いたように、ゴッホは同時代の一般民衆にはほぼ評価されませんでした。だがあなたの言うAやBは評価されなかったのでしょうか?
もし当時評価されていれば、彼らはその時代には受け入れられたが、後の時代の感性には合わなかったということになります。
また、現在に至るまで一度も評価されなかったのなら、これから先評価される可能性があります。
現在すでに作品が全て消滅しているような画家であればこの先評価されることはないでしょうが、同時代の人間に(特に同業者の内輪である画壇でも)理解されないようなレベルであるのなら、そもそもの「ゴッホと同レベルの才能」という定義に問題が感じられます。
最終の論法以外はオッケーですよね?(笑)最後のだけは、多少牽強付会かな。。誰にも全く理解されないような芸術だってあるかもしれない。でもそれは果たして、芸術の美として認めてよいのか。
そもそも芸術の美とは、作品を通して他者に何かしらアピールし、感銘を与えるものだと思います。全く誰にも理解されないようなのは、芸術であるかもしれませんが、優れた美を持った芸術とはいえないと思います。だから、全くどの時代に生まれても誰にも理解されないような独創性は、芸術としての美をもっていないと考えられます。
ですが、ここまでの論理展開でいうと、同時代人に(たとえごく小数でもいいから)理解してもらえるかどうか、作品を次の世代に残せるかどうか、これがわずかにネックだと考えられます。その点を「運」と称するのは、致し方ないことと考えます。私はその点を指して、「芸術家に必要な運」ということとします。
6. 霞
2004/06/29(火) 01:20:55
芸術の普遍性に関して。
〇院生さんの意見
>普遍性は、個々人の練り上げられた認識の積み重ねで得ら
>れると思うので、そういう人の認識はどんなものであれ、
>「普遍性」の一部を構成すると考えます。逆に、「普遍
>性」自体は存在するが、その全てを認識できることはない
>というのが私の考えです。
〇無権さんの意見
>といいますが、「普遍性」が存在するとしても、それは鑑
>賞者や時間(時代)によって変化するはずです。同じ人間
>でも、気分や経験や知識などによって変わります。屁理屈
>をこねるようですが、その場合は以前の認識はもはや「普
>遍性に最も近い」とはいえず、翻せば現在の「経験を積ん
>だ」認識も普遍に近いといえなくなるわけで、判断基準が
>定まらない以上「普遍的な認識が存在する」とはいえない
>のではないでしょうか?
難しい問題です。まず普遍性の定義から。厳密にいうと、芸術における普遍性とは特定の時代や、文化的に区別された集団の枠を越えて、価値なり何なりを発揮できることといえるでしょう。しかしこれは、数式などによって定理を確立できるものではなく、あくまで現在までの人間の営みの中でどのような評価を得てきているかということを、体系的に説明するしか方法がないわけです。
そうすると、ある時代に生まれて現在まではとりあえず「普遍的に」価値を発揮しつづけているが、この先何十年か後に価値を失うかもしれない。そうなると、それには普遍性がなかったということになる。また現在価値を見出されてないものが、将来数百年に渡って価値を認められるかもしれない。これも厳密な定義からいうと普遍性がないということになる。
どちらも、評価が低かった時代が存在するからだ。
ただ、ヨーロッパでは文芸復興という時代、いわゆるルネッサンスのときを経て、古いものが重視されるようになりました。それまでは、どちらかというと次々と新しいものを生み出すのが芸術界の動向だったと思います(まあルネサンス以前は芸術そのものが多少廃れていたわけですが、、、)。
そういう意味で、普遍性があることが芸術として価値のあることである、という主張自体が、価値のあることなのかどうか、多少の疑問が残ります(未だにルネサンスの影響下にあるとまではいいませんが、古いものはいいものだという認識があるのは事実。もちろん、新しいものがいいものだという認識もありますが、、)。
また、やはり普遍性とはなんなのか、これも私はよく分かりません。古代の作品も、何世紀かは忘れられたものの、ルネサンス以降なんと現代にいたるまでずっと価値を認められつづけています。これにはやはり、普遍性が存在するからという解釈がつくのでしょうか。
いまもう一人の理学部生さんが仰ることと、この辺りはほぼ一緒ですね。
そうそう、彼の書き込みの、
>工学はなぜ「アインシュタイン並の天才」という言葉を使
>っているがそれこそ権威主義ではなかろうか?
という突っ込み、ナイスです(笑)
工学君はきっと、(今までの書き込みで判断できるレベルであれば)アインシュタインの提唱した理論を全て分かった上でではなく、えらい数学者や物理学者が認め、世間で評価されているからそういっているのです。ま、専門が異なればアインシュタインの理論を全部理解している人はそんなにたくさんいないものでしょうが。これだって十分権威主義ですよね。アインシュタインの理論だって間違いだったと批判されたことがあるのに(「宇宙項」)。
っていうか、現時点で、「宇宙項」の必要性の議論はどうなってるんですかね?「アインシュタインの唯一の過ち」とかいって、えらく叩かれたもんですが、最近はやはり復権されてるとか聞きました。
この辺りは、本来の趣旨である文系学問の存在意義とも関わってくるでしょう。つまり、文系学問は芸術を分かっていい顔をするためでも、自分で宗教にはまるわけでも、もちろん絵を評論して値段を吊り上げるためでもなく、芸術の持つ人間に働きかける力は何か、どうしてそのような力が発生するのか、そういったことを歴史や文化や感性や論理などなど、様々な面から考察して理解を深めるためのものだと思います。だからこそ、芸術の本質とは何か、に突っ込んで普遍性に関して議論するなら、もっと趣旨にあった議論になるでしょうし、私もそれを望みます。
〇院生さんの意見
>普遍性は、個々人の練り上げられた認識の積み重ねで得ら
>れると思うので、そういう人の認識はどんなものであれ、
>「普遍性」の一部を構成すると考えます。逆に、「普遍
>性」自体は存在するが、その全てを認識できることはない
>というのが私の考えです。
〇無権さんの意見
>といいますが、「普遍性」が存在するとしても、それは鑑
>賞者や時間(時代)によって変化するはずです。同じ人間
>でも、気分や経験や知識などによって変わります。屁理屈
>をこねるようですが、その場合は以前の認識はもはや「普
>遍性に最も近い」とはいえず、翻せば現在の「経験を積ん
>だ」認識も普遍に近いといえなくなるわけで、判断基準が
>定まらない以上「普遍的な認識が存在する」とはいえない
>のではないでしょうか?
難しい問題です。まず普遍性の定義から。厳密にいうと、芸術における普遍性とは特定の時代や、文化的に区別された集団の枠を越えて、価値なり何なりを発揮できることといえるでしょう。しかしこれは、数式などによって定理を確立できるものではなく、あくまで現在までの人間の営みの中でどのような評価を得てきているかということを、体系的に説明するしか方法がないわけです。
そうすると、ある時代に生まれて現在まではとりあえず「普遍的に」価値を発揮しつづけているが、この先何十年か後に価値を失うかもしれない。そうなると、それには普遍性がなかったということになる。また現在価値を見出されてないものが、将来数百年に渡って価値を認められるかもしれない。これも厳密な定義からいうと普遍性がないということになる。
どちらも、評価が低かった時代が存在するからだ。
ただ、ヨーロッパでは文芸復興という時代、いわゆるルネッサンスのときを経て、古いものが重視されるようになりました。それまでは、どちらかというと次々と新しいものを生み出すのが芸術界の動向だったと思います(まあルネサンス以前は芸術そのものが多少廃れていたわけですが、、、)。
そういう意味で、普遍性があることが芸術として価値のあることである、という主張自体が、価値のあることなのかどうか、多少の疑問が残ります(未だにルネサンスの影響下にあるとまではいいませんが、古いものはいいものだという認識があるのは事実。もちろん、新しいものがいいものだという認識もありますが、、)。
また、やはり普遍性とはなんなのか、これも私はよく分かりません。古代の作品も、何世紀かは忘れられたものの、ルネサンス以降なんと現代にいたるまでずっと価値を認められつづけています。これにはやはり、普遍性が存在するからという解釈がつくのでしょうか。
いまもう一人の理学部生さんが仰ることと、この辺りはほぼ一緒ですね。
そうそう、彼の書き込みの、
>工学はなぜ「アインシュタイン並の天才」という言葉を使
>っているがそれこそ権威主義ではなかろうか?
という突っ込み、ナイスです(笑)
工学君はきっと、(今までの書き込みで判断できるレベルであれば)アインシュタインの提唱した理論を全て分かった上でではなく、えらい数学者や物理学者が認め、世間で評価されているからそういっているのです。ま、専門が異なればアインシュタインの理論を全部理解している人はそんなにたくさんいないものでしょうが。これだって十分権威主義ですよね。アインシュタインの理論だって間違いだったと批判されたことがあるのに(「宇宙項」)。
っていうか、現時点で、「宇宙項」の必要性の議論はどうなってるんですかね?「アインシュタインの唯一の過ち」とかいって、えらく叩かれたもんですが、最近はやはり復権されてるとか聞きました。
この辺りは、本来の趣旨である文系学問の存在意義とも関わってくるでしょう。つまり、文系学問は芸術を分かっていい顔をするためでも、自分で宗教にはまるわけでも、もちろん絵を評論して値段を吊り上げるためでもなく、芸術の持つ人間に働きかける力は何か、どうしてそのような力が発生するのか、そういったことを歴史や文化や感性や論理などなど、様々な面から考察して理解を深めるためのものだと思います。だからこそ、芸術の本質とは何か、に突っ込んで普遍性に関して議論するなら、もっと趣旨にあった議論になるでしょうし、私もそれを望みます。
7. あの
2004/06/29(火) 01:24:30
提案ですがスレタイ変えませんか?
8. 霞
2004/06/29(火) 01:29:58
なんかくだらない茶々がたくさん入ってますね。私も院生さんや無権代理人さんと同じく、ただのあほで議論好きやからこんなことやっています。それ以上でもそれ以下でもなく、自分でちゃんと認識してるので問題ない。
興味と知識と記述力があるなら、議論に参加なさい。それができないなら、程度の低いツッコミなど入れずに、ちゃんと棲み分けを守っておきましょう。
さてさて、そろそろ試験が近づいてきて議論のペースが落ちるのかな?私にゃもう関係ないことですが。。(笑)
いい反論をお待ちします。私もボチボチしかこれないので、ボチボチいきましょ。
そうそう、さっき書き忘れましたが、もう一人の理学部生さん、フォローありがとうございます^^
私もいつも思ってます。
スレ違いですが、宇宙項のことご存知ないですかね?(笑)
興味と知識と記述力があるなら、議論に参加なさい。それができないなら、程度の低いツッコミなど入れずに、ちゃんと棲み分けを守っておきましょう。
さてさて、そろそろ試験が近づいてきて議論のペースが落ちるのかな?私にゃもう関係ないことですが。。(笑)
いい反論をお待ちします。私もボチボチしかこれないので、ボチボチいきましょ。
そうそう、さっき書き忘れましたが、もう一人の理学部生さん、フォローありがとうございます^^
私もいつも思ってます。
スレ違いですが、宇宙項のことご存知ないですかね?(笑)
9. 工学系院生
2004/06/30(水) 23:21:52
返事したいのは山々ですが、この数日超多忙なので書く暇がありません。しばらく待ってください・・・。
それはそうと、工学君は本当にいなくなったんですかね?試験という時期でもないと思うんですが。
今頃から試験に必死になるぐらいなら、もっとものを考えた方が良いのでは、と老婆心ながら思ってしまいます。
それはそうと、工学君は本当にいなくなったんですかね?試験という時期でもないと思うんですが。
今頃から試験に必死になるぐらいなら、もっとものを考えた方が良いのでは、と老婆心ながら思ってしまいます。
10. あ
2004/07/01(木) 00:45:05
工学は必死でネタを仕込んでいるんじゃないのかな。
11. いまもう一人の理学部
2004/07/01(木) 12:45:37
工学というあほ一人のために文系の学生が不快感を覚えたり、理系学生に偏見をもっては困る。だから、必死に工学をたたいているわけで、このスレがそもそもくだらないスレであることに異論はない。
工学抜きでちゃんとした議論を続けるならば誤解を招かないようにスレタイを変えるべきだろう。
工学抜きでちゃんとした議論を続けるならば誤解を招かないようにスレタイを変えるべきだろう。
12. /
2004/07/01(木) 14:30:55
一般に文系の奴は工学のような理系原理主義者をアホだと思っても、
悲しいかなそれに反論する能力がない。
霞氏は例外中の例外だろう。理系に対抗できるのは理系のみ。
悲しいかなそれに反論する能力がない。
霞氏は例外中の例外だろう。理系に対抗できるのは理系のみ。
13. いまもう一人の理学部
2004/07/01(木) 18:54:00
>/
僕は理系の全てが君のような文系差別主義者のあほだと思われるのがいやだといっているんだ。
僕は理系の全てが君のような文系差別主義者のあほだと思われるのがいやだといっているんだ。
14. 無権代理人
2004/07/02(金) 00:23:40
>工学、院生さん
工学と院生さんとの議論で、「対立する主張は排除しあうしかない」という発言と、「対立するばかりが能ではない」という発言がありました。
工学がいいたかったであろうことは、本質的には正しいと思います。そのことを推し進めれば、新たな領域に進む際に非常に有用な「信念」になると思う。一方で、院生さんの言っていることも正しい。院生さんは研究者としての「態度」をいっているのだろう。つまり、いろんな場面でいろんな意見の人と議論をする際に、どんな学問でも相手の主張を貪欲に受け入れて、いわば「一度飲み込んでみる」ことが役に立つと言いたいのだろう。
例えば、アインシュタインと量子力学者との激しい主張の対立がありました。結果的には、アインシュタインが投げかけた数々の「疑問(主張)」は、今日では観測により間違っていたと証明されました。しかし、量子力学者でさえ創造もしなかったような「主張」を、「飲み込み、消化しようとした」結果、量子力学は飛躍的に進展したわけです。
これこそまさに「議論」の成果であり、相手のいうことを「認める」ということの意義(積極的可能性といってもいい)なのだと思います。蛇足ですが。
院生さん、返事は時間のあるときでいいですので、気にせずに。ゆっくりと議論を進めていけばいいと思いますし。
工学と院生さんとの議論で、「対立する主張は排除しあうしかない」という発言と、「対立するばかりが能ではない」という発言がありました。
工学がいいたかったであろうことは、本質的には正しいと思います。そのことを推し進めれば、新たな領域に進む際に非常に有用な「信念」になると思う。一方で、院生さんの言っていることも正しい。院生さんは研究者としての「態度」をいっているのだろう。つまり、いろんな場面でいろんな意見の人と議論をする際に、どんな学問でも相手の主張を貪欲に受け入れて、いわば「一度飲み込んでみる」ことが役に立つと言いたいのだろう。
例えば、アインシュタインと量子力学者との激しい主張の対立がありました。結果的には、アインシュタインが投げかけた数々の「疑問(主張)」は、今日では観測により間違っていたと証明されました。しかし、量子力学者でさえ創造もしなかったような「主張」を、「飲み込み、消化しようとした」結果、量子力学は飛躍的に進展したわけです。
これこそまさに「議論」の成果であり、相手のいうことを「認める」ということの意義(積極的可能性といってもいい)なのだと思います。蛇足ですが。
院生さん、返事は時間のあるときでいいですので、気にせずに。ゆっくりと議論を進めていけばいいと思いますし。
15. 無権代理人
2004/07/02(金) 00:30:45
>霞さん、いまもう一人の理学部さん
自分でいっておいてなんですが、普遍性というのは本当によくわからないです。
ただ、事実として、何かに秀でた人は必ずといっていいほど、「究める」ことを志向しています。このことは、普遍性への追求と解釈するのが自然な気がします。
そして、そのような普遍性を追求する人間を遺伝子レベルで常に生み出しているのが、自然のシステムではないでしょうか。例えば、ごく一部の種を除いて、全ての高等生物は遺伝子組み替えを行う「性システム」によって、環境が許す限り多様化し、新しい「価値」をもった個体を生み出すようにできています。
生物的特徴のみならず、歴史的には文化や芸術・音楽といったさまざまな「創造的活動」においても同様に、生存が確保される(戦争や飢餓がないなど)という条件が整えば、必ずといっていいほど「多様化」していると思います。
これらのことから、多様化すること、つまり人間でいえばより多くの多様な個性(これはすなわち「多様な主観」にほかならない)が、「普遍性」にとって何らかの意味では前進になるのかなと考えています。
さらにこのことを霞さんの提案に絡めると、「主観的な創造」である文系学部(もちろん理系学部も基本的には同じです)には、曖昧で多様な解釈を行う多様な主体が生み出されるという意味では、社会や人間の進化にとって大きな意義を認めることができるのではないでしょうか。
大分話が飛躍してしまいましたが、議論に関係のある部分だけつまんでください。スレ変更というのは、どちらがいいともいえませんね・・。みなさんの意向に従いますが。
自分でいっておいてなんですが、普遍性というのは本当によくわからないです。
ただ、事実として、何かに秀でた人は必ずといっていいほど、「究める」ことを志向しています。このことは、普遍性への追求と解釈するのが自然な気がします。
そして、そのような普遍性を追求する人間を遺伝子レベルで常に生み出しているのが、自然のシステムではないでしょうか。例えば、ごく一部の種を除いて、全ての高等生物は遺伝子組み替えを行う「性システム」によって、環境が許す限り多様化し、新しい「価値」をもった個体を生み出すようにできています。
生物的特徴のみならず、歴史的には文化や芸術・音楽といったさまざまな「創造的活動」においても同様に、生存が確保される(戦争や飢餓がないなど)という条件が整えば、必ずといっていいほど「多様化」していると思います。
これらのことから、多様化すること、つまり人間でいえばより多くの多様な個性(これはすなわち「多様な主観」にほかならない)が、「普遍性」にとって何らかの意味では前進になるのかなと考えています。
さらにこのことを霞さんの提案に絡めると、「主観的な創造」である文系学部(もちろん理系学部も基本的には同じです)には、曖昧で多様な解釈を行う多様な主体が生み出されるという意味では、社会や人間の進化にとって大きな意義を認めることができるのではないでしょうか。
大分話が飛躍してしまいましたが、議論に関係のある部分だけつまんでください。スレ変更というのは、どちらがいいともいえませんね・・。みなさんの意向に従いますが。
16. 霞
2004/07/02(金) 02:33:57
私の最後の書き込み、間に挟んだの気づいてなかった。。。ごめんなさい。
確かにスレタイ変えるべきかもしれませんね。なんかタイトルからして、文系学部が要るか要らないかという極論に走ってしまうようなんで(^^;)私も別にかまいませんよ。
でも、どんな感じにするべきなんですかね。学問における解釈の多様性の問題、また芸術や学問における普遍性に関して、とかかな。
→無権代理人さん
議論に関しての記述、いいですね。そんな議論がしてみたいものです。如何せん、私の知識と能力じゃそんなものは望むべくもないですが…
言いたいことを言いっ放しにするのではなく、お互いに何か新しい発見ができるのが楽しいから、私は議論が好きなんです。
生物としての多様性は、無権さんがおっしゃるとおりでしょう。そのような変化(いわゆる進化)を遂げることで生物の環境適応能力は向上していっています。それによって生物は、種としての普遍性(それはあくまで限定的擬似的なものですが)を獲得していくのです。
では人間の、生物としてではなく社会的動物としての多様性については、どう見るべきでしょうか。生物の生存に対して多様性が果たしたような役割を、社会的多様性は同様に社会において果たすことができるのか。
ここで例に取りたいのは、この議論のかなり最初の方に出てきた話。江戸幕府の国民に対する思想統制を含めた広義の「鎖国」は、世界に類を見ないほどの統一政権による長期間の安定的な社会を築く屋台骨になったこと。
当時は道教と儒教がごっちゃになったような(まあもともと道教ってのは儒教など様々な思想をごった煮にしてるようなもんですが・・・)、日本のこの時期特有の思想が繁栄していました(幕府による強制下においてですが)。
そんな中、250年以上もの間社会が安定して推移したこの時代は、史上でも稀に見る平和な時代で、人々は生活にゆとりを感じ太平を楽しんでいました(もちろん飢饉などの災害に見舞われることは常にあったわけだけど)。
国民は言論の自由と思想の自由を失い、それで幸福なはずがないじゃないか、と、急進的自由主義論者からは批判を受けるかもしれませんが、それでも幸福は存在したのだと私は信じます。ですが、この社会に多様性があまりない(社会的要因によって抑え込まれている)のもまた事実。
確かにスレタイ変えるべきかもしれませんね。なんかタイトルからして、文系学部が要るか要らないかという極論に走ってしまうようなんで(^^;)私も別にかまいませんよ。
でも、どんな感じにするべきなんですかね。学問における解釈の多様性の問題、また芸術や学問における普遍性に関して、とかかな。
→無権代理人さん
議論に関しての記述、いいですね。そんな議論がしてみたいものです。如何せん、私の知識と能力じゃそんなものは望むべくもないですが…
言いたいことを言いっ放しにするのではなく、お互いに何か新しい発見ができるのが楽しいから、私は議論が好きなんです。
生物としての多様性は、無権さんがおっしゃるとおりでしょう。そのような変化(いわゆる進化)を遂げることで生物の環境適応能力は向上していっています。それによって生物は、種としての普遍性(それはあくまで限定的擬似的なものですが)を獲得していくのです。
では人間の、生物としてではなく社会的動物としての多様性については、どう見るべきでしょうか。生物の生存に対して多様性が果たしたような役割を、社会的多様性は同様に社会において果たすことができるのか。
ここで例に取りたいのは、この議論のかなり最初の方に出てきた話。江戸幕府の国民に対する思想統制を含めた広義の「鎖国」は、世界に類を見ないほどの統一政権による長期間の安定的な社会を築く屋台骨になったこと。
当時は道教と儒教がごっちゃになったような(まあもともと道教ってのは儒教など様々な思想をごった煮にしてるようなもんですが・・・)、日本のこの時期特有の思想が繁栄していました(幕府による強制下においてですが)。
そんな中、250年以上もの間社会が安定して推移したこの時代は、史上でも稀に見る平和な時代で、人々は生活にゆとりを感じ太平を楽しんでいました(もちろん飢饉などの災害に見舞われることは常にあったわけだけど)。
国民は言論の自由と思想の自由を失い、それで幸福なはずがないじゃないか、と、急進的自由主義論者からは批判を受けるかもしれませんが、それでも幸福は存在したのだと私は信じます。ですが、この社会に多様性があまりない(社会的要因によって抑え込まれている)のもまた事実。
17. 霞
2004/07/02(金) 02:46:24
以上のことから、江戸時代の社会的均一性が「箱庭的」幸福をもたらしたと解釈できる。よって、社会的にいって、多様性は必ずしもよい方向にばかり働くとはいえないのではないかと考えられます(こういう言い方をするなら生物としての多様性も、一概によいことばかりではないわけですが)。
人種の違い、民族の違い、思想、言語、嗜好、信仰などなど、様々な文化上の違いがあり、それらは残念ながら現在の世界においては争い事のタネになっていることのほうが多いです。江戸幕府はそれらの相違点を極力排除して均一的な社会を構築し、それによって自分たちの政権の安定を目指し、ある程度の成功を収めたのです。
それでも人間は、社会的な意味で、生物的な意味の多様性よりももっと多くの多様性を内包しているので、江戸幕府のようにその問題から逃げることは、永久的には到底不可能です。
そのような背景によって、学問は多様性に対して客観的合理的(と「主観的」に考えた)解釈をつけ、人の思想を変えていくものです。だから、どのような学問も多様性の一部を構成するものという立場を持っており、結果として学問の持つそのような性格が、多様性の拡大による擬似的普遍性の構築を支えているのではないかと思います。
・・・・・というより、今書いててそう思いました(笑)
ここでは普遍性を、人間という生き物がもつ生物的社会的寿命に対して、あるいはそれを取り巻く自然・文化環境に対しての理解と進歩というちょっと特殊な感じで使っています。それによって少しでも生存(生物的・社会的)を延ばすわけです。まあこれは前述の通りですが。
芸術のところでの普遍性とはちょっと違うのでご注意(まあ問題意識の根本は一緒といえば一緒やけど)。
私の話も、学問の話からは飛躍してますね^^;
ま、既にタイトルはあってなきが如し(笑)今までの議論の内容から逸脱しない限り、もうタイトルに拘泥する必要もないような気もします。
さて、ぼちぼち反論お待ちしてます。
→いまもう一人の理学部さん、/さん
悲しい哉、理系と文系の人間は、お互いに理解し合っていない場合がほとんどです。ここにいる方は大体がそれをできていますが、それはやはり例外的だと思います。どうしたらいいんでしょうね。
まあパターンとしては、どちらの学問もどうでもいい人たち(笑)、両方知っているが自分の専門の学問が全てと思う人たち(爆)、相手の学問をよく知らない人たち(汗)、って感じですか。残念な話です。
なんか誉めていただいてますが、私はそんな能力ないです。理系のことに関しては、詳論は院生さんとかあじの塩焼さんとかに任せてましたし(苦笑)
人種の違い、民族の違い、思想、言語、嗜好、信仰などなど、様々な文化上の違いがあり、それらは残念ながら現在の世界においては争い事のタネになっていることのほうが多いです。江戸幕府はそれらの相違点を極力排除して均一的な社会を構築し、それによって自分たちの政権の安定を目指し、ある程度の成功を収めたのです。
それでも人間は、社会的な意味で、生物的な意味の多様性よりももっと多くの多様性を内包しているので、江戸幕府のようにその問題から逃げることは、永久的には到底不可能です。
そのような背景によって、学問は多様性に対して客観的合理的(と「主観的」に考えた)解釈をつけ、人の思想を変えていくものです。だから、どのような学問も多様性の一部を構成するものという立場を持っており、結果として学問の持つそのような性格が、多様性の拡大による擬似的普遍性の構築を支えているのではないかと思います。
・・・・・というより、今書いててそう思いました(笑)
ここでは普遍性を、人間という生き物がもつ生物的社会的寿命に対して、あるいはそれを取り巻く自然・文化環境に対しての理解と進歩というちょっと特殊な感じで使っています。それによって少しでも生存(生物的・社会的)を延ばすわけです。まあこれは前述の通りですが。
芸術のところでの普遍性とはちょっと違うのでご注意(まあ問題意識の根本は一緒といえば一緒やけど)。
私の話も、学問の話からは飛躍してますね^^;
ま、既にタイトルはあってなきが如し(笑)今までの議論の内容から逸脱しない限り、もうタイトルに拘泥する必要もないような気もします。
さて、ぼちぼち反論お待ちしてます。
→いまもう一人の理学部さん、/さん
悲しい哉、理系と文系の人間は、お互いに理解し合っていない場合がほとんどです。ここにいる方は大体がそれをできていますが、それはやはり例外的だと思います。どうしたらいいんでしょうね。
まあパターンとしては、どちらの学問もどうでもいい人たち(笑)、両方知っているが自分の専門の学問が全てと思う人たち(爆)、相手の学問をよく知らない人たち(汗)、って感じですか。残念な話です。
なんか誉めていただいてますが、私はそんな能力ないです。理系のことに関しては、詳論は院生さんとかあじの塩焼さんとかに任せてましたし(苦笑)
18. 工学
2004/07/02(金) 18:04:33
あのな、政治的な思惑が何か実生活とは乖離したものと思ってる時点でおかしいだろ。
同じことについて価値観(ここでは宗教)が食い違えばもちろんお互いの利益が衝突するわけで。
例えばなんで俺の考えとあなたの考えは衝突して争ってるの?ナイーブじゃないあなたなら争わない方法が分かるんだろ?
それと、実際に戦争とかのカタチで攻撃しあうのだけが衝突じゃないぞ。
「戦争は自分の不利益になる」と両者が判断したら和解というやり手方もあるが、思想的に食い違ってるのに変わりは無いわな。
だから>何でも黒白をつけることばかりが良いことではないのです
そんなこと誰も言って無いだろ。社交的なゲームのやり方としては争いを避けるのが良いときも多くあるけど、(俺が実世界で面と向かってクラシックを馬鹿にしないように)それとクラシックがばかばかしいという思想とは別なんだって。
>「金が儲からないことが明白な」方法を、長年やる人が絶えない理由を説明して欲しい。
アホだから。ねずみ講に加入して上手くいくわけはないけど、被害にあうヤツは後をたたん。
>「健康促進に効果があるならば全ての人がスポーツをする」というような現実に反する結論が出ます。
出ないだろ・・
健康にそれほど価値をおかない人はやらないから。
俺の野球の例では打率の上昇に価値をおいている人もやってないのだが、なぜだ?
まあここはいくら言ってもお互い無駄か。精神修養の前と後でどれだけ打率の伸びがあるのかっていうのは出そうと思えば出る数字だな。
誰か出さないかな・・
>精神修養の方法は一つではない、と言っているでしょう。他の方法を持っている人もいるだろうし
そこまで効果があるならもっとみんなしてもおかしくないだろ。大半の大リーガーはガムをかむとか常識的な範囲で落ち着くための何かを取り入れても、誰も修行とか精神を鍛えるとかしょうもないことを言わないだろ。
>未知の作品を見て作者を高い確率で当てることぐらい、愛好家としては初歩のレベルでできることです。
普通に考えたらできないとおもうがね・・
まぁいいやあなたができるというならそうしておこう。
>上記のごとく、君の実力が低すぎて説明不能なんです。
出たか・・本当こいつ頭おかしいと俺以外の誰も思ってないところが怖いな。
>小学生に微積分を教えられないのと同じです。もっと勉強して出直してきなさい。
じゃぁこの小学生に向かって講義してよ。「教え」なくていいから。霞とかその他俺以外の大人向けってことにでもして。
>ローレンツのエーテル説とアインシュタインの特殊相対論が全く等価であったにもかかわらず、アインシュタインが高く評価される理由を説明して頂きたい。ローレンツもアインシュタインも「独創性」があったわけですよ
正直言って、俺にはその2つがどんな説か分からん。
いちいちあなたの例がペダンティックだってさっき言ったことが分かってないのか・・
>仮に誤っているとしても、それをわからせる努力をしないのはもはや議論ではありません。
そういう言い方をするなら、最初から議論をふっかけるなかれ
あんまりこういうのに解説を加えるのは野暮というものなんだが、要するにこいつの「自分の考えに同調しない人をアホ呼ばわりするなこのアホ!」って言う発言がそっちの誤りの象徴的なもので笑えたんだよ。もっと言えば、お前も自分の考えに同調しないヤツをアホ呼ばわりしてるやんってこと。
同じことについて価値観(ここでは宗教)が食い違えばもちろんお互いの利益が衝突するわけで。
例えばなんで俺の考えとあなたの考えは衝突して争ってるの?ナイーブじゃないあなたなら争わない方法が分かるんだろ?
それと、実際に戦争とかのカタチで攻撃しあうのだけが衝突じゃないぞ。
「戦争は自分の不利益になる」と両者が判断したら和解というやり手方もあるが、思想的に食い違ってるのに変わりは無いわな。
だから>何でも黒白をつけることばかりが良いことではないのです
そんなこと誰も言って無いだろ。社交的なゲームのやり方としては争いを避けるのが良いときも多くあるけど、(俺が実世界で面と向かってクラシックを馬鹿にしないように)それとクラシックがばかばかしいという思想とは別なんだって。
>「金が儲からないことが明白な」方法を、長年やる人が絶えない理由を説明して欲しい。
アホだから。ねずみ講に加入して上手くいくわけはないけど、被害にあうヤツは後をたたん。
>「健康促進に効果があるならば全ての人がスポーツをする」というような現実に反する結論が出ます。
出ないだろ・・
健康にそれほど価値をおかない人はやらないから。
俺の野球の例では打率の上昇に価値をおいている人もやってないのだが、なぜだ?
まあここはいくら言ってもお互い無駄か。精神修養の前と後でどれだけ打率の伸びがあるのかっていうのは出そうと思えば出る数字だな。
誰か出さないかな・・
>精神修養の方法は一つではない、と言っているでしょう。他の方法を持っている人もいるだろうし
そこまで効果があるならもっとみんなしてもおかしくないだろ。大半の大リーガーはガムをかむとか常識的な範囲で落ち着くための何かを取り入れても、誰も修行とか精神を鍛えるとかしょうもないことを言わないだろ。
>未知の作品を見て作者を高い確率で当てることぐらい、愛好家としては初歩のレベルでできることです。
普通に考えたらできないとおもうがね・・
まぁいいやあなたができるというならそうしておこう。
>上記のごとく、君の実力が低すぎて説明不能なんです。
出たか・・本当こいつ頭おかしいと俺以外の誰も思ってないところが怖いな。
>小学生に微積分を教えられないのと同じです。もっと勉強して出直してきなさい。
じゃぁこの小学生に向かって講義してよ。「教え」なくていいから。霞とかその他俺以外の大人向けってことにでもして。
>ローレンツのエーテル説とアインシュタインの特殊相対論が全く等価であったにもかかわらず、アインシュタインが高く評価される理由を説明して頂きたい。ローレンツもアインシュタインも「独創性」があったわけですよ
正直言って、俺にはその2つがどんな説か分からん。
いちいちあなたの例がペダンティックだってさっき言ったことが分かってないのか・・
>仮に誤っているとしても、それをわからせる努力をしないのはもはや議論ではありません。
そういう言い方をするなら、最初から議論をふっかけるなかれ
あんまりこういうのに解説を加えるのは野暮というものなんだが、要するにこいつの「自分の考えに同調しない人をアホ呼ばわりするなこのアホ!」って言う発言がそっちの誤りの象徴的なもので笑えたんだよ。もっと言えば、お前も自分の考えに同調しないヤツをアホ呼ばわりしてるやんってこと。
19. 工学
2004/07/02(金) 18:42:30
>芸術
そこら辺のちょっと上手な芸大生にでも油絵を描かせて、ゴッホと比べたら大半の人(彼の名誉のために:ここに工学系院生は含まれてない)にはどっちが価値のある絵かなんて分からんわけで、じゃぁ結局ゴッホの表現が果たしてそれほど客観的に意味のあるものかなんて極めて怪しいだろ。
[工学系院生はどこに客観性があるのか分かってるのに、俺には難しすぎて説明できないから書かないらしいが書いて欲しいよな?(そのくせイチイチ引いてくる例が普通の大学生には難しすぎるのは平気。俺以外でも物理専門じゃない人は分かってないと思う)]
>工学はなぜ「アインシュタイン並の天才」という言葉>を使っているがそれこそ権威主義ではなかろうか?
アインシュタインの良さは厳密に意味づけできるだろうが、(俺とか分からない人が居てもそいつがアホなだけで。)ゴッホの良さなどはそもそも存在しない。
アインシュタインの良さはいくらでも言語化(数式という言語)できようがゴッホの良さは言語化がされてないだろ。
アインシュタインの良さについて工学系院生が言語化しても俺がアホすぎて突っ込めないだろうが、ゴッホの良さを言語化できたならいくらでも突っ込んであげよう。
そこら辺のちょっと上手な芸大生にでも油絵を描かせて、ゴッホと比べたら大半の人(彼の名誉のために:ここに工学系院生は含まれてない)にはどっちが価値のある絵かなんて分からんわけで、じゃぁ結局ゴッホの表現が果たしてそれほど客観的に意味のあるものかなんて極めて怪しいだろ。
[工学系院生はどこに客観性があるのか分かってるのに、俺には難しすぎて説明できないから書かないらしいが書いて欲しいよな?(そのくせイチイチ引いてくる例が普通の大学生には難しすぎるのは平気。俺以外でも物理専門じゃない人は分かってないと思う)]
>工学はなぜ「アインシュタイン並の天才」という言葉>を使っているがそれこそ権威主義ではなかろうか?
アインシュタインの良さは厳密に意味づけできるだろうが、(俺とか分からない人が居てもそいつがアホなだけで。)ゴッホの良さなどはそもそも存在しない。
アインシュタインの良さはいくらでも言語化(数式という言語)できようがゴッホの良さは言語化がされてないだろ。
アインシュタインの良さについて工学系院生が言語化しても俺がアホすぎて突っ込めないだろうが、ゴッホの良さを言語化できたならいくらでも突っ込んであげよう。
20. いまもう一人の理学部
2004/07/02(金) 18:58:35
>アインシュタイン
問題摩り替えてない?
結局わからないのにアインシュタインのことを誉めた。
なぜだ?権威主義的構造がないといえるのか?
君は質問に質問で返すなど本当に日本語を理解できてるのかよくわからんレスポンスを返してくる。ひどすぎてやってられん。回りとの折り合いはついてるか?
問題摩り替えてない?
結局わからないのにアインシュタインのことを誉めた。
なぜだ?権威主義的構造がないといえるのか?
君は質問に質問で返すなど本当に日本語を理解できてるのかよくわからんレスポンスを返してくる。ひどすぎてやってられん。回りとの折り合いはついてるか?
21. とあるコテハン
2004/07/02(金) 19:24:27
ちょっとブレイク。
>霞氏
俺は江戸時代のことはあまり知らないが、氏の指摘する「均一性」を支えた要素として
「生産の不安定さ」も一役買っているのではないかと思うがどうだろうか?
江戸時代といえども身分制には曖昧なところがあり百姓(ひゃくせい)にしたって
半士半農から大地主、水呑百姓まで実質的には多様であったともいえる。
その中で持ち得た「自由」は、植民地からの搾取や怠惰さを許容する社会的な余剰のおかげで
獲得された「自由」とは違っている可能性も十分にあるのではないかな。
…などと適当に挙げてみたが、氏の仮説(むしろ表現の仕方かな)は実証性をどれほど保証されているのか?
歴史的な話をしよう。
19世紀後半から20世紀の当初にかけて「実証主義」が隆盛を極めた。
その典型は現象を要素へと還元することによって概念のみでそれを再構築するというもの。
これは物理ではマッハに代表されるある人々が重要視したもの。
現象を科学的に論じる際には魔術的な概念を用いることを避けようとする意思が現れている。
これはあらゆる分野に影響を広げ、心理学や社会学、生物学といった
それまではある理由により学問ではなかった領域を学問として(西洋で)広げることとなった。
例としてマルクス・フロイト・メンデルなどを挙げれば雰囲気はつかんでいただけるだろう。
(ちなみにここで挙げた例はいずれも当時の実証主義的な学者の典型ではない)
ある理由とは、「神がそう決めた」。
実証主義を現象学との関係で考えれば鍵となるのは数学から哲学に入ったフッサールかな。
大きく端折ることにして、その後、実証主義≒要素還元主義は大きな躓きに直面する。
それは、「1つ1つの要素に還元する過程で失われてしまう要素」別の見方をすれば
「現象から要素を抽出する際にそれを肯定する根拠となる要素」を考慮できなくなるという点。
ちなみにいちいち考慮していたらすぐ数学的な「無限」の壁にぶつかるわけだが。
近似はあくまで近似なので、それを克服するためには再び超越論的な概念を要請せざるをえなくなった。
ただし、宗教的なところに陥ることのないように、その概念は分析の外にのみあるかもしれないとして
できるだけその介入を避けるかたちでものを考えることを推奨したということになる。
物理でいえば「なぜ孤立系ではエントロピーが上昇し続けるか」というのが原子のレベルでの実証性の限界。
答えは出せない。観測機器は素粒子を「間接的に」しか検出できないといっても過言ではないから
それが人間の示しうる実証性の限界でもある。
だから「実はベータ崩壊の非対称性が時間の存在を規定し、それが非対称でなくなるような
エネルギー準位では時間も存在しない」という与太話も非公式の場でならすることは自由。
だから多くの学問分野では「要素への還元と実証性」に重きをおきつつも、
常に実証できない「全体」を見渡すことを(各人が自由に超越論的な妄想を持つことを許すことによって)
認めるといういわば折衷案をとった。
超越論的な概念とは、大昔の学問であれば「存在論」とカテゴライズされていたようなものの対象に近い。
さて、人間の営為について実証主義的な側面を持ち込むとどうなるか。
結論から提示すれば要素への還元において工夫すればどんなことでも実証できてしまう。
以前少し出てきたが、優生学と優生思想(2つはある意味では大きく異なるものである)が、第二次大戦時の
ドイツでは 宗 教 的 な 根 拠 を背景として実証性のあるものとして混同され、とんでもないことになった。
ほかにも、大東亜戦争/太平洋戦争の「日本の正義」だって語る者によってその質がまったく異なる。
これに対して自然科学的な方法論では「再現性」をもって実証性の根拠としているが、
その「再現性」を成立せしめるものについては超越論的にしか検討できない。
再現性が公理的なものによって保証されているのは数学だといえるかもしれないが、
ここでは最後のキーワードとして「ゲーデル」をあげておきたい。
>霞氏
俺は江戸時代のことはあまり知らないが、氏の指摘する「均一性」を支えた要素として
「生産の不安定さ」も一役買っているのではないかと思うがどうだろうか?
江戸時代といえども身分制には曖昧なところがあり百姓(ひゃくせい)にしたって
半士半農から大地主、水呑百姓まで実質的には多様であったともいえる。
その中で持ち得た「自由」は、植民地からの搾取や怠惰さを許容する社会的な余剰のおかげで
獲得された「自由」とは違っている可能性も十分にあるのではないかな。
…などと適当に挙げてみたが、氏の仮説(むしろ表現の仕方かな)は実証性をどれほど保証されているのか?
歴史的な話をしよう。
19世紀後半から20世紀の当初にかけて「実証主義」が隆盛を極めた。
その典型は現象を要素へと還元することによって概念のみでそれを再構築するというもの。
これは物理ではマッハに代表されるある人々が重要視したもの。
現象を科学的に論じる際には魔術的な概念を用いることを避けようとする意思が現れている。
これはあらゆる分野に影響を広げ、心理学や社会学、生物学といった
それまではある理由により学問ではなかった領域を学問として(西洋で)広げることとなった。
例としてマルクス・フロイト・メンデルなどを挙げれば雰囲気はつかんでいただけるだろう。
(ちなみにここで挙げた例はいずれも当時の実証主義的な学者の典型ではない)
ある理由とは、「神がそう決めた」。
実証主義を現象学との関係で考えれば鍵となるのは数学から哲学に入ったフッサールかな。
大きく端折ることにして、その後、実証主義≒要素還元主義は大きな躓きに直面する。
それは、「1つ1つの要素に還元する過程で失われてしまう要素」別の見方をすれば
「現象から要素を抽出する際にそれを肯定する根拠となる要素」を考慮できなくなるという点。
ちなみにいちいち考慮していたらすぐ数学的な「無限」の壁にぶつかるわけだが。
近似はあくまで近似なので、それを克服するためには再び超越論的な概念を要請せざるをえなくなった。
ただし、宗教的なところに陥ることのないように、その概念は分析の外にのみあるかもしれないとして
できるだけその介入を避けるかたちでものを考えることを推奨したということになる。
物理でいえば「なぜ孤立系ではエントロピーが上昇し続けるか」というのが原子のレベルでの実証性の限界。
答えは出せない。観測機器は素粒子を「間接的に」しか検出できないといっても過言ではないから
それが人間の示しうる実証性の限界でもある。
だから「実はベータ崩壊の非対称性が時間の存在を規定し、それが非対称でなくなるような
エネルギー準位では時間も存在しない」という与太話も非公式の場でならすることは自由。
だから多くの学問分野では「要素への還元と実証性」に重きをおきつつも、
常に実証できない「全体」を見渡すことを(各人が自由に超越論的な妄想を持つことを許すことによって)
認めるといういわば折衷案をとった。
超越論的な概念とは、大昔の学問であれば「存在論」とカテゴライズされていたようなものの対象に近い。
さて、人間の営為について実証主義的な側面を持ち込むとどうなるか。
結論から提示すれば要素への還元において工夫すればどんなことでも実証できてしまう。
以前少し出てきたが、優生学と優生思想(2つはある意味では大きく異なるものである)が、第二次大戦時の
ドイツでは 宗 教 的 な 根 拠 を背景として実証性のあるものとして混同され、とんでもないことになった。
ほかにも、大東亜戦争/太平洋戦争の「日本の正義」だって語る者によってその質がまったく異なる。
これに対して自然科学的な方法論では「再現性」をもって実証性の根拠としているが、
その「再現性」を成立せしめるものについては超越論的にしか検討できない。
再現性が公理的なものによって保証されているのは数学だといえるかもしれないが、
ここでは最後のキーワードとして「ゲーデル」をあげておきたい。
22. とあるコテハン
2004/07/02(金) 19:42:54
ついでなので実存主義とニヒリズムについても触れておきたい。
実存主義は究極的なところでは「空虚さという永遠」を背負ったニヒリズムにほかならず、
実存主義に存在するのはall or noneの選択のみ。
過去や未来という「不確か」なものはなく、ただ1回の「偶然のいま」がすべてである。
ここにおいて、偶然は必然と同一化し、因果関係は蚊帳の外に除けられてしまう。
一方この実存主義は自己に向けられる面では、「いまの自分」のみを見るという罠に嵌まっている。
なぜなら「いまの自分」というものは過去や未来を想起することなしでは自覚し得ない。
これは精神疾患で「過去や未来の想起」に障害が生じると自我も引きずられて失調することから推測される。
実存主義は「空虚な自分」にしか目を向けられない我執と背中合わせである。
まぁ人生なんて「余白を楽しむ」ことができなきゃやってられないんだがな。
見極められない何かが存在すること、そしてそれに目を向けようとする機会があること。
世界ってのはそうやってできているものではないか。
スレ違いだと思ったあなた、1つめのスレから全部読んでみてください。
俺が何故少しずれたところで語っているか、見極められると思う。
実存主義は究極的なところでは「空虚さという永遠」を背負ったニヒリズムにほかならず、
実存主義に存在するのはall or noneの選択のみ。
過去や未来という「不確か」なものはなく、ただ1回の「偶然のいま」がすべてである。
ここにおいて、偶然は必然と同一化し、因果関係は蚊帳の外に除けられてしまう。
一方この実存主義は自己に向けられる面では、「いまの自分」のみを見るという罠に嵌まっている。
なぜなら「いまの自分」というものは過去や未来を想起することなしでは自覚し得ない。
これは精神疾患で「過去や未来の想起」に障害が生じると自我も引きずられて失調することから推測される。
実存主義は「空虚な自分」にしか目を向けられない我執と背中合わせである。
まぁ人生なんて「余白を楽しむ」ことができなきゃやってられないんだがな。
見極められない何かが存在すること、そしてそれに目を向けようとする機会があること。
世界ってのはそうやってできているものではないか。
スレ違いだと思ったあなた、1つめのスレから全部読んでみてください。
俺が何故少しずれたところで語っているか、見極められると思う。
23. 工学
2004/07/02(金) 20:24:29
いや何が分からんのか書けよ。
質問を質問で返す日本語もあるだろ。
だからアインシュタインが間違ってるとすればいくらでも突っ込みどころがある(矛盾が生じる)だろ。
だけど絵画の深さが無いとしても何も矛盾しないわけで。
アインシュタインを理解して無くてもその理論がどうやら正しいようだと知ることは可能。
もちろん直接には分かってなくて、本や人の言ったことやなんやかんやを総合的に判断して俺はアインシュタインは天才だと判断してるだけやで?
でもそんなこと言い出したら直接の知識なんて無いだろ。
俺が権威主義と言ってるのはありもしない深さをありがたがる構造なわけで。
質問を質問で返す日本語もあるだろ。
だからアインシュタインが間違ってるとすればいくらでも突っ込みどころがある(矛盾が生じる)だろ。
だけど絵画の深さが無いとしても何も矛盾しないわけで。
アインシュタインを理解して無くてもその理論がどうやら正しいようだと知ることは可能。
もちろん直接には分かってなくて、本や人の言ったことやなんやかんやを総合的に判断して俺はアインシュタインは天才だと判断してるだけやで?
でもそんなこと言い出したら直接の知識なんて無いだろ。
俺が権威主義と言ってるのはありもしない深さをありがたがる構造なわけで。
24. 工学
2004/07/02(金) 20:37:08
ちなみに上二つの哲学の文章に何か深さを感じてしまった人は要注意。この中身の無い、無駄に難しいことを書きならべて優越感を得るその俗物根性が信じられん。
25. そいつは
2004/07/02(金) 20:40:14
マンボーですよ
26. 理一回生
2004/07/03(土) 11:36:03
>工学さん
>本や人の言ったことやなんやかんやを総合的に判断して俺はアインシュタインは天才だと判断してるだけやで?
それは、芸術の深さについても同じことがいえますが。それに、厳密に言えばアインシュタインの理論はいくらでも間違ってるといえるわけだし(だから、例えば相対性理論と量子力学などと統一した理論をつくろうとしているわけだが)。所詮、物理理論は(少なくとも現段階では)近似にすぎないよ。そこそこ普遍的に見えるだけ。
で、芸術に関しても、あなたが科学が「正しいようだ」と感じられるのと同程度に、多くの人にとっては「正しいようだ」と感じられるものがあるのです。
>本や人の言ったことやなんやかんやを総合的に判断して俺はアインシュタインは天才だと判断してるだけやで?
それは、芸術の深さについても同じことがいえますが。それに、厳密に言えばアインシュタインの理論はいくらでも間違ってるといえるわけだし(だから、例えば相対性理論と量子力学などと統一した理論をつくろうとしているわけだが)。所詮、物理理論は(少なくとも現段階では)近似にすぎないよ。そこそこ普遍的に見えるだけ。
で、芸術に関しても、あなたが科学が「正しいようだ」と感じられるのと同程度に、多くの人にとっては「正しいようだ」と感じられるものがあるのです。
27. 工学
2004/07/03(土) 13:56:16
本当にそうなのか??
理解して無いアインシュタインをただしいようだとするのと、モーツァルトの曲やゴッホの絵を見て深さを感じるというのが一体どっちも同じくらいに確からしいと結論付けることができるのだろうか・・?
科学の場合は「1+1=2」から始まって「振り子の周期は重さによらない」の例とかそういう知をごまんと小学校から今にかけて一つ一つ正しいと確認したうえで、「どうやらこの自然科学というのは自分の認識の信用に足るものだ、おそらくアインシュタインの理論ももっと良い頭さえあれば正しいと分かるんだろうな」と俺は判断したわけだわな。
一方芸術では、高級な芸術において深さがあるとするのがどうやら正しいようだと認識するに至るための基礎がどこにもないじゃないか。
小学校のときドレミの歌の深さを感じて次は翼をくださいの境地を感じて・・・その知識をモトにおそらくモーツァルトにも深さがあろうとしたのか?
芸術において振り子の知に相当するものはなんなのだ?何を根拠に正しいようだとしたのだ?
何よりアインシュタインの理論は実験で示せるわけだろ?ということは少なくとも目で見たものを信用する限りでは正しいということだろ。(もちろん目すらも絶対ではないとかもいえるが、俺は目でみたものの正しさを宗教的に信じる)
なおアインシュタインの理論も間違ってる。もっと正しい理論がありある。全ての物理が近似とかいうのはまた別の話だ。
理解して無いアインシュタインをただしいようだとするのと、モーツァルトの曲やゴッホの絵を見て深さを感じるというのが一体どっちも同じくらいに確からしいと結論付けることができるのだろうか・・?
科学の場合は「1+1=2」から始まって「振り子の周期は重さによらない」の例とかそういう知をごまんと小学校から今にかけて一つ一つ正しいと確認したうえで、「どうやらこの自然科学というのは自分の認識の信用に足るものだ、おそらくアインシュタインの理論ももっと良い頭さえあれば正しいと分かるんだろうな」と俺は判断したわけだわな。
一方芸術では、高級な芸術において深さがあるとするのがどうやら正しいようだと認識するに至るための基礎がどこにもないじゃないか。
小学校のときドレミの歌の深さを感じて次は翼をくださいの境地を感じて・・・その知識をモトにおそらくモーツァルトにも深さがあろうとしたのか?
芸術において振り子の知に相当するものはなんなのだ?何を根拠に正しいようだとしたのだ?
何よりアインシュタインの理論は実験で示せるわけだろ?ということは少なくとも目で見たものを信用する限りでは正しいということだろ。(もちろん目すらも絶対ではないとかもいえるが、俺は目でみたものの正しさを宗教的に信じる)
なおアインシュタインの理論も間違ってる。もっと正しい理論がありある。全ての物理が近似とかいうのはまた別の話だ。
28. とあるコテハン
2004/07/03(土) 15:44:51
ふむ。工学氏は俺の文章から
>この中身の無い、無駄に難しいことを書きならべて優越感を得るその俗物根性が
読み取れたというわけだな。素晴らしい言語能力ですね。
まぁ批判的に読み解くことができれば「深さ」なんてこれっぽちもないことぐらい誰にでも分かるのだが。
ところで、中学理科や高校化学はボルタ電池の記述をはじめ突っ込みどころ満載だが、
これについてはどう思う? 「もっと良い頭さえあれば」か?
高校よりあとに科学から離れていれば間違ったものを間違ったままにしておくことになるが、
工学氏の考えではこのことはどのように解釈されるのだろうか?
まぁ「知ったことか」と答えてくれても俺はいっこうに構わないが。
芸術において「深さがある」としても「ない」としてもいずれにしろ矛盾は生じない。
絵画や造形なら遠近法や黄金比など、音楽では対位法などある程度数理化されたモデルはあるが、
それでもそのモデルを破壊する側面を持つ作品があることから、少なくとも現時点では
芸術理論を基礎づける概念は流動的で可塑性があり、究極的な本質を求めることは難しい。
芸術作品を芸術たらしめている命題には未だ誰も到達していないということ。
そんな概念が作り出せるかどうかはともかくとして、だ。
だからデュシャンやケージの「作品」が出てくるわけだろ。
それらが物議を呼んだということは見解の相違はいくらでも生じるということ。
初等教育から「音楽」や「図工(あるいは美術)」として、これまでの歴史で生み出された作品の中で
「芸術作品として残っているもの」としていくつかの例を教えられることもあるわけだ。
芸術でない例を芸術と比較するためだけに教えられているだろうか?
理論化された概念がなければ比較と取捨選択を繰り返して帰納的に見ていくほかないが、
では比較対象はどうやって与えられうるのだろうか。
受け取る側の意思に委ねられているとしても過言ではないだろう。
それをうけて芸術に興味を示そうとそうでなかろうと(成績に多少反映される可能性はあるものの)自由。
芸術について知ったかぶりをするのだって見栄を張るのだって自由だといえる。
重きをおかないことや反発心を抱くことも自由に選ばれて然るべきだがな。
「混ぜるな危険」や「電子レンジで猫をかわかさないでください」の文字が必要な現実は
科学の理解だって結局どうでもいいものとしてしか認められていないということの反映だろう。
>この中身の無い、無駄に難しいことを書きならべて優越感を得るその俗物根性が
読み取れたというわけだな。素晴らしい言語能力ですね。
まぁ批判的に読み解くことができれば「深さ」なんてこれっぽちもないことぐらい誰にでも分かるのだが。
ところで、中学理科や高校化学はボルタ電池の記述をはじめ突っ込みどころ満載だが、
これについてはどう思う? 「もっと良い頭さえあれば」か?
高校よりあとに科学から離れていれば間違ったものを間違ったままにしておくことになるが、
工学氏の考えではこのことはどのように解釈されるのだろうか?
まぁ「知ったことか」と答えてくれても俺はいっこうに構わないが。
芸術において「深さがある」としても「ない」としてもいずれにしろ矛盾は生じない。
絵画や造形なら遠近法や黄金比など、音楽では対位法などある程度数理化されたモデルはあるが、
それでもそのモデルを破壊する側面を持つ作品があることから、少なくとも現時点では
芸術理論を基礎づける概念は流動的で可塑性があり、究極的な本質を求めることは難しい。
芸術作品を芸術たらしめている命題には未だ誰も到達していないということ。
そんな概念が作り出せるかどうかはともかくとして、だ。
だからデュシャンやケージの「作品」が出てくるわけだろ。
それらが物議を呼んだということは見解の相違はいくらでも生じるということ。
初等教育から「音楽」や「図工(あるいは美術)」として、これまでの歴史で生み出された作品の中で
「芸術作品として残っているもの」としていくつかの例を教えられることもあるわけだ。
芸術でない例を芸術と比較するためだけに教えられているだろうか?
理論化された概念がなければ比較と取捨選択を繰り返して帰納的に見ていくほかないが、
では比較対象はどうやって与えられうるのだろうか。
受け取る側の意思に委ねられているとしても過言ではないだろう。
それをうけて芸術に興味を示そうとそうでなかろうと(成績に多少反映される可能性はあるものの)自由。
芸術について知ったかぶりをするのだって見栄を張るのだって自由だといえる。
重きをおかないことや反発心を抱くことも自由に選ばれて然るべきだがな。
「混ぜるな危険」や「電子レンジで猫をかわかさないでください」の文字が必要な現実は
科学の理解だって結局どうでもいいものとしてしか認められていないということの反映だろう。
29. 工学系院生
2004/07/03(土) 15:52:33
遅くなりました。大量の投稿に全て返信するわけにはいかないので、要点のみ。
まず、タイトルについては、変更することで連続性が失われるデメリットの方が怖いです。読んでない人がもう終わった話を蒸し返して来られても困りますし。それに話題が拡散しているように見えるのは、工学君との議論では文系学問と芸術と倫理と宗教の存在価値は論理的に等価であるという一応の合意ができているので、どれか一つの存在価値を認めさせられれば工学君の主張全体を論破できるという思惑があってのことですから。
次に、この議論自体の価値については、たとえ相手がどんな極論の持ち主であれ、議論をすることで自分の考えを洗い直す動機にはなるという信念に基づいています。
さて、少し遅くなりましたが、「普遍性」について。無権代理人さんの「『普遍性』は厳密に定義できるのか」という問題提起ですが、実のところ私はそこまで話を高度にするつもりはなかったのです。「普遍性は存在する」と言ったのは、たかだか我々の生きる時代の前後数百年程度に時間を限った、やや荒っぽい「近似」のつもりでした。近似的であるにせよそういうものが存在するならば、我々が生きる上での現実問題として文系学問や芸術などには価値があると言える訳で、工学君の主張を崩すには十分であるからです。
そういう意味で、たとえば霞さんが言われたルネッサンス前後の価値の変容とか、そういったことは視野に入れていなかったのです。
実際、無権代理人さんや霞さんのおっしゃる通り、普遍性の追究は価値の多様化を生みだし、価値の多様化がさらに普遍性を思考させます。この循環がうまく行っている間は良いのですが、その循環はどんどんインフレーションを起こしていくわけで、収斂していく基軸が喪われるとこの循環は発散して解消してしまいます。実際、西洋近代はキリスト教を基軸として発展してきた訳ですが、それが逆に反キリスト教的思想にも力を与えてしまい、それで現在の社会は混沌に向かいつつあるわけです。
ところが、ほぼ無条件にある考え方(宗教など)を受け入れることを拒否してしまうと、現在までに積み重ねられてきた過去の財産が遣えなくなるために、依って立つ場所がなくなり、結果として自分とその周りだけの極めてナイーブな思考だけを武器に外界に出なければならなくなってしまう。工学君の主張などはまさにそうして生まれてきたものではないでしょうか?彼は倫理すら否定しますが、彼の主張が無茶であることは明白でも、彼にそれを納得させることは難しい。一昔前だと「この罰当たりめが」の一言で済んだわけですが。
これがまさに現在起こっていることだと思います。といってまた「基軸」を回復させようとするのは結局反動的な原理主義を生むばかりで生産的ではないでしょう。個人的には、全てを収斂させる「基軸」を造るのではなく、外から発散を食い止める「包摂」が必要なのではと思うし、そういう考え方は、ユーラシアのあらゆる文化の影響を受け、また過去に江戸時代の成功の経験を持った我々日本人なら可能なのではという期待を持っていたりもするのですが。
まあ、以上の話、特に最後の段落は与太話なので、適当に読み流してください。以下、個別の返信へ。
>いまもう一人の理学部さん
>あと工学はなぜ「アインシュタイン並の天才」という言葉を使っているがそれこそ権威主義ではなかろうか?
鋭いですね。まったくおっしゃる通りだと思います。
>無権代理人さん
>工学がいいたかったであろうことは、本質的には正しいと思います。そのことを推し進めれば、新たな領域に進む際に非常に有用な「信念」になると思う。一方で、院生さんの言っていることも正しい。院生さんは研究者としての「態度」をいっているのだろう。つまり、いろんな場面でいろんな意見の人と議論をする際に、どんな学問でも相手の主張を貪欲に受け入れて、いわば「一度飲み込んでみる」ことが役に立つと言いたいのだろう。
少し違うのです。私が言いたいのは、価値観が対立した場合、黒白の折り合いをつけたければ議論という公平な手段に依るしかないわけで、理由なく相手の主張自体を禁じるのは反則だということです。実際、自分がそれをして良いのなら相手からも同じことをされても仕方ないわけで、無益な争いが起こるだけで何も解決しないでしょう。
実際、工学君は「権威に圧迫されている」という不満があるから問題提起をしているはずなのに、むしろ自ら「権威の圧迫」を強化するような言動を繰り返している訳でしょう。全く無意味なことです。
>霞さん
>言いたいことを言いっ放しにするのではなく、お互いに何か新しい発見ができるのが楽しいから、私は議論が好きなんです。
そうですね。工学君は一方が一方に主張を押しつけるのが議論だと思っているのでしょう。
まず、タイトルについては、変更することで連続性が失われるデメリットの方が怖いです。読んでない人がもう終わった話を蒸し返して来られても困りますし。それに話題が拡散しているように見えるのは、工学君との議論では文系学問と芸術と倫理と宗教の存在価値は論理的に等価であるという一応の合意ができているので、どれか一つの存在価値を認めさせられれば工学君の主張全体を論破できるという思惑があってのことですから。
次に、この議論自体の価値については、たとえ相手がどんな極論の持ち主であれ、議論をすることで自分の考えを洗い直す動機にはなるという信念に基づいています。
さて、少し遅くなりましたが、「普遍性」について。無権代理人さんの「『普遍性』は厳密に定義できるのか」という問題提起ですが、実のところ私はそこまで話を高度にするつもりはなかったのです。「普遍性は存在する」と言ったのは、たかだか我々の生きる時代の前後数百年程度に時間を限った、やや荒っぽい「近似」のつもりでした。近似的であるにせよそういうものが存在するならば、我々が生きる上での現実問題として文系学問や芸術などには価値があると言える訳で、工学君の主張を崩すには十分であるからです。
そういう意味で、たとえば霞さんが言われたルネッサンス前後の価値の変容とか、そういったことは視野に入れていなかったのです。
実際、無権代理人さんや霞さんのおっしゃる通り、普遍性の追究は価値の多様化を生みだし、価値の多様化がさらに普遍性を思考させます。この循環がうまく行っている間は良いのですが、その循環はどんどんインフレーションを起こしていくわけで、収斂していく基軸が喪われるとこの循環は発散して解消してしまいます。実際、西洋近代はキリスト教を基軸として発展してきた訳ですが、それが逆に反キリスト教的思想にも力を与えてしまい、それで現在の社会は混沌に向かいつつあるわけです。
ところが、ほぼ無条件にある考え方(宗教など)を受け入れることを拒否してしまうと、現在までに積み重ねられてきた過去の財産が遣えなくなるために、依って立つ場所がなくなり、結果として自分とその周りだけの極めてナイーブな思考だけを武器に外界に出なければならなくなってしまう。工学君の主張などはまさにそうして生まれてきたものではないでしょうか?彼は倫理すら否定しますが、彼の主張が無茶であることは明白でも、彼にそれを納得させることは難しい。一昔前だと「この罰当たりめが」の一言で済んだわけですが。
これがまさに現在起こっていることだと思います。といってまた「基軸」を回復させようとするのは結局反動的な原理主義を生むばかりで生産的ではないでしょう。個人的には、全てを収斂させる「基軸」を造るのではなく、外から発散を食い止める「包摂」が必要なのではと思うし、そういう考え方は、ユーラシアのあらゆる文化の影響を受け、また過去に江戸時代の成功の経験を持った我々日本人なら可能なのではという期待を持っていたりもするのですが。
まあ、以上の話、特に最後の段落は与太話なので、適当に読み流してください。以下、個別の返信へ。
>いまもう一人の理学部さん
>あと工学はなぜ「アインシュタイン並の天才」という言葉を使っているがそれこそ権威主義ではなかろうか?
鋭いですね。まったくおっしゃる通りだと思います。
>無権代理人さん
>工学がいいたかったであろうことは、本質的には正しいと思います。そのことを推し進めれば、新たな領域に進む際に非常に有用な「信念」になると思う。一方で、院生さんの言っていることも正しい。院生さんは研究者としての「態度」をいっているのだろう。つまり、いろんな場面でいろんな意見の人と議論をする際に、どんな学問でも相手の主張を貪欲に受け入れて、いわば「一度飲み込んでみる」ことが役に立つと言いたいのだろう。
少し違うのです。私が言いたいのは、価値観が対立した場合、黒白の折り合いをつけたければ議論という公平な手段に依るしかないわけで、理由なく相手の主張自体を禁じるのは反則だということです。実際、自分がそれをして良いのなら相手からも同じことをされても仕方ないわけで、無益な争いが起こるだけで何も解決しないでしょう。
実際、工学君は「権威に圧迫されている」という不満があるから問題提起をしているはずなのに、むしろ自ら「権威の圧迫」を強化するような言動を繰り返している訳でしょう。全く無意味なことです。
>霞さん
>言いたいことを言いっ放しにするのではなく、お互いに何か新しい発見ができるのが楽しいから、私は議論が好きなんです。
そうですね。工学君は一方が一方に主張を押しつけるのが議論だと思っているのでしょう。
30. 工学
2004/07/03(土) 18:45:05
倫理すらというが、正しいから倫理を守るのじゃなくて、守ったら得だから守ってるというのは分かってるのか?
小学生を何人も殺害して回ることだろうがそれが犯人にとってそれが快感だから、つまり得だからやってるという意味ではそれは犯人にとっては善だ。
ではこの行為が良いか悪いかを決めるのは結局多数派(あるいは力が上のもの)の利益にすぎない。
このことは最低分かってるのか?
小学生を何人も殺害して回ることだろうがそれが犯人にとってそれが快感だから、つまり得だからやってるという意味ではそれは犯人にとっては善だ。
ではこの行為が良いか悪いかを決めるのは結局多数派(あるいは力が上のもの)の利益にすぎない。
このことは最低分かってるのか?
31. 工学
2004/07/03(土) 18:46:22
>工学君は一方が一方に主張を押しつけるのが議論だと思っているのでしょう。
本気で自分はそうではないと思ってるのだろうか・・
本気で自分はそうではないと思ってるのだろうか・・
32. 工学系院生
2004/07/03(土) 19:59:33
投稿するのを忘れていた。
>工学君
>同じことについて価値観(ここでは宗教)が食い違えばもちろんお互いの利益が衝突するわけで。
反例:日本では仏教の少なくとも14宗派と神道とキリスト教が平和裡に共存しています。
>「戦争は自分の不利益になる」と両者が判断したら和解というやり手方もあるが、思想的に食い違ってるのに変わりは無いわな。
弁証法ということを知らないのですか?
下らない例を挙げましょう。たとえば、夕食に何を食べたいか迷って、「カレーが食いたい」(These)「トンカツが食いたい」(Antithese)、でも両方は食べられないというとき、どちらか一方を諦めるしかないということはありませんね。カツカレーを食べるという解決策(Synthese)があるわけです。こういう風に、新たな視野を得ることによって矛盾を解消するという方法があるのですよ。
>(俺が実世界で面と向かってクラシックを馬鹿にしないように)
この掲示板は「実社会」の一部であることを忘れてはなりません。
>大半の大リーガーはガムをかむとか常識的な範囲で落ち着くための何かを取り入れても、誰も修行とか精神を鍛えるとかしょうもないことを言わないだろ。
では、mental training という英語が学術用語として存在するのはなぜ。
>じゃぁこの小学生に向かって講義してよ。「教え」なくていいから。
では、私と君以外の人との間の議論を読んでごらんなさい。
>正直言って、俺にはその2つがどんな説か分からん。
>いちいちあなたの例がペダンティックだってさっき言ったことが分かってないのか・・
わからないも何も、一番有名でわかりやすい例を挙げただけです。難しい例を出したければ他にいくらでもあります。
>あんまりこういうのに解説を加えるのは野暮というものなんだが、要するにこいつの「自分の考えに同調しない人をアホ呼ばわりするなこのアホ!」って言う発言がそっちの誤りの象徴的なもので笑えたんだよ。もっと言えば、お前も自分の考えに同調しないヤツをアホ呼ばわりしてるやんってこと。
違いますね。「自分の考えに同調を強要する奴」「指摘されても無知を認めない奴」をアホといっただけです。
>そこら辺のちょっと上手な芸大生にでも油絵を描かせて、(中略)じゃぁ結局ゴッホの表現が果たしてそれほど客観的に意味のあるものかなんて極めて怪しいだろ。
たとえば囲碁や将棋のプロの棋譜と、アマ初段同士の棋譜を並べて、世間の人に「どちらがレベルの高い対局か」と訊いてみてごらんなさい。たぶん、殆どの人は区別がつかないでしょうね。
>[工学系院生はどこに客観性があるのか分かってるのに、俺には難しすぎて説明できないから書かないらしいが書いて欲しいよな?
何か誤解してますね。客観性は、「経験を積んだ鑑賞者の大多数が認める」ところにあります。
>アインシュタインの良さはいくらでも言語化(数式という言語)できようがゴッホの良さは言語化がされてないだろ。
それは間違い。アインシュタインの理論は物理法則を説明しているに過ぎない。文字や数式が「この理論は良い」ということを主張しているわけではありません。実際、「優れた科学理論」を客観的に判断する基準などありません。それは誤解しないように。「正しい理論」はいくらでもあるが、「優れた理論」は殆どありません。
あるいは、君が「理論全体」が、理論自体の価値を主張していると言うレトリックを使ったのであれば、ゴッホの絵は「絵自体」が絵の価値を主張していると答えましょうか。君が主張しているのはそういうことです。
>だけど絵画の深さが無いとしても何も矛盾しないわけで。
矛盾しますよ。感銘を受ける人があれほどいるのはなぜ?
>もちろん直接には分かってなくて、本や人の言ったことやなんやかんやを総合的に判断して俺はアインシュタインは天才だと判断してるだけやで?
それを「権威主義」と呼ぶのでは?
>でもそんなこと言い出したら直接の知識なんて無いだろ。
じゃあ、アインシュタインの論文を読んだ人は「直接の知識」がないの?
>芸術において振り子の知に相当するものはなんなのだ?
絵を観るなり音楽を聴くなりして直接的に感じることが可能。そういう意味では科学よりもっと自分に近い理解がされている。
言っておくが、科学を理解しない人がいるのと同じように、芸術を理解しない人がいたって良いんだよ。
ただ、芸術を理解する人が「いる」ということは知っておいてほしいということだ。
追記:
>ではこの行為が良いか悪いかを決めるのは結局多数派(あるいは力が上のもの)の利益にすぎない。
>このことは最低分かってるのか?
分かりませんね。というよりそれは君の持論であって証明されたことではありませんね。だから「分かる」必要ありませんね。
>工学君
>同じことについて価値観(ここでは宗教)が食い違えばもちろんお互いの利益が衝突するわけで。
反例:日本では仏教の少なくとも14宗派と神道とキリスト教が平和裡に共存しています。
>「戦争は自分の不利益になる」と両者が判断したら和解というやり手方もあるが、思想的に食い違ってるのに変わりは無いわな。
弁証法ということを知らないのですか?
下らない例を挙げましょう。たとえば、夕食に何を食べたいか迷って、「カレーが食いたい」(These)「トンカツが食いたい」(Antithese)、でも両方は食べられないというとき、どちらか一方を諦めるしかないということはありませんね。カツカレーを食べるという解決策(Synthese)があるわけです。こういう風に、新たな視野を得ることによって矛盾を解消するという方法があるのですよ。
>(俺が実世界で面と向かってクラシックを馬鹿にしないように)
この掲示板は「実社会」の一部であることを忘れてはなりません。
>大半の大リーガーはガムをかむとか常識的な範囲で落ち着くための何かを取り入れても、誰も修行とか精神を鍛えるとかしょうもないことを言わないだろ。
では、mental training という英語が学術用語として存在するのはなぜ。
>じゃぁこの小学生に向かって講義してよ。「教え」なくていいから。
では、私と君以外の人との間の議論を読んでごらんなさい。
>正直言って、俺にはその2つがどんな説か分からん。
>いちいちあなたの例がペダンティックだってさっき言ったことが分かってないのか・・
わからないも何も、一番有名でわかりやすい例を挙げただけです。難しい例を出したければ他にいくらでもあります。
>あんまりこういうのに解説を加えるのは野暮というものなんだが、要するにこいつの「自分の考えに同調しない人をアホ呼ばわりするなこのアホ!」って言う発言がそっちの誤りの象徴的なもので笑えたんだよ。もっと言えば、お前も自分の考えに同調しないヤツをアホ呼ばわりしてるやんってこと。
違いますね。「自分の考えに同調を強要する奴」「指摘されても無知を認めない奴」をアホといっただけです。
>そこら辺のちょっと上手な芸大生にでも油絵を描かせて、(中略)じゃぁ結局ゴッホの表現が果たしてそれほど客観的に意味のあるものかなんて極めて怪しいだろ。
たとえば囲碁や将棋のプロの棋譜と、アマ初段同士の棋譜を並べて、世間の人に「どちらがレベルの高い対局か」と訊いてみてごらんなさい。たぶん、殆どの人は区別がつかないでしょうね。
>[工学系院生はどこに客観性があるのか分かってるのに、俺には難しすぎて説明できないから書かないらしいが書いて欲しいよな?
何か誤解してますね。客観性は、「経験を積んだ鑑賞者の大多数が認める」ところにあります。
>アインシュタインの良さはいくらでも言語化(数式という言語)できようがゴッホの良さは言語化がされてないだろ。
それは間違い。アインシュタインの理論は物理法則を説明しているに過ぎない。文字や数式が「この理論は良い」ということを主張しているわけではありません。実際、「優れた科学理論」を客観的に判断する基準などありません。それは誤解しないように。「正しい理論」はいくらでもあるが、「優れた理論」は殆どありません。
あるいは、君が「理論全体」が、理論自体の価値を主張していると言うレトリックを使ったのであれば、ゴッホの絵は「絵自体」が絵の価値を主張していると答えましょうか。君が主張しているのはそういうことです。
>だけど絵画の深さが無いとしても何も矛盾しないわけで。
矛盾しますよ。感銘を受ける人があれほどいるのはなぜ?
>もちろん直接には分かってなくて、本や人の言ったことやなんやかんやを総合的に判断して俺はアインシュタインは天才だと判断してるだけやで?
それを「権威主義」と呼ぶのでは?
>でもそんなこと言い出したら直接の知識なんて無いだろ。
じゃあ、アインシュタインの論文を読んだ人は「直接の知識」がないの?
>芸術において振り子の知に相当するものはなんなのだ?
絵を観るなり音楽を聴くなりして直接的に感じることが可能。そういう意味では科学よりもっと自分に近い理解がされている。
言っておくが、科学を理解しない人がいるのと同じように、芸術を理解しない人がいたって良いんだよ。
ただ、芸術を理解する人が「いる」ということは知っておいてほしいということだ。
追記:
>ではこの行為が良いか悪いかを決めるのは結局多数派(あるいは力が上のもの)の利益にすぎない。
>このことは最低分かってるのか?
分かりませんね。というよりそれは君の持論であって証明されたことではありませんね。だから「分かる」必要ありませんね。
33. ここは
2004/07/03(土) 20:15:11
工学部生と工学部院生の議論の場ですか
34. 工学
2004/07/03(土) 21:05:42
いまだに弁証法なんてまやかしを信じてる時点で・・
あのな弁証法なんてそんな考え方は無いんだよ。
とんかつとカレーを迷ってカツカレーにするのはたんなる妥協だろ。
カツカレーはカレーそのものでもカツそのものでもないんだよ。
仏教を信じてる人とキリスト教を信じてる人が共存しているのは双方にとって「妥協」なわけで(争いは損)、自分が絶対に正しいと信じているもの(神)と違うものを相手が信じてるという状態が許されるわけが無いだろ。
許すのなら結局そいつはそもそもその宗教を信じているとはいえない。
>では、私と君以外の人との間の議論を読んでごらんなさい。
どの部分がゴッホの本質についての記述だったのか教えてくれ。
>では、mental training という英語が学術用語として存在するのはなぜ。
通常メンタルトレーニングは落ち着く方法を科学的にまとめたもので、(ガムをかむとか、深呼吸とか)精神世界とか修行とかそういうモンはイメージされないだろ。
まぁどこの国でも宗教馬鹿はいるだろうし、そいつらはやるかもしれないけど少なくともトッププロ選手がこぞって修行見たいな馬鹿な真似はしてない。
>わからないも何も、一番有名でわかりやすい例を挙げただけです
もういいよ。その態度は半ば俺との議論を放棄してるってことだが。
>違いますね。「自分の考えに同調を強要する奴」「指摘されても無知を認めない奴」をアホといっただけです。
は?だからそれをそっちもしてるのがなぜ分からんのだ。何回書けばいいんだこいつは・・
(ここの部分は無権代理人とかその他のやつは分かってるか?)
自分の考えを押し付けないというセリフ、そしてそのセルリフを吐くやつがどれだけ間違っているのか現代思想の一番初歩な部分だろ・・霞みたいに文系学部のそれも文学部のヤツでこれが分からんのはひどすぎ。
>たとえば囲碁や将棋のプロの棋譜と、アマ初段同士の棋譜を並べて、世間の人に「どちらがレベルの高い対局か」と訊いてみてごらんなさい。たぶん、殆どの人は区別がつかないでしょうね。
例として将棋を出してる時点で将棋は客観的な良さ(子の場合「強さ」)が存在するが、絵画ではそういうものは実は無いと認めてるわけやんそれ。
>矛盾しますよ。感銘を受ける人があれほどいるのはなぜ?
サンタクロースは居なくても子供は感銘を受けるのと一緒。
>じゃあ、アインシュタインの論文を読んだ人は「直接の知識」がないの?
ないね。自分でそれらの実験を全部組み立ててやって確かめたなら別だが。
もっと言えばその実験装置も信じられないし。
>絵を観るなり音楽を聴くなりして直接的に感じることが可能
なんでここでそういうあいまい語を使う。
何が「直感的に感じる」だ。
1+1=2くらい明確な芸術の知を提示してみろよ。
>ただ、芸術を理解する人が「いる」ということは知っておいてほしいということだ。
いや、居ないってのが俺の主張なんだが・・
>分かりませんね。というよりそれは君の持論であって証明されたことではありませんね。だから「分かる」必要ありませんね。
へぇじゃぁ小学生を殺して回るのは絶対悪だと本気で思ってるのか?
少なくとも犯人にとっては善までは分かってるのか?
つまり犯人がそれで快感を得られるまでは分かるな?
そこまで来たら結局倫理なんて無い。善悪を決めてるのは力関係にすぎないという理解まできてるだろうに。
(ちなみにこれは俺の持論なんかではなくあなたらの大好きな哲学では常識の認識だがな)
また一週間が始まるな・・しばらく空くのでゆっくりレスすれば良い。
あのな弁証法なんてそんな考え方は無いんだよ。
とんかつとカレーを迷ってカツカレーにするのはたんなる妥協だろ。
カツカレーはカレーそのものでもカツそのものでもないんだよ。
仏教を信じてる人とキリスト教を信じてる人が共存しているのは双方にとって「妥協」なわけで(争いは損)、自分が絶対に正しいと信じているもの(神)と違うものを相手が信じてるという状態が許されるわけが無いだろ。
許すのなら結局そいつはそもそもその宗教を信じているとはいえない。
>では、私と君以外の人との間の議論を読んでごらんなさい。
どの部分がゴッホの本質についての記述だったのか教えてくれ。
>では、mental training という英語が学術用語として存在するのはなぜ。
通常メンタルトレーニングは落ち着く方法を科学的にまとめたもので、(ガムをかむとか、深呼吸とか)精神世界とか修行とかそういうモンはイメージされないだろ。
まぁどこの国でも宗教馬鹿はいるだろうし、そいつらはやるかもしれないけど少なくともトッププロ選手がこぞって修行見たいな馬鹿な真似はしてない。
>わからないも何も、一番有名でわかりやすい例を挙げただけです
もういいよ。その態度は半ば俺との議論を放棄してるってことだが。
>違いますね。「自分の考えに同調を強要する奴」「指摘されても無知を認めない奴」をアホといっただけです。
は?だからそれをそっちもしてるのがなぜ分からんのだ。何回書けばいいんだこいつは・・
(ここの部分は無権代理人とかその他のやつは分かってるか?)
自分の考えを押し付けないというセリフ、そしてそのセルリフを吐くやつがどれだけ間違っているのか現代思想の一番初歩な部分だろ・・霞みたいに文系学部のそれも文学部のヤツでこれが分からんのはひどすぎ。
>たとえば囲碁や将棋のプロの棋譜と、アマ初段同士の棋譜を並べて、世間の人に「どちらがレベルの高い対局か」と訊いてみてごらんなさい。たぶん、殆どの人は区別がつかないでしょうね。
例として将棋を出してる時点で将棋は客観的な良さ(子の場合「強さ」)が存在するが、絵画ではそういうものは実は無いと認めてるわけやんそれ。
>矛盾しますよ。感銘を受ける人があれほどいるのはなぜ?
サンタクロースは居なくても子供は感銘を受けるのと一緒。
>じゃあ、アインシュタインの論文を読んだ人は「直接の知識」がないの?
ないね。自分でそれらの実験を全部組み立ててやって確かめたなら別だが。
もっと言えばその実験装置も信じられないし。
>絵を観るなり音楽を聴くなりして直接的に感じることが可能
なんでここでそういうあいまい語を使う。
何が「直感的に感じる」だ。
1+1=2くらい明確な芸術の知を提示してみろよ。
>ただ、芸術を理解する人が「いる」ということは知っておいてほしいということだ。
いや、居ないってのが俺の主張なんだが・・
>分かりませんね。というよりそれは君の持論であって証明されたことではありませんね。だから「分かる」必要ありませんね。
へぇじゃぁ小学生を殺して回るのは絶対悪だと本気で思ってるのか?
少なくとも犯人にとっては善までは分かってるのか?
つまり犯人がそれで快感を得られるまでは分かるな?
そこまで来たら結局倫理なんて無い。善悪を決めてるのは力関係にすぎないという理解まできてるだろうに。
(ちなみにこれは俺の持論なんかではなくあなたらの大好きな哲学では常識の認識だがな)
また一週間が始まるな・・しばらく空くのでゆっくりレスすれば良い。
35. うぼぁー
2004/07/03(土) 22:20:02
絵が線でしかないと思うんなら、モンドリアンとか見たら?
と煽ってみるわけだが。
>そこまで来たら結局倫理なんて無い。善悪を決めてるのは力関係にすぎないという理解まできてるだろうに。
>(ちなみにこれは俺の持論なんかではなくあなたらの大好きな哲学では常識の認識だがな)
ところでこれは誰の理論?
と煽ってみるわけだが。
>そこまで来たら結局倫理なんて無い。善悪を決めてるのは力関係にすぎないという理解まできてるだろうに。
>(ちなみにこれは俺の持論なんかではなくあなたらの大好きな哲学では常識の認識だがな)
ところでこれは誰の理論?
36. あん?
2004/07/03(土) 23:21:41
部首じゃねーのw
37. ほいほい
2004/07/04(日) 00:20:38
ボルツマンが気体分子運動論を提唱したとき、実証主義者だったマッハやオストワルトはこう批判した。
「科学の目的は測定量の相互関係を数学的に記述することであって、原子などという形而上学的観念で自然を説明することではない」
いまでもその批判はある意味成り立っているとも言える。原子仮説は熱、化学反応、ブラウン運動など膨大な事実を説明するが、個々の理論の方程式の中に「原子」という観念が含まれているわけではないのだから。ただ、普通の科学者は式を原子論的に解釈しているというだけである。
同様に、芸術作品の評価を、芸術作品の「善し悪し」とまったく無関係な言葉(たとえば「権威」やら「脳波」やら)で記述できるかもしれない。「だから芸術作品に善し悪しなどないのだ」という人は、原子仮説を信用するべきではないだろう。物質の背後にある原子や電子という「何か」を肉眼でみた人はいるのか?
「科学の目的は測定量の相互関係を数学的に記述することであって、原子などという形而上学的観念で自然を説明することではない」
いまでもその批判はある意味成り立っているとも言える。原子仮説は熱、化学反応、ブラウン運動など膨大な事実を説明するが、個々の理論の方程式の中に「原子」という観念が含まれているわけではないのだから。ただ、普通の科学者は式を原子論的に解釈しているというだけである。
同様に、芸術作品の評価を、芸術作品の「善し悪し」とまったく無関係な言葉(たとえば「権威」やら「脳波」やら)で記述できるかもしれない。「だから芸術作品に善し悪しなどないのだ」という人は、原子仮説を信用するべきではないだろう。物質の背後にある原子や電子という「何か」を肉眼でみた人はいるのか?
38. 工学系院生
2004/07/04(日) 00:25:31
本当に君は自分の言ってる言葉の意味が分かっているのか。
>工学君
>とんかつとカレーを迷ってカツカレーにするのはたんなる妥協だろ。
妥協であろうがあるまいが、満足できるならばいいじゃないの。
>自分が絶対に正しいと信じているもの(神)と違うものを相手が信じてるという状態が許されるわけが無いだろ。
>許すのなら結局そいつはそもそもその宗教を信じているとはいえない。
それは宗教に対する根本的な無理解ですね。「他人が不信心者であろうと、それをとがめる権利は人間にはない」のです。
>どの部分がゴッホの本質についての記述だったのか教えてくれ。
ああ、ゴッホの話だったか。だったらそれは言語化するのは無理だと何度も言っているとおり。
>通常メンタルトレーニングは落ち着く方法を科学的にまとめたもので、(ガムをかむとか、深呼吸とか)精神世界とか修行とかそういうモンはイメージされないだろ。
そんなものをイメージするとは一言も言っていない。人の話を捏造しないこと。
>まぁどこの国でも宗教馬鹿はいるだろうし、
要するに君は、都合の悪い例は全て「宗教馬鹿」とかいうレッテルで排除するだけなのですね。その論法を使えば何でも証明できます。そんなの議論じゃないよ。
>>わからないも何も、一番有名でわかりやすい例を挙げただけです
>もういいよ。その態度は半ば俺との議論を放棄してるってことだが。
それ以上易しい例を思いつかないのだからどうしようもない。無理なものは無理。言っておくが、君の専門になるべく近くてなるべく初等的な例を選んでいるつもりだ。
だいたい、京大工学部2回生に対して難しすぎる話だとは思えない。ブルーバックスを拾い読みするかネット検索するかでフォローできる程度の例しか出していないのだから。
>自分の考えを押し付けないというセリフ、そしてそのセルリフを吐くやつがどれだけ間違っているのか現代思想の一番初歩な部分だろ・・
君の言うことが正しいとは思えないが、少なくとも「文系学問に客観性はない」と主張する君にそのようなことを言う資格はありません。
>例として将棋を出してる時点で将棋は客観的な良さ(子の場合「強さ」)が存在するが、絵画ではそういうものは実は無いと認めてるわけやんそれ。
どういう読み方をすればそうなるのか。小学生以下だ。ひどすぎる。もう一度自分の書いたことを読み返してみると良い。
だいたい囲碁や将棋の話を出したのは、君が理解できそうな例を選んだだけなのだが。たとえば「ベクトル解析と微分形式の理論のどちらが一般的か」云々などと書けば、またペダンティックだとか議論する気がないだとか喚くだけではないのか。
多少なりとも話が難しいと衒学的だといい、わかりやすい話だと自分の主張を認めたのだと強弁する。私の話を聞く気があるのか。
>>矛盾しますよ。感銘を受ける人があれほどいるのはなぜ?
>サンタクロースは居なくても子供は感銘を受けるのと一緒。
それはこの場合具体的にはどういうことなのか?
>>じゃあ、アインシュタインの論文を読んだ人は「直接の知識」がないの?
>ないね。自分でそれらの実験を全部組み立ててやって確かめたなら別だが。
>もっと言えばその実験装置も信じられないし。
にもかかわらず科学は信じるわけだね。ではどうして芸術は信じない?
>>絵を観るなり音楽を聴くなりして直接的に感じることが可能
>なんでここでそういうあいまい語を使う。
>何が「直感的に感じる」だ。
>1+1=2くらい明確な芸術の知を提示してみろよ。
そんなのは簡単だよ。画集を買うなり、CDを買って来るなりでいくらでも可能だ。
それと言っておくが、「1+1=2」なんて全然明確じゃないよ。ひどい例を挙げるならば、泥の塊を片手に1つずつ用意してこれをくっつけるとまた1つになってしまう。それはまあ極端にしても、「数の概念」を精密に言語化するのは易しくないし(実際、厳密な定式化ができたのは19世紀以降である)、それを小学生に理解させることははっきり言って不可能。直感に頼っているだけ。
>>ただ、芸術を理解する人が「いる」ということは知っておいてほしいということだ。
>いや、居ないってのが俺の主張なんだが・・
だから、反例は私だと言っているのだ。
実際君は、私が芸術を理解していないことを証明できていない。
>へぇじゃぁ小学生を殺して回るのは絶対悪だと本気で思ってるのか?
当然です。
>少なくとも犯人にとっては善までは分かってるのか?
>つまり犯人がそれで快感を得られるまでは分かるな?
むちゃくちゃだ。善悪と快不快は全く別の問題です。
>(ちなみにこれは俺の持論なんかではなくあなたらの大好きな哲学では常識の認識だがな)
どこの哲学ですかそれは。そんなの全然常識じゃない。
>工学君
>とんかつとカレーを迷ってカツカレーにするのはたんなる妥協だろ。
妥協であろうがあるまいが、満足できるならばいいじゃないの。
>自分が絶対に正しいと信じているもの(神)と違うものを相手が信じてるという状態が許されるわけが無いだろ。
>許すのなら結局そいつはそもそもその宗教を信じているとはいえない。
それは宗教に対する根本的な無理解ですね。「他人が不信心者であろうと、それをとがめる権利は人間にはない」のです。
>どの部分がゴッホの本質についての記述だったのか教えてくれ。
ああ、ゴッホの話だったか。だったらそれは言語化するのは無理だと何度も言っているとおり。
>通常メンタルトレーニングは落ち着く方法を科学的にまとめたもので、(ガムをかむとか、深呼吸とか)精神世界とか修行とかそういうモンはイメージされないだろ。
そんなものをイメージするとは一言も言っていない。人の話を捏造しないこと。
>まぁどこの国でも宗教馬鹿はいるだろうし、
要するに君は、都合の悪い例は全て「宗教馬鹿」とかいうレッテルで排除するだけなのですね。その論法を使えば何でも証明できます。そんなの議論じゃないよ。
>>わからないも何も、一番有名でわかりやすい例を挙げただけです
>もういいよ。その態度は半ば俺との議論を放棄してるってことだが。
それ以上易しい例を思いつかないのだからどうしようもない。無理なものは無理。言っておくが、君の専門になるべく近くてなるべく初等的な例を選んでいるつもりだ。
だいたい、京大工学部2回生に対して難しすぎる話だとは思えない。ブルーバックスを拾い読みするかネット検索するかでフォローできる程度の例しか出していないのだから。
>自分の考えを押し付けないというセリフ、そしてそのセルリフを吐くやつがどれだけ間違っているのか現代思想の一番初歩な部分だろ・・
君の言うことが正しいとは思えないが、少なくとも「文系学問に客観性はない」と主張する君にそのようなことを言う資格はありません。
>例として将棋を出してる時点で将棋は客観的な良さ(子の場合「強さ」)が存在するが、絵画ではそういうものは実は無いと認めてるわけやんそれ。
どういう読み方をすればそうなるのか。小学生以下だ。ひどすぎる。もう一度自分の書いたことを読み返してみると良い。
だいたい囲碁や将棋の話を出したのは、君が理解できそうな例を選んだだけなのだが。たとえば「ベクトル解析と微分形式の理論のどちらが一般的か」云々などと書けば、またペダンティックだとか議論する気がないだとか喚くだけではないのか。
多少なりとも話が難しいと衒学的だといい、わかりやすい話だと自分の主張を認めたのだと強弁する。私の話を聞く気があるのか。
>>矛盾しますよ。感銘を受ける人があれほどいるのはなぜ?
>サンタクロースは居なくても子供は感銘を受けるのと一緒。
それはこの場合具体的にはどういうことなのか?
>>じゃあ、アインシュタインの論文を読んだ人は「直接の知識」がないの?
>ないね。自分でそれらの実験を全部組み立ててやって確かめたなら別だが。
>もっと言えばその実験装置も信じられないし。
にもかかわらず科学は信じるわけだね。ではどうして芸術は信じない?
>>絵を観るなり音楽を聴くなりして直接的に感じることが可能
>なんでここでそういうあいまい語を使う。
>何が「直感的に感じる」だ。
>1+1=2くらい明確な芸術の知を提示してみろよ。
そんなのは簡単だよ。画集を買うなり、CDを買って来るなりでいくらでも可能だ。
それと言っておくが、「1+1=2」なんて全然明確じゃないよ。ひどい例を挙げるならば、泥の塊を片手に1つずつ用意してこれをくっつけるとまた1つになってしまう。それはまあ極端にしても、「数の概念」を精密に言語化するのは易しくないし(実際、厳密な定式化ができたのは19世紀以降である)、それを小学生に理解させることははっきり言って不可能。直感に頼っているだけ。
>>ただ、芸術を理解する人が「いる」ということは知っておいてほしいということだ。
>いや、居ないってのが俺の主張なんだが・・
だから、反例は私だと言っているのだ。
実際君は、私が芸術を理解していないことを証明できていない。
>へぇじゃぁ小学生を殺して回るのは絶対悪だと本気で思ってるのか?
当然です。
>少なくとも犯人にとっては善までは分かってるのか?
>つまり犯人がそれで快感を得られるまでは分かるな?
むちゃくちゃだ。善悪と快不快は全く別の問題です。
>(ちなみにこれは俺の持論なんかではなくあなたらの大好きな哲学では常識の認識だがな)
どこの哲学ですかそれは。そんなの全然常識じゃない。
39. とあるコテハン
2004/07/04(日) 01:03:25
>工学系院生氏
>弁証法ということを知らないのですか?
これはどうかと思いますよ。いささか工学氏を青く見すぎといえるものだろう。
しかも例もあまりに不味い。
最初に議論に参加しないと宣言しておいた俺がこういう表現をするのもアレだが
要するに「まさに『選択』しかない思考法」に対して弁証法を持ち出すのはエサを与えるようなものだから。
でもまぁ実際にははっきりと結果が出てきたようですし、
釣り餌のようなものとして提示されたのでしたら氏には恐れ入るばかりですがね。
>工学氏
とりあえず氏が現代思想としていると想像されるある思想原理は書かれた部分から推定すると
せいぜい20世紀前半のものに思われるが。まぁ残滓はある意味で根深くいままでも存在し続けるとはいえるか。
そうでなければどこかいくつかの哲学の都合のいいところだけを集めてきたものであるように見える。
もちろんその思考形式には十分な利用価値が認められるのかもしれないがな。
俺は諸氏のように人ができていないので、愚にもつかない曲解を平気でしているような意見には
多少強引でも自説を押し付けようと強要するが?
その代わり無視したけりゃ好きにすればいいと言うだけだ。
ある行為がなされる原因と、その行為が悪と呼ばれる原因は別物である。
例えば、腹が減ったとパンを盗んだ者がいるとする。
この行為が悪と呼ばれる原因は、正義なり倫理なりの存在によるものであるとしてよかろう。
しかし、この行為の原因自体は空腹であって正義でも悪でもない。
パンを食すことによって空腹を満たそうとしたことも同様。
そしてやはりパンを得るために盗むという行為をもってすることは実現しない限り正義でも悪でもない。
もっともそういう考え自体を「悪」とみなす考え方もあるようだが、実際のところ他人からは
パンを盗んだ者が「空腹」という原因によって何を考え行動に至ったかは想像することしかできない。
だから「正義」が要請される。行為を裁断するそれだけのためにな。
>善悪を決めてるのは力関係にすぎない
この可能性は十分にある。社会を眺めるかぎりかなり尤もらしい現実となる場合もありそうにみえる。
だがだからこそ「善悪」なり「正義」は常にその実を問われなければならないし、
この実践のために倫理や道徳といった概念を方法論として用いるということになるのではないか?
せっかくなので氏の大嫌いな「深そう」にも読める言葉を贈ろう。悪口だ。
「善悪に疑念を感じるようになった者のうち、
賢い人間は自分の価値観を持つようになり、
頭の悪い人間は虚無主義なるものを標榜するようになる。
そして、賢いこと/愚かなことの基準が自分にない者は、自身の言動の矛盾にも気付かない」
…自戒でもあるがな。
>弁証法ということを知らないのですか?
これはどうかと思いますよ。いささか工学氏を青く見すぎといえるものだろう。
しかも例もあまりに不味い。
最初に議論に参加しないと宣言しておいた俺がこういう表現をするのもアレだが
要するに「まさに『選択』しかない思考法」に対して弁証法を持ち出すのはエサを与えるようなものだから。
でもまぁ実際にははっきりと結果が出てきたようですし、
釣り餌のようなものとして提示されたのでしたら氏には恐れ入るばかりですがね。
>工学氏
とりあえず氏が現代思想としていると想像されるある思想原理は書かれた部分から推定すると
せいぜい20世紀前半のものに思われるが。まぁ残滓はある意味で根深くいままでも存在し続けるとはいえるか。
そうでなければどこかいくつかの哲学の都合のいいところだけを集めてきたものであるように見える。
もちろんその思考形式には十分な利用価値が認められるのかもしれないがな。
俺は諸氏のように人ができていないので、愚にもつかない曲解を平気でしているような意見には
多少強引でも自説を押し付けようと強要するが?
その代わり無視したけりゃ好きにすればいいと言うだけだ。
ある行為がなされる原因と、その行為が悪と呼ばれる原因は別物である。
例えば、腹が減ったとパンを盗んだ者がいるとする。
この行為が悪と呼ばれる原因は、正義なり倫理なりの存在によるものであるとしてよかろう。
しかし、この行為の原因自体は空腹であって正義でも悪でもない。
パンを食すことによって空腹を満たそうとしたことも同様。
そしてやはりパンを得るために盗むという行為をもってすることは実現しない限り正義でも悪でもない。
もっともそういう考え自体を「悪」とみなす考え方もあるようだが、実際のところ他人からは
パンを盗んだ者が「空腹」という原因によって何を考え行動に至ったかは想像することしかできない。
だから「正義」が要請される。行為を裁断するそれだけのためにな。
>善悪を決めてるのは力関係にすぎない
この可能性は十分にある。社会を眺めるかぎりかなり尤もらしい現実となる場合もありそうにみえる。
だがだからこそ「善悪」なり「正義」は常にその実を問われなければならないし、
この実践のために倫理や道徳といった概念を方法論として用いるということになるのではないか?
せっかくなので氏の大嫌いな「深そう」にも読める言葉を贈ろう。悪口だ。
「善悪に疑念を感じるようになった者のうち、
賢い人間は自分の価値観を持つようになり、
頭の悪い人間は虚無主義なるものを標榜するようになる。
そして、賢いこと/愚かなことの基準が自分にない者は、自身の言動の矛盾にも気付かない」
…自戒でもあるがな。
40. 無権代理人
2004/07/06(火) 01:21:42
>霞さん
人間(社会)の多様化が、人間社会の生存や繁栄にとって必ずしもプラスにはならない可能性がある、との指摘ですが、これはどのように考えればよいのでしょうね。
確かに、歴史上は民族や宗教の多様性は対立を生み、社会を不安定にしたり人間を滅ぼしかねない核を生み出したりしました。強いものが勝つ、というのが自然界のルールですが、放っておけば弱肉強食の世界になるのは人間社会でも同じことだと思います。
それを平和になるようさまざまな機関や集団安全保障といった取り決め(このような成果は文系人間によって生み出されたといっていいでしょう)により、利害調整をしています。また、文字の発明も、社会統治に役立つというだけではなく、過ちを繰り返さないように後世に伝えるという役割も担っています。
あまり適切な例を思いつきませんがとにかく、多様化したとしても、平和でさえあればそれは「進歩している」といってもよいのではないかと思います。仮に紛争の「種」を多く生じさせる要因であるとしても、です。
そのように考えれば、
>学問は多様性に対して客観的合理的(と「主観的」に考えた)解釈をつけ、人の思想を変えていくものです。だから、どのような学問も多様性の一部を構成するものという立場を持っており、結果として学問の持つそのような性格が、多様性の拡大による擬似的普遍性の構築を支えているのではないか
といわれるように、学問の持つ過去からの「学習」と、そのことを前提にした「創造」の両面があいまって、多様性と平和を両立させ、さらに新たな価値を生み出す「普遍的な人間社会」への追求にとって、学問は大きな役割を果たすのでしょう。と、同じ結論になりました(笑)。
その先にいかなる論点がありうるのでしょうか。僕の関心は、「主観と客観、多様性と普遍性」というところにありますが、これだと抽象的すぎるので、まずは「サイエンスとはなにか」、そして自然や人間、社会を「科学する」とはどういうことなのか、というところでしょうか。霞さん以外は関心なさそう・・・(笑)まあすれ違いではないと思いますが、これでも抽象的すぎるかもしれませんね。
>院生さん、工学
議論の話し、少し誤解していました。工学に議論のやり方を変えろというのは、悪魔に「改心せよ」と迫るのと同じくらい難しそうです(笑)。
ところで、誰かも書いていたような気がしますが、「何か」の存否は言語化できないということは両者一致しているわけです。ということは、言語をもって、つまり議論によってお互い相手を論破できないという基本的な矛盾があるような気がします。
ただ、それは厳密な意味ではそうなだけで、「近似的に」相手に納得させることは可能かもしれません。その意味では、両者の議論には興味があります。僕は基本的には工学に近いのかもしれませんが、「最初の認識者の存在」を認めるかどうかでは異なるのかもしれません。
人間(社会)の多様化が、人間社会の生存や繁栄にとって必ずしもプラスにはならない可能性がある、との指摘ですが、これはどのように考えればよいのでしょうね。
確かに、歴史上は民族や宗教の多様性は対立を生み、社会を不安定にしたり人間を滅ぼしかねない核を生み出したりしました。強いものが勝つ、というのが自然界のルールですが、放っておけば弱肉強食の世界になるのは人間社会でも同じことだと思います。
それを平和になるようさまざまな機関や集団安全保障といった取り決め(このような成果は文系人間によって生み出されたといっていいでしょう)により、利害調整をしています。また、文字の発明も、社会統治に役立つというだけではなく、過ちを繰り返さないように後世に伝えるという役割も担っています。
あまり適切な例を思いつきませんがとにかく、多様化したとしても、平和でさえあればそれは「進歩している」といってもよいのではないかと思います。仮に紛争の「種」を多く生じさせる要因であるとしても、です。
そのように考えれば、
>学問は多様性に対して客観的合理的(と「主観的」に考えた)解釈をつけ、人の思想を変えていくものです。だから、どのような学問も多様性の一部を構成するものという立場を持っており、結果として学問の持つそのような性格が、多様性の拡大による擬似的普遍性の構築を支えているのではないか
といわれるように、学問の持つ過去からの「学習」と、そのことを前提にした「創造」の両面があいまって、多様性と平和を両立させ、さらに新たな価値を生み出す「普遍的な人間社会」への追求にとって、学問は大きな役割を果たすのでしょう。と、同じ結論になりました(笑)。
その先にいかなる論点がありうるのでしょうか。僕の関心は、「主観と客観、多様性と普遍性」というところにありますが、これだと抽象的すぎるので、まずは「サイエンスとはなにか」、そして自然や人間、社会を「科学する」とはどういうことなのか、というところでしょうか。霞さん以外は関心なさそう・・・(笑)まあすれ違いではないと思いますが、これでも抽象的すぎるかもしれませんね。
>院生さん、工学
議論の話し、少し誤解していました。工学に議論のやり方を変えろというのは、悪魔に「改心せよ」と迫るのと同じくらい難しそうです(笑)。
ところで、誰かも書いていたような気がしますが、「何か」の存否は言語化できないということは両者一致しているわけです。ということは、言語をもって、つまり議論によってお互い相手を論破できないという基本的な矛盾があるような気がします。
ただ、それは厳密な意味ではそうなだけで、「近似的に」相手に納得させることは可能かもしれません。その意味では、両者の議論には興味があります。僕は基本的には工学に近いのかもしれませんが、「最初の認識者の存在」を認めるかどうかでは異なるのかもしれません。
41. 工学系院生
2004/07/06(火) 12:58:55
>とあるコテハンさん
返信どうもです。私はあなたのように西洋思想に詳しくない(し、好きでもない)ですので、正直あなたの投稿はかなり難しくて頭をひねることも多いのですが、やや変わった視点からの意見にいつも勉強させて頂いております。
>>弁証法ということを知らないのですか?
>これはどうかと思いますよ。いささか工学氏を青く見すぎといえるものだろう。
そうでしょうか。理解していてあの程度のお粗末な論理しか扱えないのであればむしろそちらの方が問題ではないでしょうか。
実際のところ、彼は素朴な形式論理で全てが説明できると思っている(数理的言語に対する過剰な信仰からそれが窺えます)節が多大にありますから。
特に、排中律が常に成り立つと信じていそうなところに致命的な欠陥があると思われます。
>しかも例もあまりに不味い。
>最初に議論に参加しないと宣言しておいた俺がこういう表現をするのもアレだが
>要するに「まさに『選択』しかない思考法」に対して弁証法を持ち出すのはエサを与えるようなものだから。
あなたの言われる意味(キルケゴールを意識しているのですか?)と同じかどうかはわかりませんが、確かに難点がある例だとは思います。ただ、彼はあの程度素朴な例でないと理解しない危険があると思いましたし、実際彼の「白か黒かしかない」という命題に反例を挙げれば十分だと思いましたので。
まあ、ある意味で挑発的な言辞であることは否定しません。
>パンを得るために盗むという行為をもってすることは実現しない限り正義でも悪でもない。
あなた自身触れていらっしゃいますが、それは一つの立場でしかない気がします。
何らかの宗教の信者であれば、善悪の基準は「他人」ではなくて超越的な第三者にあると捉えるでしょうし。
問題は無宗教の立場を取る場合(附言すれば、私は「無宗教」も一つの宗教的立場であると考えますので、これを「中立的」と見做すことには反対です)ですが、これも突き詰めれば、「善悪を決めてるのは力関係にすぎない」という考え方は実際問題として生きることを極端に困難にするしかないと思います。だから結局は無宗教主義者も自分の行動を何らかの形で律する他はないわけで、それだからこそ
>「善悪」なり「正義」は常にその実を問われなければならないし、
>この実践のために倫理や道徳といった概念を方法論として用いるということになるのではないか?
ということなのではないか、と思うのですが。
>無権代理人さん
>学問の持つ過去からの「学習」と、そのことを前提にした「創造」の両面があいまって、多様性と平和を両立させ、さらに新たな価値を生み出す「普遍的な人間社会」への追求にとって、学問は大きな役割を果たすのでしょう。と、同じ結論になりました(笑)。
実は私はそれは反対です、と申し上げたら混乱のもとでしょうか。理想的にはあなたのおっしゃるような状態があり得ることは否定しませんが、その仮定で人類が破滅してしまっては元も子もないわけです。学問はそれ自体価値中立的なものですし、従って学者の意図とは反対に悪用される危険も多分にあります(極端な例が核兵器です)し、多様性の拡大を抛置しておくと、価値の対立が起こる危険が増すだけではないかとの懸念も捨て切れません。
そもそも「進歩」を無条件に肯定して良いのでしょうか?江戸幕府の政策は「逃避」などではなく、むしろ意図的に進歩を抑制していたのではないかと思えます(例えば田畑永代売買禁止令などは資本主義の勃興を押しとどめようとしたわけで)。無論それでも社会変化は避けられなかった訳ですが、ここに一つのヒントがあるのでは?
>まずは「サイエンスとはなにか」、そして自然や人間、社会を「科学する」とはどういうことなのか、というところでしょうか。霞さん以外は関心なさそう・・・(笑)
いや、誤解なさっているようですが、私はそういう議論には非常に興味がありますよ。
>ところで、誰かも書いていたような気がしますが、「何か」の存否は言語化できないということは両者一致しているわけです。ということは、言語をもって、つまり議論によってお互い相手を論破できないという基本的な矛盾があるような気がします。
そうではないと思います。「何か」があると仮定したらこうなる、ないと仮定したらこうなるという推論はできるわけですので、一方と矛盾する現象を指摘すれば良いわけです。
それと、おそらく誤解があると思うのですが、私は「あると思う人に取っては『何か』は、少なくとも近似的には存在する」という主張であり、工学君は「いかなる立場においても『何か』は存在しない」という主張ですから、この両者の立場は対称ではないのですね。つまり、「最初の認識者の存在」を認めれば私の主張は証明されたことになります。
返信どうもです。私はあなたのように西洋思想に詳しくない(し、好きでもない)ですので、正直あなたの投稿はかなり難しくて頭をひねることも多いのですが、やや変わった視点からの意見にいつも勉強させて頂いております。
>>弁証法ということを知らないのですか?
>これはどうかと思いますよ。いささか工学氏を青く見すぎといえるものだろう。
そうでしょうか。理解していてあの程度のお粗末な論理しか扱えないのであればむしろそちらの方が問題ではないでしょうか。
実際のところ、彼は素朴な形式論理で全てが説明できると思っている(数理的言語に対する過剰な信仰からそれが窺えます)節が多大にありますから。
特に、排中律が常に成り立つと信じていそうなところに致命的な欠陥があると思われます。
>しかも例もあまりに不味い。
>最初に議論に参加しないと宣言しておいた俺がこういう表現をするのもアレだが
>要するに「まさに『選択』しかない思考法」に対して弁証法を持ち出すのはエサを与えるようなものだから。
あなたの言われる意味(キルケゴールを意識しているのですか?)と同じかどうかはわかりませんが、確かに難点がある例だとは思います。ただ、彼はあの程度素朴な例でないと理解しない危険があると思いましたし、実際彼の「白か黒かしかない」という命題に反例を挙げれば十分だと思いましたので。
まあ、ある意味で挑発的な言辞であることは否定しません。
>パンを得るために盗むという行為をもってすることは実現しない限り正義でも悪でもない。
あなた自身触れていらっしゃいますが、それは一つの立場でしかない気がします。
何らかの宗教の信者であれば、善悪の基準は「他人」ではなくて超越的な第三者にあると捉えるでしょうし。
問題は無宗教の立場を取る場合(附言すれば、私は「無宗教」も一つの宗教的立場であると考えますので、これを「中立的」と見做すことには反対です)ですが、これも突き詰めれば、「善悪を決めてるのは力関係にすぎない」という考え方は実際問題として生きることを極端に困難にするしかないと思います。だから結局は無宗教主義者も自分の行動を何らかの形で律する他はないわけで、それだからこそ
>「善悪」なり「正義」は常にその実を問われなければならないし、
>この実践のために倫理や道徳といった概念を方法論として用いるということになるのではないか?
ということなのではないか、と思うのですが。
>無権代理人さん
>学問の持つ過去からの「学習」と、そのことを前提にした「創造」の両面があいまって、多様性と平和を両立させ、さらに新たな価値を生み出す「普遍的な人間社会」への追求にとって、学問は大きな役割を果たすのでしょう。と、同じ結論になりました(笑)。
実は私はそれは反対です、と申し上げたら混乱のもとでしょうか。理想的にはあなたのおっしゃるような状態があり得ることは否定しませんが、その仮定で人類が破滅してしまっては元も子もないわけです。学問はそれ自体価値中立的なものですし、従って学者の意図とは反対に悪用される危険も多分にあります(極端な例が核兵器です)し、多様性の拡大を抛置しておくと、価値の対立が起こる危険が増すだけではないかとの懸念も捨て切れません。
そもそも「進歩」を無条件に肯定して良いのでしょうか?江戸幕府の政策は「逃避」などではなく、むしろ意図的に進歩を抑制していたのではないかと思えます(例えば田畑永代売買禁止令などは資本主義の勃興を押しとどめようとしたわけで)。無論それでも社会変化は避けられなかった訳ですが、ここに一つのヒントがあるのでは?
>まずは「サイエンスとはなにか」、そして自然や人間、社会を「科学する」とはどういうことなのか、というところでしょうか。霞さん以外は関心なさそう・・・(笑)
いや、誤解なさっているようですが、私はそういう議論には非常に興味がありますよ。
>ところで、誰かも書いていたような気がしますが、「何か」の存否は言語化できないということは両者一致しているわけです。ということは、言語をもって、つまり議論によってお互い相手を論破できないという基本的な矛盾があるような気がします。
そうではないと思います。「何か」があると仮定したらこうなる、ないと仮定したらこうなるという推論はできるわけですので、一方と矛盾する現象を指摘すれば良いわけです。
それと、おそらく誤解があると思うのですが、私は「あると思う人に取っては『何か』は、少なくとも近似的には存在する」という主張であり、工学君は「いかなる立場においても『何か』は存在しない」という主張ですから、この両者の立場は対称ではないのですね。つまり、「最初の認識者の存在」を認めれば私の主張は証明されたことになります。
42. 霞
2004/07/08(木) 01:34:41
こんな時間ばっかりやー眠いです。書いたら寝ます。
→とあるコテハンさん
(江戸時代の平和に関して)
実証性ですか・・・・痛いところをつかれますね^^; 私は日本史専門ではないので、そのような社会学的なアプローチをしている文化論があるのかどうか、寡聞にして知りません。名の通った教授が論文を書いていたりはしないかもしれません。
そして実験による「再現性」という証明法を持たない人文科学においては、仰られるとおりきちんとした実証性は手に入れられません。ただそれは、ちゃんとした知識のある多くの人が考えてそういう結論に至るという、思考の擬似的な普遍性によって証明されると考えることは難しいでしようか?
あれは、現在私が持っている知識と、少なくとも私よりはたくさんの知識を持っている教授としゃべった経験と、そして私の判断力を元にして考えた結果です。ですが、ああいう考え方をしている人は結構多いんです。
さて、あなたは「生産の不安定さ」を挙げられていますが、それは江戸時代の特殊な身分制という方が適切かと思います。あの時代にはある程度身分が定められ、その枠を越えることは非常に難しいことでした。しかし、罪を犯すことで下層の身分に落とされる(死刑、磔、流刑などとともに、身分剥奪もありました)、あるいは功によってまた努力によって栄進する(よほど評判の立つような功を立てて「士」の身分に取り立てられることや、商売の道に入って大成功を収めることなど)などということも一部ではありました(本当にごく一部ですが)。固定されているとは言いながらも、少しは流動的だったのです。
それによって、統制はよりうまくいきました。社会の下層であった百姓などの農民層(もちろん、建前上は武士に次ぐ階級でしたが、実際のところはそんなわけありません)の下には、さらに最底辺といわれる階層の人々がいました。だから農民はさらに落とされることを恐れます。そして底辺層は、ときにはその身分を農民などに戻されることもあったようで、その流動性が階級内の団結性を多少なりとも損ない、不満をためて爆発させるという現象を起きにくくしていたのも事実だと思います。
身分の枠を感じて様々なことを諦めながらも日々を生き、それでも野望や理想を抱き、処罰を受けて身分制を下ることを恐れながら分を守ってひっそりと暮らす。江戸時代の庶民のそんな姿が目に浮かびませんか?(もうこれはただの妄想に近いもんですが;;)
生産の不安定さは、そこで社会的にどのような役割を果たしたのでしようか。ちょっと今は眠くて考えつきません。またの機会に。
→無権代理人さん
同じ結論ですか(笑)それはそれは。嬉しいことです^^
平和になることはもちろん進歩だと私も思いますが、昔と比べて平和かというと、それは一概には言えないのではないでしょうか。確かに、国家レベルで国民を扇動し、世界全体をあるいは地域全体を戦争に巻き込むといったレベルの「争乱」はなくなりました。
しかしそれと同時に、民衆は自分たちを縛る規範があまりにも少なくなり、行動と思考に自由度が増すに従って個々人の価値観に従って、好き勝手をやらかすようになり、社会を変容させました。日本において、子供が友達や親に対して包丁を振り回して殺傷する(しかも、それほど大変な理由があったわけでもないのですから)時代になるとは、誰も想像してなかったに違いありません。
平和とは、国民同士が戦いをするという、一般的な意味での戦争がなくなれば、それでおしまいでしょうか。それがより小規模な紛争に収斂すれば、相対的に「平和」になったと言えるでしょうか。
あまりにも多様な価値観を認めた結果、他人の考えるていることが理解できず、また理解しようともせず、自分の価値観を貫く。そんな人間が増えて、いきなり知り合いに殺されるような社会が、果たして平和でしょうか。もちろん極論なのは分かってますが、思想的な統一は、江戸時代の鎖国的なものに限っていうなら、私はそう捨てたものではないと思うのです。
もちろん、教育勅語などに代表されるような第二次大戦中の統制された思想はどうかと思いますがね。
すいません。なんか反抗的ですが(苦笑)、大筋では無権さんの仰るとおりだと思います。ただ、一部そればかりではないと主張したかったまでです。
さて、もう少しいろいろ書きたいですが、頭が限界です。それではまた。
→とあるコテハンさん
(江戸時代の平和に関して)
実証性ですか・・・・痛いところをつかれますね^^; 私は日本史専門ではないので、そのような社会学的なアプローチをしている文化論があるのかどうか、寡聞にして知りません。名の通った教授が論文を書いていたりはしないかもしれません。
そして実験による「再現性」という証明法を持たない人文科学においては、仰られるとおりきちんとした実証性は手に入れられません。ただそれは、ちゃんとした知識のある多くの人が考えてそういう結論に至るという、思考の擬似的な普遍性によって証明されると考えることは難しいでしようか?
あれは、現在私が持っている知識と、少なくとも私よりはたくさんの知識を持っている教授としゃべった経験と、そして私の判断力を元にして考えた結果です。ですが、ああいう考え方をしている人は結構多いんです。
さて、あなたは「生産の不安定さ」を挙げられていますが、それは江戸時代の特殊な身分制という方が適切かと思います。あの時代にはある程度身分が定められ、その枠を越えることは非常に難しいことでした。しかし、罪を犯すことで下層の身分に落とされる(死刑、磔、流刑などとともに、身分剥奪もありました)、あるいは功によってまた努力によって栄進する(よほど評判の立つような功を立てて「士」の身分に取り立てられることや、商売の道に入って大成功を収めることなど)などということも一部ではありました(本当にごく一部ですが)。固定されているとは言いながらも、少しは流動的だったのです。
それによって、統制はよりうまくいきました。社会の下層であった百姓などの農民層(もちろん、建前上は武士に次ぐ階級でしたが、実際のところはそんなわけありません)の下には、さらに最底辺といわれる階層の人々がいました。だから農民はさらに落とされることを恐れます。そして底辺層は、ときにはその身分を農民などに戻されることもあったようで、その流動性が階級内の団結性を多少なりとも損ない、不満をためて爆発させるという現象を起きにくくしていたのも事実だと思います。
身分の枠を感じて様々なことを諦めながらも日々を生き、それでも野望や理想を抱き、処罰を受けて身分制を下ることを恐れながら分を守ってひっそりと暮らす。江戸時代の庶民のそんな姿が目に浮かびませんか?(もうこれはただの妄想に近いもんですが;;)
生産の不安定さは、そこで社会的にどのような役割を果たしたのでしようか。ちょっと今は眠くて考えつきません。またの機会に。
→無権代理人さん
同じ結論ですか(笑)それはそれは。嬉しいことです^^
平和になることはもちろん進歩だと私も思いますが、昔と比べて平和かというと、それは一概には言えないのではないでしょうか。確かに、国家レベルで国民を扇動し、世界全体をあるいは地域全体を戦争に巻き込むといったレベルの「争乱」はなくなりました。
しかしそれと同時に、民衆は自分たちを縛る規範があまりにも少なくなり、行動と思考に自由度が増すに従って個々人の価値観に従って、好き勝手をやらかすようになり、社会を変容させました。日本において、子供が友達や親に対して包丁を振り回して殺傷する(しかも、それほど大変な理由があったわけでもないのですから)時代になるとは、誰も想像してなかったに違いありません。
平和とは、国民同士が戦いをするという、一般的な意味での戦争がなくなれば、それでおしまいでしょうか。それがより小規模な紛争に収斂すれば、相対的に「平和」になったと言えるでしょうか。
あまりにも多様な価値観を認めた結果、他人の考えるていることが理解できず、また理解しようともせず、自分の価値観を貫く。そんな人間が増えて、いきなり知り合いに殺されるような社会が、果たして平和でしょうか。もちろん極論なのは分かってますが、思想的な統一は、江戸時代の鎖国的なものに限っていうなら、私はそう捨てたものではないと思うのです。
もちろん、教育勅語などに代表されるような第二次大戦中の統制された思想はどうかと思いますがね。
すいません。なんか反抗的ですが(苦笑)、大筋では無権さんの仰るとおりだと思います。ただ、一部そればかりではないと主張したかったまでです。
さて、もう少しいろいろ書きたいですが、頭が限界です。それではまた。
43. うんこ
2004/07/08(木) 22:00:35
京都大学新聞に大西先生が面白い寄稿をしていた。
44. 坐禅について
2004/07/09(金) 23:56:05
工学は坐禅を否定しまくっていたが、
坐禅をするとセロトニンの分泌が増えるという
研究結果があるらしい。
精進料理もそれを促進してるとか。
セロトニンが増えると集中力が高まり、
鬱病も抑止できる。
つまり、坐禅がスポーツに有効なのはむしろ当たり前、
ない方がおかしいということだ。
「やらない人が」というのもこれでわかる。
元々セロトニンが十分に出ている人は
坐禅のような精神修養で脳を刺激する必要が
ないということだろうな。
坐禅をするとセロトニンの分泌が増えるという
研究結果があるらしい。
精進料理もそれを促進してるとか。
セロトニンが増えると集中力が高まり、
鬱病も抑止できる。
つまり、坐禅がスポーツに有効なのはむしろ当たり前、
ない方がおかしいということだ。
「やらない人が」というのもこれでわかる。
元々セロトニンが十分に出ている人は
坐禅のような精神修養で脳を刺激する必要が
ないということだろうな。
45. 無権代理人
2004/07/10(土) 04:07:12
>院生さん、霞さん、その他の方々
>学問はそれ自体価値中立的なものですし、従って学者の意図とは反対に悪用される危険も多分にあります(極端な例が核兵器です)し、多様性の拡大を抛置しておくと、価値の対立が起こる危険が増すだけではないかとの懸念
まず、学問が価値中立だということですが、昔はそうだったかもしれませんが、最近はそうではない傾向に変わってきているのではないでしょうか。
例えば、科研費や産学共同研究などによって事実上「何を研究するか」という選択は、経済発展や人々の需要に沿うようになされていることも多いですし、政治や軍事とももはや切り離して考えることができないと思います。アインシュタインの質量とエネルギーについての方程式は純粋な科学的好奇心によって発見されたわけですが、言われるように軍事利用されたわけです。
そういう意味では、学問は個々人の内心としては価値中立なものでありえても、帰属社会との関係では「結果」にまで配慮する必要性が高まっており、中立でいたくてもいられないのが現実問題だと思います。
現在の社会制度を前提に考えれば、いくら個別のケース(クローンや遺伝子治療、環境ホルモン物質の規制など)で規制したとしても、全体として自由な研究の流れを止めることはできないように思います。そして人間はいろんな欲望があるため、解釈によって先に進もうとするでしょう。
昔ホーキング博士の講演記録の本を読んだ事がありますが、「なぜ私たちに訪問者(地球外生命)がこれまでなかったのか?」という疑問に対する一つの可能性として、「知的生命が進化する一定の段階で、システムが不安定になり、自身を滅ぼす」というものがありました。
こういう可能性も十分ありうるのではないでしょうか。学問研究の自由と結果責任というのは難しいですね。
次に、多様性がいろんな価値観の対立を生み、その対立が学問の成果の悪用につながるという点ですが、これは霞さんの
>あまりにも多様な価値観を認めた結果、他人の考えるていることが理解できず、また理解しようともせず、自分の価値観を貫く。そんな人間が増えて、いきなり知り合いに殺されるような社会が、果たして平和でしょうか。
という指摘と一部共通していると思います。つまり、個人や社会の多様化があまりに進むと、相互不理解が拡大し、殺人や戦争につながる危険が増大する可能性があるということですね。
多様化が進んでも相互理解は可能だ、などという非現実的なことはいいません。多様化は必然的に相互不理解を生む方向に進むでしょう。工学がいうように、ある価値を選択するということは、本質的には他の価値を排除する側面があるように思います。
しかし、これまでは潜在的には対立する価値観があっても、人間はある程度合理的な選択をしますので、そのような合理的な選択をする人間像を前提に、平和な社会や世界を維持するためのシステムが研究され、構築され、一定の成果をあげてきたのだと思います。
>学問はそれ自体価値中立的なものですし、従って学者の意図とは反対に悪用される危険も多分にあります(極端な例が核兵器です)し、多様性の拡大を抛置しておくと、価値の対立が起こる危険が増すだけではないかとの懸念
まず、学問が価値中立だということですが、昔はそうだったかもしれませんが、最近はそうではない傾向に変わってきているのではないでしょうか。
例えば、科研費や産学共同研究などによって事実上「何を研究するか」という選択は、経済発展や人々の需要に沿うようになされていることも多いですし、政治や軍事とももはや切り離して考えることができないと思います。アインシュタインの質量とエネルギーについての方程式は純粋な科学的好奇心によって発見されたわけですが、言われるように軍事利用されたわけです。
そういう意味では、学問は個々人の内心としては価値中立なものでありえても、帰属社会との関係では「結果」にまで配慮する必要性が高まっており、中立でいたくてもいられないのが現実問題だと思います。
現在の社会制度を前提に考えれば、いくら個別のケース(クローンや遺伝子治療、環境ホルモン物質の規制など)で規制したとしても、全体として自由な研究の流れを止めることはできないように思います。そして人間はいろんな欲望があるため、解釈によって先に進もうとするでしょう。
昔ホーキング博士の講演記録の本を読んだ事がありますが、「なぜ私たちに訪問者(地球外生命)がこれまでなかったのか?」という疑問に対する一つの可能性として、「知的生命が進化する一定の段階で、システムが不安定になり、自身を滅ぼす」というものがありました。
こういう可能性も十分ありうるのではないでしょうか。学問研究の自由と結果責任というのは難しいですね。
次に、多様性がいろんな価値観の対立を生み、その対立が学問の成果の悪用につながるという点ですが、これは霞さんの
>あまりにも多様な価値観を認めた結果、他人の考えるていることが理解できず、また理解しようともせず、自分の価値観を貫く。そんな人間が増えて、いきなり知り合いに殺されるような社会が、果たして平和でしょうか。
という指摘と一部共通していると思います。つまり、個人や社会の多様化があまりに進むと、相互不理解が拡大し、殺人や戦争につながる危険が増大する可能性があるということですね。
多様化が進んでも相互理解は可能だ、などという非現実的なことはいいません。多様化は必然的に相互不理解を生む方向に進むでしょう。工学がいうように、ある価値を選択するということは、本質的には他の価値を排除する側面があるように思います。
しかし、これまでは潜在的には対立する価値観があっても、人間はある程度合理的な選択をしますので、そのような合理的な選択をする人間像を前提に、平和な社会や世界を維持するためのシステムが研究され、構築され、一定の成果をあげてきたのだと思います。
46. 無権代理人
2004/07/10(土) 04:12:58
ところが現代は、そのような前提の枠を超えた人間が多く存在し、ときには合理的でない殺人をしたり、学問の成果を悪用したテロなどをしていますし、その影響はより大きなものになっていくと思います。これが多様性の拡大への懸念なのはその通りだと思います。ただ、その対応手段としては、
・院生さん
>そもそも「進歩」を無条件に肯定して良いのでしょうか?江戸幕府の政策は「逃避」などではなく、むしろ意図的に進歩を抑制していたのではないかと思えます。無論それでも社会変化は避けられなかった訳ですが、ここに一つのヒントがあるのでは?
・霞さん
>極論なのは分かってますが、思想的な統一は、江戸時代の鎖国的なものに限っていうなら、私はそう捨てたものではないと思うのです
とありますが、現在の社会制度は基本的には競争原理(市場原理)によって構築されていますので、「停止」も一つの「進歩」だと思いますが、それは難しい選択だと言わざるを得ないのではないでしょうか。仮に日本で合意が得られたとしても、世界の国々を含めた方法とはなりにくいでしょう。思想的な統一にしても、かなり難しいと思います。
といいつつも、僕は何も対応手段が思いつかないわけですが(笑)。うまい方法はないものでしょうか。
最後に、
>私は「あると思う人に取っては『何か』は、少なくとも近似的には存在する」という主張であり、工学君は「いかなる立場においても『何か』は存在しない」という主張ですから、この両者の立場は対称ではないのですね。つまり、「最初の認識者の存在」を認めれば私の主張は証明されたことになります。
「何か」の存在自体については、僕は工学と基本的には同じ立場だと思います。つまり、「何か」は人間の科学的解明によっていずれ説明ができうるもので、「いかなる立場でも存在しない」と考えています。
ただ、「存在があると認識している人間がいるという事実」は、反証できないので、「そういう人がいる」と認めて受け入れざるをえないのです。「最初の」とつけるのは、「この絵に普遍的な価値がある」と思う初めの人は、論理的には権威主義による影響とはいえないためです。この点は、工学とは異なるのかもしれません。
・院生さん
>そもそも「進歩」を無条件に肯定して良いのでしょうか?江戸幕府の政策は「逃避」などではなく、むしろ意図的に進歩を抑制していたのではないかと思えます。無論それでも社会変化は避けられなかった訳ですが、ここに一つのヒントがあるのでは?
・霞さん
>極論なのは分かってますが、思想的な統一は、江戸時代の鎖国的なものに限っていうなら、私はそう捨てたものではないと思うのです
とありますが、現在の社会制度は基本的には競争原理(市場原理)によって構築されていますので、「停止」も一つの「進歩」だと思いますが、それは難しい選択だと言わざるを得ないのではないでしょうか。仮に日本で合意が得られたとしても、世界の国々を含めた方法とはなりにくいでしょう。思想的な統一にしても、かなり難しいと思います。
といいつつも、僕は何も対応手段が思いつかないわけですが(笑)。うまい方法はないものでしょうか。
最後に、
>私は「あると思う人に取っては『何か』は、少なくとも近似的には存在する」という主張であり、工学君は「いかなる立場においても『何か』は存在しない」という主張ですから、この両者の立場は対称ではないのですね。つまり、「最初の認識者の存在」を認めれば私の主張は証明されたことになります。
「何か」の存在自体については、僕は工学と基本的には同じ立場だと思います。つまり、「何か」は人間の科学的解明によっていずれ説明ができうるもので、「いかなる立場でも存在しない」と考えています。
ただ、「存在があると認識している人間がいるという事実」は、反証できないので、「そういう人がいる」と認めて受け入れざるをえないのです。「最初の」とつけるのは、「この絵に普遍的な価値がある」と思う初めの人は、論理的には権威主義による影響とはいえないためです。この点は、工学とは異なるのかもしれません。
47. 工学系院生
2004/07/10(土) 21:29:00
休みなのに工学君は出てこないのでしょうか。
>無権代理人さん
>まず、学問が価値中立だということですが、昔はそうだったかもしれませんが、最近はそうではない傾向に変わってきているのではないでしょうか。
いえ、ここで言っているのはもっと形式的なことで、学問は飽くまで「〜である」体のものであり、「〜べき」という形の結論は出ないということです。
実際、「結果」への配慮という意味であれば、それこそガリレイやダーウィンの時代の方が重大だったかも知れません。
>「何か」の存在自体については、僕は工学と基本的には同じ立場だと思います。つまり、「何か」は人間の科学的解明によっていずれ説明ができうるもので、「いかなる立場でも存在しない」と考えています。
誤解されているようですが、私は「科学で解明できない何らかのもの」があると主張したつもりはありません。「現段階ではできない」「もしかするとできないかもしれない」とは言ったかもしれませんが。
むしろ、あなたのおっしゃる通りであれば、それはむしろ私の主張を強化するものだと考えます。
例えば、ちょうど良い例が上の「坐禅について」という方の投稿です。これによって、坐禅が精神の安定を図る良い方法であるという有力な根拠が得られたわけです。副作用が不可避な薬物などに頼ることなく、自らの潜在的な力を引き出すことで精神を強化できるというのは素晴らしいことではないでしょうか。ひいては、禅宗の修行が「単なる迷信」ではなく効果があることを客観的に示す根拠になるとも言えますよね。
他にも、精神医学が発達したら心理学が無効になる訳ではなく、むしろ心理学のアプローチの正当性が強化されることになるのだろうし、物理学の内部に限っても、統計力学は熱力学を否定するよりむしろ熱力学的な思考法の正当性を傍証すると言えるでしょう。
だからこれと同様、芸術における「何か」が科学で解明できたとすれば、それは工学君の主張を助けるのではない、むしろ逆です。「権威主義」を否定する有力な証拠が新たに増えるわけですから。
>ただ、「存在があると認識している人間がいるという事実」は、反証できないので、「そういう人がいる」と認めて受け入れざるをえないのです。
おっしゃる通り、それこそが公平な態度というものだと思うのですが、工学君にはわかって頂けないようです。
>無権代理人さん
>まず、学問が価値中立だということですが、昔はそうだったかもしれませんが、最近はそうではない傾向に変わってきているのではないでしょうか。
いえ、ここで言っているのはもっと形式的なことで、学問は飽くまで「〜である」体のものであり、「〜べき」という形の結論は出ないということです。
実際、「結果」への配慮という意味であれば、それこそガリレイやダーウィンの時代の方が重大だったかも知れません。
>「何か」の存在自体については、僕は工学と基本的には同じ立場だと思います。つまり、「何か」は人間の科学的解明によっていずれ説明ができうるもので、「いかなる立場でも存在しない」と考えています。
誤解されているようですが、私は「科学で解明できない何らかのもの」があると主張したつもりはありません。「現段階ではできない」「もしかするとできないかもしれない」とは言ったかもしれませんが。
むしろ、あなたのおっしゃる通りであれば、それはむしろ私の主張を強化するものだと考えます。
例えば、ちょうど良い例が上の「坐禅について」という方の投稿です。これによって、坐禅が精神の安定を図る良い方法であるという有力な根拠が得られたわけです。副作用が不可避な薬物などに頼ることなく、自らの潜在的な力を引き出すことで精神を強化できるというのは素晴らしいことではないでしょうか。ひいては、禅宗の修行が「単なる迷信」ではなく効果があることを客観的に示す根拠になるとも言えますよね。
他にも、精神医学が発達したら心理学が無効になる訳ではなく、むしろ心理学のアプローチの正当性が強化されることになるのだろうし、物理学の内部に限っても、統計力学は熱力学を否定するよりむしろ熱力学的な思考法の正当性を傍証すると言えるでしょう。
だからこれと同様、芸術における「何か」が科学で解明できたとすれば、それは工学君の主張を助けるのではない、むしろ逆です。「権威主義」を否定する有力な証拠が新たに増えるわけですから。
>ただ、「存在があると認識している人間がいるという事実」は、反証できないので、「そういう人がいる」と認めて受け入れざるをえないのです。
おっしゃる通り、それこそが公平な態度というものだと思うのですが、工学君にはわかって頂けないようです。
48. 工学
2004/07/10(土) 22:10:09
存在があると認識している人間が居るという事実は認めるけど、存在は認めないの意味がなぜ分からんのだ。
サンタクロースを信じてる人はいるし認めるがサンタは居ないし存在を認めないとまだ書かせるか?
京大生ですら座禅についてのあの投稿が有力な証拠とか本気で思ってしまう認識力だからこの国では大衆にアミノ酸やマイナスイオンが売れるんだろうな・・
何がセロトニンだよ。それじゃ座禅はガムをかむより何倍セロトニンが出るの?セロトニンがどれだけ出ればどれくらい打率に影響する?
なぜ自分に都合の良いエセ科学データを信じて満足する?
また、修行で落ち着くことで精神が安定する効果が得られるのはまぁ良いとしても、俺が否定するのは修行で精神的なすばらしい何か(たいてい悟りと呼ばれるもの)を得られるとするのが間違ってるということなんだが。
「神との対話」とか「無の境地」だとかな。下らん。
>妥協であろうがあるまいが、満足できるならばいいじゃないの。
よくない。弁証法が新たな理解を生むという認識が間違ってるという主張にその答えはないだろ。
>それはこの場合具体的にはどういうことなのか?
だから深さなんか無いのに勝手に感じたことにして勝手に感銘を受けてるだけってこと。
>倫理
小学生を殺して回ることで彼が最大の生きがいだとしたら彼にとっては善い事だろ。少なくとも俺らが彼に勝手に押し付ける道徳なんかよりは彼にとって善い可能性がずっと高い。そして彼と俺らでどっちが本当に善いかなんかない。この国では今のところ数の力で彼を押さえつけてるだけ。
サンタクロースを信じてる人はいるし認めるがサンタは居ないし存在を認めないとまだ書かせるか?
京大生ですら座禅についてのあの投稿が有力な証拠とか本気で思ってしまう認識力だからこの国では大衆にアミノ酸やマイナスイオンが売れるんだろうな・・
何がセロトニンだよ。それじゃ座禅はガムをかむより何倍セロトニンが出るの?セロトニンがどれだけ出ればどれくらい打率に影響する?
なぜ自分に都合の良いエセ科学データを信じて満足する?
また、修行で落ち着くことで精神が安定する効果が得られるのはまぁ良いとしても、俺が否定するのは修行で精神的なすばらしい何か(たいてい悟りと呼ばれるもの)を得られるとするのが間違ってるということなんだが。
「神との対話」とか「無の境地」だとかな。下らん。
>妥協であろうがあるまいが、満足できるならばいいじゃないの。
よくない。弁証法が新たな理解を生むという認識が間違ってるという主張にその答えはないだろ。
>それはこの場合具体的にはどういうことなのか?
だから深さなんか無いのに勝手に感じたことにして勝手に感銘を受けてるだけってこと。
>倫理
小学生を殺して回ることで彼が最大の生きがいだとしたら彼にとっては善い事だろ。少なくとも俺らが彼に勝手に押し付ける道徳なんかよりは彼にとって善い可能性がずっと高い。そして彼と俺らでどっちが本当に善いかなんかない。この国では今のところ数の力で彼を押さえつけてるだけ。
49. 工学
2004/07/10(土) 22:26:10
やっぱり書こう・・
「深さがあると言ってる人を否定するな。深さが無いという主張は押し付けだ」ということの何がおかしいか?
反対意見を持つということがすでに押しつけということがどういうことか?
深さを感じるということを否定するなというのは俺を思いっきり否定してるんだよ。
俺は「君たちはありもしない深さをさもあるかのように言うが、芸術作品を経て作者の何かを感じるなんて馬鹿げてる。」と思ってるだけなのに、君はなんでそれを否定するの?
君の意見を押し付けるなよ。
・・ってことがいえるだろ?まだ分からないの?
他宗教を認める人は自分の宗教を信じていない。
自分の宗教を信じて時点で相手は間違ってるんだから否定するのが当然。
「深さがあると言ってる人を否定するな。深さが無いという主張は押し付けだ」ということの何がおかしいか?
反対意見を持つということがすでに押しつけということがどういうことか?
深さを感じるということを否定するなというのは俺を思いっきり否定してるんだよ。
俺は「君たちはありもしない深さをさもあるかのように言うが、芸術作品を経て作者の何かを感じるなんて馬鹿げてる。」と思ってるだけなのに、君はなんでそれを否定するの?
君の意見を押し付けるなよ。
・・ってことがいえるだろ?まだ分からないの?
他宗教を認める人は自分の宗教を信じていない。
自分の宗教を信じて時点で相手は間違ってるんだから否定するのが当然。
50. 工学系院生
2004/07/10(土) 23:47:45
>工学君
>存在があると認識している人間が居るという事実は認めるけど、存在は認めないの意味がなぜ分からんのだ。
>サンタクロースを信じてる人はいるし認めるがサンタは居ないし存在を認めないとまだ書かせるか?
それはおかしい。サンタクロースを見た人はいないのだけれど、芸術性の存在を認識している人はいるのだから。
>何がセロトニンだよ。それじゃ座禅はガムをかむより何倍セロトニンが出るの?セロトニンがどれだけ出ればどれくらい打率に影響する?
そんなこと知りますか。定量的な立証は不要。定性的な結果だけが欲しいのであって、別にガムを噛むことに効果があろうがあるまいが私の知ったことではない。君が「精神修養」自体を否定するから、効果が「ある」ことを言ってみただけ。
集中力が上がれば好影響が出ることは君自身認めたではないですか。それを蒸し返すのですか?
>なぜ自分に都合の良いエセ科学データを信じて満足する?
都合の悪いデータを「エセ」呼ばわりする方が余程似非科学だけどね。おかしいと思うなら反証してご覧。
ちなみに、検索したらこんなの出てきたけど。
http://www.geocities.jp/bukkyoucouncelling/fl-rinbutu2/fl-gendaikagaku/seirigaku-serotonin.htm
http://www.geocities.jp/bukkyoucouncelling/fl-jouhou/suisen/aritahideho.htm
>また、修行で落ち着くことで精神が安定する効果が得られるのはまぁ良いとしても、俺が否定するのは修行で精神的なすばらしい何か(たいてい悟りと呼ばれるもの)を得られるとするのが間違ってるということなんだが。
>「神との対話」とか「無の境地」だとかな。下らん。
それは「言葉」の問題。仏教徒だから仏教の言葉を使ったまでで、無宗教者なら別の言葉を使うかも知れないけど、いずれにしても坐禅に何らかの効果があることは間違いないのだから。文句を言うのなら、「悟り」とは何か調べてご覧よ。きちんと意味はあるんだから。
>>妥協であろうがあるまいが、満足できるならばいいじゃないの。
>よくない。弁証法が新たな理解を生むという認識が間違ってるという主張にその答えはないだろ。
君がそんな主張をしたようには読めないし、「新たな理解を生む」なんて主張をしたつもりはない。単に、君が「白か黒か」という思考しかできないから、第三の選択肢があると言ったまで。とあるコテハンさんへの返信に書いたとおり、排中律(「真でなければ偽」)が成り立つのは数学の世界だけだよ。
>小学生を殺して回ることで彼が最大の生きがいだとしたら彼にとっては善い事だろ。
あのねえ、「倫理」ってのは、「普遍的な善悪」のことなの。別に普遍性の根拠が「神が決めた」でも「社会規範」でもなんでもいいよ。とにかく「ある人にとっての善」なんてものは存在しないの。
>「深さがあると言ってる人を否定するな。深さが無いという主張は押し付けだ」ということの何がおかしいか?
「深さが無いという主張は押し付けだ」とは言ってないでしょう。
根拠もなく「深さがない」という主張を繰り返して他人に不快感を与え、反対する根拠を挙げられても撤回しないという態度が「押しつけ」だと言っているのです。
>深さを感じるということを否定するなというのは俺を思いっきり否定してるんだよ。
>俺は「君たちはありもしない深さをさもあるかのように言うが、芸術作品を経て作者の何かを感じるなんて馬鹿げてる。」と思ってるだけなのに、君はなんでそれを否定するの?
じゃあ例えば、君が「お前は人殺しだ」と言ったらそれに反論するのは「押しつけ」なわけ?「ありもしない」というのが間違いであり、その主張で私たちが迷惑してるから、君の意見は間違いだと言っているまで。そんな「言ったもん勝ち」みたいな理屈は通用しない。
>他宗教を認める人は自分の宗教を信じていない。
>自分の宗教を信じて時点で相手は間違ってるんだから否定するのが当然。
何度も言うけど、まともな宗教は「異教徒に改宗を迫ってはいけない」ってのが教義に含まれてるんだけど。それは君の宗教理解が間違ってるってことですね。
>存在があると認識している人間が居るという事実は認めるけど、存在は認めないの意味がなぜ分からんのだ。
>サンタクロースを信じてる人はいるし認めるがサンタは居ないし存在を認めないとまだ書かせるか?
それはおかしい。サンタクロースを見た人はいないのだけれど、芸術性の存在を認識している人はいるのだから。
>何がセロトニンだよ。それじゃ座禅はガムをかむより何倍セロトニンが出るの?セロトニンがどれだけ出ればどれくらい打率に影響する?
そんなこと知りますか。定量的な立証は不要。定性的な結果だけが欲しいのであって、別にガムを噛むことに効果があろうがあるまいが私の知ったことではない。君が「精神修養」自体を否定するから、効果が「ある」ことを言ってみただけ。
集中力が上がれば好影響が出ることは君自身認めたではないですか。それを蒸し返すのですか?
>なぜ自分に都合の良いエセ科学データを信じて満足する?
都合の悪いデータを「エセ」呼ばわりする方が余程似非科学だけどね。おかしいと思うなら反証してご覧。
ちなみに、検索したらこんなの出てきたけど。
http://www.geocities.jp/bukkyoucouncelling/fl-rinbutu2/fl-gendaikagaku/seirigaku-serotonin.htm
http://www.geocities.jp/bukkyoucouncelling/fl-jouhou/suisen/aritahideho.htm
>また、修行で落ち着くことで精神が安定する効果が得られるのはまぁ良いとしても、俺が否定するのは修行で精神的なすばらしい何か(たいてい悟りと呼ばれるもの)を得られるとするのが間違ってるということなんだが。
>「神との対話」とか「無の境地」だとかな。下らん。
それは「言葉」の問題。仏教徒だから仏教の言葉を使ったまでで、無宗教者なら別の言葉を使うかも知れないけど、いずれにしても坐禅に何らかの効果があることは間違いないのだから。文句を言うのなら、「悟り」とは何か調べてご覧よ。きちんと意味はあるんだから。
>>妥協であろうがあるまいが、満足できるならばいいじゃないの。
>よくない。弁証法が新たな理解を生むという認識が間違ってるという主張にその答えはないだろ。
君がそんな主張をしたようには読めないし、「新たな理解を生む」なんて主張をしたつもりはない。単に、君が「白か黒か」という思考しかできないから、第三の選択肢があると言ったまで。とあるコテハンさんへの返信に書いたとおり、排中律(「真でなければ偽」)が成り立つのは数学の世界だけだよ。
>小学生を殺して回ることで彼が最大の生きがいだとしたら彼にとっては善い事だろ。
あのねえ、「倫理」ってのは、「普遍的な善悪」のことなの。別に普遍性の根拠が「神が決めた」でも「社会規範」でもなんでもいいよ。とにかく「ある人にとっての善」なんてものは存在しないの。
>「深さがあると言ってる人を否定するな。深さが無いという主張は押し付けだ」ということの何がおかしいか?
「深さが無いという主張は押し付けだ」とは言ってないでしょう。
根拠もなく「深さがない」という主張を繰り返して他人に不快感を与え、反対する根拠を挙げられても撤回しないという態度が「押しつけ」だと言っているのです。
>深さを感じるということを否定するなというのは俺を思いっきり否定してるんだよ。
>俺は「君たちはありもしない深さをさもあるかのように言うが、芸術作品を経て作者の何かを感じるなんて馬鹿げてる。」と思ってるだけなのに、君はなんでそれを否定するの?
じゃあ例えば、君が「お前は人殺しだ」と言ったらそれに反論するのは「押しつけ」なわけ?「ありもしない」というのが間違いであり、その主張で私たちが迷惑してるから、君の意見は間違いだと言っているまで。そんな「言ったもん勝ち」みたいな理屈は通用しない。
>他宗教を認める人は自分の宗教を信じていない。
>自分の宗教を信じて時点で相手は間違ってるんだから否定するのが当然。
何度も言うけど、まともな宗教は「異教徒に改宗を迫ってはいけない」ってのが教義に含まれてるんだけど。それは君の宗教理解が間違ってるってことですね。
51. 工学
2004/07/11(日) 00:58:15
>あのねえ、「倫理」ってのは、「普遍的な善悪」のことなの。別に普遍性の根拠が「神が決めた」でも「社会規範」でもなんでもいいよ。とにかく「ある人にとっての善」なんてものは存在しないの。
その人にとっての善悪ってのはどちらかといえばまだ分かる。それ以上に「普遍的な善悪」こそ存在しないだろ・・
>じゃあ例えば、君が「お前は人殺しだ」と言ったらそれに反論するのは「押しつけ」なわけ?
当然。俺は人殺しと主張してるのにそっちは違うというんだろ?もちろん押し付けだ。Aを信じてる人にアンチAを主張すればいつでも押し付けだ。
>「ありもしない」というのが間違いであり、その主張で私たちが迷惑してるから、君の意見は間違いだと言っているまで。
「ある」というのが間違いであり、その主張で俺が迷惑してるから、君の意見は間違いだと言っているまで。
>「深さが無いという主張は押し付けだ」とは言ってないでしょう。
根拠もなく「深さがない」という主張を繰り返して他人に不快感を与え、反対する根拠を挙げられても撤回しないという態度が「押しつけ」だと言っているのです。
根拠もなく「深さがある」という主張を繰り返して他人に不快感を与え、反対する根拠を挙げられても撤回しないという態度が「押しつけ」だと言っているのです。がそのままそっちにあてはまる。
・・てかこのこと本気でわからないのか?無権代理人はたぶん分かってるよな?あなただけだろここを理解して無いの。
>何度も言うけど、まともな宗教は「異教徒に改宗を迫ってはいけない」ってのが教義に含まれてるんだけど。
そんなことはどうでもいいんだって・・
それは不和を生まないための後付のもんだろ。
キリスト教でなく仏教を信じたその時点で形式的にキリスト教徒に改宗を迫ってるのとなんら変わり無い。
>それはおかしい。サンタクロースを見た人はいないのだけれど、芸術性の存在を認識している人はいるのだから。
サンタクロースを認識、つまり「見た」人はいくらでもいる。幽霊だともっと分かりやすいか。
>精神
定性的なんかどうでもいい。定量的が問題だろ。
精神の世界がどうとか修行で悟りを開いたとか大層なことを言って素振り練習の1万分の1の効果だったなら全く滑稽なもんだ。
ガムをかむより何か高級で人間らしいことをやってると思ってるのがおかしいんだよ。
>単に、君が「白か黒か」という思考しかできないから、第三の選択肢があると言ったまで
単に2択だったところに第3の選択肢が生まれたらそれはかなり大きな新しい理解だろ!!
そういうことがありえないことを、知りなさい。
その人にとっての善悪ってのはどちらかといえばまだ分かる。それ以上に「普遍的な善悪」こそ存在しないだろ・・
>じゃあ例えば、君が「お前は人殺しだ」と言ったらそれに反論するのは「押しつけ」なわけ?
当然。俺は人殺しと主張してるのにそっちは違うというんだろ?もちろん押し付けだ。Aを信じてる人にアンチAを主張すればいつでも押し付けだ。
>「ありもしない」というのが間違いであり、その主張で私たちが迷惑してるから、君の意見は間違いだと言っているまで。
「ある」というのが間違いであり、その主張で俺が迷惑してるから、君の意見は間違いだと言っているまで。
>「深さが無いという主張は押し付けだ」とは言ってないでしょう。
根拠もなく「深さがない」という主張を繰り返して他人に不快感を与え、反対する根拠を挙げられても撤回しないという態度が「押しつけ」だと言っているのです。
根拠もなく「深さがある」という主張を繰り返して他人に不快感を与え、反対する根拠を挙げられても撤回しないという態度が「押しつけ」だと言っているのです。がそのままそっちにあてはまる。
・・てかこのこと本気でわからないのか?無権代理人はたぶん分かってるよな?あなただけだろここを理解して無いの。
>何度も言うけど、まともな宗教は「異教徒に改宗を迫ってはいけない」ってのが教義に含まれてるんだけど。
そんなことはどうでもいいんだって・・
それは不和を生まないための後付のもんだろ。
キリスト教でなく仏教を信じたその時点で形式的にキリスト教徒に改宗を迫ってるのとなんら変わり無い。
>それはおかしい。サンタクロースを見た人はいないのだけれど、芸術性の存在を認識している人はいるのだから。
サンタクロースを認識、つまり「見た」人はいくらでもいる。幽霊だともっと分かりやすいか。
>精神
定性的なんかどうでもいい。定量的が問題だろ。
精神の世界がどうとか修行で悟りを開いたとか大層なことを言って素振り練習の1万分の1の効果だったなら全く滑稽なもんだ。
ガムをかむより何か高級で人間らしいことをやってると思ってるのがおかしいんだよ。
>単に、君が「白か黒か」という思考しかできないから、第三の選択肢があると言ったまで
単に2択だったところに第3の選択肢が生まれたらそれはかなり大きな新しい理解だろ!!
そういうことがありえないことを、知りなさい。
52. 工学系院生
2004/07/11(日) 01:26:54
>その人にとっての善悪ってのはどちらかといえばまだ分かる。それ以上に「普遍的な善悪」こそ存在しないだろ・・
なぜ?
>>じゃあ例えば、君が「お前は人殺しだ」と言ったらそれに反論するのは「押しつけ」なわけ?
>当然。俺は人殺しと主張してるのにそっちは違うというんだろ?もちろん押し付けだ。Aを信じてる人にアンチAを主張すればいつでも押し付けだ。
じゃあ良いよ。君のいう「押しつけ」という言葉は普通の人が使うより遙かに拡大した意味で使っているのだろうから。
しかし、私が言っている「押しつけ」というのはそういうことではなく、論理的な議論の積み重ねの手続きを無視して、その論証に耳を傾けないということです。君がやっているのがまさにそれです。
>>「ありもしない」というのが間違いであり、その主張で私たちが迷惑してるから、君の意見は間違いだと言っているまで。
>「ある」というのが間違いであり、その主張で俺が迷惑してるから、君の意見は間違いだと言っているまで。
それはおかしい。私は君の主張が間違いであることを既に示したのです。ところが君は「ないものはない」という駄々をこねるだけではないですか。
>>根拠もなく「深さがない」という主張を繰り返して他人に不快感を与え、反対する根拠を挙げられても撤回しないという態度が「押しつけ」だと言っているのです。
>根拠もなく「深さがある」という主張を繰り返して他人に不快感を与え、反対する根拠を挙げられても撤回しないという態度が「押しつけ」だと言っているのです。がそのままそっちにあてはまる。
根拠は何度も出している通り、私自身が根拠です。
それに、君は全く根拠を挙げていない。全て事実の誤りか論理の破綻であった。その点が全然違う。
>>何度も言うけど、まともな宗教は「異教徒に改宗を迫ってはいけない」ってのが教義に含まれてるんだけど。
>そんなことはどうでもいいんだって・・
>それは不和を生まないための後付のもんだろ。
違う。教典に書いてあります。
>>それはおかしい。サンタクロースを見た人はいないのだけれど、芸術性の存在を認識している人はいるのだから。
>サンタクロースを認識、つまり「見た」人はいくらでもいる。幽霊だともっと分かりやすいか。
仮にそうだとしても、その例を挙げただけでは何の有効性もないことはわかってる?
「小泉首相を見たことがある人はいくらでもいる。しかし小泉首相はいない」と言えばアホと思われるだけだよ。
>定性的なんかどうでもいい。定量的が問題だろ。
なぜ。
>精神の世界がどうとか修行で悟りを開いたとか大層なことを言って素振り練習の1万分の1の効果だったなら全く滑稽なもんだ。
滑稽だろうがなんだろうが、君は「一切の精神的なもの」が存在しないと言ったんだから、その点は崩れますよ。この場の議論はそれで十分です。
そもそもそういう単純な足し算で世の中はできていません。個人差や環境差が大きすぎて比較対照実験ができるようなものでもない。定量実験ができると思うのが無理だよ。
>ガムをかむより何か高級で人間らしいことをやってると思ってるのがおかしいんだよ。
なぜ。
まあ、別に高級とか人間らしいなんて言ったつもりはないけど、そんなことはどうでもいい。ともかく、君の言明は一々無根拠で、全然論理になってないんだよ。
>>単に、君が「白か黒か」という思考しかできないから、第三の選択肢があると言ったまで
>単に2択だったところに第3の選択肢が生まれたらそれはかなり大きな新しい理解だろ!!
意味不明。だいたい、理解とかそういうことを言ってるんじゃないの。
自分と他人の意見は同じか違うかで、違う意見の持ち主とは排斥し合うしかないという主張が、暗黙に排中律を現実世界に持ち込んだ粗雑な議論だと言っているんです。妥協が云々というが、妥協のどこが悪いのか説明して欲しい。
>そういうことがありえないことを、知りなさい。
だってあり得たやんか。さっきのカツカレーの例。つまり君の言ってることは間違ってるってことだ。
なぜ?
>>じゃあ例えば、君が「お前は人殺しだ」と言ったらそれに反論するのは「押しつけ」なわけ?
>当然。俺は人殺しと主張してるのにそっちは違うというんだろ?もちろん押し付けだ。Aを信じてる人にアンチAを主張すればいつでも押し付けだ。
じゃあ良いよ。君のいう「押しつけ」という言葉は普通の人が使うより遙かに拡大した意味で使っているのだろうから。
しかし、私が言っている「押しつけ」というのはそういうことではなく、論理的な議論の積み重ねの手続きを無視して、その論証に耳を傾けないということです。君がやっているのがまさにそれです。
>>「ありもしない」というのが間違いであり、その主張で私たちが迷惑してるから、君の意見は間違いだと言っているまで。
>「ある」というのが間違いであり、その主張で俺が迷惑してるから、君の意見は間違いだと言っているまで。
それはおかしい。私は君の主張が間違いであることを既に示したのです。ところが君は「ないものはない」という駄々をこねるだけではないですか。
>>根拠もなく「深さがない」という主張を繰り返して他人に不快感を与え、反対する根拠を挙げられても撤回しないという態度が「押しつけ」だと言っているのです。
>根拠もなく「深さがある」という主張を繰り返して他人に不快感を与え、反対する根拠を挙げられても撤回しないという態度が「押しつけ」だと言っているのです。がそのままそっちにあてはまる。
根拠は何度も出している通り、私自身が根拠です。
それに、君は全く根拠を挙げていない。全て事実の誤りか論理の破綻であった。その点が全然違う。
>>何度も言うけど、まともな宗教は「異教徒に改宗を迫ってはいけない」ってのが教義に含まれてるんだけど。
>そんなことはどうでもいいんだって・・
>それは不和を生まないための後付のもんだろ。
違う。教典に書いてあります。
>>それはおかしい。サンタクロースを見た人はいないのだけれど、芸術性の存在を認識している人はいるのだから。
>サンタクロースを認識、つまり「見た」人はいくらでもいる。幽霊だともっと分かりやすいか。
仮にそうだとしても、その例を挙げただけでは何の有効性もないことはわかってる?
「小泉首相を見たことがある人はいくらでもいる。しかし小泉首相はいない」と言えばアホと思われるだけだよ。
>定性的なんかどうでもいい。定量的が問題だろ。
なぜ。
>精神の世界がどうとか修行で悟りを開いたとか大層なことを言って素振り練習の1万分の1の効果だったなら全く滑稽なもんだ。
滑稽だろうがなんだろうが、君は「一切の精神的なもの」が存在しないと言ったんだから、その点は崩れますよ。この場の議論はそれで十分です。
そもそもそういう単純な足し算で世の中はできていません。個人差や環境差が大きすぎて比較対照実験ができるようなものでもない。定量実験ができると思うのが無理だよ。
>ガムをかむより何か高級で人間らしいことをやってると思ってるのがおかしいんだよ。
なぜ。
まあ、別に高級とか人間らしいなんて言ったつもりはないけど、そんなことはどうでもいい。ともかく、君の言明は一々無根拠で、全然論理になってないんだよ。
>>単に、君が「白か黒か」という思考しかできないから、第三の選択肢があると言ったまで
>単に2択だったところに第3の選択肢が生まれたらそれはかなり大きな新しい理解だろ!!
意味不明。だいたい、理解とかそういうことを言ってるんじゃないの。
自分と他人の意見は同じか違うかで、違う意見の持ち主とは排斥し合うしかないという主張が、暗黙に排中律を現実世界に持ち込んだ粗雑な議論だと言っているんです。妥協が云々というが、妥協のどこが悪いのか説明して欲しい。
>そういうことがありえないことを、知りなさい。
だってあり得たやんか。さっきのカツカレーの例。つまり君の言ってることは間違ってるってことだ。
53. 工学
2004/07/11(日) 02:04:53
>それはおかしい。私は君の主張が間違いであることを既に示したのです。ところが君は「ないものはない」という駄々をこねるだけではないですか。
はあ?あなたはあるものはあるというダダをこねてるだけだろ?
いい加減気づけよ・・
>根拠は何度も出している通り、私自身が根拠です。
だからあなた自身がどう思おうが感じようがあなたの勝手だけど、俺は俺で無いって思ったり感じてるんだって。なんであなたが感じたことが絶対の根拠になっておれのはならないのか不明だ。
>教典に書いてあります
・・・経典に書いてあるからそれがどうした。形式的に仏教を信じてキリスト教も認めるがおかしいことが問題なんだろ。
>この場の議論はそれで十分です。
じゃぁ座禅を組んで悟ったとか大げさなことをいってもガムをかむことの100分の一程度しか意味を成さないとしてそれでいいんだな?
モーツァルトの深さもモーニング娘のそれとせいぜいが同じ程度ってことで?ふかさが欠片でもあればそれで満足だな?
仮にそうだとしても、その例を挙げただけでは何の有効性もないことはわかってる?
>「小泉首相を見たことがある人はいくらでもいる。しかし小泉首相はいない」と言えばアホと思われるだけだよ。
それじゃ結局あなたの根拠は数の理論か。自分の意見に賛成する人が多いから自分が正しいと。
>ともかく、君の言明は一々無根拠で、全然論理になってないんだよ。
全く同じことを言いたい。
>妥協のどこが悪いのか説明して欲しい。
妥協があたかも白と黒を越えた理解だと思ってるから。
白か黒かが問題なのに白と黒で50パーセントの間の理解で満足するのがアホ。
仏教キリスト教どっちが正しいか。どっちも正しいはありえない。お互いにゆずりあうなら双方ともに自分が正しいと思ってない証拠だろ。
またスグ反論するだろうけど、さっきから同じことの繰り返しだし(あなたは俺が原因だと指摘するだろうがこれまたこっちも同じことを言いたいとあらかじめ言っておく)これ以上は分かり合える要素などないんじゃないのか・・
少なくとも大衆の「深さ主義」に反を唱える人が居るということだけでも残せたことに意味があるとでも思わないとやってられん・・
もし俺という人間性の欠片も無いアホが抜けて「まともな」議論を霞と院生とその他で続きをやったところで本に書いてあるような凡庸な結論しかえられないし、自分らの考えがそこら辺の本やテレビが言ってるありふれたことと全く一致することになんら疑問を覚えないんだろうな。
人間性が大事。文系学部が文化の、ひいて人間らしさの証明・・・凡庸な、あまりにも凡庸な・・・
ちょっと8/2まで俺はこないだろうから好きにやればいい。どんな素晴らしく、人間らしい議論ができるかしらんが。
はあ?あなたはあるものはあるというダダをこねてるだけだろ?
いい加減気づけよ・・
>根拠は何度も出している通り、私自身が根拠です。
だからあなた自身がどう思おうが感じようがあなたの勝手だけど、俺は俺で無いって思ったり感じてるんだって。なんであなたが感じたことが絶対の根拠になっておれのはならないのか不明だ。
>教典に書いてあります
・・・経典に書いてあるからそれがどうした。形式的に仏教を信じてキリスト教も認めるがおかしいことが問題なんだろ。
>この場の議論はそれで十分です。
じゃぁ座禅を組んで悟ったとか大げさなことをいってもガムをかむことの100分の一程度しか意味を成さないとしてそれでいいんだな?
モーツァルトの深さもモーニング娘のそれとせいぜいが同じ程度ってことで?ふかさが欠片でもあればそれで満足だな?
仮にそうだとしても、その例を挙げただけでは何の有効性もないことはわかってる?
>「小泉首相を見たことがある人はいくらでもいる。しかし小泉首相はいない」と言えばアホと思われるだけだよ。
それじゃ結局あなたの根拠は数の理論か。自分の意見に賛成する人が多いから自分が正しいと。
>ともかく、君の言明は一々無根拠で、全然論理になってないんだよ。
全く同じことを言いたい。
>妥協のどこが悪いのか説明して欲しい。
妥協があたかも白と黒を越えた理解だと思ってるから。
白か黒かが問題なのに白と黒で50パーセントの間の理解で満足するのがアホ。
仏教キリスト教どっちが正しいか。どっちも正しいはありえない。お互いにゆずりあうなら双方ともに自分が正しいと思ってない証拠だろ。
またスグ反論するだろうけど、さっきから同じことの繰り返しだし(あなたは俺が原因だと指摘するだろうがこれまたこっちも同じことを言いたいとあらかじめ言っておく)これ以上は分かり合える要素などないんじゃないのか・・
少なくとも大衆の「深さ主義」に反を唱える人が居るということだけでも残せたことに意味があるとでも思わないとやってられん・・
もし俺という人間性の欠片も無いアホが抜けて「まともな」議論を霞と院生とその他で続きをやったところで本に書いてあるような凡庸な結論しかえられないし、自分らの考えがそこら辺の本やテレビが言ってるありふれたことと全く一致することになんら疑問を覚えないんだろうな。
人間性が大事。文系学部が文化の、ひいて人間らしさの証明・・・凡庸な、あまりにも凡庸な・・・
ちょっと8/2まで俺はこないだろうから好きにやればいい。どんな素晴らしく、人間らしい議論ができるかしらんが。
54. どっちも頭が固いなw
2004/07/11(日) 04:05:30
さすが理系だw
一面ではどちらも間違ったこと言っているわけじゃないのに。
一面ではどちらも間違ったこと言っているわけじゃないのに。
55. 工学系院生
2004/07/11(日) 10:01:32
>工学君
こちらの主張をオウム返しすればこちらの立場を相対化できると思うのはやめた方がいいよ。
他のところで話題に挙がってるから出しておくけど、「日立さん」の主張。
http://livinginkobe.ddo.jp/HomepageData/html/dekigoto.html#2
この人がどれほど理屈をこねようが、この人が病気であることには疑いないでしょ?
余りにも無茶な主張を繰り返して、形式だけ対等だと強弁するのはやめた方が良い。
>>それはおかしい。私は君の主張が間違いであることを既に示したのです。ところが君は「ないものはない」という駄々をこねるだけではないですか。
>はあ?あなたはあるものはあるというダダをこねてるだけだろ?
>いい加減気づけよ・・
気付けよもなにも、私は根拠を挙げているのだから。「ないものはない」というのは君の論法を要約して見せただけだ。
>だからあなた自身がどう思おうが感じようがあなたの勝手だけど、俺は俺で無いって思ったり感じてるんだって。なんであなたが感じたことが絶対の根拠になっておれのはならないのか不明だ。
その主張ははじめて見たけれどね。「ないと感じる」ということは本来ナンセンスのような気がする(「あると感じていない」だけではないのか?)が、それはまあとりあえずよしとしよう。仮にそうだとしても、「あると感じる」人がいることには変わりがなく、だとすれば「ない」という君の主張が優先されることにはならない。
>・・・経典に書いてあるからそれがどうした。
素朴に答えれば、教典に書いてあることを受け容れられないのであれば信者じゃないということです。
>形式的に仏教を信じてキリスト教も認めるがおかしいことが問題なんだろ。
私はそれがおかしいと思っていないのだから、そんなことを書いても説得力ありません。
それが君の典型的な「おかしいからおかしい」という同語反復の誤りなんです。
>じゃぁ座禅を組んで悟ったとか大げさなことをいってもガムをかむことの100分の一程度しか意味を成さないとしてそれでいいんだな?
>モーツァルトの深さもモーニング娘のそれとせいぜいが同じ程度ってことで?ふかさが欠片でもあればそれで満足だな?
あのねえ・・・。「あるかないか」の議論をしてるんじゃないの?「価値がどちらが高いか」まで持ち込むわけ?だったらそれに関して言うなら、まず君は「深さ」の存在を認めたという前提で話すが、坐禅をやったことある人に「ガムを噛む方が有効だった」という人が無視できぬ比率でいるかどうか確かめてみれば?年季を積んだ愛好家やプロの音楽家に、モーニング娘。とモーツァルトの深さが大して変わらんという人がいるかどうか確かめてみれば?そんなことがあり得ると思ってるのは君だけだよ。
>>「小泉首相を見たことがある人はいくらでもいる。しかし小泉首相はいない」と言えばアホと思われるだけだよ。
>それじゃ結局あなたの根拠は数の理論か。自分の意見に賛成する人が多いから自分が正しいと。
この主張がそういう意味にしか取れないのなら君は本気でアホだよ。
あのねえ、例えば「再現可能性」ということがあるでしょう。幽霊やサンタクロースを同じ条件で見ることはできなくても、小泉首相を見ることは、誰でもそれなりの方法で可能だということです。
>>ともかく、君の言明は一々無根拠で、全然論理になってないんだよ。
>全く同じことを言いたい。
では具体的にどこが論理が破綻しているのか指摘して欲しい。私は君の論理破綻部分を逐一指摘した釣りだが。
>>妥協のどこが悪いのか説明して欲しい。
>妥協があたかも白と黒を越えた理解だと思ってるから。
>白か黒かが問題なのに白と黒で50パーセントの間の理解で満足するのがアホ。
仮にアホであろうとも、自分独りの考えにこだわっていつまでも進歩できないよりは「得」だと思うがね。
>仏教キリスト教どっちが正しいか。どっちも正しいはありえない。
これが、「排中律を持ち込む」君の誤りの典型です。
前にも言ったけど、「ユークリッド幾何とリーマン幾何どっちが正しいか」云々と言われたらどうする。
>(あなたは俺が原因だと指摘するだろうがこれまたこっちも同じことを言いたいとあらかじめ言っておく)
科学者とトンデモさんの議論でも「こっちも同じことを言いたい」という人が出るだろうね。
>少なくとも大衆の「深さ主義」に反を唱える人が居るということだけでも残せたことに意味があるとでも思わないとやってられん・・
はっきり言って残らないよ。多くの人には君がアホだと思われてるだけだよ。
>人間性が大事。文系学部が文化の、ひいて人間らしさの証明・・・凡庸な、あまりにも凡庸な・・・
凡庸も誤謬よりはマシです。凡庸な人間が非凡でありたいがために奇を衒う方が余程見苦しい。
こちらの主張をオウム返しすればこちらの立場を相対化できると思うのはやめた方がいいよ。
他のところで話題に挙がってるから出しておくけど、「日立さん」の主張。
http://livinginkobe.ddo.jp/HomepageData/html/dekigoto.html#2
この人がどれほど理屈をこねようが、この人が病気であることには疑いないでしょ?
余りにも無茶な主張を繰り返して、形式だけ対等だと強弁するのはやめた方が良い。
>>それはおかしい。私は君の主張が間違いであることを既に示したのです。ところが君は「ないものはない」という駄々をこねるだけではないですか。
>はあ?あなたはあるものはあるというダダをこねてるだけだろ?
>いい加減気づけよ・・
気付けよもなにも、私は根拠を挙げているのだから。「ないものはない」というのは君の論法を要約して見せただけだ。
>だからあなた自身がどう思おうが感じようがあなたの勝手だけど、俺は俺で無いって思ったり感じてるんだって。なんであなたが感じたことが絶対の根拠になっておれのはならないのか不明だ。
その主張ははじめて見たけれどね。「ないと感じる」ということは本来ナンセンスのような気がする(「あると感じていない」だけではないのか?)が、それはまあとりあえずよしとしよう。仮にそうだとしても、「あると感じる」人がいることには変わりがなく、だとすれば「ない」という君の主張が優先されることにはならない。
>・・・経典に書いてあるからそれがどうした。
素朴に答えれば、教典に書いてあることを受け容れられないのであれば信者じゃないということです。
>形式的に仏教を信じてキリスト教も認めるがおかしいことが問題なんだろ。
私はそれがおかしいと思っていないのだから、そんなことを書いても説得力ありません。
それが君の典型的な「おかしいからおかしい」という同語反復の誤りなんです。
>じゃぁ座禅を組んで悟ったとか大げさなことをいってもガムをかむことの100分の一程度しか意味を成さないとしてそれでいいんだな?
>モーツァルトの深さもモーニング娘のそれとせいぜいが同じ程度ってことで?ふかさが欠片でもあればそれで満足だな?
あのねえ・・・。「あるかないか」の議論をしてるんじゃないの?「価値がどちらが高いか」まで持ち込むわけ?だったらそれに関して言うなら、まず君は「深さ」の存在を認めたという前提で話すが、坐禅をやったことある人に「ガムを噛む方が有効だった」という人が無視できぬ比率でいるかどうか確かめてみれば?年季を積んだ愛好家やプロの音楽家に、モーニング娘。とモーツァルトの深さが大して変わらんという人がいるかどうか確かめてみれば?そんなことがあり得ると思ってるのは君だけだよ。
>>「小泉首相を見たことがある人はいくらでもいる。しかし小泉首相はいない」と言えばアホと思われるだけだよ。
>それじゃ結局あなたの根拠は数の理論か。自分の意見に賛成する人が多いから自分が正しいと。
この主張がそういう意味にしか取れないのなら君は本気でアホだよ。
あのねえ、例えば「再現可能性」ということがあるでしょう。幽霊やサンタクロースを同じ条件で見ることはできなくても、小泉首相を見ることは、誰でもそれなりの方法で可能だということです。
>>ともかく、君の言明は一々無根拠で、全然論理になってないんだよ。
>全く同じことを言いたい。
では具体的にどこが論理が破綻しているのか指摘して欲しい。私は君の論理破綻部分を逐一指摘した釣りだが。
>>妥協のどこが悪いのか説明して欲しい。
>妥協があたかも白と黒を越えた理解だと思ってるから。
>白か黒かが問題なのに白と黒で50パーセントの間の理解で満足するのがアホ。
仮にアホであろうとも、自分独りの考えにこだわっていつまでも進歩できないよりは「得」だと思うがね。
>仏教キリスト教どっちが正しいか。どっちも正しいはありえない。
これが、「排中律を持ち込む」君の誤りの典型です。
前にも言ったけど、「ユークリッド幾何とリーマン幾何どっちが正しいか」云々と言われたらどうする。
>(あなたは俺が原因だと指摘するだろうがこれまたこっちも同じことを言いたいとあらかじめ言っておく)
科学者とトンデモさんの議論でも「こっちも同じことを言いたい」という人が出るだろうね。
>少なくとも大衆の「深さ主義」に反を唱える人が居るということだけでも残せたことに意味があるとでも思わないとやってられん・・
はっきり言って残らないよ。多くの人には君がアホだと思われてるだけだよ。
>人間性が大事。文系学部が文化の、ひいて人間らしさの証明・・・凡庸な、あまりにも凡庸な・・・
凡庸も誤謬よりはマシです。凡庸な人間が非凡でありたいがために奇を衒う方が余程見苦しい。
56. うん。
2004/07/11(日) 17:33:02
端から見てると、工学も院生も霞も自分の意見書きなぐってるようにしか見えない。
そんな僕を「分かってない馬鹿」と一蹴するのもあなたたちの自由ですがね。
そんな僕を「分かってない馬鹿」と一蹴するのもあなたたちの自由ですがね。
57. 霞
2004/07/11(日) 19:50:15
忙しいのですが、なんとなく腹が立ったので一言だけ。相手しようとする自分のレベルも低いなと認識しつつ(^^;;;;
↑
あなたの言う通りですよ(笑)
このスレの上の方にも書いたように、私も院生さんも無権さんもとあるコテハンさんも、自分の意見を書きたいように書いてるだけです(そういう意味では工学君も一緒)。
ちゃんと読みもせずに、醒めてて冷静そうな言葉を書いて格好をつけないで頂きたい。議論に参加する能力も知識も興味もないなら、口をはさむ意味はない。
京大生なのかどうか知らないけど、レベルの低い人間がいるもんですね。
ちゃんとした書き込みはまた今度。失礼。
↑
あなたの言う通りですよ(笑)
このスレの上の方にも書いたように、私も院生さんも無権さんもとあるコテハンさんも、自分の意見を書きたいように書いてるだけです(そういう意味では工学君も一緒)。
ちゃんと読みもせずに、醒めてて冷静そうな言葉を書いて格好をつけないで頂きたい。議論に参加する能力も知識も興味もないなら、口をはさむ意味はない。
京大生なのかどうか知らないけど、レベルの低い人間がいるもんですね。
ちゃんとした書き込みはまた今度。失礼。
58. 低レベルな人間。
2004/07/11(日) 20:14:52
文系学部への資金が減っているのは事実。
そしてそれを決定しているのは文系学部出身者たちであることも事実。
つまり、現状では文系学部は「自ら」無くなろうとしているようにしか見えない。
だって、理系のほとんどの人たちは文系学部があろうがなかろうがどうでもいいしね。
自分たちには研究費は来るわけだし。
要するに文系学部の人間は4年後に院なぞ行かずに就職して社会の役に立てということではないのか?
何で、4年で社会に出れば立派になれるのにわざわざ自殺するような道を選ぶのか。
そしてそれを決定しているのは文系学部出身者たちであることも事実。
つまり、現状では文系学部は「自ら」無くなろうとしているようにしか見えない。
だって、理系のほとんどの人たちは文系学部があろうがなかろうがどうでもいいしね。
自分たちには研究費は来るわけだし。
要するに文系学部の人間は4年後に院なぞ行かずに就職して社会の役に立てということではないのか?
何で、4年で社会に出れば立派になれるのにわざわざ自殺するような道を選ぶのか。
59. ↑
2004/07/11(日) 20:26:07
理系の基礎研究やってるところへの資金もたいがいに減ってる。
理学部の人なんかは全然他人事じゃない。
理学部の人なんかは全然他人事じゃない。
60. 工学は
2004/07/13(火) 10:30:36
「無いって感じてる」とか主張するが、仮にそれが正しくても、
文系学問を学んだ量や芸術に接した量が
霞や院生なんかとは違いすぎるんだろうし、
説得力ないと思うが。
あと、
>文系学部への資金が減っているのは事実。
>そしてそれを決定しているのは文系学部出身者たちであることも事実。
これって意味不明。「文系学部」っていう組織があるわけじゃないし。
官僚は主に法学部系、研究してるのは文学部系。
それに、
>何で、4年で社会に出れば立派になれるのにわざわざ自殺するような道を選ぶのか。
そうだとしても人の勝手でしょ。
こういう訳わからんことを言う奴がいるから
理系はアホだと思われるんだよ。迷惑だ。やめてくれ。
文系学問を学んだ量や芸術に接した量が
霞や院生なんかとは違いすぎるんだろうし、
説得力ないと思うが。
あと、
>文系学部への資金が減っているのは事実。
>そしてそれを決定しているのは文系学部出身者たちであることも事実。
これって意味不明。「文系学部」っていう組織があるわけじゃないし。
官僚は主に法学部系、研究してるのは文学部系。
それに、
>何で、4年で社会に出れば立派になれるのにわざわざ自殺するような道を選ぶのか。
そうだとしても人の勝手でしょ。
こういう訳わからんことを言う奴がいるから
理系はアホだと思われるんだよ。迷惑だ。やめてくれ。
61. ツッコミ
2004/07/13(火) 11:36:01
>だからあなた自身がどう思おうが感じようがあなたの勝手だけど、俺は俺で無いって思ったり感じてるんだって。
じゃあ、その「感じてるもの」を文章で表現できるのかな?
表現できるのならぜひやってもらいたいね。
できないんだったら、「そんなんで納得すると思うのか」っていう工学自身の論法からして、そんなもの通るまいな。
じゃあ、その「感じてるもの」を文章で表現できるのかな?
表現できるのならぜひやってもらいたいね。
できないんだったら、「そんなんで納得すると思うのか」っていう工学自身の論法からして、そんなもの通るまいな。
62. BCC
2004/07/13(火) 12:53:04
すまん、タイトル変えてくれ。
文系学部ってのは文学部とかだけじゃないんだ。
文系学部ってのは文学部とかだけじゃないんだ。
63. 初代スレの1のコピペ
2004/07/13(火) 13:29:14
「 2004/05/23(日) 11:33:53
文学や経済学などの学問を研究する研究科は当然、
学究の府たる京大に不可欠なものだと思うが
学部段階から学生を取る必要があるのか?
むしろ就職のためのモラトリアムなどというおよそ
堕落した人間たちの溜まり場となってやしないか?
現在理系の基礎能力とされている数学や物理学の基礎は、
この時代を生きる全学生に身につけさせるべきものではないか?
というわけで文系学部の廃止を考えていただきたいのであります。
中学・高校と明らかに俺より賢かった奴らが文系学部に
行ったがため馬鹿になっていく様は見ていて悲しい。
学問は十分基礎を身につけた後、院に入ってからで遅くない。
--
よって実はえんえんとスレ違いの議論に
なっていることを指摘せざるを得ない。
文学や経済学などの学問を研究する研究科は当然、
学究の府たる京大に不可欠なものだと思うが
学部段階から学生を取る必要があるのか?
むしろ就職のためのモラトリアムなどというおよそ
堕落した人間たちの溜まり場となってやしないか?
現在理系の基礎能力とされている数学や物理学の基礎は、
この時代を生きる全学生に身につけさせるべきものではないか?
というわけで文系学部の廃止を考えていただきたいのであります。
中学・高校と明らかに俺より賢かった奴らが文系学部に
行ったがため馬鹿になっていく様は見ていて悲しい。
学問は十分基礎を身につけた後、院に入ってからで遅くない。
--
よって実はえんえんとスレ違いの議論に
なっていることを指摘せざるを得ない。
64. それは
2004/07/13(火) 15:11:59
初代スレの工学登場時の発言
==
工学 2004/05/23(日) 23:22:36
はっきりいって広島程度の被害でアインシュタインの研究成果が得られるなら安いもんやろ。
まぁ文系は「人の命の価値は図れない」だの「人間の尊厳を踏み躙るのは許されない」と意味分からんことをいいそうだけど。
生命科学技術でも文系のアホがいなけりゃもっと進んでるはずやのに。
==
すべてはここから始まった。
==
工学 2004/05/23(日) 23:22:36
はっきりいって広島程度の被害でアインシュタインの研究成果が得られるなら安いもんやろ。
まぁ文系は「人の命の価値は図れない」だの「人間の尊厳を踏み躙るのは許されない」と意味分からんことをいいそうだけど。
生命科学技術でも文系のアホがいなけりゃもっと進んでるはずやのに。
==
すべてはここから始まった。
65. いまもう一人の理学部
2004/07/13(火) 15:26:10
あげんなよ(この時点では一番上)
工学はそのうちリアルで自滅するからほっとけ
工学はそのうちリアルで自滅するからほっとけ
66. 思うに。
2004/07/13(火) 22:51:42
文系すごいよ。
哲学の本とか、小難しくて理解できないもん。
ていうか読めないもん。日本語なのに。
あぁいう、小難しい言葉使いまくるのがこういう一部の人間以外の無関心を生む一因となってるような気がするんですが。
漫画で分かるカント
とか
出してくれたら読む人増えると思うんだけど。
探せばあるのかな?
エジソンとかなら見たことあるんだけど。
そんなことは本業の人からすると邪道なのかな?
と何気にこのスレ読んで感じました。
馬鹿な感想だったら低レベルな人間もいるんですねって流してください(^^;
でもそうだとしたら、それって「自分たちのやっていることを分かってもらおうとする努力」が足りないって言えちゃわないでしょうか。
私は工学部なんですけど僕らの世界だとこういうのってすごい重要なんですよね。
別に分かってもらわなくてもいい、と言われそうな雰囲気を私みたいなのは感じてしまうのですが、それならこんな批判も(例えそれが低レベルなものでも)しょうがないんじゃないかなぁと思っちゃうんですけど。
正直、本業じゃない人に、いきなりあんなん読め!理解しろ!とか言っても無理ですよ。
微分積分とかじゃないんですから。
スレッドの流れとは全く関係無いのかもしれませんが思ったことを徒然と書いてみました。
全て浅学な私の主観にすぎないのであまりムキになられないようお願いしますね(^^;
哲学の本とか、小難しくて理解できないもん。
ていうか読めないもん。日本語なのに。
あぁいう、小難しい言葉使いまくるのがこういう一部の人間以外の無関心を生む一因となってるような気がするんですが。
漫画で分かるカント
とか
出してくれたら読む人増えると思うんだけど。
探せばあるのかな?
エジソンとかなら見たことあるんだけど。
そんなことは本業の人からすると邪道なのかな?
と何気にこのスレ読んで感じました。
馬鹿な感想だったら低レベルな人間もいるんですねって流してください(^^;
でもそうだとしたら、それって「自分たちのやっていることを分かってもらおうとする努力」が足りないって言えちゃわないでしょうか。
私は工学部なんですけど僕らの世界だとこういうのってすごい重要なんですよね。
別に分かってもらわなくてもいい、と言われそうな雰囲気を私みたいなのは感じてしまうのですが、それならこんな批判も(例えそれが低レベルなものでも)しょうがないんじゃないかなぁと思っちゃうんですけど。
正直、本業じゃない人に、いきなりあんなん読め!理解しろ!とか言っても無理ですよ。
微分積分とかじゃないんですから。
スレッドの流れとは全く関係無いのかもしれませんが思ったことを徒然と書いてみました。
全て浅学な私の主観にすぎないのであまりムキになられないようお願いしますね(^^;
67. 文系ですが
2004/07/13(火) 23:40:02
↑の人には、文系の私でもかなり同意します。私も以前、ハイデッガーなんかの本を読もうとしたことがありましたが、さっぱりわかりませんでした。
私は法学部なので、法律関連の本を立ち読みとかしますが、学者が書くような「入門書」は、分厚くて文字だらけ、それでむずかし〜く書かれています。だから、予備校講師が書くような、ポイントが整理されて読みやすい本が売れています。私は、『空想法律読本』みたいな面白おかしく書かれている本をよく読みます。
やはり専門書に入るにはそれ相応の予備知識を要するので、ちゃんとしたステップをふまないといけないと思います。そうしたステップをふんでいない人に、特に説明もせずに「まぁ○○を読みなさい」とか言うとしたら、非常にナンセンスです。読めません。初心者を相手にするなら、その本の内容についてわかりやすく説明する義務を怠ってはならないと思います。そして、内容に関しての質問にその都度応える必要があると考えます。そういう説明責任を怠って本を押し付けるのは、その本を読んだという優越感に浸るだけの人だと思います。
私は法学部なので、法律関連の本を立ち読みとかしますが、学者が書くような「入門書」は、分厚くて文字だらけ、それでむずかし〜く書かれています。だから、予備校講師が書くような、ポイントが整理されて読みやすい本が売れています。私は、『空想法律読本』みたいな面白おかしく書かれている本をよく読みます。
やはり専門書に入るにはそれ相応の予備知識を要するので、ちゃんとしたステップをふまないといけないと思います。そうしたステップをふんでいない人に、特に説明もせずに「まぁ○○を読みなさい」とか言うとしたら、非常にナンセンスです。読めません。初心者を相手にするなら、その本の内容についてわかりやすく説明する義務を怠ってはならないと思います。そして、内容に関しての質問にその都度応える必要があると考えます。そういう説明責任を怠って本を押し付けるのは、その本を読んだという優越感に浸るだけの人だと思います。
68. 霞
2004/07/14(水) 02:38:07
あれれれれれれ。。。
さっき書き込んだのに、なぜか消えてなくなってる。。。
ええええええ。。。。
意味不明。もう同じことを書く元気ないので、また明日。
さっき書き込んだのに、なぜか消えてなくなってる。。。
ええええええ。。。。
意味不明。もう同じことを書く元気ないので、また明日。
69. ↑
2004/07/14(水) 02:42:04
書き込んだと思っても書き込めてないエラーが最近よくあります。長めのやつを書いたときは、それをコピーしておいて、ちゃんと書き込めたか確認したほうが良いでしょう。
70. 霞
2004/07/14(水) 02:45:17
自分のパソいじくったら、まだキャッシュが残ってた。助かった^^;;
先ほどの私の書き込みと、「文系ですが」さんの前に書いたものです。それを了解した上で読んでくださいね。
相変わらず時間ないですが、見ると書きたくなりますね^^;;
「思うに」さんへ。
えーっと、特に議論をふっかけてはるわけでもないし、思ったことをそのまま書いてるって感じなので、堅苦しくないように私も書きます^^
さてさて、まず最初にあなたが仰ってる
>哲学の本とか、小難しくて理解できないもん。
>ていうか読めないもん。日本語なのに。
に関してですが、私だってそうですよ。哲学は全然知らないですし、本読んでもあまり理解できないです(爆)
カントとか読んでたらかっこいいから、一応手は出してみたけどなー全然分からなかった。まあ訳本だからアホほど読みにくいわけですが。。。
でも、カントだってサルトルだって、有名な思想家に関してはちゃんと初心者向けの解説書が何かしら出ていますよ。岩波とか講談社とかからね。
これに関しては、例えば、小難しい低温工学(って言えばいいのか、大まかに材料工学って言えばいいのか知らんけど)の本を読まなくても、ボース粒子とフェルミ粒子の特性の差異が分かってなくても、超伝導現象を高校生でも分かるように簡単に説明してくれる本が、「ブルーバックス」という素晴らしいシリーズとして、講談社から出てるのと一緒ですよ^^
典型的な理系の方が文系をそういう風に思う、つまり、
>別に分かってもらわなくてもいい、と言われそうな雰囲気
>を私みたいなのは感じてしまうのです
というのは、典型的文系から理系を見た場合と一緒なのですよ。どちらの学問の世界にも、そうやって啓蒙的な(?)ことをやっている方はいます。
両方の学問が好きでどっちもそれなりにかじっている私から見ると、気付きます。
文系の教授の中にも、分からんやつは放っておけ、という感じで研究してる人もいないわけじゃないですが、それは話を聞いている限り理系(工学部)だって一緒やと思いますよ。自分のやっていることを他人に分からせるのが大事なのは、全ての学問に関して言えることであり、それを怠っているのは文系理系に関わらず一部で延々と続いている流れであると、個人的には考えます。
失礼ながら、専門的な哲学書が理解できなかったとき、何か代用できる簡単な入門書を探しましたか?探せばちゃんと見つかっているはずで、見つかって読んでいればこのような質問は発生しないと思うんで、やはり根本的に興味があまり持ててないか、少し本を探す手間は省かれたのではと、邪推する次第です^^;;
先ほどの私の書き込みと、「文系ですが」さんの前に書いたものです。それを了解した上で読んでくださいね。
相変わらず時間ないですが、見ると書きたくなりますね^^;;
「思うに」さんへ。
えーっと、特に議論をふっかけてはるわけでもないし、思ったことをそのまま書いてるって感じなので、堅苦しくないように私も書きます^^
さてさて、まず最初にあなたが仰ってる
>哲学の本とか、小難しくて理解できないもん。
>ていうか読めないもん。日本語なのに。
に関してですが、私だってそうですよ。哲学は全然知らないですし、本読んでもあまり理解できないです(爆)
カントとか読んでたらかっこいいから、一応手は出してみたけどなー全然分からなかった。まあ訳本だからアホほど読みにくいわけですが。。。
でも、カントだってサルトルだって、有名な思想家に関してはちゃんと初心者向けの解説書が何かしら出ていますよ。岩波とか講談社とかからね。
これに関しては、例えば、小難しい低温工学(って言えばいいのか、大まかに材料工学って言えばいいのか知らんけど)の本を読まなくても、ボース粒子とフェルミ粒子の特性の差異が分かってなくても、超伝導現象を高校生でも分かるように簡単に説明してくれる本が、「ブルーバックス」という素晴らしいシリーズとして、講談社から出てるのと一緒ですよ^^
典型的な理系の方が文系をそういう風に思う、つまり、
>別に分かってもらわなくてもいい、と言われそうな雰囲気
>を私みたいなのは感じてしまうのです
というのは、典型的文系から理系を見た場合と一緒なのですよ。どちらの学問の世界にも、そうやって啓蒙的な(?)ことをやっている方はいます。
両方の学問が好きでどっちもそれなりにかじっている私から見ると、気付きます。
文系の教授の中にも、分からんやつは放っておけ、という感じで研究してる人もいないわけじゃないですが、それは話を聞いている限り理系(工学部)だって一緒やと思いますよ。自分のやっていることを他人に分からせるのが大事なのは、全ての学問に関して言えることであり、それを怠っているのは文系理系に関わらず一部で延々と続いている流れであると、個人的には考えます。
失礼ながら、専門的な哲学書が理解できなかったとき、何か代用できる簡単な入門書を探しましたか?探せばちゃんと見つかっているはずで、見つかって読んでいればこのような質問は発生しないと思うんで、やはり根本的に興味があまり持ててないか、少し本を探す手間は省かれたのではと、邪推する次第です^^;;
71. 霞
2004/07/14(水) 02:46:41
挟んじゃいました。。
ご忠告どうも。実は二回目だったりします^^;;;
以後気をつけます。もう一回書くのめちゃめちゃ面倒なんで。。。。
ご忠告どうも。実は二回目だったりします^^;;;
以後気をつけます。もう一回書くのめちゃめちゃ面倒なんで。。。。
72. 無権代理人
2004/07/14(水) 03:19:18
とりあえず誤解がありそうなところだけ説明しておきます。もともとこのHNはそういう意味でつけたものですし。
>工学も院生も霞も自分の意見書きなぐってるようにしか見えない。そんな僕を「分かってない馬鹿」と一蹴するのもあなたたちの自由
>ちゃんと読みもせずに、醒めてて冷静そうな言葉を書いて格好をつけないで頂きたい。議論に参加する能力も知識も興味もないなら、口をはさむ意味はない。
これまでのスレをみてもらえばわかると思いますが、「横槍を入れるな」とは誰も(工学はそう読める部分ありますが)いっていないわけです。「ちゃんとした横槍を入れてくれ」、といっているわけです。
「ちゃんとしていない」というのがどういうものかというと、
・既になされた議論を全く読んでいない意見
これは、0〜7まできたところで、また1に戻ることになるので。せめて1つか2つ前のスレまでは読んでもらわないと。
・単なる冷やかしレス
興味がないなら読まなければいいだけの話。冷やかすためだけにこんな長文スレを読んでいるとしたら、その行動こそが意味不明です。
・結論のみで批判理由のないレス
バックボーンや意見が全く異なる相手に向かって発言するわけです。そのように考える理由や根拠をある程度あげてもらわないと、議論にならないからです。
それから、「わかっていない馬鹿」というのがどこを指しているのかわかりませんが、わかっていないことはいいと思うのですが、どこの部分がわからないかくらいは、引用するなどして指摘できますよね?
このスレでは数名が長文を書きますが、長文になるのは自分の理解の筋道や予想される反論なども踏まえた上で、書いているからです。なので、決して書きなぐっているわけではない。
誤解のないように繰りかえしますが、書きなぐっている、と批判することは別に構わないのです。ですが、そう思うのなら、その部分ややり取りを引用した上で、なぜそう思うのかの理由くらいつけてくれといっているのです。でなければ、どこがなぜそう思われるのかということが全然わからないし、あなたも「同じく」かきなぐっている、という風に判断されてもしょうがないわけです。
そしてそういうつっこみを書き込むこと自体、結局誰にも理解されないわけですから、意味がないのだと思います。例えば、キリスト教徒の集会に参加して、「おまえらキリスト教徒はなんにもわかっていない」と一言でぶったとしても、意味がありませんよね?それと同じことですね。
>工学も院生も霞も自分の意見書きなぐってるようにしか見えない。そんな僕を「分かってない馬鹿」と一蹴するのもあなたたちの自由
>ちゃんと読みもせずに、醒めてて冷静そうな言葉を書いて格好をつけないで頂きたい。議論に参加する能力も知識も興味もないなら、口をはさむ意味はない。
これまでのスレをみてもらえばわかると思いますが、「横槍を入れるな」とは誰も(工学はそう読める部分ありますが)いっていないわけです。「ちゃんとした横槍を入れてくれ」、といっているわけです。
「ちゃんとしていない」というのがどういうものかというと、
・既になされた議論を全く読んでいない意見
これは、0〜7まできたところで、また1に戻ることになるので。せめて1つか2つ前のスレまでは読んでもらわないと。
・単なる冷やかしレス
興味がないなら読まなければいいだけの話。冷やかすためだけにこんな長文スレを読んでいるとしたら、その行動こそが意味不明です。
・結論のみで批判理由のないレス
バックボーンや意見が全く異なる相手に向かって発言するわけです。そのように考える理由や根拠をある程度あげてもらわないと、議論にならないからです。
それから、「わかっていない馬鹿」というのがどこを指しているのかわかりませんが、わかっていないことはいいと思うのですが、どこの部分がわからないかくらいは、引用するなどして指摘できますよね?
このスレでは数名が長文を書きますが、長文になるのは自分の理解の筋道や予想される反論なども踏まえた上で、書いているからです。なので、決して書きなぐっているわけではない。
誤解のないように繰りかえしますが、書きなぐっている、と批判することは別に構わないのです。ですが、そう思うのなら、その部分ややり取りを引用した上で、なぜそう思うのかの理由くらいつけてくれといっているのです。でなければ、どこがなぜそう思われるのかということが全然わからないし、あなたも「同じく」かきなぐっている、という風に判断されてもしょうがないわけです。
そしてそういうつっこみを書き込むこと自体、結局誰にも理解されないわけですから、意味がないのだと思います。例えば、キリスト教徒の集会に参加して、「おまえらキリスト教徒はなんにもわかっていない」と一言でぶったとしても、意味がありませんよね?それと同じことですね。
73. 無権代理人
2004/07/14(水) 03:26:51
しまった。↑は「文系ですが」さんの次のつもりで書いたものです。眠れないのでごろごろしながら書いてたら遅くなりました。
74. しかし
2004/07/14(水) 12:52:28
>バックボーンや意見が全く異なる相手に向かって発言するわけです。そのように考える理由や根拠をある程度あげてもらわないと、議論にならないからです。
>それから、「わかっていない馬鹿」というのがどこを指しているのかわかりませんが、わかっていないことはいいと思うのですが、どこの部分がわからないかくらいは、引用するなどして指摘できますよね?
>そしてそういうつっこみを書き込むこと自体、結局誰にも理解されないわけですから、意味がないのだと思います。例えば、キリスト教徒の集会に参加して、「おまえらキリスト教徒はなんにもわかっていない」と一言でぶったとしても、意味がありませんよね?それと同じことですね。
この批判は工学にも当てはまるなw
>それから、「わかっていない馬鹿」というのがどこを指しているのかわかりませんが、わかっていないことはいいと思うのですが、どこの部分がわからないかくらいは、引用するなどして指摘できますよね?
>そしてそういうつっこみを書き込むこと自体、結局誰にも理解されないわけですから、意味がないのだと思います。例えば、キリスト教徒の集会に参加して、「おまえらキリスト教徒はなんにもわかっていない」と一言でぶったとしても、意味がありませんよね?それと同じことですね。
この批判は工学にも当てはまるなw
75. 長文になることの言い訳をしているが
2004/07/14(水) 12:57:43
要はまとめるのが下手なだけでしょう。
少なくとも本来のスレの主旨から
大きくはずれているのは頭が悪い。
少なくとも本来のスレの主旨から
大きくはずれているのは頭が悪い。
76. 傍観者だが
2004/07/14(水) 13:02:28
初代スレが元々趣旨から外れてたんだからしゃあないやん。
それに、工学の主張からすると、今の話は「文系学部の存在意義」と
等価な問題らしいから、別に話がずれてるわけではないんだよ。
まとめるのが下手?
そんな、あなた・・・。分厚い本を書いてる人は沢山いますが、
その本の著者はみんな「まとめるのが下手」なの?
それに、工学の主張からすると、今の話は「文系学部の存在意義」と
等価な問題らしいから、別に話がずれてるわけではないんだよ。
まとめるのが下手?
そんな、あなた・・・。分厚い本を書いてる人は沢山いますが、
その本の著者はみんな「まとめるのが下手」なの?
77. ↑
2004/07/14(水) 13:05:22
内容に比して分厚い本書いているとしたら下手だろうね。
ここの連中もたいした内容を言っているようには思えんが。
ここの連中もたいした内容を言っているようには思えんが。
78. もともと
2004/07/14(水) 13:06:23
大学教授とかもまとめ下手が多いからな。
学生もそうなるのは仕方ないかもしれん。
学生もそうなるのは仕方ないかもしれん。
79. 傍観者だが
2004/07/14(水) 13:08:51
工学が頭が悪いんだから、簡潔に書いたら理解できないんだから仕方なかろう。
それに、議論してる奴は長文読み慣れて書き慣れてるやつばかりなんだろうし。
それに、議論してる奴は長文読み慣れて書き慣れてるやつばかりなんだろうし。
80. 長文が悪いとは言わない。
2004/07/14(水) 13:09:03
でもまとめ下手。
>元々趣旨から外れてたんだからしゃあないやん。
修正を試みないのもどうかと。
>工学の主張からすると、今の話は「文系学部の存在意義」と等価な問題
枝葉であって幹ではないと思うが。
>元々趣旨から外れてたんだからしゃあないやん。
修正を試みないのもどうかと。
>工学の主張からすると、今の話は「文系学部の存在意義」と等価な問題
枝葉であって幹ではないと思うが。
81. w
2004/07/14(水) 13:10:09
>工学が頭が悪いんだから、簡潔に書いたら理解できない
そ れ が 一 番 の 問 題 だ w
そ れ が 一 番 の 問 題 だ w
82. 正直
2004/07/14(水) 13:11:19
長文にしたって工学が理解できているとは思えんが?
83. 傍観者だが
2004/07/14(水) 13:11:41
>修正を試みないのもどうかと。
タイトルよりも今の議論の流れの方が大事だってことだろ。
>枝葉であって幹ではないと思うが。
じゃああんたが具体的にそれを指摘してあげれば。
そんなん言ったって聞く耳持たないよ、彼らは。
タイトルよりも今の議論の流れの方が大事だってことだろ。
>枝葉であって幹ではないと思うが。
じゃああんたが具体的にそれを指摘してあげれば。
そんなん言ったって聞く耳持たないよ、彼らは。
84. 長文が悪



