京都帝國大学における
1. あ
2005/07/16(土) 15:49:30
蚊系の必要性について徹底討論!
2. あ
2005/07/16(土) 15:50:12
もう誰も知らないという罠
3. 爾死汚癇痔
2005/07/17(日) 17:41:49
糞スレ決定!
4. ↑↑
2005/07/17(日) 23:11:22
バカダナァ
ダカラ議論スル意味ガアルンジャナイカ
ダカラ議論スル意味ガアルンジャナイカ
5. あ
2005/07/24(日) 14:07:03
文系無用論
日本には大学が多すぎる。本当に多い。ピンからキリまで。何故これほど多いのか。日本で大学が増え始めたのは、1949年に国立の旧高等 (専門)学校・旧師範学校が地域 (県)ごとにひとつに集まり大学に昇格したのが最初だろう。大宅壮一氏はこのことを「駅弁大学」(駅弁を売っている駅があるくらいの都市には大学がある、という意味)と言ったが、1990年代の現状はそんなことではすまされない。ある本は、大学院に対して「コンビニ大学院」などと言っているが、その論法でいくと大学などは「自販機大w」(笑)だ。
学部に関しても不要のものがある。私立は企業だからいいとして(実際は税金も使われているが)、国公立大学については、文系学部は一部の伝統ある大学(旧帝国大学など)以外には要らないのではないか。税金の無駄だ。「駅弁」国公立大学ではその金を理系(特に工学部)に回した方が良いのではないか。だいたい文系の学問は専門書を読めばたくさんだろう。例えば、公務員や弁護士・公認会計士・税理士などになりたいから法学部や経済学部に入学するといっても、それらの資格試験に合格するための通信教育や専門学校があり、参考書・問題集もたくさんあるから、大学に入学せずともよい。本当に学びたいのに一部の伝統ある大学だけにしか無いとなると入試が難しくて入学できないから学べない、などという意見は論外だ。本当に学びたければそんな入試くらい合格できるはず。例え落ちても先程申した様に独学できる。理系なら、数学科以外は、様々な機材・薬品などを用いた実験が不可欠だから、大学のような専門機関でなくてはならない。政府も科学技術をもっと盛り立てようというのならこのことをもっと考えろ。もう一度言う。税金の無駄だ。
日本における大学の在り方とは、結局、文系学部に関しては、社会人になる前の猶予期間と大学卒業資格を得るためだけのものだ。それにしても何故大学卒でないと就職できない職種が多いのか。ただの事務屋・営業屋でも大学卒でなければいかんとは。これまた文系学部の連中が多いのだろうが、彼等は理系の連中ほど技術が無く、他に職があるとしても肉体労働はしたくないからというんでそういう職を選ぶのだろう。事務や営業などは高校卒で終わっている者にも出来る。知識が必要でも独学できるはず。伝統の「有名」大学も職とは別。あれは単に「学閥」という縦の人脈のためでしかない。「有名」大学の連中が優れているなんてのは単に暗記と問題の高速処理力だけ(私の様な「駅弁」大学生はそれすら無いということか)、それも試験のときだけ(忍耐もあるかもしれんが)。盛んに「景気回復」などと言われる。国家公務員上級職にはあいもかわらず東大の連中が多く受かり、まず大蔵省に多く採用されるのだろうが奴等がそれほど優れているというなら何故景気がすぐ回復しないのか。そして話はもどるが関連して、全国に山ほどある経済系学部がそれに役だったか。
大学は良い意味での「象牙の塔」になるべきだ。つまり、真の学問・研究機関としてのみ存在すべきで、それを望む者だけが入学すべき。現状は属している(した)ことに価値ありとする様だからそんな事には価値がないとすべき。例えば全大学の入試を一様に極端に難化または易化するなどして。要するに他人より「偏差値」の高い大学がいいという比較・競争意識、特定の「入試時の大学入試偏差値」の人間だけを採用する職組織の態度が改まれば良いのだが。だがこれは直接脳に手を加えて意識改革するしかないか。大学山ほど時代で喜んでいるのは、忌々しい受験産業の連中だけ。
日本には大学が多すぎる。本当に多い。ピンからキリまで。何故これほど多いのか。日本で大学が増え始めたのは、1949年に国立の旧高等 (専門)学校・旧師範学校が地域 (県)ごとにひとつに集まり大学に昇格したのが最初だろう。大宅壮一氏はこのことを「駅弁大学」(駅弁を売っている駅があるくらいの都市には大学がある、という意味)と言ったが、1990年代の現状はそんなことではすまされない。ある本は、大学院に対して「コンビニ大学院」などと言っているが、その論法でいくと大学などは「自販機大w」(笑)だ。
学部に関しても不要のものがある。私立は企業だからいいとして(実際は税金も使われているが)、国公立大学については、文系学部は一部の伝統ある大学(旧帝国大学など)以外には要らないのではないか。税金の無駄だ。「駅弁」国公立大学ではその金を理系(特に工学部)に回した方が良いのではないか。だいたい文系の学問は専門書を読めばたくさんだろう。例えば、公務員や弁護士・公認会計士・税理士などになりたいから法学部や経済学部に入学するといっても、それらの資格試験に合格するための通信教育や専門学校があり、参考書・問題集もたくさんあるから、大学に入学せずともよい。本当に学びたいのに一部の伝統ある大学だけにしか無いとなると入試が難しくて入学できないから学べない、などという意見は論外だ。本当に学びたければそんな入試くらい合格できるはず。例え落ちても先程申した様に独学できる。理系なら、数学科以外は、様々な機材・薬品などを用いた実験が不可欠だから、大学のような専門機関でなくてはならない。政府も科学技術をもっと盛り立てようというのならこのことをもっと考えろ。もう一度言う。税金の無駄だ。
日本における大学の在り方とは、結局、文系学部に関しては、社会人になる前の猶予期間と大学卒業資格を得るためだけのものだ。それにしても何故大学卒でないと就職できない職種が多いのか。ただの事務屋・営業屋でも大学卒でなければいかんとは。これまた文系学部の連中が多いのだろうが、彼等は理系の連中ほど技術が無く、他に職があるとしても肉体労働はしたくないからというんでそういう職を選ぶのだろう。事務や営業などは高校卒で終わっている者にも出来る。知識が必要でも独学できるはず。伝統の「有名」大学も職とは別。あれは単に「学閥」という縦の人脈のためでしかない。「有名」大学の連中が優れているなんてのは単に暗記と問題の高速処理力だけ(私の様な「駅弁」大学生はそれすら無いということか)、それも試験のときだけ(忍耐もあるかもしれんが)。盛んに「景気回復」などと言われる。国家公務員上級職にはあいもかわらず東大の連中が多く受かり、まず大蔵省に多く採用されるのだろうが奴等がそれほど優れているというなら何故景気がすぐ回復しないのか。そして話はもどるが関連して、全国に山ほどある経済系学部がそれに役だったか。
大学は良い意味での「象牙の塔」になるべきだ。つまり、真の学問・研究機関としてのみ存在すべきで、それを望む者だけが入学すべき。現状は属している(した)ことに価値ありとする様だからそんな事には価値がないとすべき。例えば全大学の入試を一様に極端に難化または易化するなどして。要するに他人より「偏差値」の高い大学がいいという比較・競争意識、特定の「入試時の大学入試偏差値」の人間だけを採用する職組織の態度が改まれば良いのだが。だがこれは直接脳に手を加えて意識改革するしかないか。大学山ほど時代で喜んでいるのは、忌々しい受験産業の連中だけ。
6. しおり
2005/07/24(日) 14:08:39
>まり子は下から突き上げられ切なそうに悶え、
まで読んだ。
まで読んだ。
7. ↑
2005/07/24(日) 14:10:16
全米が感動した!
8. あ(偽)
2006/01/10(火) 16:18:50
誤解を恐れずに言えば、今の日本の現状では「文系は不要」と言い切っていいのではないかと思います。
現在の日本の大学生を見ると、文系に進んでいる学生の大半は「消去法」での選択です。つまり、「数学が嫌い」「理科が嫌い」という理由で文系の学部を選択し、入学します。さらに、入学後は多かれ少なかれ専門知識を身につけて卒業する理系に対して、文系は散漫な体系化されていない講義をつまみ食いするだけで、名目上の専門のことに関してはほとんど何も学ばずに大学を出ます(大学をでて10年以上経ってから、自分の「専門」が仕事や生活の一部に生きている、と言い切れる文系の人がどれくらいいるでしょうか)。
それでいながら、文系の人間は妙に理系に対して優越感を持っています。曰く、「理系は国語力がない」「考え方が硬い」「芸術を理解しない」などなど…そして、社会を動かす「総合的な能力」は自分たち文系の方が持っている、だから世の中も自分たちが動かすべきで理系は技術バカをやっていればいいのだ、と思っている人が実に多いのが現状です(これらのことは、官僚や銀行、商社のトップの人間と話せばすぐに分かることです)。しかし、これらは完全に誤りです。はっきり言って、専門を持たない人間に総合力などありません。個々を理解する能力がなければ、全体を統合する能力もないのは冷静に考えれば当然のことです(これは、全体を構成する個々全てを知っているべきと言うのではないことを付け加えておきます)。
別に現状の「理系」が優れているとは言いません(彼らが普通なのです)。ただ、今の「文系」は大学というものを誤解し、無駄にしています。サークル、遊び、バイトに明け暮れて「社会勉強をした」などと強弁する前に、専門的な知識を体系的に学ぶべきです。そうでなければ、南極や宇宙に文系の人を送り込む日はやってこないと思います。確かに何も持たない「しろうと」を送り込むほど、世の中に余裕はありませんから。
蚊系は本質的に魯鈍
現在の日本の大学生を見ると、文系に進んでいる学生の大半は「消去法」での選択です。つまり、「数学が嫌い」「理科が嫌い」という理由で文系の学部を選択し、入学します。さらに、入学後は多かれ少なかれ専門知識を身につけて卒業する理系に対して、文系は散漫な体系化されていない講義をつまみ食いするだけで、名目上の専門のことに関してはほとんど何も学ばずに大学を出ます(大学をでて10年以上経ってから、自分の「専門」が仕事や生活の一部に生きている、と言い切れる文系の人がどれくらいいるでしょうか)。
それでいながら、文系の人間は妙に理系に対して優越感を持っています。曰く、「理系は国語力がない」「考え方が硬い」「芸術を理解しない」などなど…そして、社会を動かす「総合的な能力」は自分たち文系の方が持っている、だから世の中も自分たちが動かすべきで理系は技術バカをやっていればいいのだ、と思っている人が実に多いのが現状です(これらのことは、官僚や銀行、商社のトップの人間と話せばすぐに分かることです)。しかし、これらは完全に誤りです。はっきり言って、専門を持たない人間に総合力などありません。個々を理解する能力がなければ、全体を統合する能力もないのは冷静に考えれば当然のことです(これは、全体を構成する個々全てを知っているべきと言うのではないことを付け加えておきます)。
別に現状の「理系」が優れているとは言いません(彼らが普通なのです)。ただ、今の「文系」は大学というものを誤解し、無駄にしています。サークル、遊び、バイトに明け暮れて「社会勉強をした」などと強弁する前に、専門的な知識を体系的に学ぶべきです。そうでなければ、南極や宇宙に文系の人を送り込む日はやってこないと思います。確かに何も持たない「しろうと」を送り込むほど、世の中に余裕はありませんから。
蚊系は本質的に魯鈍
追加発言



