道徳と論理を志して愚痴るスレ
1. あ
2006/09/20(水) 02:12:30
「なんでこんなこというの?」
「なんでこんなことするの?」
「これは詭弁だ!」
というような理不尽なストレスについて、
出来れば論理的に言及して
解消できるスレッドであればいいかな、と。
「なんでこんなことするの?」
「これは詭弁だ!」
というような理不尽なストレスについて、
出来れば論理的に言及して
解消できるスレッドであればいいかな、と。
2. 九大生
2006/09/20(水) 02:40:11
セクロス!!
3. なんで
2006/09/21(木) 00:20:43
ロジックにこだわる奴は 本質を見失うんだろうな
やはり単純な論理では説明できないほど世の中は複雑だってことすら知らない理系のせいか
やはり単純な論理では説明できないほど世の中は複雑だってことすら知らない理系のせいか
4. ロジックじゃないものね
2006/09/21(木) 01:03:16
男と女は
5. あ
2006/09/22(金) 00:21:36
>ロジックにこだわる奴は本質を見失う
論理は階段です。道具でしかない。のぼりはじめの場所が違えば真理には到達できません。そこで多様性が重要なのです。そして、ある程度物事が複雑になると、
この「着実に階段を登る」と行き詰ったときの横移動、階段下の確認の作業なしでは、絶対に真実には到達できません。
論理で追求した考えよりも、与えられた根拠なき道徳観<経験則から導き出された「こうすればうまくいく」という結果だけを参照し、それがなぜ起こるかの考察がない。>にすがった人達が行ってきたことを振り返りましょう。
>やはり単純な論理では説明できないほど世の中は複雑だ
道徳を論理で説明することは大変です。その複雑な一つ一つをフォローする必要があるから。「論理的に説明する」とは、全くのバックグラウンドをもたない人をも納得させることを言います。なぜって、納得させることも出来ないのに話しはじめるって無駄でしょう。論理的に話すとは、そういうことです。「誰でもわかるように。納得できるように。」を前提にして話すのが「論理的」です。それはある主の共有リアリティ(=前提としてもってる背景、それは論理的に説明されたわけではないものも含む。たとえば道徳観等)を前提としたりはしませんし、「知ってた当たり前」という観念もなければ、罵倒など思いも寄りません。
>複雑だってことすら知らない理系
論理とは、複雑なものを噛み砕き、一つ一つの問題に出来るだけわけていき簡単化させるための思考方法です。
あるいは溢れかえった情報の中で、確実に階段を登っていくための進み方で、複雑であることを知っているからこそ論理的であろうとするわけです。難しいものを難しいままでなんとか出来ると思っている楽観主義者ではありません。挑戦者です。
> 本質
最近本質という言葉を安易に使わなくなりました。
あなたの考える本質ってなんですか?あなたには本質は見えてますか?私はまだ階段を登って真実に近づいてる途中です。本質が見えていればこれ以上新しい考え方を受け入れる必要もないわけです。
>論理では説明できないほど
「論理的」でない人がたくさんいるからですよ。
真実に向かうにはあまりに無駄な弊害<無根拠な罵倒>が多すぎる。ここぐらいは地に足をつけて真実を考察できる場所であってもいいんじゃないですか?
それを創ろう。という現状に対して挑戦的な試みです。
ちなみに、世の中でまわっているあるいは世の中を回している企業は「論理的でない」と思いますか?
今失敗していても、最終的に真実に到達しやすいのは着実に地に足をつけて進む方法と考えます。
論理は階段です。道具でしかない。のぼりはじめの場所が違えば真理には到達できません。そこで多様性が重要なのです。そして、ある程度物事が複雑になると、
この「着実に階段を登る」と行き詰ったときの横移動、階段下の確認の作業なしでは、絶対に真実には到達できません。
論理で追求した考えよりも、与えられた根拠なき道徳観<経験則から導き出された「こうすればうまくいく」という結果だけを参照し、それがなぜ起こるかの考察がない。>にすがった人達が行ってきたことを振り返りましょう。
>やはり単純な論理では説明できないほど世の中は複雑だ
道徳を論理で説明することは大変です。その複雑な一つ一つをフォローする必要があるから。「論理的に説明する」とは、全くのバックグラウンドをもたない人をも納得させることを言います。なぜって、納得させることも出来ないのに話しはじめるって無駄でしょう。論理的に話すとは、そういうことです。「誰でもわかるように。納得できるように。」を前提にして話すのが「論理的」です。それはある主の共有リアリティ(=前提としてもってる背景、それは論理的に説明されたわけではないものも含む。たとえば道徳観等)を前提としたりはしませんし、「知ってた当たり前」という観念もなければ、罵倒など思いも寄りません。
>複雑だってことすら知らない理系
論理とは、複雑なものを噛み砕き、一つ一つの問題に出来るだけわけていき簡単化させるための思考方法です。
あるいは溢れかえった情報の中で、確実に階段を登っていくための進み方で、複雑であることを知っているからこそ論理的であろうとするわけです。難しいものを難しいままでなんとか出来ると思っている楽観主義者ではありません。挑戦者です。
> 本質
最近本質という言葉を安易に使わなくなりました。
あなたの考える本質ってなんですか?あなたには本質は見えてますか?私はまだ階段を登って真実に近づいてる途中です。本質が見えていればこれ以上新しい考え方を受け入れる必要もないわけです。
>論理では説明できないほど
「論理的」でない人がたくさんいるからですよ。
真実に向かうにはあまりに無駄な弊害<無根拠な罵倒>が多すぎる。ここぐらいは地に足をつけて真実を考察できる場所であってもいいんじゃないですか?
それを創ろう。という現状に対して挑戦的な試みです。
ちなみに、世の中でまわっているあるいは世の中を回している企業は「論理的でない」と思いますか?
今失敗していても、最終的に真実に到達しやすいのは着実に地に足をつけて進む方法と考えます。
6. 顔
2006/09/24(日) 02:48:17
↑
あなたすごいね。
投げやりな発言によくぞここまで丁寧に答えたものだ。
あなたすごいね。
投げやりな発言によくぞここまで丁寧に答えたものだ。
7. あ
2006/09/24(日) 06:56:03
●未だに「馬鹿」という言葉を使う人がいる。
「馬鹿」という言葉を使うのは真実を知りたくて議論するという観点から言って論理的ではありません。
それはなぜか。
「馬鹿」とは客観的に評価できる表現ではないので証明できるものではありません。
そもそも人が馬や鹿のようであるわけがありません。
また、一度の失敗を指して能力を決め付けるのはあまりに浅慮です。
そしてなによりも議論を感情の渦に投げ入れるリスクを犯しています。
自分が論理的に話をしようとするなら、あるいは自分の論理性を示したければ、根拠の伴わない感情的な言葉を使用してはなりません。
●「勝ち負け」に拘る人がいる。
目の前の刹那的なやり取りで満足している点、
真実を追究しようとして議論する観点から言って
論理的ではありません。
「お前は一度間違えたことを俺に指摘されたのだから、以降の発言権について、俺がお前に対して優先権を持つ」とでも言いたいのでしょうが、
正確には、「正確に階段を登るという作業に於いて、私はこのケースではあなたよりも優れていた」
であって、以降の発言や過去の道筋を全て蹂躙しようとする態度は、真実に向かうかもしれない道を一つ、根拠なく消してしまうという点において論理的ではありません。
交差した道を一つ消すには、一度向こうに行ってみて、階段を下りて確かめなければ。
それは一体何処から来ているのかを。
それをしなければ、バックグラウンドによらず誰でも納得できる、真実には到達しません。
「馬鹿」という言葉を使うのは真実を知りたくて議論するという観点から言って論理的ではありません。
それはなぜか。
「馬鹿」とは客観的に評価できる表現ではないので証明できるものではありません。
そもそも人が馬や鹿のようであるわけがありません。
また、一度の失敗を指して能力を決め付けるのはあまりに浅慮です。
そしてなによりも議論を感情の渦に投げ入れるリスクを犯しています。
自分が論理的に話をしようとするなら、あるいは自分の論理性を示したければ、根拠の伴わない感情的な言葉を使用してはなりません。
●「勝ち負け」に拘る人がいる。
目の前の刹那的なやり取りで満足している点、
真実を追究しようとして議論する観点から言って
論理的ではありません。
「お前は一度間違えたことを俺に指摘されたのだから、以降の発言権について、俺がお前に対して優先権を持つ」とでも言いたいのでしょうが、
正確には、「正確に階段を登るという作業に於いて、私はこのケースではあなたよりも優れていた」
であって、以降の発言や過去の道筋を全て蹂躙しようとする態度は、真実に向かうかもしれない道を一つ、根拠なく消してしまうという点において論理的ではありません。
交差した道を一つ消すには、一度向こうに行ってみて、階段を下りて確かめなければ。
それは一体何処から来ているのかを。
それをしなければ、バックグラウンドによらず誰でも納得できる、真実には到達しません。
8. ベームスレのゴッドファーザー
2006/09/24(日) 19:20:34
そういえば、全ては論理的に説明できるという考えを広めたのは、デカルトだったかな?
もう、哲学を習ったときなど遠い昔のことだから、忘れてしまった。
もう、哲学を習ったときなど遠い昔のことだから、忘れてしまった。
9. 九大生
2006/09/24(日) 23:41:06
セクロス!!!
10. 肉便器
2006/09/24(日) 23:49:58
セクロス!
11. あ
2006/10/01(日) 13:18:08
●出所のわからない噂を信じる人について
無根拠に人の中傷や罵倒、考えをそのまま信じてたりしませんか。それは宗教において道徳観や世界観をそのまま鵜呑みにするのと規模は違えど、あまり変わりません。
噂ほど迷惑なものはないと思っています。ほとんどの場合、誰も利益を得ることはない。得るとすれば流したくて流した噂の出所か、あるいはそれは利益の創造でなくて誰かに損害を与えたという点での非創造的利益です。
噂を耳にして出所を調べずにして次へまわす行為は、真実を知ろうとする態度から言えば、物事をより複雑にしているという点から論理的ではありません。
●レッテルの貼り付け
>以降の発言や過去の道筋を全て蹂躙しようとする態度は、真実に向かうかもしれない道を一つ、根拠なく消してしまうという点において論理的ではありません。
別に自分で階段を下りて確かめたことはそれはそれでいいのですが、レッテルを貼ることは自分以外の人にその知見を無根拠にして伝えることに繋がります。
無根拠に人の中傷や罵倒、考えをそのまま信じてたりしませんか。それは宗教において道徳観や世界観をそのまま鵜呑みにするのと規模は違えど、あまり変わりません。
噂ほど迷惑なものはないと思っています。ほとんどの場合、誰も利益を得ることはない。得るとすれば流したくて流した噂の出所か、あるいはそれは利益の創造でなくて誰かに損害を与えたという点での非創造的利益です。
噂を耳にして出所を調べずにして次へまわす行為は、真実を知ろうとする態度から言えば、物事をより複雑にしているという点から論理的ではありません。
●レッテルの貼り付け
>以降の発言や過去の道筋を全て蹂躙しようとする態度は、真実に向かうかもしれない道を一つ、根拠なく消してしまうという点において論理的ではありません。
別に自分で階段を下りて確かめたことはそれはそれでいいのですが、レッテルを貼ることは自分以外の人にその知見を無根拠にして伝えることに繋がります。
12. あ
2006/10/07(土) 11:46:39
●他人の言葉を引用してきてそのまま根拠とする行為
「〜が〜と言った」から始まり、その背景付けをして自論を展開するならともかくとして、それなしに自分の主張の根拠とするのは論理的ではありません。少なくとも、背景を知らない人には誤認の可能性が生じます。
残念ながら、そこ(人の言葉を根拠なしに受け入れる行為)には「信用」というものが関わってくるので、これはそこまで時間をかけられない実社会において、
避けることは出来ないのですが、それは少なくとも論理的ではないので、
思考レベルでは信用ベースと論理ベースは分けておかなければならないと感じます。
●善悪などの言葉について
私は、争いなどの無駄はお互いの誤認が根本にあると考えています。
よって、なにが善で何が悪か定義せよと言われたら、
「誤認、誤解をなくす方向に論理的に向かうのが善」で、そうでないのが悪です。
しかしながら、「善」であるとか「悪」という言葉自体が人によって意味が様々で、誤解に繋がる可能性が高く、それを用いてなにかを表現するのは論理的ではありません。
なにが「善」で、なにが「悪」かをそれぞれの小さな社会ごとに定義を教え込むのが道徳教育ですが、それだけでは自分の属する小さな社会の外に出た時に整合性がとれなくなります。
そういう局所解にはまらずに大局解を見つけ出そうという態度が「論理的」であり、それこそが真にあるべき道徳を追求するための道具です。
「〜が〜と言った」から始まり、その背景付けをして自論を展開するならともかくとして、それなしに自分の主張の根拠とするのは論理的ではありません。少なくとも、背景を知らない人には誤認の可能性が生じます。
残念ながら、そこ(人の言葉を根拠なしに受け入れる行為)には「信用」というものが関わってくるので、これはそこまで時間をかけられない実社会において、
避けることは出来ないのですが、それは少なくとも論理的ではないので、
思考レベルでは信用ベースと論理ベースは分けておかなければならないと感じます。
●善悪などの言葉について
私は、争いなどの無駄はお互いの誤認が根本にあると考えています。
よって、なにが善で何が悪か定義せよと言われたら、
「誤認、誤解をなくす方向に論理的に向かうのが善」で、そうでないのが悪です。
しかしながら、「善」であるとか「悪」という言葉自体が人によって意味が様々で、誤解に繋がる可能性が高く、それを用いてなにかを表現するのは論理的ではありません。
なにが「善」で、なにが「悪」かをそれぞれの小さな社会ごとに定義を教え込むのが道徳教育ですが、それだけでは自分の属する小さな社会の外に出た時に整合性がとれなくなります。
そういう局所解にはまらずに大局解を見つけ出そうという態度が「論理的」であり、それこそが真にあるべき道徳を追求するための道具です。
13. まちこ
2006/10/07(土) 13:24:09
セクロ―――――――ス!!!!!!!!!!!
14. まちこ
2006/10/07(土) 13:26:27
九大生の恥ずかしい画像をバラマク
15. あ
2006/10/11(水) 00:15:10
●匿名であるにも関わらず「本人」であることを主張する
匿名(非コテハン)という、無責任であることを享受しているのならば、自分こそが本人であるというような、
自己同一性を求めてはなりませんし、周りもそれを認知するべきではありません。
どっかの漫画ではないですが、
それは「権利」と「義務」の等価交換の
原理から離れているからです。
たとえ匿名でも、本人の筋が通ってさえいれば偽物かどうかは誰にでもわかる話です。逆に筋が通っていなければ、偽物が出たときにそれが本人かどうかは、誰にも(明らかには)わかりませんし、論じてもなにも出てこないでしょう。
●「幼稚」という言葉
「馬鹿」とほぼ一緒です。しかし違うところとしては、
歳の差や、階級差を根拠にしたようなやりかたは、コミュニケーションを不可にする失敗事例として上位にランクインしてくるものだということです。
だいたい、「お前は程度が低いから〜するな」と命令されて、誰が納得するのでしょうか。程度が低いという根拠はなんですか?下の者は、「自分よりも程度が低い」という上の我の現れを疑います。
そのような言葉を使うのは、正しく意志伝達を行って物事をよりよくしていこうという創造的立場から見て、
論理的ではありません。
もし、現状が幼稚であると嘆くのなら、それを解消するにはどうしたらいいかを考えて実行しましょう。
匿名(非コテハン)という、無責任であることを享受しているのならば、自分こそが本人であるというような、
自己同一性を求めてはなりませんし、周りもそれを認知するべきではありません。
どっかの漫画ではないですが、
それは「権利」と「義務」の等価交換の
原理から離れているからです。
たとえ匿名でも、本人の筋が通ってさえいれば偽物かどうかは誰にでもわかる話です。逆に筋が通っていなければ、偽物が出たときにそれが本人かどうかは、誰にも(明らかには)わかりませんし、論じてもなにも出てこないでしょう。
●「幼稚」という言葉
「馬鹿」とほぼ一緒です。しかし違うところとしては、
歳の差や、階級差を根拠にしたようなやりかたは、コミュニケーションを不可にする失敗事例として上位にランクインしてくるものだということです。
だいたい、「お前は程度が低いから〜するな」と命令されて、誰が納得するのでしょうか。程度が低いという根拠はなんですか?下の者は、「自分よりも程度が低い」という上の我の現れを疑います。
そのような言葉を使うのは、正しく意志伝達を行って物事をよりよくしていこうという創造的立場から見て、
論理的ではありません。
もし、現状が幼稚であると嘆くのなら、それを解消するにはどうしたらいいかを考えて実行しましょう。
16. あ
2006/10/14(土) 00:55:25
●他人をばかにする行為
物理にエネルギー保存の法則というものがあります。
誰かがストレスを誰かに向けて放てば、やられた方はその分のストレスを受ける。
しかし哀しいかな、実際、そのストレス値の総量は減衰でも保存でもなく、発散、増加していくのです。
誰かになにかをされるたびに「なんでこんなことされなあかんの?」というストレスの分が余計に増えていくのです。
「目には目を。歯には歯を。」という言葉があります。
これは倍返しといった、ストレスの発散現象を抑えるための言葉です。投げたストレスがそのまま返ってくれば、人はそれ以上同じ事をすることはないでしょう。
なぜなら、その人は他人にストレスを投げたけれども、投げた分のストレスを軽減できたわけではない上に、
それがそのまま返ってくるとなると、ストレスは最初よりも増加という結果になるからです。
例:AさんとBさんは全く同じ境遇だ。ただし特別な友人関係にはないとする。
そこで、AさんがBさんを罵る。BさんがAさんを同じように罵る。さて、Aさんはストレス解消できたか。
友人でもない人にいきなり罵られたBさんはストレス零でいられるか?
そこまで考察が届けば、誰かにストレスを好んで投げつけることがどんなに無駄で浅はかな行為であるか理解できると思うのですが。。
物理にエネルギー保存の法則というものがあります。
誰かがストレスを誰かに向けて放てば、やられた方はその分のストレスを受ける。
しかし哀しいかな、実際、そのストレス値の総量は減衰でも保存でもなく、発散、増加していくのです。
誰かになにかをされるたびに「なんでこんなことされなあかんの?」というストレスの分が余計に増えていくのです。
「目には目を。歯には歯を。」という言葉があります。
これは倍返しといった、ストレスの発散現象を抑えるための言葉です。投げたストレスがそのまま返ってくれば、人はそれ以上同じ事をすることはないでしょう。
なぜなら、その人は他人にストレスを投げたけれども、投げた分のストレスを軽減できたわけではない上に、
それがそのまま返ってくるとなると、ストレスは最初よりも増加という結果になるからです。
例:AさんとBさんは全く同じ境遇だ。ただし特別な友人関係にはないとする。
そこで、AさんがBさんを罵る。BさんがAさんを同じように罵る。さて、Aさんはストレス解消できたか。
友人でもない人にいきなり罵られたBさんはストレス零でいられるか?
そこまで考察が届けば、誰かにストレスを好んで投げつけることがどんなに無駄で浅はかな行為であるか理解できると思うのですが。。
17. あ
2006/10/14(土) 00:58:02
「童貞って生きていて恥ずかしくないの?」
「童貞死ねば?」
童貞は劣性遺伝(笑)ドキュン萌えー
顔差値30からの童貞喪失
「そんな女抱いても地獄ですよ」
童貞はダサ過ぎ 童貞くさい 生きていて恥ずかしくないの?
ぁぃにーちゅぅらっ(>O<;)ぁぃにーちゅぅらっ((>。<))
おーなーぃろーん(>o<;;)/
童貞菌がうつるから近寄るな。くっさー
素人童貞はテクあるし黙ってりゃ分からないのでまあ認めてやる。
あみちゃんもえもえーー
人間辞めますか 童貞辞めますか
「童貞死ねば?」
童貞は劣性遺伝(笑)ドキュン萌えー
顔差値30からの童貞喪失
「そんな女抱いても地獄ですよ」
童貞はダサ過ぎ 童貞くさい 生きていて恥ずかしくないの?
ぁぃにーちゅぅらっ(>O<;)ぁぃにーちゅぅらっ((>。<))
おーなーぃろーん(>o<;;)/
童貞菌がうつるから近寄るな。くっさー
素人童貞はテクあるし黙ってりゃ分からないのでまあ認めてやる。
あみちゃんもえもえーー
人間辞めますか 童貞辞めますか
18. あ
2006/10/14(土) 01:00:24
童貞キラー*具体的に童貞をばかにしよう
具体的に童貞をバカにする方法 なお童貞の人は読まないように
まず、Hテクの違いを挙げてばかにする。たいていの童貞はSEXもろくに出来ない事関して劣等感を持っているはずです。ばかにしましょう。
あと酒の席では、恋愛の話に話題をもってきて、女の子の前で恥をかかせるのもおもしろいかもしれません。そして大勢がいる前で、わざと「**さんって今まで何人と付き合ったんだっけ?」と聞きましょう。
童貞はたいていは高校時代から女にキモがられていない暦=年齢のひとばかりです。基本的な女性への接し方を知りません。非童貞でも知らない人はいますが、比べるといかに童貞が劣っているかがわかります。
童貞はたいていそのうっぷんを妄想やオナニーで忘れるのでしょう。
お見合いセンターの人と知り合いなのですがそこのひとも童貞の男の人と非処女の女の人の結婚はうまくいかないといいます。やはり日本は女社会ですね。最初は関係ないと思っていてもいざベッドインとなってから、女が男のテクの向上を暖かく見守るというのは希なことではないでしょうか。
具体的に童貞をバカにする方法 なお童貞の人は読まないように
まず、Hテクの違いを挙げてばかにする。たいていの童貞はSEXもろくに出来ない事関して劣等感を持っているはずです。ばかにしましょう。
あと酒の席では、恋愛の話に話題をもってきて、女の子の前で恥をかかせるのもおもしろいかもしれません。そして大勢がいる前で、わざと「**さんって今まで何人と付き合ったんだっけ?」と聞きましょう。
童貞はたいていは高校時代から女にキモがられていない暦=年齢のひとばかりです。基本的な女性への接し方を知りません。非童貞でも知らない人はいますが、比べるといかに童貞が劣っているかがわかります。
童貞はたいていそのうっぷんを妄想やオナニーで忘れるのでしょう。
お見合いセンターの人と知り合いなのですがそこのひとも童貞の男の人と非処女の女の人の結婚はうまくいかないといいます。やはり日本は女社会ですね。最初は関係ないと思っていてもいざベッドインとなってから、女が男のテクの向上を暖かく見守るというのは希なことではないでしょうか。
19. シク
2006/10/14(土) 01:23:17
>>16
「人を呪えば穴二つ」という言葉がありましたね。
ところで、AがBを罵ったとき、Bが罵りかえさなければ、Aのストレスは微減すると思います。
Bの反論を封じ込めればいいのです。(Bのストレスは余計増えますが)
他人に耳をかさない、自分と異なる意見は徹底的に無視・排除するといった現象はここから生まれてくるかもしれません。
「気にいらない人とのコミュニケーションは断つ」
これが近未来型コミュニケーションだといった人がいましたが、現在の(特に政治思想系の)ブログをみていると、近未来型に着実に近づいているかもしれません。
「人を呪えば穴二つ」という言葉がありましたね。
ところで、AがBを罵ったとき、Bが罵りかえさなければ、Aのストレスは微減すると思います。
Bの反論を封じ込めればいいのです。(Bのストレスは余計増えますが)
他人に耳をかさない、自分と異なる意見は徹底的に無視・排除するといった現象はここから生まれてくるかもしれません。
「気にいらない人とのコミュニケーションは断つ」
これが近未来型コミュニケーションだといった人がいましたが、現在の(特に政治思想系の)ブログをみていると、近未来型に着実に近づいているかもしれません。
20. あ
2006/10/14(土) 15:09:27
>ところで、AがBを罵ったとき、Bが罵りかえさなければ、Aのストレスは微減すると思います。
>Bの反論を封じ込めればいいのです。(Bのストレスは余計増えますが)
それをすると、BはAにとって敵になってしまいます。
いくらある話題でAがBに勝っていても、Bが勝る話題もあるはずです。その時にストレスを投げつけられることが予想されます。
こういうことを繰り返せばAとBの受けたストレスの総量は増すばかりです。(別なところで発散させて現状のストレス量は減衰していくでしょうが、「受けた」総量は増えて行きます。)
>反論
罵りに対して論述はありませんから「反撃」でしょうね。小さなことですが。
>Bの反論を封じ込めればいいのです。(Bのストレスは余計増えますが)
それをすると、BはAにとって敵になってしまいます。
いくらある話題でAがBに勝っていても、Bが勝る話題もあるはずです。その時にストレスを投げつけられることが予想されます。
こういうことを繰り返せばAとBの受けたストレスの総量は増すばかりです。(別なところで発散させて現状のストレス量は減衰していくでしょうが、「受けた」総量は増えて行きます。)
>反論
罵りに対して論述はありませんから「反撃」でしょうね。小さなことですが。
21. あ
2006/10/14(土) 15:45:29
しかしながら、人と人は分かり合えないものです。
どうしても認められないものってあるのでしょうね。
私にとってそれが「非論理的」であり、バイアスのかかった情報操作に気付かずに、噂に振り回され人にレッテルを貼りまくり、そして罵りあい<根拠が感情にあるような内容>を議論と称し単なる非難に回答を求めるようなことをし、感情の起伏という無駄を創出していくような行為です。
ここでは長い文章で以ってそれを注意しながら述べることが出来ますが、現実では「こういう話題を」そんな長い時間話せる機会は稀です。
そういう場合はシクさんのいうように「無視」になっていくんでしょうね。
どうしても認められないものってあるのでしょうね。
私にとってそれが「非論理的」であり、バイアスのかかった情報操作に気付かずに、噂に振り回され人にレッテルを貼りまくり、そして罵りあい<根拠が感情にあるような内容>を議論と称し単なる非難に回答を求めるようなことをし、感情の起伏という無駄を創出していくような行為です。
ここでは長い文章で以ってそれを注意しながら述べることが出来ますが、現実では「こういう話題を」そんな長い時間話せる機会は稀です。
そういう場合はシクさんのいうように「無視」になっていくんでしょうね。
22. シク
2006/10/14(土) 19:46:13
>>いくらある話題でAがBに勝っていても、Bが勝る話題もあるはずです。その時にストレスを投げつけられることが予想されます。
個人ブログなどでは、気に入らない発言に対して即削除の上、書込み禁止にする人もいます。
この場合でもBにストレスが生じるので、ストレスの総量は増えるでしょうが・・・
ところで、嫌なものに接触しなければストレスは生じません。
気に入らない思想を避けるということは、多かれ少なかれ誰にでもあると思います。
しかし、自分と異なる意見に触れ、自分の思想を修正してこそ思考が発展します。
異なる意見は避けがちになるものですが、そうならないように気をつけたいものです。
個人ブログなどでは、気に入らない発言に対して即削除の上、書込み禁止にする人もいます。
この場合でもBにストレスが生じるので、ストレスの総量は増えるでしょうが・・・
ところで、嫌なものに接触しなければストレスは生じません。
気に入らない思想を避けるということは、多かれ少なかれ誰にでもあると思います。
しかし、自分と異なる意見に触れ、自分の思想を修正してこそ思考が発展します。
異なる意見は避けがちになるものですが、そうならないように気をつけたいものです。
23. あ
2006/10/24(火) 02:17:19
残念ですが、論理的ではないものを受け入れることは私には出来ません。
意志で選ぶ愛と信用を除いて。
それはなぜか。
世の中は無責任な言葉で溢れているからです。
例えば。
「お前は生きる価値が無い」という言葉があるとしましょう。それに対して「根拠は?」と求めなければ、一体なんとしますか?
多様性が重要であることはすでに述べました。それゆえに私は人の言葉を広く聞き入れる耳を持つべきだと考えています。
その方針に従う結果、迷いやすく、雑音も拾いやすくなるのです。全ての考え、可能性を許容するとき、人は無意見になり、同時に脆弱になります。
それではやっていけない。
最終的に行き着いた考えが、”論理的であれ”です。
現在の状況の成否は問わない。
それは誰にもわからないのだから。
大事なのは、どこかにある真実に向かえるプロセスをたどっているかどうか。
●たまに根拠なしに物を言い放って
「人の話を聞け」という人がいるようですが、
こちらは聞き流さずに、聞き入れなければならない対象が多すぎる故に一つ一つに根拠を求めなければエントロピーが増大し立ち行きがならなくなります。
それを理解しない人はそういう体験をしたことが無いと考えられます。もとよりそういう「受け入れる、理解しようとする」努力をせず一方通行のみを主体にした発話に耳を傾けることは危険です。
意志で選ぶ愛と信用を除いて。
それはなぜか。
世の中は無責任な言葉で溢れているからです。
例えば。
「お前は生きる価値が無い」という言葉があるとしましょう。それに対して「根拠は?」と求めなければ、一体なんとしますか?
多様性が重要であることはすでに述べました。それゆえに私は人の言葉を広く聞き入れる耳を持つべきだと考えています。
その方針に従う結果、迷いやすく、雑音も拾いやすくなるのです。全ての考え、可能性を許容するとき、人は無意見になり、同時に脆弱になります。
それではやっていけない。
最終的に行き着いた考えが、”論理的であれ”です。
現在の状況の成否は問わない。
それは誰にもわからないのだから。
大事なのは、どこかにある真実に向かえるプロセスをたどっているかどうか。
●たまに根拠なしに物を言い放って
「人の話を聞け」という人がいるようですが、
こちらは聞き流さずに、聞き入れなければならない対象が多すぎる故に一つ一つに根拠を求めなければエントロピーが増大し立ち行きがならなくなります。
それを理解しない人はそういう体験をしたことが無いと考えられます。もとよりそういう「受け入れる、理解しようとする」努力をせず一方通行のみを主体にした発話に耳を傾けることは危険です。
24. シク
2006/10/24(火) 04:06:45
あまり論理とは関係ありませんが、
私は、生きることに価値や目的があるとは思いません。「生きる」は状態動詞なのです。
そのことに耐えられない人が宗教(または巨大な力、組織)に頼るのだと思います。
私は、生きることに価値や目的があるとは思いません。「生きる」は状態動詞なのです。
そのことに耐えられない人が宗教(または巨大な力、組織)に頼るのだと思います。
25. a
2006/10/24(火) 07:21:06
自立や自由をある程度実現してから、その自由を価値に変えていく段階が来るのでしょう。
生には意味がないとか、日本の大学は学問を学ぶところではない、とかいった安易な居直りを、私は軽蔑します。
生には意味がないとか、日本の大学は学問を学ぶところではない、とかいった安易な居直りを、私は軽蔑します。
26. あ
2006/10/25(水) 00:03:28
そもそも生きるとはなんでしょうか。
とりあえず食べて、寝ることですか?
そういう「ただ生命維持する」ことを指して「生きている」と言ってしまえる人も居れば、毎日の辛い思いに耐えながら、それでも前を向いて進んで行く辛さをも含めて「生きる」という人もいます。
「生には意味が無い」という曖昧な言葉は私にとって
誤解と混乱と敵対を招く言葉であり、私にとっての「悪」(使った人の罪は特に問わない)に属するものです。
そしてそういう言葉の定義を問い、出来うる限りの誤解と敵対をなくすことこそが選ぶべき道であると私は信じています。
>24.私は、生きることに価値や目的があるとは思いません。「生きる」は状態動詞なのです。
ただの状態としての生にはなんら価値を見出すことが出来ない、の間違いでは。
「生きる」とは人によっては「活きる」も含みます。
内包関係が逆です。
もし本当に生きることに意味がない、というのなら、問いましょう。
意味がない、とは誰にとって、何にとって意味がないのですか?
そもそも意味がない、とはどういう状態ですか?
ちなみに、私にとっての「意味がない」とは。
前に進まない。なにも変化が生じないことです。
とりあえず食べて、寝ることですか?
そういう「ただ生命維持する」ことを指して「生きている」と言ってしまえる人も居れば、毎日の辛い思いに耐えながら、それでも前を向いて進んで行く辛さをも含めて「生きる」という人もいます。
「生には意味が無い」という曖昧な言葉は私にとって
誤解と混乱と敵対を招く言葉であり、私にとっての「悪」(使った人の罪は特に問わない)に属するものです。
そしてそういう言葉の定義を問い、出来うる限りの誤解と敵対をなくすことこそが選ぶべき道であると私は信じています。
>24.私は、生きることに価値や目的があるとは思いません。「生きる」は状態動詞なのです。
ただの状態としての生にはなんら価値を見出すことが出来ない、の間違いでは。
「生きる」とは人によっては「活きる」も含みます。
内包関係が逆です。
もし本当に生きることに意味がない、というのなら、問いましょう。
意味がない、とは誰にとって、何にとって意味がないのですか?
そもそも意味がない、とはどういう状態ですか?
ちなみに、私にとっての「意味がない」とは。
前に進まない。なにも変化が生じないことです。
27. シク
2006/10/25(水) 00:23:20
私の「生きる」という言葉の捉え方が違うのだと思います。
「生きる」というのは「死んでいないこと」。行動を表すものではなく、漠然とした状態を表す言葉だと思っています。
食べて寝ることや、苦難に耐え生活することなどは、何らかの行動・動作であり状態ではないと思います。(「活きる」という言葉にあたるのでしょうか。)
生活をおくるという「行動」には目的があるでしょうが「生きている」(死んでいない)という「状態」に目的はありません。
「生きる」というのは「死んでいないこと」。行動を表すものではなく、漠然とした状態を表す言葉だと思っています。
食べて寝ることや、苦難に耐え生活することなどは、何らかの行動・動作であり状態ではないと思います。(「活きる」という言葉にあたるのでしょうか。)
生活をおくるという「行動」には目的があるでしょうが「生きている」(死んでいない)という「状態」に目的はありません。
28. EUREKA
2006/10/25(水) 00:28:53
生きろとはいわん。死なんでくれ。
29. ・・・
2006/10/25(水) 01:08:36
何もしていない人間は
生きているんじゃない、
死んでいないだけだ
生きているんじゃない、
死んでいないだけだ
30. (´・ε ・`)
2006/10/25(水) 01:09:12
論理思考を用いて、あの問題がとけるかな
そう、かの有名な「バナナおやつ問題」
そう、かの有名な「バナナおやつ問題」
31. あ
2006/10/25(水) 01:36:40
>30.
おやつとは?
一例:朝ご飯から八つ時、つまり3時に食べる軽食。その場合、バナナはおやつでありうる。
一例:管理者側が遠足に持っていく軽食類を制限するために設けた分類。その場合、バナナがおやつであるかは場のルールの制定者である管理者による。
一例:子供がおやつと思っているもの。すなわち甘いもの等の分類。その場合、バナナはおやつになりうる。
おやつとは?
一例:朝ご飯から八つ時、つまり3時に食べる軽食。その場合、バナナはおやつでありうる。
一例:管理者側が遠足に持っていく軽食類を制限するために設けた分類。その場合、バナナがおやつであるかは場のルールの制定者である管理者による。
一例:子供がおやつと思っているもの。すなわち甘いもの等の分類。その場合、バナナはおやつになりうる。
32. ↑
2006/10/25(水) 23:25:09
>管理者側が遠足に持っていく軽食類を制限するために設けた分類。
先生!バナナはおやつですか?デザートですか?
先生!バナナはおやつですか?デザートですか?
33. あ
2006/10/25(水) 23:33:51
問題:バナナはおやつかおかずかデザートか
・学校でおやつ禁止のときにバナナを持ってきていいのか
・遠足の金額制限にバナナは含まれるのか
・必ず「先生バナナはおやつに含まれますか?」と聞いてくる生徒がいる
・そもそも遠足の金額制限は、高度成長期に貧富の差を感じさせないようにうまれた。
・遠足のおやつが300円までだったら、バナナが含まれると、他にはほとんど買えない。
・学校でおやつ禁止のときにバナナを持ってきていいのか
・遠足の金額制限にバナナは含まれるのか
・必ず「先生バナナはおやつに含まれますか?」と聞いてくる生徒がいる
・そもそも遠足の金額制限は、高度成長期に貧富の差を感じさせないようにうまれた。
・遠足のおやつが300円までだったら、バナナが含まれると、他にはほとんど買えない。
34. こんなページ見つけた
2006/10/25(水) 23:37:40
35. あ
2006/10/27(金) 23:55:47
>シュレディンガーのバナナ
シュレディンガーの猫は、観測前には生きているか死んでいるかについての情報は全くありません。生死の確率を操作することも出来ません。
それに対してバナナは「どうあるべき」かを決定することは可能ですので、確率の操作はある程度可能です。
以上から両者を同じように言及するのは少々誤解を招く表現であるといえます。
シュレディンガーの猫は、観測前には生きているか死んでいるかについての情報は全くありません。生死の確率を操作することも出来ません。
それに対してバナナは「どうあるべき」かを決定することは可能ですので、確率の操作はある程度可能です。
以上から両者を同じように言及するのは少々誤解を招く表現であるといえます。
36. あ
2006/10/28(土) 00:40:42
>先生!バナナはおやつですか?デザートですか?
子供がそう聞くとき、「おやつ」という定義と管理者側の意図する「おやつ」は定義が恐らく同じではありません。「おやつ」という言葉を管理者側がより的確に定義せずに使うことが間違い。
>デザート
「おやつ」という特殊な区分を設けてわざわざ管理したいというのに、「おやつ」と同格になりうる「デザート」を定義しないのも間違い。例として定義しましょう。(「そもそも遠足の金額制限は、高度成長期に貧富の差を感じさせないようにうまれた」という存在目的は既に余り意味をなさないので、これを敢えて用いる教育者が、前任の真似ではなく、なにかしら合理的意図を持っているはずだと善意的解釈を与えた上で、その意図を想像しましょう。
「おやつ」とは。(上記管理者側定義の延長として定義する。)
生徒の自己裁量で購入する食べ物。すなわち300円ないし400円という範囲での金銭管理を生徒に課し、生徒の金銭管理能力を向上させることを教育上の目的とする。
従って親の裁量で購入したものは「おやつ」とは別物。しかしながらこの教育は、「親の裁量」が問題になってくるため、事前に親側に管理者側の意図を通知しておく必要がある。(お弁当は親の裁量で用意したものであり、親は教育の成果を管理者側にフィードバックさせるために、用意した弁当と子供の用意したおやつとを明確に区別する工夫を行う必要がある。)
そして、親が自らの裁量でバナナが必要だと考えれば、明確に区別できる形で弁当に加えれば良い。例えば、専用の袋を用意する等。
「バナナはおやつですか?」という問いは多くの不確定な情報を含んでおり、誤解を招きやすい言葉であります。このような言葉を使う時、定義の闘いという、議論として意味の無い所に陥りやすいので、注意して欲しいです。
子供がそう聞くとき、「おやつ」という定義と管理者側の意図する「おやつ」は定義が恐らく同じではありません。「おやつ」という言葉を管理者側がより的確に定義せずに使うことが間違い。
>デザート
「おやつ」という特殊な区分を設けてわざわざ管理したいというのに、「おやつ」と同格になりうる「デザート」を定義しないのも間違い。例として定義しましょう。(「そもそも遠足の金額制限は、高度成長期に貧富の差を感じさせないようにうまれた」という存在目的は既に余り意味をなさないので、これを敢えて用いる教育者が、前任の真似ではなく、なにかしら合理的意図を持っているはずだと善意的解釈を与えた上で、その意図を想像しましょう。
「おやつ」とは。(上記管理者側定義の延長として定義する。)
生徒の自己裁量で購入する食べ物。すなわち300円ないし400円という範囲での金銭管理を生徒に課し、生徒の金銭管理能力を向上させることを教育上の目的とする。
従って親の裁量で購入したものは「おやつ」とは別物。しかしながらこの教育は、「親の裁量」が問題になってくるため、事前に親側に管理者側の意図を通知しておく必要がある。(お弁当は親の裁量で用意したものであり、親は教育の成果を管理者側にフィードバックさせるために、用意した弁当と子供の用意したおやつとを明確に区別する工夫を行う必要がある。)
そして、親が自らの裁量でバナナが必要だと考えれば、明確に区別できる形で弁当に加えれば良い。例えば、専用の袋を用意する等。
「バナナはおやつですか?」という問いは多くの不確定な情報を含んでおり、誤解を招きやすい言葉であります。このような言葉を使う時、定義の闘いという、議論として意味の無い所に陥りやすいので、注意して欲しいです。
37. あ
2006/10/29(日) 02:03:19
>シクさんへ
「生きる」という言葉は、あなたにとってそういう意味であることは否定しませんが、他の人に話すときにはより慎重な言葉で定義しないと、25.さんのような「軽蔑」を受けてしまいます。それが論理的思考に従った結果であるかどうかは別として。それは損なことです。
例えば、「生きていることには意味がない」という時、
まず最初に説明しなければならないのは、「生きる」という言葉の意味です。
生きる、という言葉にはなんら目的を持つ動作を含ませないと(自分の中で)定義すると断れば、誰も反発する人は居ないでしょう。
ただし、他の人の「生きる」という言葉をも定義してしまおうとするときに反発が生じることを忘れてはいけません。
また、「〜は駄目だ」という論調で物事を終わらせてはいけません。それは絶望です。破壊です。
「問題解決のための現状否定や破壊」は時に必要ですが、現状否定や破壊は「問題解決」のための一手段であり、手段を目的化したような「否定だけで終わる」論調では、その無責任性(否定や破壊を行うとき、その行為が正しい方向に向かわないかもしれないというリスクが生じている。それに対する責任。)ゆえに誰もついてはこないのです。
アナタの発言に必要なモノはこれです。
「では一体なにに意味があるのか?」
意味がないことより、意味があるものを述べた方がポジティブで、人も耳を傾けるでしょう。
「生きる」という言葉は、あなたにとってそういう意味であることは否定しませんが、他の人に話すときにはより慎重な言葉で定義しないと、25.さんのような「軽蔑」を受けてしまいます。それが論理的思考に従った結果であるかどうかは別として。それは損なことです。
例えば、「生きていることには意味がない」という時、
まず最初に説明しなければならないのは、「生きる」という言葉の意味です。
生きる、という言葉にはなんら目的を持つ動作を含ませないと(自分の中で)定義すると断れば、誰も反発する人は居ないでしょう。
ただし、他の人の「生きる」という言葉をも定義してしまおうとするときに反発が生じることを忘れてはいけません。
また、「〜は駄目だ」という論調で物事を終わらせてはいけません。それは絶望です。破壊です。
「問題解決のための現状否定や破壊」は時に必要ですが、現状否定や破壊は「問題解決」のための一手段であり、手段を目的化したような「否定だけで終わる」論調では、その無責任性(否定や破壊を行うとき、その行為が正しい方向に向かわないかもしれないというリスクが生じている。それに対する責任。)ゆえに誰もついてはこないのです。
アナタの発言に必要なモノはこれです。
「では一体なにに意味があるのか?」
意味がないことより、意味があるものを述べた方がポジティブで、人も耳を傾けるでしょう。
38. シク
2006/10/29(日) 02:32:08
>私は、生きることに価値や目的があるとは思いません。「生きる」は状態動詞なのです。
と「生きる」という言葉の主観的解釈を書きました。さてこれは、
>世の中は無責任な言葉で溢れているからです。
>例えば。
>「お前は生きる価値が無い」という言葉があるとしましょう。それに対して「根拠は?」と求めなければ、一体なんとしますか?
とあなたの述べられたとおり、「生きる」という言葉の発言者私自身の意図(又は定義、解釈)を求めなければ、実に無意味(意味不明)な発言です。今回は私の発言の後に、意図を求めようとする発言がありましたので、ある程度の意図は伝わる発言となりました。
このように数行の短い文でも、コミュニケーションを重ねなければ意味は伝わりません。
主観的な文でなく、論理的な文であったとしても100%発言者の意図が伝わることはないでしょう。
なぜなら言葉は完全に定義することはできません。
どれだけ論理的な文であり、それぞれの言葉を厳密に定義しようとしても、決して100%の情報が伝わるわけではないのです。
この論理の限界についてどう思われますか?
と「生きる」という言葉の主観的解釈を書きました。さてこれは、
>世の中は無責任な言葉で溢れているからです。
>例えば。
>「お前は生きる価値が無い」という言葉があるとしましょう。それに対して「根拠は?」と求めなければ、一体なんとしますか?
とあなたの述べられたとおり、「生きる」という言葉の発言者私自身の意図(又は定義、解釈)を求めなければ、実に無意味(意味不明)な発言です。今回は私の発言の後に、意図を求めようとする発言がありましたので、ある程度の意図は伝わる発言となりました。
このように数行の短い文でも、コミュニケーションを重ねなければ意味は伝わりません。
主観的な文でなく、論理的な文であったとしても100%発言者の意図が伝わることはないでしょう。
なぜなら言葉は完全に定義することはできません。
どれだけ論理的な文であり、それぞれの言葉を厳密に定義しようとしても、決して100%の情報が伝わるわけではないのです。
この論理の限界についてどう思われますか?
39. あ(文章推敲不足中
2006/10/29(日) 02:51:58
●「そんなはずはない」で終わらせる人について。
上記の「否定だけで終わる論調」に該当するものとして挙げます。これは更に無根拠であり、これに対し「そう考える根拠は?」と問うことが出来れば何も問題はありませんが、問えない場もあります。
そのような物言いはコミュニケーションの放棄(こちらからわざわざ「根拠は?」と話を拾わなければならない)であり、団体内での意志をうまく伝達しあい、相互補完しあいながらより高い価値を創出していこうという観点と全く反するものです。
更に「噂」の項でも述べましたが、どうも「論理ベース」と「信用ベース(ここでは印象ベースと言ったほうがわかりよい)」を分けていない人がいるわけで、
論理的に話がまとまってないのに、勝手にその情報が決まったものだと勘違いしてしまう人が出てくるのです。
それは、チームとして、混沌な状況といえます。
そのような状況を避けるためにも、自分の発言には根拠をつけましょう。
否定で終わる発言は控えましょう。無責任です。
更に根拠が無ければ尚悪い。
(例:「kyoto-u.comは幼稚だ。」など。)
上記の「否定だけで終わる論調」に該当するものとして挙げます。これは更に無根拠であり、これに対し「そう考える根拠は?」と問うことが出来れば何も問題はありませんが、問えない場もあります。
そのような物言いはコミュニケーションの放棄(こちらからわざわざ「根拠は?」と話を拾わなければならない)であり、団体内での意志をうまく伝達しあい、相互補完しあいながらより高い価値を創出していこうという観点と全く反するものです。
更に「噂」の項でも述べましたが、どうも「論理ベース」と「信用ベース(ここでは印象ベースと言ったほうがわかりよい)」を分けていない人がいるわけで、
論理的に話がまとまってないのに、勝手にその情報が決まったものだと勘違いしてしまう人が出てくるのです。
それは、チームとして、混沌な状況といえます。
そのような状況を避けるためにも、自分の発言には根拠をつけましょう。
否定で終わる発言は控えましょう。無責任です。
更に根拠が無ければ尚悪い。
(例:「kyoto-u.comは幼稚だ。」など。)
40. あ(文章推敲不足中
2006/10/29(日) 04:40:08
>シクさんへ
論理に100%を求めたのがデカルトでありその後に続く哲学者達だと認識していますが、私は100%論理で片付けられるなど思っていません。なぜなら問題解決の対象が人間同士の関係であり、不確定な代物だからです。
それらの代物(感情、道徳、etc)をも含み、とかく
多くの人にとって背景知識なしに合意がとれるような
、考え方の構築様式を論理的、と呼んでいます。
それらは数学などの厳密な論理とは区別するべきですが、厳密な論理は実際の不確定な社会の中で答えを導き出せる類のものではありませんので、厳密な論理は無視し、一般的な言葉としての論理的という言葉をそのまま用いることにしました。
例えば、「Aさんが80%程度の確率で怒り出す恐れのある言葉」を使うのは〜な態度から言って論理的ではないと、こうなります。(確率検定みたいですが、80%程度の確率の部分が、経験に基づく推測ですし、そもそも「論理的」の部分が不確定な代物なので、やはり異なります)
「より誤解を少なくするように努力する」ために、
コミュニケーションをとり、理解を進めるというプロセスの中でも、誤解を招くリスクのある言葉は出来るだけ使わない、また上記に述べた、否定で終わらない、などの処方箋があります。
それらは言葉を用いた論理による説明による理解が決して100%に到達し得ないことを認めるがゆえに存在します。完璧であるかどうかは問いません。それは誰にもわからないのだから。自分で言っている「論理的」をほぼ守れているかどうかすらわかりません。だから「論理を志して」としています。しかし、完璧へ向かうための処方箋は話し合い、構築することが出来るはずです。
●「どうすれば背景に依らずより良いコミュニケーションをとる(議論する)ことが出来るのか?」
(但し見た目で決まる印象については除く。)
議題はこれです。愚痴と称してこれを延べ続けてきたに近いです。
「論理には限界がある」からと言って、それを捨ててしまった方がよいことにはなりませんよね。代用品が新たに出てこなければ。
ついでに言うと、あなたの考えている「論理」とはなんなんでしょう。それなくして、代用品は考えられませんよね。
ところで、あなたは私が無責任な発言の例としてあげたものに対してレスをつけてくれていたのですね。気付かずに全く別のものとし、私が「無責任な発言の例」としてあげた根拠をえんえん述べることとなりました。失礼。
論理に100%を求めたのがデカルトでありその後に続く哲学者達だと認識していますが、私は100%論理で片付けられるなど思っていません。なぜなら問題解決の対象が人間同士の関係であり、不確定な代物だからです。
それらの代物(感情、道徳、etc)をも含み、とかく
多くの人にとって背景知識なしに合意がとれるような
、考え方の構築様式を論理的、と呼んでいます。
それらは数学などの厳密な論理とは区別するべきですが、厳密な論理は実際の不確定な社会の中で答えを導き出せる類のものではありませんので、厳密な論理は無視し、一般的な言葉としての論理的という言葉をそのまま用いることにしました。
例えば、「Aさんが80%程度の確率で怒り出す恐れのある言葉」を使うのは〜な態度から言って論理的ではないと、こうなります。(確率検定みたいですが、80%程度の確率の部分が、経験に基づく推測ですし、そもそも「論理的」の部分が不確定な代物なので、やはり異なります)
「より誤解を少なくするように努力する」ために、
コミュニケーションをとり、理解を進めるというプロセスの中でも、誤解を招くリスクのある言葉は出来るだけ使わない、また上記に述べた、否定で終わらない、などの処方箋があります。
それらは言葉を用いた論理による説明による理解が決して100%に到達し得ないことを認めるがゆえに存在します。完璧であるかどうかは問いません。それは誰にもわからないのだから。自分で言っている「論理的」をほぼ守れているかどうかすらわかりません。だから「論理を志して」としています。しかし、完璧へ向かうための処方箋は話し合い、構築することが出来るはずです。
●「どうすれば背景に依らずより良いコミュニケーションをとる(議論する)ことが出来るのか?」
(但し見た目で決まる印象については除く。)
議題はこれです。愚痴と称してこれを延べ続けてきたに近いです。
「論理には限界がある」からと言って、それを捨ててしまった方がよいことにはなりませんよね。代用品が新たに出てこなければ。
ついでに言うと、あなたの考えている「論理」とはなんなんでしょう。それなくして、代用品は考えられませんよね。
ところで、あなたは私が無責任な発言の例としてあげたものに対してレスをつけてくれていたのですね。気付かずに全く別のものとし、私が「無責任な発言の例」としてあげた根拠をえんえん述べることとなりました。失礼。
41. a
2006/10/29(日) 06:00:42
倫理を論じるには、ロジックの他に経済についても考えないと。
42. あ
2006/10/29(日) 06:40:54
>41.
今は特に、「この掲示板における道徳」を最優先に考えていますが、個人およびチーム内コミュニケーションと経済の関わりは薄いと考えています。
経済が特に必要なのは企業倫理でしょう。
それ以外は・・?
あなたがその知見を使って教えてくれるならば大歓迎ですが。
今は特に、「この掲示板における道徳」を最優先に考えていますが、個人およびチーム内コミュニケーションと経済の関わりは薄いと考えています。
経済が特に必要なのは企業倫理でしょう。
それ以外は・・?
あなたがその知見を使って教えてくれるならば大歓迎ですが。
43. a
2006/10/29(日) 06:46:26
>個人およびチーム内コミュニケーションと経済の関わりは薄いと考えています。
1、2回生なのかな?
1、2回生なのかな?
44. あ
2006/10/29(日) 07:22:11
経済=経済の仕組み
コミュニケーション=スピーチ、意志伝達
として言葉を使用しましたが。
コミュニケーション=スピーチ、意志伝達
として言葉を使用しましたが。
45. a
2006/10/29(日) 08:37:26
チーム内の意志伝達の道徳について云々してたんですか。
デカルトとか持ち出してくるから、もっと広い視野で対話について考えてるのかと思いました。
>論理に100%を求めたのがデカルトでありその後に続く哲学者達だと認識しています
デカルトは各地を旅する中で、自分とは相異なる価値観に接し、そしてまたその価値観がそれなりに合理的であることに気付き、自分の思考や文化的な被限定性について反省しはじめたんですね。
そして、そういった地域性を超えた普遍的な思考の土台を作る必要を感じ、それを一応実行したあとで、自然化学の諸分野に移って行ったわけです。
つまり、はじめからデカルトの念頭にあったのはチーム外の人々との意志伝達なんですね。
デカルトとか持ち出してくるから、もっと広い視野で対話について考えてるのかと思いました。
>論理に100%を求めたのがデカルトでありその後に続く哲学者達だと認識しています
デカルトは各地を旅する中で、自分とは相異なる価値観に接し、そしてまたその価値観がそれなりに合理的であることに気付き、自分の思考や文化的な被限定性について反省しはじめたんですね。
そして、そういった地域性を超えた普遍的な思考の土台を作る必要を感じ、それを一応実行したあとで、自然化学の諸分野に移って行ったわけです。
つまり、はじめからデカルトの念頭にあったのはチーム外の人々との意志伝達なんですね。
46. あ
2006/10/29(日) 15:36:03
>45.
知見を有難うございます。
「チーム」と「土着の小さな社会」は異なるものと考えます。例えば、この大学に入学してきている人達は既に微妙に異なる文化と価値観をそれぞれ持っているはずです。その異なる価値観、文化を持つ人々で構成された「チーム内」での意志伝達が、どうあるべきかを議論したいと思っていますし、愚痴と称してそういうことを述べてきました。その目的は議論板での議論の正常化であります。
知見を有難うございます。
「チーム」と「土着の小さな社会」は異なるものと考えます。例えば、この大学に入学してきている人達は既に微妙に異なる文化と価値観をそれぞれ持っているはずです。その異なる価値観、文化を持つ人々で構成された「チーム内」での意志伝達が、どうあるべきかを議論したいと思っていますし、愚痴と称してそういうことを述べてきました。その目的は議論板での議論の正常化であります。
47. ・・・
2006/10/31(火) 17:44:54
議論の正常化を目的とするのではなく、
何か別のテーマをこのスレで議論していけばいいのではないでしょうか。
このスレだけでも論理的な議論(変な表現だが)をしていれば、だんだん他のスレも正常化していくと思います。
何か別のテーマをこのスレで議論していけばいいのではないでしょうか。
このスレだけでも論理的な議論(変な表現だが)をしていれば、だんだん他のスレも正常化していくと思います。
48. あ
2006/11/01(水) 01:37:33
>47.
最終的には子供にも教えられる道徳までたどり着きたいと思っていますが、如何せん良い(困難過ぎない)議題が思いつきませんので、細かい愚痴を続けています。
最終的には子供にも教えられる道徳までたどり着きたいと思っていますが、如何せん良い(困難過ぎない)議題が思いつきませんので、細かい愚痴を続けています。
49. あ
2006/11/03(金) 00:42:27
●ボソボソと聞こえるような聞こえないような声で言葉を発する人
よく聞いてみると、物凄い悪態だったりします。
これは、ボソボソ声ゆえに発言したという証拠に欠け
発言に対する責任を問われないという、無責任な行為です。
影口も同様なことが言え、正しくコミュニケーションを取り創造的な活動をしていこうという観点に反します。
「噂」の項で述べたように、発話が場に影響を及ぼしたとしても誰にもその真偽を、その責任を問うことが出来ず、不確定な情報により混乱(誤った認識による無駄)が生じるばかりです。
●偏った人ばかりが発話する
上記で「ぼそぼそ」と声を発することの悪しき点について述べましたが、もともと声の小さい人はそういう意味(責任性)で発言能力が低く、意味のあることを言っていても採用されにくいのです。
だからといって声の大きい発話の方ばかりを採用すれば、考えが偏ってしまい、グループとしての可能性を収束させてしまいます。
従って、構成員に無責任な発言を許さない、偏った人(声の通る人)ばかりの発言を通さない、という役割が必要なわけで、大抵進行役がそれをつとめることになるでしょう。
しかし、リーダーが全てを担うだけでは実現できず、
構成員一人一人がそれを心がけ、耳を傾けることが必要です。
なにか言おうとしているが、発言が通っていない人がいたらちゃんとケアすることがグループのためになります。逆にそれらを放置するならば、無責任な発話をも放置したり、可能性を収縮させたり、意見の無根拠な無視=敵対、という結果となります。
よく聞いてみると、物凄い悪態だったりします。
これは、ボソボソ声ゆえに発言したという証拠に欠け
発言に対する責任を問われないという、無責任な行為です。
影口も同様なことが言え、正しくコミュニケーションを取り創造的な活動をしていこうという観点に反します。
「噂」の項で述べたように、発話が場に影響を及ぼしたとしても誰にもその真偽を、その責任を問うことが出来ず、不確定な情報により混乱(誤った認識による無駄)が生じるばかりです。
●偏った人ばかりが発話する
上記で「ぼそぼそ」と声を発することの悪しき点について述べましたが、もともと声の小さい人はそういう意味(責任性)で発言能力が低く、意味のあることを言っていても採用されにくいのです。
だからといって声の大きい発話の方ばかりを採用すれば、考えが偏ってしまい、グループとしての可能性を収束させてしまいます。
従って、構成員に無責任な発言を許さない、偏った人(声の通る人)ばかりの発言を通さない、という役割が必要なわけで、大抵進行役がそれをつとめることになるでしょう。
しかし、リーダーが全てを担うだけでは実現できず、
構成員一人一人がそれを心がけ、耳を傾けることが必要です。
なにか言おうとしているが、発言が通っていない人がいたらちゃんとケアすることがグループのためになります。逆にそれらを放置するならば、無責任な発話をも放置したり、可能性を収縮させたり、意見の無根拠な無視=敵対、という結果となります。
50. あ
2006/11/03(金) 01:20:58
投下したい議題≒将来子供に教えるために熟成させておきたい議題
●平等主義VS弱肉強食主義
経験上、平等という言葉を聞いて無条件に思考硬直する人が居ました。さて、他の人は平等という言葉をどうイメージしているのでしょう?また、その逆にくるものは?
●平等主義VS弱肉強食主義
経験上、平等という言葉を聞いて無条件に思考硬直する人が居ました。さて、他の人は平等という言葉をどうイメージしているのでしょう?また、その逆にくるものは?
51. あ(愚痴続行中
2006/11/05(日) 02:16:02
●文句は言うがなにもしない
自分の行動が全体を阻害するわけでもないのに、
行動せずに文句だけ言う行為は、グループに影響を
及ぼす権利と責任を有する構成員のする行動ではありません。
それは野次馬の行動です。
自分の行動が全体を阻害するわけでもないのに、
行動せずに文句だけ言う行為は、グループに影響を
及ぼす権利と責任を有する構成員のする行動ではありません。
それは野次馬の行動です。
52. あ
2006/11/19(日) 05:36:40
●質問になにも答えない。
「お前たち、わからないことは自分でこそこそ調べてないで聞け。時間の無駄だ。」
「教えてください」と色んな部署の人に声をかけるのはザラ。そうやって教えあうコミュニケーションが重要。チーム同士、チーム内で競い合うのはいいけれど、知識を隠しあって馬鹿にし合うのは本当に無駄。
京大では「教えて君」は嫌われるが、考え方を変えると、教えることはコミュニケーション能力の向上に繋がるわけで。本当の一方向伝達の「写させて君」だけ切ればいい話。
質問が「攻撃」だと感じる人は敏感すぎる、あるいは質問を普段から攻撃に使っている人。
攻撃に「質問」を用いる行為は、逆に言うと質問を許さない、コミュニケーションを疎外する行為。
攻撃ではないと考えて、質問には答えましょう。
そのためには質問に答えて叩かれるなんていう風土は改めなければ。
複数人を装う自演なぞコミュニケーション放棄(質問には一切答えないという態度のあらわれ)で論外。
「お前たち、わからないことは自分でこそこそ調べてないで聞け。時間の無駄だ。」
「教えてください」と色んな部署の人に声をかけるのはザラ。そうやって教えあうコミュニケーションが重要。チーム同士、チーム内で競い合うのはいいけれど、知識を隠しあって馬鹿にし合うのは本当に無駄。
京大では「教えて君」は嫌われるが、考え方を変えると、教えることはコミュニケーション能力の向上に繋がるわけで。本当の一方向伝達の「写させて君」だけ切ればいい話。
質問が「攻撃」だと感じる人は敏感すぎる、あるいは質問を普段から攻撃に使っている人。
攻撃に「質問」を用いる行為は、逆に言うと質問を許さない、コミュニケーションを疎外する行為。
攻撃ではないと考えて、質問には答えましょう。
そのためには質問に答えて叩かれるなんていう風土は改めなければ。
複数人を装う自演なぞコミュニケーション放棄(質問には一切答えないという態度のあらわれ)で論外。
53. ↑
2006/11/19(日) 05:49:02
教えて君が嫌われるのは、容易に集められる簡単な情報を望むから。
普通「聞け!」と言われるのは、もう少しだけ高度な対応。経験がないと対応できないものの処理の仕方だよ。
普通「聞け!」と言われるのは、もう少しだけ高度な対応。経験がないと対応できないものの処理の仕方だよ。
54. あ
2006/11/19(日) 06:20:28
>53.
「容易に集められる簡単な情報」とは学内の掲示板に書いてあるようなことですよね。
私は講義の内容等(理解の仕方)も含めましたし、経験上含められていると思っていました。
>普通
普通ってなんでしょう?平均値ですか?
現状の平均値が最適解とは限りませんし、そもそも平均を実際にとるのは困難と思いますが。
うちでは、「聞く」の範疇には経験だけではなく単なる知識も含められてました。ネットで調べている暇があったら顔を売れ。全く知らない人間とコミュニケーションを取ることに慣れろ、とね。
「容易に集められる簡単な情報」とは学内の掲示板に書いてあるようなことですよね。
私は講義の内容等(理解の仕方)も含めましたし、経験上含められていると思っていました。
>普通
普通ってなんでしょう?平均値ですか?
現状の平均値が最適解とは限りませんし、そもそも平均を実際にとるのは困難と思いますが。
うちでは、「聞く」の範疇には経験だけではなく単なる知識も含められてました。ネットで調べている暇があったら顔を売れ。全く知らない人間とコミュニケーションを取ることに慣れろ、とね。
55. 来るなら
2006/12/12(火) 18:10:15
来てみろ闇雲月に群雲花に風ってね一切を遮断する。
56. あ
2006/12/12(火) 22:13:23
音聞こゆ 敢え無く覚えど いざきかん 我が手届かぬ 棚の上より
57. あ
2006/12/12(火) 22:25:46
>55.
それは誰に言ってはるんですか。主語はなんですのん?
それは誰に言ってはるんですか。主語はなんですのん?
58. あ
2006/12/23(土) 14:58:12
以上ここまでの自分の発言を少々纏めると、全ての段階で非論理的なバイアスをかけずに機会を分配することが、可能性を収束させない唯一の方法です。
そのうえで、
●平等とは。
多くの人に同意の取れる形での一様化。
それは構成員間での論理的相互理解を基調とする。
すなわちそれはコミュニケーションにおける
非論理的偏狭を排除すること。
それは能力の多様性という万人の真理から生じる、結果の多様性、すなわち客観的、論理的に評価される成果の多様性を踏みにじるものであってはならない。
また論理的理解、合意なしに強制されるものであってはならない。
そのうえで、
●平等とは。
多くの人に同意の取れる形での一様化。
それは構成員間での論理的相互理解を基調とする。
すなわちそれはコミュニケーションにおける
非論理的偏狭を排除すること。
それは能力の多様性という万人の真理から生じる、結果の多様性、すなわち客観的、論理的に評価される成果の多様性を踏みにじるものであってはならない。
また論理的理解、合意なしに強制されるものであってはならない。
59. あ
2006/12/28(木) 02:15:29
●客観的情報として統計データとは
自分の経験したことを客観視すれば、それはN数が多くとも数十、数百程度、悪ければ一桁の代物である。
そしてその事象は自分の属する小さな社会に限ったことであるという怖れを忘れてはならない。
あらゆる人間が、それぞれの小さな社会での出来事を普遍的な真実として述べれば話は決して収束しない。そしていくら周りの経験を個人で纏めようとも、そのN数はそれぞれ百、千を超えることはない。全体を見渡した結果が一つあればそれで事足り、曖昧度は一気に0付近に収束し無駄な議論をしなくて済むというのに。
それが客観データである。先人の苦労を参照する行為でもある。それを敢えて参照しない理由など存在するのだろうか。
逆にデータが偽物だった場合も考えなくてはならない。
そのために最低ソースは示すべし。信頼できる類のものであれば良し。(その場合もそのデータを「信頼する」ものとする、という仮定を忘れ、妄信してはならない。)そうでなければその程度の信頼度であることを自覚すべし。
何度でも主張しよう。
●論理とは。
背景知識に依らず多くの人間に了解が得られると期待されるものの考え方。
言葉を100%定義できない事実を認めれば、論理的とはすなわち多面的な手法により相互理解を100%に近づける努力をすることを意味する。それは着実なコミュニケーションそのものである。意味がわからなければまず意味を問い、定義が為されていなければ定義について同意を取る。
それらは一言ではなく多くの言葉を用いることで、
100%といかずとも、高い割合の相互理解が期待できるようになるはずである。
その手法の成否は個人の知識、想像力に依ってはならない。それは対象を限定する。無駄、不毛な議論を生む。
その過程を経なかった場合、あるいは一方的に感情、言葉の意味を突きつけた時、完全なる他者との相互理解は困難となることを忘れてはならない。
自分の経験したことを客観視すれば、それはN数が多くとも数十、数百程度、悪ければ一桁の代物である。
そしてその事象は自分の属する小さな社会に限ったことであるという怖れを忘れてはならない。
あらゆる人間が、それぞれの小さな社会での出来事を普遍的な真実として述べれば話は決して収束しない。そしていくら周りの経験を個人で纏めようとも、そのN数はそれぞれ百、千を超えることはない。全体を見渡した結果が一つあればそれで事足り、曖昧度は一気に0付近に収束し無駄な議論をしなくて済むというのに。
それが客観データである。先人の苦労を参照する行為でもある。それを敢えて参照しない理由など存在するのだろうか。
逆にデータが偽物だった場合も考えなくてはならない。
そのために最低ソースは示すべし。信頼できる類のものであれば良し。(その場合もそのデータを「信頼する」ものとする、という仮定を忘れ、妄信してはならない。)そうでなければその程度の信頼度であることを自覚すべし。
何度でも主張しよう。
●論理とは。
背景知識に依らず多くの人間に了解が得られると期待されるものの考え方。
言葉を100%定義できない事実を認めれば、論理的とはすなわち多面的な手法により相互理解を100%に近づける努力をすることを意味する。それは着実なコミュニケーションそのものである。意味がわからなければまず意味を問い、定義が為されていなければ定義について同意を取る。
それらは一言ではなく多くの言葉を用いることで、
100%といかずとも、高い割合の相互理解が期待できるようになるはずである。
その手法の成否は個人の知識、想像力に依ってはならない。それは対象を限定する。無駄、不毛な議論を生む。
その過程を経なかった場合、あるいは一方的に感情、言葉の意味を突きつけた時、完全なる他者との相互理解は困難となることを忘れてはならない。
60. ↑
2006/12/28(木) 03:06:27
ヒトラーと相互理解したいのですが、どうすれば良いですか。
61. あ
2006/12/28(木) 03:30:21
>↑
「ヒトラー」とコミュニケーションをとる手段として何がありますか?
「ヒトラー」とコミュニケーションをとる手段として何がありますか?
62. あ
2006/12/28(木) 03:33:40
ヒトラーが「アドルフ・ヒトラー」を指しているのなら、私はわからないと応えるしかない。
63. あ
2006/12/30(土) 03:30:09
60.に関して、私には下記の解釈がある。
1.一方的な演説者だと非難されている。
2.揚げ足をとられている。
>1.
ノーコメント。私は「演じて」はいない。
>2.
「論理的であること」を「相互理解する態度」としたわけだから、もはや死んだ人間に対しては論理的になれないのか、と。では、
論理的であること → 論理的な会話をする態度
と訂正しよう。
1.一方的な演説者だと非難されている。
2.揚げ足をとられている。
>1.
ノーコメント。私は「演じて」はいない。
>2.
「論理的であること」を「相互理解する態度」としたわけだから、もはや死んだ人間に対しては論理的になれないのか、と。では、
論理的であること → 論理的な会話をする態度
と訂正しよう。
64. あ
2007/01/19(金) 01:15:14
嵐認定は主観的発話。
自分の気に入らないものに消えろと言うだけの、有害な行為。なぜそれが駄目だと思うのかを述べればそれで全てが済む。逆に述べられないなら駄目と決め付けるのは間違い。車のメリットデメリット。「利益」とは誰にとって?いつ、どこで発生するものか。厳密にそれを表現しないから互いの視点や態度の相違点が見えない。
厳密に表現すればするほどに、お互いがかちあうことはすくなくなることを理解して欲しい。
自分の気に入らないものに消えろと言うだけの、有害な行為。なぜそれが駄目だと思うのかを述べればそれで全てが済む。逆に述べられないなら駄目と決め付けるのは間違い。車のメリットデメリット。「利益」とは誰にとって?いつ、どこで発生するものか。厳密にそれを表現しないから互いの視点や態度の相違点が見えない。
厳密に表現すればするほどに、お互いがかちあうことはすくなくなることを理解して欲しい。
65. あ
2007/01/19(金) 23:03:17
>関係の論法
責任のあるなしについて自分に都合の良い解釈を与える詭弁は確かにある。
例えば。
A、B二人の人間がチームを組んで仕事をしていたと
しよう。そこでBが失敗をした。
チーム外のCはAに対して連帯責任を追求した。
一緒に仕事していたのにBがミスをしていることに気づかなかったのか、と。
このケースについて重要なのは「連帯責任」を事前に
取り決めていたかどうかということと、
Cが責任を追求出来る立場かということ。
責任関係についてはっきりと言及しない不明瞭な関係はこのような詭弁にさらされ、ただの感情の吐き口として利用されてしまうことがある。
答えとしては、「事前に取り決め、合意の無かった責任関係については実効性はない」でFA。
使うひとによって成否が変わる言葉は論理ではない。
よく「おまえに言われたくない」という言葉があるが、
論理的に筋が通っていれば誰が言ってようが、それは受け入れるべきである。その言葉を発した人間自体の筋が通っていないこととは別の事象なのである。
ただその筋の通らない人間を友人として残しておくかというと、当然ながら否でしょうがね。
責任のあるなしについて自分に都合の良い解釈を与える詭弁は確かにある。
例えば。
A、B二人の人間がチームを組んで仕事をしていたと
しよう。そこでBが失敗をした。
チーム外のCはAに対して連帯責任を追求した。
一緒に仕事していたのにBがミスをしていることに気づかなかったのか、と。
このケースについて重要なのは「連帯責任」を事前に
取り決めていたかどうかということと、
Cが責任を追求出来る立場かということ。
責任関係についてはっきりと言及しない不明瞭な関係はこのような詭弁にさらされ、ただの感情の吐き口として利用されてしまうことがある。
答えとしては、「事前に取り決め、合意の無かった責任関係については実効性はない」でFA。
使うひとによって成否が変わる言葉は論理ではない。
よく「おまえに言われたくない」という言葉があるが、
論理的に筋が通っていれば誰が言ってようが、それは受け入れるべきである。その言葉を発した人間自体の筋が通っていないこととは別の事象なのである。
ただその筋の通らない人間を友人として残しておくかというと、当然ながら否でしょうがね。
66. あ
2007/01/28(日) 22:24:36
>論破と誹謗中傷はまったく次元が違う
よほど単純な論理でない限り、複雑な人間関係において
「論破」は発生しない。なぜなら、人間関係における論理とは、簡単な記号論理だけでなくて、感情をも定量評価するという大変困難なものであり、それは互いが納得することが前提であるから。
お互いが納得しなければ、それは正しく感情を定量評価出来ていない。
そこを一方的に「論破」というのは、ただ言い返せないように言いくるめただけ、自分の感情が全てだと言い切っただけの、あるいは簡単な事実に大きな主観を混ぜこんだような詭弁である。その態度をもって誹謗中傷の類と並べてもおかしくはない。
あるいは、感情が関連しない事柄の推定に関する議論でも、やはり推定である以上は100%ではないが故に「断じる」という態度はおかしい。
真実を追求したければ、ただ根拠とそこから推定される事柄を述べればいいだけのこと。
感情という不確定要素は出来るだけ取り除いた方がよい。
そこに論破という感情が絡みそうなものを敢えて含ませるのは、発言者が自分の感情を表現したいがために他ならない。それに「論破」などと言ってしまえば、次にその相手をリソースとして使う時に支障が出る恐れがあるにも関わらずである。
そのような態度を優先する行為は論理的であるとは言えない。
納得出来なければ一切攻撃的感情を含ませずに
一言言えばいい。
「その根拠は?」と。
それによって話は無駄なエントロピーを発生することなく進む。
よほど単純な論理でない限り、複雑な人間関係において
「論破」は発生しない。なぜなら、人間関係における論理とは、簡単な記号論理だけでなくて、感情をも定量評価するという大変困難なものであり、それは互いが納得することが前提であるから。
お互いが納得しなければ、それは正しく感情を定量評価出来ていない。
そこを一方的に「論破」というのは、ただ言い返せないように言いくるめただけ、自分の感情が全てだと言い切っただけの、あるいは簡単な事実に大きな主観を混ぜこんだような詭弁である。その態度をもって誹謗中傷の類と並べてもおかしくはない。
あるいは、感情が関連しない事柄の推定に関する議論でも、やはり推定である以上は100%ではないが故に「断じる」という態度はおかしい。
真実を追求したければ、ただ根拠とそこから推定される事柄を述べればいいだけのこと。
感情という不確定要素は出来るだけ取り除いた方がよい。
そこに論破という感情が絡みそうなものを敢えて含ませるのは、発言者が自分の感情を表現したいがために他ならない。それに「論破」などと言ってしまえば、次にその相手をリソースとして使う時に支障が出る恐れがあるにも関わらずである。
そのような態度を優先する行為は論理的であるとは言えない。
納得出来なければ一切攻撃的感情を含ませずに
一言言えばいい。
「その根拠は?」と。
それによって話は無駄なエントロピーを発生することなく進む。
67. あ
2007/02/05(月) 01:16:07
>女はバカだ。頭が悪い。この女は頭が悪い。議論する価値がない。
結論だけあって、根拠がないものは誰かを新たに説得することは出来ない。それは自分に共感出来る人間を探しているだけの自己主張である。
女がバカだと言うときに私がもし肯定するとすればそれは論理性についてであるが、それは自分の論理が崩壊している状態で論理的に追求出来る代物ではない。しかもバカという愛昧かつ無定義な代物を使って相手に影響を及ぼした時点で自分の論理性は崩壊しているのだ。よって私は論理的にバカであることを無定義に証明しようとはしないし、そもそも誤解に対するリスクから使うことは絶対に無い。
>恋愛相談室 相談希望者
1.恋愛感情がない、むしろ不信すら抱いている雰囲気があるのに同棲は異常。なんのために同棲しているのか?
2.自分が恋愛感情を抱いていないことは相手も感じとっている。その場合自然と冷遇になるのは当然。
冷遇されたから恋愛感情がなくなったのか、恋愛感情がなくなったから冷遇されるようになったのかは本人達を含め、誰にもわからない。
だがプレゼントなどの、お互いに更に親密になろうとする、感謝を表現する行為が無くなった時点で、この先長い人生をともに歩むなどというのは到底不可能である。
これ以上の関係は互いの無駄ばかりか、もし子供でも出来ようものなら二人の人生に厄介な汚点がつく。早々に別れるべし。
この世の自分の関連するほとんどの事象には、自分が権利を得ている限りは「責任」が必ずどこかで発生しているということ。殊、恋愛や人間関係において一方的に相手が悪いと愚痴るのは勝手だが、それでは同じことを繰り返すばかりだ。
自分が否定するその男を選んだのは自分であり、
つき合っている間にそれを直せなかったのも自分。
なんだかんだと関係が悪くなった時にも自分に一切の非はなかったと言い切れるわけもない。
それなのに一方的に相手を責めることが出来るのは自分に一切の内省が無い証拠。
複雑な人間関係において、どっちが悪いなんてそんな単純な開きなおりは辞めた方がいい。
「どっちが悪い」とはこの場合は「利用されている」という言葉に含まれた悪意に対応する。
最初の「なんの為に同棲しているのか?」という疑問からは、実は自分も相手を利用しているという可能性が推量されてしまうわけで。
このような相談には相手を正しく理解するために、最初に質問があるべきである。それなしに最初から話を決めつけて進めるのは誤解を深くし話をややこしくする可能性があるため有害かつ無責任な行為である。更にそこへバカなどという感情を揺さぶるような罵倒が入ってくれば、もはや目も当てられない。
一方で質問への応答なき無責任な相談には、
のる必要が無い(応答なき相談は不可能)ので、一々罵倒を使わず捨ておけばいいのである。罵倒は使われた相手のみならず他の閲覧者をも不快にする行為であることを自覚して欲しい。
結論だけあって、根拠がないものは誰かを新たに説得することは出来ない。それは自分に共感出来る人間を探しているだけの自己主張である。
女がバカだと言うときに私がもし肯定するとすればそれは論理性についてであるが、それは自分の論理が崩壊している状態で論理的に追求出来る代物ではない。しかもバカという愛昧かつ無定義な代物を使って相手に影響を及ぼした時点で自分の論理性は崩壊しているのだ。よって私は論理的にバカであることを無定義に証明しようとはしないし、そもそも誤解に対するリスクから使うことは絶対に無い。
>恋愛相談室 相談希望者
1.恋愛感情がない、むしろ不信すら抱いている雰囲気があるのに同棲は異常。なんのために同棲しているのか?
2.自分が恋愛感情を抱いていないことは相手も感じとっている。その場合自然と冷遇になるのは当然。
冷遇されたから恋愛感情がなくなったのか、恋愛感情がなくなったから冷遇されるようになったのかは本人達を含め、誰にもわからない。
だがプレゼントなどの、お互いに更に親密になろうとする、感謝を表現する行為が無くなった時点で、この先長い人生をともに歩むなどというのは到底不可能である。
これ以上の関係は互いの無駄ばかりか、もし子供でも出来ようものなら二人の人生に厄介な汚点がつく。早々に別れるべし。
この世の自分の関連するほとんどの事象には、自分が権利を得ている限りは「責任」が必ずどこかで発生しているということ。殊、恋愛や人間関係において一方的に相手が悪いと愚痴るのは勝手だが、それでは同じことを繰り返すばかりだ。
自分が否定するその男を選んだのは自分であり、
つき合っている間にそれを直せなかったのも自分。
なんだかんだと関係が悪くなった時にも自分に一切の非はなかったと言い切れるわけもない。
それなのに一方的に相手を責めることが出来るのは自分に一切の内省が無い証拠。
複雑な人間関係において、どっちが悪いなんてそんな単純な開きなおりは辞めた方がいい。
「どっちが悪い」とはこの場合は「利用されている」という言葉に含まれた悪意に対応する。
最初の「なんの為に同棲しているのか?」という疑問からは、実は自分も相手を利用しているという可能性が推量されてしまうわけで。
このような相談には相手を正しく理解するために、最初に質問があるべきである。それなしに最初から話を決めつけて進めるのは誤解を深くし話をややこしくする可能性があるため有害かつ無責任な行為である。更にそこへバカなどという感情を揺さぶるような罵倒が入ってくれば、もはや目も当てられない。
一方で質問への応答なき無責任な相談には、
のる必要が無い(応答なき相談は不可能)ので、一々罵倒を使わず捨ておけばいいのである。罵倒は使われた相手のみならず他の閲覧者をも不快にする行為であることを自覚して欲しい。
68. あ
2007/03/19(月) 04:01:27
愚痴ではなく想い。
ここkyoto-u.comがリアルのコミュニケーションに繋がる場としてふたたび有効活用されだすのはいつの日か。。。
こういう場所があるのにまともに利用されてないってもったいないなと。
ここkyoto-u.comがリアルのコミュニケーションに繋がる場としてふたたび有効活用されだすのはいつの日か。。。
こういう場所があるのにまともに利用されてないってもったいないなと。
69. あ
2007/03/20(火) 01:08:05
でも、今ならこんなかんじの場所で、もっと便利なところ他にもあるからなー。
個人が気楽に情報を発信するようになった最近の状況を、Web2.0時代っていうんだってね。
数年前までkyoto-u.comが現実的なコミュニケーションにつながる可能性をそれなりにもっていたのは、mixiとか他のメディアが成熟していなかったWeb1.0時代だったからかな?
個人が気楽に情報を発信するようになった最近の状況を、Web2.0時代っていうんだってね。
数年前までkyoto-u.comが現実的なコミュニケーションにつながる可能性をそれなりにもっていたのは、mixiとか他のメディアが成熟していなかったWeb1.0時代だったからかな?
70. あ
2007/03/20(火) 02:14:00
私は京大生同士がコミュニケーションを取り合って切磋琢磨出来うる場所を再生したかったんですよ。
あくまで京大生同士が。
かつ広く使え、2ch以外となるとなるとここしか考えられませんでした。さすがにmixiで「京大生のためのスレッド」なんて無理でしょうし。
リアルにまで繋がらなくても、学部板は割と賑わっていると思います。最低期よりはだいぶましになったという印象です。
あくまで京大生同士が。
かつ広く使え、2ch以外となるとなるとここしか考えられませんでした。さすがにmixiで「京大生のためのスレッド」なんて無理でしょうし。
リアルにまで繋がらなくても、学部板は割と賑わっていると思います。最低期よりはだいぶましになったという印象です。
71. log6,2-3z
2007/03/20(火) 12:32:06
私は別に京大生に限らなくてもいいと思う。
まともな会話(べつに学問に限らない)をするのであれば。
それはそうと新入生はkyoto-uの存在を知っているだろうか。広告するのかな?
まともな会話(べつに学問に限らない)をするのであれば。
それはそうと新入生はkyoto-uの存在を知っているだろうか。広告するのかな?
72. あ
2007/03/20(火) 14:49:27
「九大生」のクソスレ乱立をどうにかしてくれ。
>それはそうと新入生はkyoto-uの存在を知っているだろうか。広告するのかな?
スタッフさんは1年以上壊れたkyoto-uの看板を放置しているし、去年の新歓花見もドタキャン後に全く開催されていないからもうやる気がなさそう。
>それはそうと新入生はkyoto-uの存在を知っているだろうか。広告するのかな?
スタッフさんは1年以上壊れたkyoto-uの看板を放置しているし、去年の新歓花見もドタキャン後に全く開催されていないからもうやる気がなさそう。
73. あ
2007/03/24(土) 13:45:54
>71.
まぁ、そこは母校愛ということで。
他大を排斥したほうがいいとも思いませんが。
>72.
もはや、自分達でやるしか道が残ってませんね。。
「kyoto-u支援サークル」が必要でしょう。
まぁ、そこは母校愛ということで。
他大を排斥したほうがいいとも思いませんが。
>72.
もはや、自分達でやるしか道が残ってませんね。。
「kyoto-u支援サークル」が必要でしょう。
74. うんこ
2007/03/24(土) 23:23:23
>kyoto-u支援サークル
じゃ東京支部長で。
じゃ東京支部長で。
75. あ
2007/04/18(水) 23:54:10
>「論理で社会は動いていない」
社会を動かしているのは、利害関係です。それが経済活動であり人が資源を消費するサイクルを早めながら、物理的に豊かな生活を送ることが出来ることの根源です。
外交問題にしても然り。国同士の問題に論理など通用しません。重要なのは、裏社会の権力への根回しや政治権力国家権力そのもの。
が。この発言には大きな詭弁があります。
現状の社会が論理的に動いていないからと言って、我々が論理的とはどういうことかを理解していない方が良い、とはならないのです。
論理を理解しなくては、価値観の異なる人種とのコミュニケーションで問題が発生した時、一体なにが問題なのかを究明出来ないでしょうね。
論理とは問題解決能力、理解力そのものです。
大切なのは。
何処に論理を適用するのがもっとも効率的かを理解していること。一体どこからが論理であり、どこからが価値観であり、どこからが感情、意志なのかを理解していること。そしてそれを区別して使えること。なんの為に他者とのコミュニケーションにおいて論理を使うのかを理解していること。
それが出来ていれば、会話相手の負担にならないような適当な会話や、ただの笑うためだけ、笑わせるためだけの会話なども意識的に選択出来るでしょう。
断片を見れば単純論理的には正しいが、一体なにを目的として会話しているのか全く分からない会話には注意しましょう。
なにか問題が起こった時、起こりそうな時、誤解が発生していると思われる時に、その原因究明、問題解決、あるいは改善案の開発にこそ、我々は論理を道具として使うべきなのです。
社会を動かしているのは、利害関係です。それが経済活動であり人が資源を消費するサイクルを早めながら、物理的に豊かな生活を送ることが出来ることの根源です。
外交問題にしても然り。国同士の問題に論理など通用しません。重要なのは、裏社会の権力への根回しや政治権力国家権力そのもの。
が。この発言には大きな詭弁があります。
現状の社会が論理的に動いていないからと言って、我々が論理的とはどういうことかを理解していない方が良い、とはならないのです。
論理を理解しなくては、価値観の異なる人種とのコミュニケーションで問題が発生した時、一体なにが問題なのかを究明出来ないでしょうね。
論理とは問題解決能力、理解力そのものです。
大切なのは。
何処に論理を適用するのがもっとも効率的かを理解していること。一体どこからが論理であり、どこからが価値観であり、どこからが感情、意志なのかを理解していること。そしてそれを区別して使えること。なんの為に他者とのコミュニケーションにおいて論理を使うのかを理解していること。
それが出来ていれば、会話相手の負担にならないような適当な会話や、ただの笑うためだけ、笑わせるためだけの会話なども意識的に選択出来るでしょう。
断片を見れば単純論理的には正しいが、一体なにを目的として会話しているのか全く分からない会話には注意しましょう。
なにか問題が起こった時、起こりそうな時、誤解が発生していると思われる時に、その原因究明、問題解決、あるいは改善案の開発にこそ、我々は論理を道具として使うべきなのです。
76. あ
2007/05/25(金) 01:48:25
>「本質的に2chと何も変わらない場所だよ?」
2chとここではまずN数(単純な数だけではなく、多様性という意味)が違います。2chでは完全にテンプレが創られ、外れた発言をすると袋叩きにあうような、非常に秩序立ったスレがあるでしょう。
それはチームを組めるような秩序性の長けた人間が複数人集まって初めて成り立つ図式です。
それに対してここは基本的に学生でしょう。
(本当にそうなのかは知りませんがね)
でもそもそも存在意義が「京大生のための」ものであるし。
基本的に多様性という点で2chより劣っていると考えます。
ああいう無法地帯の中から秩序を作りだせるような人間が
複数人集まる、という確率がずいぶん違うのです。
それによって結局何十の内のたった一つしか素晴らしいスレが
立たないとしても、それが一番上に上げられれば、結局
その素晴らしさを求めて人が集まります。
それに対して素晴らしいスレの絶対的個数がより低いここではどうでしょうか。それでやっていけると思うでしょうか。
私はまったく思いません。
ですから、私はそれを意識して言わねばならんのです。
ここは、2chじゃない。と。
いちいち面と向かっていうことではないけれど、
それは意識していて欲しいことです。
2chとここではまずN数(単純な数だけではなく、多様性という意味)が違います。2chでは完全にテンプレが創られ、外れた発言をすると袋叩きにあうような、非常に秩序立ったスレがあるでしょう。
それはチームを組めるような秩序性の長けた人間が複数人集まって初めて成り立つ図式です。
それに対してここは基本的に学生でしょう。
(本当にそうなのかは知りませんがね)
でもそもそも存在意義が「京大生のための」ものであるし。
基本的に多様性という点で2chより劣っていると考えます。
ああいう無法地帯の中から秩序を作りだせるような人間が
複数人集まる、という確率がずいぶん違うのです。
それによって結局何十の内のたった一つしか素晴らしいスレが
立たないとしても、それが一番上に上げられれば、結局
その素晴らしさを求めて人が集まります。
それに対して素晴らしいスレの絶対的個数がより低いここではどうでしょうか。それでやっていけると思うでしょうか。
私はまったく思いません。
ですから、私はそれを意識して言わねばならんのです。
ここは、2chじゃない。と。
いちいち面と向かっていうことではないけれど、
それは意識していて欲しいことです。
77. い
2007/06/01(金) 02:25:55
●「アラシは放置すべし。アラシに反応した者もアラシである」というネチケット、マナーを装った脅迫、その根拠の詭弁性について
78. あ(微笑^^
2007/07/25(水) 16:48:28
●因果応報とは
先日、「善因善果、悪因悪果、自因自果」という意味で因果応報について書き込みをしたところ、それは仏教本来の考え方と異なると指摘を受けました。
そこでまずWIKIでの記述を参照しました。
1.http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E6%9E%9C
ここでは、「仏教で通俗的に因果と言う場合には、業(ごう)思想と結びつき、自己の存在のあり方にかかわる因果性をいうことが多い。「善因楽果・悪因苦果」と言うように、人間や天人として生まれる善の結果や、地獄・餓鬼・畜生として生まれる悪の結果を得るのは、前世の自己の善業あるいは悪業を原因とするという、方便(本来の教説に導くための一種の方法)としてしばしば使われる。この因果は自然科学的法則ではなく、われわれの行為に関するものである。すなわち、自分のやった善は善果を生み、また悪を行えば悪果が返ってくる、と教える。因果応報とも言われ、人間の行為を倫理的に規定する教説として言われたものであろう。
しかし、このような一般的考え方は、縁起説から考えられない俗説であり、仏教本来の考え方にはそぐわない。」と述べられています。
しかし、WIKIを妄信するのはタブー、なぜなら、情報のソースが「電子化された文書」に限られているのは言うに及ばず、編集者へのリアルな責任が全く発生しない無責任な代物だからです。
次に、ネット上の仏法用語辞典を探しましたが、「善因善果、悪因悪果、自因自果」と大きく異なる表現を見つけることは出来ませんでした。そこで色々漁っていたところ、下記のような文書を見つけました。
2.http://homepage1.nifty.com/manikana/m.p/bunnka/syakuson.html
「釈尊が開いた仏教は、当然ながら、輪廻からの解脱を目指した。輪廻を成り立たせる直接の原動力は善悪の業である。したがって、仏教も、最終的には善悪の業を超越することを目標とする。
しかし、釈尊は、聖者の境地に到っていない低い境地の弟子たちに、いきなり善も悪もないなどとは教えなかった。むしろ彼らには、善悪を峻別し、善をなし悪をなすなと強調してやまなかった。」
つまるところ、釈尊は「教育的配慮」から、WIKIでいうところの「方便」を初心の弟子達に教えたわけです。そしてその方便の方が世俗の人にはより理解しやすいという理由から、ネット上の仏法用語辞典にも本義ではなく方便の方が載っているというところでしょうか。(上記ソースは信頼できるものと決め付けています。上記ソースの信頼性確認はまた別の機会に。)
先日、「善因善果、悪因悪果、自因自果」という意味で因果応報について書き込みをしたところ、それは仏教本来の考え方と異なると指摘を受けました。
そこでまずWIKIでの記述を参照しました。
1.http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E6%9E%9C
ここでは、「仏教で通俗的に因果と言う場合には、業(ごう)思想と結びつき、自己の存在のあり方にかかわる因果性をいうことが多い。「善因楽果・悪因苦果」と言うように、人間や天人として生まれる善の結果や、地獄・餓鬼・畜生として生まれる悪の結果を得るのは、前世の自己の善業あるいは悪業を原因とするという、方便(本来の教説に導くための一種の方法)としてしばしば使われる。この因果は自然科学的法則ではなく、われわれの行為に関するものである。すなわち、自分のやった善は善果を生み、また悪を行えば悪果が返ってくる、と教える。因果応報とも言われ、人間の行為を倫理的に規定する教説として言われたものであろう。
しかし、このような一般的考え方は、縁起説から考えられない俗説であり、仏教本来の考え方にはそぐわない。」と述べられています。
しかし、WIKIを妄信するのはタブー、なぜなら、情報のソースが「電子化された文書」に限られているのは言うに及ばず、編集者へのリアルな責任が全く発生しない無責任な代物だからです。
次に、ネット上の仏法用語辞典を探しましたが、「善因善果、悪因悪果、自因自果」と大きく異なる表現を見つけることは出来ませんでした。そこで色々漁っていたところ、下記のような文書を見つけました。
2.http://homepage1.nifty.com/manikana/m.p/bunnka/syakuson.html
「釈尊が開いた仏教は、当然ながら、輪廻からの解脱を目指した。輪廻を成り立たせる直接の原動力は善悪の業である。したがって、仏教も、最終的には善悪の業を超越することを目標とする。
しかし、釈尊は、聖者の境地に到っていない低い境地の弟子たちに、いきなり善も悪もないなどとは教えなかった。むしろ彼らには、善悪を峻別し、善をなし悪をなすなと強調してやまなかった。」
つまるところ、釈尊は「教育的配慮」から、WIKIでいうところの「方便」を初心の弟子達に教えたわけです。そしてその方便の方が世俗の人にはより理解しやすいという理由から、ネット上の仏法用語辞典にも本義ではなく方便の方が載っているというところでしょうか。(上記ソースは信頼できるものと決め付けています。上記ソースの信頼性確認はまた別の機会に。)
79. あ(微笑^^
2007/07/25(水) 17:03:19
次にWIKI上、「縁起説」について、
3.http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/engi.htm
「 「縁起」とは「よって起こること」で、具体的には「苦しみは、なんらかの原因・条件(因縁)によって起こり、その原因・条件(因縁)がなくなれば、苦しみもなくなる」ということである。
「縁起説」は、苦しみを生み出す因果の系列をさかのぼって、苦しみの根源をさぐりあて、それを滅することにより苦しみを解消することをめざすものである。 」
2.からの引用ですが、「釈尊は、経験的な事実を出発点としない議論への関与を拒否したが、経験的な事実に関わる因果論(縁起説)についてはまことに雄弁きわまりなかった。」
もしこれが本当だとすると、この教えをそのまま受け入れるわけには行きません。なぜなら、因果のつながりは古今で異なっているからです。
たとえば指摘の際に持ち出された文書
4.http://homepage.mac.com/tuyano/iblog/C1653772498/E1227209794/index.html
では、「因果応報と死刑」について、死刑を復讐的観点からのみ捉えた話題を展開していますが、私の見方は違います。
今日では、他所での裁きの如何すらも我々の因果関係に深く関わっています。きつく裁きすぎると受刑者の社会に対する怨恨が残りますが、だからと言って甘く裁いてしまうと全体的に犯罪を助長する効果があります。要は、犯罪は正しく裁かなければならないのです。たとえば他国と比べて圧倒的に刑が軽いとなれば、外国人による犯罪が増加するでしょう。強盗殺人も増えるでしょう。
死刑執行によって、なるほど執行人が殺人の業を、死刑囚の親族が悲しみを背負ってしまうわけで、それは無いに越したことはない。けれど、それがもとで、罪の無い家族が新たに苦しみを味わうことになるかもしれない。もはや、被害者が加害者を許せばそれですべて済むという因果関係ではありえないのです。
縁起説からいって、あらゆる事象はあらゆる因果関係からの帰結です。つまり因果関係をすべて読み解きなさい、というのが真の教えであるはずなのです。(と思っているだけですが)
2.の「善も悪もない。」は私の考えとまったく同じです。そのような唯一の評価基準はどこにも存在しません。しかし、wikiの「善因善果、悪因悪果は仏教本来の考え方にはそぐわない。」という表現は今日の世俗の人々の因果関係を読み解いた結果であるとは到底思えない。「自因自果」という自己責任の法則を崩してしまえば、秩序が乱れ、結果として私たちはより多くの因果の鎖(業、悲しみ)を負うことになるのですから。
自因自果はつまり「そのように教える」ことが因果的に吉であって、実際に極限的な問題「人を殺したものは同様に殺されなくてはならない」を実行するのとではまた別問題です。言い換えると、「人を殺したものは同様に殺されるという恐怖を抱くことになる」という因果関係を認識せよということです。こと命に関わらないことに関しては本項16.ですでに述べています。
以上の理由から、このwikiの内容もまた、教育的観点から言って表現が不適切、または説明不足です。
それは「自因自果」を理解しないところに述べられてはならない代物です。
そして世俗的方便「因果応報」をもって復讐(私怨による裁き)を仏教的に正当化するのは縁起説から言って確かに詭弁ですが、その詭弁の存在をもって世俗的方便「因果応報」を否定するのも同様に詭弁です。
3.http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/engi.htm
「 「縁起」とは「よって起こること」で、具体的には「苦しみは、なんらかの原因・条件(因縁)によって起こり、その原因・条件(因縁)がなくなれば、苦しみもなくなる」ということである。
「縁起説」は、苦しみを生み出す因果の系列をさかのぼって、苦しみの根源をさぐりあて、それを滅することにより苦しみを解消することをめざすものである。 」
2.からの引用ですが、「釈尊は、経験的な事実を出発点としない議論への関与を拒否したが、経験的な事実に関わる因果論(縁起説)についてはまことに雄弁きわまりなかった。」
もしこれが本当だとすると、この教えをそのまま受け入れるわけには行きません。なぜなら、因果のつながりは古今で異なっているからです。
たとえば指摘の際に持ち出された文書
4.http://homepage.mac.com/tuyano/iblog/C1653772498/E1227209794/index.html
では、「因果応報と死刑」について、死刑を復讐的観点からのみ捉えた話題を展開していますが、私の見方は違います。
今日では、他所での裁きの如何すらも我々の因果関係に深く関わっています。きつく裁きすぎると受刑者の社会に対する怨恨が残りますが、だからと言って甘く裁いてしまうと全体的に犯罪を助長する効果があります。要は、犯罪は正しく裁かなければならないのです。たとえば他国と比べて圧倒的に刑が軽いとなれば、外国人による犯罪が増加するでしょう。強盗殺人も増えるでしょう。
死刑執行によって、なるほど執行人が殺人の業を、死刑囚の親族が悲しみを背負ってしまうわけで、それは無いに越したことはない。けれど、それがもとで、罪の無い家族が新たに苦しみを味わうことになるかもしれない。もはや、被害者が加害者を許せばそれですべて済むという因果関係ではありえないのです。
縁起説からいって、あらゆる事象はあらゆる因果関係からの帰結です。つまり因果関係をすべて読み解きなさい、というのが真の教えであるはずなのです。(と思っているだけですが)
2.の「善も悪もない。」は私の考えとまったく同じです。そのような唯一の評価基準はどこにも存在しません。しかし、wikiの「善因善果、悪因悪果は仏教本来の考え方にはそぐわない。」という表現は今日の世俗の人々の因果関係を読み解いた結果であるとは到底思えない。「自因自果」という自己責任の法則を崩してしまえば、秩序が乱れ、結果として私たちはより多くの因果の鎖(業、悲しみ)を負うことになるのですから。
自因自果はつまり「そのように教える」ことが因果的に吉であって、実際に極限的な問題「人を殺したものは同様に殺されなくてはならない」を実行するのとではまた別問題です。言い換えると、「人を殺したものは同様に殺されるという恐怖を抱くことになる」という因果関係を認識せよということです。こと命に関わらないことに関しては本項16.ですでに述べています。
以上の理由から、このwikiの内容もまた、教育的観点から言って表現が不適切、または説明不足です。
それは「自因自果」を理解しないところに述べられてはならない代物です。
そして世俗的方便「因果応報」をもって復讐(私怨による裁き)を仏教的に正当化するのは縁起説から言って確かに詭弁ですが、その詭弁の存在をもって世俗的方便「因果応報」を否定するのも同様に詭弁です。
80. 道程と美処女w
2007/07/25(水) 18:46:41
最近雑談版に張り付いてる、美処女とかいうやつがいるけど。w
見ていて非常に不愉快なんだが。
道程が駄目なら、美処女も駄目でしょ。
名前を変えないなら、アク禁にすべき。
見ていて非常に不愉快なんだが。
道程が駄目なら、美処女も駄目でしょ。
名前を変えないなら、アク禁にすべき。
81. ↑
2007/07/25(水) 19:17:26
ひがみっぽいやつがいるな
82. てか
2007/07/25(水) 19:34:52
ちんこやうんこやまんこなんかもっとひどいだろ。
83. >1
2007/07/25(水) 19:42:40
「なんでこんなこというの?」
「なんでこんなことするの?」
「これは詭弁だ!」
他にも
「常識でしょう!」
「当たり前でしょう!」
「みんなやっているじゃないの!」
「そんなこともわからないの?」
というセリフも嫌いだな。
「なんでこんなことするの?」
「これは詭弁だ!」
他にも
「常識でしょう!」
「当たり前でしょう!」
「みんなやっているじゃないの!」
「そんなこともわからないの?」
というセリフも嫌いだな。
84. あ(微笑^^
2007/07/26(木) 10:38:25
>80.見ていて非常に不愉快なんだが。
嫉妬に狂うのはおやめなさいな。
>道程が駄目なら、美処女も駄目でしょ。
道程と書いて「みちのり」と読みます。
嫉妬に狂うのはおやめなさいな。
>道程が駄目なら、美処女も駄目でしょ。
道程と書いて「みちのり」と読みます。
85. あ
2007/07/26(木) 13:04:50
道徳と論理を志して愚痴るスレ。
そんな返しは必要なーい。(嘲笑^^
そんな返しは必要なーい。(嘲笑^^
86. 道程と美処女w
2007/07/26(木) 21:31:33
最近雑談版に張り付いてる、美処女とかいうやつがいるけど。w
見ていて非常に不愉快なんだが。
道程が駄目なら、美処女も駄目でしょ。
名前を変えないなら、アク禁にすべき。
見ていて非常に不愉快なんだが。
道程が駄目なら、美処女も駄目でしょ。
名前を変えないなら、アク禁にすべき。
裏掲示板:正直kyoto-u.comにはうんざりしている人のスレ
http://jbbs.livedoor.jp/school/1893/#14
人が居なくなった一番の原因は、
やはり罵りや嘲笑かもしれません。。。
かつて、これを見て当該スレを立てたような気もするのですが、今もなお、議論板でたまに遭遇する、経歴の長い人の匿名書き込みからは、話し合いをしようという気持ちよりも、人を罵倒したい気持ちがよく伝わってきます。そして会話を続けるに従いその気持ちが相手から薄れていくのがわかるのですが、こういうイライラ感を全て取り除かないことには、再生できないのだなぁと。
http://jbbs.livedoor.jp/school/1893/#14
人が居なくなった一番の原因は、
やはり罵りや嘲笑かもしれません。。。
かつて、これを見て当該スレを立てたような気もするのですが、今もなお、議論板でたまに遭遇する、経歴の長い人の匿名書き込みからは、話し合いをしようという気持ちよりも、人を罵倒したい気持ちがよく伝わってきます。そして会話を続けるに従いその気持ちが相手から薄れていくのがわかるのですが、こういうイライラ感を全て取り除かないことには、再生できないのだなぁと。
88. 認知の歪みの定義
2007/08/20(月) 02:44:35
正しい、善、悪、悪魔と言った言葉を論理的に分解すると、己の感情を持って「道徳」を規定してしまおうとする詭弁が浮き彫りになる。
感情は感情。それ以上の意味を持たせてはならない。
感情は感情。それ以上の意味を持たせてはならない。
90. ↑
2007/12/01(土) 13:08:24
あ(微笑^^の精神が極めて不安定であることが浮き彫りになったw
いちいちめんどくせー奴がまだいるな。
89.はNoaへのレスだ。関係ないやつは黙っとけ。
89.はNoaへのレスだ。関係ないやつは黙っとけ。
92. Noa
2007/12/01(土) 18:43:28
>正しい、善、悪、悪魔と言った言葉を論理的に分解すると、己の感情を持って「道徳」を規定してしまおうとする詭弁が浮き彫りになる。
キリスト教は世界最大の宗教だ。もっとも、最近ヨーロッパあたりでは熱心な信者が少なくなったが。
キリスト教は世界最大の宗教だ。もっとも、最近ヨーロッパあたりでは熱心な信者が少なくなったが。
93. Noa
2007/12/01(土) 18:49:17
善悪の基準なくして論理的であることができるだろうか?
94. あ0
2007/12/01(土) 19:12:41
>89. あ(微笑^^ [E-Mail] 2007/12/01(土) 12:12:10
>正しい、善、悪、悪魔と言った言葉を論理的に分解すると、
>己の感情を持って「道徳」を規定してしまおうとする詭弁が浮き彫りになる。
おかしなことを言う奴だな。
>正しい、善、悪、悪魔と言った言葉を論理的に分解すると、
>己の感情を持って「道徳」を規定してしまおうとする詭弁が浮き彫りになる。
おかしなことを言う奴だな。
95. Cowgirl
2007/12/01(土) 19:25:56
http://jp.youtube.com/watch?v=10q96IPlm70&feature=related
i don't dream. (ice cream.) i scream so much.
you know what i mean. this electric stream.
and my tears in league with the wires and energy and my machine.
this is my beautiful dream.
i'm hurting no one. hurting no one...
i want to give you everything.
i want to give you energy. i want to give a good thing.
i want to give you everything. everything...
in one final scream of love who could climb this high she looks beautiful
like a child i feel tears. and i want to scream.
you know what i mean cause this is hurting no one. an erazor of love.
i don't dream. (ice cream.) i scream so much.
you know what i mean. this electric stream.
and my tears in league with the wires and energy and my machine.
this is my beautiful dream.
i'm hurting no one. hurting no one...
i want to give you everything.
i want to give you energy. i want to give a good thing.
i want to give you everything. everything...
in one final scream of love who could climb this high she looks beautiful
like a child i feel tears. and i want to scream.
you know what i mean cause this is hurting no one. an erazor of love.
96. 41
2007/12/02(日) 04:10:54
微笑は社会人だから自己顕示もしたくなるだろう。あなたは侵略者であり、いるべきではない存在だ。超能力はゲームのレギュレーションに違反する。
>Noa
君への回答はだいたい本スレ5.に書いてある積もりだ。論理と主観の関係からいくと、論理とはただの階段あるいは道具であり、重要なのは主観の多様性である。
そのように考えたならば、君の言う論理よりも先にくる善悪という概念は、他人の多様性を許さない非常に偏屈な概念だ。
どうしてそうなるのか?どうも君はキリスト教に足を突っ込んでいるっぽい感じだが、、、キリスト教は「教え」の宗教だから。全て根拠なしに教え、半強制的に従わせる。
あれに従う者は自分でモノを考えることを放棄した羊だ。
羊は強大な支配者に利用されるのみ。
その一方で、私の思う仏教の教えの本質とは、因果を全て読み解け、自分で悟りを開くために修行しろ、ということである。
>社会人だから
年齢制限つきかw
そんな詰まらないゲームなんかやめちまえと。
君への回答はだいたい本スレ5.に書いてある積もりだ。論理と主観の関係からいくと、論理とはただの階段あるいは道具であり、重要なのは主観の多様性である。
そのように考えたならば、君の言う論理よりも先にくる善悪という概念は、他人の多様性を許さない非常に偏屈な概念だ。
どうしてそうなるのか?どうも君はキリスト教に足を突っ込んでいるっぽい感じだが、、、キリスト教は「教え」の宗教だから。全て根拠なしに教え、半強制的に従わせる。
あれに従う者は自分でモノを考えることを放棄した羊だ。
羊は強大な支配者に利用されるのみ。
その一方で、私の思う仏教の教えの本質とは、因果を全て読み解け、自分で悟りを開くために修行しろ、ということである。
>社会人だから
年齢制限つきかw
そんな詰まらないゲームなんかやめちまえと。
98. 41
2007/12/02(日) 16:01:08
キリスト教とはただの天国への階段であり、重要なのは生き方の多様性である。
皮肉にも無宗教を自認する日本人こそ会社に人生を支配され、日本製品を利用して欧米人がlifeを楽しんでいることは興味深い。
皮肉にも無宗教を自認する日本人こそ会社に人生を支配され、日本製品を利用して欧米人がlifeを楽しんでいることは興味深い。
99. θ
2007/12/02(日) 21:02:46
>>97
>重要なのは主観の多様性である。
と自ら言っているにもかかわらず、
>君の言う論理よりも先にくる善悪という概念は、他人の多様性を許さない非常に偏屈な概念だ。
というように他人の主観を認めないのは何でなんだぜ?
>重要なのは主観の多様性である。
と自ら言っているにもかかわらず、
>君の言う論理よりも先にくる善悪という概念は、他人の多様性を許さない非常に偏屈な概念だ。
というように他人の主観を認めないのは何でなんだぜ?
100. 41
2007/12/02(日) 22:31:45
信仰とは資産運用のようなものだ。
お金を殖やしながらも休日を楽しむことができるように、天国への階段を登りながらも、本を読んだり、友人と会話したりすることができる。
人生を楽しみながらも、天国に近づいていける。
寄り道をしても、せいぜい天国に到達する速さが違うだけだ。
現実主義者は細部に囚われることによって自由を失なってしまう。階段をどうやって登るかなどさほど重要な問題ではない。
豊かになる方法を共有することで、自分で悟りを開かずとも天国へ行けるのなら、敢えて主観の多様性を求める必要もないだろう。
お金を殖やしながらも休日を楽しむことができるように、天国への階段を登りながらも、本を読んだり、友人と会話したりすることができる。
人生を楽しみながらも、天国に近づいていける。
寄り道をしても、せいぜい天国に到達する速さが違うだけだ。
現実主義者は細部に囚われることによって自由を失なってしまう。階段をどうやって登るかなどさほど重要な問題ではない。
豊かになる方法を共有することで、自分で悟りを開かずとも天国へ行けるのなら、敢えて主観の多様性を求める必要もないだろう。
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これ以上の書き込みはできません。
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これ以上の書き込みはできません。
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