「京都学派」について
文学部院生
2003/03/02(日) 03:48:23
20世紀における京大文学部の存在意義は、東洋史講座や哲学講座などを拠点としたいわゆる「京都学派」の活躍を措いては語ることができないと思います。21世紀の日本の人文学に貢献するためにも、京大文学部は前世紀の遺産を継承、発展させることが必要ではないかと思います。京大文学部の皆さんは、いわゆる「京都学派」というものについてどう思われているのでしょうか。自由に議論しましょう。
ある学部生
2003/03/02(日) 05:45:26
最近、僕も同じことを思うよ。京大文学部に入って「京都学派」について全く知らないのは残念に思う。
文学部でも京都学派について語れる人って少なそうだ。
かく言う、僕も勉強不足でかたれないし。
文学部院生
2003/03/02(日) 13:02:16
現在の京大文学部でかつての「京都学派」の面影をわずかにとどめてるのは東洋学系講座の一部だけやね。東洋史の杉山先生は優秀やし、宮崎市定をかなり意識しているとおもう。中哲は死んでるが、中文では何年か前に退官された興膳先生ってかなり教養ありそうやし、平田先生も「切れ者」という感じ。日本史とか国文はよく知らないけど、国文新任の大槻先生は京都生まれ京都育ちで、いかにも京都的な学風やね。哲学では日本哲学史というのが何年か前にできたけど、あれは「京都学派」を継承するというよりも古典として保存することを目的としたところやし、かつての面影をのこしているとは到底いえない。
他学部生
2003/03/02(日) 15:20:37
西田幾多郎の孫弟子とかいないの?↑
2003/03/02(日) 17:19:26
藤田正勝とか院生
2003/03/02(日) 18:24:59
正勝さんはダメですよ。西田哲学を理解してないし。基本的に文学部の西洋哲学系の人はダメ。彼らには京都学派コンプレックスみたいなのがあって、それに捕われている限りは学問的に将来性なし。むしろ東洋文献学系の先生のほうがまだ見込みはあると思うんですが、かといって京都学派の系譜を意識している人ってあまりいないしね。
*「京都学派」について考えることは京大文学部の教官を総括することでもあるので、忌憚のない意見を書き込みましょう。
文学部生じゃないけれど
2003/03/02(日) 20:14:22
京大ってやっぱ、文学部と理学部っしょ。がんばれ、文学部!!院生
2003/03/02(日) 22:52:16
理学部と並べられるのは光栄やけど、スレをみてもわかるように文学部は理学部とくらべるとあまり活気がないね。文学部は理学部と同じく一応は「真理を探究」することろなんやから、もっと「カッコイイ京理」みないな誇りをもってもいいんちゃうか。http://www.kyoto-u.com/lounge/hokubu/index.html奮起せよ、文学部生!理学部に負けるな!!
京都学派といえば
2003/03/03(月) 13:44:54
一般には「戦争協力して公職追放された奴等」というマイナスのイメージがあって、京都学派に彼らについて語るとこは長い間避けられてきた。最近おこっている「京都学派」ブームみたいなのは、「京都学派」から政治的な部分を取り去り、安全無害な部分だけ取り出した「純粋にアカデミックな京都学派」という虚像をつくりあげることに専念している(藤田正勝先生の仕事もこのタイプ)。だがこのような去勢された「京都学派」像は、結局は国立大学の権威に頼っている点で、来年度の独立行政法人化以降、無効になることは確実である。「京都学派」について考えるには、その政治性(たとえそれが戦争協力であったとしても)をも含めて考えなければならない。なぜなら学問とは政治だからだ。「純粋にアカデミックな学問」など存在しない。それは国立大学が作り上げた虚像なのだ。「京都学派」について考えることは国立大学について考えることでもある。
文学部と理学部は京大の看板だと思うけど
2003/03/03(月) 22:00:49
うちの高校では頭いいやつは東大へ行く。そして、10年に1人といわれる真の天才は京大へ行く。学部は文系なら文学部、そして理系なら理学部である。そして、この天才たちは在学中に自殺をする。これが我が出身校の言い伝えです。自殺という負のイメージから京大は避けられ始め、今や名大と同じクラスという認識となっている。
在学中に自殺
2003/03/03(月) 23:47:03
ですか。それはかなり昔の言い伝えですね。今の文学部生で自殺するほど悩んでいる人っているのでしょうか?(悩むといってもあくまで文学青年的にであって、病気の人は別ですよ。)いたら紹介してほしいんやけど。よく文学部と理学部って並べられるけど、大学の現状を見る限り、両者は決して対等ではない。基本的に文学部生は理系コンプレックスがある。一方、理学部の奴等は文学部生をバカにしている。これは学生だけでなく教官についても当てはまる。つまり理学部と文学部は対等な関係ではなく圧倒的に理学部が優位なわけです。文学部に「カッコイイ京文を一般に開放」とかいうスレ立てる奴おらんやろ?逆に「文学部って何の役に立つんですか?」とかいうスレが賑わってる。文学部生はもっと誇りと自信をもつべきだ。
で、私はこのスレで「京都学派」をネタに「カッコイイ京文」を宣揚しようとしてるわけです。
スレ汚しで申し訳ないが・・・
2003/03/04(火) 01:01:02
>在学中に自殺京大文学部は理学部など歯牙にもかけていないと思うが?
>文学部生は理系コンプレックスがある
そんな文学部生いないでしょう。
まあ社会的有用性について同じ文系の法学・経済学部との比較に悩む人もいますが…。
まあ受験戦争の後遺症が残る文系学部の人については
低偏差値の工・農学部を馬鹿にしている人さえいるぐらいですよ。
彼らにとっては医学部は格上、理・薬学部は同レベル視ってところじゃないですか?
貴方理系学部の人じゃないの?
きちんと『京都学派』について語ろうよ。
(私のレスは関係ののないスレ汚しだけど…。)
某文学部生コテハン
2003/03/04(火) 01:17:33
http://www.kyoto-u.com/lounge/hokubu/html/200207/02070009.htmlこれが「カッコイイ京理を一般に広く開放するスレ」のURLね。
そんなに意味のある議論が展開されているとは到底思えないが。
北部板の理学部に関係あるスレを見ても
http://www.kyoto-u.com/lounge/hokubu/index.html
理学部しりとり<Part4>(5件)
研究者になりたいが結婚もしたい!(17件)
体積が半分になると圧力は…(10件)
数学科で飛び級する人って(9件)
さらっと書いてあるんだけど…(4件)
単位取得用専門科目情報 Part3(20件)
そんなに高尚なスレは多くないし、書き込みもそれほどでもない。
ま、文学部もそうなんだけどね。
更に、募集定員は理学部がやや多く、専攻数はたったの5つ。
それに比べ文学部は系だけで6つある。
文学部の方がその内容は多岐に渡っていると言えよう。
そのため、板において議論可能な内容というのも文学部全般に関わるもの
でなければ活気あるスレになることは期待できない。
よって深い議論に発展することが少ないとも思える。
そんな状況を踏まえず、スレの活気だけを見て、比べるのはどうかと思われる。
>基本的に文学部生は理系コンプレックスがある
そういう人ばかりでもないと思いますけど。
>学部の奴等は文学部生をバカにしている
理学部の人に限らず、文学部を総人並に(失礼)「意味ないのでは?」と見て
いる他学部生は多いかもしれない。
そのために「文学部って何の役に立つんですか?」
http://www.kyoto-u.com/lounge/ep/html/200207/02070003.html
のようなスレが立つのであって、文学部生が立てているわけではない。
>文学部生はもっと誇りと自信をもつべきだ。
これはその通りであると思うし、実際に持っている人もいる。
院生
2003/03/04(火) 02:37:17
>貴方理系学部の人じゃないの?私は文学部の人です。このスレは決して文学部をバカにしようとしているのではありません、あしからず。まあ他学部との比較は、キリがないのでやめときましょう。
でもちょっと弁解させてもらえば
>これが「カッコイイ京理を一般に広く開放するスレ」のURLね。
>そんなに意味のある議論が展開されているとは到底思えないが。
内容はともかく、このようなタイトルのスレが立てたれるのが重要だということ。
確かにこれを立てた理学部野郎は単なる夜郎自大のナルシストかもしれない。しかし全体としてみればこのスレは理学部の誇りと自信のあらわれでもある、というふうに解釈することも可能でしょう。
>理学部の人に限らず、文学部を総人並に(失礼)「意味ないのでは?」と見て
>いる他学部生は多いかもしれない。
>そのために「文学部って何の役に立つんですか?」
>のようなスレが立つのであって文学部生が立てているわけではない。
このようなのスレを他学部生に立てられて、オロオロしてしまうところが現在の文学部生の問題点ではないか。この手の問いは昔からあって、文学を本気でやる奴は他人に言われなくともそれに対する自分なりの答えをもっているものだ。まあ、議論をすること自体はいいことだと思うが。
>文学部の方がその内容は多岐に渡っていると言えよう。
>そのため、板において議論可能な内容というのも文学部全般に関わるもの
>でなければ活気あるスレになることは期待できない。
確かに板を盛り上げようと思ったら、文学部全般に関わる内容が必要でしょう。そこで京都学派ネタは一応、文学部全体で盛り上がれるネタかなと思ったんですが・・・いかがでしょうか。
>きちんと『京都学派』について語ろうよ。
そうしましょう。
某文学部生コテハン
2003/03/04(火) 03:01:08
>内容はともかく、このようなタイトルのスレが立てたれるのが重要だということ。そうですね。
そしてこのスレのようなタイトルのスレが立てられ、
そして理学部のスレよりも内容のある議論がなされようとしています。
そういう意味で、理学部にコンプレックスを持つ必要もなく、
むしろ文学部に誇りを持っていいと思います。
>オロオロしてしまうところが現在の文学部生の問題点ではないか。
どの辺がオロオロしていたのか教えていただきたい。
ふとした疑問として他学部生に提示された問題にたいして、
答えようと努力する人が多かった。
そして中にはあなたのおっしゃる「自分なりの答え」を
持っていると思われる人もいるように見えたのですが。
ま、中にはしょうもない発言もあるし、
他学部生であるスキッパー氏が一番頑張っていることを見ると恥ずかしい。
しかし文学部に誇りを持つ人も意外と多いものです。
むしろあなたが誇りを持てていないように見えてならない。
長々とスレ汚しスイマセン・・・
正直な話
2003/03/04(火) 17:54:31
>>院生 あんた文学部自主退学した方がいいのでは?
院生
2003/03/04(火) 23:28:52
>あんた文学部自主退学した方がいいのでは?いや、もうすこし頑張ってみます。
>そして中にはあなたのおっしゃる「自分なりの答え」を
>持っていると思われる人もいるように見えたのですが。
>文学部に誇りを持つ人も意外と多いものです。
それならいいのですが。偉そうなこと言ってスミマセン。
>むしろあなたが誇りを持てていないように見えてならない。
そうかもしれません。私はこの文章を半分は自分に向けて書いてます。
まあそれはそうとして、本題に戻りましょう。
「京都学派」について論じるにはその政治性との関連で論じなければならない。実はこの「政治性」というものの解釈が問題なのだが、一般にそれは「戦争協力」ということになっいる。そして「京都学派」を「戦争協力」と関連づけて論じた有名な著作として、廣松渉著『<近代の超克>論』(朝日新聞社 1980)と大橋良介著『京都学派と日本海軍』(PHP新書 2001)がある。
まず前者の論点を手引きとしよう。前者の要点は、戦争合理化のイデオロギーとなった京都学派第二世代(高山、高坂、西谷、鈴木)が唱えた「世界史の哲学」は、西田・田辺哲学の「鬼子」などでは決してなく、むしろその「正系的展開」として登場した、ということである。
この主張の意味を理解するのには、多少の解説が必要である。
「京都学派」
2003/03/04(火) 23:30:13
といえば西田、田辺が有名であるが、西田・田辺が現役だったときには「京都学派」という名称はまだ存在せず、この名称が現れるのは、その弟子達が活躍するようになってからである。真に「京都学派」と呼ばれるべきは、西田・田辺ではなく、その弟子達なのである。それゆえ弟子達は特に「第二世代」と呼ばれる。さて広松は前述の著書の中で二つの座談会を取り上げている。それは「近代の超克」と「世界史的立場と日本」である。これらの談会に出席した「京都学派第二世代」は、高山岩男、高坂正顕、西谷啓治、鈴木成高、下村寅太郎の5人である。この5人はあまたの西田、田辺の弟子達のうち、最も重要な弟子である。
しかしこの5人とて一枚岩なのではない。彼らは大雑把にいって三つの系統に分かれる。歴史哲学(高山、鈴木、高坂)宗教哲学(西谷)科学哲学(下村)。この3派運命は対照的である。歴史哲学の3人は学問的には完全に抹殺されてしまい、宗教哲学の西谷は京大に呼び戻され現在の宗教学や日本哲学史講座の源流となり、科学哲学の下村は筑波大(現、東京教育大)に就職したことにより、関東で科学哲学者やライプニッツ研究者などを養成しながら、密かに京都学派の遺風を伝えることになる。一昨年に出版された『物語「京都学派」』の著者、竹田篤はこの系統に属する。
このように第二世代以降の「京都学派」の運命を辿ってみると、広松の著書の意義が明確になるだろう。この著書がいわんとしているのは、「京都学派」の正統は下村系の科学哲学もなく西谷系の宗教哲学でもなく、高山‐鈴木‐高坂系の歴史哲学だ、ということだ。そして広松は、戦後においてこの「京都学派」の正系的歴史哲学と全面対決を試みた最初の人物なのである。
広松のこの著書は、昨今の「京都学派」ブームに乗って現れたあまたの「京都学派」関連の著作より、はるかに重要な意味をもつ。それは柄谷行人が文庫版の解説で述べているように、広松が「近代日本の哲学の系譜を意識し、自身の仕事をその批判的継承において見ようとした」からである。おそらく現在の京大文学部には広松のような「使命感」をもった教授はほどんどいないだろう。
>院生
2003/03/06(木) 00:13:58
細かいこと言うようで申し訳ないですけど、廣松渉の『「近代の超克」論』は朝日新聞社からではなく、朝日出版社から出たものです。朝日新聞社と朝日出版とは経営母体が異なる全くの別会社で
無関係だと思うのですが。
それと、廣松自体は優れた哲学者だとは思いますが、どちらかというと
哲学史の知識が豊富な哲学者という気がして、彼の言う「近代的パラダイムの端的な超克」というのも哲学史の教科書的な整理に基づいていて、明確な根拠に乏しいような気がします。それに図式がいささか単純で、物的世界観から事的世界観へ、実体主義から関係主義へ、主観ー客観図式から四肢的構造論へ、というモチーフもさび付いた感が否めませんし。もちろん、俺は哲学プロパーじゃないディレッタントに過ぎないんですが。
ただ言えるのは、廣松の考えの背景にはアジア主義的な要素が色濃くあり
その意味で京都学派の後継者とも言えるのではないか、ということです。
もちろん廣松は東大ですが、根本のモチーフは京都学派的なものであったと
思いますよ。でもそれにはあまり展望が見えない気がします。それより、京都学派という一定の思考にとらわれるのではなく、受け継ごうと思えばその自由な学風ぐらいではないか、その意味では「反京都学派」である科学哲学の内井惣七教授なんかは面白く優れた学者だと思いますが。
院生
2003/03/08(土) 02:33:01
>でもそれにはあまり展望が見えない気がします。それより、京都学派という一定>の思考にとらわれるのではなく、受け継ごうと思えばその自由な学風ぐらいでは>ないか、その意味では「反京都学派」である科学哲学の内井惣七教授なんかは面>白く優れた学者だと思いますが。「京都学派」という実体はなく、それはあくまで「ある種のグループの通称」でしかありません。さらに「ある種のグループ」といってもその定義はあいまいで、どの人が属してどの人が属さないのかという明確な基準はありません。ということは逆に、乱暴な議論をしますと、「京都学派」を最も広くかつ明快に定義すれば「京都大学で学問をしている人」というふうに規定することも可能だと思います。
要するに京大の教官、学生はみな、好むと好むまいと「京都学派」(もしくはその予備軍)なわけです(かなり乱暴な議論ですが)。なのに京大生が「(京都学派には)あまり展望が見えない」と考えるのはちょっと淋しいですね。
私はここで「京都学派」を、何らかの「実体」としてもちだしているのではなく、あくまで話の「ネタ」として利用しているわけです。必ずしも「京都学派という一定の思考」にとらわれているのではありません。要するに私は「京大で学問をするとはどういうことか」について考えたいんです。そのための格好のネタが「京都学派」なんです。
このネタ
2003/03/08(土) 02:35:49
という観点は重要ですよ。学問ってある種のエンタテイメントだからおもしろいネタはやっぱ重要なんです。ネタがおもしろいかどうかというのは、そこから発展があって話が拡がっていくかどうか、そのへんが重要なんですよ。この点、内井先生の「反京都学派」はどうかと思う。例えば去年の文学研究科フォーラムで、内井教授は伊藤邦武教授の「京都学派は今日の我々から見ても非常に分かりやすい部分があって、学ぶ点が多い」という発言に喰いついてこう言ってた。「哲学の京都学派でめちゃわからんところがいっぱいあるわけですね。・・・僕はそういうのが大嫌いなんで京都学派は読まないということにしているんです。」これって単なるdestroyerですよね。これに対して内井教授は「還元主義」というネタと持ち出した。「ダーウィンとアインシュタインの共通点を探るのは哲学的な作業だ。ダーウィンは人間を他の動物に還元し、アインシュタインは時空を物や人に還元可能な相対的なものだとした。両者の共通点は「還元主義」だ!」でもこの「還元主義」の話はネタとしてはイマイチだと思う。「還元主義」って専門用語やから科哲やってる人ならわかるやろうけど、ほかの人が聞いたら「はあ、そうですか」というしかないからね。「還元主義」より「京都学派」のほうがネタとしてははるかにおもしろいよ。内井教授はせっかく迫力ある関西弁で漫才みたいしゃべることができるんだから、もっとネタの選び方にも気を使わないともったいないよ。
。。
2003/03/08(土) 12:56:14
>学問ってある種のエンタテイメントだからおもしろいネタはやっぱ重要なんです。ネタがおもしろいかどうかというのは、そこから発展があって話が拡がっていくかどうか、そのへんが重要なんですよ。…「還元主義」って専門用語やから科哲やってる人ならわかるやろうけど、ほかの人が聞いたら「はあ、そうですか」というしかないからね。「還元主義」より「京都学派」のほうがネタとしてははるかにおもしろいよ。そう仰るなら、そのおもしろいネタである「京都学派」について貴方が話しを拡げてみて下さい。
話が「おもしろくない」方向へ拡がらないように。
デカルト
2003/03/10(月) 19:35:24
京都学派といっても、ピンからキリでしょう。それこそ西田幾多郎や田辺元もいれば高坂正顕や高山岩男もいるし、中井正一や戸坂潤、三木清まで非常に幅が広い。これまでは「大東亜戦争」の御用イデオロギーとして糾弾されてきた京都学派も中井、戸坂、三木も数えれば、あるいは林達夫や久野収まで数えれば不意にその表情が豊かになる。特に、戸坂なんかは最近見向きもされないが、あのころから相対論や量子論もをフォローした科学に関する哲学、認識論なんかを述べていたし、戦中日本の思想界のいかがわしさを敏感に感じ取っていたんだと思う。とりわけ戸坂の『反動期における文学と哲学』なんかは今でも通用する内容だと思う。若干マルクス主義の図式的な当てはめというきらいもないではないが、それでも安易な哲学と文学の野合による「文学主義」がいかに思考停止をもたらすものであるか、といった批判は今でも妥当する。いい加減な言葉で人を幻惑することが思考ないし哲学と勘違いしている人たちへの痛烈な批判であることは確かでしょう。そういう意味での京都学派を捉えていくと幅が広がり、今までの京都学派のイメージを少しは変えることにつながり、おもしろくなるのではないかなと思う。
↑
2003/03/10(月) 21:50:01
読みづらいから適当に改行希望アンチ京都学派も大きな京都学派
2003/03/10(月) 23:04:21
内井先生がアンチ京都学派だという話だけど、そういう先生の存在は物凄く重要。たとえばギリシア哲学で有名な田中美知太郎も、西田・田辺哲学は学生当時から相手にしていなかった。
しかし、田中美知太郎(西洋哲学派)のお弟子さん達は違う。
田中美知太郎の批判的立場を受け継ぎつつも、西田・田辺の思索の足跡も受け継いでる。
こういう、単なる師弟関係の縦の学問継承ではなくて、学内で広く意見が交錯し醸成される学際性こそが「京都学派→新京都学派」の日本で唯一培われた伝統の意義ではないかな。
霊長類系や臨床心理系の研究、梅棹氏や朝永氏などとの繋がりを考えるとそう思う。
面白いスレ立ちに感心して横レスしてみました。
院生
2003/03/13(木) 15:49:07
>そういう意味での京都学派を捉えていくと幅が広がり、今までの京都学派のイメージを少しは変えることにつながり、おもしろくなるのではないかなと思う。>単なる師弟関係の縦の学問継承ではなくて、学内で広く意見が交錯し醸成される学際性こそが「京都学派→新京都学派」の日本で唯一培われた伝統の意義ではないかな。霊長類系や臨床心理系の研究、梅棹氏や朝永氏などとの繋がりを考えるとそう思う。
たしかに京都学派はとらえかた次第で、幅がひろがりイメージが変わってゆくとおもいます。三木や戸坂はもちろん、美学の中井正一、評論家の唐木順三とか社会学の梯明秀なんかもあげられます。また戦後、新京都学派と呼ばれた人たちも加えれば、桑原武夫とか梅原猛とか(久野収もこっちですかね)鶴見俊輔なんかも入ってくるでしょう。あるいは文学部にこだわらなければ、生態学の今西錦司、梅棹忠夫も数えられるでしょうし(現在刊行中の京都哲学選書(燈影舎)には今西錦司『行為的直観の生態学』があります)、そうすれば物理学の湯川秀樹や朝永振一郎も入ってきますね。湯川も京都学派の哲学者と交流してたからね。
実際、現在の「京都学派」ブームの端緒は、狭義の歴史哲学の文脈においてでなく、以上のような分野の壁を越えた総合的な学術運動という文脈のなかで「京都学派」を再発見したことにあるとおもう。
ところで、
2003/03/13(木) 15:50:45
このように視野を広げて「京都学派」の裾野を確認し、そのイメージを刷新することは「京都学派」のお膝元である京大文学部においては、とりわけ重要な意味をもつのではないか。というのは京大文学部において「京都学派」について語ることは、外部から「京都学派」について語る場合とは違って、一般論ではすまないからだ。(これに対し、現在の「京都学派」ブームは外部からの一般論なのだ。)われわれ「京大文学部」関係者にとっては、「京都学派」とは単に歴史記述の対象ではなく自分たちに直接つらなる対象であり、「京都学派」について語ることは一般論ではなく否応なく自分自身の問題となる。
京大文学部にとっては、「京都学派」はあまりにも身近な存在であったために、長いあいだ彼らについて語ることはタブーとされてきた。彼らへの愛憎入り混じったアンビバレントな気持ちが、彼らについて語ることを妨げてきたのだ。しかしわれわれが自分自身の問題として「京都学派」を語るとき、それは「京都学派」ブームのような一般論よりははるかに重要な意義とはるかに大きなインパクトをもつはずだ。われわれはそのことの「政治的」意味をしっかりと認識しておく必要がある。いまや京大文学部の内部から「京都学派」について語るときが来たのだ。
京都学派と時代の要求
2003/03/13(木) 21:21:58
レス:「アンチ京都学派も大きな京都学派」を書いた者です。このスレは「京都学派の使命感、京都学派として伝統を受け継ぎ成すべき事をせねばならぬ」という趣旨で討論されているようですが、京大内部の現状ばかりでなく、日本全体におけるアカデミズムを取り巻く環境についての考察も必要ではないでしょうか。
すなわち、戦前の京都学派が活躍した時代にせよ、戦後の新京都学派が活躍した時代にせよ、また、浅田彰などが活躍した時期にせよ、日本全体からのアカデミズムに対する要求というものが存在していた、そういう時代であったという事を看過すべきでは在りません。
果たして現代という時代において、アカデミズムがどのような要求に応えうるものなのか、その方向性を見極めつつ、京都学派の伝統を生かすすべを開拓していこうとしなければ、本当に京都学派ならびに日本のアカデミズムは死んでしまうと思います。
ジャンベ
2003/03/14(金) 03:16:49
面白いスレですね。勉強になります。このまま続いていってほしい。
当方理学部。
院生
2003/03/17(月) 14:29:55
>京大内部の現状ばかりでなく、日本全体におけるアカデミズムを取り巻く環境についての考察も必要ではないでしょうか。そうですね。アカデミズムが本来、社会とは無関係はものでない以上、アカデミズムについての考察はそれに対する時代の要求を看過することはできない。
私見だが、アカデミズムと時代の要求ついての考察には、両者の接点として大学行政あるいは大学制度という視点が欠かせないと思う。というのはアカデミズムがその時代とかかわるには、学問上の主張よりもまず大学という制度として現れる必要があるから。
21世紀になって間もなく日本の大学アカデミズムは独立行政法人化という新制大学発足以来の未曾有の規模の改革を受け入れようとしている。この独立行政法人化というのは、文学部教官が考えるような「効率主義、経済至上主義による非文化的な愚策」ではなく時代の率直な要求と考えるべきだ。
そうであるなら日本のアカデミズムの将来を考える上でも、われわれはまず独立行政法人化のもつ歴史的文脈を十分に把握しておく必要がある。
ここでも「京都学派」についての考察が手引きを与えることになる。
20世紀の
2003/03/17(月) 14:31:43
日本のアカデミズムの課題は、簡単にいえば、開国以降ひたすら移植してきた19世紀以来のヨーロッパ的学問に替わって、20世紀の日本発の「ヨーロッパ+アジア」的学問をつくることだった。この課題を意識的に引き受け遂行しようとしたのが「京都学派」なのだ。ところが問題は、20世紀日本の新しいアカデミズムを育むはずの「大学制度」として、19世紀ヨーロッパ(ドイツ)の大学制度をそのまま移植してしまったことだ。このことで大学制度と学問の内面的要求のあいだに齟齬が生じるが、この齟齬が実に20世紀の「日本のアカデミズム」の歴史を規定することになり、またその中枢に位置する「京都学派」の歴史をも規定することになる。
実際、「京都学派」の歴史は、20世紀日本の学問が19世紀的な「帝国大学=国立大学」の制度的な呪縛を脱却する歴史であったといってよい。
戦前の京都学派は戦争に協力したということで、哲学の高山、高坂、西谷、西洋史の鈴木が公職追放をうける。大橋良介は著書『京都学派の日本海軍』の中で、彼等の「戦争協力」がじつは「非協力を含む協力」であったと苦しい弁解をしているが、そもそも帝国大学が国家の発展に貢献する目的で設立されたものである以上、「京都学派」が戦争に協力するのは当然のことであり、いまさら異論を唱える余地はない。実際、京大に限らず帝大の教官はみな公然と戦争に協力していたのだ。
問題は
2003/03/17(月) 14:32:36
彼等がなぜ「公職追放」にあったのかということだ。それは「戦争協力」の故ではない。それは彼等が専攻していた「哲学」という学問の性質によるのではないだろうか(鈴木は西洋史だが、非常に「哲学的」であった)。哲学は「諸学の学」という性格をもち時代をもっともよく反映する学問である。彼等は座談会「世界史的立場と日本」で極めて「哲学的」な議論を展開した。もちろんそれは太平洋戦争に突入した時代の世論を反映したものであったが、より直接には、20世紀日本における「帝国大学」という制度のもつ功罪を反映したものであったのだ。戦後、彼等は公職追放を受けることになる。名目は「戦争協力」だった。彼等が戦争に協力したのは正しい。しかしそれのみが公職追放の理由であると考えると事態の深層を見逃すことになる。ここで京都学派の「政治性」が問題となる。京都学派の「政治性」とはよく言われるように「戦争協力」なのだろうか(廣松も大橋もこの立場だ)。私はそうは思わない。むしろそれは「大学行政」、「大学制度」に関わるものではないのか。京都学派の戦争肯定論は、時代の世論を反映するよりも、より正確には「帝国大学」の立場を反映するものだった。そして彼等の公職追放は、まさに20世紀日本における「帝国大学」の限界を象徴していたのだ。
高山、高坂、西谷、鈴木。
2003/03/17(月) 14:33:43
彼等は中央公論の座談会「世界史的立場と日本」を開催したことで有名であり、とくに「京都学派四天王」と呼ばれている。この呼び名は扇動的なものではあるが理由のないものではない。彼等は日本アカデミズムの中心たる京大哲学科に位置し、時代の潮流にのって戦争肯定論を展開し、敗戦により公職追放をうけ学問的に抹殺された。彼等はよくもわるくも「近代日本」と運命をともにしたのだ。21世紀の日本のアカデミズムの担うべきわれわれが彼等から学ぶべきものは何か。もとよりわれわれには、彼等を真似て日本の世論を動かす論陣を張ることはできないだろう。それは彼等のような巨人にしかできない芸当なのだ。しかし彼等が身をもって体現した大学制度上の問題には、われわれは真摯に取り組むことができるのではないか。
「帝国大学」は終戦および冷戦の開始とともに、ナショナルな要素を薄められつつ「国立大学」へと移行する。そして「国立大学」のもとで戦後の「新京都学派」および80年代の「ニューアカデミズム」が現れることになるが、これについては今は論じない。しかし「国立大学」とて「官立」であるという点で根本的な性格は「帝国大学」と変わりはない。
京都学派は
2003/03/17(月) 14:34:50
20世紀前半の時点ですでに「官立大学」の限界にぶち当たっていたといえる。「京都学派」の限界は「官立大学」の限界だったのだ。独法化を目前に控えた今、「官立大学」の限界という視点は極めて重要である。私が「京都学派」にこだわるのもこの点に関してなのだ。独法化以後、ようやくポスト「京都学派」の時代が来る。いわゆる「反京都学派」なるのもは「京都学派」の掌中で遊んでいたにすぎない。20世紀「京都学派」の遺産を本当に継承しているかどうかが問われるのは独法化以後である。そしてこのとき日本のアカデミズムの運命も明らかになる。
現在、京大文学部を含め日本の国立大学はCOEバブルで賑わっている。このCOEは、拠点形成だのなんだのと理由をつけているが、実のところ独法化をスムーズに遂行するための「餌」に過ぎない。われわれが本当に心に留めておかねばならないのは、「COE予算の使い方」などではなく「独法化以後の日本のアカデミズムのあり方」なのだ。心ある学生諸君にはこのことを肝に銘じてもらいたい。COEで浮かれている文学部教官の言うことは無視してよろしい。
いや、ほんで
2003/03/17(月) 22:23:44
独法化以降のアカデミズムはどうあるべきだ、というの?一言で言えば。「京都学派を背負う」とかを、具体的にいえばどうなるわけ?院生
2003/03/17(月) 22:52:01
>独法化以降のアカデミズムはどうあるべきだ、というの?別に結論を出そうと思って書いるわけではありません。
京都学派の標語は「selbstdenken(自分で考える)」だったので、
現実世界の問題を自分自身の問題として考える雰囲気を作ろうとしてるだけです。
あなたは「京都学派」についてはどう思いますか。
デカルト
2003/03/19(水) 00:06:22
京都学派の末路を「帝国大学」=官立大学の宿命として捉える見方は必ずしも的外れな意見ではないと思うが、しかしそれは京都学派を非常に限定的な意味で使用した場合の話だと思う。実際、前にも発言したとおり京都学派を西田や高坂、高山、西谷らに収まるものではないし、戸坂、三木、中井など「主流派」とは一線を画する人間もいて、世界認識においてはむしろ彼らのほうがリアルな認識であったと思うし、彼らがそのためか憲兵に付け狙われることもあった(恩師の西田も晩年は憲兵が監視していたようだが)。
それに比べて高山や高坂の認識は実に抽象的な粗雑なもんだったのではないか?現に、彼らはアメリカの資本主義体制の欠陥を超克すべき思想を模索する段に、何を根拠においていたか?なんと、チャップリンのモダンタイムズを根拠にその言説を構成していたわけで、アメリカの認識にしても粗雑である感は免れないでしょう。
西欧文明の代表として上げられたアメリカ型資本主義の世界的な拡大といった現実世界の認識においては、戸坂のほうが格段に優れていたし、あるいは
場合によっては岸信介や古海忠之ら「革新官僚」のほうがリアルだったと思う。
つまり、高坂や高山など「主流派」ばかりに注目すると、京都学派のイメージは実に貧しいものしか残らないと思う。
仮に後に京都学派を何らかの形で肯定的なイメージで論じたり、その意義なりを論じようとするなら、「主流派」ばかりではなく、そうでない異なる思考をものしていた人たちの思考をも勘案しないと、あまり生産的な議論はできない気がする。
院生
2003/03/20(木) 02:40:54
京都学派にはもちろん三木、戸坂のような主流派以外もいて、ある意味ではそういう人たちの方が現実の細部においてはリアルな認識をもっていただろうし(あまり読んでないのでちゃんとした議論はできないが)、当時の政治家や官僚は職業柄、学者よりリアルな世界認識をもっていたとおもう。もちろん当時の京都学派とて歴史哲学一辺倒だったのではなく、マルクス主義もあれば科学哲学もあり実存哲学もあった。しかしそのように諸思想が共存していた中で歴史哲学が「主流」になったのは、それだけの理由があるとおもう。実際、マルクス主義を奉じた戸坂ですら西田哲学を「世界第一級の哲学」と認めていたし、その正系的展開として高山、高坂らの歴史哲学が出てきたわけだから。
「モダンタイムスを根拠にした」っていうのは初めて聞いたけど、大衆映画だからといって馬鹿にできるものではないし、まさか彼等は映画に刺激されて「近代の超克」論を展開したのではないやろう。彼等には彼等なりの緻密な理論があり、その理論的根拠に基づいて議論していたはずだ。
「非主流派」のマルクス主義は現実と積極的に関わったので、現実の一部分(アメリカ型資本主義であれ何であれ)に関してはリアルな認識をもっていたといえる。しかし、リアルではないとしても日本が直面したあらゆる現実に目を配り、それをもとに包括的で長期的なビジョンを描いたのは「主流派」の歴史哲学だろう。
その意味で「非主流派」には京都学派の表情を豊かにし彩りを添えるという意義があるだろうが、京都学派の「可能性の中心」はやはり「主流派」の歴史哲学にあったのではないかな。
デカルト
2003/03/20(木) 06:28:35
モダンタイムスの例は高坂の著書(『現代の精神史的意義』)に散々書かれていますよ。高坂の主張は別に京都学派特有のものでも何でもなくましてや世界的に通用するような緻密な論理構成すらもっていたなどとは決していえないでしょう。私は、高坂がモダンタイムスを持ち出したことを批判しているのではないですよ。むしろ表象文化を積極的に思考に組み入れて論じることは大切なことだと思う。だからそれ自体は全く悪くない。問題は論の立て方でしょう。
高坂に言わせれば近代文明とは、主客二元論に基づく「人間中心主義」とそれの裏返しの「機械文明」に分裂しているらしいのだが、この分裂こそが近代文明の限界であり現在の思想その他もろもろの状況の混乱の原因であるということになるようです。この行き詰まりを打破する歴史的な原理が東洋的「無」の哲学なんだと、簡単に言っちまえばこんな感じです。
それを説得的に主張しようとして持ち出しているのがアメリカであり、その代表としてモダンタイムスなんです。しかし、一体どこからアメリカがでてくるのか、モダンタイムスが出てくる必然性があるのかといった事柄に関しては全く言及されていません。ほとんど性急としか思えないほど突如登場する。そしてそこから延々とそれに基づく言説が展開していく。しかし後の言説はこの単純な言説が怪しげになればいとも簡単に崩壊してしまいかねない言説なんです。その意味で実に粗雑なものだなと思わざるを得ません。
第一、この種の言説は先ほども触れたように京都学派特有のものではありません。大正デモクラシーのころから凡百の文芸批評家も口にしていた言葉です。それを今更もっともらしく述べたところで緻密な論理を期待できるわけありません。近代と近代化の区別すらついていないのですから。
それと、近代批判とは近代がはじまってから延々と論じられてきたのであって、高坂や高山はそのことには一切触れていない。さも自分たちが主張しはじめた日本独自の思想であるかのように述べ立てている。これでは近代に関して無自覚であるといわれても仕方ないでしょう。実に抽象的ないい加減な議論にしか見えないと思えるのはそのためです。ちょっとつつけばすぐぼろを出すような粗雑な思想に「可能性の中心」など見ることはとてもじゃないができないと、先輩に対して生意気ながら考えています。あしからず。
院生
2003/03/23(日) 23:36:23
「現代の精神史的意義」は『歴史哲学と政治哲学』(弘文堂1939)に入ってるやつですね。最近こぶし書房から復刊されてるみたいやけど、今時こんなん読んでる京大生がいるとは思わへんかった。さすが戦前に書かれただけあって、緊迫感のある力強い筆致で書かれていて読み応えがあった。確かにこの論文には、デカルトさんの言うとおり、近代の機械文明の矛盾を代表するものとしてモダンタイムスがやや唐突にでてきていて、人間は近代の大工場という巨大な機械の歯車の一つになっており、そのことが人間の自由や主体性の否定を導いているという論旨になっていて、機械文明の考察としてはやや粗雑で陳腐な感が否めない。
しかしモダンタイムスは話を分かりやすくするために出てくる例に過ぎないのだから、それに気をとられてしまうとこの論文の本旨を掴み損ねるのではないか。この論文の主題は著者が序でことわっているとおり「世界史の哲学」の輪郭を描くことにある。決して著者はここで機械文明の評論や、ましてや映画評論をもくろんでいるわけではない。実際、タイトルも「精神史的意義」となってるわけで、「人類の精神史」という巨視的な観点がないとこの論文は読めないだろう。そして同じように近代批判を行っていても、「京都学派」と「凡百の文芸批評家」の違いは、まさにこのような巨視的な観点をもっているか否かにある。
悪名高き
2003/03/23(日) 23:37:18
東洋的「無」というのも、これが精神史的文脈から出てきていのであればそんなに怪しいものではなくなるとおもう。「無」といっても素朴に「実在」を否定しているわけではない。彼らは「無」を端的に主張するのではなくて、「無の哲学」を唱えているのだ。それはヨーロッパの伝統的な「実在の哲学」に対立するものではなく、その批判的継承の上に見出されるものなのだ。「哲学」には、世界史と連動した「系譜」が存在する。京都学派の哲学者は自らの哲学を、ヨーロッパにおけるヘーゲル以前の伝統的哲学の批判的継承の上に見出していた。この「系譜」がまさに「精神史」なのだ。それゆえ京都学派の精神史とは新しい哲学史の構想をも意味する。そしてそれはまず「精神史としての世界史」の考察を要求する。高坂が本論文で、「ヘーゲルを真似て世界史の哲学の輪郭を描こうとした」所以である。
「世界史の哲学」は戦後長い間、日本のアカデミズムにおいて躓きの石だった。そしてこれが日本のアカデミズムを政治的に去勢された状態へと追いやっている元凶である。高坂が『歴史哲学と政治哲学』において意図しているのは、畢竟するに学問における「歴史性」と「政治性」の回復である。われわれはこの主張に耳を傾けねばならない。日本のアカデミズムを再生させるには「世界史の哲学」という巨視的考察が不可欠である。
デカルト
2003/03/24(月) 00:24:10
「世界史の哲学」という構想は、神さんでないかぎり具体的分析を欠いた抽象的な議論に終始するのが関の山であると思いますよ。ここでいう抽象性は、別に思考を徹底的に形式化し、その可能性、限界をも見定めるギリギリの精神的営為といういい意味ではなく、なんかよくある通俗的イメージにのかって、お互い議論の通用する相手に対して「ねえ、なんとなくわかるでしょう」と相槌を求めるような思考のいい加減さを意味します。
それに体系性といっても歴史には様々な文脈で全く異なる相貌をみせることもあるし、一義的な意味に決して整理できるほどの単調なものではなくて、
思わぬところに亀裂をもって立ちあらわれてくることもあり、別にポストモダン的思考を主張する気はありませんが、巨視的な考察がしばしば安易な体系性の神話に基づくものでもあるということを考えてみてもいいのではないか?
思考においても細部に至るまで繊細に分析が施されているわけではなく、
肝心要のところが「周到に」ぼかされている。そしてその穴埋めを一般的なイメージに頼って補うということが何度もされているようで、私としては
「世界史の哲学」は真剣に取り上げる気にならないのです。
私が考えるに、彼らはヘーゲル歴史哲学に触発され、ハイデガー的モチーフによってその歴史哲学を彩ろうとしていたのだと思いますが、ヘーゲルにも、またハイデガーにも遠く及ばないものじゃないか(私としてはヘーゲルもハイデガーも嫌いな哲学者ですが)、そのように彼らに対しては思わざるを得ません。
デカルト
2003/03/24(月) 01:34:04
ちょっと付け足し。もちろん、東洋的「無」とは存在者でもなくもちろん「無」もないという
説明はいろいろ聞きます。なんか神秘的な言葉に酔う人もいるので警戒すべき言葉ではありますが、早い話が対象化できない働きのようなものを存在者ではなく、さりとて無ともいえないので東洋的「無」だなどといっているということでしょうか?
もしそうならそれこそハイデガーのモチーフでもあるわけですよね。
ハイデガーの存在者とは異なる存在seinとは、そんなことなのではないか、などと素人考えで思ったりもしますが。
したがって、その存在を問うことは英米系の哲学者ならずともアプリオリにナンセンスということになります。言語自体がそんな構造になっていないから。もちろん、私はそれを問うことがナンセンスだと一蹴する気はありませんが、堂々巡りであるとわかっているのなら、神秘的な言葉を使用するのではなく、どこまでが問いうるのか、どこからかナンセンスになるのかといった問題こそ、明確に分析的に問題にするべきと思います。
話は若干逸れましたが、歴史を巨視的に捉えようとする試みは面白いとは思います。しかし粗雑さが目立つ議論は、もう一度具体的な歴史の事実に関する認識を鍛えなおしてから試みるのが最低限の振る舞いというものだと思います。
あの手の歴史哲学には未来はない、と学部のペーペーですが敢えて断言せざるを得ないというのが偽らざるところでしょうか。
デカルト
2003/03/24(月) 02:09:13
歴史哲学というなら、マルクスこそちゃんと読み返されてしかるべきだと思います(断っておきますが私はマルキストではありません)。冷戦が終結し、イデオロギー論争抜きで虚心にマルクスを読み返すと色々面白い発見をすることがあります。しばしば言われる唯物史観=史的唯物論も教科書にあるような体系的なものではないようです。
最近文庫化された廣松渉編・訳『ドイツイデオロギー』には今日の歴史観がいかにイデオロギー的要素が多分に絡んだ「汚染された」ものであるかがわかります。さりとて自分たちが独自の歴史観を立てそれが唯一正しいなどという主張もしていません。教科書的なマルクス像とは随分異なったマルクス
だなと衝撃を受けたのを覚えています。『資本論』にしても安易にイメージに頼って歴史観を打ちたてようとしたわけでもありません。まず、資本主義とはどういうものかを、その単純な現象形態としての商品の分析からはじめることで周到に議論が積み上げられています。
そしてそういう周到な議論の積み重ねにおいてしか「歴史」はみえてこないものなのではないか、そのように思えます。
この意味で、歴史学者たちが歴史哲学に警戒ないしは嫌悪するのにはもっともな理由があります。
単純に体系にはなりえない、そういう要素がいくつも存在し体系から絶えずもれていくものが少なからず存在する(私が先ほど「亀裂」と呼んだものです)、むしろそういうところに「歴史」が見えてくるのではないか、そう思います。歴史は体系化される「物語」とは異なります。「物語」からは歴史は出てこないと思います。そこに無自覚な思考は「胡散臭い」の一語に尽きるのではないでしょうか?
そのことを踏まえ、なお京都学派「主流派」の歴史哲学の「可能性の中心」を救い出すということがどうことなのか、またそれがどのような意味を持ちうるのかをお聞きしたいと思います。>院生
院生
2003/03/25(火) 22:57:39
>そのことを踏まえ、なお京都学派「主流派」の歴史哲学の「可能性の中心」を救い出すということがどうことなのか、またそれがどのような意味を持ちうるのかをお聞きしたいと思います。京都学派の歴史哲学については、私の意見を聞くよりも高坂の「現代の精神史的意義」をちゃんと読むことを勧めます。前にもいったようにこれは映画評論で終わるような論文ではなく、ヨーロッパ精神史の総括とそれとの対決がきちんと行われてるんだから。
「京都学派」については、前世紀に柄谷を中心とする文芸批評グループが散々論じてきたせいか、「京都学派」の議論には必ず「哲学かぶれ」、「現代思想おたく」みたいな人が参加してくるんだけど、前にも書いたように「京都学派」が目指したのは総合的な学術運動だったわけで、狭義の「哲学・思想」に視野を限定していては有効な議論ができないということをまず認識すべきだろう。
マルクスについては私は読んでないし、それにここでマルクスの議論をしても一般論にしかならないからおもしろくないやろう。でも「歴史の亀裂」とやらについて一言いうと、
歴史には容易に体系化されない「亀裂」があるのはもっともだけど、そのようにいう場合、現代思想おたくが好む対象であるマルクスを持ち出すよりも、文学部歴史学科で行われている実証史学に言及すべきではないのか。実証史学者はマルクスに対して歴史の亀裂がああだこうだ、と同じような批判をするに決まってるんだから。
ほんで、
2003/03/25(火) 22:59:15
京都学派は実証史学についてどう思っていたかというと、実に彼らは実証史学の祖であるランケを最初から問題にしていた。鈴木成高に『ランケと世界史学』(弘文堂1939)という著書があるが、これは実証史学の創始者であり同時に世界史学者でもあったランケを日本に最初に紹介したものだ。もちろんこのランケも哲学者ヘーゲルの圧倒的影響下にあり、ヘーゲルの歴史哲学の理念をうけて19世紀ヨーロッパに相応しい「世界史」を書いたのであって、このように「歴史哲学」と「歴史学」の内面的なつながりを無視しては生産的な議論ができないのではないか。「歴史哲学」と「歴史学」の内面的関係は京都学派にもある。大橋良介の『京都学派と日本海軍』では、海軍との協力が行われていたという「秘密会合」のメンバーとして高山、高坂、西谷、鈴木らにまじって東洋史学の宮崎市定が参加していたことが明らかにされている。この秘密会合で話し合われたことは、結局、ヘーゲル−ランケの19世紀的な世界史をいかに越えるかということに尽きるのであり、重要なのは、19世紀的世界史の超克が「歴史哲学」と「歴史学」との両方を視野に入れつつ行われたということだ。戦後、高山ら哲学者は大学から追放されたが、宮崎は公職追放に遭わなかったばかりかますます研究を充実させ、1959年に独自の「世界史」を世に問うている(『世界史序説』 宮崎市定全集2に所収)。宮崎のこの世界史は、宮崎自身はそのように語らなかったにせよ、明らかに京都学派の歴史哲学を踏まえて書かれている。というより宮崎世界史は京都学派歴史哲学の賜物であり、宮崎は公職追放に遭った同僚を尻目に彼等の遺産をいわば独り占めした観すらある。いずれにせよ戦後における京都学派の歴史哲学は、よく言われるように戦争合理化のイデオロギーとして抹殺されたのでは決してなく、京大東洋史の泰斗宮崎市定に受け継がれ20世紀日本発の堂々たる「世界史」として結実していたのだ。
因みに
2003/03/25(火) 23:00:35
宮崎の「世界史」は1973年に大学教科書『アジア史概説』として学生社から出版され、http://www.gakusei.co.jp/daigaku.htm同書は1987年に中公文庫に入り、ベストセラーの仲間入りをした。
http://noz.hp.infoseek.co.jp/books/AsiaShiGaisetsu.html
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0626.html
これが戦後における京都学派の歴史哲学の運命なのだ。
さらに京都学派の歴史哲学は、宮崎の衣鉢を継ぐ存在ともいうべき本学部東洋史講座の杉山正明へと受け継がれ、21世紀日本発の「ユーラシア世界史」へと発展している。文学部生は杉山先生の講義には一度は出るべきだね。
繰り返すけど京都学派が目指したのは総合的な学術運動だったわけだから、京都学派について論じる際には、京都における学問の伝統をおさえろとはいわないが、せめて「京大文学部」の濃密な人間関係くらい理解しておかないとダメだよ。「京大文学部」は普通の文学部ではないんだから。ハイデガーやマルクスを持ち出すのもいいけど、狭義の「哲学・思想」という枠組みでは「京都学派」は論じきれないということだけは覚えておいたほうがいいよ。
それに京都学派の歴史哲学に対して「粗雑」、「抽象的」、「胡散臭い」を繰り返すのは「現代思想おたく(東大の高橋哲哉などがいい例)」の悲しい性だが、前世紀まではそれでいいにせよ、今後そんなことを言っていては自らの教養不足をさらけだすことにしかならないのとちゃうか?
デカルト
2003/03/26(水) 03:12:50
>院生どうも長々とありがとうございます。
ただ、誰それが誰それに影響を与えたとかというんですが、具体的にどのように影響を与え、それが今も多分に周囲の学問に刺激を与え続けているのかといった説明はなされておらず、これでは単にディレッタントな雑学趣味でしかないように思いますよ。濃密な人間関係云々など哲学その他の学問の本質に関わるものではなく、はっきりいってどうでもいい問題です。そんなのは教養ではなく単なる物知りにしか過ぎません。
それに俺が高坂を出したのは、彼の映画評論がどうだといっているんではなくて、論の立て方を問題にしているんですよ。ヨーロッパ史の総括というのが単純じゃございませんか?反証事例なら調べりゃいくらでもでるのじゃございませんか?といいたいわけですよ。
なんか明治以来の哲学教科書の丸写しのような気がして。
まさか、京都学派「主流派」の歴史哲学だけはそんな論の立て方で構わないというんでしょうかね?
それとね、俺は「現代思想おたく」でもなんでもないんですけど。むしろ、
あの類に対しては批判的で、京都学派も彼らと五十歩百歩じゃないかと思うんですがね?後、現代思想というのは、当初ヘーゲルやマルクスに対して批判するということでもてはやされてきた経緯があると思うのですが?
「歴史学と歴史哲学との内面関係」とかおっしゃっていますが、一体今の歴史学にどれほどの影響力を与えたのでしょう?そんな安易に内面関係なんて言われても哲学者が勝手に夜郎自大な与太を飛ばしているだけで歴史家が
真剣に考え、そしてそれを積極的に受け入れているというのでしょうか?
むしろ、歴史学とりわけ実証主義的な歴史学に関わる人々は真に受けていないというところが真実に近いのではないですか?
少なくとも俺の周りで京都学派の歴史哲学がどうのといっている史学関係者は知りません。
京都学派と呼ばれるものが一つの学術運動であるという考えは理解できますよ。だから敢えて「主流派」ではない人々の活動を見ていくことでそのイメージは豊かにもなると、俺が言ったんですよ。
それに対し、あなたがことさら「主流派」の歴史哲学こそ「可能性の中心」があるのじゃないか、などというから、だったらそれはいくらなんでも貧しすぎるんじゃございませんか?と申し上げたんですよ。
あなたこそ、ちゃんと読まないと駄目だと思いますがね?
ぽくだlcぼhじゅ
2003/03/26(水) 04:31:19
くだらん。よってSAGEだ。
だいたい
2003/04/10(木) 16:43:46
アメリカの大学からみれば、京都学派何とかはばかにされてるんだよ。外国の大学の先生の出身大学なんてばらばらであって、京都学派なんてのは時代遅れの日本の大学のおろかな一面さ。ま、アメリカの大学から見ればね。
2003/04/10(木) 18:54:48
それで?文学部哲学は
2003/04/15(火) 21:10:34
世俗にまぎれることなくかたくなに古典的学派を死守すべし。時代は回転しているので直に最新で新鮮なる学派と認定されるであろう。文学部生
2003/06/13(金) 02:37:55
なんかいいスレなのにさがってるね。「文学部しりとり」なんかがあがってるのをちょっとはずかしい。せっかくなので、ちょっとお節介
>濃密な人間関係云々など哲学その他の学問の本質に関わるものではなく、はっきりいってどうでもいい問題です。そんなのは教養ではなく単なる物知りにしか過ぎません
いやあ、これが存外大切なんだよね。純粋に文章を読んでいれば、自ずと分かるというかもしれないけど、そういうことを念頭に置いて読んでいくと、おもわぬ発見をすることがある。
確かにかつての京都学派には専門を越えた学際の雰囲気があった。例えば、植田寿蔵を読むとき、西田を知っているといないとでは、彼がどうしてフィードラーに注目したか、わからないんじゃないかな。
これは京都学派というものに限らないと思うけれども、学問所産はその産出者に起因する常になんらかのローカリティーを帯びている。「時代的・地域的限界」を帯びていると言い換えた方が分かり易いだろうか。そのよって立つところを理解するというのは常に大切なんだと思う。
京都学派というのは、戦中を除いて学問運動としてどれくらい統一的な意志でやったかはわからないけれども、たしかに傍目から「京都学派」とくくられるものがあった。かつてのあの京都学派の有機的つながりをもっと把握してみたいなあと思う。
科哲の
2003/06/14(土) 12:40:25
内井惣七先生って、なるほど微妙な立場にいるわけだ。外から見ていると京大の科学技術史・科学哲学って、PHSとかってただの天邪鬼か文学部のド素人にしかみえなかったけど、エコール京都なるとりまきに囲まれて苦闘していたわけね。まー、無理して文学部でHPSTやることないだろうと私などは思いますが、ほかでやってくれないのではしょうがないか、ふむふむ。まーしかし伝統芸能って保存会がいるから意味があるのであって、国からお金を落とさせるにはやはり永続して活動すべきだろうなあ。
>文学部哲学は...死守すべき
さんに賛成一票。
へぇ
2003/06/14(土) 22:52:11
>国からお金を落とさせるには大変なんですね…
いまどきに限ったこっちゃないでしょうが
2003/06/16(月) 18:15:34
>アメリカの大学からみれば、京都学派何とかはばかにされてるんだよ。外国の大学の先生の出身大学なんてばらばらであって、京都学派なんてのは時代遅れの日本の大学のおろかな一面さ。
人文社会の分野でエコル京都を意識して展開される世界レベル(つまり欧文)の学術雑誌ってあります?内容はぜんぜん違うけど社会科学だとシカゴ学派(都市学)とかフランクフルト(公共社会学)、ちょっと古いけどウィーンサークル(科学哲学)やその他もろもろ教科書に出てきそうな固有名詞と同等に論じる海外の論客っていますかねえ?歴史学や歴史哲学が得意ならHPSやSTSでいうところの「科学と植民地」テーマの研究主題になぜならないんでしょう?欧米ではちょっと前から話題のジャパンプロブレムとも絡んでおもしろい切り口を提供できそうに思うんですがねえ。
時代遅れ⇔当世風
2003/06/16(月) 22:01:57
僕が思うに哲学っていうのは、「これが今一番新しい」とか、
「あれはもう古い」などという類のものではないのでは。
というのも、哲学とはファッションのように着こなすものではなくて、
むしろそれと対立して超克することが、歴史的にみても求められてきた。
では、京都学派は果たして戦後日本においてよく吟味され超克されただろうか。
アメリカ人にとっては低級な哲学であったとしても、
日本人にとっては近代との触れ合いで発生した最初の課題であって、
これは今まで先送りされてきたとしか言いようがない。
京都学派に限らず、戦前の思想全般に言える事だろう。
文学部生
2003/06/18(水) 01:58:45
>科哲の さま>いまどきに限ったこっちゃないでしょうが さま
または、これに代わる識者のかた
ほんとにはずかしいんですけど、
「PHS」・「HPST」・「HPS」・「STS」ってなんでしょうか。
なにかおもしろそうなので、是非お話を理解したいのですが、いまいち専門外(というより無知)のためか、京都学派とどういう文脈で語られているかもあまり理解できていません。
おそらく「アンチ京都学派も大きな京都学派」さんの 2003/03/10(月) 23:04:21「内井先生がアンチ京都学派だという話だけど…」という話を受けてのことだと思うのですが。
もう少しかみくだいていただけると助かります。
ええと
2003/06/18(水) 03:16:36
HPS: History and Philosophy of ScienceHPST: History and Philosophy of Science and Technology
PHS: Philosophy and History of Science
STS: Science, Technology and Society
のつもりなのでしょうか。
私はそれほど詳しくないのでわかりませんが。
↑おっしゃるとおりです
2003/06/18(水) 15:57:59
でもって、こういう英文字言葉が京都学派には出てこないあたりが内井先生のなやみどころだろうと察しているのでしょう。文学部生
2003/06/18(水) 16:52:20
↑すごいかみくだきかたですね。ありがとうございます。
でも、贅沢ななやみなんでしょうが、あんまりかみくだきすぎていて、逆に上のむつかしい書込はなんだったんだろうかという気もします。
京都学派というのは、あくまで過去の学問運動の所産として歴史的批判(よしあしふくめて)の俎上にのせられるようなものだと思うのですが、それと内井先生の京都学派批判はどうかかわるのでしょうか?なんか現代の話のようで、どうもすれ違っているような気がするのですが。
文学部生
2003/06/18(水) 17:27:41
ついでに、過去レスみてたら、院生さんの書込には問題のある箇所の多少あることが判明しました。私も歴史系学問なので、ちょっと訂正しておきます。
>京都学派は実証史学についてどう思っていたかというと、実に彼らは実証史学の祖であるランケを最初から問題にしていた。鈴木成高に『ランケと世界史学』(弘文堂1939)という著書があるが、これは実証史学の創始者であり同時に世界史学者でもあったランケを日本に最初に紹介したものだ。
日本における近代史学は、ランケの弟子のリースが東大に招かれたことに確か端を発していたと思います。ですから、この言い方は誤解を招きます。
ただ、日本では天皇制イデオロギーとタブーの前に、史学はランケの実証主義の面のみを切りはなして、史料編纂所に代表される些末な実証主義にはしりました。
文学部生
2003/06/18(水) 17:32:19
それに対する反動は当然あるわけで、3つにわかれました。
第一は、平泉澄のように天皇制イデオロギーと一体化して、史的構想を語る者。
第二は、唯物主義史観に走る者。これは弾圧を余儀なくされると同時に、その硬直した教条主義により衰退します(ほんとはマルクスなんかはもっと柔軟なはずなんですけど)。
第三として、京都学派の取り上げ方ですが、これをどう評価するのか、これが上記のレスで問題になっているのかと思います。
ゴミ箱行きか
2003/06/19(木) 13:08:43
>京都学派というのは、あくまで過去の学問運動の所産として歴史的批判(よしあしふくめて)の俎上にのせられるようなものだと思うのですが、それと内井先生の京都学派批判はどうかかわるのでしょうか?なんか現代の話のようで、どうもすれ違っているような気がするのですが。過去の学問の所産ねえ。
ってことはゴミ箱の中つっついてるわけ?
いいものがでてくるといいねえ。
でも独り占めしないで公開してあげてね、なにかの役に立つかもしんないから。
↑的を得ているが
2003/06/19(木) 13:20:19
文学部生さんのまじめな質問に対しては失礼ではないか。京都学派に対する批判理論が一般性を持つべきだと、おっしゃってはいかがか?
文学部生
2003/06/19(木) 14:26:08
>過去の学問の所産ねえ。ってことはゴミ箱の中つっついてるわけ?いや、本気で、「京都学派」が現在もある、のかわからないんです。
上記の議論でも、この「京都学派」の概念が結構漠然としていて、これ自体一つの問題だと思います。
でも、過去の所産をゴミ箱といってしまうと、歴史系の学問はみんなゴミあさりになってしまいますう。
↑↑
2003/06/19(木) 15:05:37
的を得る?・・・同じ文学部生だったら恥ずかしい。的を射る
2003/07/04(金) 17:16:52
良スレ理学部生のしつもん
2003/07/05(土) 01:59:44
「的を得る」という日本語は正しくなく、「的を射る」という日本語は正しいということは中学校で習
った記憶があるのですが、「当を得る」という日本
語は存在するのでしょうか?もし存在するならなん
と読むのでしょうか?
某文学部生コテハン
2003/07/05(土) 02:05:22
「とうをえる」でしょう。意味は「的を射る」とほとんど変わりません。
さらに理学部生の質問
2003/07/09(水) 10:01:07
某文学部生コテハン さんありがとうございました。「当を得る」と「的を射る」の意味はほとんど変わらないとおっしゃられてますが、微妙なニュアンス
の違いがわかりません。日本人として本当に恥ずか
しいのですが教えていただけないでしょうか?
某文学部生コテハン
2003/07/09(水) 21:59:41
「的を射る」は弓矢で的を射ることからきているわけで、「要点を的確にとらえる」ことをいいます。
一方「当を得る」は「『道義的に』正しい」ということ。
やや意味が異なりますね。
そういう探究心を持つ人は文学部でもまれでしょう。
同じ意味で納得してしまう人がほとんどですから。
ありがとうございました@理学部
2003/07/09(水) 22:17:10
なんか、誉められちったぃ。ありがとうございました。院試、がんばりまっす!!
一部のゴミ理系は相手にするな!
2005/11/23(水) 09:19:44
経済研究所の浅田彰や数理解析の望月教授を見習え!!追加発言



